「集中ギター、ながらギター」'08.11/29
ライブも近くなってきたので、なるべくギターをさわっている。
テレビを見ながらや、本を見ながらとか、ながらギターもする。
それも、何かの歌というわけではない。
適当にポロポロと指に任せて、ギターを弾くのだ。
それも、ほとんどフィンガーピッキングで。。
頭と目は他のことに使っている。
これはギターのカンを戻すには、大事なことだ。
それはよくわかっている。
たぶん耳は、ギターを聞いているし、指の流れを作る意味でも。
・・ながらギター。
「もっと、集中してギターを弾いた方が練習になるよ」と、
言う人もいるだろう。それはもちろんだ。
ここがキーポイントだと思う。
普段、ながらギターをやっていると、
集中ギターでは、より深く集中に向かうからだ。
「それはカセットテープくらいの商店で」'08.11/27
小さな屋根があって、看板みたいなものもあって、
値札みたいなものもあって、ポケットやカバンから出して、
そっと机に並べていた、小さな自分の商店。
それはカセットテープくらいの商店で。小さな屋根があって、、。
・・・・・・
最近では、いろんな表現方法が出来るようになった。
自分のホームページを作ったり、そこで楽曲を流したり、
動画サイトに映像をアップしたり、盤面印刷もしたCD-R作品を作ったり、
オリジナルDVD作品を作ったり、、。
どれも基本的なところは、自分の作品を伝えるということだけれど、
ちょっと、カッコヨクなってしまったね。
なんだか、技術もそれなりにいるし、、。
・・・・・・
プレスCDを友達が最初に作ったときは、びっくりしたものだった。
今はもっとメディアが進化して、いろんな方向から、本人を知れるようになった。
その可能性は無限大とも言えるだろう。
しかし、どこか形がなくなってしまったような気がする。
最初はみんな、自分の店をカセットテープから始めた。
ダビングをして、ジャケットを作り、手書きの部分も多かった。
あらゆる知恵を出して、小さな四角いお店を作った。
ポケットやカバンから出して、机に並べて、、。
世界中でそこにしかなかった、小さな点のようなお店。
「訪ねてくる日」'08.11/25
昨日は、ほぼ一日、よく眠っていた。
それでも、映画二本くらいは観たかな。
ポロポロとギターも弾いた。
頭もすっきりしていたのであろう、新曲らしきアイデアも出てきた。
また横になり、すーすーと寝始めた。
今日、ここの住人は、よく眠っています。
こんな日にも訪ねてくる歌もある。
歌だけとはかぎらないが。。
「三度、猿になる銭湯話」'08.11/23
銭湯に行くときは、どこかぼやっとしているものだ。
脱衣所でジーパンを脱いだとき、うしろポケットに入っていた小銭が、
じゃりじゃりーんと転げてしまった。
そうなんだよ。僕はお釣りをポケットに入れるくせがあるんだ。
床に転げた小銭は10枚くらいあって、その響きも豪華であったが、
それを拾うのも、大変だった。何しろ、脱衣所の床はつるつるなので、、。
100円、10円、1円、5円、、。
その拾う姿はまるで猿であった。
しかも四方八方だったので、とても全部拾ったようには思えなかった。
(まだ、あった・・)
体をかがめ、落ちている10円玉をまた拾おうとすると、、
それは、床に付いている木の節であった。。10円玉にほんとそっくり。
(あれれ?? まるで猿みたい、、)
みんなに見られたようすだ。
それにしても、床をよく見ると、ずいぶんと10円玉が落ちているように見える。
このなかで、よく僕は小銭を見つけたものだ。
まだ落ちているかもしれないが、、。
そして僕はひととおり、温泉気分でお風呂に入った。
・・・・・・
またロッカーで着替えながら、ふと足下を見ると、、10円が落ちていた。
(あるじゃん、、)
さっと身をかがめて、手を伸ばすと、それは木の節であった。
それもさっきと同じ節。何度もひっかかるなんて、、まるで猿みたい。
「色あせた景色」'08.11/21
下町で外回りの仕事をしている。
もう20年。
同じ場所、同じ路地、同じ建物を回るので、必然的に古くなるわけだ。
いろんな物が色あせて来てしまっている。
古いアパートがある。二十年前ももう古かった。
しかし、二十年たっても、そんなには印象は変わらない。
同じ場所を歩いてゆく、僕がいる。
僕も20歳、年をとってしまった。
ふと気が付くと、ずいぶんと色あせた景色の中にいる。
写真で撮ったならかなり古い建物だろう。
ふと足を止めてみると、それはわかる。
しかし、僕は二十年ここを歩いているので、それをうまく感じられない。
まるで魔法にでもかかっているかのように。
僕も自分とずっと一緒にいるので、自分の年をうまく感じられない。
「アップコンバート技術」'08.11/19
どのくらい世界が待っているかというのは、
ちょっと想像できないのだけれど、
素晴らしい映像アップコンバート技術が生まれてくることを、
今か今かと待っている。。
映像アップコンバートとは、標準画質(DVD画質)であるものを、
ハイビジョン画質に置き換える技術である。
現在のデジタルテレビ放送でも、昔の映像などは、
アップコンバートされて放送されているが、
ブラウン管時代のようには、きれいに放送はではない。
やっぱりどこか無理があるからだ。
数多く発売されたDVDも、素晴らしいアップコンバート技術によれば、
ハイビジョンテレビでも、復活するであろう。
ぼやっとした映像ではなくなるだろう。
この2008年の終わり、アップコンバート技術はかなりのところまで来てはいる。
しかし、まだまだほとんどの人が満足はできないであろう。
もし、素晴らしいアップコンバート技術が開発されたら、
もう一度、世界はくっきりとするだろう。
ぼやっとした映像と言われるものが、もう一度、目を覚ますだろう。
どんなにか、それを待っているか、、。
今、戦いは続いている。
このエッセイを読んでも、あまりピンと来ない人がほとんどであろう。
それは大切で、大切で、大切な問題である。
液晶テレビが進化しても、いいんだけれどね。
素晴らしく、DVD画質が再生されたなら、
「連敗中」'08.11/17
