- 楽園の終焉V-
END OF PALADICEV-No,1

- GT in Bali 2013-

一体何年探せば、それは見つかるのですか。
それは、永遠に見つからないのでしょうか。

 ふと思えば、物心ついた歳から極楽浄土を教えられ、それを信じて・・・それが・・幼き心を失ってしまうと・・・それも忘れてしまう。
以来何年何年も同じ様に楽園を探してみるが、そう簡単には見つかる訳でもなく、そもそもあり得もしないものを探す事事態が無駄も極まり無いとはこの事であろうか。
同じ事の繰り返し。


無駄な事の繰り返し。


業には業の迫りくる毎日。

灰の上にまた灰が積って、また雨で濡れて、積って、固まって。
塵なのか灰なのかもうどうでも良くなる毎日。

ああこの有鬱な日々と先進国特有な精神状態。
脱出不可能な、闇のこころ。
 これがおもてなしの国の片隅の日常。


 碧く果てしない海原と皆は表現して言うが、その何処にも幸福など見つける事が未だ出来ていない。
むろん偶然にも落ちている事もないだろう。
 この碧いと言う海にも、利害と欲望が渦巻いているからなのであろうか。
その海の中をそんな事などどうでも良いかの如く、老成魚達が、ゆっくりと泳いでいる。
 そこには何の矛盾もないのに。
自然は、同じように流れているのに。
太古の昔から。
何の矛盾もおきていない。
矛盾しているのは、我々人間だけなのだろうか。


 そのような心と海。


 世間では怪魚ブームとからしいが、それはそれで良い事なのかも知れないが。
それは、極東アジアの我国の人達が、それだけ地球を小さく捉える環境になっている事に他ならないと言う事なのだろうか。
そして現代に於いては、その気になればいつでも何処でも行ける環境にはなった。
アジアが縮み、世界が縮む。
その事を近くなったとも言う。
それ自体は、とてもありがたい事なのであろう。
問題は、その恵まれた環境をどう使うかにあるような気がする。

 身も心もとっても寒い2014年の冬の新年。
言葉の表現としては、“身の毛が余立つ”という表現を採用したいと思ったのだが、例えの使い方としては間違っているだろうから、“芯まで冷えるので鳥肌も立つよ”、と言う感じである。
それこそどうでも良いと言われる釣りの世界でも、何処かに真理が落ちているのではないかと " 服部博物館"と言う服部先生の本を見てみたり、小西和人さんの"たのしみを釣る"を読んでみたりしてもみるがそこに、その歴史を観る事が出来たが、楽園など見つける事が私には出来なかった。
 恐らく多くの釣り人が見る事も読む事のそう多くは無いであろうその本を読んでみる。
また、そのような中でも最も読まれたであろう開高健先生のあのシリーズは別格であろうけれども、ヒントすら見つける事が出来ないでいる。
 ヒントもなければ、打つ手も無い、正に八方ふさがりとはこの事であるが、特段普段と変わり無く生きている今日この頃。
開高先生もその苦悩は、多くあっただろうけれども何の解決には至らなかった・・と言うのが結論の一つ・・とも感じられた。


 先日とある機会から、T先生からのお話を聞いた時、若い頃に銀山の宿であった釣り人にお説教をされたと言っておられたが、その人が開高さんだったと当時の事をお話されていた。
諸先輩の話をじっくりと聞ける歳には一応なったけれども、所詮釣りは釣り。
 それ以下でもそれ以上でもないらしい。

その先生の内容を要訳すると、

“君たちこのように魚を全て殺してしまって、将来はどうなるのか考えるべきである。”云々と言う事らしかった。


 ましてや属世間の中の更に属の話であろうから。
まさに、ピンキリのキリの話なのであろうから。
 そして、時の流れと共に故人は忘れ去られて行くのかもしれないが、何故か最近それがものすごく寂しい事のように思えるのであった。
あまりにも寂しい事ではあるが、それも風化と言う点と捉えれば自然の流れなのかもしれない。
 それは、急速な風化であって数十年後には、語られる事もないかもしれない。
ボロボロと、崩れ浸食されて行く。
 ただそれを受け入れ続け、誰も知られないで終わって行くような気がした。

 その昔、20年近くもの間溜めこんで保存しておいた"アングリング"と言う釣り雑誌があった。
良きアナログの時代の御時世に世界の釣り夢を与えてくれる釣り雑誌だったかも知れない。
しかし、既にその殆どを数年前の春のある日に資源ごみとやらに出した。
その後、私の後悔になっていないところをみるとそれも不思議である。
アングリング世代も、もう終焉なのかもしれない。
いえ、既にそのものは終わっていたのであるが。
私の中での終焉なのだろうと理解した。

-その浜とは、その楽園の浜なのか?-

 そこに、楽園は決してないと思っても、また人はそこを訪ねてしまう。
その前の小さな幸せさえもが無いとも解っていても。
 ゴミの浜とゴミの道、人混みの市街地もゴミだらけ、そしてそう言う都市特有の悪臭が少しする。
途中にある大きなゴミ集積場。
島の経済発展がもたらすおつり。
 マリーナ?周辺でゴミを漁る牛達、野放しの犬達。
勿論の事その首には、首輪と言うものやリードなるものは存在しなく、自由奔放。
ディンゴみたいな逆三角形のスリムなボディ。
たまにその野生っぽい飼い犬か野良犬かも見分け付かない、解らない彼らの全力疾走をみかけたが、猛烈に早い。
かなり遅いチーターみたい。
 浜辺で鳥を貪る彼ら。
バリバリ、ゴリゴリと羽の根元の肉を貪っていた。
それも極自然に見えてくる。
 そして、その場その場凌ぎで取り繕った人間関係が大きく加算される。
牛の糞とゴミだらけのビーチを直射日光が、躊躇なく照りつけること半日もすると、 あっと言う間にそれらが乾燥してしまったかと思うと今度は、スコールが打ちつける。
そして、その浜辺で元気よく遊ぶ子供達。
男の子も女の子も一緒にワイルドに遊ぶ。
そのゴミと糞の浜であってもお構いなし。
その砂で遊び転がり、通称コンビニ袋なるビニール袋が浮遊する中、海に飛び込む。
何度も、何度も、楽しそうに。
 我が国もその一昔はそのような子供達の光景が多少なりともあったと思うのだが、今は公園の砂場で遊ぶ事さえあまり無いと言う。
砂場遊びの子供も居なくなって行く。
抗菌と無菌、除菌とオンパレード。
北里先生は、その当時には、その後の日本にそのような除菌、抗菌な世の中が訪れるとは思っていなかったかもしれないと思った。
そりゃ屋台の食べ物も水も彼らはアタル事もないだろう・・・とそう思うには長い時間はかからかった。
 それとは一転してホテルの敷地内は、ゴミ一つさえ落ちていない。
汚さは感じられず、ビーチを含んだエリアにもゴミ一つない。


美しい。


ただその一言だけ。


絵はがきそのもののようであるが、それはプライベートビーチあるいは、管理が厳しい敷地内という徹底された管理下における産物であったりする。
一見したところだけではなく、何の問題もなく快適であったりする。
快適なビーチ。
 そこには、世界でも類を見ないほど複雑で不思議な日本語なる言語は、殆ど見かけないし、通じもしない。


 ホテルの朝食は、やはりどこもバッフェスタイルである。
クタエリアともなるとその多くは、欧米人とりわけ土地柄なのかオーストラリア人とおぼしき人々が多く見られた。
しかも、リタイアされたと思われる初老の夫婦がやけに目立つように思うのであった。
 そして予想通り彼らは、その白い皿にカリカリに焼いたベーコンを山盛りにして、更にやはりお玉いっぱいのサラダ油の入ったオムレツを運んで来る。
それならと我々も多少の真似と若者2人と3人で同じ事をやっては見るが、その後はやはり辛い結果となってしまった。

しらばくすると 彼らの部屋には、その後正露丸の匂いが立ち込めていた。
正露丸の匂いは、子供の頃から慣れっこなのではあるがそそくさと退散したほうが良いと考え自分の部屋に戻った。
“まったく、正露丸。でもとても助かる”

 部屋に帰ってから仕切り直しと、ポットに水を入れてお湯のスイッチを入れた。

僅かに1分位後、お湯は煮立っているみたいだった。
とても早い。


 しかしながらこの島に来ると、この挽いて粉末と化したバリ珈琲は、この気候にとても合っているのかとても旨い。
私だけが何故かカップ3杯ほど飲んでみる。
"ああ、旨い"
あまり口にすることが無かったが、ジャワからの紅茶が部屋にあるので試してみた。

紅茶もそこそこいける。


それを毎朝繰り返す事5日間。


 流石に我々日本人には、これだけの油料理はかなり堪えるのであったが、やはり皿に盛ってしまうのである。
しかしながら、若者2人は、おかわりが日増しに少なくなり、2皿目が4日目には無くなっていった。
専務のベーコン量は確実に目減りして行き、最終日にはそのかけらさえ盛られていなかった。
最後までそれを入れたのは、不思議な事に最年長の私だけだった。
 将軍様に於かれては、ベーコンやハム、ソーセージと言うものは皆無になったが、ワッフルだけは何故かあった。
但し、誰もが胃もたれしていたのは共通事項であった。
そこには、多少の年齢差は関係ないらしい。

 

