1975 昭和50年

 ●日本初のテレビゲーム誕生


テレビテニス
(エポック社)


日本のテレビゲームのご先祖。UHF電波をとばしテレビに割り込むミニ放送局です。ちゃんと音も出ます。




テレビテニスの説明書

TTL(論理回路)やICのみで組まれいるにもかかわらず、何と1人対戦プレイが遊べる優れもの。ただ得点表示ができません。
ドリームキャスト、プレイステーション2、そしてゲームキューブ・・・。今でこそテレビゲームの発進地は日本ですが、創成期、テレビゲームの開発が盛んだったのはやはり海外でした。
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アメリカで産声をあげたテレビゲーム、その技術と販売許諾を受け、国産第1号機を発売したのは、現在でも一線バリバリの玩具メーカー、エポック社です。

「当社は昭和47年からテレビゲームの研究に着手し、日本の市場において、初めてテレビの画像を使って遊ぶ新しいタイプのTVゲーム”テレビテニス”をアメリカのマグナボックス社との技術提携によって、開発・販売したのが50年9月です。」(エポック社・広報宣伝部部長:谷口氏)ワイヤレス方式を採用したこの真っ赤なマシンは、定価19,500円で発売されました。

この頃のテレビゲームはもちろんモノクロ画面。スクリーンを左右に飛びかうボールを、2人のプレイヤーがパドルを使って互いに打ち合うという、俗に「ボールゲーム」と言われるものでした。

テレビテニスはボールゲームの中でもさらに初期のもので、かんたんなゲームサウンドは奏でたものの、得点表示はできませんでした。
構造はトランジスタや抵抗、そしてICチップなどを数十個組み合わせたもので、ノイズ対策が完璧ではなかったため、なかなか安定したゲーム画面を見ることができなかったようです。

谷口氏のコメントによると、エポック社はこのテレビテニスを、50年9月から51年11月までに約5000台販売したそうです。

MEMO この年の年末、アメリカ(北米)ではPONG(ポン)が大ヒットをとばしました。テレビゲーム総数で350万台、1,500万ドルも売れたそうです。⇒アメリカ編1975年


谷口氏のコメント:ブレーン/1978年6月号より転載
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