Supinal manipulation(脊椎矯正法)の必然性とその限界 : 大村 和彦

 

脊骨の治療は古代エジプトや中世ヨーロッパにも聖職としてあったと言われます。また、病気の人を救いたいと思うのは、「人間の本質(根源的心)から自然発生する慈愛のエネルギー」(ダライ・ラマ)であり、「共生の原理」に基づく自然な行為です。背骨のゆがみが生体の自然治癒力を阻害しその適応範囲を狭めるものである以上、脊椎矯正法は、慈愛のエネルギーと共生の原理がもたらす、自然の法則に基づいた必然性を持った医療行為といえるのではないでしょうか。

脊椎矯正による治療効果が自然治癒力にあることは言うまでもありません。また現代医療も含めあらゆる癒し(治癒)の根本が自然治癒力にあることは疑いのない事実です。このホメオスタシスと呼ばれる身体の主体性は、大脳辺縁系と脳幹脊髄系にあるとも、免疫系を含めた身体そのものにあるともいわれます。紀元前5世紀前後、ヒポクラテスはこうした生理学的特性とその源をなすと思われるエネルギーを「自然治癒力」という概念で捉え、病人をそれまでの呪術や原始的宗教形態であるアニミズムを基盤とした医療概念から論証的に解放しました。ホメオスタシスの提唱者であるキャノンやA・ワイルなど、自然治癒力を賦活化させることの重要性を唱える医師は少なくありません。こうして自然治癒力の概念は2500年以上もの間、医師や医療に携わるものにとって、科学で解明できない領域でありながら普遍的認識として伝えられてきたようです。

長生上人はそれを「私が治すのではない。仏が治すのだ」と表現しています。自然治癒力の源は、ダライ・ラマの言葉を借りると「大脳の働きによって生まれている心の更に奥にある深く細やかな心」「内なる仏」であることを示唆する言葉と思われます。この潜在的ポテンシャルの中には、三つの特性を持つ無限のエネルギーがあるといわれ、自然治癒力はそのエネルギーが有する特性のひとつといえるようです。そこに導くものは、自然と一体化し本来の自分へ帰結しようとする宇宙の法則なのかもしれません。

脊椎矯正法は、この無限ともいわれる潜在エネルギーを阻害する要素に肉体レベルから働きかける手法のひとつと言えます。我々の脊椎矯正法は、この自然治癒力を阻害する生体の機能異常を改善するのが目的で、背骨の老化、損傷、組織変性といった構造異常を修理するものではありません。この神経や血液、プラーナの流れが正常に機能していない軟部組織の複合的異常は、私たちが通常「脊椎の転位」として認識しているものです。しかしこの異常はレントゲンやCT、MRI、などの画像診断機器で定量的に特定できるものでないため、脊椎矯正法による治療効果は科学的に立証できず残念ながら今だ仮説の域を出ません。たとえどれだけ成功例を並べそれを主張しても、正式な調査で立証されたものでない限り単なる症例報告であり非科学的ヘルスケアにすぎないことは、医学における代替医療の歴史とその評価を検証すれば誰もが実感できる事です。

こうしたことから長生医学における脊椎矯正法は、自然治癒力を高める一環としてその存在価値の認められるもので、いわば生体の自然な流れに生じた自然治癒力の目詰まりを除去する潤滑油的役割と認識して良いのではないでしょうか。なぜなら長生医学では、脊椎マニピュレーションを主体とする多くの代替医療家が主張するように、脊椎へのアプローチだけで患者さんを救済できると主張していないからです。つまり我々の脊椎矯正法とは、プラーナと精神療法が常に一体化しているもので、単なるSupinal manipulationを意味するものではないことは、三位一体を不変の定義とする長生医学の基本的概念が明確に示しています。

近年、次々に外国から伝来してくる多種多様な心理学、精神医学、カウンセリングや心理療法の諸理論の多くは、西洋心理学の枠を越え仏教的思想に深い関心を寄せそれを臨床にも応用しています。深層意識へのアクセスを呼吸法に求めた「ホロトロピック・ブレスワーク」、内省的アプローチを通じ心と身体の関連性を追求する「ハコミセラピー」、スピリチュアルな体験を通し根源的な癒しを目指す「トランスパーソナル心理学」など、病気を病理論や治療論では捉えず、病気や苦痛を心が語りかけてきたメッセージ、生き方や人生を考える機会、更には真理に目覚めるための糸口として捉え、身体に起こる痛みや苦痛は半ば常識のように心の産物と位置付けています。また特筆すべき点は、長生上人のいう自然治癒力の源となる「内なる仏」にまで視点が向けられている事です。こうした傾向は臨床心理学の分野に留まらず、ニューヨーク医科大のJ・E・サーノのように、内観的カウンセリングで筋骨格系疾患を治療する整形外科医も登場しました。

浄土真宗をその根底に据え確固たる教義と教団をもつ長生医学において、こうした理念や方向性はすでに体系づけられていることですが、「肉体救済ばかりを繰り返しても患者の完全な救済にはならない」(1953年)と断言する長生上人の言葉に、長生医学の先見性と独自性、そしてSupinal manipulationとしての脊椎矯正法に依存する治療の限界を感ぜずにはいられません。

多くの患者さんは、長生療術を行なう術者に「脊椎の直し屋さん」というイメージを持っています。また施術者自身にも優れた治療師は卓越した矯正テクニックを有する技術者という先入観があることは否めません。それは過去に長生医学の基礎を築いた職人肌的臨床家たちの伝説的活躍と独自の理論展開による影響と思われます。しかし治療者は「治療の成功はあくまで患者さんの心と結びついた、自然治癒力という人間が本来持つ力がもたらしてくれたもの」という謙虚な態度が必要と思われます。人はこの法則なしでは生きていけません。長生医学も例外ではありません。

これからの時代、私たちに必要とされるものは、プラシーボ効果を利用した一時的な症状の除去や現実適応のみを目的とした矯正テクニックではなく、信心に基づいた「心の専門家」としての確固たるものの見方や姿勢なのではないでしょうか。

平成14年 「機関紙長生4月号」

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