チェックイン時に無料クーポン券なるものが何枚か添付されているものの、 所詮釣り以外に楽しむ事をあまりしらない日本の小さな釣師であるからそれらを使う事もない。
ほとほとこれらを含んだ全てと、公共場には、多少困惑してみても、それを受け入れる自分がそこにある。
同じ日本人であってもその現地感覚は、日本に在住する日本人とは異なる気が多分にする。
 環境とその文化の狭間に生きる日本人。
それを受け入れなければあの島には行かない方が良いのかもしれない。
 我々と同じ感覚は、当然通じる事もなく、同じ顔つきで恐らく同じ民族であったりはすれど、
それはもう他文化人と言ってももはや良いのかもしれない。

果たして今現代の日本人の多くの感覚が、正しいのかさえも今となっては何の根拠も必然もあり得ないのかもしれないが・・・。

時代と共に我々の文化も変化して行く。
 お隣の国のような儒教文化も今の日本では、ほとほと少なくなったらしい。
(だがそれも、その国が抱えている事情で少しずつ変化はしているらしいが・・・)


 それでも日本に来た多くの外国人観光客の多くは、この国は安全で親切であると言う事らしいのでその面目はとりあえず保っているらしい。
ここら辺の評価がいまだに高いのは、若干安堵もしたりするのである。
どうか、今後の未来もそうあって欲しいと思うのは、私だけではないと思いたい。

ここまで来てそんな事を考えるとは、どうやらストレスは、なかなか抜けないらしい。

まったく困ったものである。


ホテルの敷地にある庭でリスを撮影してみる。

 

-闇夜の怪物-
でもはやり怪魚ハンターとは呼べない ものなのかな

恐るべき怪物のように思える表現は、現代には安易に多く使われる。
しかしそれは、本当の怪物では無く、
自然に存在する希少性がある特異な生物と言う言葉のほうが正しい表現なのかもしれない。

 子供から大人まで可能と思わしきローカルな遊び(釣り)の一つに、擬似餌釣りなどと言うものを多少たしなんでみる。


 昨今世知辛いと一言で表現するには、複雑に絡まり合って、あまりにも人間の個人主義の蔓延とそれにまとわり附く偏利寄生の様な怪物がおんぶにだっこしてる感がある。
多様化多様文化などと言う言葉のオプションまでくっついた反秩序道徳倫理がそれを覆う。
 それならそうと、極力その勢力や力が及びにくいと思われる、釣り場と釣りを選んでみるがそれも少しづつ難しくなってきた。


それほどまでに、釣り場もそれに纏わる釣り業界なるものもネタが無いという事であろうか。
 マイナスに(負の遺産)が加算されていると言う事なのであろうか。
 
 釣りに纏わる産業界は、ネタ無さを無理やり有にする事にして、それが起爆剤になったりするが、それも長年持たないのが今の特徴である。
インスタントフィッシングが主流なので、安、近、短はもはや常識となってしまった感も否めない。
それに更に加えて、即結果に結び附く事も要求されるようになったのではなかろうか・・とも考える。
 

それとも、我が国が抱える人口の減少化をひたすら待ち続けるのが得策なのだろうか・・・・。

 それは(その釣りは)、ポコポコとポップ音を立てる不思議な疑似餌。
プラスチック製の小さなトノサマガエル大の大きさ。
LUREなるものを使う。
所謂、古い言葉で言うところの、西洋文化の疑似餌釣り。
その疑似餌が、 自分の方にゆっくりと向って来ては、またその水面に飛ばされて空しく落ちて行く。
そのような釣り。

少しばかり雲と風のある月夜。
 月明りがぼんやりと地面を照らしかたと思うとまた、流れる雲が被さって辺りを暗くする。
風に乗ってその雲がゆっくりと月を隠すと周りのトーンは更に闇に近くなり、また辺りを少しづつ明るくして行く。
辺りには、私以外に誰もいない夜。


聞こえるのは吹き抜ける風と、それに靡く小枝の音。


川の流れる音。


落ち込みが水を打つ音。


少しばかり蛙が鳴いているが、それも川の流れと一緒に聞こえてくるのは、何時もの事なのかもしれない。
 足元の草むらをブーツ越しに踏むとその前には、7cm〜8cmくらいのダルマガエルが鎮座していた。
話によると、今では彼らも絶滅危惧種らしい。
 昭和の40年代は、田んぼにわんさかいたのだが。
そんな、蛙の風情の夜の事。


 またそのプラスチックの疑似餌塊は、またポコポコと音を立てて自分の方に向かってくる。
それを何度も何度も少しずつパターンは換えてみるものの、基本は投げては引きの繰り返し。
 時折竿先でイレギュラーに動かしてみたり、水の流れや変化に合わせてその巻き取りスピートを変えてみたりと余暇の入り口で右往左往する気分。
 "人生もそんな感じなのかな。"
何も悟っていないのに、そのような悟った気分を自分自身で審判してしまう自分。


 何の変化もないまま、ルアーなるものは手前に寄って来てまた、それをその先にある流れの奥にくれてやる。

奥。
その奥の奥。
そのまた奥。


きっとさらにその奥には、幸せと言う何かがあるのかもしれないのに。


楽園があるかもしれないのに。


あなたは、また諦めてしまうのですね。

 その自然空間の間に聞こえる機械音と言えば、“カチィッ”と言うリールのクラッチを切る僅かな音と、竿が風を切る音の後を追って唸りをあげるリールスプールの逆転音。
リールのハンドルを回すとクラッチが跳ね上がる音。
ああ、自然の音と小さな機械の音。
なんて夜なのであろうか。


 本日のここは、少しばかり寂しい感じもするが、いや寂しいのであるが、それが独りの静寂となるとそれはそれで良いのかも知れない。
何も特段楽しむ事などなく、今晩も終わりそうであるがそれでもまた投げてみる。
シューンと言う音と共にまたルアーが着水する。

 その投げられている、大陸製のプラスチック疑似餌は、1920年代の米国でその形が既に形成されていたらしく、そのような時代にこのような遊び道具を作った米国人には少しばかり羨ましい気もしてみる。
勿論生まれてもいないのですが。
その頃は私の祖母がまだ生まれたばかりの頃。
我が国には、そのような遊びがあまり無かったであろう時代である。
 その後半世紀以上もマイナーチェンジを繰り返してきて2014年までの今では、遂に生産国まで変わって当たり前になってしまったが、それでも世界中にその愛用者がいると言う事はもの凄い事のように思える。
一遊び道具の疑似餌としては、驚異的なロングセラーである事は間違いないらしい。
多少どころか手抜きだらけのその大陸疑似餌は、それでもその究極的なフォルムと動きに魅了されてしまうのである。


 それはもう大分過去の中学生の頃になるが、思わずそれを生産している米国本社に手紙を書いてカタログを送ってもらった事がある。
その手紙は、汚い筆記体で書いた英文で出してみた。
何処にも暖かい気持ちの人は居るらしく、 暫くしてから、エアメールでカタログが届いた。
1982年の事だったかと記憶している。
もの凄くそれが嬉しかった。
まだまだネット環境などとはほど遠い何十年も前の話。
その頃は、その製品がまだUSA製であった。

 様々な雑念の心中とは裏腹に、そいつはテキパキと音を出しながら迫ってくる。
"今回も何もないのかな?"
と思いつつも、竿先をトントン、ツンツンと動かしてみる。
ルアーが僅か1秒かそれ以下なのか一瞬止まって見えたり動いたり。

その時、水面を大きく割って水飛沫があがる。

そして・・・・。

バフン!!と言う異音!
と同時に水飛沫が舞う。
シブキが正に小さな光の粒みたいにはじけ飛んで行くようだ。

疑似餌が弾き飛ばされて、また横たわってそこに浮かんでいる。

"ああ!!"

"でた!!"

闇夜のプレデターとはあいつの事ではないかな・・・。

怪物風ではあるが、怪物ではないなぁ。


 あくせくとした都会の風がとても近く感じるが、闇夜のハンターが野生をあげる。
空気音と水のはじける咆哮が、己の闇の鬱陶しいこころと共に咆哮を上げる。
怒りにも似た咆哮。
風の匂いと血の匂いがする。

上げろ。
挙げろ。
雄叫びを!
咆哮を!
それも一瞬。
何度も何度も吠え続けろ。

咆哮と咆哮の狭間。
闇の中の光。
それも一瞬。
それは蛍の光の様に儚いのか。

幻想なのか。
幻覚なのか。

単なる夢なのか。

その後、同じ場所に何度も打ちこんで、送りこんではみる。
がしかし、 竿は曲がる事は無かった。
一瞬の出来事に、眠る獅子の咆哮が上がる。
目覚めるのか、そうでないのか。

そしてまた、静寂。
その闇に舞うホタルを見つける。
そのホタルが、疑似餌に付いているケミホタル(人工発光体の商品名)に寄り添ってこようとする。
それを暫く観てみる。
仲間と勘違いなのか?とも思える動きをする。
 へぇ〜これは面白い。
最初にそれに気が付いたのは、うちの末っ子であった。
まさかと思って観ていたがそれは、本当だった(本当のように見える)。
 自然の発光体と人工の発光体が何故だが、上手くリズムを取ろうとしているのには少しばかり心が緩くなった。
竿先からぶら下がった疑似餌についているケミホタルを左右に動かしてみるが一匹のホタルがそれに連動して附いてくる。
いと面白きかな。

そのような2013年の夏を独りあるいは、末っ子と二人で時々遊んでみた。
たまに60cmをはるかに超えるサイズのやつは、堂々とした風格を備えていた。
 浪人鯵症候群の刺激がシナプスを伝わりそして直ぐに終息する。

