●ブームの息切れ、ブームの終焉
1978 昭和53年

好調なセールスを続けていたテレビゲームも、5月には息切れを見せるようになります。

’77年までのテレビゲームは、そのほとんどがボールゲームの専用機。最初は人気を博していても、同じ内容ばかりではやがて飽きられていきます。
例えば21世紀の現在なら、新たなソフトや周辺機器を開発する・・・といったことができますが、閉じたハードウェアであるゲームLSI方式のテレビゲームにはそれができませんでした。新たなゲームを遊ぶには、新たなテレビゲームを買うという必要があったのです。住宅事情はもちろん、数万円もの商品を次々と買いかえるということを、購買層である子供ができるはずもありませんでした。

そして肝心のゲームソフトにしても悪循環が続きます。次々と新型のゲームLSI(カーレースや宇宙船対戦ゲーム)が開発され、それを組み込んだテレビゲームも発売されるにはされたのですが、メーカーはここぞとばかりに「高級機種」とし、ボールゲーム機より20,000円も30,000円も高い値段をつけたのです。ゲーム内容もまだまだ未成熟のものが多く、せっかく高いお金を払っても、価格相応の魅力が無いことに気づいたオーナー達はガッカリしたはずです。こうして客離れは加速していきました。

もともと、LSIの開発には設計から製造まで1年くらいはかかり、構造の複雑さから歩留まりも悪く、さらに製造には億単位のお金がかかるというリスクの高いものでした。ですから一概にメーカーをせめるわけにもいかないのですが、結局、ボールゲームブームの終息とともに第一次テレビゲームは終りを告げ、ほとんどのメーカーがこの年テレビゲームから撤退していきました。

しかしながら、このブーム以降に市場に残ったメーカーは、テレビゲームの将来性を信じ、それまでの反省を踏まえて、新機軸のテレビゲームを次々と開発、発売していくことになります。


MEMO この年はアメリカ(北米)もピーンチ!アタリが新社長のいーかげんな判断でゲーム機を80万台も製造するも売れ残りまくり、身動きが取れなくなってしまいました! ⇒海外編1977〜79年


チャンネルF=128,000円
(丸紅の広告/1978年)


この価格におどろいてください。非常識?きっと最初から金持ちをターゲットにしていたんでしょうね。



ゲーム機の価格
(バンダイ広告/1978年)


せっかく新型ゲームが出ても、29,000円や38,000円もするマシンをおいそれと買えるものではありません。