また今回も、迷ってしまった・・。
どこかにでかけようとするとき、お店の簡単なマップを持ってゆくが、
そのとおりにどうしても行けないのだ。
今回こそと思っていたら、今回も迷ってしまった。
自分でも信じられないけれど。。
パンフレットや、ホームページに載っているマップはとても簡単だ。
ある程度、その土地にくわしい人なら、さっと行けるマップかもしれないが、、
初めての人が迷わずに行けるマップであって欲しい。
ぜったいにそうでなくちゃね。
でも、行ける人は確実に行けるんだろうなぁ。
僕は今、ずっと連敗中である。
何か自分に原因があるんだろうなぁ。
「軽い冬眠」'08.11/15
この一週間ほど、ギターを弾けなかった。
忙しかったせいもあるが、映像コンテンツにはまっていたせいもある。
一週間ぶりにギターをこれから弾いてみようかなと思う。
自分でも、不思議なくらいにギターに手が伸びなかった一週間であった。
すっかりと忘れたような気分で。。
目の前にギターがあるのだから、手を伸ばそうとも思ったが、、
どうしても伸びなかった。
その気持ちをどう表現したらいいのか。。
まるでね、ギターを弾く気持ちが軽く冬眠しているかのようだった。
自分の中には、ギターを弾きたい気持ちが充分にあるのはわかっている。
だからこそ冬眠しちゃうんだな。
軽い冬眠。
「こんな神秘体験」'08.11/13
外回りの仕事で、下町の通りを歩いていた。
ふと道向こうを見てみると、
軽のワゴン車の下に、一匹の薄茶色の猫が後ろからもぐり込もうとしていた。
車高が低いために、薄茶色の猫は身をかがめて。。
車の下に猫がもぐり込むことはよくある。しかし、車が出発すると危ない。
気になって僕は、通りのこちらから、軽ワゴン車の下のすきまを見ていた。
すると、、すると、、
その薄茶色の猫はゆっくりゆっくりと、前方に進んでいたのだが、、
その進み方が尋常でなく、一定で、スローモーションを見ているようなのだ。
まるで、サンダーバード2号のように、、
どうやって猫が手を足を使ったら、あんなふうに一定の早さで進むことが出来るのだろう。
多少は、カクカクとした動きになるのではないだろうか、、。
不思議だ。あの薄茶色の猫は、特別な能力を持っているかのようだ。
・・・・・・・・
僕はその神秘さを道のこちらから眺め続けていた。
すると、、すると、、
やがて、その薄茶色の猫は車の下を抜けた。
ふわっ・・。
そのあと、薄茶色の猫は、空に舞い上がった。
「太古の人は」'08.11/10
朝、起きるためにいくつもの目覚ましがいる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、、。
それでもなかなか起きられない。
布団にくるまって思うことは、
太古の人たちはどうやって起きていたかということだ。
鶏の鳴き声で起きていたのか、、。
特に時間は決まっていなかったのか、、。
夜が明けたら、なんとなく起きていたのか、、。
寝不足ということはなかったのか、、。
考えれば考えるほど、なんだか憧れてしまう。
太古の人たちはきっと、時間をしっかりと把握していたのではないか、、。
5つくらいにわけて。
夜明け前、朝、昼、夕方、夜、、。
「どこにも行かない一羽の鳩が」'08.11/8
鳩が一羽だけ、そこにいるときがある。
なぜ? と思うようなところに。
先日は、工場の屋根付きの小さな駐車場で、
一羽の鳩が行ったり来たりしてた。
どこにも飛んで行かずに、、。
仲間を待っているのかな。。
どこにも行かない一羽の鳩は不思議だ。
僕はかなり近付いてみたが、飛び立つ様子もなかった。
まるで、ここの主人に伝言があるかのように。
伝書鳩っているように、伝言鳩もあるのかもしれないな。
主人の姿を見て、鳩は何かしら伝える。
・・jkrgjkL+h,.Dk[a、、、宇宙語のように、、。
用が済んだら、鳩はすぐさま飛び立ってしまう。
メッセージはなんぞや???
「フォークシンガー生活」'08.11/6
フォークシンガー生活、
それがどんな生活であるのかは、僕もよく知らない。
しかし、それを実践してみたいと最近は思っている。
それは意識の問題である。
寒い日にマフラーをしてみたり、
カバンの中に詩集を一冊入れてみたり、
夜中にチロチロッと、ギターをポロロンと鳴らしてみたり、
お茶の水の楽器店街に、想い出したように訪ねて、
ギター弦のセットとピックを買い、
チロチロッと、オールドギターを眺め、
カレーを食べて帰る。
総武線の各駅停車でのんびりと帰り、
アパートの郵便ポストをガチャガチャと開け、
届いている葉書をその場で読む。
それは僕にとってのフォークシンガー生活かな。
歌うたいの数だけ、生活がある。
「温泉」'08.11/4
先日、温泉に出掛けた。
少し大きな温泉であったので、人も多かった。
みんなゆっくりと湯につかっている。
顔だけ出して。
こういう光景はなかなか日本的でいい。
そんな中、おおきな声でしゃべる人もいる。
大衆浴場では、普通のことではあるが。。
やっぱり、温泉はしずかであった方がいい。
ちょぼちょぼとしゃべり話すのがいい。
こんなに人が湯につかっているのに、
でかい声で話しているのは、その人だけであった。
温泉は、静かに湯につかりたいものだ。
「フォークロックサウンド」'08.11/2
サイモン&ガーファンクルの初期のアルバムをよく聴いている。
全体的には生ギターがメインのサウンドであるが、
その頃の時代性もあるのだろう、ドラム入るバンドサウンドも取り入れられている。
いわゆるフォークロックサウンドだ。
それは、ちと古くさくもある。
しかし、この2008年聞いていると、
それはどこにも属していないサウンドに聞こえるのだ。
なんだか、中途半端で。。
逆にそれがいい。とても新鮮だ。
ディランの言葉ではないが、
「記憶」'08.10/31
先日、友達と給食の話題になった。
すると中学時代のお昼のことが、どうしても僕は思い出せなかった。
友達は、「普通、中学は給食だよ」って言う。
しかし、どうしても中学のとき、給食だった記憶がない。
かと言って、お弁当だった記憶もない。
どーなっているの?
