シリア総合スポーツ連盟


協力隊は要請主義をとっている

つまり、「こういう人が欲しいのです」というニーズがあるから募集されるのであって、

行ったらやることが決まっていると思うのは自然なことだと思う。

私も当然そう思っていて、相手の希望に添えるよう、ベストをつくそうと考えていた。

1ヶ月のアラビア語研修を終えた後、私は語学に不安を覚えながらも配属先へ向かった。

私の配属先はシリア総合スポーツ連盟という団体で、

ようするにシリアのスポーツに関することはすべてそこが管理している。

いろいろなスポーツの協会が所属していて、その中の体操協会に配属された。

私の要請は「一般婦人にエアロビクスを指導する」というものだったので、

私は当然シリアのマダムにエアロビクスを教えるのだと思っていた。

だから担当者と生徒は何人いて、どこでレッスンするのか等、具体的な話をしようと思っていた。

体操協会のドアの前でノックし、覚えたてのアラビア語で挨拶をした。

自己紹介をし、仕事の話をしようとした時の事、信じられない出来事が・・・・

担当者が「あなたは必要ない、器械体操のコーチは足りている

と言ったので、私は耳を疑った。

語学に自信がなかったので、聞き間違えたのかと思いつつ、

「は?今何と?私はエアロビクスのインストラクターで器械体操のコーチではないのですが」と言うと

「それはもういらないのです。どうしてもコーチがしたいなら、子供に器械体操を教えて欲しい

と言うではないか。

それって、どういうこと〜!?

すでに私の頭は何が起こっているのか理解不能だった。

理解しようにも語学力が足りなすぎた。

とりあえず、冷静になって状況を把握する必要を感じ、JICAの現地事務所に行くことにした。

急にそんなことを言われても困るし、私はトレーニングのプロであって、

学生時代に授業でやった程度の器械体操を指導するなど無理な話である。

バクテンすら出来ない私にどうやって教えろというのだ。

どないなっとるんや

それしか言葉が浮かんでこなかった。

私は協力隊の募集要項を見て、試験を受けて、合格したから二ヵ月半も訓練受けて、

仕事も辞めて、泣きつく親も振り切って、シリアのマダムにエアロビクスを教えるべく

日本から遠く離れた湾岸戦争直後のシリアに来たのである。

確かに募集要項には「一般婦人にエアロビクスを指導する」と書いてあったのだ。

お前はいらんと言われても困るし、出来もしないことをやれと言われても困るのである。

JICA事務所には現地で隊員をサポートするために、調整員という人がいる。

隊員業務で支障がでれば、まずこの調整員になんでも相談する。

事務所につくなり私は調整員の部屋へ行き、少し興奮気味に事の次第を話した。

「スポーツ連盟行ったら、お前はいらんって言われたんですけど、どうしたらいいんですか?」

調整員の返事は

日本みたいに物事がスムーズに進まないから途上国なんだよ

というものだった。

確かにそうかも知れないが、これはあんまりじゃないのか????

