富山便りvol-32           


気がつけば、1月はとっくに終わっていた。

年末年始と大阪で過ごし、すっかり正月ボケのままだったためか、1月のカリキュラムの内容を

ほとんど覚えていない。

私は1月の間、何をやっていたのだろうか・・・

授業のカリキュラムはLAN構築(サーバ管理)、SQL、データベースサーバ導入技術、スクリプトプログラミングとなっている。

確かにそうだ。やった覚えがある。

でも、ちっとも身についていない

授業はおもしろいのだが、いかんせんこの分野に関して自分は、ノーセンスだと自覚した1ヶ月でもあった。

私は今、人生最大の屈辱感と挫折感を味わっている。

あまり、へこむということがないのがとりえだったのだが、それすら失くしそうな勢いである。

今まで、人間は得意な分野で伸びていけばいいのだ、自分が面倒くさいと感じたことや、苦手だと思うことは

成果もあがらないし、やるだけ時間がもったいないと手を出さない主義だったので、

自分に出来ない事は多々あるのだが、やろうとしないから出来ないのだと思っていた。

逆に返せば、人間やろうと思って、出来ない事はない、努力は必ず報われるのだと信じていた。

その私の信念は訓練校に入校してからバラバラに砕け散ってしまったのである。

やってもやってもちっとも覚えられないし、どんなに頑張って勉強しても、ちっとも上達しないのである。

この気持ちは練習しても試合に勝てなくて負けた気分にとてもよく似ている。

くやしくて、くやしくて、自分に腹が立って、情けないのである。

それが10月から4ヶ月間も続いているので、精神的にはかなりダメージを受けている。

特に今日はひどかった。

2週間くらい前からスクリプトプログラミングというカリキュラムに入って、今日カリキュラムの最終課題があったのだが、

自分でもびっくりするほど、全く出来なかった。

課題を見た瞬間に頭の中が真っ白になってしまった。

それにしても、この2週間やってきたことが、全く身についていないとは脳に障害でもあるのかと思うくらいである。

課題そのものは今までやってきた事の復習とでもいうか、

やってきたことが理解できていれば出来る課題だった。

課題を見たとき、どれも「あの時やった」と思い当たるものばかりであった。

それなのに何故できないのか・・・・

最近のプログラムは処理の塊(メソッド)を組み合わせて作っていくのが主流なのだが、

目に見えないものを記憶している事が苦手で、自分がイメージするものを組み立てていくという能力に欠けているからである。

プログラムを作るにはこの能力が絶対に不可欠である

理解して覚えたことは忘れないタイプなので、どのメソッドを使えばいいかはわかるのだが、

それをどこに使えば思うように動くのかという想像がつかないのである。

授業中の私は、バラバラに並べられたプラモデルの部品を前に、完成品を知らずに組み立てようと四苦八苦しているようなものである。

つまり、組み立て方がわからないのである。

おまけにおおざっぱな性格が災いして、”ダブルコーテーション”などの記号やつづりの間違いが目立つ。

コンピュータは一字一句違っていてもだめなのだ。

いつもいいところまであっているのだが、肝心のツメがあまいので、常にニアピン賞獲得状態である。

組み立て方を知っている人が私の作っているプログラムを見ると、なぜそんなところにそのメソッドが?

という疑問を抱くこと間違いなしである。

来週からさらに難しくなるらしい・・・・・

本音をいうと、プログラムを作るのは苦手なので、プログラム作成から解放されたいのだが、

そういうわけにもいかないので、後もう少し、踏ん張るしかないのである。

昨日テレビで見たのだが、人はストレスから記憶喪失になることがあるらしい。

突然記憶を失い、私は今、何をしていたのでしょうなどと言うような悲劇はさけたいものだ。

 

 

 

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