小学、中学、高校と、かなり鮮明に記憶しているつもりだったのに。。
なぜだ? なぜだと言っても、誰も答えてくれない。
ただ、こんなこともあるんだなと知った。
小学のときは、確かに給食当番というものがあった。
給食室から、大きなアルミ製の取っ手のついたおかず入れを、二人で運んだ。
しかし、中学のとき、それを運んだ記憶がまるでないのだ。
弁当だったのかな、、?
その弁当の記憶もない。毎日、パンだったのかな、、?
「音源と映像」'08.10/29
ひとつのライブの音源と映像がある。
映像の方が情報量の格段に多くリアル感もある。
いろいろ場面場面でチェックを入れる作業をするのだが、
映像を見たあとで、音源を聞くと、さっぱり場面がつかめなくなってしまうのだ。
手探りにになるというか、、。
しかし想い出してみると、音源だけしかなかった頃は、
一本のテープの中が見えるくらいに、音を把握していたものだった。
どこでどんな会話があるとかね。。
思うに、最初にライブを再現するとき、目が見るか耳で聞くかに、
違いが出るのかもしれない。
中学が高校の頃、ライブアルバムが発売されると、僕らは家に帰って、
まるでライブ会場に自分がいるかのように、レコードを楽しんだ。
映像を見てしまうと、その感覚から少し遠くなってしまうのだ。
音源と映像がある。
「ときには太鼓のように」'08.10/27
テーブルには、いくつもピックが並んでいる。
堅さはミディアムとハードのピック。
僕は基本的にはミディアムのピックを使っている。
ミディアムのピックは適当に柔らかく、自由な弾き方が出来るからだ。
一年の内には、ギターも鳴りの良い日があり、
そんなときは僕はハードのピックを使ってみる。
まるでギターから出てくる音は、太鼓のようだ。
ぼわーんとしてて、どーんとしてて、ぽわわわわーんと鳴る。
僕の方も気分は太鼓叩きである。
同じ歌でも、まるでちがって歌える。
「携帯電話が壊れて」'08.10/25
昨日は大変な雨の中、外仕事をしていた。
そのせいもあるのか、携帯電話が壊れてしまった。
通話は出来るみたいだが、液晶表示がおかしいので、
文字というものが読めない。
もう買って四年かな。初めて携帯であった。
とても丈夫で、壊れないものだと思えるほどであった。
しかし、やっぱりマシンは壊れる。
突然に壊れてしまうのは本当につらい。
パソコンメールがあるので、
壊れる前にメールをくれるということは出来ないものか。
デジタル機器は、いつも突然に壊れてしまうので困ってしまう。
徐々にということが、なかなかない。
人間味がないというかな、、。
Macのパソコンは、壊れるとサッドマークが出るという。
「たぶんライブのチラシ一枚で」'08.10/23
今日はライブがある。
昨日はアパートの部屋で、いつもより大きめにギターを弾いてしまった。
かなり前の話だが、友人が通り沿いの部屋を借りていたとき、
自分のライブチラシをその窓に貼っていたことがあった。
通る人も見るし、宣伝効果も大きいだろう。
僕はやっていないのだけれど、それが出来たなら、
アパートでの、練習生活もかなり楽になるのではないか。
「あら、明日ライブなので、アオキさんいつもよりがんばっているのね」
少しくらい音量がアップしていても、理解してくれるであろう。
たぶんライブのチラシ一枚で。
「同じ本」'08.10/21
ドノバンというシンガーの自伝が日本で発売された。
すごくぶあつい。。今、電車の行き帰りに読んでいる。
その本の中でドノバンが、
イギリスの詩人のW・B・イエイツが、自分の文学上の師になったと書いていた。
僕には、その事で想い出すことがあった。。
どのくらい前かな、'92年頃のことであろう。
ライブに来てくれたお客さんと、ドノバンの話で盛り上がったことがあった。
その人は僕より10才くらい年上で、ドノバンのファンでレコードをいろいろ持っているという。
そんなわけで、後日、荻窪のその人の家に遊びにゆくことになった。
いろいろレコードを聴いたあと、一編の詩を僕にくれた。
手書きの「W・B・イエイツ」の詩であった。
その人は「ドノバンが好きならば、W ・B・イエイツもきっと好きになるよ」と言う。
僕は、その事を印象的に憶えていた。16年前のこと、、。
今、ドノバンの自伝を読んでみると、イエイツとの関わりが大きいことがわかった。
読みながら僕は、あの人のことを想い出した。ずっと忘れていた人であったが、、。
ドノバンの自伝が発売された。
たぶんあの人も、今読んでいるであろう。ぶあつい本なので、しばらくはかかる。
同じ本が、同じ時を、連れて来てくれたのだ。
僕の事を想い出しているかもしれない。
ここの街から隣の隣が荻窪である。総武線の電車で会えそうな気がする。
「朝の復活」'08.10/19
今日は日曜日ではあるが、
平日の朝、それも仕事を始める頃の自分は、
