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第2章 非対称型混酸トリアシルグリセロールの結晶化速度




第1節 緒言

 前章でも述べたように、チョコレートの固化過程を結晶物理学的に解明する
ためにはココアバターの多形と多形転移現象を詳しく調べることが必要である
(1)。ところで、ココアバターはPOP、POS、SOSなどのグリセロール骨
格の 2ー位にオレイン酸をエステル結合し、1、3ー位に飽和脂肪酸をエステル結合
したトリアシルグリセロールが全体の80%以上を占める特異な組成を有する
天然油脂である。したがって、ココアバターの結晶化挙動は、基本的にこれら
の構成トリアシルグリセロールの個々の多形現象と結晶化挙動に支配され、そ
の上で3種類のトリアシルグリセロールの分子間相互作用によって、ココアバ
ターとしての結晶物理学的な性質が決定されるものと考えられる。
 第1章では、これらココアバターの主要構成トリアシルグリセロールの中で
POPとSOSの結晶化速度論を中心に論じた(2)(3)(4)(5)。POP、SOSはいずれ
も 2-位にオレオイル鎖を持ち、1、3ー位には同一の飽和脂肪酸鎖が結合している
対称型混酸トリアシルグリセロールである。本章ではPOP、POS、SOS
の3成分系の結晶化挙動解析の基礎として 2ー位に同様にオレオイル鎖を結合し
ているものの、グリセロール骨格の 1-位と 3-位には異なる飽和脂肪酸鎖が結
合したPOSについて、その結晶化挙動を速度論を中心として論じる(6)
 なお、POS分子そのものは、グリセロール骨格の 2-位の炭素原子について
考えると4つの結合位置にすべて異なる残基が結合しているため、光学活性物
質である。今回の実験に供したPOSには旋光性が認められなかったことから、
ラセミ体であると推定される。すなわち、POS:1,3-rac-palmitoyl-stearoyl-2-
oleoylglycerol である。

第2節 実験

2・1 試料および純度の検定


 実験に供したPOSは純度=99.9%である。不二製油鰍謔闍氓ウれた試料
の調製方法および純度測定方法は第1章に述べた通りである。前節で触れたよ
うに用いたPOSはラセミ体である。実験試料は天然油脂の分別と、クロマト
グラフィーによって濃縮されたものであるため、化学的変化を受けておらず、
天然の状態でラセミ体であったものと考えられる。

2・2 結晶多形の同定


 得られた結晶の多形同定はX線回折装置、DSCによって行った。それぞれ
の測定条件は第1章で述べた方法と同一である。
   POSの多形現象はArishimaら(7)によって詳細に検討されている。
Fig.2-1にはPOSで確認された、4多形のX線回折スペクトルを示す。本実験
で得られた結晶の多形同定は、これらのスペクトルと比較し、同時にDSCに
よる熱的なデータを検討することによって行った。

2・3 結晶化速度の測定と結晶化方法


 第1章で述べたものと同一の装置を用いて測定を行った。試料を結晶化させ
るためのセルには、2台の恒温水槽を接続し、急激に試料温度を結晶化温度
(Tc)へと変化させた。
 結晶化方法として、第1章と同様に、単純冷却結晶化と融液媒介結晶化を行った。
 単純冷却結晶化では、試料をはじめに80℃で5分間完全に融解し、その後
セルの温度を急激に結晶化温度へ低下させた。
 融液媒介結晶化では、αー融液媒介、pseudo-β'ー融液媒介の2種類を調べた。
αー融液媒介結晶化では、はじめにα型結晶を析出させた後に、セルの温度をα

Fig.2-1 X-ray diffraction short-spacing spectra of
four polymorphs of POS(7).

型の融点以上に急激に昇温させ、α型を融解させた後により安定な多形として
析出する結晶を観測する方法である。pseudo-β'-融液媒介も同様に、析出して
いた pseudo-β'型結晶を急激に融解させた後に、発生する結晶の挙動を調べる
方法である。

Fig.2-2 Output of photo sensor for simple cooling of POS
at Tc=25.4 and 26.7℃.

