- 楽園の終焉V-
END OF PALADICEV-No,2

- GT in Bali 2013-

-真夏の鬱-
日本列島も台風の季節になり、各地で豪雨という災害と渇水との狭間でなんとかならないものかと思案したところでどうしようもないのであるが、考えてしまう。
それは、直接には関係ないと言う人もいるが地球温暖化とかがもたらす一要因の結果ではなかろうか。
ひとつの世界であれば、早期に解決できるのかもしれないけれど、現代は200国近くも分かれていて、今なお紛争も絶えないこの状況では、いかんともしがたいのが現実なのであろうか。
 ましては、国家の要人ですらどうにもできないのに、庶民の最下層とも位置すべき私のようなものが考えても何もならないのではないか。
考えても何もならないとするならば、考えない方が良いと私に言い放った人がいたが、考える事すら辞めてしまった人間などもうそれは、人間とは言えないのではなかろうか。

 うだる梅雨のあとは、この猛暑になり、半年前の事すら忘れてしまう愚能なものに後半の紀行文執筆の意欲気は薄らいでゆく。
国道297の直線に近い道を流していると、陽炎のようなメラメラ感がこの暑さを物語っている。
ああ、暑いと言っても変わる事もないのに、ついつい口にしてしまう。

 そのような暑い日の8月に東京で忍者君とまたまた会った。
釣りと言う趣味産業の中では、相変わらず疑惑と疑問が渦巻いているらしかったが、そんな事は、我々には直接関係の無い事ではある。
がしかし、少しばかり気にかけているそのような真夏の都会の午後は、その暑さとは裏腹にとても寂しくも感じた。
 ふと待ち合わせの場所のデパ地下というところで肝油ドロップとやらが試食販売されていた。
そう、その大手デパートの地下売り場にいた私には、その後、その子会社の○○○ーがついに何十年も国産で続いた釣竿メーカーが閉鎖に追い込まれる事を、まだ知るよしも無かった頃の事である。
 この肝油ドロップは、昭和の私がギリギリ世代と思ってはいたが、現在でも地道に元気らしかった。
若者達には新鮮に思える様子で、立ち止まるご年配層に交じってその姿が見えた。

 Ninjya君と会うなり、話は魚の話である。
彼は、同じ大学研究室の後輩にあたるが、在学期間中お互いに重なる事が無かった。
それが幸か不幸か全く不明なところであるが、今の良い関係を保っている。
ここら辺は、縁を感じるのであるが、更に繋がりはあって、同研究室の同級生でもある◎田つりぐ店の店主の◎田さんからの縁なのでもあるが、縁はとても大事にしなければならない内容である事には間違いないらしい。
 学生当時から◎田氏はとても釣りが上手な人であった。
イワナやヤマメ釣りをルアーで釣るのはとても得意であったと思うし、彼のほうがとても上手であった事を記憶している。
当時はスピナーがメインの時代で、まだまだ日本製の小型ミノーが出現するには早すぎた時代の事である。
 時々彼ともお会いするのであるが、あの当時あの●●ミノーが出ていれば、当時の数倍は釣れたに違い無い等々・・・。
しかしそれは、現実にはあり得ない時代の事であったのでバランスはそれで取れているような気がした。
当然研究室も同じであるのでその恩師も同じという事になる。
また恩師が同じと言う釣り業界人も案外と多いのはどういう事だろうか?とも考える。
 その尊敬すべき恩師ももうリタイヤされておられる。
また、その学んだ学部ももうこの世には、存在しない。
学部は名前を変えただけでなく、移転もした。
また、当時の研究も出来なくなったであろうと推測する。

 私よりも、魚好きで、料理好きな忍者君であるが、話を合わせるのも上手らしい。
その点は、社会人になってから多くを身に付けたらしいと思われた。
 時々釣りと言う観点では、若干の相違は見られるそうだが、それでも楽しい話には変わりない。
我々の結論としては、ある程度食す事ができる魚にはそう不味いものは多くは無いと言う事である。
また、現代の我々日本人の魚の旨い不味いの嗜好、あるいは、食す食さないは、昔の日本人と異なるところも多い。
 現在の魚の価値は、その冷凍技術と冷蔵技術がもたらした究極の状態にあるともいえよう。
それに、過去の日本にはあり得なかった養殖技術の向上という点も大きく影響を受けていると同時に、海外から入って来た魚種も大きく影響している。
氷という、武器も、その冷蔵状態をある程度維持するその90%が空気と言われる発砲スチロール箱という革命的なものの出現以前の江戸時代から明治にかけては、マグロという存在はその格付けランクの下のランクにあったと言う。
また青物と言う魚の多くは、刺身では食べられない状態のものが多々あったに違い無かった。
その中でもサバ読みの如く、サバは結構危険なラインの商材であったに違いないだろう。
脂っこいを表す、むつ濃いと言う表現は、脂っこいという事と幼い時に教わったが、脂の乗り過ぎは、昔の日本人にとってはそう有りがたい存在では無かった様である。
江戸っ子達は、脂っこい魚が苦手の様だったそうである。
唯一昔の流れを引き継いでいる内容といえば、縁起物とその色にある。
赤はおめでたい色なので、未だ赤い色の方がより付加価値が付く傾向にあると思われる。

 そんな、極度に発達、発展した今の冷蔵、冷凍技術と養殖技術により、魚のランク付けも大きく変わったらしいが、忍者君とその仲間は純粋に旨い味とは何かを理屈抜きで味わう事にあるらしい。
勿論、グルメという言葉が適切かどうかは、解らないが美食とかグルメとかとは少し違うような気がしてならない。
 何故ならこれらの表現には、食べる事のみの話になるからで捕獲からというのは対象外のようであるからだ。
忍者君集団にとっては、その捕獲作業が後の料理まですべて連動しているからなのである。
勿論捕獲作業は必ずしも本人によるものであるかと言えば、そこまでの工程は、他人によるものも多々あるらしいが。

 そんな、夏の日。
8月も6日を過ぎればヒグラシも目立って鳴く気がしてならない。
戦後の全てを背負って鳴いているようにも聞こえない事もない。

我が国の温暖化の小ネタには、ミヤマクワガタの減少さえ話題の中心になったりしている。
 
 夏の盛りの食と言えば、鰻であろうが、我々釣人にとってシイラ釣りは外せない釣りであろう。
このシイラ、ルアーやSWフライでは人気魚種ではあるが、沖釣りファンには歓迎されない風潮はまだまだありそうである。
それも、世代が交代すればまた良しとなるのであろうか。


 魚を上手に殺生するのにもある程度の理屈と技術が必要であるのを伝えるのもまた、別途大変な事なのを時々感じるのであった。
リリースするなら、できるだけダメージを与えないでリリースするのが理想だろう。
殺すなら、一気に〆る。
生きているうちにその活血を抜く。
冷やす。
この基本すらままならないのが現実なのは皆さんが良く知るところであり経験する事なのであろう。


-そのまま秋から冬へと移り行く季節-
それから僅かな間が過ぎたと思ったが

 それからまた暫くの間。

全く持って筆は進まず、何ともしがたいうちに、あっと言う間に秋が訪れ、ヒグラシだった頃から鈴虫が鳴くようになった。
いい感じの秋だなと思う頃、台風18号と19号の恐怖が訪れた。
あれほど、今年も秋刀魚が南下しないと言っていた報道も、10月に入ると普通に見られるようになった。
秋刀魚はサイズによってコンピュータ-選別されてしまう。
 義母がこの頃にもなると秋刀魚が40円だったとか50円だったとかと言う話をするのであるが、もうそれもネタ詰まりなのかどうなのかそう言わなくなった。

釣りの方はと言うと、お客さんからちょくちょく良い話を耳にするが、当の本人は、腰はますます重きにて、出不精である。
勿論釣りに行かなければ結果もないのは当たり前であるが。

 そんな10月も後半にさしかかった頃、珍しい来客があった。
U氏とU氏なのでU2なのか。
「今鹿児島空港なのですが、今からそちらに行っていいですか?」
と言う何とも朝一からカウンターパンチでもくらったように面喰った。
しかし、思えば国内での事でもあり、今は簡単にアクセスできるようになったので普通と言えば普通なのかと考え直した。
彼らのリクエストで今何故か流行のタンタンメンを3人して汗かきながら、時々噎せてしまう。
 時の経つのも早いもので早々に話しはクローズされてしまうのであったが、それはそれで良しとしよう。
なんとも、魅力的な2人であったが、今一度私自身も、もっと頑張らなくてはならないのではないかとさえ思えたのであった。
 U氏は、淡々とクールにお話ししていたが、いざ魚とのファイトとなるとその気の熱が加速されていった。
私と同じスロースターターなのかもしれないと思ったが、その話には実践で叩きあげられた説得力があった。