自分でもびっくりするくらいに、やる気を出している。
仕事から帰ってからのことを。
あれもやろうとか、これもやろうとか、部屋も片付けよう、ビデオも整理しようとか、
本も読もうとか、書きものもしようとか、、。
それは、ボーイスカウトの希望のような歌のようである。
しかし仕事が終わる頃はへとへとで、その希望の歌は、もう口から出てこない。
たいがいはぼんやりと夜を過ごしてしまう。
ほぼ毎日、自分が自分にあきれてしまう。
朝は自分は何なんだろうと、、。
眠くなってまた眠ってしまう。。むにゃむにゃむにゃ。
そして、次の日の朝は、またやる気満々に復活している。
自分でも不思議だ。
「30代の風」'08.10/17
10代は一日一日が長かった。
20代は旅にも出掛け、それなりに充実していた。
30才になったとき、俺も30になったと思った。
僕は今、そして40代だが、実感的には疲れやすくなった。
生活は30代の頃と大きく変わったわけではないのだが、、。
思い返すと、30代は不思議な時間が流れていた。
新曲のアイデアは、次々と出てきたので、
僕はずっと創作を続けた。
それはまるで映画のようであった。
新曲作りに集中し、いろんな所にも歌いに出掛けた。
そしてあっという間に10年は過ぎた。
40代になり、それは歩いてゆくような時間になった。
歩くように歌を作るようになった。
僕の30代は、ひとつの風が吹いていた気がする。
疲れ知らずの自転車乗りのような。。
「古い探し物」'08.10/15
先日、古い写真のフィルムを探した。
一応、写真の方はきちんと整理されてあるので、いつ撮ったかはわかっていた。
フィルムの棚から、日付順に見てゆく。
こんなによく撮ったものだと思う。
少し探して、そのフィルムは出てきた。15分から20分で探していたフィルムは見つかった。
最近の探し物としたら、こんなにすんなり見つかったのは珍しい。
だいたい肝心なものほど、なぜか見つからないことがよくある。
たぶん長い間に一度はそうやって探した後、どこかにそっとしまってしまうのだ。
今回は奇跡的にもすぐ見つかった。
それでも整理してあったから良かったのかな。
これからも、こうやって古い探し物が増えてくるだろう。
すっと出せるようにしておきたいものだ。
「今年」'08.10/13
高校三年の時に10日ほど、あまり睡眠をとらないで勉強をした。
テストが終わったあと、ちょうど10日ほど眠りに眠った。
ちょうどつりあっているんだなぁと、そのとき実感した。
ふつうだったら、一日ぐっすり眠ったら復活するように思うが、、。
昨年('07年)は、いろいろあって、ほんとに疲れた一年であった。
今年('08年)は、特に何かがあったというわけではないが、
ずっとぼんやりと過ごしている。
いままでは、常にがんばろうと意識で毎年過ごしてきたが、
今年はお休みでもいいかなと思っている。
無理はしていない。
もし僕が総理大臣を一年やったら、
三年は何もしないだろう。
「モーニングの感じ」'08.10/11
朝、いつも部屋でコーヒーを飲む。
パソコンの前で。
でもまるで、モーニングのようではないんだよね。
きれいに片付いた部屋に、朝の光がさし、
そしてテーブルには、焼きたてのトーストとコーヒーがある。
それがモーニングの感じ。
今の僕の部屋は物がいっぱいになっていて、
どうしても、モーニングの感じが出せない。
初めて部屋を借りたときは、部屋も広かったなぁ。
思い出せば、その頃にしかモーニングの感じがしない。
あとのほとんどの日々は、インスタントの一杯のコーヒーだけが、
朝を感じさせていれていた。
インスタントの一杯のコーヒーだけが、、。
「ひとは果物が好き」'08.10/9
今、宇宙や地球の進化の本を読んでいる。
やっと、類人猿が登場して来た。
熱帯雨林の森林の樹の上で暮らしていた類人猿。
その森林が縮小したとき、ケンカの強かった類人猿はますます強くなり、
さらに森の奥に行き、やがてはゴリラとなったという。
一方、ケンカが弱く、果物が大好きだった類人猿は森の入り口にこだわって、
やがてはチンパンジーになったという。
果物にこだわった類人猿の中で、木登りもへたで落ちこぼれて、
平原に行ったのが人になったという。
こんなストーリーがあって、興味をそそる部分がふたつある。
ひとつは、道を別れたものがゴリラになったということ。
もうひとつは、果物が大好きだったということ。
森を離れた類人猿。
「朝7時」'08.10/7
朝7時前に駅の改札に行くことはよくある。
僕にとっては寝不足で、やっとこさ駅まで歩いて駅に行っている。
ふらふらな感じで駅のホームへの階段を登ってゆくと、
高校生・中学生・小学生諸君とすれちがう。
なんだかすごく元気だ。
会話もはずんでいる。身なりもちゃんとしている。
僕とはおおちがいだ。
みんな早いなぁ。。
まだ7時だよ。何時に起きているの?
