富山便りvol-27            


身体を壊してからしばらく自宅療養を続けていたが、いつまでもプラプラしているわけにもいかないし、

かといって今までの事を生かして肉体労働に戻ることもできないので、

一発奮起し、パソコンのスキルを上げて次のステップにすすむことにした。

ラッキーにも職安の訓練校に入所でき、パソコンのスキルを上げる勉強を始めることになった。

最初のうちはよかった。

今までよくわからなかったことが理解できていくので

楽しくて楽しくて、家に帰っても復習しているくらいだった。

しかし、カリキュラムが進むにつれ、私の理解のペースを超えて授業がすすんでいくので

だんだんと授業が苦痛になってきた

勉強というのは自分のペースでやって、理解できているうちは楽しく、

わからないことが出てくるとつまらなくなってくるものだ。

私は数学が一番苦手である。

数学は小さいことの積み重ねなのだが、子供の頃につまづいてしまい、

それ以来授業の内容が何もわからないまま学校を卒業してしまった。

自分に理解できないことを延々と聞かされることくらい苦痛なことはない。

私にとって数学の授業は坊さんの読教より退屈でつまらないものであった。

子供の頃につまづいて以来、私にとって数学はわからない学問というレッテルが貼られ、

「数学なんてわからなくても生きていけるし、買い物に困らない程度に計算できればいいんだわ」

なんて思っていたので、恥ずかしながら小学生のドリルでさえ解けないかもしれない。

それほど、数学的な知識がゼロに等しい私が、コンピュータのプログラムを組むというのだから

それはまさに暴挙であり、毎日脳みそがちぎれそうなくらい頭がいたくなる事なのである。

どうやら今のクラスは私よりも格段にレベルの高い人が集まっているようで、

授業の進みが速い。

今はVBというソフトを使って簡単なプログラムを作っているのだが、

プログラムというのは書き方が決まっていて、パーフェクトに記述しなければ動かないものである。

先生は初めに教科書の内容を説明するのだが、先生の説明を聞いてはじめて

教科書に書かれてある内容を理解している私は、教科書に自分にわかるコメントを書き込んでいく。

しかし、私がコメントを書き込んでいる間にも先生は説明を続けていくので

コメントを書き終えた頃にはプログラムを記述する段階に進んでいる。

先生は説明によって生徒が授業の内容を理解しているものと考えて授業を進めていき、

生徒も先生と同時に記述し始めていっていると思っている上に生徒はタイピングが速いと

思っているようなので、自分が書き終えると、

ここまで、いいですか?では実行してみましょう」というやいなや

プログラムが動くかどうか実行してしまうのである。

私は先生が書き終えようとする頃、記述に入っているので、先生がプログラムの実行に入っても

まだプログラムを書いている段階で、

このように動きましたか?動いていない人は言ってください」と先生はいうのだが、

動くも何も、私はまだプログラムを書き終えていないのである。

教科書の内容をパーフェクトに理解し、頭に入っていれば、教官機や教科書を見なくても

プログラムを書いていけるのであるが、

私の場合、とりあえず今からやろうとすることを理解したというレベルなので

何を書いていったらいいのかはわかっていない。

しかたがないので初めは教官機を見ながら書くのだが、プログラムを実行する段階になると

教官機の画面が途中で変わってしまい、書かれてあるコードがわからなくなる。

それから教科書に切り替えるので、

どこまで書いたか探すのに手間取ったり、行を間違えて記述したり、

あるいは説明を聞いて教科書にコメントを書いたりしている間に

オブジェクトのプロパティの設定が行われていたりするのを、

聞き逃してしまい、設定していないこともある。

おまけに先生は時々教科書とは違う書き方をすることもあって、

私の書いたプログラムは一発で動いたことが無い。

当然である。

コンピュータは人間の命令文に忠実で高い処理能力を持っているが、

間違った命令は一切きいてくれないのである。

はやくコンピュータを自分の思うとおりに動かしてみたいものだ。

 

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