12月に入って、カリキュラムが変わった。
今度はJava言語の授業である。
言語は少し前にVB(ビジュアルベーシック)という言語の入門編を習ったのだが、
さっぱりわけがわからないうちにカリキュラムは終わってしまった。
なぜなら、そもそもプログラムとは何か、仕組みはどうなっているのかを
全く理解していないのに、
ソフトの使い方だけを習っても、自分の中で意味を持たないからだ。
VBはマイクロソフト社のソフトのひとつである。
基本はベーシックというプログラム言語だが、プログラムの仕組みを知らないのだから、
ただ教科書の通りにキーボードを叩けば、教科書と同じものがパソコンのディスプレイに表示されるというだけのことであった。
理解していないのに身につくわけがない。
何事も基礎が大事なのである。基礎が無ければ応用もきかないのである。
このことはコンピュータに限ったことではない。
すべてにおいての共通項である。
例えば運動においても、言葉を話すといったことでもそうなのである。
立てない人が歩けるわけがないし、走れるわけがない。
アルファベットの発音を知らないのに文字を見て英語を話せるわけがないのである。
ベーシックはコンピュータ言語の中でも一番やさしい言語といわれている。
そのベーシックが基本になっているVBでさえ出来ないのに、Javaをやるなんて無謀なようだが、
実はJavaの授業になってから、私は楽しくて楽しくて仕方が無いのである。
たぶん、Javaが楽しいのではないと思う。
Javaの授業ではプログラム言語を学ぶにあたっての基礎を先生が事細かく説明してくれるので、
授業の内容が理解できて楽しいのである。
なんでもそうだ。できると楽しいし、できないとつまらないのである。
先生は私のような落ちこぼれでも、嫌な顔せずにわかるまで説明してくれる。
学生時代に家庭教師のアルバイトをしていたのではないだろうかと思ってしまうくらいである。
親切丁寧に相手が解るまで教える。
これは大変な忍耐を要求されるものである。
私も「先生」と呼ばれる職業についていたことがあるので、その苦労はよくわかる。
相手の解釈が遅いとイライラするのだが、それを生徒に悟られないようにするのはとても忍耐力がいる。
先生はいつもにこやかだ。オーラがやわらかいのである。
私は自分がいらちなので頭が下がる思いである。すごいなぁと尊敬してしまう。
今はまだ教科書のほんのさわりの部分なので、Javaをやってるとまでは言えないレベルだ。
ほんの短いプログラムを書いてみて、プログラムが動くかどうか確認している段階である。
VBの授業で私がやったことは教科書の丸写し、もしくは教官機の丸写しだった。
ただ、キーボードを叩いて、教科書と同じ結果が得られるかどうかだけで、自分で考えてやったわけではない。
授業中にやることにモレがないようにただキーボードを叩いていただけで、理解をしていなかった。
プログラムを書くのに必要な基礎がないので、教科書を見ても内容が理解できなかったのである。
Javaの授業ではテキストエディタを使ってプログラムを記述し、コマンドプロンプトで実行結果を
確認しているだけで、コマンドプロンプトの真っ黒な画面に白抜きの文字が並んでいるだけである。
ビジュアル的には味もそっけもない。
それでも、私にとっては楽しいのである。
コンピュータは機械だが、今の作業はコンピュータと対話しているような感覚なのである。
楽しい、実に楽しい。
基本的に私は自分以外の何かと喋ったり、コミュニケーションを取るのが好きだ。
テレビを見ていて、テレビに向かって話しをしたり、
動物園に行っても動物に話しかけたりしてしまう。
一番楽しいのは人間で、話をしていて、共感を得られた時など、最高に楽しいのだが、
テレビでも、植物でも、動物でも、返事がなくても返事されたように勝手に解釈して楽しんでしまう。
このあたりが「変わってる」と言われてしまう由縁なのだが、楽しいのは事実なのだから仕方が無いのである。
同じ教室で学んでいる人たちには恐怖を与えてしまって気の毒だと思うのだが、
申し訳ありません、こんな私で許してくださいとお願いするしかないのである。
何かに夢中になると、人目を気にせず自分の世界に入ってしまうので、先日も大恥をかいた。
VBではプログラムを記述して間違いがあると、黄色いラインとなって、どこが間違ってるか表示されるのだが、
Javaではコマンドプロンプトにコメントで表示される。
黄色のラインで表示されても、何がどう間違っているかわからないので、頭をかかえてしまうのだが、
コメントで表示されると何が間違ったのか一目瞭然である。
コンピュータはプログラムに書いたとおりにしか動かないので、記述していないことを実行させようとしてもしてくれない。
Javaではまず、どんなプログラムかの題を書き、どんな処理を行うのか書き、実際の処理の内容を書いていく。
実際の処理を書くにあたって、一番はじめに変数(値の入れ物)を定義するのだが、
この定義を忘れると処理できないというエラーが出る。
同じアルファベットでも大文字と小文字を区別するので、定義する時に小文字を使って、処理を書く時に間違って大文字にしたりすると
「シンボルを解釈処理できません」というエラーメッセージがでる。
例えばint a,b,c(変数にaとbとcを使います。データの型は整数型です)と書いておきながら
A=123(本来ならa=123と書かなければならない)と書いてしまったりすると「シンボルを解釈処理できません」とエラーメッセージが返ってくるのである。
ようするにコンピュータは「あなたの書いたAだけど、それって何?、ちゃんと書いてくれなきゃ処理できないわ」と言っているのである。
私の書いたプログラムに対してコンピュータの答えが「あんたの命令わからんわ、処理して欲しかったらちゃんと書け」だったので、
つい「へぇ、へぇ、すみませんね〜」と
授業中だということを忘れて教室内でつぶやいてしまったのである。
他の人から見ると「変な独り言を言ってる」変な人以外の何者でもない。
私がそういう人をみかけたら「あやしい変な人」と思ってしまうだろう。
その時の私は教室であるにも関わらず、自分の世界でコンピュータと対話していたのである。
妄想が暴走中状態であった。
今からやろうとしていることを整理して考えながら教科書を見ないでコードを書いていく。
多分間違ってないよな、これでいけるはず・・・・えいっ!
エラー数4個・・・・メッセージを見ながら修正する。
ここかっ、こうかっ、これでどうだ!えいっ!
気合を入れて修正したのにエラーメッセージが出てしまい、
丁寧に書いた企画書をダメだしされたような気分になって
書き方が悪うございました、書き直しますとも、はい、はい、やりますよという気分から
「へぇ、へぇ、すみませんね〜」となかば投げやりに言ってしまったのである。
周りの人から「えっ、何?」と言われて我に返ったのであった。
久々に恥ずかしくて赤面してしまった。
夢中になると、自分の世界に入ってしまい何も見えなくなってしまうのだが
こんな状況になるのは楽しいからに他ならない。
読んで字の如し、夢中とはまさにゆめのなかである。
知識の吸収が追いつかなくて落ちこぼれ、訓練校に行くのが少々憂鬱になっていたのだが、
Javaの授業が始まって学ぶことの楽しさを再び思い出したって感じである。
カリキュラムの日数も少ないし、授業の進みも遅いのでJavaに関してたいしたことは出来ないかもしれないが、
ほんの少しの事でも自分のものになっていっているという満足感が得られている今日この頃である。
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