私のお仕事


シリアの思い出を書くことに夢中になってメインである「お仕事」を書くのを忘れていた。

そもそも協力隊とは自分の持てる技術を開発途上国に移転するという国家事業で、

正式名を青年海外協力隊=Japan Overseas Cooperation Volunteersという。

国家事業というからには所属がある。

まず、外務省が取り扱っている開発途上国への援助、これを政府開発援助(ODA)といい、

その中で無償資金協力と技術協力を担当しているのが国際協力事業団(JICA)

(特殊法人改革で現在は独立行政法人国際協力機構と名称が変更)で、

JICAの実施している事業のひとつが青年海外協力隊である。

(青年海外協力隊のルーツはもっと深いものであるが、ここでは省く。)

隊員資格は20歳から39歳までの日本国籍を持つ男女で

派遣対象国(政府間の取り決めにより締結)から要請された募集要項にそって単身赴任し、

派遣された国で技術協力活動をする。

隊員になるには年に2回行われている試験に合格し、合格すれば訓練を受けなければならない。

訓練を無事こなして後、晴れて隊員となって合格時に決められた国へ派遣される。

派遣されるときには政府の仕事であるオフィシャルパスポートが手渡され

観光客とは区別される。(緑色のパスポートで、表紙にはオフィシャルと書かれてある)

協力隊の英文はジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション・ボランティアーズという名前で

基本的にはボランティアだ。

日本でボランティアというと、タダで何かやることだと皆勘違いしているが、

ボランティアの本来の意味は自発的に参加するということで、

決してタダ働きするという意味ではない

誰に指図されるわけでもなく、本人が望んでやりたいことなので、

金銭は問わないというだけのことだ。

外来語つまりカタカナで表記されている言葉というのは、

そもそも日本語に置き換えることが難しい外国の文化や物を表すことが多く、

ボランティアもそのひとつである。

協力隊は現地生活手当てが支給されていて、生活には困らない。

ボランティアとつくのに、お金をもらうのはおかしいという人がいるが、

こういう人は言葉の意味を知らずに使っていると思っている。

だから協力隊に参加する人は自分が行きたいからやりたいから行くのであって、

行ったからにはベストを尽くすのがあたりまえである。

ボランティアとはそういったものだ。

協力隊員募集の広告についてはイメージ戦略が先行しすぎて、

世間では「貧しい国の人たちのために自分の青春をかける若者たち

というイメージがあるようだが、

実際、そんな甘い気持ちで協力隊員になると苦労する。

そういう高い志を持って協力隊に参加してきた人ほど、苦悩しているようだ。

高い志派遣国の人のために私は行くという気持ち)を持って参加した人は

派遣国の人との関係に悩んだりする。

現地に行ったら文化の違い、言葉の壁をはじめ、様々な障害が待ち受けているのだ。

そういう意味では幸か不幸か私はあまり高い志を持っていなかったので気楽だったかもしれない。

派遣先の国の人のためになんて気持ちでいたら、壊れていたかも知れない。

私の「マジかよ〜」というエピソードを紹介する前に、協力隊参加の動機について触れてみたい。

恥ずかしながら私は、試験受けて合格するまで協力隊がどういうものであるか把握していなかった。

その当時私は「毎日つまら〜ん」を繰り返していた。

そんな私を見て友達が「なんかおもろいことやってるみたいやで」と連れて行った所が

協力隊募集の説明会会場だった。

(しかもその時もたまたま梅田を友達とブラついていただけ)

説明会会場で協力隊の概要を説明していたが、あんまり人の話を聞いてない私は

「なんだかよくわからないけど、とにかく外国へ行って働くのね」くらいの認識だった。

小さい頃から外国で一人暮らしをしてみたいというのは私の夢だったし

そのためならなんでもするわ、って感じだった。

その当時、ワーキングホリデーを考えていたが、私は貯金が苦手で、

お金の顔を見るとすぐに使ってしまうのでその夢はあまりに遠かった。

私にとって協力隊は

「外国で一人暮らしする」という私の夢をサポートしてくれる素晴らしいものだった。

タイムリーに募集要項に私に出来そうな職種があり、合格して派遣された。

シリアの募集内容は婦人に健康指導でエアロビクスを指導してるので後任が欲しいというものだった。

私はそのつもりでいたのだが、行ったら仕事がなかった・・・・・・・

 

ひとつ前

次へ

HOME

シリア