ここら辺は、釣り人共通なのかもしれない。

このダブルU氏の両名は、同じ匂いのする気の持ち主なのであろう。

このような、アングラーがまだ居たことに少し安堵した秋の終わりであったが。

そうこうするうちに11月になったと言うのに台風20号が接近した。

さて、本題に戻らなくてはならないですね。
既に新年になってしまいましたが。

−牙モノと言えば−

 それから間も無くの一月後、急遽南方遠征が決まってしまい、この話(ロウニンアジ後編)が終わらないうちに、更にその紀行文を打っていたら更に30日が過ぎていった。
その間になんと2015年ともなり、話も南方回帰-Wが先になってしまった。
 あの前半の削除事件から立ち直るには、更に倍の時間を要してしまったのである。
一旦躓くとこうなるのかと実感したこのごろ。
今年の冬もそれなりに寒い日が続き、日本海側は大雪に見舞われた。
現在もその大雪情報は続いているこの冬期であった。
 日本海側は雪一色だそうである。
何度かカラフトマス釣りで訪れた羅臼方面も大雪極まりないと聞いた。
 それにしても、今年も雪は、物凄い。
温暖化の波が押し寄せているにも関わらず。
N様からは、開き直るしかない程の雪に見舞われていると連絡があった。

-うたかたの後-
誰にでもチャンスが必ずやってくるのだが
それをものにできるかどうかは運次第なのだろうか。



運は必ず必要で、それは見方に付けなければならないのであるが、実力の上に成り立つものかもしれない。
どれも欠けてはならない。
それが常に理解できていればそうは苦労もないかもしれないのだが。

 何故か2日目と言うのは、なかなか期待が大きいとそれが膨らんで膨張して行くので案外、コケてしまうケースがあるような気がする。
特に初日の良いイメージが多分あるとそのコケようは、すってんころりんと足元から掬われて、更に再起不能状態に陥るような気がする。

それが現実とならなければ良いのだが・・・。

 私の2日目の朝は、やはりとても早かった。
午前4時を少し回ったところだった。
外はまだ暗く、光も射してはない。
朝日前 の朝。
それから目を閉じてみても、それからの熟睡は得られそうもなかった。
 仕方がないのでバリ珈琲に手を伸ばした。
お湯が沸くのはほんの60秒であるから、何も煩わしい事はなかった。
 ぼーっとする中、1杯目を飲み終わると底の粉をどうするか。
窓は空けていなくても、うす暗くなって来た頃には、小鳥達のさえずる声が若干気になるくらいに響いてくる。
いやその数は相当数らしく、案外凄い。
 そんな事を繰り返して早々の時間になるので隣の部屋の二人を起こしてから屋外レストランへと向かうのであった。

御迎えが来るのは余裕の時間帯で朝7:30分。
釣りの日の朝にしては、かなりの余裕である。

朝食は6:30からとなっているものの、実際その時間は、まだまだ準備出来ていない感じである。
珈琲を注ぎにくるお姉さんもまだ来ない。
そこでまだまだなレストランで朝食を取るのであった。
 また、それほど朝早くから起きて来て朝食を食べる人も殆どいない。

 本日は、何処へも寄り道をせずにまっすぐに港に向かう。
運転手は、ワヤンと言うまだ22歳の若者であった。
 なんでも、新しいツアー会社の責任者らしい・・・云々であった。
現地の事情は、こちら側にとってはあまり良く解らないのだが結果良ければ何とかである。
今までもこの島はそうだったし、これからもそれは変わらないと思うのであった。

車内後ろの2名を見ると、昨日の興奮覚めやらんと言うところなのであろうか、胃腸の調子以外は、良いようである。
相手にとって不足は無いどころか、危うく玉砕覚悟の攻撃であったのであるから。
全く玉砕覚悟の上とは言うが、可能であればそれは避けて通りたいのである。

ホテルから自動車でほんの20分少々であろうか。
渋滞に巻き込まれる事も無く、本日もまたまた、裏の浜に降ろされた。
Captが荷物を取りに来てくれた。
ワヤンもそうしてくれた。
ここは、彼らの仕事であるのでそれに従った。
 海外のアジアだから偉そうにしては、その代償として友人を危うく失う気がするのだ。
実際は、ただのお客さんなのだが。
日本人が嫌な民族と思われたくない気持ちもあってかそうしてしまうのだが。
昨今は、その誇り高くも思いやりと礼儀の国のイメージも変わって来たと言う。
 金も落とさない、礼儀もない日本人が増加したとの事らしい。 

 ここで気を抜けないのがいつもの牛フン地雷。
(そう言えば何年か前は、いろいろとゴミを踏んでえらい事になったのを思い出した。※楽園の終焉Tを参照)
この地雷を気にしなくて良い我が国とは、そこは大きく違う。
しかも、その痩せた牛達は食用になってしまうと言う事である。
この痩せ痩せの牛では、ただ硬いだけの肉な感じを連想させる。
そう言えば、同じく放し飼いか放置か判らない鶏の焼き鳥は、串刺し肉が一口で終わってしまい、しかも、肉の味もそう良くはない感じである。
現地の人に聞くところによると、高級牛肉はオージービーフでそうでないのは、バリ産ゴミ餌牛と言う事だった。

さあ2日目も頑張って行きましょう。

 おじさんは、直ぐにあちこちと体が痛むので、準備運動、ストレッチは必須であるからして、揺れるボートでのストレッチをする。
時々来る波のはずみで揺れたボート上で、グキリ、となりそうなのでそれはそれで少しだけ加減気味に行うのがコツ?だろうか。

 そのうち最初に、叩くポイントに入った。
キノコ岩(パトロール岩)である。
その潮は、かなり効いていて(流れていて)良い流れのヨレが岩を堺に勢い良く二分されて白波を放っている。
良く良く酸素が供給されている感じなのか水の流れに無数の泡が渦巻いては消える。

この流れに差してくる魚は、かなり筋肉質なイメージ満載である。
バリの浪人鯵は、割合丸っこい太ったイメージがあるのだが、恐らくこの流れが鍛えた筋肉のせいであろうか?。
何ともその身もぷりぷりして締まってそうである。
関サバ、関アジとイメージしてしまう。

 前衛将軍&専務の2人態勢と後衛であの“キノコ”に挑む。
射程距離前から徐々に船の方向を調整しながら近づいて行くのであるが、Captのコールは早い。
「はい、投げてください。」

「右です。」
その言葉を何度も聞いているが、同じで変わらない。

相違点と言えば、船の流れる方向が過去の遠征時と違っていて、昨日と本日とは潮上からキノコで別れる流れの左上流側である。

これは、過去2回では無かった方向からのアプローチであるが今回は、どうもこちら側の流れに分があると言う事なのであろう。
勿論それを信じて投げるのみであるが、前衛の2人はそのことを当然知らないでいる。
 前衛二人が一回目のキャストを終えて2回目に入って回収前が近づいたころ、後衛の親父がダートベイト90gを投入する。
浪人狙いとしては、最軽量に入る重さのルアーである。
ここら辺が、ペース配分を微妙に調整してるのが経験者の強みでもあり、落とすところでもある。

 2投、3投と全員で投入をして回収してくる頃には、ボートが丁度キノコを正面に見える。
更に暫くも経たないうちに視界は、キノコ裏になり、潮が大きくそこで2分する。
渦を巻いての流れと下流側に大きく流れる筋と連結している。


 前衛両名共、魚の付くところが既に解っているのか(いや確実に判っている)、狙いどころに狂いは無い。
なんとも、忍者君が良く言っていた“いやらしいところ”にその疑似餌を上手く落としているのである。
いやはや、魚のいそうなところを良く良くご存じな両名で侮れないのである。


“こりゃあぁ・・出すな・・・・。”


何故ならば、そこは私が一番落としたいところです。
その位置に、疑似餌を投入したいところなのです。

このポイントの岩裏の一番出そうな流れの縒れた弛みには明らかに奴が定位していそうである。

“奴の匂いがする。”

