1979 昭和54年

 ●技術革新も、業界全体停滞期


スーパービジョン8000
(バンダイ)


業界トップのバンダイが放った、渾身のモジュールマイコンテレビゲーム。売れ行きは本文の通りだったが、そのチャレンジ魂に拍手!




カセットTVゲーム
(エポック社)


バンダイとは対照的に、エポック社は輸入販売という形でマイコン方式ゲームを扱った。もっとも、単純にいい商品だから輸入したという話だが。

79年は、テレビゲームのパイオニアであるエポック社が独り気を吐き、ほとんど市場を独占していました。
この年の主力製品がテレビブロック。アタリ社が製造したゲームLSIを輸入し、日本側で組み立てたものですが、回路設計などが一から見直され、13,500円(本体)という低価格で発売、これは全く同じ型のマシンの輸入品が37,000円で売られていたことを考えれば、いかにエポック社が工夫をこらしていたかがわかることでしょう。同社ではカタログでさかんに、プレイバリュー(ソフトの数とおもしろさ)、品質、そして価格を強調していました。

また、新次元のおもしろさと商品力を持った製品として、いよいよマイコン搭載テレビゲームが登場してきます。東芝のビジコン、バンダイのスーパービジョン8000、そしてアタリとエポック社のVCS。それまでのテレビゲームがゲームLSIを使った1機種1ゲームであったのに対し、プログラムROMカセット、すなわちソフトを替えるだけで別のゲームが遊べるという、現在のスタイルのゲームマシンです。
しかし、このハードウェアは当時大変高価なコストが要求されるにも関わらず、プレイバリューが今ひとつで、メーカーにとっても、買う側にとっても、採算がとれる商品とは言いがたいもので、残念ながら今ひとつ売れませんでした。

アーケードを含めた業界全体としてみれば、この79年は停滞期と言えます。日本全国を席巻したインベーダーブームも終わり、町のゲームセンターは次々閉鎖。業界の雄・任天堂は、同年ブロック崩しを発売するも、開発部はその後の見通しがたたなかったといいます。
あれだけ熱かった大衆誌や情報誌、さらに玩具業界誌でも、テレビゲームに関する記事はほとんど見かけなくなりました。

MEMO 意欲的な展開にもかかわらず、ヒットしなかったマイコン方式テレビゲーム。半導体の価格も高く、性能も低く、過去の知識もほとんどなかったという暗夜航路の時代。その開発チームには大変な苦労があったことが忍ばれます。オデッセィをご覧のみなさんには、単純にゲームがつまんないというだけではなく、そういう視点でもこの時期のマシンを見つめて欲しいですね。