一刀両断の勢い。

 そしてまた、現実な夏の夜。
蒸し暑く、辛く、余裕と言う言葉すら失う夏であった。
怪魚の夏は過ぎ去り、闇夜の小さな怪物釣り。
わずか60cm程度の小さな魚類にもその息遣いは、心が痺れるような生を時々ではあるが見せてはくれた。
振り回されて候。

"釣りとはなんなのでしょうね。"


ひとりごと。

その独りごとの後ろで、子供がLEDライトの光を当てて何やら観察している。
 水中のエビ、稚魚達。
それらを彼が観察し始めたら本日は、終了となるサイン。

夏の遊びも、夏休みも終わりだな。
小学生最後の夏休みとなった末っ子も何匹が釣ると終盤には、すっかり飽きてしまった。

 そんな、とある終盤戦の日の出来事。
バスを狙いたいとの彼のリクエストでそこに行ってみるが、ワームに小さなコバスが反応するのみで日が暮れてしまった。
それならばと、末っ子は、いつものバスタックル5'6''fに6Lbラインそして、リーダーも取ることなく、いつものあのポコポコルアーを付けてみた。
  ちょっと細めのナイロンだけれども獲れるだろう。
そのロッドは、故人で同郷の先輩から頂いたグラスの2pcsブランク。
 彼が少学2年生の頃から使っているもの。
しかしそのブランクは、30年以上も前のものであるらしい。
私がK先生から頂いたものだった。

数投目、白波の間に僅かに飛沫らしきもの。
 "魚だ!"
その道具に掛かった奴は少し大きめらしかった。
 その竿が元から曲がっていて、糸が吐き出されて行く。

こいつは、どうも 歯が立たないみたいだ。

彼が、もたもたするうちに根に入られてしまった。
珍しいな。
それならと息子から竿を取ると、強引に引っ張った後少し緩めてみた。

奴は、動きだした。

時々首を振って抵抗している様子。
首を振る度毎に、竿元がおじぎしては、リールからチッチ、と音が出る。
「おお、寄ってきた。」
そのラインの限界と思わしきテンションで何度かショートポンプで間合いを詰めてやると。
「ああ僕に貸してよ!」と子供からのクレーム。
息子に渡してやった。
彼が掛けた魚なので当然と言えば当然なのだが。
「もっとゆっくりと竿を起こして、ショートポンプで寄せて。」
「そうそう、今度は寝かせて寄せろ。」
 リールスプールが逆転して糸が出て行った。
おおドラグも出てるな。
 それでも魚は少しづつ寄って来た。
「おおっ。これは60を超えてるな。」
細いライン故、強引にずりあげるとラインが切れそうなので、それならとランディングを買って出る。
軽く60cmは超えていた62〜65cmと言ったところ。
 直結なので無理は効かなく、ルアーを何度か掴んで魚の胴を掴もうとした時、クネクネと振り払おうとする。
そして、 あっさりと切れてしまった。
奴が首を振った時にグローブに針がひっかかり魚は外れてラインも外れたが、糸の切れたルアーがグローブに引っかかっていた。
「・・・・・。」
ランディング失敗。
お恥ずかしい。
なんともお恥ずかしい夜であった。

「さあ、帰ろうか。」

「うん。」
それだけであった。

その後、秋までに目標の70cmには少し届かなかったがな。

なかなか目標を掲げると案外それに向かっては進んで見るが結果は即出るとは限らないのである。
そのような、小さな遊びの目標でさえ、到達する事は容易では無いのに、人生の目標となると正に掴みどころの無い雲の上にあるのかも知れないと思っても見た。
秋が終わろうとしていた。
半袖、の時期もとっくに終わろうとしていた。

そのような怪魚ハンターもどきな親子の夜が過ぎ去って行った。

地方の河川には、まだまだ70cmを超えるものが釣れるらしいと後で聞いたがここでは少し難しい感じがしたのであった。

-都会の中のあんみつ-
良くある言葉に“都会のオアシス”と言う事がある。
それは、人によって様々であるがこのあんみつはオアシスにあたるのではないか?

 早春の頃我々は、首都で会合を持ち、夏の終わり頃また東京で、NINJA君と遠征のスケジュール等の中間報告を聞いた。
釣りの本質の内容は変わらない。
変わるのは、人の事情だけ。
 いろいろと検討後、その結果皆さんの都合もあって今年は、12月と決めた。
最終決定である。
またあの、灼熱の洗礼が待っているのだな。(勿論、あいつが針に掛かったらの話ですがね)
それも良い事なのか、そうでないのかさえも吟味する事も無しにどんどんレールは先に敷かれるのであった。
(まあ、その吟味する必要もないのですが)
それは、大陸横断を目指して先人が成してきたかのように。
 そのレールが敷かれてからは、急に特急列車のように時が過ぎていった。
青春18きっぷで行く旅はもう私にはないのであろう。
半年と言うのは、短い人生の更に短い一瞬なのだろう。

 結局二人の頭に残ったのは、打ち合わせ内容ではなく、その時初めて御馳走になった某有名店のあんみつの完成度の高さだった。
これには恐れ入った。
感服しました、とはこの事なのでしょうか。
 NINJA君も、相当びっくりしていた。
この小さな器の中の端にある薄っぺらい寒天かゼリーのかけらさえ一切の妥協はないと言わんばかりに伝わった筈であった。
 NINJAと今だその日の話をするが、遠征云々と言う話ではなく、あのあんみつの完璧さだけが脳裏に焼き付いているのであった。
一体このおっさんと若いおじさん両名の重要さのウエイトは、仕事や浪人鯵云々よりも“あんみつ”なのだろうか。
いい歳した、親父2人とご品格のある紳士の三人揃って仲良くあんみつ。
 親父達には、30sでも40sでも50sレコードの話ではなく、このあんみつ。
一体浪人鯵のあの牙の話はどこへ行ったのだろうか。

 それは、秋から冬への訪れをこの東京で感じた時であった。
植樹の葉が枯れて落ちて来た。
それはアスファルトやコンクリの上に落ちて行き場を失い、風に乗せられてカサカサと音がした気がしたが、それも車の通行する音や雑踏でかき消されて行った。

夢や理想も同じ様にかき消されて行く気がした。
その前の希望さえも消されて行く気がした。

秋は、そのような時期でもある。

NINJA君と二人で歩くと寒さがそろそろ身に感じ始めた。
それには、秋の終わりなのに真冬の格好で現れたNINJA君にも問題があるのかもしれない。

-やはりあなたは、出かけるのですね。-
ああ出かけます。
それが宿命ならば。

 先輩も友人も増えると同時に減って行く。
その比率が減る方に傾くとそれは、それだけ自分が歳をとったと言う事なのであろうか。
 多くの先輩は、この世を去り出し始め、同期はあらゆる諸事情によってその志を犠牲にして行く。
後輩と呼べる人の数は、増殖度が極端に遅かったりする。
 釣り業界有名人?と言われる方々ともなるとこれまた歴史上全く意味を成さないかの如く、消えて行く。
とても寂しい限りではあるが、それが現実である。

 12月も中頃ともなると、乾燥した肌寒い毎日がやって来た。
霜が降りるには、少し早い様子であったが、それでもこの寒さは十分冬に思えた。
冬将軍には、まだ早いと思う季節だが、岐阜の将軍様は、それでも更に熱かった。
でも飲める程度の熱さなのかな。
この雪日の中を前日夜に車で出て来たらしい。
 若者は元気があるな。
それとも将軍様に意気込みがあるのかな。

 今年の夏は、毎日猛暑日が続いてバテバテかと思ったが、それも半年近くが過ぎるとすっかり冬支度。
炬燵もひっぱりだして、ヒーターも全開、全速起動。
そんな我が家であるが、隙間風はやはり冷たいのである。
 そんな冬は心も冷たくなりそうになる。
暖かい言葉は、何処かへ行った様に。
 毎年オートマチック風に新調される100円均一手袋。
そして、必ず春先には売り切れになる。
同じ大陸製でもその40倍はする釣り用手袋も同じく新調される。

 15日早朝、ロッドケースとスーツケース。
相も変らぬパズルのようなロッドの組み方でケースに入るか入らないかは、可か不可かと言う2つの選択と同じ。
とても重い500g級メタルジグ入りのディバック。
我ながらげっそり感と小さなため息。

「ふぅー。」

 思いっきり冷え切ったマイカーのエンジンを始動させてみる。
乾いたセルの音の後、いつものようにエンジンが起動する。
車のガラスと言うガラスに出来かけた霜を、擦り取りながらをしているとエンジンが少しづつ落ち着いてくる。
一人分とは言えども、相変わらずの大荷物である。
衣類は最小限だが釣具は満載。

"さあ、でかけましょうかね"
そう申した時には、車のタコメーターも少しづつ下がって行った。
 水温計の青ランプが消えた。成田に向かう年の背迫る2013年の冬の事である。


 私おっさんは、それを淡々とこなしているようにしか思えない。
バスセンターの朝は芯まで冷えて心も少しばかり寒かった。
成田行きバスには、一番乗りであった。
眼の前がコンビニなのに、一番近い自販機で珈琲を買う。
そのブラック缶をポケットに入れると、少しばかり暖かくなった気もした。
この温度は、握れるギリギリに設定しているのだな。
逆に生温いととても損をした気分になるのは、期待度が高いからであろう。

 寒いのも暑いのもとても苦手な家内だが、無理にかもしれないけれど、寒いところを待っていてくれた。
暫し別れの挨拶をしてくれたのでバスの中から手を軽く上げた。
 初めてこのバスに乗るが随分と成田も近くなった気がした。