自分自身の中学高校時代の事を思い出せば、
ほとんどの日は、午前1時すぎまで起きていた。
現代のみんなもそれは変わらないだろう。
あの元気はどこから来るのだろう。
「えにし」'08.10/5
縁。昨夜はそれを強く感じた。
何か不思議な力がそこにあるとも言えるだろう。
友達は、巡り合わせを強く感じていた様子だった。
何か超自然的な力が働いて、いくつもの偶然が重なったとも言えるけれど、
僕には、見えない世界で、意志のあるベクトルの言葉が世界を飛び回っているように思えた。
たとえばそれは、見えない世界に飛ばす、紙ヒコーキのようなものかな。
インターネットの検索サイトは、ネットに書き込まれた文字を
自分の中にストックしていることができる。
意志のあるベクトルの言葉も、そんなふうに世界中を検索して回っているのではないかな。
そんなふうに回っているうちに、ひとつの円のようなつながりを見つけるのではないかな。
そして、ひとつがつながると、いっきにその円を走るのだ。
昨夜は、偶然が、必然のように、いっきにつながった。
えにしとはこのことだろう。
誰かがどう、どこかで何かという、力とも言えるのだけれど、
「楕円の地球バンド」'08.10/3
'94年、日本武道館で、ホブ・ディランを観た。
大きなドラムセットが後ろに見えていている、ボブ・ディランのバンドであった。
「JOKERMAN」の楽曲はレコードで知っていたのだが、
武道館で登場してきたときは、ずいぶんとドラムセットが印象的に聞こえるサウンドであった。
こんなにドラムセットは豊かな音が出せるのだなぁと思えるほど・・。
エレキギターで唄うディラン。サイドにはギターとベーシストが音を組み立てていた。
音はもちろん両サイドのスピーカーから出ているわけではあるが、
まるでバンドがひとつの地球のような感じであった。
大きなドラムセットが一段高かったせいもあるだろう。
イメージ的には、地図で描かれる楕円のような地球。
そこから音が聞こえてくるようであった。
その存在感は、スピーカーで聞くのとはちがう。
単純にステージに横に並んだバンドの感じともちがう。
ひとつの楕円の地球バンドのようであった。
どこか遠いところからやって来て、そこに降りて来る地球。
「寒い朝」'08.10/1
10月になった。そろそろ寒い朝がやって来る。
寒い朝、外の小屋にいる犬ちゃんたちもふるえているだろう。
冬になったらもっと冷える。
外の犬ちゃんたちにとっては、一番厳しい季節となるのだろう。
柏崎の実家にいた頃、小さめの犬を飼っていた。
真冬になると、飼っている犬ちゃんのところに行って、
足を洗ったあと、部屋に上げた。
犬ちゃんは全速力で走って、コタツにもぐり入った。
よほど冬は寒いのであろう。
犬ちゃんは、なかなかコタツから出て来ない。
中をのぞくと、丸まってキョトンとしている。
15分ほどすると、熱くなったのであろう、顔が出てくる。
名前を呼べば、こちらをジロッと見て、熱いよ〜と言わんばかりである。
やがてはコタツから出てきて、ふらふらと歩き、そこにまた体を崩す。
ハアハアハアハア・・
そのいつもの繰り返し。
冬の日、犬ちゃんをはなすとコタツに走る。
「朝の創作」'08.9/28
昨日から歌を作っている。
今朝、またギターで歌っていると、ふと出なかったフレーズが出てくるのがわかった。
ここ10年くらいは仕事に早く出ていたので、朝に歌の創作は出来なかった。
思い出してみると、以前は朝に歌をよく作ったものだった。
・・・・・
昨夜遅くまで、歌詞のイメージを出していた。
それからぐっすりと眠った。
あたまっていうのは、眠っている間、きっと言葉をつなげるのは苦手かもしれないが、
イメージをまとめてゆくのは、得意なのではないかな。
あたまの言語って、いうのは、イメージなのではないかな。
まちがいないかもしれない。
だから、あたまに考えてもらうには、イメージを並べてあげるのがいいのだろう。
言葉ではなくて。
・・・・・
朝にあたまは、昨夜の宿題を考えておいてくれている。
テーブルの上に置いてあるお弁当のように。
朝のテーブルのどこかに、何か置いてあるのだ。
置いてあるのに、僕は気が付かないで仕事に出掛けてしまう。
あたまは、がっかりする。
ギターに手を伸ばすということは、
あたまの作ったイメージを言語に直すということだろう。
僕はそれを忘れてはいけない。
「似てる時間」'08.9/26
高校時代、よく夜更かしをした。
あの集中した時間。
とても濃厚だった。
あれこれ本を読んだり。
最近、バイトから帰ってきて、すぐ横になってしまうことが多いが、
夜中の2時頃に目が覚めてしまう。
それから1時間か時間半ほど、あれこれしてしまうのだ。
ほとんどはインターネットを見ていることが多いのだが。
そしてまた眠くなってしまう。。
朝起きると、夜中に起きていたなんて嘘のようだ。
夜中に起きていると、回りはとても静かで、
なんだかとても集中できる。
ネットを見て、たいした事をしているわけではないのだが、
なんだか、自由で、新しいページをめくるような時間。
それは、あの高校時代の夜更かしの頃と似ている。
「江戸の地名」'08.9/24
葛飾北斎の描いた江戸の古い地図を観た。
山などがリアルに描かれてあり、それぞれの地名が楕円の中に書き込まれている。
一見すると、駅名が並んで書かれているようにも見えた。
地名を見てゆくと、現代とほとんど変わらない。
「竹の塚」「春日部」他・・。
地名だけは、現代にも続いて残されていて、なんだか驚いてしまう。
僕は江戸の街に今行ったとしても、地名なら、ある程度話が通じるであろう。
関心があるのは、その地名の数々が、生まれてきた背景と、
最初その地名は、人で言えば、愛称に近かったのであろう。
自然にそう呼ばれているもの。
正式名が、通称だなんていいと思う。
僕らは、ほとんどのものは通称で呼んでいる。
それでそこだとわかるもの。わかりやすいもの。