第3節 実験結果


 POSの単純冷却での典型的な結晶化について、結晶化速度測定装置の出力
を Fig.2-2に示す。この図には2種類の結晶化温度の結果が表されている。
Tc=25.4℃では43.2分まで光センサーの出力に変化がみられないがその後
に急激な出力増加が認められ、結晶化の開始が示されている。この場合、結晶
化の待ち時間は、τ=43.2分と定義した。また、析出した多形は結晶化が充
分に進行した後にX線回折・DSCによりpseudo-β'型であることが明らかとな
った。Tc=26.7℃の場合、δ型がτ=77.1分で結晶化した。この時の結晶
化進行速度を表す光センサー出力増大の傾斜(傾き)は、Tc=25.4℃と比較
して小さいことが認められる。

Fig.2-3には、αー融液媒介結晶化における典型的な実験結果を示す。実験手
順は以下の通りである。はじめに融液を15℃へ冷却してα型を生成させる。
α型の析出は、光センサーの急激な出力増大に示されている。光センサー出力
はその後次第に減少するが、これは試料がすべてα型として結晶化したために、
光を散乱するようになり、光源からの透過光が少なくなったためである。次に、
セルに流れる恒温水を結晶化温度Tc=25.5℃へと切り替えると、α型の融点
は19.5℃であるため、α型結晶はすべて融解するが、しばらくして新たな結
晶(pseudo-β'型)の析出が始まる。 Fig.2-3の場合、結晶化待ち時間はτ=
4.73分と定義される。

Fig.2-3 Output of photo sensor for α-melt-mediated
crystallization of POS.

 Fig.2-4には単純冷却結晶化におけるτの逆数(1/τ)の温度依存性を示した。
1/τは結晶化速度に比例する数値である。1/τは、結晶化温度が高くなるにし
たがって減少し、α型が最も大きく、δ型が最も小さい値を示した。1/τで計
算される装置定数は 0.8(分-1)である。この図に示された1/τの値は、
  α型   :Tc=16℃の時1/τ=0.6
  pseudo-β':Tc=19℃の時1/τ=0.15
       Tc=25℃の時1/τ=0.03
  δ型 :Tc=26℃の時1/τ=0.01〜0.02
であった。

Fig.2-4 Rate of crystallization, 1/τ, of melt cooling of POS.

 Fig.2-5にはαー融液媒介結晶化の速度を示した。矢印はセルの装置定数であ
る。結晶化温度が高くなるほど、結晶化速度は小さくなっている。また、単純
冷却の場合と比較すると、結晶化速度が著しく大きい。たとえばTc=20℃で
は5.8倍、Tc=23℃では3倍の結晶化速度が観測された。この結果から、α
-融液媒介結晶化では、単純冷却結晶化と比較して、結晶化速度は大きく促進さ
れることが明らかとなった。

Fig.2-5 Rate of crystallization, 1/τ, of αーmelt mediated
crystallization of POS.

 Table 2ー1には、3種類の結晶化方法におけるPOSの出現多形をまとめた。
単純冷却結晶化では、α型に過冷却現象は認められなかった。すなわち、α型
の析出はその融点直下で始まったことになる。 pseudo-β'型の結晶化は、Tc
=19.5〜25.5℃の範囲で観測され、δ型は非常に狭い温度範囲の25.5℃
からδの融点(28.3℃)の間でしか得られなかった。αー融液媒介結晶化
では、pseudo-β'型の融点以下の範囲で、pseudo-β'型の析出しか認められな
かった。
 また、pseudo-β'ー融液媒介結晶化によって、β型の結晶が得られた。しかし
その速度は非常に遅く、Tc=34.7℃で1/τ=0.013(75分)であった。