フルキャストで投入。

ここで、着水前のアクションは、弛んだラインをできるだけ潮に噛まさずに着水前にラインサミングをして即、ベイルを戻してからロッドアクションに切り替えられる様に操作するのであるが
そのラインスラッグは、リールのハンドルを2〜3回した程度では当然解消されないので、そこのスラッグ(弛み)回収スピードは早い程よいのであるが、その際はリールにたるんだ巻きが無い様に注意する必要がある。
 時々ではあるが、これを怠ると明らかに縒れてしまって、ライントラブルの元を作ってしまう時がある。
それは、ラインスラッグ(糸ふけ)を取る時に、ついつい急ぐあまり、ちょっとした緩みを作ってしまう事に原因がある事が多い。
その頻度は、ナイロンラインに比べ伸びのないPEラインでは、起こり易い気がする。
誰でも経験する典型的なトラブルでもある。
そこは、要注意である。

 キノコ裏にゆっくりとボートが替ってからが勝負本命なのだが、当然船は舳先から流して行く。
射程が近くなる。
近すぎる地点で喰わせるのは、少し危険が伴う。
それを恐れて、丁度良い位置で喰わせるのが良いのだが、ついつい先走って投げる傾向にある我々ではあるがそこはじっと我慢のしどころである。

ここで心の溜めが必要なのかもしれない。

釣りも、高ぶる心を抑えて落ち着かせる事が肝心なのであろうか。

 そこで突破口を開いたのは、将軍様であった。
将軍様所属のリアルベイトヤマメを襲い、その魚体の背中半分近くを出して背びれが完全に出た状態での急襲であった。
 昨日既にキャッチしたにも関わらず、将軍様のプレイには若干の不安もあったが、それでも確実に寄せにかかり始めるのだった。
Captとの息もあってきたか、 滞りない安定した流れ(やり取り)に変わり、暫くすると奴がご用となった。
  ここで船内は、一気に活気付いて、ますますのやる気を出させた。
将軍様のアドレナリンも本人曰く、出過ぎてヒザガクガクレベルだったそうである。


 その話を聞いているうちに、ふと子供の頃を思い出したのであった。
それは小学生の3年くらいだったであろうか。
 初めて30cmオーバーのアイナメを釣った時の事だったか。
リールもまだダイヤモンドリールを買う前だったので、オリムピック製の安ものだったと思う。
当時はどの廉価版も日本製だったと思う。
 
 その後、40cm、50cmとハードルは上がって行った子供の頃がとても懐かしく思えたりする。
この頃は、エソのガクガクと引く様子にとても感動したものであるが、そのわくわく感やドキドキ感とは裏腹に、大人達の意見はと言えば

「こりゃ、エソじゃけん、カマボコにしかならんけん。」
と言う現実的なお言葉だったのをまだ覚えている。

 その後、人間と言うものは、それ以上の経験(体験)でないと次第にガクガク感は消えていってしまうようになる。
所謂落ち着いた感じになるのは 制御可能な範囲でと言う事なのであろうか。
 それは、本人がそれだけ長く生きて、経験を積んで来た事にも連結されるのかもしれない。
なんでも始めの頃の刺激は、それは大変貴重なものに思えた。
できれば、それは子供の頃に経験したいところであるが、現実はそうは行かない場合が多々あるのだろう。
万人、生きざまは様々であろうから。

 さて、そのルアーなのであるが、リアルベイト/ヤマメカラーである。
当然ヤマメなど南の海には存在しない。
一体持って何処のどなた様が淡水魚カラーは釣れないと言ったのでしょうか?
魚の色覚は、人間と同じではないと言う事だが、彼らにヤマメが何か認識できるわけも無いのである。
おそらく、ただのベイトフィッシュ(餌)に過ぎないのであろう。

 将軍様の釣った浪人様は、22kg弱あった。
お見事です。
本日の早速の1キャッチとなったのであるが、そこで専務が立ち上がった・・と言うか更に上乗せ気味にやる気満々状態になった。
既にトランスの域なのか、魚しか見えないのであろうか。
その竿先には、あの伝説?のウッドペンシルがあった。
そう、あれである。
数年前のバリで私が25sクラスを獲ったあれ。
しかも、一撃玉砕で牙を突き付けられたあの浸水ルアーである。
がしかし、この動きだけは、正直とても良い・・・釣れるのである。
正に、一発勝負、狙うはその上段三角突きのあのルアー。
その後の事は考えるなルアーである。
一回きりの勝負、しかも短期決戦専用。

勿論専務は、何の躊躇もなく、第一投。
その疑似餌さんは、勿論アンチリアル塗装な作りではあるが、メッキのような輝きを放ち、ほぼ垂直気味に立ちあがると、その先を水に突っ込みダイブした。
その後左右にそのボディ全体を大きく振りながら前進、ストップと同時にそのボディ全体が水面よりまっすく浮き飛び上がると、釣り浮きの様に前後した。
 その動きを何度も繰り返す。
ほぼ同じテンポで。
 それからわずか数投目。
「ああ、出た!!」
その声と同時に専務が合わせをくれていた。


一回。

更に強く二回。

腰を入れて三回と。

ボートは、それに合わせて早速引き剥がしに後進をゆっくりと掛けて行く。
そこは、百戦錬磨のCaptである。

ベトナム製の竿は、竿元からがっつりと曲がって大きく弧を描いている。
そして、中国製ハイテクリール風リールからなんとも爽快とは言えない高い悲鳴が上がる。
糸が吐き出されて行くのであるが、アングラーの溜め方は、ばっちりであるので少し安心感があるのは、息もあって来たという事であろうか。

あのグングングンと引き込む感じは正にあいつである。
魚が止まると大きく竿を煽って2回ほどリールのハンドルを巻きとると、その作業をボートの揺れと流れに合わせて寄せに掛かっているのであるが
幾分か勝負が見えて来たというところである。
ボート下に来てから浮くまでまたまた少し一苦労であるが、そうなるとこの勝負は詰めに入るのであった。

「来ました〜。」
ものの5〜6分の勝負であるが浪人鯵は、水際では既にその元気は消失していた。
 この魚はなんと往生際が良いのであろうかと思う事しばしば。
対してあの、シイラやサットウ君の暴れっぷりはなんとも破壊王の如くであるからして、これほど往生際の良い魚もそうは多く無いのかもしれない。

見事一発屋ルアーは、その仕事をこなしたのである。
 もうここまでくれば、この手のルアー祭り?・・・だが既にその塗装は剥げていた。


「はい、もう一度流します。」

これは、以外や以外であった。
ここで3本は嘗て経験したこともないし、Captも一匹ポイントと宣言しているこの場所で、もう一度長すのは3回目の私も初めてであった。
 ここのポイントは潮が効いていれば、そう裏切りのないところの認識はしているものの、2本キャッチ後更にもう一度トライとは思いもよらなかったが
それでも、魚の匂いはまだまだしていた。

専務のキャッチで、前衛と後衛は交代。
何故か私が舳に立つ。
隣は将軍様。
私は、ダートベイトで確実に拾いにかかるが、将軍様は、あの●●ポッパーである。
これも惜しいシリーズのトップクラスに上がるほど惜しい。
しかも、案外と海外では出回っているらしい。
ダウンサイジングモデルは、怪魚マニアの中でも定評があると言う。
あのカップの周りに空いた穴がバブル効果を出すらしいなんとも斬新なルアーではあるが、なんともかんともしがたい事実が訪れるのである。

私が楽々ダートベイトでスライドジャーク&ストップを繰り返しているその横で、将軍様が勢いよくポッピングする。
水飛沫を上げて、ルアーが近づいてはくるが、なんだか魚が喰らい付いたと間違える程の飛沫である。
パッシューン・・・!

パッシューン・・・!

パッシューン・・・!

「で!、デた!!」

って何がと言いたくなりそうになるが、それは浪人鯵以外の何者でもないのだ。
気合いの合わせ、そして若干くびれ消失気味の腰を入れて更にスライドフッキング。

「おりゃあ!・・おりゃあ!!」
気合い十分すぎる程の先生の合わせ!