早々に成田に着くとやはり一番乗り。
そして暇が直ぐに訪れ、NINJA君の出迎を一応探してみたりしてみるが当然それは無い。
 そして荷物は重い。
ここが多くの一般観光とは少しばかり違うところである。
1990年代の成田は、荷物満載の観光客を多く見たがそれも今では殆ど見えなくなった。
荷物の規制のお陰なのだろう。


 軽快さやフットワークが全く違うボリュームと彼らは、いかにも楽しそうに見えた。
そりゃ、遊びにいくのだから楽しみなのは当然か。
 この寒い中、荷物移動は汗が出る。
そして、ひたすら暇。
苦手な空港。
成田はまだましな方とは思うのだが、空港使用料を支払う我々としてはもう少しなんとかならんかと思う。
暫し、待機するが何も面白い事は無かった。
時間が過ぎるのをひたすら待ち続ける。
最低2時間前と言われるが余裕をみると3時間は必要であるのでそれも仕方の無い事として諦める。

 メンバーが揃ってからが、長いのか短いのか時間の流れはもうどうでも良くもなる気持ちを抑えてのそこは、やはり日本人。
マイペースな将軍様と若いながら昭和の心をお持ちな専務。
集合。
 成田の慌ただしいM朝食。
何気ないMの珈琲だが私が学生の頃は、ものすごく強烈に不味かったと記憶するのだが、何度かの改良の為か今は普通に飲める。
あの頃と比べると比較にならないほど味も風味も良くはなっている。
 しかし、昨年のライバル出現によってその100円珈琲がある場合は、明らかにそちらに流れる私と専務であった。
これはもう社会現象に近いと思った。
その後の勢いは全く衰える気配がない。
ライバル会社は、驚愕したのではなかろうか。
 そんな事はどうでも良い将軍様。
まったくもって興味無と言うところ。
おつきあいありがとうございます。

 近年は、すっかり格安航空会社便とか言うのが増えたとかで、ガルーダ航空も多分に漏れず苦戦の様子。
それでも逆にエグゼクティブクラスは、人気があるように思えた。
乗っているお客も、数年前のゴム草履にタンクトップ姿の貧乏風サーファーの姿はめっきり見えず、不倫旅行風と思わしき人もぱっと観では見当たらなかった。
 当然怪しい男の一人旅も減ったように思えた。
庶民でも少し頑張ればそこ(エグゼクティブ)に座れそうだがそこは、庶民なりにエコノミーとしたものの疲れますねやっぱり。
 勝負前から乳酸値は高めの私と、お構い無い将軍様と気質な専務。
ペースは変わらない。
なんだか、水戸黄門風に若干なりつつもある。

 そのようなどうでも良きに等しいうだうだ感の後、無事飛行機には乗れた。
それは、成田発のガルーダ便なのであるが、機内据え付けモニターの何処のチャンネルも日本語の字幕がない。
見つけられない。
英語はともかく、スペイン語と中国語があるのだが、日本語は無い。
映画の字幕は中国語にしてみるが 結構不思議。
それでパシフィックリムの"怪獣=Kaijyu"という発音だけが異常に耳に残る。
なんだこりゃ。

 そのような長い飛行機の機内で座る事およそ7時間。
楽しみの時間と言うのは全く見当たらない。
 食事も機内食に期待する方が間違ってはいる。

 やっとそこから解放されると言う期待感が少し増して来た着陸後、窓の外は曇り時々雨。
蒸し暑い。
過去の経験から、着陸前には必ず上着を全て締まってシャツ2枚にするのだが。
当たり前なのだが、それをやっぱり口にするのであった。
そして、いつもの空港の情景を思い浮かべながら通路を歩いて行く。
 到着予定を1時間が過ぎたところだった。

 
 ほぼ2年ぶりのテンサパール空港は、予想に反して大きく様変わりしていた。
出口に必ずたむろっていたインチキポーターの姿は、全く見えなくなり、更にずらりと並んだ銀行の換金所もその客引き合戦も無くなった。
一体これはどうしたことか。
事前情報は無かったのでその変わりように少しながら戸惑った。
それも直ぐに落ち着いたのだが。
変われば変わるものである。

 ところがである。
 変わったのはそれだけでは無かった。
段取りでは、出口に御一行様の看板が青のNINJAロゴ入りで提示して待っていると再三の打ち合わせ並びに確認されていたのであるが、何処にもそれが見当たらない。
きょろきょろと出口の看板を掲げた人々を探すが、青は何処にもないのだ。

“おかしいなぁ、何処にもいないのではないか”
そこに やっと私の名前のみが白抜きの文字で掲げてあったのが目に入った。
白字に白字抜きの文字では、益々解らないし判らない。
その人を見ると数年前とは違う長髪のウリアダさんだった。
やっと彼を見つけると、確信した。

「どこを見てたの?まってたよ。」
「・・・・・。」

「いや看板が違うじゃない???」

「私は判らない、会社がこれを渡した。」

「・・・・・・・。」
いやはやスタート早々にやってくれた現地のツアー会社。
とてもとてもいい加減である。
 オーナーが日本人にも関わらずそこは、やはりかなり適当であった。
多少腹も立ってきたが、それくらいでいちいちそう思っていても何のプラスにもならないので瞬時に諌める事にした。
 諌めて、それを丸めて飲み込む芸当は多少なりとも身に付けた秘術?・・だ。
こちらはそうは思ってみても、現地(バリ)の日本人感覚からすれば極当たり前の事なのかもしれない。
 その場凌ぎの"申し訳ない"と言う言葉にも大変重みがないほど連発に連呼して使われる。
それは、そう言えば全てなんとかなる風に条件反射的に出る言葉にも感じるが、受け入れないと次には進む事が困難になるならばそれは、皆受け入れるのが得策のようである。
 話には、それが受け入れないでずっと引きずる観光客も多々あると聞くが、自分たちが面白くなくなるだけで、決して良い解決には向かわないののが通常かもしれない。
普通の日本人が持つ感覚は、できれば捨てたいところなのだが、生まれ育った環境から形成されてくる考えや決まりはそう簡単には消える事がない。
消せないならば、受け入れる。
その器さえ大きくすれば良いのだ。

 ウリアダさんの話によれば、どうやら高速道路も開通したらしい。
この国のこの島も勢い付いている様子だった。
到着したのは、夕方と言うより既に夜に近づいていた。
 早々に車に乗り込むと、ショートコースではあるが、その出来たばかりと言う高速を使ってくれた。
それは一部海の上を跨いでいた。
気になる料金所は、もしかしたらと思ったがそこは、アナログの手渡しであった。
この交通料なら適正と思った。
 そこからクタのホテルまではそう混む事もなく、30〜40分くらいで到着した。

これは快適だな。
少しあの渋滞が名物化していた2年前だったが、それが少し改善されただけでも良しとしよう。
何せ時間に限りがある以上時間は、有効に使いたいからである。
若干交通事情が改善したと聞いていたがその通りと思えた。
これは、観光客にとってはかなりプラスになる。

いきなりのペナルティではあったが、この先の事も考えてチップをとも思ったが、それは無にして次の送迎の時とした。
そこが旅慣れた人間の行うべき手順と理解したからだ。
僅かな期間であっても最初は最後の為にあると思うが、今回はその逆から出発である。

 ホテルボウイの対応レベルは、かなり高かった。
多くの荷物は、自分で運ぶ癖がついていた我々だが、ボウイが待っていてくれたのでお願いした。
 部屋は、過去の2回のバリ遠征の中では、とても良い部屋であった。
前回をもう一ランク上にした感じに思えた。
  エアコンは途中で切れる事もないし、蛇口からお湯も出る。
スーペリアルームと書いてあった。
 ポットは日本の最近のホテルにもある瞬間式ポットであった。
珈琲だけは、いつもの世界中にあるインスタントであったのが残念であるが、それも仕方のない事だ。


 以前師匠とホノルルに行った時の事を思い出したが、ホテルの部屋にはライオン珈琲のバッグタイプのもの置いてであった。
それとマカでミアナッツのコンビネーションは黄金律の様にも感じたくらいその場では旨かった。
 その姿に師匠は、呆れるばかりだった。
「あんたよくそんなにナッツ食べれるねぇ。」
それも今思えば、その場の雰囲気というトッピングがとても効いていたからであろうか。
 この苦いインスタント珈琲ブラックとチョコバーが直ぐに連想してしまうのであった。

 食事は早々にホテルの前でした後、ホテル前の個人経営風のコンビニで水と駄菓子を買って行った。
毎度NINJA者に、チョコバーマニアと呼ばれていたのであるが、今回は彼は居ないのでまあ、適当に買ってみようと思い何気なく専務のほうを伺うと、 これまた専務が私の上を行く駄菓子マニアではないか。
 類は類を呼んでいたが、それとは対照に将軍様は、水しか買わなかった。
将軍様は、もしかしてお嫌いなのでしょうか。
後ほどそれは、否定される結果となった。
 朝食のワッフルの上に大量にかかったチョコレートクリームを観て直ぐにそれは解った。

「将軍様、それはもしかして・・・。」
「はい、実はものすごく好きでして・・・。」
「それって、日頃チョコとか買って1つ、2つと食べるうち、まあいいやって全部食べるタイプね。」
「あれ、なんで解ったんですか?」
「そりゃ、解るでしょう」
人間の欲は、そう変わるものではないし・・・。
ブラックサンダー4個いける口ね。

