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第1章 対称型混酸トリアシル         グリセロールの結晶化速度




第1節  緒言

  ココアバターの多形現象は、チョコレート製造者にとって最も重要な物理的
性質である。その理由は、ココアバターがチョコレートに含有される油脂の主
たるものだからであり(1)(2)、そのため最終製品の融点、艶、スナップ性(パチ
ンと割れる性質)、食感、保存性等の品質はすべてココアバターの多形現象で
決定される(3)。ココアバター結晶化の固化過程における物理的な問題は多形制
御である。多形制御とはココアバターを目的とする結晶多形で固化させるため
の結晶化と多形転移である。 したがって、結晶化挙動に関連したココアバター
の多形現象については多くの研究がなされてきた(4)-(9)。 しかしながら、T型
からY型(5)に分類される独立した各多形の分子構造や、結晶化の速度論、多形
転移現象などについてはまだ解明されていない点が多い。
 チョコレートの固化過程では、ココアバターをX型の多形として結晶化させ
ることが望まれる。その理由は上述した最終製品の品質でX型が最も優れた性
質を有しているためである。したがってチョコレートをX型として結晶化させ
ることが必要となりそのために、通常テンパリング操作が行われる。テンパリン
グ操作によって、チョコレート融液中にX型の結晶核を生成せしめ、その後
の冷却工程ですべてのココアバターをX型として結晶化させるのである。とこ
ろで、このテンパリング過程で起こっている現象については、未解明な部分が
多い。
 テンパリング操作は具体的には、融液チョコレート(60℃)を27℃付近
まで攪拌しながら冷却しその後31℃にまで昇温する単位操作である。従来テ
ンパリング操作で起こる現象として、冷却途中で過冷却度の大きい融点の高い
多形が結晶化し、その後の昇温過程で31℃以下の融点を持つ多形が融解する
ために、安定なX型の結晶核が得られると考えられてきたが、過冷却度と各多
形の結晶化の活性化エネルギーについての考察は行われておらず、必ずしも過
冷却度の大きい多形が析出するとは限らないものと思われる。
ココアバターを含めて、天然資源である油脂は種々のトリアシルグリセロー
ルの混合物である。このような油脂の物性は、その構成トリアシルグリセロー
ルの個々の物理的性質に依存し、その上で構成トリアシルグリセロールの分子
間相互作用で決定されるものと考えられる。一方、構成トリアシルグリセロー
ルには独自の多形現象が存在する。すなわち、個々のトリアシルグリセロール
の多形の熱力学と速度論に関する知見の蓄積がなければ、分子間相互作用を理
解することは困難である。
 以上のことから、ココアバターの多形現象を完全に理解するためには、まずコ
コアバターの主成分のトリアシルグリセロールに関する結晶物理学的な知見が
必要である。ココアバターの主成分トリアシルグリセロールは、POP、POS、
SOSであり、いずれも 2-位にオレオイル鎖を結合しているが、これらは 1,3-
位に同じ脂肪酸鎖を有する「対称型」(POP、SOS)と異なる脂肪酸鎖を
有する「非対称型」(POS)とに分類される。POPとSOSの多形現象の
熱力学的・構造論的特徴は Satoらによって詳細に解明された(10)
 本章では、ココアバターの構成トリアシルグリセロールの中で、「対称型混
酸トリアシルグリセロール」である、POPとSOSの結晶化挙動、特に結晶
化速度論を分子間相互作用の基礎として論じる(11)(12)


第2節 実験

2・1 試料および純度の検定

 本研究に用いたPOP、SOSは不二製油鰍ゥら提供された。 純度は99%で
あり、分取液体クロマトグラフィーによって精製したものである。

純度の検定は、HPLCにより以下の方法で行った。
 カラム:Lichrosorb RP-18(Merck),5μm,4.6φ×25p
                  2本直列
    A-303 ODS(Yamamura Chemical Lab.),5μm,4.6φ×25p
 溶 媒:アセトン/アセトニトリル=77/23(容積比)
 試 料:アセトン中に、5%濃度で溶解(wt/vol)
 注入量:10μl 
 溶出速度:1mL/分 
 カラム温度 :35℃
 検出器 :示差屈折計(島津製作所、RID-6A)