「ああああ、バレタ!!!!」

「切れちゃったぁぁぁ・・!・・・!!」

一同唖然。

沈黙・・・・。

「えほんとマジかよ!」
悲しみに満ちた回収する背中がなんともさびしい先生(N様=将軍様)。
「あああ、あれっ????スイベルがなくなってる?!!」
それは、何とも悲惨で寂しい結末であった。
なんと、リーダーからスイベルそしてリングが残ってその先のルアー内部に接続されている筈のスイベルが無かった。
あれれれっ・・・ワイヤーで繋がっていないのか?
はたまた何処が外れたのか?
 どうやら先生がおっしゃるには、昨日の1匹目のGTでルアーに付いているスイベルが変形してアイが伸びていたのを確認したそうである。
なんと、それを本日の一匹目にと更に投入した結果がこれだと言う。
最悪な事態を作ったのは、このルアーである事は間違いないのだが、それを更に使った将軍様の判断ミスが貴重な1匹を逃してしまった原因なのである。
つまり管理者のミスと言う事になる。
まあ、メーカーの冴えなさもある。
  その後サイトを見てみると既にそのルアーは廃番になっていた。
僅か3年くらいの寿命であったと言う事は、やはり問題があったのかもしれない。
GTを舐めてかかった製作の結果である。
ここは信頼の強度のあるものを使うべきであろう。
仮に強度がしっかりして安定していれば、生産国は問わなのであるが、 何れも検品や、試験及び確認していないのではないだろうか。
 後の祭りとは、まさにこの事なのである。
そして、後の後悔先に立たずなのである。
暫しの落ち込みに完全に潰れてしまったかと将軍様の方をみると、にこやかに次の作業を始めているではないか?

“おおお、流石大物、立ち直りもすこぶる早い”

そこが、将軍様の良いところでもあると思えた。

「はい、移動します」
Capt.の移動コールが、ここで発令されたのである。

ここで始めてとも思える延長戦に突入した、快調キノコポイントも漸くすると見切りをつけられて、後にする事にした。

そしてここからが、何ともかんともになるのだが・・・。

−大きな岩、2回戦−
岩と岩の間の流れ、怖い程の
その流れは激流の河川を彷彿とさせる。

暫く船を走らせると、視界に大きく岩と岩、小さな島と島と言ったらよいのか、まあ岩なのだが、まだまだ長い年月を掛けて浸食されて行くのであろう。
その岩が無くなるまでにあとどれだけの年月がかかるのか。
勿論それを見届けるまで生きてはいないこちらの寿命と言う事情なのだが、いつかその子孫がその岩が完全に消失するのを見届けるまで、この自然が作り出した情景を維持して欲しいとこころから願うのであった。
と同時に魚も居て欲しい、と思うのであった。

ここで、何度も投げてはみるものの、反応は全くと言っていいほど何も無かった。

快晴の中、他の船も魚が上がった感じは無い。

流石に2時間近くやっても反応がないとなると・・・少しばかりだれてくる。
 そう、恐怖のジギングコールがCaptからあるのではないか。
「ジギングしますか?!」
なんとコールされてしまった。

「うわあ〜楽しいなあ〜!!」

ここでこの発言となるとそれは、将軍様でした。

将軍様は、秘密トラベル兵器の562-SU50KVGを取り出した。
この竿は、スダンダップファイトスタイルのジグ&ベイトモデルである。
かつて、90年代後半に師匠が打ち出したスタイルである。
もうこの2015 年にもなると、その言葉さえ絶滅したと言えよう。
提唱しても、それが継続にならなければそれは絶滅と同じで、それを唯一継承したものとしては悲しい限りではあるが、USスタイルに近いこの発想と言うのは、この国ではジグ船と餌船が2つに分れている場合が多いので、絶滅の方向は仕方の無い事である。
よって、ジギング専用ロッドは存在して、スロージギングなる専用ロッドまで出現して早数年ともなれば、ジグ&ベイトの発想さえ失われてしまうのも当然と言えば当然である。
 ここら辺が、国内だけの釣りなのか、海外まで視野に入れるのかで多少異なる点であろう。

 そこで700gのジグを接続すると即投入を始めた。
将軍様はボトムをとるとシャクリと始めだした。
 それを見ていたCaptが・・「そのジギングではないです。」
そう言うと、将軍竿を取り、ジギングの手本を見せようとした。
所謂、ショートピッチ、ハイスピードジャークと言う、90年代後半から2000年代前半に良く使われた手法である。
日頃、これで実績もあるので特に他の技法を使う必要もないのだが、今回は少し違っていた。
そう、竿がである。
Captの行おうとする、脇抱え、ショートピッチは、そのリアグリップの短さにより、全く出来なかった。
 この手のベイトタイプのジギングロッドを恐らく見た事がないらしかったので致し方ないがこの海域では、オオクチハマダイ通称キンギョとイソマグロ、カンパチ等がメインらしい。
とりわけ、カンパチとキンギョはバリでは高級魚らしく、キンギョ&カンパチ狙いがメインらしい。

 Captは、勝手が違うのに戸惑い、暫くすると諦めてロッドを将軍に渡すと、 将軍様は、ロッドベルトに装着してグングンしゃくり始めた。
私は、見物をメインにして、専務はと言えば、泳がせ竿で兼用と言う離れ業でトライする事にしたみたいである。
水深は120mからの緩やかな駆けあがり。
狙いは、キンギョなのは表向き、イソンボ対策のメタルシャフト型のアシストフックが装着されている。
 120mからガンガンしゃくっている姿を見て更に疲れた。
といってもマイペースジャークなので極端には早くないように見える。

「ああ、来た!」

底から20mほど巻き上げたところだったらしい。

ヒットしたと言うので舳へと移動すると・・・あの50Lbクラスのスタンダップがストリップガイド(バットガイド)上からグンと曲がっているではないか。
本人はいたって真剣にやり取りしているが、そのすぐ後ろで私とCtは、下らない会話と、キンギョ食べたいとか好き勝手に話していた。
おまけに、ドラグも幾らか逆回転していた。

「あと何メートル?」

「まだ50mあります。」

「キンギョおいしい・・・」
Capt。

それから将軍様は、一生懸命巻取り作業に勤しんでいた。
ロッドはかなり強いので曲がりの割に魚はデカイと思われた。

しかし、それは、それなりにかなり重そうに思える。
 彼は、辛そうな時は逆に笑いが出るタイプらしい。

「キンギョなら軽く10s超えの大型だなぁ。」

「さあ、晩御飯、晩御飯!」

キンギョコールの中、あと5mくらいでシルエットが浮かんできた。

「あれっ?キンギョじゃない!」

「カンパじゃない・・?」
それは、茶褐色のカンパチ、それは通称マカンパチとも言われる。
ヒレナガカンパチと区別する為にそう呼ばれる事がある。

それは、丸々と太りに太ったカンパチであった。
Captは一度は取りだしたギャフをまた戻し結局ハンドランディングと言う離れ技に徹することにしたようだ。
それは、実測で22kgを超えていた。
カンパチの22kgは超大型ではないがそれなりに大型に入るのではないだろうか。
 昨今のライトジギングだと10kgあるかないかでもドラグが滑りまくってロッドも限界まで曲がっている様子をTVで時々見るが、イメージとは凄いもので
上がってくる魚の予想外の小ささにがっかりするが、その全く逆な感じでパワーファイトでドラグも大して出ないまま、バラスを取り笑顔風とは裏腹にガンガン寄せる彼の姿があったのである。
昨今は700gをメインでしゃくると言うジギングは、国内に於いては極まれになってしまったのかもしれない。

ごちゃごちゃと騒いでいる間にも時々刻々と流れて行く。

「じゃあ、これで終わります。」

無慈悲なCaptの宣言で舵を切ってスロットルを上げた。
 とどめを刺された感じ。

その夜は、何か持ってるN将軍と言ういじり&余暇晩餐で終わった。
内心は、羨ましかったと思う我々なのだが。
明日が早いので早々に準備したあと11:30には就寝した。
時々目が覚めるのには変わりは無かったが。

-中間地点-
いつも折り返しは辛いところ。
半分まで来たと言う希望はあったりもするが事釣りの日程となると話は別である。
帰国が近くなって来たと言う事のほかならない


 その翌日は、益々厳しかった。
期待のキノコさんポイントも全く持って何の反応もなかった。
“これはまずい。”

“まずいよ〜”

今日は、どのポイントも全く持って何が悪いのか、大潮周りの無反応な日。
空は晴天。

 ならばとトップウォーターから、少し潜るタイプを投入しようではないか。
ここで、今や定番となりつつある?ストライクプロマグナムミノーフローティング20cm(魚型疑似餌)を投入することにした。
丁度大型フックを付けると100gを超える。

