1977-79
 昭和52〜54年

 ●すごいマシンが・・・売れない?!


アタリVCSの広告
(PENTHOUSE
/'78 Vol.13 No9)


あのアダルト雑誌の大御所にゲーム広告が登場。掲載主はアタリではなくCHERRY LEISUREという会社。思うように売れ行きが伸びず「どんな層に売ればよいのか?アダルト層はどうかな?」と探っている頃ですね。背広を着たプレイヤーの手が象徴的です。ちなみにこれは英国版の広告。




ODYSSEY 2パンフレット
(N.A.P/'81)


元祖テレビゲーム屋マグナボックスが威信をかけて発売したモジュールマイコンテレビゲーム。キーボードの存在がキーワード。日本でも発売されました。
77年1月には、RCA社がスタジオII(STUDIO II)を、そして本命のアタリ社がビデオコンピュータシステム(VIDEO COMPUTER SYSTEM=VCS)を10月に発売します。これらはどれもがマイコン方式のカートリッジ型テレビゲーム。市場は単純なLSIテレビゲームから、マイコン方式に玉虫色に移行していくかと思われましたが・・・。

マイコン方式のテレビゲームは価格が高すぎました。前年発売されたチャンネルFの価格は170$。STUDIO IIは約150$。そしてこのアタリVCSは約250$。もちろんこれだけではゲームは遊べず、30$程度のゲームカートリジを別に買う必要があるわけです。丁度、この時期は値段の安い電子ゲーム(HANDY GAME)が台頭してくる頃で、かつ、LSI式テレビゲームが時代遅れと叩き売り出されたことから「それなら安いもので結構だ」と消費者の支持はなかなか得られなかったようです。

その売れ行き不振は深刻なもので、アタリ社だけは(親会社のワーナーの出資により)台所事情をやりくりできたのですが、前出のフェアチャイルド社やRCA社を始め、LSIテレビゲームを作っていたメーカーまでも次々と市場から撤退。さらに、苦肉の策として本体の価格が下げられた後も、やはり売り上げと稼働率はパっとしませんでした。それなりに遊べるゲームはあったものの、ハードを買ってまでプレイしたい、という作品に恵まれなかったのが原因です。
その後、元祖マグナボックスなどが強力なハードを引っさげ参入してくるも、しばらく業界には沈滞ムードが漂っていました。しかし、80年1月・・・。


MEMO VCSは初年度40万台、1978年には80万台も作られましたが、当然のごとく売れ残りましたぴょん。(^^; アタリの経営者の楽天的な方針も、この頃の悪名高いキーワードとなっています。


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