|
1975 昭和50年 |
●75年のクリスマス アタリ「PONG」が大人気 |
PONG (ATARI) いきなりカラーで登場したボールゲーム機。構造がシンプルなので故障もしにくいのが○。ホームポンとも呼ばれます。 |
初代オデッセィは発売4ヶ月で10万台、計約20万台の出荷を数えました。その後もマグナボックス社はオデッセィシリーズを改良したタイプを次々と発売し、エレコ社やエンテックス社、そして
数多くの会社が独自のボールゲーム(テニスを横から見た形の初期型テニスゲーム)を製造・販売していきました。 その決定版と言えるのがアタリ社がこの年の1月に発売したポン(PONG)です。ポンはテニスゲームとしてはベーシックな作りでしたが、数種類のバリエーションが楽しめるほか、色彩鮮やかなカラー画面や価格が安いのも魅力でした。これが全米展開する総合小売業者シアーズ(SEARS)・ローバックで広く発売されたことから大人気商品となりました。75年のクリスマスシーズンと言えば、それはこのアタリのポンブームを指すと言ってもおおげさではないかもしれません。最終的には単体で15万台のセールスを記録しました。 ポンの低価格化には、この前年に半導体の価格が急激に安くなったこと、そしてそのゲームが、基本的にたったひとつのLSIで構築できることになったことが大きな要因になっています。そしてこの流れが全米にもテレビゲームブームを巻き起こしていきます。 MEMO アメリカは国土が広いので、カタログとか大手のディスカウントストアに置いてもらうことが、売れ行きに大きく影響するそうですよ。 |