パン屋のハッジ


シリアでの主食はホブスと呼ばれるうすいパンである。

インドあたりで見られるナンをもうすこしペチャンコにして硬くした感じだ。

ホブスはホブスでおいしいのだが、たまには普通のパンが食べたかった。

しかし、食パンなどはどこにも売っていない。

あるとき先輩隊員のMちゃんが遊びに来て、スークの中にあるパン屋に連れて行ってくれた。

その店はコッペパンを量り売りで売っているのだが、

そこの店主はMちゃんを見つけると、親しげに声をかけ、

こっちへ来いと店に手招きした。

その当時私はまだアラビア語がほとんど話せなかったのだが、

Mちゃんはバリバリ喋れたので店主をハッジと呼び世間話をし始めた。

ハッジというのは、本来は巡礼を終えた年配の人を指すのだが、

年配者に対し敬意を表して呼びかける時にも使う。

私はまだアラビア語がわからなかったので何を喋っているのかは不明だったが、

Mちゃんが楽しそうに喋ってるので適当にニコニコしていた。

しばらくするとハッジがナイロン袋にコッペパンを山盛り入れ始めた。

わしづかみでかなり豪快な感じ。

しかも二袋。このナイロン袋がけっこうでかい。

Mちゃんそんなにパンを買ってどうするんだろうと思っていると

ハッジは私の肩を叩きながらひとつをMちゃんに、ひとつを私に手渡した。

「えっ、私パン買うって言ってないよ」とMちゃんに言うと

これ、くれるんだって。ここのハッジいつもそうなんだ。

もってけってつめてくれるの。

お金払うって言っても絶対受け取ってくれないの。

日本人が好きみたいだよ

とMちゃんはいうではないか。

ほんとにいいのだろうか?

半信半疑ながらもMちゃんがあいさつを済ませ店を出ようとしたので

私もあとからついて出た。

「ほんとにいいの?」と念を押すと

「いいの、いいの。断ったりするとかえって怒っちゃうからもらっとけばいいよ」

とMちゃんが言うのでありがたくいただいた。

小麦の味が濃いおいしいパンで、スープに浸して食べるとさらにおいしかった。

まもなく私はMちゃんが言っていたことを実感する。

スークをぶらぶら歩いていてハッジの店の前を通ると

「おーい、どうしていた?どこいってた?何でこないんだ」と

ハッジは必ず私を呼びとめパンを恵んでくれたのであった。

あるとき毎回もらってばかりだと悪いのでお金を払うというと

何をいってるんだ、いらないよ、いらないよ、持ってけばいいんだ」と

えらい剣幕でいわれてしまったのである。

とどめに「二度とそんなことは言ってはいけない」とまで言われてしまった。

何故ハッジはただでパンを恵んでくれたのかいまでもわからない。

シリア人は日本に行きたくて行きたくてしかたないから、

その下心から親切にする人もいるが、ハッジは一度も言ったことがなかったし、

そればかりか、うちに遊びに来いと食事にまで招待してくれた。

市場の中のパン屋で細々と暮らし、決して裕福とは思えなかった。

そのハッジから売り物のパンを恵んでもらうのは気がひけて

どう接したらいいのかわからなかった。

そしていつもくれる量が半端じゃなく多く、食べきれないくらいでもあった。

私は任期の途中で引越しをしたのだが、引越し後はスークが遠くなったということもあって、

行くことが少なくなってしまったというのもあるが、

一方的にお世話になっているのは気がひけたし、

何をどうお返しすればよいのかもわからなかったし、

考えたくはないがとんでもない要求をされたらどうしようという不安もあった。

結局ハッジは一度もお金を受け取らなかったし、無理な要求をすることもなかった。

本当にお世話になってしまったという感じだ。

シリア人は家族の絆が強く、一人暮らしをするということがほとんどない。

親元離れて外国に来ている私がかわいそうだと感じ

保護してやらなければと思ってくれたのかもしれない。

ハッジも敬虔なムスリムのひとりだった。

シリアでいろんなことがあったが、10年も経つと忘れてしまってることが多々あるが

ハッジとの思い出は脳裏にやきついて離れないもののひとつである。

 

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