●秋葉原発・手作りテレビゲーム
1976 昭和51年

こうして発売されたテレビテニスは、若者を中心に話題を撒いたものの、販売台数も少なくブームを起こすまでには至っていませんでした。

さて、明けて1976年の夏、東京は秋葉原の電気街が発信源となって、にわかにテレビゲームのブームがおこりはじめていました。

昨年、アメリカの半導体メーカー・ゼネラルエレクトロニクス(G.I)社が、いままでICでつくっていたゲームを集積し、さらに数種類のボールゲームが遊べるゲーム専用のLSIの量産を開始し、日本のパーツ会社にも供給を始めたのです。そのゲームLSIとパドルなどのパーツがキットセットになったものを電気屋さんが店で組み立て店頭にならべたところ、これが飛ぶように売れはじめたのです。
秋葉原の有名なパーツのデパート「ラジオ会館」ではテレビもたくさん販売しており、それらを使ってゲームのデモをダイナミックに展開したことが大きかったのでしょう。パーツ一式で10,000円という手ごろ価格も手伝って、サラリーマンや高校生を中心に、テレビゲームキットが売れに売れてゆき、これが翌年のブームへと繋がっていくのです。

そう、テレビゲームの火付け役は、おもちゃ屋ではなく電気屋さんだったのですね。

MEMO アメリカ(北米)では早くもマイコン方式テレビゲームが盛ん。RCA社のエレクトロ'77というショーでの大規模なテレビゲーム展示などが報じられています。⇒海外編1976年



ゲームLSI
(GI社製)


写真には3つ写っていますが、通常1つか2つのみ積まれていました。今と同じで値崩れが激しかったそうです。




電気店の黒山
(電気店/'77/4月号)


お店にならぶテレビにテレビゲームを接続してデモンストレーションをおこなったところ、順番待ちがでるほどの大盛況だったそうです。