最初の生徒


とりあえずシリアに来てしまったし、考えようによってはここにはうるさい上司もいないし、

交渉しだいで自分の好きなようにやってもいいんだわ。

私はそんな風に考えるようになっていた。

元々協調性は少ないほうだし、勝手にやらしてもらいまっさって感じだ。

だいたい私にできる与えられた仕事がないのだし、自分で作るしかない。

協力活動を行うことを前提で派遣されているし、プラプラしているわけにもいかない。

日本に帰るよりシリアにいたかったし、いるためには仕事するしかないのだけれど、

予定していた仕事が来てみたらなかったのだから、自分の力で掴み取るしかないのだ。

JICAから帰国命令が出るまではやりたいことやって、結果的にシリアに貢献できればそれでいいじゃないか。

要するに最終的にはシリア人からみて役に立てればそれでいいんだ。

協力隊のモットーは草の根レベルの活動だし、シリア人から見た日本人の評価が上がればいいんだ。

長野県にある訓練所で教わった協力隊の定義は忘却の彼方に追いやられ、

だって、そうするしか仕方ないじゃ〜んって感じに開き直っていた。

協力隊に参加するために私が払った代価は大きかったし、協力隊に参加したことを後悔したくなかった。

私の辞書に後悔の二文字は必要ないのだ。

普段へこむということをしない人間ほど、へこむ時はめちゃめちゃへこむ。

私もその例に洩れず、へこむ時はこの世の終わりのごとくへこみ、

そのへこみを引き起こすのはたいてい後悔が引き金になっている。

自己嫌悪から奈落の底に落ちて行き、すべての気力、体力も奪われ生ける屍と化してしまうか、

とめどなく暴走してしまうかのどちらかになってしまう。

はた迷惑もはなはだしく、私に後悔を与えるとろくなことがないのである。

とっかかりもないので体操協会に足を運んで担当者の人に

「シリアにはエアロビクスという運動プログラムは入ってきてないが、今、世界中でみんなやりはじめている。

様々なスポーツ選手の体力強化に使われているし、やるべきだ」と説明し、

とにかく生徒を募集してレッスンできる場所を確保して欲しいと言った。

その要求が受け入れられるまで1ヵ月かかった。

それにはいろんな理由があった。

まず、体操協会に常駐しているのは私を「いらない」と言ったオッサンだけだったが、

そのオッサンも外回りの仕事があったり、会議に出ていたり、いつもいるという訳ではなかった。

電話を使ってアポを取るには語学力がお粗末だったし、

そもそも私の家には電話がなかった。

電話をかけようと思えばJICA事務所に行かなければならなかったから

ダイレクトに協会を訪問するというのが、一番確実だった。

運良く協会の人と話ができても、相変わらず「子供のコーチをして欲しい」の一点張りだから

しゃあから、それはできひんてゆうてるやろが、

何回ゆうたらわかるねん

と日本語で切れてしまう程だった。

器械体操はやったことがないし、できないと私も言い続け、相手も根負けしたのか

「フランス語学校の生徒が体操の先生を探している、場所は体操競技の体育館でどうか」

というのでやってみることにした。

生徒は13歳と14歳の女の子達が15名ほど来ていた。

みんな驚くほど発育がよくてかわいい子達だった。

その中のひとりの女の子がほんとにかわいくて、日本に連れて帰って

モデルとして売り出したいと思うくらいかわいかった。

最初の要請事項とはかけ離れたものになってしまうかもしれないが

学校体育のないシリアに運動プログラムを入れるというのも悪くないかもしれないと思い始め

とりあえず、音楽に合わせて体を動かす楽しさを教えられたらいいなと思っていた。

しかし体操競技の体育館にエアロビクスをやるスペースなんかない

貸切じゃないし、体操競技の隊員もいたし、体操競技を教えているロシア人コーチもいた。

おまけに電圧が不安定で、コンセントはあるが電気は通っていない

乾電池を使ってやろうと思ったがカセットデッキも不良で音楽を使うことすらできなかった。

やりたいことなんもできひんやんけ!

心の中ではそう叫んでいたが、向こうも譲歩してきているのである。

私もやれる範囲でやらねばって気持ちになっていた。

やるとすれば体操競技のマットの上くらいなものだが、それでも仕方がないと思っていたら

「このマットは日本の援助で入れて大金かかってるし、ダメになると困るから靴は脱いでよ」と

体操競技の隊員から言われ、途方にくれた。

エアロビクスは靴を履いてやるものなのだが、体操競技の隊員に言ったところで通じない。

どこにも居場所がなくて、みじめで情けなくて涙がでそうだった。

くっそ〜なんでこんな思いせなあかんねん

そう思いながらも仕方がないので靴を脱いで、マットの端っこをちょっとだけかりて

リズム体操っぽいものを指導することにしたが

場所も狭いしすぐに体操競技の隊員ともめるので、レッスンはつまらないものになった。

こんなことやってられるか〜

と体操のマットを畳がえしのごとく、ひっくり返して暴れたかった。

なんやねん、一体、私はここで何してるんや、なんでこんなことに・・・・・・

ないない、ダメダメ状態の中で、何をどうやったらいいものかすらわからないまま

ただその時間、体を動かすというようなことをやっていて、自分でやっててほんとにつまらなかったし、苦痛だった。

私がやってておもしろくないのだから、当然生徒だって楽しいと思えるはずもなかった。

飽きて別のことをやり始める子供がいたり、運動をやめておしゃべりを始めたり

私のいう事を聞いてまじめにやる子は2,3人しかいなかった。

シリアの子供たちは実に自由な気質で、表現方法がストレートだ。

お前らその態度はあまりに失礼じゃないか

そう思う私の気持ちなど、まるで無視である。

週に2回を予定していたが、次のときには半分ほどに人数が減った。

あのコーチの授業はつまらないとレッテルを貼られ、どんどん人数が減っていき、

そのうち回を重ねるごとに13歳、14歳の子供たちを教えるはずが

いつのまにか5歳児とか、おばさんとか混ざり始め、

動きすら統一することが出来なくなり

どないせぇっちゅうねん!と切れることにも限界を感じ

こらどうもならへん、他の事考えなあかんわ・・・

結局、場所も生徒も自分で探すしかないという結論に達した。

 

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