第2章 一般的な死後の世界の認識

お盆の意味

お盆休みの終わった日、治療を待ちわびていた患者さんが朝早くからお見えになりました。朝6時に家を出てきたというAさんもその一人です。昨年暮れご主人を亡くし、今年が初盆でした。「いやぁ・・先生まいったよ。早く来たかったんだけど、とうさんが帰ってくるから、家を空けるわけにいかなくてね」7月末に転んで痛めた膝をさすりながらそう話してくれました。

「おや?Aさん・・宗派は何ですか?」
「門徒ですよ」

私の記憶が正しければ、お盆に死者が帰ってくるという考え方は、浄土真宗にはないと思われます。親鸞上人はむしろ「私が死んだら、池に投げ込み、鯉の餌にしてくれ」と言い残したほど、人が死んでからの供養には関心がなかったそうです。

お盆は、仏教の「盂蘭盆経」に由来しているといわれ、元々は梵語のウラバンナ(逆さ吊りの苦しみを救う)という意味があるそうです。釈迦の弟子が神通力で母親の姿を見た時、亡くなって餓鬼道に堕ち、苦しむ姿が見えたそうです。そこで、僧たちをもてなし、母親の苦しみを救ったという故事が、ナスやきゅうりで作った馬や牛で先祖の霊を迎えるという民間信仰の風習といつの間にか合体したものと考えられます。

オオセンセは、「お寺やお墓にお参りして先祖に感謝を捧げるのも尊いことだけど、手を合わせることにより、自分を振り返り、生や死の意味を考え、人生を考える機会なんだ」と解釈しているようです。

なるほど・・・では、人間が死ぬとどうなってしまうのでしょう?
何もない闇の世界を永遠に漂うのか?
それとも魂になって天国に上って行くのか?
地獄に落ちて針の山を歩かされるのか?
お盆になるとあの世から帰ってきて、キュウリやナスの馬に乗るのか?

先ほど書いたように、こうした逸話には、民間宗教や、雑多な宗教の誤った認識が混在しているようです。良い機会なので、いろいろな宗教における死後の世界を考えながら、とっつきにくい宗教へのステップにしたいと思います。

 

 

キリスト教とイスラム教の天国と地獄はどう違うのでしょう?

世界三大宗教といわれる、キリスト教、イスラム教、仏教は具体的に死後の世界をどう考えているのでしょう。

世界の宗教人口の40%を占めるといわれるキリスト教は、謙虚で誠実、真実の愛を持つ人の魂は、死後「天国」と呼ばれる何不自由ない神の国へ行けるのですが、心が野心や欲に満ちた人の魂は、真っ暗な「地獄」に落ちると聞きました。

また、天国へ直行できるほどの善人ではないけれど、地獄へ落とされるほど悪いこともしていない私のような一般人は、その中間の「煉獄(れんごく)」と呼ばれる所で、天国へ行くため浄化されるそうです。

これが一般的な日本人を自負する私が認識しているキリスト教の死後の世界観です。
実は以前カトリック系幼稚園に通園していた娘に教わった知識なので・・信憑性は(^^;)

イスラム教に関しては、宗教戦争や民族紛争に関心があり、何冊かその手の本を読んだことがあるのでもう少し正確な情報をお届け出来ます。

イスラム教では、死ぬということは猶予期間と考えるそうです。つまり最後の審判の時、死んだ人たちがもう一度生き返ると考えられているようです。(何歳の肉体かは不明ですが、私なら若々しい肉体を希望します)

生き返った時、アラー(神)の審判があり、無罪になった人は「緑園」と呼ばれる天国へ行くことが出来ます。極上のご馳走といくら飲んでも酔わない酒が無料で食べ飲み放題!綺麗な服に高価な宝石をつけた何回セックスをしても処女を失わない絶世の美女が妻としてあてがわれると書かれていました。

有罪になった人には地獄が待っています。イスラムの地獄は灼熱地獄です。汚物を食べ、生きたまま朝から晩まで火で焼かれる日を永遠に送らなくてはいけません。「こんな苦しみが永遠に続くならいっそ殺してくれ」と頼んでも死ぬことは許されないそうです。

キリスト教に比べると非常に具体的な死後の世界観ですが、最後の審判の時はまだ来ていないので、今のところ天国や地獄に行った人はまだいないと思われます。 


 

仏教と神道の死後の世界?