それがいつしか正式名になることもあるだろう。
「蚊帳」'08.9/22
秋になった
いつとなしに秋になった
田中冬二の「蚊帳」(かや)という詩の最初である。
今朝なんかは、とても涼しくて、この詩のように秋を実感した。
蚊帳。田中冬二は、秋になって、もう蚊帳をつらなくてもよい季節になったが、
それをしまうのがなんとなく寂しいと、詩の中でうたう。
僕も小さい頃は蚊帳をつっていた。
ひとつは、昔ながらの深緑色の蚊帳。
もうひとつは、水色の蚊帳であった。
今思い出せば、深緑色の蚊帳の方が、だんぜんに良かった。
蚊帳って、今どうなっているんだろう。
ちょっと調べたら、ポリエステル製のものは、色は水色や白が多い。そして安い。
昔ながらモスグリーンの麻の蚊帳は、5万円ほどしていた。
この部屋でも、蚊帳をつってみたいものだが、あいにく蚊に刺されて困る状況ではない。
それでも夏は、蚊帳をつってみたいものだ。
誰がなんと言おうと、、。
「In The Garden」'08.9/20
高校時代より、ボブ・ディランの新作アルバムはずっと買って来た。
'80年には「Saved」という、宗教色の濃いアルバムが出た。
B面の三曲目に「 In The Garden」という、妙な唄が入っていて、
僕はその唄を聴くたびに、へんちくりんな唄だと思っていた。
唄の内容は、キリストが庭にやって来たときの光景を描いたものである。
そのアルバムの中で、「 In The Garden」だけが苦手であった。
ディランの作品の中でも、最大に苦手な一曲であった。
・・・・
それから6年ほどたち、ディランが日本武道館でライブをやった。
サポートは、トム・ペティとハート・ブレイカーズ。
その中の一曲に、例の「In The Garden」があった。
それは、レコードでの印象とはまるでちがっているように聞こえた。
実際に、ステージがまるで唄の中の庭のようであったのだ。
曲の展開で盛り上がるところなんて、震え上がるくらに良かった。
ライブを観ていて、こんなに驚いたことはない。
まさか自分の中で、「In The Garden」が、大好きな唄に急に変わるなんて、、。
それ以来、「In The Garden 」は、ほれぼれと聴けるようになった。
「不思議さ」'08.9/18
昨日はつい、「世界の七不思議」の本を買ってしまった。
帰りの電車で読んでいたが、不思議ではないような気になって来た。
・・・・・・
先日、お祭りにて神社の「舞」を観たとき、それは実に不思議であった。
テレビ放送でも、何度も観ているものであるけれど、
実際に観るとこんなにもちがものかと思う。
世界の不思議なものも、写真で見ては、「不思議」の実感がないのであろう。
そのうえ文で謎解きとかされていたら・・。
僕のように、「それは不思議ではないかも」とか、思ってしまうかも。
しかし「不思議さ」は、きっと実際に観て感じられるものであろう。
そのものから「不思議さ」が出ているのだ。
「'70年代の音」'08.9/16
先日、ギルドのギターのネック調整をした。
ちょっとした弦高の差によって、音色もずいぶんと変わる。
今の弦高がたぶん、本来の新品の状態と同じだろうと思う。
ピックで弾いていると、なんだか懐かしい響きがしていた。
僕が楽器屋で、ちょっと高いギターを試し弾きしたときのような音。
'70年代のフォークギターブームのときに、よくレコードに入っていた音。
その音は、地味さはなく、派手でにぎやかな音だ。
ストローク奏法で弾くと、艶のあるギターカタログの表紙のような音がする。
その頃、みんながそんな音に、こころふるわせていた。
'70年代、フォークギターブームの頃。
僕のギルドは、その頃に作られているので、もともと持っていた音ではある。
その音は、とても魅力的ではあるけれど、僕はぜったいに振り向きたくない。
その音は、とても魅力的ではあるけれど、今のカタログの表紙には似合わない。
その頃、ラジオから流れてくる、この音を僕は最高と思った。
それは時代の魔法というものだったろう。
「歌で肝心なところ」'08.9/14
今、歌を作っている。
どんな感じの歌になるかが、だいたい決まってきた。
リズムやメロディー。
僕が思うに、歌で一番肝なところは、歌い出しの文句である。
ボブ・ディランも言っていたが、歌い出しは、乗ってゆく馬のようなものだ。
作るときにも、それは言える。
ある程度、決まっている場合もある。
しかし、すんなりとすっと、最後まで歌が続いてゆかないときは、
もっと良い、歌い出しの言葉がある場合が多い。
だから、歌い出しの言葉は、ある程度決めない方がいい。
僕の場合はこうする。
ライブのときのように、ギターを持って、立って歌い出してみるのだ。
すると、自然に歌い出しの言葉が出てくることが多い。
立ってみるということ。
それは、自分と、聞き手の中心の場所というのかな。
そこから生まれて来る言葉はバランスがある。
歌い出しのフレーズが決まると、続きは楽に出来ることが多い。
ほんとだよ。
歌い出しの文句は、ちょっとした言葉の違いでも印象が変わる。
やっぱり、乗る馬のようなものか。。
「なにか次元のちがうものが・・」'08.9/12
ギルドのギターのネックの調整をした。
国産メーカーギターのネック調整は山ほどやって来た。
ネックは徐々に、そりを繰り返してゆき、やがてはアジャストが厳しい状況になってきてしまう。
だから、なるべくならアジャストを使うを避けたい気持ちがある。
しかし、ギルドギターのネックのアジャストは、実に余裕があり、ネジの回転もスムースだ。
ホントの意味での調整という感じの「アジャスト」であった。
ネックはすっかり元に戻った。
さすがだな。
そうやって長く長くギターを使っていかれるのだ。
・・・・・・
僕は国産ギターのネック調整で散々苦労してきた。
一歩あって、一歩という感じかな。