2・2 X線回折

 結晶構造は広角粉末X線回折法により測定した。X線回折装置として理学電
機RAD−UC型(CuKα;40KV,20mA、グラファイトモノクロメータ装着)
を用いた。試料はガラス試料板(深さ0.3o)に表面が平滑となるように充填し、
2θ=1〜30degまで6deg/分で走査した。X線回折測定の終った試料はDSC分
析のためにガラス試料板から直接サンプリングし、同一試料でX線、DSC両測
定を行った。

2・3 DSC

 DSC装置はセイコー電子工業RDC2型を使用し、温度および融解エンタ
ルピーの標準としてガリウムを用いた。試料約1mgをアルミニウム製パンに
秤量し、液体窒素を用いて-20℃に冷却させてから昇温速度20℃/分で測定
した。

2・4 多形の同定

 POP、SOSの多形現象は Satoら(10)によって詳細に検討されている。
 Fig.1-1にはPOPで確認された6多形のX線回折スペクトルを、Fig.1-2に
はSOSで確認された5多形のX線回折スペクトルを示す。本実験で得られた
結晶の多形同定はこれらのスペクトルとの比較、また熱的なデータを検討する
ことによって行った。
Fig.1-1 X-ray diffractoin short-spacing spectra of the polymorphs of POP(10).


Fig.1-2 X-ray diffractoin short-spacing spectra of the polymorphs of SOS(10).


2・5 結晶化速度

 結晶化速度測定装置を Fig.1-3に示す。本装置は偏光顕微鏡を改造したも
のである。
 この装置は、偏光顕微鏡の対物レンズを外し接眼レンズにCdS光センサー
を取り付けたものである。試料は恒温水の流れるガラスセル上におき、0.3o程
度のスペーサーを挟んでカバーガラスをかけてある。偏光子と検光子はクロス
ニコルとなるようにセットされているので、結晶が発生しない限り光源からの
Fig.1-3 Optical system for induction time measurement of melt crystallization.


光は接眼レンズ部分(光センサー)には到達しない。恒温水槽は2台用意して
あり、流路を電磁弁で切り替えられる。ガラスセルを流れる恒温水を、結晶化
温度(Tc)に調整した恒温水に切り替えると、一定の待ち時間(τ)の後、試
料の結晶化が始まる。結晶化と同時に、光源からの光は光学的に異方的なトリ
アシルグリセロール結晶によって楕円偏光化の作用を受けるため、センサー部
分に到達できるようになるので、これを検出することを原理として結晶化の待
ち時間を測定できる。CdSにはバイアスとして1.5Vを印加し、受光による
抵抗変化をmV単位で読みだした。なお恒温水の流路切り替え用電磁弁および
光センサーの検出信号はパーソナルコンピュータ(NEC;PC9801)にGP-IB
インターフェースを介して接続されたマルチプレクサ-(Hewlett Packard
HP3497A)、デジタルマルチメーター(Yokokawa;2502A)によって制御、
データ収集されるシステムを構築し実験に供した。収集されたデータは、磁気
媒体に保存可能で適宜データ処理、解析ができる。
 対物レンズを外した理由は、試料の全域を監視できるようにするためで、これ
により部分的に析出した結晶もすべて検出できることが確認された。

2・6 結晶化方法

 結晶化方法として2種類の実験方法、すなわち
    単純冷却(simple cooling)
    融液媒介結晶化(melt-mediation)
を行った。
 単純冷却は、試料トリアシルグリセロールを80℃で融解し、その後ガラス
セルの温度を結晶化温度(Tc)に切り替える方法である。
 融液媒介結晶化では、ガラスセル温度を、初めに生成した結晶多形の融点以
上の温度へ急激に上昇させることによって結晶を融解させ、その後に析出する
より安定な多形の出現を観測する方法である。融解させる結晶多形として、α
型とγ型を使用した。複雑な多形現象を示すトリアシルグリセロールにおいて
は、融液媒介結晶化が安定多形を生成する有効な方法であることが知られてい
(12)
 Fig.1-4には、POPの単純冷却での典型的な結晶化挙動を示した。この図に
は、2種類の異なる結晶化温度(Tc)での結晶化曲線が描かれている。

Fig.1-4 Output of photo sensor in case of simple melt cooling of
     POP at Tc=23.2 and 26.3℃.