仏教では天国と地獄のどちらに送られるかは生前の行いで決まります。
仏教の極楽は210億もあるそうです。現世で善行を積んだ人は、この光に満ちた世界で永遠の命が得られるといわれます。

地獄は「熱地獄」と「寒地獄」があり、ここに落ちると最低でも1兆6000億年は出られないそうです。しかし仏教の地獄は、イスラム教の地獄とは違い、気の遠くなるような長い期間苦しんだ後、輪廻転生し、人間界や天界に生まれ変わることが出来るようです。

俗に「黄泉の国」と呼ばれる死後の世界は、仏教ではなく日本人だけの民族宗教ともいえる「神道」の考え方です。
イスラム教やユダヤ教は、ただ一人の神様を信じる一神教ですが、神道は「八百万(やおよろず)の神」といわれるくらいたくさんの神様がいて、それを祀る神社も数え切れないくらいあります。

この中で一番偉い神様が高天原に住むといわれる天神で、「古事記」では皇室の祖先と書かれています。そして各地の国神様や、「千と千尋の神隠し」にも登場した、海の神、山の神、川の神。はたまた、老木や花を神が宿ると崇めたり、キツネや蛇などの鳥獣、菅原道真や徳川家康など実在の人物まで神様になっています。どうやら古代の日本人は、神聖さを感じさせるものや現象に神が宿っていると考えていたようです。

黄泉の国は、神話によると、イザナギが火傷をおって死んだ妻を捜し黄泉の国まで行ったそうですが、体中にうじ虫がたかり、気味の悪い変な神様がたくさんまとわりついているのを見て、驚いて現世に逃げ帰ってきたそうです。ちなみに「蘇る」は「黄泉帰る」からきているとか・・。

神道の天国にあたるものは、天神さまが住む天上界(高天原)です。
江戸時代の国学者 本居宣長によると、とても殺風景な場所のように記述されています。
こうして見ると神道系死後の世界は、地獄だけでなく天国もあまり住みよい所ではなさそうです。

 

 

日本の死後の世界はゴッタ煮だった

一般的な来世について、私たちに身近な4つの宗教ごとに整理してみました。しかし、イスラム教以外これらは教義というより、いろいろな思想の影響を受け、説話という形で伝播していった側面が強いようです。

例えば、幼少の私を震え上がらせた「地獄絵図」。私たちの嘘を見破り舌を抜いてしまう、恐しい閻魔(えんま)様が支配する「血の池」や「針の山」は、実は古代インドの「ヒンドゥー教」の神話から取り入れられたもののようです。また、閻魔さまの着ている服は和服やインドの民族衣装ではなく、どこから見ても中世の中国服です。

仏教にこうした「ヒンドゥー教」や「バラモン教」といった古代インドの来世思想や、儒教や、陰陽師で有名な道教の影響をも垣間見ることが出来るのは、仏教がインドで生まれ、中国を経て日本へ伝わる途中で、こうした宗教の影響を受けながら、地獄、極楽のイメージが少しずつ形を変えていったものと思われます。

更に日本人は、仏教、神道、お地蔵様などの民間信仰や迷信をもゴチャ混ぜにして取り込んでいるようです。
事実、私の実家には昔から当たり前のように神棚と仏壇が置かれていました。二つの宗教が同じ屋根の下で同居するというこの奇妙な常識は、キリスト教やイスラム教、ましてやユダヤ教では決して考えられない事です。一神教の信者にとって他の神を崇めることや偶像崇拝は、泥棒や詐欺より悪い死刑にも値する大きな罪なのです。

日本人の宗教観の特異性がこの辺にあるように、日本人の死後の世界に対する考え方も、色々な宗教のゴッタ煮といえるかもしれません。日本人の宗教観は節操がないのか、懐が深いのかのは個々意見の違うところでしょうが・・

そしてもう少し詳しく調べてみると驚くべき事が分かりました。なんと天国と地獄がある宗教はイスラム教だけだったのです。

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