ここはこれで一発と狙いを定めて流す事にしたのだが・・・・。

一流し。

また一流し

更に一流しと

あっと言う間に時間が過ぎていった。
しかもその飛距離は他のリップレスに比べて少し劣る。

“こりゃあまずいなあ・・・・・・・・・・。”
若干焦りを感じ始めたのだが、反応はまだない。

潮は動いてきて流れもかなり早くなってきた。
更に白い泡となってゴーゴーと流れているのであるが一体どうしたことか。
このパターンは過去2回経験していてもやはり、苦戦すると不安要素は出てくる。
ここで言う不安要素とは、ボーズつまりノーキャッチの事が頭に浮かんでくる。

ボートが潮の脇を上手く流しながら舳先は、潮に向いているパターンなのでアップストリーム気味にキャストしてルアーを流れにクロスさせ、横切らせる。
 ・・ のだが、この横切らせ方は、できるだけルア-の動きを感じながら、できるだけ長い間魚にアピールし続ける様に巻取りスピートを流れとクロス度とラインテンションで調整するパターンを使う。
この釣り方で、何度救われただろうか。

何キャスト目だろうか。

ルアーが流れを横切ったその時。
コツンと言うアタリがあった。
触ったか。


「ああああ、バイト!!くそっ乗らない!!」(私)

 それはやっと掴んだ本日の1つ目のアタリだったが、針がかりする事は無かった。
当然燃えてくるのは誰しもだが、良い起爆剤になれば良いのだが。

それを見るなり、専務が奥へ引っ込んでいった。

当然、専務もそれを投入するつもりなのだろう。
“うーん。これは、そうきたか。”
“まあ、当然なのだがね。”

「ああ、真似したな〜!」
不敵な笑顔で、同じ様にキャストを繰り返す専務。

それから数投目までは、双方同一線上だった。

しかも同じ様なコースとアプローチではないか。


“こ、これは、あなどれんなぁ〜”

そう思っていると・・・
ごっ、ごつ、ゴン・ゴンと竿が元からは入った。
正解!
吉と出たのか?
どうなのか。
竿は、一気に元まで気持ち良く絞りこまれると、合わせをしつこく入れた。
今日 2つ目のバイト。
今度は、フックアップした。
しかし、それは専務の方だった。

「おいおい横取り状態〜。」

魚は、一気に流れに乗って走っている。
リ―ルは、ジージーと音を立てていた。
もう数匹目だがこの大陸リールは、なんとタフなのか。
  これが10年前なら即、廃棄物だったと思う。

10年と言う流れは、進化を促進させるのかとこんな事でも思ってしまうのだった。
(惜しいのはこのどうにも、とって付けたかの如くの設計デザイン)


 魚は、流れと共にガンガンと走ったが、ボートは少しづつ間合いを詰めていった。
流石はCaptsこのパターンの操船に迷いはない。

専務は、かなり辛そうだった。

間合いが詰まってからの浪人鯵は、元気が良いと厄介である。

なんとも、かんとも魚は、下へ下へと首を振ってはドラグを出していった。
止まると今度は、攻撃を仕掛けて行く専務。

これはひょっとして、30kgクラスかもと思えるようになった。

それから10分くらい格闘すると魚が浮いて来た。
魚は、テールフック一か所を咥えていた。

このパターンは、物凄くバレる確立の高いパターンだった。


間一髪と言うところだった。
しかし、良く見ると、下顎の後ろ、丁度その上には心臓が位置するところに大きな切り傷があった。
それは、かなり深く、3〜4cm程度引き裂かれていた。
 つまり、察するには、魚が攻撃捕食する時に、咥えて反転して空かさず深みに(下に)向いた時、このようなフッキング(針かかり)する傾向にあるのではないかと言う事である。
一旦は、腹側の針が心臓下に掛かり、同時かその後にテールが下顎に掛かったパターンと思われた。
当然、スレ掛かりと言う状態に近く、ラインに近い腹側により力が掛かるのでここに負担が掛かると同時にこのパターンは、魚の水圧がかかり易くなると言う事になるだろう。


  TOPでの浪人鯵釣りでは、良く下側にかかるパターンが多いのは、捕食の角度とタイミングによるものと思われる。
それで辛いファイトを強いられて、身切れしてからのやり取りはそうでもなく上がって来たのかもしれなかった。

それでもこの浪人鯵は、20sを優に超えていた。
立派な成魚である。

その日は、これが最初で最後の盛り上がりとなってしまった。
当然、反省会になるのは必至だった。

 救いと言えば、将軍が同じくストライクプロで釣ったワフー(カマスサワラ)の7kgをCaptに上納した事による明日の待遇くらいだった。

 

 

-そいつは、何処にいるのか-
何処と言われても、そこに居る筈です。
しかし、何処にいようとも針にかかるとは限らない。


メタルシャフトアシストが案外良いのはあまり知られていない。

 次の日は、それならと言う事で意気揚々と出発。(あいかわらず前向きなチーム?)
勝手に希望を抱く三人。
 イカは、バリ語でチュミチュミと言う事だけは覚えた。
なんとどの種類のイカもチュミチュミだそうである。
その真相を確認する事は、我々にはできない。

 その日は、当然キャスティングから始めたが、この日は全くアタリがない。
明らかに後半戦に近づく程、魚の反応は落ちていった。
初日とは明らかに違う海況に、前半の 猛攻が恨めしく思う程であった。
潮周りは決して悪くはない。
 魚が居ないのか?
TOPに固執も辞め、水面下のアプローチもしてみた。
しかし、反応は、全く無かった。

 ここで、またまたCaptの魔の提案が・・・・・・と言う前に
「ジギングしようかな〜。」
なんとN将軍が、自ら提案するではないか。
今日も二匹目のドジョウを狙っているのだろうか。
はたまた、何か他にたくらんでいるのだろうか。

 更に勢いづくと、
「GTくわんかな〜」
何とも、大胆な発言。
(恐らく、喰うけどね〜と言うか釣れるでしょう。)
こうなれば、釣り方が問題では無い・・・結果だ結果と言わんばかりだった。

それにCaptは全く異議が無かった。
「ジギングしますか・・・・。」
幾らキャストを繰り返しても反応がないので、当然の提案として受け入れる他に選択の余地はなかった。
仮に、“俺達は客だから、引き続きキャストさせろ。”
なんて、言ったとしても、結果はやってみなければ解らないと言う言い方や考え方は出来たとしても、何の保障もないのだ。
それならと、あっさりまたまた、ジギングとなった。

しかし、明らかに浪人様狙いなのは、そのポイントから容易に想像がついた。
と言うより確信犯でしょう。

 大胆にも僅か水深60mの浅い激流ポイントを500gのジグで落とし込んだ。
潮の早いこのGTポイントでも底はきっちりと取れた。
少し流芯よりも外したところなのであるのはCaptの操船より見てとれた。

しばし、見学することにしたが・・・・。

なんと数投入目で・・・起こった。

ドスンと竿が曲がったのである。
あの50Lbスタンダップロッドが。
ガンガンと伸してくる引きから、それも小さい魚ではないと思えた。
がっちりとスダンダップポジションを取るN先生。

「なにこれ?グルーパー?」
との質問に

「ああそれはGTです。」
Ct、バチョからは、そう確信的に言った。
なんと、この人は何か持ってる人みたいです。
と言う最近定番となってしまったかもしれない言葉を発してしまいそうになったではないか。

スタンダップロッドでの浪人鯵は、そのロングロッドとは比較にならないほどの早さで寄せられて来た。

しかしながら、そのバット近くまで伸しにかかるパワーはやはり立派だった。
ショートロッドスダンダップと言う特殊な竿で無ければもっと頑張ってくれたに違いなかった。

 浪人様は、がっちりとメタルシャフトアシスト5/0をそのカンヌキ部分に見事に貫通して刺したままだった。
お見事なナイスフフックアップに思わず感心したのであった。

この浪人は21s強であった。
そいつは、GTアングラーの一部が経験するブラックウルアと呼ばれる体色が黒っぽく変化する魚体であった。
これには、謎が多いとされている。
しかしながら、 この日もこれ1本で終わってしまったのである。

