1986- 昭和58年

 ●最終章 再生する市場・任天堂「NES」





NES
(NOA)


NESとはNINTENDO ENTERTAINMENT SYSTEMの略。従来のゲーム機と徹底的なデザインの差別化がはかられたそうです。
任天堂NOA(アメリカ支社。ニンテンドウ・オブ・アメリカ)は日本で大ヒットしたファミコンの海外版・NESを、なんとかアメリカで売ろうとしましたが、市場崩壊のショックが根づくこの地で、それは難しいことだったのです。

「『もう、テレビゲームなんて二度とやるもんか』。そう恨み言をとなえるのは倒産したメーカーやショップであって、決して消費者ではないはずだ。その証拠に日本の子供達はファミコンに熱中している。手にとってもらえさえすれば、きっとわかるはずだ。」
その信念の元、NOAは地道に努力を重ねました。数々のキャンペーン、ショップへの保証、小売業との関係改善、そのための多額の支出などなど、NOAが尽くしに尽くした手は簡単に説明できるものではありませんが、NESを手にした子供たちのほとんどが、NESに同梱されていたスーパーマリオブラザーズのおもしろさにハマり、次のソフトを求めたことは歴史が証明しています。初年度約100万台、2年目約300万台(玩具業界でナンバーワンセールスを記録)、88年に約700万、そして92年は全世界で(日本をのぞいて)4,175万台を記録。ゲームソフトは任天堂単社で2億本。アメリカ市場は50億ドルに達しました。市場はよみがえったのです。

日本以上に多くの人と物がかかわった米・ビデオゲーム市場。繁栄振りがすごかっただけに、その崩壊期には、多くの犠牲が出ました。この痛すぎる経験を元に、任天堂はファミコンソフトの質の維持に勤め、マーケットにかかわる人々は自浄作用を持つようになり、その上に今日のテレビゲーム市場の繁栄はあるということを、私達は理解しておきたいものです。


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いかがでした?アメリカ編?
最後にひとつ。82年〜83年のアタリショックがクローズアップされがちな米・家庭用ゲームの歴史ですが、あなたがクラシックゲームを愛する歴史の旅人ならば、その暗部の向こう側、Golden Ageと呼ばれた繁栄期に興味を持ち接していってみてください。海外のクラシックゲームサイトの主催達は、まさにそこに夢や希望を抱いた少年&少女だったのですから。


MEMO 私がアメリカ育ちならもっと詳しく解説できたんですけれど、物足りませんでした?ごめんぴょんね。(^^;


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