-うたかたの歌-


ねっからの野生種、けがれ無き血統。
浪人鯵と言う銘の孤高い侍のプライド。
その牙(刀)に偽りはなし。

 早々に部屋に帰ると、バタバタと荷ほどきしてから明日のタックルをと準備にかかる。
この荷ほどきも結構面倒くさい仕事であるが、それも順を踏んで行わないと次は無い事を良く知っているところである。
 既に日本でリーダーまで結んで来たかいもあってか、お陰様でもっぱら作業は、その先の大型疑似餌やライブベイトフックの取りつけ作業がメインである。
それでも眠くなってきたので少しベッドに転がったら、知らないうちに寝ていた様で、またふと目が覚めた。
どうやら1時間が過ぎていたらしい。

“あれっ・・ヤバい”
時計を見ると既に夜中になっていたので、慌てて残りをこなし1時間程で完了。
そして掛け布団を掛けてから思い出して、効き過ぎないようにエアコンを緩めてから就寝した。
効き過ぎたエアコンに薄いかけ布団は地獄である。

 ああその海には、彼らが流れに付いて定位している。
そう浸食して大きな岩になった入り組んだそこ。
一番良い位置には、大型の浪人者。
あたりには小物の浪人者もその両脇に定位している。
 流れはとても強いが、その筋肉で定位を保ったり、大きく旋回してまた戻ってくる。
長年鍛え抜かれたその筋肉が背中をぐっと張り出して紡錘形気味のヒラアジ=俺。

少し遠目にあいつがいる。
己よりも3周りも4周りも大型の奴。
 どうもあいつだけは、好きに馴れない。
柔らかい骨の癖して、あのぎらついた眼とざらざらとしたそのおろしがねのようなその皮膚。
俺と全く違うあの背鰭。
条がまったくないあの怪しい鰭。
その邪悪な大きな顎。
何列にも生えた強靭で凶悪な、あのノコギリのような大きな歯。
侮るなかれ、あっさり丸のみにされる。
しかもあの歯を散々突き立ててから。
まあ、今の己の方が脚に部がある。
決して奴が追いつける事は無いのだ。
スピードで大きく上回る俺の敵ではない。
 浮き袋も無い癖にいばりくさりやがって。
全く持って気に入らない奴。

 そこに、餌とおぼしき魚がふらついている。
しかも超ハイリスクなあのギラギラの鏡のような水面。

「何だぁ・・・あの上かぁ〜。」
「どうするか、行くか?いかまいか。」
「ううん。」

どうもあの水面は、苦手である。
それは何年も前の事、俺がまだ子供の頃であった。
水面のパタパタする小魚を襲うか襲うまいかと悩みながらも一気に出た時であった。
その上から更に襲ってくる。
空からの大きな奴が襲ってきた。
"あああ怖かった"
恐怖した。
“なんだあの化け物は!!”
隣のおじさんの話では、あれが鳥と言うらしい。
その幼き昔の事をすっかり大きなくなった今でも思い出した。
暫く様子を観る。
水面には直射日光があまりにもまぶしく、そのシルエットが不規則に動いている。
どんどん己の方に近づいてくる。

 どうなのか。
やはり、攻撃対象なのか。
 
行け!
躊躇するな!
そこだ、襲え!
己の野生の力を最大限に引き出せ。
渾身の己の牙をそのめいいっぱいに開いたその強靭な顎で仕留めよ!
瞬時の間合いを計る。
それは、機械で計測したかの如く 完ぺきで、射程距離に入ったその瞬間。
今だ、一気に間合いを全速力で詰めて一刀両断に牙を立てる。

仕留めた!

一撃必殺。
駄目押しの2打目。
もう一度その牙で噛み砕く。
 ぐしゃりと骨の折れる音が顎から伝わって脳に到達した。
餌となる魚が一気に牙を立てられて瀕死となる。
 鮮血は、野生の雄叫び。
致命傷の後、それを頭から飲みこんでゆく・・・・
つもりだった。
いや、つもりでなければならなかったはずだ。

 そして、うるさく電話が鳴った。
所謂モーニングコールで目が覚めた。
ご丁寧に、それは、肉声で一回完璧なおはようございます。
勿論英語。
その後、 レコーディングの声で1回。
計2回の電話が終わるときっかり朝4時であった。
 もたもたとまた、インスタントコーヒーをカップに淹れる。
なんだか寝た気がしないが。
 珈琲の力も借りて早々に目が覚めた。
話によれば、起きて直ぐの珈琲はあまり良くないらしい。
 習慣性とは怖いもので、そう言われてもそうしてしまう。
それからバタバタと動いて初日は、朝食も取らずで早朝の出発となった。
 隣室の将軍様と専務に声を掛けて早々に出発した。

久々の碧い海の初日である。


 年々ライブベイトが手に入りにくくなったと言う事で、そのような事もあり、管理釣り場にベイト(餌)のサバヒーを釣りに行った。
釣り堀は、名前をワオン・アカメと言う。
アカメとバラマンディが別種と言う事は置いといて、売りはバラマンディ釣りらしい。
別途の水槽には、セイゴみたいなバラが泳いでいた。
 後日聞いた話では、そのバラも結局は食べる為のバラらしい。
要は、釣り堀で釣ってそれを食べるのがコンセプトの様である。
ここら辺の感覚は、我が国とそう大差はない事もないのでそれなりに理解はできた。
 
 まったくもってやる気の全く感じさせないスタッフに、いやいやジャンク貸し竿を渡され、昭和の釣り堀を思い出すような、ペレット(練り餌)を一掴みづつ渡される。
(確か筆者が昭和の50年代に初めて釣り堀というところに行ったのを思い出した。魚は全く持って釣れなかったのであるが。)
 所謂モイストペレットと言う奴らしい。

針は少し大きめのチヌバリ風である。
エッジ(針先)だけからは最近は判断できないが、針は日本製っぽかった。

ロッドは、良く判らない6fくらいジャンク品で、リールは、それこそ良く解らないものが取りあえず付いていた。
日本で言う1980円無名セット品みたいなものである。(いやそれ以下かもしれないが)
勿論メンテなどされている訳でも無さそうで、私にあてがわれたのはリールのハンドルさえ回らなかった。
流石にリールが壊れているから換えてくれと言うと、5分くらいしてしぶしぶ換えてくれた。
朝から気合も削がれそうになる自分を耐えたのであった。
早朝もあってか彼らのテンションは、最低であったがそれも無理はないのかもしれない。
“ふーぅ”と言う大きなため息さえ忘れそうな感じであった。

 そんなテンションとは別にサバヒーと言う魚、なかなかファイターである。
しかも、養殖育ちなのにも関わらず。
40cmを超えるとジャンプを繰り返す小さなターポンみたいな感じ風のファイトを見せるのであった。
魚は常に入れ替わるのか、傷んだ様子もない。
それもその筈で、釣った魚は全て買い取って隣接するレストランでそのまま料理されるらしい。
 話によると、隣にVIP池があって、1m、5sクラスのサバヒー釣りが堪能できるらしい。
勿論VIP価格と言う事らしいが。
 でもそんなVIPには成りたくないと正直思った。

 暫し1時間程、折角なので皆さんで楽しく釣る事にしたがテンションは全く上がらず仕舞であった。
それでも表向きは、楽しい風にと取り繕ってみた。
適当にバケツにサバヒーを入れて、バッタもんブクブク(簡易電池式のエアポンプ)を備えて移動した。
  早速10分程度移動すると、おなじみのボートがそこにあった。
遠目には数年前と全く変わらない、同じ感じであるように見えた。

 変わった事と言えば、以前使っていたマリーナ風の事務所兼休憩所風&高級にしたい風のそのマリーナは全く使えなくなり、いきなりその裏手にある糞だらけのビーチに適当に降ろされた。
そこに初老夫婦が営むカフェがひっそりと建っていた。
バラックに毛が生えた感じでカフェと言ってはみたものの、古い駄菓子屋風茶屋と言った方が正しい表現なのかもしれない。
 廃材で組み立てられた風のテーブルには、おなじみの蝿達がいったり来たりした。
もちろんそのテーブルは全く拭かれた様子も無い。
椅子は長い板で組んだだけのもの。
それも寄せ集めな感じ。
隣で焼きそばを焼いていたが、これまた木のまな板風に適当にキャベツを切ると、淡々と野菜を切り
適当に炒めていた。
そこで水を飲んだ。
勿論、ミネラルウォーターである。
これが最大のもてなしであったが、それを素直に受け入れた。
先回来た時とは大きく異なったが、それも様々な事情故の事。
我々の選択としては、ただそれらを受け入れる。
それだけだ。
 ここでは、汚いも臭いも受け入れなければこの先は我々に無いのである。

 遠目にみるボートは、まさしく過去と同じであったが、強いて言えば経年劣化の兆しは否定できない。
早々にライベル(活かし水槽)に魚を移して出港した。
キャプテンは、過去からおなじみバチョであったが、スタッフは代わっていた。
過去2回は、いつもスタッフが二人付いていてくれたが、今回からいろいろあったらしく、Capt,バチョともう一人の計2人であったがそれに反対意見はない。
 ただただ受け入れてメニューをこなすだけである。
そう言うと、ものすごく酷いところで汚いところで、味もそっけもない南アジアの島のように聞こえるが、馴れればまんざらでもない。
全てを受け入れる事さえ出来れば楽園に近いところ?なのかも知れないとも思った。
また、綺麗に心地よく過ごす事も贅沢をすることも可能なマジックな島なのである。
敢えて観光ガイドに書かないようなグレーゾーンの一部を事を取り上げてみただけ。
そう思えばなんの事はない。
 喰わば皿まで。
上等ではないか。
観光ガイドや観光サイトに自ずからその暗さや、闇を書くことはあり得ない事。
 ただそれが現実の全てではなく、一部である事に直ぐに気が付く事であろう。


