プラナ矯正法の考察 〜故 山下幸一郎先生に捧ぐ〜

大村 和彦

 

ここに一本のネクタイがあります。
濃いブル−の生地に、金で縁取られた緑と茶の葡萄の葉が上品にあしらわれています。洗練されたデザインと品物の良さから、お洒落でセンスの良い男性の持ち物であることが伺い知れます。平成11年暮、私たちの前から突然姿を消された山下先生が愛用していた品です。「ほう・・そうだったかな?」と笑う柔和な顔が目に浮かびます。
 
このネクタイを最初に見たのは昭和63年の夏季研究会でした。
この年、先生の考案された「梃子式矯正法」が「プラナ矯正法」として新長生医学書(281ペ−ジ)に掲載されました。「私の研究が本部に認められた。」と嬉しそうに話されていたことを、つい昨日のように思い出します。

あれから十数年・・・正直なところ当時この手技の素晴らしさを理解していたとは言いかねます。しかしまがりなりに治療師として年数を重ねた今、その見識の確かさに驚くばかりです。

「私の治療は治癒率100%だよ。」先生は事もなげにそう言われました。
それは患者さんの訴える痛みの原因が、レントゲンや血液検査などで定量的に把握できる、骨や関節の損傷、組織変性を主体とする「構造異常」なのか、レントゲンなどでは確認できない、骨や関節を支持する腱や筋肉(軟部組織)の「機能異常」なのか、また構造異常は存在しても痛みの原因が機能異常にあるケ−スなのか、あるいは機能異常を起こした別の遠隔部位から飛んできている関連痛なのかを見極め、構造異常には手をつけず、機能異常だけを治療の対象として確実に治していたからです。・・・違いますか?先生。

脊椎や関節を支持する軟部組織の虚血が筋スパズム(不随意収縮)を生み、更には疼痛を引き起こす機能異常。病院で満足な治療効果を得られないほとんどの患者さんが、この機能異常に属するのですね?つまりレントゲンでは異常を確認できなくても、触診を通し確かに我々の指に伝わる、彎曲、食い違い、亜脱臼、といった転位とは、その背骨を支持する軟部組織の緊張、硬直、筋力低下、筋スパズム等の機能異常による変化であり、先生の指はそれを極めて高い精度で認識していたのだと思われます・・そうでしょう?先生。

「プラナ矯正法」とは目的とする関節や脊椎支持組織の、筋と筋の間、もしくは筋と他の構成物との間、及び筋膜とこれらの可動性、伸張性を改善するための操作だったのです。こうして、異常な筋繊維組織を伸張し、筋膜の癒着を和らげ、筋スパズムを緩和し、血液の循環を改善することにより、虚血による疼痛を解消し、組織を修復する。それが背骨の矯正と、解剖学的構造バランスの改善につながっていたのですね?

私は長年、治効の不安定性に悩んでいました。つまり治る時は劇的に治るが、治らない時はさっぱり治らない。これこそ構造的病変と機能的病変を区別できずにいた証明です。全て構造異常だけを治しているかのように錯覚していた事に過ちがあったのです。
「100%治るのは、治せないものは最初から治療しないからだよ。」先生がこう付け加えられた言葉を、今改めて噛み締めています。

「プラシ−ボ」といわれる治療効果が実験で証明されています。
すなはち、それ自体には治療上の価値や効果がないにもかかわらず、その薬や治療を信じる気持ちが良い結果をもたらすという効果です。私も臨床の中で毎日経験していますが、確かに目を見張るばかりの効果があります。しかしこの効果は長続きせず、多くは一時的な効果しか期待できません。例えば「いや〜先生すごいですね!一度でこんなに楽になりました。嘘みたい!」こんな言葉を鵜呑みにして鼻を高くしていると、翌日あっけなく治療前の状態に逆戻りしている患者さん。順調な回復に安心していると突然症状固定に陥る患者さん。また1週間に1度定期的に治療しなければ元に戻るという患者さん。こうした人たちは実際には治っていないという厳しい現実。

しかし私は臨床におけるプラシ−ボ効果を否定しません。むしろ大いに活用すべきだと思います。事実「ボリッ」という矯正音は、私の技術以上の治療効果を生み出します。
しかし、純粋な治療効果を検証するためにはプラシ−ボ効果の排除が必要です。
プラナ矯正法の素晴らしさは、その効果がプラシ−ボでないことが証明出来るからです。
先生は胸を張ってこう言われました。「これで治すと絶対、元に戻らんよ。」
 
また先生は、心理的ストレスが軟部組織の機能異常を引き起こし、胃潰瘍や不定愁訴だけでなく、腰痛や関節痛、神経痛をも作る可能性を示唆しておられました。「私は神経内科の医者と付き合いもあるが、こういうことは病院の検査じゃわからんようだね。でも修行を積んだ長生の人ならプラナで見分けがつくし、治せるよ。この分野はこれからあんたたちが研究してくれ。どんどん増えるぞ。」残された私たちに、ひとつの課題を託し。

先生は体調を崩し入院中も、入院患者や看護婦さんに治療を施しておられたという話をご家族からお聞きしました。また入院する直前まで研究会に出席しておられましたね。一番前に正座して私のような未熟な発表にも熱心に耳を傾けておられました。そこには発表者に対する敬意と、90歳を過ぎても尚、学べるものは貪欲に吸収しょうとする飽くなき情熱がありました。「私の趣味は治療の研究だよ。こんなにおもしろいものはない。」治療を愛してやまなかった先生のご意志は、「プラナ矯正法」という立派な功績と共に、長男の幸博先生や孫の純司先生を筆頭に、優れた長生療術師たちが受け継ぎ、未来永劫、継承されていくことでしょう。

このネクタイを最後に見たのは平成6年の夏季研究会を終え、帰路につく車の中でした。緊張のため満足のいく研究発表が出来ず落ち込んでいた私に、「良く勉強したね。あんたの発表聞けただけでも、定山渓に来ただけの値があったよ」と優しく声をかけてくれました。慰めの言葉と分かっていても、この一言でどんなに力づけられたことか・・・

ネクタイを手にしただけで、こんな思いが走馬灯のように駆け巡りました。
クロ−ゼットを開き、とっておきの黒のス−ツを選び、先生のネクタイにあわせてみました。Yシャツはブル−です。・・・先生はもっとダンディ−に着こなしていましたね。

人間として治療家として誰からも尊敬された先生は、私の憧れであり生涯の目標でした。でも私は悲しくありません。
なぜなら、先生の存在は「プラナ矯正法」を通じ、私にも宿っているからです。
それは純宏法師から授かった崇高な理念と共に、長生を続ける限り、
いつまでも・・・いつまでも・・・

窓を開け、少し冷気を含んだ深夜の空気を胸一杯に吸い込みました。
目を開けた視線の向こうには、眩いほどに輝くたくさんの星たちに囲まれ、幾分恥ずかしげに光を放つ、控えめな星がひとつ見えました。

2000年 機関紙「長生」掲載

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