ギターだけではない。オーディオ製品にしても、使用に関しては小さな戦いのようであった。
国産の製品は、ダイナミックさが欠けるというのかな。
長々と10年20年30年と使用できるようでないものが多い。
チマチマとしているというか。。
まるで、それは僕らの生活のようであり、
身近な感じはするが・・。
・・・・・・
ネックの調整がされたギルドのギターを弾いていると、
何か、その音は、国産メーカーのギターとは、次元がちがうような気がしてくる。
僕の日々の生活の中のスケジュールには無いサウンドがする。
チマチマとしていないのだ。
30年単位くらいで、物事を考えているサウンドだ。
広さがある。温泉のようだ。山のようだ。森のようだ。樹木のようだ。。
ギルドのギターを弾いていると、次元の違うものを感じる。
「四大メーカーギターモデル」'08.9/10
ギターのデザインには、いろいろある。
マーチン・ギブソン・ギルド・フェンダー、、。
以前から思っていることだが、コピーモデルって、
ひとつひとつ、メーカーに通知しているのであろうか。
実際はどうなのかはわからないが、フリーに近い状態なのだろうか。
1万円でもマーチンモデル、2万円でもギブソンモデル。
エレキギターだって、フェンダーモデルが多い。
それも完全コピー。音まではコピーできないのだが。
このギターのコピーモデル販売のしくみはどうなっているのであろう。
最大手のメーカーのデザインは、スタンダードという考えなのだろうか。
もしそうだとしたら、太っ腹だ。
それとも、やがては憧れの本物を買うだろうと思っているのだろうか。
最大以外のメーカーのコピーモデルは、それに比べてほとんどない。
YAMAHAモデルなんて、見たこともない。
オリジナルであるわけだから、コピーされると困るのであろう。
それとも、「どうぞご自由に」と、なっているが、コピーされないのであろうか。
ギターデザインの不思議の話。
「心の真ん中にあるレストラン」'08.9/8
のんびりと話せた夕食がある。
そんなとき、ふと思い出すのがネパールでの日々だ。
特にカトマンドゥでの毎日は、旅行者たちと食事がメインであった。
僕が26歳の頃、今から20年前のこと。
約1年の海外旅行は、僕にとって心の旅だったようなものだ。
カトマンドゥ楽園というけれど、そこで僕は友といろいろな話をし、
人生のことを考え、もういちど自分を組み立てなおしたのだ。
そこにあった、のんびりとしたレストラン。
そこは僕の心の中の真ん中にあるレストランであるようだ。
どこにだって、レストランはある。
「一歩の山」'08.9/6
最近はだいたい夜に両国のアルバイト先を出て、
高円寺のアパートに戻ってくる。
両国駅までは、歩いて15分。
それから電車で30分。高円寺駅から、ここまで歩いて7分ほど。
両国の事務所を出るとき、一日の疲れで、足はくたくたになっている。
その足でテクテクと帰るのだけれど、とても自宅は遠く感じられるのだ。
ほんとに一時間くらいで着くのかなぁと思う。
まあ、途中で電車に乗るという行為はあるわけだけれど、
実際に家までは遠い。すぐ近くにあるようには思えないのだ。
駅までの15分も、なんだか遠く感じられる。
それでも、テクテク歩いてゆくうちに辿り着く。
いろいろくねくねと歩いて。。
直線距離で見たら、とても遠いのではないかと思う。
あきらめたくなるほど。。それでも、やがて着く。
「中古カメラ屋」'08.9/4
以前、高円寺の北口から、ちょっと歩いたところに中古カメラ屋があった。
それは小さな店で小さなショーウインドーに、中古カメラが並んでいた。
安いものから、高いものまで。
夜7時すぎくらいになると、カメラ屋のおじさんが、いつもショーウインドーのカメラを全部引き上げていた。
そして、また開店とともに並べていた。
ほんの、幅1メートルほどのショーウインドー。
僕はほ毎日のように、眺めて帰ったどれかが売れたり、増えたり、、。
欲しいカメラもあったけれど、四万円くらいしたので買えなかった。
買えなかったが、毎日、眺めてみた。
ライカとか、、。
長く営業していたはずだが、いつしか、その店は閉店してしまった。
年齢的に、引退をしたのであろうか。
僕はアパートに帰る途中、その店のショーウインドーを眺めるのがほんとに好きだった。
欲しいカメラが、欲しい値段で出ないかなぁと毎日、思いながら。。
一日に、ほんの一分くらいであったが、とても楽しかった。
今もあれば、毎日、寄っていただろう。
「秋葉原」'08.9/2
秋葉原は、夜になっても人は多い。
僕も昨日は買い物をしたあと、何か食べようと歩き出した。
以前に一度、寄ったラーメン屋を探したが見つからなかった。
結局、回り回って、駅前のカレー屋に入った。
昼もカレーだったので、それは僕の本意ではなかった。
ラーメンが良かった。
秋葉原にいるあれだけの多くの人も、きっと今、お腹がすいているだろうに。。
立ちそば屋とか、駅前ラーメン屋がどーんとあるといいのにな。
庶民的なね。。
今はもう、庶民的なんて言葉はあまり使わなくなったのかな。
5年くらい前まで、秋葉の駅前に小さなラーメン屋があった。
お店というより露店に近かった。ひっきりなしに人が並び、注文を聞かれていた。
メニューは、醤油ラーメン、並と大盛りしかなかった。
僕はほとんどこの店に寄っては、食べて帰った。
もうその店はない。
「見つからない一枚の紙」'08.8/31
昨日は一日、一枚の紙を探していた。
その紙は機械の保証書であるわけなのだが、
ソフトのシリアルNoが書かれていて、それがないと機械が活躍しないのだ。
もう5年がかりで、出来なかったことが、あるヒントで、出来そうな感じがした。
いろんな実験をして、あとは、その機械を使うところまでやってきた。
しかしそこまで、たどり着いたのに、パスワードの紙が見つからない。
あるべきところになかった。
捨ててはいないと思うのだけれど、さて、その紙一枚が、この部屋のどこにあるというのか。