出発すると暫くして、神に祈る事から始まる。
 海の神様に安全祈願と大漁祈願である。
ここは、ある程度世界共通なのかもしれない。
誰も明日を信じたいからだと思う。
明日のない出港は誰もが、避けて通りたいと願うのだ。
 この島では無神論者でさえ頭を下げずには居られない不思議な力があるのか。
その長き歴史の中で祈られ続けて来たのであろう。

沖に向かうとその濁水の色は、青々と碧い水に代わる。
透明度の高い水が船に切られて行く。
南国の美しい海。
たのむから、ビニール袋よ姿を現せないでおくれ。
そして、もう二度と釣れないでくれゴム草履。

 30分位走るとパトロール岩が見えてきた。
本命ポイントで特段、岩周辺から流れが切れて変化のある場所が一番の大場所なところである。
 キャプテンは、一度ボートをぐるりと大きく旋回させて潮の流れを確認する。
さて、どちらから流すか、と言ったところであろう。
潮は、河のような流れを呈していて、その流れもそれ相当である。
流す位置や、ルアーを投げる位置、掛けてから取り込みまで全てシュミレーションしないと獲れるものも取れない。
 キャプテンは、このポイントでの攻略を何度経験してるかは、その落ち着き振りを見れば理解出来る。
むしろパターン化している状態に近いと思われるが、実際はその日、その時間によって少しづつ異なるのでそれは臨機応変な対応が必要となってくる。
「さあ、投げてください。左です。」

潮上からゆっくりとボートは流れて行く。
そのスピートはあの大きな岩に近づと徐々に加速して行く。
岩への射程距離より少し離れたところからキャストを始める。
前衛は将軍様と専務の二人である。
 勢い良くルアーが放出される。
“飛ぶなあ”
素直な感想を述べてから、私はゆっくりと後衛で様子を伺った。
まだルアーは投げていない。

スプラッシュ音と飛沫が2つほど、いいリズム感覚で近づいてくる。
とても良い感覚と飛沫具合で、この強い流れにあっても負けていない。
左方向に大きく流れをクロスキャストする。
 あの流し方からすると彼らは、もう魚の居る場所を把握しているに違いない。
常日頃から彼らは、あのような釣りをしているに違いなかった。
その攻略法に間違いが無かったからである。
 “こりゃ、掛けるわな。”
魚の活性さえ良ければ、間違いなく喰いそうなポイント&コースの通過具合で更には上手く彼らはポッピングを繰り返していた。

「うふぁ!タノシイっ〜ス!」
将軍様は、そう言いながらまた大きく86(8'6''feet)の竿を加速させる。
ロッドが風を切る音は、素晴らしかった。
ルアーの着地点に於いても申し分なく飛び、そして良いポイントに入っていった。
“掛けるのも時間の問題だな。”

そう思ってからわずか数投の事だった。
 2つのうちの1つのポッパーの横を、背びれを水面から出して猛烈に横切る奴の姿があった。

キャプテンが操舵室から飛び起きた。
「出た!! 出たよ!!」

専務のロッドが弧を描いていた。
そして空かさず合わせを1回、2回と入れた。
次の瞬間、予期せぬ出来事が起きた。

「えっ??!?」
なんと、リールが衝撃で外れた。
「ええええぇ!!」
彼が必死で合わせたまでは良かったのだが、リールはシートから外れてしまった。
繋がっているところはラインとリールのみとなってしまった。
状況を理解して慌ててリールを付ける。
 しかし魚は、どうやらとうに外れていた。

「え〜マジかよ!!」
あとの祭りとはこの事なのだろうか。

 幸か不幸か魚が外れた。
勿論それは不幸なのであるが、これは不幸中の幸いと言って良いのではないか。
 もし外れていなければリールは、ストリップガイド(一番元の糸が通る大きな輪)に勢いよくぶつかり、リールも竿も思い切り使えないほど破損すると思われる。
今回は、それを真逃れたのである。
現代の強力な今の8本撚りラインは、6号と言う細さでその強度は直強度36kgある。
それであの勢いで魚が走った時は、もう大変な事になっていただろう。


「締めたつもりだったんだけど・・・・。」


結果は、オーライと言う言葉よりも、今は不幸中の幸いとしか表現のしようがない。
 専務のいきなりのファーストコンタクトは、その洗礼を浴びる事となった。
気を取り直してもうひと流しと言ったところ。
思った通り キャプテンは、
「もう一度、流します。」
とはっきりと日本語で我々に告げた。
二度と同じ失敗は繰り返さないぞと言う気合で専務は、リールシートネジを増し締めした。

 同じポジショニングでまた、同じ様にキャストを3人で繰り返す。
勿論同じように、少し遅れてから親父がキャストに入った。

 キャプテンは、先ほどとは打って変わって、サングラス越しにもやる気が少し漲っていた。
“さあ、もう一丁でるぞ。”

「でた!!」
船内騒然。

「誰?」

専務が合わせを入れる。

一回、二回と立て続けに合わせる専務。
「えっ・!?」

またまた、あっと言う間にロッドが軽くなる。
まさか、まさかのバラシ2回目。
 痛恨の極みの専務であった。
当然2回連続のバラシであれば、がっかりなのは誰でも同じ気持ちで辛いものだ。
ここが、この浪人鯵釣りに於けるフッキングの難しいところであろうか。


 ロウニンアジは、餌を見つけ攻撃に入った時には必ずその強い歯と顎で餌に致命傷を与えるらしい。(特段浪人鯵だけに特定される事でもなく、多くの魚食性魚食魚に共通うする事なのですが)
当然、ウッドであろうが合成樹脂であろうが餌と思いこんで思い切り噛みつく。
 ルアーは、その魚が立てた歯が喰い込んで、もしくはそれと同時に穴を開けてしまい、多少違いはあれど歯型がくっきりと付く。
水面での釣りとなると、そのまま(咥えたまま)急下降を始めるのだが、 針にはまだ完全に掛かっていないという状態と言う理屈らしい。
 そこでアングラーは、大きく竿を何度も竿元を使って腰で合わせを何度も入れる。
噛みついたルアーの位置をずらして(スライドさせてあるいは滑らせて)針を完全にその口蓋付近の骨奥まで入れる為である。
これを合わせと言うが、不完全であると針が奥まで刺さっていない為に魚が掛からなかったり、外れたりする。
刺さった様に思えても奥まで入っていないと針先が伸びてしまい、やはり外れてしまう。
 それを釣り用語では、バラシ、バレると言うのである。
また、疑似餌による浪人鯵釣りの場合は、3本イカリ針のカエシの部分を潰しているか、最初からカエシの無いバーブレスタイプを殆どについて使用する。
 それは、安全性と、再放流と両方兼ね備えた意味がある。
勿論、釣りなのでキャッチするのは当然と言えば当然なので極力バラシは無い方が良いに決まっているが、それは、人間に刺さってしまっては飛んでも無い事にも成りかねない。
また深くカエシまで抜けてしまった顎からその針を外すのは容易では無く、時間もかかるのでリリースがかなり遅れるばかりか致命傷も追いかねない。
当然傷口も大きくなる。

この矛盾との妥協点が今のこの釣り形態なのであろう。
  多くの未経験の釣り人は、日頃のシーバス(スズキ)程度の合わせ程度では、当然乗るわけがないのだが、ついつい反射的に日常の釣りのレベルの合わせで満足してしまう。
と言うよりも条件反射的にそう反応してしまうのである。
 激しいバイトの後、急降下と当時に竿先が曲がって来るがその時が合わせのチャンスとなる。
しかし、その間は、ほんの数秒程度である。
そこのタイミングと合わせの強さがフッキングするかしないかと言う事と大きく関わってくる。
0か1かの瞬間が正にこの瞬間場面なのである。

 またこのロウニンアジ釣り、とりわけルアーによるキャスティングの釣りは、トップウォーター(水面)の釣りが主力となる。
それは恐らく、魚が水面で釣れ易いと言う理由からではなくて、往々にしてこのルアーの釣りは、水面で捕食が派手に出る事を一つの醍醐味と捉える場合が多いからなのであろう。
勿論、その可能性の殆どない魚種や時期によっては、その水面での釣りはある一部の所謂トップマニアと呼ばれる人々以外に於いては、選択から外されてしまう釣り方である。
ロウニンアジは、常に表層だけを意識している魚ではないのだが、条件が良いと果敢にその表層ないし、水面に身を乗り出してまで捕食しようとするので、その瞬間に魅せられたアングラーは、
常にそうあって欲しいと願うのである。
 数十キログラムにも及ぶ魚体が、その顎を限界にまで開け拡げ、背中を水面から丸出しで襲いかかるその瞬間は、他に類を見ない程迫力のあるものであり、それが釣り人の視覚からくる刺激となって本能を直撃する。
それが、 脳裏に焼き付けてゆくのであった。
そのシーンがエンドレスともなると・・・。
既に水面爆発症候群になっているのかもしれない。
 以降彼らは、そういう釣りの中毒者となってしまう傾向にあるらしい。
故に、多少のヒット率を下げるリスクを背負ってでも、確立との天秤にかけても、やはりトップウォータープラグ(表層専用疑似餌)を優先して選択してしまうのである。
 あの一瞬が釣果に必ずしも繋がらないとしてもだ。
それでも、確立が高い方が良いには決まっているのだけれども。