Table 2-1 Occurrence of POS Polymorphs in Melt Crystallization

第4節 考察


 本章での実験の結果、POSにα、δ、pseudo-β'、およびβの4多形の存在
することが確認され、これらすべてが融液からの結晶化で析出することが見出
された。δ型を除く3つの多形は、POP、SOSで得られたものと共通のX
線回折スペクトルを有していたが、δ型はPOSでのみ出現した多形である。
 本実験で検討した3種類の異なる結晶化方法の結果から、以下の共通の傾向
が認められた。
 (1)αー融液媒介結晶化では、単純冷却よりも大きな速度で結晶が析出した。
 (2)析出する多形は、結晶化方法の違いに依存していた。
第一の点に関しては、前章で考察したように融液媒介の場合、結晶核や分子集
合体の存在によって結晶化が促進されるものと考えられる。この結晶核または
分子集合体はα型が急激に融解する際に生じるものであろう。

  近年、Kellensら(8)はシンクロトロン放射光を用いた経時的X線回折実験を
行い、トリパルミチンのα型からβ型への多形転移を調べた。彼らの結果によ
ると、5℃/分でα型を融解した後の融液中に、α型と同じ面間隔がX線短面
間隔に測定されβ型が、αの融液から迅速に析出したと報告している。この現
象はトリパルミチンにおいて、α型の融解後にβ型の結晶核が発生したことを
示している。POSにおいては、α型の融解後に析出した多形はβ型ではなく、
pseudo-β'型であった。同様な結果はPOPやSOSでも得られ、α型の融解の
後にαとpseudo-β'との中間的な安定性を持つγ型が析出した(前章(4)
しかし、いずれの場合も、最安定多形(POSではβ、POP・SOSではβ1)
は出現しなかった。

 2番目の結論に関しては、β型はpseudo-β'ー融液媒介結晶化によってのみ析
出した。融液の単純冷却によっては、どのような結晶化温度でもβ型は得られ
ず、αー融液媒介結晶化でもpseudo-β'型しか析出しなかった。 このように、
POSにおいてβ型の結晶化速度が非常に遅い理由は、β型結晶における分子
配列の規則性が極めて高いことに起因しているものと考えられる。したがって、
この規則性を高めるために、α→pseudo-β'、pseudo-β'→βへと段階的に転移
が進行し、β型が析出するものと思われる。αー融液媒介によって生じた結晶核
は、β型の核とはなり得ないほど不安定なため pseudo-β'が生成すると考えら
れる。そしてpseudo-β'ー融液媒介で生じた結晶核は、その熱力学的安定性が高
いために、β型の結晶核が容易に生じたのであろう。

 これらの結果は前章で述べたPOP、SOSの単純冷却結晶化、融液媒介結
晶化の結果と同一の傾向である。しかしながら以下の3点において相違が認め
られる。
 (1)α型の過冷却度が小さいこと。
 (2)pseudo-β'型が広い温度範囲で析出すること。
 (3)pseudo-β'ー融液媒介結晶化によってβ型が得られること。
これらの点にてついてより詳しく考察する。

α型の過冷却現象
 過冷却現象は、結晶化の活性化自由エネルギーの大きさによって左右される。
結晶化に伴う過冷却度が小さければ小さいほど、活性化自由エネルギーは小さ
(9)。前章で明らかにしたように、α型に関してPOPは過冷却現象を示さな
かったが、SOSでは 1.5℃の過冷却度が見出された。この違いに関して、
ラメラ面の構造から考察することができる。つまりα型は2鎖長構造であり、
POPではオレオイル鎖とパルミトイル鎖とが、またSOSではオレオイル鎖
とステアロイル鎖とが同一ラメラに配列している。POSでは同様に、オレオ
イル鎖、パルミトイル鎖、ステアロイル鎖が同一ラメラに配列することとなる。
オレオイル鎖は、cis-二重結合部分で屈曲しているため炭素数18の長さより
も短く、パルミトイル鎖の長さとほぼ等しいがステアロイル鎖はオレオイル鎖
よりも長い。これは、ステアリン酸のC型(鎖長:50.1A)(10)、オレイン酸の
γ型(低温型)(鎖長:40.6A)(11)、ペトロセリン酸(cis-12-octadecanoic
acid)のLM(低温)型(鎖長:44.0A)(12)の結晶構造からも裏付けられる。
したがって2鎖長構造を持つSOSのα型でのラメラ面での安定性は、POP
に比べて小さくなる。POSでも過冷却現象は観測されなかった。 すなわち
POSのα型でのラメラ界面の安定性は、SOSよりもPOPに近いことを示
唆している。このようなラメラ界面の安定性はオレオイル鎖、パルミトイル鎖、
ステアロイル鎖の混酸トリアシルグリセロールにとって重要となることが推論
できる。

