旅行者への怒り


協力隊と単なる旅行との違いはいろいろあるが、一番大きな違いは

現地で仕事をし、生活するということだろう。

そして、よほどの理由がない限り、2年間は日本の土を踏むことは出来ない。

そこで生活するということは、日本人にありがちな

旅の恥はかきすて」ということが、出来なくなるのである。

私がシリアにいた頃は、湾岸戦争終了直後で、外国人の数がめちゃくちゃ少なかった。

特に東洋人は少なくて、まるでスター並に目立つ。

そして、シリア人から見ると、私たちは日本人というひとつの枠でくくられてしまう。

ひとりが常識外れの行動をとると、「日本人はこうする」というレッテルを貼る。

日本にいる外国人が事件を起こす確率は、日本人が事件を起こす確率よりも

あきらかに少ないのだが、外国人が事件を起こすと

悪いことをする」というイメージを持ち、

外国人だというだけで、悪人に思えてしまうのと同じである。

特にアジアの国出身の外国人には顕著にあらわれているようだ。

私は日本にいる外国人が感じていることを、シリアでしみじみ感じた

その中で特に許せなかったのは、あるバックパッカーの女だった。

その女とは話したことはもちろん、会ったことすらないのだが、

その女が日本人だったというだけで、ひどい目にあったのである。

私はスークや街中をブラブラするのが好きだった。

いきつけの店もあったし、時間があるとぶらつき、

歩き疲れると、いきつけの店でシャイ(紅茶)を飲みながら、

休憩がてら商品を見たり、お店の人たちと話しをしたりしていた。

ある日、同じ店だけではつまらなくなってきたので、新たに開拓しようと、

マルジェという日本でいうところの繁華街をプラプラしてると、

こじんまりとしたみやげ物屋があったので、入ってみることにした。

店にはシリアによくいそうなオヤジが一人いるだけだった。

たぶん店主なんだろう。

マルハバ(こんにちは)と言いながら店にはいると、

おきまりのアハランワサハラ(ようこそ)といいながら近づいてきた。

店の中にはダマスカス刺繍のテーブルクロスやガラビーエ(部屋着)

ちょっとしたアクセサリーなんかが、並んでいた。

一通り見ていると、「日本人か?」と聞いてくるので、「そうだ」というと

先日も日本人が買い物に来た」といい、

「彼女にはだいぶん安くしたんだ。お前も日本人だから安くしてやるよ」と言った。

シリア人はぼったくったとしても安いというので、あまり信用してなかったが、

だいたいの相場は知っていたので、まぁ買いたいものがあったら交渉してみるか

なんて思いながら、商品を見ていると、

特別に見せたいものがある」と、私の手を引っ張って店の奥に連れて行こうとする。

シリアでは、秘密警察が目を光らせているので、ヤバそうなもの(密輸品)などは

人目に触れないところにしまってあることが多い。

何だろうと思いながら、オヤジに手を引かれて部屋の奥に入っていくと

なんとオヤジは、いきなり私の胸を触ってきたのだ!

なにすんねん、ボケ!」と日本語で叫びながら

オヤジに平手打ちを食らわして、怒りながら店を出ようとすると

オヤジが「なんで?」といいながら私の腕をつかんできた。

そして、「安く買いたくないのか?安くしてやるぞ」と悪びれる様子もなく言うのである

シリア人にそんなことをしたら殺されても文句言えないくらいすごいことをやっておいて

平然としている上に、まるで私のほうが変だみたいな態度に

もう頭にきて、頭にきて、

私は娼婦ではない。あんたはシリア人にもそういうことをするのか?