Tc=23.2℃では14.8分まで光センサーの出力に変化は認められないが、そ
の後急激な出力増大が観測される。これは結晶化の始まりと結晶成長を示して
おり、この場合結晶化の待ち時間は、τ=14.8分と定義される。 同様に、Tc=
26.3℃では、τ=44分である。
 Fig.1-5には、POPのγ-融液媒介結晶化の典型的な例を示す。実験手順は
以下に示す通りである。はじめに、60℃の融液を16℃に急冷する。この操
作によってγ型結晶が生成するが、これは図の急激な光センサー出力の増大に
現れている。しばらくすると光センサー出力は減少するが、これは試料全体が

Fig.1-5 Output of photo sensor in case of γ-melt mediated
      crystallization of POP.


結晶化したことによって光を散乱し、光源からの透過量が減少したためである。
試料がγ型としてすべて結晶化してから5分後に、ガラスセル温度を30℃へ
と急激に昇温させる。この操作によって析出していた結晶はすべて融解する。
それは、光センサー出力の急激な減少に反映されている。これはγ型の融点が
27℃であるためである。その後pseudo-β'1型とpseudo-β'2がこの結晶化温度
(Tc=30℃)で析出する。この場合、γー融液媒介結晶化による結晶化待ち時
間は、τ=3.1分と定義される。同様な方法で、α-融液媒介結晶化の待ち時間
を測定した。
 

第3節 実験結果

3・1 POP

 3種類の異なる結晶化方法によって析出する多形を Table 1-1に示す。


Table 1-1 Occurrence of POP Polymorphs in Melt Crystallization

 単純冷却結晶化では、α型の析出に関して過冷却現象は認められなかった。
すなわち、α型はその融点直下で結晶化した。γ型は、α型の融点から24℃
までの範囲のTcで結晶化した。また、pseudo-β'2は23℃から27℃までの範
囲で、pseudo-β'1は27℃以上で析出した。26℃から27℃の間では両方の多
形が出現した。これら2種類のpseudo-β'の出現は、固相転移の過程でも認めら
れており(10)、これらの結果から、POPには2種類のpseudo-β'型が存在する
ことが証明されたことになる。
 α-融液媒介結晶化では、α型の融点と24℃との間でγ型が結晶化した。
pseudo-β'2型は22℃付近から析出しはじめ、結晶化温度が高くなるにつれて、
pseudo-β'1が現れた。そして28℃以上ではpseudo-β'1のみが得られた。
 γー融液媒介結晶化では、γ型の融点以上31℃までの範囲で、pseudo-β'2型
とpseudo-β'1型の両者が析出した。31℃以上の範囲では、β2型のみが得られた。
しかしβ1型の結晶化は認められなかった。

 Fig.1-6には単純冷却結晶化における結晶化待ち時間(τ)の逆数の温度依存
性を示した。1/τは結晶化速度に比例する数値である。Tc<21℃の範囲では
α型とγ型とが析出したが、それらの結晶化速度は大きすぎて、セルの装置定
数よりも小さかったためこの図には示されていない。Fig.1-6から明らかなよう
に1/τはpseudo-β'1が最も小さく、αが最も大きい。これらの結果から、結晶化
速度はα型が最も速く、pseudo-β'1型が最も遅いと結論できる。

Fig.1-6 Rate of crystallization, 1/τ, of simple cooling of POP.


Fig.1-7にはαー融液媒介結晶化における結晶化速度を示した。セルの装置定
数は図中の矢印で表されている。γ型に対する1/τは大きすぎて正確に測定で
きないため、図示されていない。pseudo-β'2における1/τは常にpseudo-β'1
のものよりも大きな値を示した。さらにαー融液媒介結晶化における結晶化速度は、
単純冷却結晶化での速度と比較すると10倍速いことがわかる。このことから、
α型の融解の後に起こる結晶化の速度は、単純冷却の場合よりも著しく加速さ
れることが明らかとなった。

Fig.1-7 Rate of crystallization,1/τ, of α-melt mediated
      crystallization of POP.


 Fig.1-8には γー融液媒介結晶化での結晶化速度の温度依存性を示した。α-
融液媒介結晶化とは3つの点で相違が認められた。
(1)1/τの値は、同一の温度で比較するとγ-融液媒介結晶化の方が、α-融液
  媒介結晶化よりも10倍の速度を示した。
(2)28℃から30℃の範囲において、γー融液媒介結晶化ではpseudo-β'2型と
  pseudo-β'1型とが同時に結晶化したが、αー融液媒介結晶化ではこれらは
  29℃付近を境として別個に出現した。
(3)γー融液媒介結晶化によってβ2型が結晶化した。

Fig.1-8 Rate of crystallization,1/τ, of γ-melt mediated
      crystallization of POP.