pseudo-β'型の優先的結晶化とδ型
 POSの単純冷却および、αー融液媒介結晶化においてpseudo-β'型が広い結
晶化温度範囲で析出する事実は、POPやSOSの結果と比較すると極めて特
徴的である。POPやSOSにおいては、α型の融点近傍ではγ型が優先的に
結晶化した。POSはγ型多形を有していないため、α型の融点以上でpseudo-
β'型を析出したのであろう。POSのδ型の熱的安定性は、αとpseudo-β'の中
間にあるが、単純冷却のみによって、しかもpseudo-β'の析出範囲よりも高温領
域のみで結晶化した。δ型は、POPやSOSには存在しない特異な多形であ
ると考えられるが、なぜこのような特殊な条件下でしか得られないのかは不明
である。熱的安定性の大小とは逆に、安定性の低いδが安定性の高いpseudo-β'
よりも高温で析出する理由はおそらく、これらの結晶核の界面エネルギーが温
度に対し特殊な曲線を描くためではないかと想像される。Fig.2-6に界面エネル
ギーの仮想図を示した。 25℃付近でpseudo-β'とδの曲線が交わり、25℃
以下ではpseudo-β'の方が高く、この多形が優先的に析出する。逆に25℃以上
では、δ型の方が界面エネルギーが高いため、δ型が結晶化するのではないかと
推定される。  δ型がPOPやSOSにはみられなかったことや、熱的安定性と矛盾した結
晶化現象を示すことから推測して、この多形はPOSがラセミ体であることに
起因するかも知れない。その詳細は、光学活性なPOS(L-またはD-)を用い
た実験の結果を待たなければならない。

融液からのβ型の析出
 POSのβ型の構造は、POPやSOSのβ1型と一致している。
POP、SOSでは融液から直接β1型は結晶化せず、β2型がγー融液媒介結晶化
によって得られた。POP、SOSのβ1型多形は、β2型からの固相転移あるい

Fig.2-6 Speculated interfacial energy of δ and pseudo-β'
polymorphs of POS.

は溶液からの結晶化によってのみ出現した。POSにはβ型は1種類しか存在
しないため、POPやSOSのβ2型と同じように、融液から pseudo-β'融解を
介して結晶化したものと思われる。

第5節  まとめ


高純度の試料を用いて、POSの4多形(α、δ、pseudo-β'、β)の融液から
の結晶化挙動を解析した。温度制御されたセル上で、結晶が融液中に生成する
までの時間(τ)を、光センサーを装着した偏光顕微鏡を用いて測定した。出現
した各多形の同定は、X線回折装置、DSCで行い、各多形に対して結晶化速度
(1/τ)を求めた。結晶化方法として単純冷却結晶化、融液媒介結晶化の2つの
方法を適用した。これらの実験の結果、以下の点が明らかとなった。
 (1)融液媒介結晶化による結晶化速度は、常に単純冷却結晶化よりも速かった。
 (2)pseudo-β'型が、熱的に不安定なδ型よりも広い温度範囲で析出した。
 (3)析出する多形は、単純冷却の場合と融液媒介結晶化の場合とでは異なって
  いた。
 (4)δ型は、単純冷却で25.5℃〜28.3℃の範囲でのみ得られた。δ型多
  形は、POSがラセミ体であるために特殊な構造で生成した結晶である可
  能性が示唆された。



文献




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  ed. by S.T.Beckett, Blackie & Son Ltd., Glasgow, p.172 (1988).
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