話が違うじゃないかと私が思ったとしても不思議はないと思う。

私と同じ状況に置かれて話が違うじゃないかと言わない人がいるならお目にかかりたいって感じだ。

調整員に解るように説明してくれと食い下がったところ、

要するに私の前任者がマダムを集めてジャズ体操を教えたところ好評だったので

続けて指導できる人が欲しい、できれば続けていきたいという意向で募集をかけたらしいが、

前任者の任期中に条件を満たした人が応募しなかったり、

湾岸戦争が勃発して、協力隊活動そのものが中断されたりするなどして

結局は前任者が帰国して一年半もたってから私が来たので

仕事を引き継ぐということができなかったらしい。

日本の様に会員制をとって生徒の名簿を管理するということもなく、

コーチがいなくなったので、教室もなくなり、誰が来ていたかもわからない。

つまり、私が来たときには何も残っていなかったのである。

体操協会そのものはエアロビクスに興味なんかないし、実際に要請したのは

スポーツ連盟側の協力隊担当をしている人だった。

ただ、協力隊員は配属先が必要なので雰囲気の似ている体操協会に配属になったのと

隊員が所属していれば、予算が取れるという協会の都合上引き受けていただけのようだ。

前任者が体操協会に所属していたようで、私もそうなっただけだった。

おまけに体操協会のオッサンは協力隊がなんたるかを知らず、

隊員のことはタダで使える自分にとって都合のいい外国人コーチ

あるいは日本がお金出してる出稼ぎ労働者

うまく使えば新しい機材が手に入る、くらいにしか思っていなかったのである。

つまり体操協会は器械体操の発展しか考えていないし、

またそれをメインにしている協会で、私が来る一年前に、やっと新体操の隊員が入ったところだった。

だから器械体操は指導できない、器械体操以外の事をやりたいと言うと

「あなたは必要ない」という答えが返ってくるのは仕方ないことだった。

その当時、シリアにはエアロビクスという概念すら入ってきていなかった。

外国のメディアは思いっきり制限されていたし、しかも大のアメリカ嫌いである。

テレビ放送なんか2チャンネルしかなくて、ひとつは国営で、ひとつは民放だが

それもかなり制限がかかっている。

その当時は北朝鮮と張り合うくらい操作されていたのではないだろうか。

女子の学校体育がなくて、婦人の社会体育もほとんどないというか、

そもそも女性がスポーツをするという概念がほとんどない国だった。

人前(男性の前)で素顔を見せることや、体の線がわかる服装をすることすら禁止されているし、

お宅訪問やショッピング以外で外出することもほとんどない。

そんな社会背景の国に女性の社会体育を促進するなんて無謀なのかもしれない

しかし、シリアに女性の社会体育を導入するのはシリア側が望んでいることだと思っていたし、

ましてや呼ばれているからニーズがあるから自分はシリアに来たと思っている。

今考えると担当者ともめないわけがなかったのだが、

当時の私には想像もつかなかったことだ。

来てしまったのなら仕方がないから、なにか協会の仕事をさせてやるよという

体操協会のオッサンの態度に非常にムカついた。

私って必要とされてないじゃん

こんなとこまできて、相手にそんな態度をとられると怒り爆発である。

「任国の人達のために」なんて気持ちは私も持っていなかったが、

それでも、来ちゃったんならしょうがねぇなぁ〜

みたいな態度にはムカつくのである。

私は初めカリブ海に浮かぶ島、ドミニカ共和国に行きたかっただけに

私だって好んで来たわけちゃうわいと言いたい気分だった。

前任者は体育の先生で、ジャズ体操をエアロビクスと言って指導していたらしいが、

ジャズ体操とエアロビクスは似ているが理論としてはあきらかに違う。

音楽に合わせて体を動かすということに違いはないのだが、

エアロビクスにはきちんと理論とプログラムがあって、動きに順番やパターンもある。

もともとエアロビクスの原点はNASAで開発された運動プログラムである。

無重力空間に長くいると心肺能力が低下したり衰えたりする。

その心肺機能を戻すことに重点が置かれたプログラムで

本来は体が弱っている人のためのプログラムである。

体の弱い人が無理なく強いからだを手に入れることが出来る理想的なプログラムとして

初めてエアロビクスを知った時は感動したものである。

私はシリアにエアロビクスの概念を導入することを決意した。

今更おめおめと日本に帰るのは嫌だったし、税金使って来てる訳だから

税金泥棒と言われないだけの実績を残さねばという気持ちでいっぱいだった。

それに器械体操の指導は出来ないと言ったときに体操協会のオッサンのみせた

あんた役に立たないよ

という態度は私の地雷をヒットさせた。

役に立つか立たないか、証明したろやないか、みとれよ、オッサンって感じだ。

私は人にバカにされるのが大嫌いだ。

それ以前にそもそも、協力隊が派遣されてる名目は途上国への援助だ。

援助する側の人間が、援助される側の人間にバカにされる筋合いはない。

感謝しろとは言わないが、初対面の人間に対してとる態度ではなかった。

あまりにも失礼だし、あんた何様?といいたくなる態度だった。

しかし、私はそれが日本側の考え方、感じ方なのだと実感することになる。

そして日本にいる時は意識しなかった、「自分は日本人である」という当たり前の事を

様々なところで体験し、実感していくのである。

文化の違い、生活習慣の違い、所変われば人変わるというように

環境によって人間は様々な価値観や考え方を持つようになるのだと学んでいく。

そして、私自身もシリア人との触れ合いの中で変わっていき、

帰国する頃にはシリア人から「チカってシリア人みたい」と言われるようになるのである。

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