痛恨の2回バラシを経験した専務の内心は、少しばかり見てとれたが初日の始めのポイントでそこまでいいところまで行けば後もう一歩と言うところだろうか。
 そう焦りは無いように思えたし、私も彼の様子を見ても焦る気はなかった。

「もう一回行きます。」
ここでキャプテンが、もう一度流すのは珍しい。
 再び同じ様に ボートを大きく旋回させて良い位置に持って行く。
「はい、左です。」

専務と将軍が、再度ロッドから唸りを上げてルアーをふっ飛ばしてくれた。
 彼らのポッピングアクションは力強く、とても大きなスプラッシュを上げている。
飛沫は潮の流れにも負けず良く上がり、良く音を出している。
 その後ろでおじさんがちんたらとリアルベイトを投げては、クネクネと泳がせるのであった。
再度流して見るが、爆発は無かった。

“もう一回流したいなぁ。”
と言う思いも空しく、Captは移動を告げた。

次のドーナツ型の大岩付近にボートを回すが、キャプテンの様子はあまり良い顔では無かった。
「次行きます。」
ああはいそうですね。
これでは駄目みたいですね。
 潮の流れはあまり良くなく、ドーナツの穴中を大型原発排水溝のように流れて来る水があまり無い。
もう20年近く前の話になるが、静岡の原発排水でGTが釣れると言う事で出向いた事があった。
なんとその排水溝の上の柵の中から、ポッパーを投っている人々がそこに居たのを思い出してしまった。
 しかし、ここは天然。
大河川の激流のような流れは、やる気が出るものだが、本日それは無いらしい。

続く小場所付近を通過するがキャプテンは素通りして、ボートのスロットルを緩めることは無かった。
間違いなく、バトゥアバを目指しているのが解った。


-そこは、大きい岩 -


バリ語でバトゥアバとは、大きい岩と言う意味らしい。

 痛恨の連続の割には、やる気が落ちていない専務と、やる気は漲っている不敵は笑みの将軍様。
そして、もうどうでも良い感じの筆者。
もはや、ヤジさんキタさん状態になって来た感があるが、やる気がある事は良い事である。


「大きい岩行きます。」

「はい。」
皆さんの異議は勿論ない。
 暫く航行するとあの岩が見えて来た。

船のエンジン回転が落ちていき、徐々に遅い音に変わってくると、そろそろポンイントに近づいて来たと言う感じであろうか。
 “みなさん、戦闘準備ですよ〜”
少しずつ、この釣りのここでの流れが読めてきたのか、はたまたやる気が出てきたのか、彼らはその以前とは臨戦態勢フォームが異なっていた。
Captは、様子を見ながら、船を大きくスロー旋回をしてみる。
他船が一船近くにみえる。
勿論、GT狙いの船である。

 船と波との間、お互いが近い距離であったりした時、サングラス越しに観ると、もう既に何度も叩いている最中の様だった。
またその船は、攻めあぐねいている感じも観てとれた。

流す位置を少しずつ換えながら叩いて回っている様子。


 海上は、どうもざわついていた。
「ああ、イルカが見える。」
なるほど、時々その背中を出してなにやらジャンプしている。
岩のすぐ沖合をイルカの群れがジャンプをしていた。
ベイトを捕食しているのか、追っている様子だった。
通常ならばこのイルカ君はノーサンキューなのですがね・・・。

ふと下を見ると、海中をなにやら茶色い物体がゆっくりと進んでいる。
イカ?な訳はないよね。
「なんだろう。」
「亀もみえます。」
「ああ、亀ね。」

ダツっぽいものが同じく飛んで、ボイルしている。
「ダツです。」
Captの意見は、的確であった。

「はい、始めてください。」
この海面のざわつきは良い傾向と観た。

専務と将軍様は、舳に立ってポッパーを投げる。
出そうな雰囲気は、やる気も相乗されてなのか、満々である。
やる気満々オーラ全開と言ったところであろうか。

 この場所での主要なポイントは、いくつかある。
そのうちの大場所は、突きだした半島状の陸地と、恐らく太古の昔はそれが一つの陸地であったであろうその大岩と、その間を流れる激流がそれである。
 そしてその奥側に潮通しの穴があるもうひとつの吐き出し。
主にこの2つが大場所である。
 ボートによっては、この大場所のみを繰り返し流し続けるものもいる。
あの有名船は、いつもこのパターンであると聞く。
我々にもそう映っているところをみると多分にそうであろう。

前衛二人の先頭は、将軍、そのすぐ後方は専務であったが、これまた使用するのは本日一番のヒット&バイト数のあのポッパーであった。
 しかもあのブラックカラー。
なんでも数年前は、パラオGTキラーとも言われたものである。
(現在は死語になっているらしいが・・・・その後はあのプアマンズ○○○と異名と取る名品ペンシルが席巻しているらしい?)

ビュン!!と言う竿が風を切る音。

その後、すぐさま糸が鳴る音、ガイドと干渉しての音なのかかすれた様な音。

数十メートル先での着水。
そして飛沫。

そして繰り広げられる、水飛沫とポップ音。

そのリズムは、なんとなく一定気味。

ロウニンアジ狙い。

ロッドをしゃくる度毎にその全面に飛び散る飛沫とポップサウンド。

一見繰り返しのようには見えるが、潮と流れを読みながらのポッピングである。

直後の事であった。

「ああ、あっ!出たっ!!」

Captのヒットコールと共にまたまた船内騒然。

「合わせて!」
専務が合わせを入れている。
乗ったみたいである。
今度こそは、乗ったみたい。(掛かったみたい)

Captの指示で将軍と専務が入れ替わり。
彼は、舳(先端)に移動するも、やや慎重気味な動きで、本日まさかの3ヒット目である。
これはもう凄いヒット率である。
取れればの話なのだが・・・。
一回、また、一回とポンピングしてリールインする。
ボートは、後進を掛けてゆっくりと根から剥がしにかかる。
(ナイスフォロー。)
「よしよし、そんなに大きくない 。」
専務は、今度はバラシたくないと言う意思と心のところが見てとれた。
「ああああ。」

「・・・・・・・。」

「バレタ・・・・・・・・・・・。」

「えっ・・。」
船内は、更に落胆のため息で充満していた。

なんと本日連発3バラシは、かなり痛手である。
これも現実なのであろう。
合わせを入れたのであるが。
何とも辛いところである。

しかしながら、魚の活性は、すこぶる良い感じである。
落胆するのは、後に置いてきて、気持ちを入れ替えてまたトライしようではないか。

ここまで専務は、持てる気力と技術を持って挑んできた。
トライ&エラー。
そしてまたトライ&エラー。
痛恨の3つ目のフックアウト。
なんとも耐えがたい事ではあるが、現実を受け入れましょう。

それしか我々の進む道はないのですから。

気を取り直して、船をまた同じ位置に廻しにかかる。
反円を描きながらゆっくりとボートを回しにかかる。

“専務と入れ替わってちょっとやってみるか。”

本日初の舳先への移動。
何ともかんとも2年ぶりのこの船の先端。
一気にワイドビューなスクリーン感。
何とも言えないこの視野の広さは爽快風である。
“さてと、お手柔らかにお願い致します、鯵さん。”

海面は、奴の匂いがする。
やる気満々風の彼らの匂いが、脳内空間を全てを満たす。
中年オヤジには、ちょっとばかり辛いフルキャスト。
その竿先には、あいつが付いている。
そう、新型兵器のリアルベイト130g オイカワカラー。
はい、そのオイカワですがなにか?
ええ、勿論淡水魚です。
清流のヤマベです。
それば、南海のこの激流で泳いではいけませんか?
泳げますけど・・。
この疑似餌と言う名称の木製のオイカワは・・。

潮の利き方は上々、いや激強と言わざるを得ない。

とても勢い良く流れている。

その流芯では、ルアーがあっと言う間に流れてしまう模様である。

先ほどから専務は流れの流芯を超えてキャストしてから、一番良いコースをポッピングさせている。
狙いは、全く外していない。
“うーむ、また出してしまうかも。”

オイカワ君をその流芯越えのつもりでキャストしてみる。
この流れでもしっかりとオイカワ君は、水を絡めて泳いでいる。
あのたまらないよたつき感と水中に光を反射してフラッシング効果も絶大。
良くまた水に絡む。
“うーん、出ない。”

ヒットエリアを過ぎたところで早々にリールを巻き上げ回収する。

次は、流芯の手前側を流す為にダウンストリーム気味にキャストする。

着水。

ラインスラッグ(糸のたるみ)を即巻き取り、ロッドティップを手前に動かして、オイカワ君をダイブさせる。
グリグリィ・・・ と浅く潜りながらボディを回転させながらそのボディを左右に振りながらヒラ打ちする。

そして・・・・・。

電光石火!。


いつもの期待を裏切らないバイト。

一瞬姿が見えたか見えないかのタイミングで

即反転!

