『維摩経』の話 その五          次へ

 インドが五月十一日と十三日と、立て続けに核実験を行いました。対抗してパキスタンも、との情報もあります。核軍縮、核廃絶を望んでいるものにとって、これほど愚かなことはないと思うのですが、問題はそう単純ではないようです。一九九六年に締結された「核実験全面禁止条約」は、すでに核保有している五カ国の優位性を保つための条約で、そんな後ろめたさもあってか、これらの国々の対応には今ひとつ迫力がありません。インドの犯した罪を責めるのは簡単ですが、同じ罪を負っている国は、過去にもあったし、現在もたくさんあるというのが本当のところでありましょう。

 あのオウム真理教が、また不穏な動きをみせているといいます。地下鉄サリン事件から、もう三年が経ちました。その罪に対する裁判が長引いているようです。別件では、オウム信者殺害事件で、殺人罪に問われた教祖の妻の判決公判が五月十四日、東京地裁で開かれ、「夫の暴走を抑止すべき責任があったのに、殺害に明確に賛成した」などとして、懲役七年(求刑懲役十年)が言い渡されました。これらオウムの諸問題も、今後どのように裁かれ、どのように展開していくのか、目が離せません。

 ふつう、社会生活を営む上において、罪を犯すものがあった場合、裁定して相応な刑罰を科し、償わせるという方法が採られます。これは、初期の仏教教団でも同じです。ある時、二人の修行僧が戒律を犯しました。恥ずかしいと思ったので、その罪をブッダには問わず、「持律第一」と称されていた、戒律の第一人者である優婆離(ウパーリ)に「どうか疑いや悔やみを解いて、この罪を免れるように」と頼みました。そこで、優婆離は戒律の定めどおりに、二人の修行者の犯した罪について解説し、大勢の出家僧の前で懺悔するようにと勧めました。

 維摩がやって来たのはそのときです。「優婆離よ、この二人の修行僧の罪を、さらに重くするようなことをしてはならない。今すぐに罪の思いを除いてやりなさい」というのです。

 優婆離は、戒律こそブッダの教えをかたちに表したものであり、戒律を守ることこそ第一であると信じて疑うことがなかったものですから、維摩の真意をはかりかねたに違いありません。つまりそれは、罪というものに、あたかも実体があるかのように思い、懺悔したり、罰を受けることによって、その罪が消滅すると考えていることに対する批判であったわけです。

 維摩は言います。「罪というものは、どこかにあるというものではなく、心にしてもまた同様である。心が汚れるとその人も汚れ、心が浄らかになれば、自ずとその人も浄らかになるのだ。また、もろもろのことがらは相互に依存しているのではないし、ほんの僅かといえども、とどまっているものでもない。もろもろのことがらはみな妄見である。夢のごとく、蜃気楼・水中の月・鏡中の像のごとく、妄想によって生ずるのである。そして、このことわりを知るものこそ、戒律を奉ずる者というのだ」と。

 この維摩の指摘は、中国禅の初祖とされる菩提達磨の『二入四行論』という語録の中にある、慧可(二祖)との問答が、理解する上でよい参考になります。

弟子「私に懺悔させて下さい。」

達磨「君の罪を持ってきなさい。そうすれば、君に懺悔させてあげよう。」

弟子「罪は形あるものとしてとらえられません。何を差し出せばよいのでしょうか。」

達磨「私は、君を懺悔させ終わった。帰りなさい。」

 さて、いかがでしょうか。私どもは、優婆離と同様、規範こそ絶対と信じ、罪があるとなれば、何が何でも償わせようとしがちです。しかし、大切なのは、償わせることではなく、心の汚れを除き、心を浄くさせることであるはずです。罪を負ったものに、石をぶつけることによって、心が浄化されるとは思われません。罪に対して、ただ憤慨している自分を、じっくり見つめ直す必要がありそうです。(つづく)(98/06)

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