富山便りvol-33           


最終課題・・・聞くも涙、語るも涙の大変な作業だった。

今まで学んだ事を結果として残しましょうということであるわけだから

訓練内容が身についていれば課題をこなすことが出来るし、身についていなければ出来ないのである。

最終課題は4人一組でひとつの課題に取り組む。

私のチームはアクセスのデータベースにデータを登録して、検索を行うサーチエンジンの作成である。

サーチエンジンといえば、ヤフーやグーグルが有名だが、そんな大規模なものではなく

カテゴリ検索とキーワード検索の機能、それに検索するためのデータを登録する機能がついた小さなシステムである。

訓練期間の都合と生徒の能力を考慮して、今回はプログラムが配布され、そのプログラムを元に

プログラムが作られるまでの工程を再現し(フローチャートや文書を作ってシステムが出来るまでを資料にする)

そして、元のプログラムに改造を加えて仕様を少々変えるというのが

最終課題である。

プログラムがすでにあるので、私としては大助かりだ

今までの私の苦悩はやりたいことはわかっているのに、それをプログラム言語で表現することが出来なくて

常にニアピン賞だったからだ。

コンピューターの世界は常にビンゴを求められる世界だ。

まさにALL OR  NOTHING で答えはひとつしかない。

そのひとつを導き出すための手法を考え、作っていくのがプログラムの世界だ。

手探りで答えを探す・・・・・自分の導き出した答えが正解かどうかはやってみなければわからない・・・

小さなテストを繰り返し、少しずつ答えに近づけていく・・・・

根気がなく、イラチの私には向いていない作業である。

チャレンジ精神が旺盛で、へこたれない性格じゃないとつとまらない。

失敗するといつまでも気にしてクヨクヨしてしまう小心者の私には堪える作業だ。

なぜ動かなかったのか、どこがダメだったのか、その原因追求に気をとられ、原因がわからないうちは

次のステップに進めないからだ。

プログラムは一発で動くほうが奇跡にちかい。

私のようにやるなら一発で決めたいタイプの人間にはイライラする作業の積み重ねである。

エラーが出るという事は一生懸命考えたことが一発で水の泡になってしまうのである。

ガックリ・・・・またやり直しかよ・・・・・

立ち直るのにメチャクチャ精神力を必要とするのである。

ダメ出しを出されることに非常に弱いのである。

私はどちらかというと人からは派手に見られてしまうタイプのようだ。

でも実際の私の中身は非常に地味であり、人が第一印象で持つ人物像とはかけ離れているのである。

神経が細かく、些細なことに目が行くので、常にハラハラ、ドキドキである。

でも、そんな状態で日々を暮らしていると、ストレスで体を壊すか、神経を病んでしまうのが目に見えているので

自分と他人を意識的に切り離している。

そういった意味で、共同作業やチームプレーは苦手である。

与えられたことを自分のペースでコツコツとやっているのが性にあっている。

やり遂げるための手段にこだわりはないので「出来ばえはどうであれ、できればいいんだよ」と

目的を達成することが最優先となり、出来ばえは後回しになる。

世の中にはいろんな人がいる。

そしてそれぞれに自分のやりかたがあるし、自分の思うとおりに物事が進んで欲しいと思っている。

価値観の違いも千差万別だし、人がひとつにまとまるのは大変なことなのだ。

特に私は自分の意見をしっかりと持っていて、自分の思うとおりに人が動いて欲しいと思う気持ちが強いので

そう考えるのはいけない事よ

そういう考えは争いの元になるからダメなのよ

と常に自分を戒めている。

私の求める世界は自由、平等、博愛である。

人が争うことなく譲り合って、楽しく、気持ちよく暮らしていきたいのである。

そんな私にとって最終課題は本当に苦しかった

何事も早いうちに目処を立てて、ある程度のところまで持っていきたいのだが、

自分のペースでやるわけではないので、思ったように成果が上がらない。

課題が出来るか出来ないか、目処が立たないうちは不安で仕方がないのである。

私にとって期限までに課題が出来ない事は恥ずかしいことなのである。

子供の頃のすり込み教育とは恐ろしいものだ。

私は両親から「やりかけたことを投げ出したり、出来ないままに終わることは恥ずかしいこと」

とすり込まれて育っているので

その呪縛から逃れられないでいる。

この目処が立つまでの間、私はかなり追い詰められ、テンパっていた。

テンパると感情のコントロールスイッチがオフになってしまうので、イライラが表面化してしまう。

周りの人には申し訳ないことをしてしまった。

私は仕事をしていてテンパる事は少ない。

仕事は自分の能力を提供して代わりにお金をもらう所と割り切っている。

プライベートを充実させて豊かな人生を歩むのが私のやりたいことであり、仕事以外にやりたいことがたくさんある。

海外旅行も行きたいし、本も読みたい、世の中のいろいろなことを体験して自分の知識を深めたい・・・

とにかくいろんな事を知りたい、やりたいのである。

そうするにはお金が必要である。

そのために仕事をするし、これをやれば遊べると思っているので我慢できるのである。

仕事中の私の全神経は仕事を遂行することに向けられ、仕事を遂行するためには手段も選ばない。

バッシングも平気である。

物事を成し遂げるためには犠牲はつきものだし、リスクを負わずに何かをやり遂げることは不可能だからだ。

訓練校は会社ではないので、人間関係に上下はないし、就職するという目標のために

各自が自分のペースで自分のスキルをアップするところである。

訓練校に通う上で負わなければならない義務は

@就職すること

A私は今回もらっていないが、失業保険をもらって通っているのだから確実にスキルアップすること

B訓練校で決められている規則は守る事

この3点である。

それ以外はどんな風に過ごそうがその人の勝手である。

他人の行動が気になったとしても私には何も言う権利はないのである。

言いたいことがあるのに言えない

これは私にとって非常にストレスのたまることであった。

悶々と考え、頭の中がクルクルになっていた。

でも、友達というのは本当にありがたい存在である。

私は今日もみんなに支えられて生きています。

私が今日も生きていられたのはみんなのおかげです。

本当にありがとう〜

 

富山だより HOME
ひとつ前 次へ