と同時にヤツの鰭が水を押し上げて、空中に尾鰭を向ける。
飛沫そして、また飛沫。

手に持つ安心の愛竿76TCDHが撓る。
腰を溜めて一回、二回、とまた追い合わせ。
ロッドは大きく弧を描いて曲がり切ると今度は、これはたまらんとばかりにリールから最新鋭高分子ポリエチレンライン(糸)が吐き出される。
リールは、最近S-社を多く使う機会が増えてたが、この逆転装置はすごぶる良く動くがどうもその残念な逆転音やデザインは気に入らないのであった。


 どの分野に於いても選択肢の無いと言う事は、この事であろうか。
大きく分けて2社択一なのは、とても残念ではある。
しかし、その実力はあっても消えて行ったもう2社のリールは、もう使う事も目にする事も出来ないだろう。
 ああ大森製作所が頑張っていれば、ダイヤモンドGTシリーズなんてあったらとても素敵だったのだが。
それはもう、ただの空想でしかない。
オリムピックリールであのトビウオ風に五輪マークでも、今日の釣りはリョービでも良かったのだがそれもまた過去の遺物。
できれば隅っこにでも日の丸を付けてほしい。
それもこれも、もう過去への空想でしかない現実。

 最初のダッシュは、勢いが少しばかり良かった。
暫く糸を出した後、一旦止まり、また、糸を出していった。
止まってから反撃に移る。
ゆっくりと船は下がっていった。

そこからガンガンと巻きにかかる。
今までの出された分をせっせと巻く。

「それは、あまり大きく無いです。」
Captは、淡々とそう言い放ったのであった。

手前ボート下まで入って行くと再びヤツが伸しにかかった。
いつもの浪人鯵のパターンである。
手元にグッ、グッと鰭と首を振る感触が伝わる。

そいつは、5分くらいで浮いて来た。

まあまあのレギュラーサイズであった。

“よう、お久しぶり鯵君”
そいつは、オイカワ君をおもいきり齧って傷だらけにした後、日本製匠トレブル5/0フックに刺さっていた。
間一髪テイルフックにギリギリで顎に掛かっていた。
危ないところであった。

彼には、早々に御帰り頂いた。


「さあ、次は皆さんですよ!」
「次をやっつけてください!」

勿論ですね。

将軍様&専務様は、その一本目を見てかどうか俄然やる気になった様な気がした。

更にもう一流しに入る。
暫くするとまたまた舳から声が上がっている。

「ああ、出た!!」
「エッ・・・誰!・・?」

その声の主は、またまたまた専務であった・・・。
本日なんと、四つ目のバイトである。

舳まで慌てて行ってみると。
あら、専務の竿がまたまた曲がっているではないか。
専務は、そのベトナム製のロッドで一回、二回、三回と腰を入れて今度は容赦なきほどに合わせを入れていた。

「いいよ、いいよ、もう入って(掛かって)る!」

それを見て空かさずCaptは、ゆっくりとボートを回してフォローに入っていた。
ここまではとても良い感じであった。
ゆっくりと後進を掛けながら舵をゆっくりと流芯から遠ざけて行った。
 専務の武器はベトナム製の竿に、大陸製高性能の最早明日ともしれない風スピニングリール。
そのリールからジリジリと言うヒビキの悪いクリック音と共に糸が出て行く。(この安っぽい音もいい加減飽き飽きではあるが)
このリールは、良く出来ている。
設計も問題は、少ないのであろう。
むしろ問題なのは、その国のモノ作りに対するスピリットであったりする。
ここが一番の問題なのかもしれない。

 専務は、今度こそと言う気持ちが全面に出ていてなおかつ、今物凄く緊張と興奮状態にあると思われる。
ボートのナイスフォローもあってか今度は、ぐんぐんと寄せにかかり、上手くボートとのその間合いを詰めている様子だった。
魚は、ボート下の位置に来てからは、専務がロッドポンピングにより浮かせにかかると 、再び最後の抵抗に移り首を振って下へ下へと潜ろうと試みているみたいであるが
その竿の撓りとリールの性能、アングラーのポンピング技術によって少しずつ詰まって浮き始めつつあった。
 Captは、そそくさとランディング態勢にとりかかって淡々とかつ手際良く仕事をこなしていくのであった。
その手には、とっても古そうで洗濯もしていない軍手を両手に嵌めると、全身をボート外側に移ってGTの尾柄部をその軍手をした手でぐっと握った。
ナイス ハンドランディングである。
これは、もうギリギリのハンドランディングであってこのような真似は日本では見たことがない。

Captは、専務を後方部定番の位置に座らせるとクルーと二人で魚をその膝の上にゆっくりと置いた。
「やったー!きました〜!」
専務はそう感嘆の声を上げると、私は、そそくさ撮影に取りかかる。
そのままに近い状態で撮影をした。
数枚撮影後、即リリースとなった。
中型のトレバリーは、早々にその碧き海の底へと泳いで行ったのである。
 どうやらコイツは、サメの餌にならなくて済みそうである。

一同、専務のキャッチにて一安心。

ほっとする瞬間でもあるが、それも早々にまた臨戦態勢に移行するのであった。
 そこには、将軍様の恐るべき野望が渦巻いていたに違いない。
彼は、きっとやるに違いない。

ちらりとCaptの方を向いて見たが、“これは行ける”と踏んだか、仕切り直して更にもう一回流しにかかっている。
また大きくボートが旋回する。


「はい、投げてください。」

 

勢いを増した我々は、再びキャストを始めにかかる。
若干息の切れ気味とおじさんと、暫し調整の専務を尻目に、将軍様のやる気はMAXに見えた。
まさにマジンガーZのパイルダーオン状態。

お隣でポッピングしていた将軍様のポッパーは、大きく水を全面に弾きながら少しずつ迫ってきた。
恐るべき将軍様の気合?と殺気?である。

パシューン、パシューンとポップ音を立てながら、バブルを吐き散らすW社のJポッパーはものすごく泡を絡んで良い動きをしている。
 すると・・・・。
いきなり水面を押し上げてポッパーが水の中に引きずり込まれて行った。
間髪を入れず将軍様のカウンターパンチが炸裂する。
1回、2回。
駄目押しで3回。
かなり強めの合わせ。
かつてのマイクベルナルド張りなのかもしれません。(もう故人となってしまったのが残念です。)


 前者2人のファイトをすっかり擦り込んで、脳裏に焼き付けた将軍様は、楽しみながらも少し笑顔から真剣な顔でファイトする。
これも楽しそうなかつ真剣風かつ少しおねえ系が入った感じのファイトで17kg程度のグッドサイズを手中に入れた。
 あろう事かこのロウニンアジのサイズでもポッパーに元々付いているアイ(スイベル内蔵型)が丸型からO型に伸びて変形していた。
これは、まずい駄目である。
明らかにGTルアーとしては、強度不足であろう。
ここら辺は、やはり洗練されていないのであった。

形だけなってればなんでも良いと言ういい加減さが伝わってくる一品である。
しかし、動きと水絡が良いのでとっても惜しいルアーである。
こいつの次は無い・・・筈ではあったのだがその後もまた惜しい事が・・・。

更にその後に我々は、惜しいルアーシリーズの“その2”を経験する事になるのだが・・・・。

正に惜しいシリーズ全開の今回となる予感がしてきた。

これで本日7バイト3キャッチ、17sから20前半の浪人様を上げる結果となった。 初日にして、なおかつ初浪人にしては先ず先ずの釣果となった。

たとえ20s前後の魚と言えどもその動きは、一番シャープなのではないかと思うくらい良く頑張ってくれた。

 20年前のナイロン30Lb(約8号)の時代からは、到底想像もつかないレベルなのだが、過去に於いては、20kgと言うのはひとつの目標であった筈だったと思う。
時代の恩恵は、誰でも万民に与うるものであろうか。
たとえそれが、釣りと言う遊びの行為であったとしても。

「はい、帰ります。」

Captのあっさりした帰港宣言は、いつもながら淡々としてなおかつ寂しい。

コーラかスプライトか水か悩んてそれぞれ祝杯を上げながらもボートは、港へとまっすぐに向かっている。

特にまだまだやれそうな雰囲気の時は、なかなか口惜しくも感じる時もある事もあるのであった。

とにもかくにも全員キャッチの一安心な初日であった。
帰りは、こっくりこっくりとアドレナリンもすっかり切れてしばし睡眠状態である。
勿論その夜は、早々にホテルの前にある適当なレストランであっさりと食事を済ませて 早目の就寝となったが、奴らの洗礼も浴びた上での結果なのでその日は、暗黒の心で就寝では無かった筈である。

将軍様、専務初日の結果は、良かったみたいですね。

きっと就寝前のスナック菓子を口に入れながら。

-恐るべき事-
それは何時訪れるかは、誰も解らない
人は解らない恐怖にただただ怯えて生きるのであろうか

 ここで衝撃は、今の私を全面覆い尽くした。

うわあ・・・暗黒世界。

なんと・・・あろう事か、今まで打ち込んだ文章を誤って消して上書きしてしまった。
その衝撃は、計り知れない。

ここまでほぼ3カ月以上の毎日数時間をこの作業に打ち込んでいたからである。

しかも半分以上は回復の兆しすらない白紙の状態である。

言葉も出ないとはこの事であろうか。


この絶望感と倦怠感と焦りは、大きな挫折と言う言葉を伴って、他のあらゆる問題とリンクしてしまうのであった。
神頼みせざるを得ないとはこの事であろうか。
暫くして、打つ手を失い、改めてまた最初から打ち直す事にした。
 もはや文章量は記憶に残っていない部分が大半となった今、あらたな気持ちで書きなおすしか方法は無かった。
そしてこの以降の60日分の文章が、私の精進と共に消え去ろうとしていた瞬間が正に今である。
気持ちは一気に地獄。
ああ、アナログなおっさんこれだから困るのである。

これが今回の時間の掛かってしまった大きな理由である。
素人仕事とはいえ、執筆は並みではないのだな。
ゴール寸前のふりだし感に苛まれてのまた打込である。
それからほぼ半年が過ぎて行ったのである。
時の流れは、益々加速して行くと感じられるのであった。


とほほ・・・。

その2に続く・・・。