●市場の停止する日
1984-85
 昭和59〜60年

業界はボロボロでした。ソフトもハードもひどい値崩れをおこし、半額から十分の一の値段で叩き売られました。おかげで、売り上げ額だけは前年を上回りましたが、もちろん利益は0です。

84年、インテレビジョンのマテル、コレコビジョンのコレコは、大きな赤字をかかえエレクトロニクス事業から撤退しました。ソフトハウス、周辺機器メーカーも次々と倒産。残ったアタリはなんとかテレビゲーム事業を続けますが、親会社のワーナーは85年、アタリを分割し、それぞれを別会社へ売却します。

日本のテレビゲーム市場も業績が悪い時はありましたが、幸福にもアメリカのような市場崩壊には至っていません。当時の業界関係者の痛手は私たちの想像を絶するものがあります。

ビデオゲーム市場は84年に停止しました。そして、この市場を復活させようとしたのが任天堂・オブ・アメリカ(NOA)です。

MEMO 85年家電ショー(CES)には早くもファミコン海外バージョンの試作が並んだのですが誰も「いらない」と言ったそうです。市場崩壊は本当にショッキングなできごとだったんでしょうねえ。


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ガントレット紹介
(NG/ナムコ/12号86年)


ナムコはアタリアーケード部門「アタリゲームズ社」の筆頭株主になり、このガントレットはナムコ関連のゲームセンターに販売されました。