3・2 SOS

 出現多形の結果を Table 1-2 に示した。

Table 1-2 Occurrence of SOS Polymorphs in Melt Crystallization

 単純冷却結晶化では、α型について2.5℃の過冷却現象が認められた。すな
わちα型はその融点以下の21℃で析出を開始した。γ型は他の多形と比較し
て非常に広い温度範囲(21〜33℃)で結晶化した。
 αー融液媒介結晶化では、α型の融点以上26℃までの範囲で、γ型の結晶化
を誘導した。しかし、それ以上の温度領域では広い範囲にわたって pseudo-β'
型が現れ、POPの場合とは若干異なる傾向が得られた。つまり、α-融液媒介
結晶化では26℃以上でpseudo-β'型が結晶化した。
 POPの場合と同様に、β2はγ-融液媒介結晶化におけるpseudo-β'の融点
以上の温度で結晶化した。

SOSの単純冷却における1/τを Fig.1-9に示した。図中の矢印は、セルの装
置定数を表している。22℃以下ではα型が非常に速く析出し、τは装置定数
よりも小さい(1/τが大きい)。γ型は、α型の融点以下の領域から32℃ま
での範囲で析出した。SOSの単純冷却結晶化では、これら以外の多形の析出
は32℃以下では認められなかった。

 Fig.1-10には、SOSのαー融液媒介結晶化速度を示した。この結晶化方法で
は、γ型はただ1つの温度においてのみ得られた。pseudo-β'型は非常に広い結
晶化温度範囲で析出した。実験データが乱れているのは結晶化速度が速く、τ
が装置定数以下であるためである。

Fig.1-9 Rate of crystallization, 1/τ, of simple cooling of SOS.


 γー融液媒介結晶化では、γ型の融点とpseudo-β'型の融点との間で、pseudo-β'
が析出した。β2型は非常に長い(80分以上)待ち時間の後に結晶化した。

Fig.1-10 Rate of crystallization, τ−1, of αーmelt mediated
       crystallization of SOS.


第4節 考察

 本実験結果より、POPについてはα、γ、pseudo-β'2、pseudo-β'1、β2型の5つ
の多形が、SOSにおいては、α、γ、pseudo-β'、β2型の4種類の多形の存在が
証明された。POPの非常に複雑な中間多形であるpseudo-β'2型とpseudo-β'1型
とは3種類の結晶化方法で単一の多形として同定され、これらが独立した結
多形であることが確認された。これは、Satoらによる結晶転移を用いた結論と
一致している(10)。β1型は本章で扱った融液からの結晶化では得られなかった
が、Arishimaらの結果によると、溶液からの結晶化によってβ2型と共に析出さ
れている(13)。融液からのβ1型の析出には非常に長い時間を要するものと推定
される。  本章で得られた結果の中で興味深い点は、POPではα型に過冷却現象が認
められなかったが、SOSではγ型がα型の融点以下で結晶化した点である
(Table 1-1, Table 1-2)。  つまり、α型は2鎖長構造であることから、
POPの方がSOSに比べて2鎖長構造で結晶化しやすいことを示している
(Fig.1-11)。この原因はトリアシルグリセロールを構成している脂肪酸鎖長

Fig.1-11 Postulated double chain length structure model of POP(10).


から考察される。POP中のパルミトイル鎖とオレオイル鎖の長さは非常に近
い。なぜならばオレオイル鎖がそのcis-二重結合によって屈曲しているために,
全体の鎖長としてはパルミトイル鎖とほぼ等しくなるからである。一方、オレ
オイル鎖とステアロイル鎖とが同一ラメラに配向した場合、ステアロイル鎖の
方が長いためにラメラ面が乱れる(アシル鎖末端がステアロイル鎖において突
出する)。このため、α型結晶の安定性はPOPの方が大きい。事実、POP
のα型の融解エンタルピー(△Hf=68.1KJ/mol)の方が、SOS(α:△Hf=
47.7KJ/mol)よりも著しく大きい値が得られており(10)、上述の考察を裏付け
ているものと考えられる。

 結晶化速度に関しては、不安定な多形はより安定な多形と比較して常に速く
なるという共通の結果を示した。これは実験に用いた3種類の結晶化方法のす
べてで同様の結果であった。結晶化の待ち時間(τ)は、核発生の誘導時間と
結晶成長誘導時間の両者を含んでいる。核発生速度は過冷却度が大きい程速く
なるが、一方、これと逆比例して発生した核の界面エネルギーは小さくなる(14)
。この結果は、より安定な多形の界面エネルギーが不安定多形よりも大きいこと
を示している。同様な考察は、トリパルミチンのβ'およびβ型において議論さ
れている(15)