もしそうなら、一緒に警察に来い。私は警察官のスポーツコーチだし、ブシュラさん

(その当時の大統領の娘)のコーチでもあるのだから」

そういって身分証明書を見せると、とたんに態度が一変してシリア人には珍しくあやまりはじめた。

私の言ったことはハッタリだが、うそではない

その当時、警察関係のバトミントン部をコーチしていた隊員に頼まれて、そのクラブに

エアロビクスを指導しに行った事があった。

私の直接の仕事ではなかったが、警察内部は部外者は入れないので、

入門許可証を作ってもらっていた。

そこには警察クラブのスポーツコーチと書かれてあり、事情を知らない人が見ると

警察の関係者だと思って当然の証明書だった。

この身分証明書は、私にとって水戸黄門の印籠のような存在だった。

おまけにその当時、大統領だったアサド氏の娘のブシュラさんが

エアロビクスに興味を持っていて、時々、個人レッスンもしていたのである。

忙しい人だったので、レッスンをしたのは数えるほどだったが。

その当時のシリアでは大統領の悪口を言っただけで刑務所に入れられるような状態だったし、

警察や軍隊がものすごい権力をもっていたので、

店主は震え上がってしまった。

セクハラ店主にも腹がたったが、旅の恥は掻き捨てとばかりに

オヤジに体を触らせて値切った、日本人の女に頭に来た

窮屈な日本で生活していると、ストレスがたまりにたまって、

時にはハメをはずしたくなる

だからといって日本では決してしない行動をやって

外国で晴らすのはやめてもらいたいものである。

最近は道徳観や倫理観といったものが薄れ、

平然と自分の体を売り物にしている女も多いようだが

それは法律に触れる行為なのだということを知っているのだろうか。

そういうことは犯罪なのである。

まぁ、それ以前に見知らぬオヤジに体を触らせて平気でいる人間の気がしれないのだが。

売春は古くからある女性の職業である。

職業に貴賎はないが売春はなんら生産性を持たない人間にできる最後の手段だと思っているし

私はそんなことまでして利益を得たいとはさらさら思っていない。

どこで何をしようがその人の勝手だろうし、そのことについて

あーだ、こーだと言う気もなく、勝手にやってって感じなのだが、

自分も同じだと思われることには我慢できない。

私はご立派な人間ではないし、たいした人間でもないのだが

一応プライドというものを持っている。

私は自分勝手な人間なので、他人の行動によって被害をこうむると

普段おおらかなことを言っていても、とたんに怒り狂ったりする。

人間はプライドを傷つけられると怒る動物なのではないだろうか。

まぁ、私は人間の器ちいさいんだろうけど・・・・・

しかも10年経っても覚えてるなんて、我ながら執念深いな・・・・・

その他にも日本人に対して許せなかったのはまだある。

日本の通貨の感覚で現地の物価をやたら上げてしまったり、

わけもなく物をばら撒くことだ。

協力隊は生活手当てが支給されていて、シリア国内では高給取りだが、

商社や大使館員に比べれば、安い生活費が支給される。

基本的にボランティア

(やりたいから参加するという自由意志)の元に

きているのだから、お金のことでガタガタ言う気はないのだが、

それでも生活費の範囲で生活するのだから、非常にチマチマとした生活になり

気が付けば5シリアポンド(日本円約15円)でも大切にする生活なのだ。

その当時5シリアポンドあれば、ジャガイモが500グラム買えた。

払わなければならない時は払うが、無駄にお金を払わない生活になる。

パルミラという観光地があるが、ここは世界遺産に登録されていて

以前日本の撮影隊が、現地を訪れた際、サービスのつもりで、ボールペンを配ったようだ。

住民は「日本人とはボールペンをくれる人たち

と思ってしまったようで、パルミラを訪れた際、

ベン、ベン」と叫びながら、子供が群がってきた。

はじめなんのことかわからなかったが、アラビア語には「P」の発音がなく。

「P」は「B」に変わってしまうので、なまってPenペンBenベンになったのだろう。

まるで終戦直後のフィルムやその関係の映画のワンシーンにある

「ギブミー、チョコレート」と叫びながらアメリカ兵に群がる日本人の子供のようだ。

ペンを持っていないと告げると石を投げてきた。

私は施しを与えるためにシリアに来たわけではないし、

石があたって痛かったので、大人気なくも子供を追いかけて捕まえ

「親はどこだ」と締め上げると泣き出したが、容赦しなかった。

「石を投げてもいいと思っているのか?親はなんと言っているんだ?」

というと謝ったので許したのだが

これからも観光客はくるし、そのたびにペンを持っていないからと言って

石を投げられてはたまったものじゃない。

状況を把握してやっていいことと悪いことくらいの判断はつけて欲しいものである。

日本人とシリア人の感覚はまったく違うのである。

日本の常識シリアの非常識ということも多々あるし、逆もまたしかりである。

 

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