富山便りvol-28            


訓練校の先生は訓練校の職員として働いている内部の先生と、講師として外部から呼ばれる先生がいる。

今は外部講師と呼ばれる先生に習っている。

生徒が躓くポイントをよく踏まえたわかりやすい授業をしてくれる素敵な先生である。

「私の授業で生徒にわからないことがあってはいけないわ」というオーラが全身から出ている感じだ。

授業の内容はデータベース構築である。

具体的に言うと、アクセスというソフトを使って作ってあるサンプルシステムに、マクロやVBAを加えて

ユーザーがさらに使いやすくするためのメンテナンス技法を学んでいるのである。

マイクロソフト社のソフトは知名度が高く、ワープロならWord、表計算ならExcelとパソコンを使う人なら誰でも知っている。

アクセスはマイクロソフト社のデータベースソフトで一般に広く知られているのだが、WordやExcelに比べると

使い方が少々難しい。

というか、ソフトの使い方をきちんと理解していないと扱えないソフトである。

以前自己流で使うためにマニュアル本を買ってみたことがあるが、マニュアル本を見ても使い方が

さっぱりわからなかった。

マニュアル本のうたい文句は「サルでもわかる」というものであったが、

見てもわからない私は「サル以下かい!」と落ち込んだのを覚えている。

訓練校で習ってやっとどういうものか理解できた。

WordやExcelも使いこなすとなると、覚えなければならない機能や用語がたくさんあって、それなりに勉強が必要なのだが、

特に目的が無くても、文字をあらわしてみるとか、表をつくってみるとか、簡単な計算をしてみるとか、

なんとなく使ってみることが出来るのだが、

アクセスはやりたいことが明確になっていないと使うことができないソフトでもある。

現在はその応用といったところだろうか。

しかし、人間というのは忘れる生き物である。

あんなに一生懸命勉強したのに、アクセスの基礎を習ってからマクロまでやったのに、

VBの授業をはさんだだけで、すっかり忘れているのである。

VBの授業が終わる頃、私はやっとコードを書くことになれた。

そして、慣れた頃にはマクロの作り方が頭から飛んでいた。

VBAはマクロで出来ないことを補うことができるのだが、日常必要だと思われるものは

大抵マクロで代用できる。

フォームを開くとか、検索する文字を入れて、該当するものを表示させるなどの命令は、

マクロで作っても、VBAで作ってもコンピュータは同じ仕事をしてくれる。

時々思ったように動いてくれなくて、VBAなら必要ない作業を組み込まなければならないことを除けば

マクロで作ったほうが簡単なのは確かである。

マクロは日本語でOKだし、コンピュータにさせたいことを選んでクリックするだけでいいし、

なによりマクロはプログラムの知識がなくても作れてしまう。

では今つくったステートメントはマクロでも出来るので、マクロで同じものを作ってみましょう

すでにマクロは習っているのだし、以前授業で作ったマクロと同じマクロをつくるのだが、

マクロの作り方を忘れてしまっている私は画面の前でかたまってしまった。

コンピュータではなく、私がフリーズである

えっと・・・マクロを作る時は何からやるんやったっけ?

今やろうとしていることは一番初めに何をもってきたらいいんやったっけ?

そもそも今、VBAで何作ったんやった〜〜?

ひとつやるとひとつ忘れる。

鳥はそうらしいのだが、これでは鳥と同じではないか・・・・

マクロ作成の画面を見ながら私の頭はクルクルといろんなことをめぐらしているのだが、

一向に答えがみつからない。

全然ダメじゃん!

試験じゃないので、手元には以前習った教科書が準備してある。

あわてて習ったところのページをめくると、ちゃんと書いてあった。

教科書を見ながらなんとか作ることが出来た。

習うより慣れろ!まさにその通りである。

技術の向上は実践あるのみ。つまり、場数をこなさなければ身につかないということを

しみじみ実感した瞬間であった。

授業が終わって帰路につく車の中で

やっぱり、脳みそちぎれそうでも復習せなあかんなぁ〜と心の中でつぶやいていた。

それは今日は頑張って復習するぞ、という決意に変わっていった。

何かを身につけるときには先行投資は必要だと教科書を買ったので、

復習する環境はバッチリである。

うちにつくなりパソコンを立ち上げたのだが、パソコンの前にすわると

何をすればいいのかわからなくなってしまった。

まず、何をするべきか頭を整理してから始めようと教科書を引っ張り出して読み始めたのだが、

寒いのでコタツに入ってしまった。

コタツ・・・・私はそれを悪魔の機械と呼んでいる。

なぜなら、すべての思考能力を奪い、快適な眠りへと知らない間にいざなってしまうからだ。

私は確かに教科書を読んでいた。

読んでいたはずなのに、気がつくと、教科書は私の顔の上にのっていた。

車の中の決意はどこへ行ったのか。

反省しつつも時間は無常に過ぎていくのであった。

 

富山だより HOME
ひとつ前 次へ