N様、実に御見事でした。
おそれいりました。

その日の夜は、昨日釣ったN様のカンパチフルコースであった。


 現地のお勧めで向かったそのお店とはいかに。

 国内でも遠征となると、なかなか大変なその後の段取りなのであるが、まさか、海外遠征で血抜き、〆、冷やす、即日プロのお店へ持参と言う考えられないコースをやってのけると言う
難関をなんとかクリア―したのである。
ここは、フィッシュナビさんのお陰であるが、何度も打ち合わせして良かったとつくづくおもった。
ここは、感謝に絶えなかった。
ただの一文では済まされない、段取りと労力と行動が要求される物凄くハードルの高い事なのは、行った本人達なら誰でも理解できるところである。

この準備の部分でのストーリーをあげればかなりになるので敢えて省略する事にした。


そのお店の名前は、“ドンドン”(丼呑?)と言う。
店名こそ怪しい名前(すみませんDONG DONGさん)ではあったが、その銘々とは裏腹に店長は、大変料理の腕は良かった。
この店の 創作と言う名の和食の融合さえも、海外で生き抜くためには必要な事重々承知の上と理解した。
店長兼板長は、めいいっぱい腕を奮ってくださった。
聞けば、ちゃんとした修行をした方らしい。
 カンパチの胃袋もちゃんと使って料理されていた。
肝も処理されて、旨味を引き出す事にも長けておられた。
海外で良い日本料理に出会う事はそう多くないと言う事を多くの日本人が知るところであるが インドネシアでもそれは多分にある。


 どうせなら現地の料理を食した方が良いのは、容易に理解できるところである。


誠に感謝の晩餐であったのは、全会一致であった。

目前のコースをよそに、何人かの外国人と日本人が何組か来たが、どうみても我々だけ異常なほど料理が並べられていた。
 
 チーム全員感謝して店を出た。

そのような満腹状態の上に、最後に良い夢が見られれば良いのだが・・・・。

果たしてそれはいかに。


それでもあっと言う間にまた朝が来たのであった。
いよいよ、最終日である。

-ファイナル-
もはや、シンキングルアーと言う存在は、GTと言うジャンルでも無視はできない存在なのかもしれない。
更には、カウントダウンミノー的アプローチも出てきたのである。
これを使用してもう数年が過ぎ去ったが、その版図は拡がりつつあるらしい。

それでも我々にはまた、朝が来た。
朝食の流れは、既にその1で記載したように、最終日も同じ事ではあった。
無論、珈琲をしつこくも飲めたのも私だけだった。
 その1の通りである。

船に乗り込むと、今まで何度も改善不能と言われてきたソフトドリンク対策は、大塚製薬の工場がインドネシアにも出来たのか、他の飲料と価格がそう変わり無く供給できるようになった事はこれ幸いであった。

ストレッチもと早々に行うが、5日目となるとあちこち体が痛い箇所ばかりである。
今までも大体のスケジュールは、5日間の釣りばかりでこれが当たり前のように感じてしまう自分が怖くなるが、フィッシュナビの担当者の話によれば、それはもう過激度トップクラスと言う事らしかった。
 過激ツアー万歳派はどうやら誠に少ないらしい。
どうせ行くならと、良い潮周りを押えての5日間にも関わらず、海は水もの、予測付かないのはいつもの事。
ましてや1日のみ勝負となるとそれは、かなり厳しい。
少なくとも3日は、チャーターしてそのうち1日が良ければ良いと言う感覚で挑んで頂ければ幸いである。
勿論3日押えたからと言って必ずしも良い結果がでるとは限らない事は、周知の事実ではあるが、それでも納得いかない釣り人が存在すると言う事らしいがそれはそれでこちらの方も全く理解不能と思っても致し方ないところである。

 さてさて何故冒頭からそのような話になったかと言うと、それは今回も後半は何とか離れ技で1本はキャッチしたけれど、TOPオンリーで勝負していたら今ごろおでこ=ボーズだったところだったに違いない。

 最終日だからドラマをと切願するものの、気合いとは裏腹にこれまたアタリは全くなかった。
で、昨日の状況からストライクプロを早速投入するものの、それでもアタリは全くでなかった。
 潮が動き始めてもそれは、変わらなかった。
あたりをあの有名なボートが入れ替わる、最近はねっからこのボートが人気らしい。
栄枯盛衰を感じるし、今は弱体の一途をたどる国内GTゲームをよそに、インドネシアは熱い。
そればかりか他のアジア圏、ユーロ圏もGT熱は世界を駆け巡っているらしい。

 まったくもって、目ざわりとはこの事なのだが、相手にとってはそれもお互いの事である。
問題は何が目ざわりかと言うと、少しの隙間が空けばそこに横入れしようとするからで、これには少しプレッシャーを感じるので致し方ないところであった。

 ここで専務が秘密兵器・・・・と言う事でもないがここ1〜2年の間に、ベベルジャーカ―と言う商品を引っ張り出す。
これがある程度、貢献したのかどうなのか、元祖な釣り方ではないものの、GTと言うルアーキャスティングの線の釣りを面の釣りにしたと言う事は、90年代では信じられない事かもしれない。
このベベルと言う疑似餌は、オリジナルのマグナムミノーにウエイトをぶち込んでプラス90gのウエイトを稼いだ。
コストをそうかけずに商品化するパターンとしては、昨今多用されるパターンではあるが、それでもバランスはとらなくてはならないのでただ錘を入れれば良いと言う訳でもないのが難しい所だろう。

 将軍様は、その横で見ていたが、彼はベベルを持参していなかった。
私も見学としてそれを観る事にしたが、ルアーは軽く投げるだけで飛んで行った。
それから、専務は、複雑に入れ込む流れに乗せてラインを送りこんで行く。
カウントダウン60秒くらい待って、底近くに到達するらしい。
 それから、ジャークをしながら巻き取ると言う基本トップと同じ竿捌きに近い動作を繰り返した。
表層のそれとは違い、アタリは竿ですべて取る事になる。

 竿先が入ったと思うと、それはすぐにバットまで曲がりグン、グン、グン、と三段引きのように曲がった。
その反動が専務の方までズンズンと揺れた感じがした。
 それから勢い良く直ぐにラインが出て言った。
PEラインを良く見ると、カラ―が変わって行くが、前へ前へと海の中にラインが引きずられている感じに見てとれた。
  このパターンでも専務は喰わせることに成功した。

合わせを入れたのを確認した。

糸は出て行くが、止まると直ぐにライン回収に入る専務。

ジージージーと糸が出て

即ポンピング・・一回目。

2回目。

また糸が出て

3回目

4回目

“おおおっ・・・やった。”

だが・・・・。

またまたまた、バレテしまった。

がっくりと首を落とす専務。
その、後ろ斜め下を目線に移して、片手を腰に当てるポーズは、反省のポーズにはうってつけではあるが何とも寂しい光景に見える。

魚はいる。

確かに居る。

そして、喰って来たではないか。

どうなのか。

期待するのか。

バイトはまたあるのか。

それでも投げ続けるしか方法はない。

疑似餌は、動かさなくては全く意味がないのである。

そこで、ここはとタックルボックスを見る。
セレクトし直しである。
“これしかないかなぁ”
その、ブルーの1本しかない、リップレスバイブレーション形状の疑似餌を取りだす。

 クロスアップリームキャストから流れを横切らせならがジャークさせる。
クロスから流れの中央付近でターン姿勢になると、竿を少し立て気味にしながら、ラインを流れに噛まない様に、できるだけ水から上げ、ラインが流されないように調整しながら逆引きに近い状態に持って行くのがこの引き方の鍵となる。

そこで 、このルアーの名前でもあるUZUの梅雨ブギィは、トカラ列島のあの堤防パターンを主力として製作されたのは言うまでもないが、本来の使い方は、フォールにあるらしい。
と言う事で考えると、この使い方が正しいかどうかと言うには、どちからと言うとアウトサイドに入ると思う。
 そこは、クリエイティブと言うよりも、臨機応変と言う言葉が正しいのかもしれないが、ルアーは釣れる事でその本命を全うすると考えるとそれは、それで有りなのである。
無論ヒットに持ち込めればであるが。

竿先からの情報は、明らかにルアーが水にちゃんと噛んで動いている事を表している。
その情報からは、バランスが崩れた様子もない。

それにしても150gのウエイトを投げ続ける事は、並みでななかった。
がしかし、こと、このロウニンアジの疑似餌釣りではごくごく当たり前の事なのだ。

「いい、潮になってきた。」
Captが将軍様に語る。

益々やる気をだそうではないか。


 3人でしつこく、かつ、しっかりと流して行くが、数投ても追加のアタリはない。

そして、1時間くらいが過ぎ去った。
本日も決して状況は良いとは言えない。

しかし、我々には時がないのである。

梅雨ブギィ150gが海原に飛ばされる。

直ぐに沈んで行く。

ラインスラッグ(糸ふけ)を取る。

ラインが水に浸かる部分はできるだけ少なく。

ジャーク&ジャーク(しゃくりそしてしゃくり)

