アラブの洗礼−2


シリア人に宗教を持たない人はいない。

シリア人に言わせると宗教を持っていない人は人間ではないらしい。

シリア人に「お前の宗教は何だ」と聞かれ、「仏教だ」と答えると

「その教えはなんだ」と聞かれ、その時は「アラビア語がうまくないから説明できない」と

ごまかしたが会う人会う人聞かれるので、あわててドミトリーで「釈迦」というタイトルの

ビデオを見たり宗教関係の本を読んだりした。

ドミトリーというのは隊員の連絡所のことで隊員の交流の場として家が借りてある。

そこにテレビやビデオ、本などが置いてあり隊員なら誰でも利用できる。

最初、宗教関連の本やビデオがあるのを見て「誰が見るんやろな」と不思議に思ったが

私もお世話になるはめになったのである。

シリアではコーラン(イスラム教の経典)が生活の基盤であり常識の元でもある。

私にとって宗教とは特別なものだったが、シリアでは宗教と生活が密着し、

日々の暮らしの中に溶け込んでいるのである。

今もあるのかどうかわからないが、私が小学生の頃は、授業に「道徳」という時間があり

「にんげん」という教科書を使って物事の善悪を学んだ記憶がある。

シリア人にとって宗教は「道徳」でありコーランや聖書はこの「にんげん」という教科書に

近いものがあるようだ。

中近東はイスラム教とキリスト教の発祥の地であり、シリアにあるマァルーラという村では

イエス・キリストが話したと言われる「アラム語」が今でも伝えられている。

宗教発祥の地で本場の宗教に触れることにより私の宗教嫌いは治ったのである

シリア人の気質は日本人とはかなり違っていて自己主張も激しいし、わがままで

攻撃的な面を素直に出してくる。

もし、シリア人に宗教がなかったら・・・考えただけでも恐ろしい。

私の住んでいた地区はイスラム教徒とキリスト教徒が混在するところで

1日5回アザーン(イスラムの礼拝の呼びかけ)がスピーカーから大音響で

聞こえてきたし、教会の鐘の音もガランゴロンと響き渡っていた。

イスラム教では酒を禁止しているがキリスト教では「飲み過ぎに注意

と言う感じで節度を守れば飲んでよいみたいだ。

マァルーラ村に行った時、そこで生産されているワインを飲ませてもらったし

キリスト教徒の家に遊びに行くとウイスキーやブランデーが置いてあったりする。

そのせいかキリスト教地区ではたまに発砲事件が起こっていた。

シリア人にイスラム教を与えた神の偉大さを実感せざるを得ない。

彼らは紅茶でもハイな気分になれるのだから。

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