   実験に用いた3種類の結晶化方法による違いを比較した結果、以下の点が明
らかとなった。
 (1)結晶化速度はαー融液媒介結晶化・γー融液媒介結晶化の方が単純冷却結晶
   化に比較して、著しく速かった。
(2)出現する多形の挙動が結晶化方法によって異なっていた。特にγー融液媒
  介結晶化は単純冷却、αー融液媒介結晶化と異なる挙動を示した。

第一の点に関してはトリパルミチンの融液からのβ型、β'型の結晶化において
同様の結果が得られている(15)。融液媒介結晶化は、結晶核や分子集合体の存
在によって結晶化が促進されることが容易に想像される。これらの核や分子集
合体は、α型やγ型などのはじめに存在していた多形が、急激な昇温操作によ
って融解する際に生成するものであろう。このような機構が、α-融液媒介結晶
化やγー融液媒介結晶化で起こっているものと思われる。
 さらに、γー融液媒介結晶化の方が、αー融液媒介結晶化よりも大きい結晶化
速度を示した。この原因は、α型の融解後に生じる結晶核(または分子集合体)
が比較的壊れやすく不安定なためと考えられる。なぜならば、α型は最も規則
性に乏しい多形であるからである(16)。したがって、高い結晶化温度における
αー融液媒介結晶化過程は、不安定型であるα型が完全に速やかに融解するため
に、結晶核を残存させることがなく、結果として単純冷却結晶化と類似したも
のとなるものと考えられる。
 同様の考察は、γ-融液媒介結晶化にも応用できる。すなわち、γ型の融解に
よって生成する結晶核や分子集合体は、αー融液媒介結晶化の場合よりもより安
定な多形の核となる。この結果、結晶化が困難な`型がγー融液媒介結晶化によ
って得られたものと考えることができる。

 最後に、本章で得られた結果をココアバターの結晶化過程との関連で論考す
ることができる。チョコレートの固化過程では、本実験で行われたような融液
媒介結晶化が起こっているものと考えられる。なぜならば、チョコレートがそ
の製造工程で最初に受ける熱的処理の「テンパリング(調温操作)」は、融液チ
ョコレートを急激に冷却することがその第一段階であるからである。この段階
で、チョコレート中のココアバターには不安定な多形が生じていることが確認
されている(17)。引き続くテンパリング段階は昇温過程であるが、ここで生成
した不安定多形が融解し、それと同時により安定な多形が析出する(融液媒介
結晶化)ものと推測される。冒頭で論じたように、最終製品のチョコレート中
に存在するココアバターの多形はX型で、この結晶型はPOPやSOSのβ2型
に一致する多形である。したがって β2型を析出させるような熱的処理条件、す
なわちPOPやSOSで認められたようなγ-融液媒介転移が起こるような条件
が、チョコレートの調温処理において最適であるものといえる。なお、ココア
バター結晶化に関するより深い考察は、次章で述べるPOSの結晶化挙動、第
3章で述べる POP/POS/SOS 3成分系の結果を含めた考察が必要で
ある。


第5節  まとめ

高純度の試料を用いて、POPの5多形(α、γ、pseudoーβ'2、pseudo-β'1、β2)
およびSOSの4多形(α、γ、pseudo-β'、β2)の融液からの結晶化を行った。
融液中に結晶が析出するまでの待ち時間(τ)を、恒温セル上に試料を乗せ、
光センサーを装着した偏光顕微鏡を用いて測定した。結晶化速度は1/τによっ
て定義し、多形の同定はX線回折装置およびDSCにより行った。
 結晶化方法として、単純冷却結晶化・融液媒介結晶化(α-、γ-)を用いた
がPOPとSOSでほぼ同様の結果が得られた。
 (a)結晶化速度は不安定多形において常に安定多形よりも速かった。また、β2
  型の出現はγー融液媒介転移結晶化によってのみ観測された。β1型の析出 は
  認められなかった。
 (b)同一結晶化温度において、融液媒介結晶化での結晶化速度は常に単純冷却
  結晶化よりも速かった。
 (c)多形の出現挙動は単純冷却と融液媒介結晶化で異なっていた。
これらの結果をココアバター結晶化の機構と関連させて考察した。



文献




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