竿先が丁度目線に来た時、グンと手ごたえがあった。
ズン、ズンと重く強い引き。

合わせは強力かつバットパワー(根元に近い部分)で縦のスライドフッキング。
無言になると、N様がカメラを回して近づいてくる。

ゴンゴンゴンと手元まで伝わる重量感、首振りの大きさからある程度の型なのが解った。
7kg強に設定したドラグから逆転が直ぐに始まった。
ここで焦りは禁物である。

“ちょっと頑張るなこいつ・・・。”

直ぐには巻けなかった。
しかも、首を振ってはまた少し、また少しと糸を出して行った。
愛機トラベル73SG-3pcsロッドは、その曲がりで耐えてくれている。
その合間は、間髪いれず回収に入る。
ここで隙があれば糸間合いは直ぐに詰めるのが根に行こうとする魚へのアプローチの鉄則である。
 リールは、今回は●○ノのSARAGOSA20000を投入した。
満を期しての新型である。

ボートは、潮の流れに乗るとくるくる回るのでそこはバチョが上手く後進を掛けながら下がってくれる。
 勢い良くドラグが出るのが止まると今度は首を振って抵抗するが、トラベルは良く追従してくれている。
時々チッチとクリッカーが鳴くが、竿のタメとバネで一息に糸を出す事が無くなって来た。
 Captは、良くアングラーとその糸の出ている方向を確認している。
舳先の利点は、魚が左右のどちらに回っても船を交わす事が出来る事である。

5分が経過したころ、このレンジが嫌いなのか、頑張って抵抗する。
糸が出る。
竿はバットまで曲がり切るがそこでバランスを崩さない様に踏ん張る。

おっさんは、頑張る。

メタボ親父と言われても。

ロウニンアジは、ボート下に来てから(ボート水面下)が辛い。
それは、他の魚も同じであるが、短期決戦型のこいつは、アタックから攻撃後半6〜7割型がとりわけ辛いと感じる。
逆に最後の2割は、よほどの事か失敗の無い限りキャッチに繋がる確立はかなりのものである。

一回ポンプアップしてリールハンドルを2回程巻くと、その分をまた、戻ろうと奴がもがく。
その分また回収するという作業の繰り返しが続くようになってくると後半戦となる。
少し上げる(浮かせる)と戻ろう(潜ろう)とする感覚は、拮抗状態と認識して良いが、ここは丁度辛くなるところと楽になるところのターニングポイントでもある。

しかし、いつもこの拮抗状態は、嫌なものである。

それから、ゆっくりとボートは下がり(後進)ながらのやり取りであるが、 それでもゆっくりショートポンピングでリールインして行くと、少しづつ着実に浮いて来る。
首はいやいやするように振る感覚が手元まで伝わってくるものの確実に糸を引きだすよりも浮かせる方に傾いているのだった。

辛いところは、奴も同じ。

梅雨(バイブ)を横からがっぷりと咥えた奴が、浮いて来た。
この針掛かりの位置は、どちらかと言うと良い方であった。
このフッキング位置の事も更にこちら側には有利となって、ものの10分くらいで浮いて来た。
 潮の流れは、相変わらず早く、波もぶつかり合う中、それでも辛いものは辛いのである。
波がせり上がってボートが浮く時は、竿の曲がりを活かして溜めて、下がる時は、そのしなりでいなす。
魚の引きが緩まれば、即ポンピングに移る。
竿先が目線より上に来た適所で、ロッドを下げながらリールを回収。
この時は、ラインを緩めないのが鉄則。(弛みを作らない)
これが出来ない人が案外と多いと聞いたが、最近乗り合船に乗る事は殆ど無くなってしまったのもあるし、 乗り合っても、ウインチか電動の方が多い釣りが多いので、それが出来ないと言う人は、あまり見た事がない。
話を聞かされるだけであるが、格好はポンピングで魚が浮いてこないと言うのは、その理屈が解っていないと言う事になるのだろう。
中には、ポンピングするとバレるので禁止と言う船長までいるらしい。
それはびっくりである。
勿論、その必要がなくても上がってくる魚が対象なら特には問題ないのかも知れないが。

「あっ、みえました。」
そうCaptが状況解説風にぽっそりと言う。

そいつは、真っ白な丸い腹を浮かせてのらり、くらり状態で水面に浮いた。

「でっぷり!・・何食ってんのこいつ・・」
専務が、素直な感想を告げる。

 揚がって来たのは、でっぷりとした砲弾型に近いボディであった。
彼は、急流で育つ特徴なのか、横長で丸っこく尾柄部は丸々と筋肉の塊。
問題なしのアスリート体型の32kgは上出来であった。

クルーが人工呼吸を3,4回程行った後、暫くして深みに帰って行った。
致命傷を負った気配もなさそうである。

潮の流れと当時に時の流れは、変わっていた事に我々は、最後の望み(時合)をこの海と神に託すのであった。

 さてと、即続行となりCaptは再びボートを昇らせた。

がぜん、やる気の二人が投入する。
弁当など食べる暇はない。

両名共投げる勢いと、ラインの放出音は相変わらず勢いのある音だった。

 一投目、着水後、アクションを加えると直ぐに反応があった。
反転して水飛沫を上げる。
襲われたのは、オイカワだった。
そうですあの 淡水魚デザインです。
ここでカラーは、ヒットへの第一要因ではない事への証明のひとつとなるのではないかと思う。
オイカワでもヤマメでも淡水魚カラーでもそれは人間の主観であろう。
 さてさて、その主は、N様でした。
サングラス越しに不敵な笑みがこぼれている。


“ちょっと違う意味でこわいかも”
そんな、N様は、一所懸命な時は、“おねえ”が入るのでしょうか。
誰か教えて欲しい。

 ぐいぐいと奴は首を振りながら引き込んでいたが、見ていると、途中からN様の様子と言えば少し楽になった様子だった。
ゆっくりと浮上してくると、それはグッドサイズの立派なGTであった。
これも、下顎と腹のフックが丁度心臓下の位置にがっつりと掛かったらしく、その周辺の肉を切り裂いていた。
首を振ったのか反転時なのか、彼の腹は十字に切れていた。(切腹もんだなこれは)
 ここが、課題である。
いくらバーブレス(カエシが無い針)でもこれでは、致命傷になるのは否めない。
鮮血が流れていた。
 この、ゲームと化したスポーツでも相手が自然だけに即死との隣り合わせのゲームとなる。
ここら辺は、ハンティングと同じであるが、過去の反省からかハンティングは厳しいレギュレーションに支えられている先進国も多い。
 現実は、いつも残酷な結果をもたらすのであろうか。
しかし、これをリリースする矛盾に果たして耐える事ができるのだろうか。
 こいつは、将軍様のレコードとなった。
25sサイズは、それでも貫禄十分な成魚である。
誰も文句はない、ロウニンアジである。


 昨今では、50sと言う言葉だけが踊るだけ踊っている今のGTと言う釣りの中で、その半分サイズともなると頂けないと言う人も多いと聞いたが、50sは間違いなく最大クラスの老成魚である事には違いないので、 そう簡単に次々とは上がらない。
 また、そのサイズが連発する場所では、キャッチ数が釣行回数が増えれば増えるほど減少傾向にある。
それは、かつての大物連発と言われた場所がことごとく釣れなくなっている事が証明しているのであろうか。
 何度もトライした事がある人には、当然の事ではあると認識するが、動画の世界ではいとも簡単に獲れた感がオートマチックに擦り込まれているのかもしれない。
しかもわずか10分以内で。
 また、ボートだから獲れると言う事もない。
おかっぱりの方が上とかなんとか、難しいとか、下とか、ハイレベルなのか、そんな事は、更に全く関係ないし、無駄な議論なのだ。
すべてが現実の戦いである事には違いないのだ。
但し隣の家は良く見えるものでもある。
自分と相手(魚)、自然のとの戦いに於いては人の戦いとは本質が違うのである。

結果的に、3連続ヒットに時合いとは正にこの事なのかと実感せざるを得なかった。

その後は、更に続くと思われ暫く叩く。

がしかし、ここで打ち止めとなってしまった。

他の手立てとしては、移動する事と決めてCaptは次へ(ポイント代え)走ったのであった。

 移動してかつての大場所と言われた通称ドーナツで、N様が小型をキャッチした。
1本きりで反応は今一なのでキノコに向かった。
なんと将軍はこのツアー5本目であった。
この状況では好調の様である。

 さてさてキノコのパターンは前編で述べた通りである。
潮は思いっきり差してして、早い流れになっていた。
時間的にもそう余裕はない。
いつ、非情な終了コールが上がらないとも限らない状況に我々は、必死?のラストスパートに入った。
 私は、76TCDHKVGを手に取り、最後はやはりこれで勝負とリアルベイトを装着した。
さあ、開始である。

 

泣いても笑っても終盤。

行けヤマメ。
銀毛じゃないけど。

“よし、ええとこ入ったで”

と思ったが、皆さんが良いところに入れている。
ここら辺は、彼らも同じレベルで魚の出そうな場所をその経験から良く知っている様だった。
怖いほど狙いが同じである。

岩の裏、つまり下流側の流れが二つに分かれてまたそれが渦を巻くその手前。

 疑似餌が、流れに逆らいひらひらと左右に首を振ると・・・・・。
勢い余ってその背中をがっちりと水面上に上げてそれに襲いかかった。

 ギューンと糸が張り詰めて下降して行くと合わせを大きく入れてフックアップする。
N様のコメントを聞く事も無かったが、良く見ていたのが解った。
彼の後のコメントは、いいのが掛かると私は無言になるらしいと言っている。
 しかし、それって誰でもじゃないでしょうか?

始めのランは気持ちいいところであるが、同時に擦れと言う不安が頭によぎる為、魚が止まると直ぐに回収にかかる。

3分程するとボートもかなり下流に流れて行くが、魚とも拮抗状態になった。

“まさかまた下顎〜なのかぁ?”

「まさか、これは40クラス?」

「もっとあったりして」

何ともまあ期待を持たせる発言が飛び交う中、私は無言らしい。

“ならいいんだけどなあ〜”

奴は、同じように船下に近づいてからがしぶとかった。
確かに回収できてはいるが、時々逆転させられる。
それにしてもこの旧SARAGOSA18000はGTには良いリールなのかと思えた。

僅か300ドルしかしないこのリール。
 ○○ノさん、お願いですからもう海外仕様と日本仕様共通モデルを出してくださいな。
いやそれは、ス○○が売れないなんて言わないでくださいと言いたくもなった。

 ある程度の流れと水深からリフトアップしなければならないこの場所のこの釣りは、やはり堪える。

なんともしんどいとはこの事であるが、それでもなんとかしなければならない。

もう既に状況は、時々チリチリという微妙なクリック音と、リフト、回収の繰り返しなのであるが、これが地味に辛いのであった。
 辛さと裏腹に、動画サイト的には、カットの部分かも知れなかった。
この地味ながら辛いファイトが更に5分程続いた。
 ドラグ値をあげて、めい一杯絞る切る。

どうも浮き方が怪しいが、ファイトの違いは、上がってくる魚で解った。

それは30kg弱のサイズだった。
それはそれは辛かったのであるが、良く見てみると、一度はテイルフックがしっかりと顎にかかり、腹側のフロントフックが腹鰭の付け根更に心臓に近い部分にぐっさりと刺さって切り裂いた跡があった。


しかもそれは、あろうことか2箇所もあった。
長いファイトでフロントフックが浪人鯵を引き裂いて、それが一旦外れてから、更に胸鰭の根元に浅く掛かっていた。
それによってバレには至らなかったが、きわどい掛かり方だった。

と言うよりいい方を変えて推測すると、
勢いよく深みから出て来たロウニンアジが反転して下顎にかかる際にどうも多発傾向にあるような気がする。
 シンキングペンシルやミノーでは、真横にがっぷりと喰って掛かっている場合が多い事から、ダイビングペンシルやフローティングペンシルの掛かり方も検討の余地があった。
勿論それには、ルアーの浮き姿勢や、長さ、浮力等々、に海況の様々な要因があると思う。

よってこれが全てと言う訳でもない。

 それにしてもオイカワ、ヤマメと良い成績を残してくれた。
どちらもこの南国の海には存在していないのだが。
人を釣ると言う事と魚を釣ると言う事は、全く違うと言う事なのであろう。


 それは、他の疑似餌釣りに於いても同じ事と言えるのではないか?
嘗てのトラウトにはアカキンが定番と言うのもアカキンなど自然の河川には存在しなく、キンギョカラーなのであるから。

こうして、最後はこいつを1本ほど追加して終わった。
決して時間の延長は、無いのがこの船の掟である。
そこは、無慈悲にも終わるのである。

 こうして長旅というには、あまりにも短い日程の中、観光を1日だけ入れても見たが、一生の中で海外に行ける機会など、仕事等で世界を飛び回る人以外はそう多くはない。
ましてや、パスポートを持っていないまま人生を終える人もいる。

テンサパール空港は、様変わりして大きくなったが、帰国の際の夜中のターミナルは皆憔悴しきった感は、今も数年前も変わらない。
変わったと言えば、その腰かける長椅子が壊れていない事であることとなんとか座る席も確保できる事である。
 迫りくる現実に、専務と私、N様の3人は、本日迎えるであろう日本の朝をどういう趣で待ち受けるのだろうか。
師走の中、寒い千葉と雪国の人は、ここで旅を終わらせた。
最後は、極めて日本人らしく、ちりじりばらばらに後姿を残して去って行くのだった。
成田空港は、いつも忙しいが、我々の心はからっぽになっていきそうだった。
 さて明日がまた来る。

-あとがき-
たがか短編小説にもならないほどの短い文であっても書きたい時もあるのかもしれない。
あとがきってついつい、ついでに目を通すくらいになりがちだが、案外と筆者の補足的で面白い事が書かれてある事も多いのではないか?

 旅の形態には様々あるが、釣りを主体とした海外ツアーの始まりは、11フィッシング以降にその知名度を上げて来たのではないかと言われている。
そんな、11フィッシングは、大橋巨○と服部名人と、これらのコーディネーターであった私の師匠は、とりわけ若かった頃の事である。
 後日師匠と名人から聞いた話では、PENN セネター14/0と言う現在は販売されていない伝説的なサイズの両軸リールで挑んだブラックマーリンは9時間の格闘の末。
リールから煙が上がりながらもなんとかとった1400Lb超えは、一生記憶から外れる事は無いとお聞きしたのはもう2015年から遡る事5年くらい前になると思う。
 そんな、師匠も名人ももう故人である。
その当時の豊富な資金力と、高度経済成長がもたらした母国の恩恵は、バブルの崩壊と言う総崩れによって一度は陰りを見せた。
このような近未来の社会現象でさえ、先行き解らないのに、我々は一体どこに向かえば良いのだろうか。

 その先に何が待っているのか。
世界がとても狭くなったのは、冒頭でも述べた通りであるが、これからの国際社会の中で日本の立位置が国際的に問われるのは間違いない事なのだろう。
遊びとは言っても世界を知る事は、関心の第一歩であり、その初めは人に関心を持つことなのかもしれない。
そのような意味でも海外での旅行、遠征と言うものも決して意味の無い事ではないと思う。
ワールドスタンダードなアングラー(釣師)が我が国にも多く現れる事を期待して止まない。
 日本は、世界のフィールドにとっては、井の中に過ぎない。
井の中にいる蛙は大海を知らずとは正にこの事ではないだろうか?

 寒い冬から春に向かおうとする2015年も早2月を過ぎてしまった。
思えばこの釣行は、2013年の終わり師走の事であった。
 それから直ぐに、成田行きのバスは無くなった。
それから、後編のここまで終えるのに1年と数カ月を要した。
寒い時期には、身も心も閉ざしがちだが、それでも前を向いて生きる人が居る限りは人は何かで後世に残さなければならないと考えても良いのではないかと思う。


未来が明るい事を願うのは、いかなる思想や宗教を持っていても変わらない本質なのか。
そうでないのか今考える。
ただこの世界の現状は、まだまだきな臭く、混迷の中にあるみたいだ。

-後編終わり-

次の浪人鯵釣りは何時にしようか。

2015年2月吉日

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