いままでの経験から、ありそうなところに、そっと隠れているのが常であった。
保証書の引き出しの中を、細かく調べたがない。もしかして郵便はがきに混じったかもしれないので、
5年前からは郵便をひとつひとつ見た。
それでもない。。どうにもならない。
あとは、そのパスワードさえわかれば、したい事が出来るというのに。
こうなったら、大切紙のコーナーを全部見るしかない。
夜12時をすぎても、1時になっても、2時になっても、3時になっても僕は探した。
もう見つからないかな。。
くやしいな。
残念だ。
たった一枚の紙。
・・・・
そして朝4時。
紙はあった。
パスワードを入れて、機械は動いた。
やりたいことは、それで大丈夫になった。
パスワードは重要だ。
5万円もした機械はやっと動いた。
僕は朝の珈琲を飲んだ。
「国産ギター」'08.8/29
国産のギターを数日弾くことになった。
30年前の6万円のギターであり、そこそこの良い音がする。
しかし、ずっと弾いていると、何か物足りない感じが残る。
ギターとしたら充分な音量もあり、繊細な音も出るのだが、、
なんだか、こう、全体の音のイメージが、プラスチック的というかな、
僕が音を出して、ギターが、そのように音が出ているという風なのだ。
この辺の表現は難しい。。僕の音の好みの問題でもあるのだが。。
そして僕は思う。
このギターシリーズも高級クラスがあり、20万30万という値段にはなるけれど、
その分、音が豪華になってもしかたがない。
国産の高いギターは実はほとんど弾いた事はないのだけれど、聞く分には、そんな印象が強い。
いつも、僕が使っているギターは外国製で、値段で言ったら30万円クラスのものである。(中古だともっと安いが・・)
6万円のギターに比べたら、値段で5倍はちがうわけで、比べるというものおかしな話だが。。
ずっと弾いていると、僕の持っている国産のギターとは、まるで違うのがわかってくる。
ギターが僕に弾かれているわけではなくて、自分の声に変換しているんだよね。
だから、もうひとりのギター弾きが、ギターに居るようなのだ。
それが、30万円の理由といえば、それまでなのだが、、。
いいギターはやっぱりいいなと思う。
ギターにギター弾きが住んでいるのだ。
国産のギターメーカーは、そんなふうに思っているだろうか。。
音量とかバランスとか音の伸びとかに、心奪われていないだうか。
「犬吠える」'08.8/25
外回りの仕事をしていると、犬によく吠えられる。
それはマンションでも同じだ。
カタカタと音も出るので、マンションに住む小型犬は、すぐ反応する。
ワンワンワンワンワン、ワン!!
すると、すぐにこんな声が聞こえる。
「うるさーい、何吠えてるの〜!!」
ワンちゃんは、ちゃんと仕事をしているのにな。
何吠えているか、わからないときほど大事なのにと思う。
それにしても、ワンちゃんたちは、僕の事を怪しい者だとよく判断できるものだ。
何か、何かを感じるのだろうね。
ワンちゃんたち。
よく、アゴをつけて眠っている。
目を閉じて、熟睡しているかのように。
しかし、あれはきっと、最大の防御なのではないかな。
眠っているようにしているけれど、たぶん回りと一体化しているのだ。
「気」を合わせているというか。
ひらたくひらたく、気を巡らせている。
ワンちゃんたちは、気配を感じるプロ中のプロだ。
僕には、それがよくわかる。
「ジャマイカのヒーロー」'08.8/23
世界で、一番早い人は、、。
今回のオリンピック陸上で、ジャマイカのウサイン・ボルトが、
100m・200mで、世界新記録を出した。
特に200mでは、12年間破られていない記録を破った。
リアルタイムで、その場面が見られなかったが、録画を見てもすごい迫力であった。
自己の記録をも大幅に更新しての優勝だった。
まさに「超人」のようであった。
ジャマイカでは、この快挙を受けて「ボルト記念日」も、検討されているという。
みんなも見たであろうか? 世界一早く走った人の姿を。。
ジャマイカで、ボルトは歴史的英雄の一人となるであろう。
スポーツに限らず、歴史的な場面って言うのは独特の空気がある。
ヒーローの生まれるときというかな。
世界記録はまた、いずれは更新されてゆくだろう。
しかし、ジャマイカではずっと、ボルトはヒーローにちがいない。
「ずっと書きたいと思っていた小さな事」'08.8/21
仕事帰り、中央線の快速に乗って高円寺に帰ってくる。
停車駅は、お茶の水・四ッ谷・新宿・中野・
そして中野からは各駅停車で、高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・・・と続く。
お茶の水・四ッ谷・新宿は、もちろん人の乗り降りも多い。
電車のドア付近にいるいるみんなは、一度、ホームに出たり、当然のように端によけたりするのだ。
中野でも、それは続く。そして「中野より先は各駅停車になります」のアナウンス。
約2分ちょいで、高円寺に着く。
そして高円寺に着いてドアが開く。
すると、いままで駅との反応があきらかに、ちがうんだよね。
ドアふきんみんなの、、。
まるで、(まあ、高円寺では、そんなに人は降りないだろう)と、思っているように。
本を読んでいる人は、そのままの事も多い。
しかしだ。高円寺では意外と人は降りる。中野とほぼ変わらない。
ドアふきんの人は、とはどき(えっ、こんなに降りるの・・?)って、表情だ。
・・・と、僕には見える。
たしかに、高円寺は乗り換えの駅ではないしね。気持ちはわかる。
しかし、人は多く降りる。びっくりするほど。
「水曜日」'08.8/20
水曜日は、たぶん土日から一番遠い。
中国で言えば、大陸の真ん中の「西安」あたりにいるようなものか。
20年ほど前、夏の盛りに「西安」に一週間ほどいたことがある。
そのときは本当に暑く、ここから海が遠いと思うと、
大陸的の暑さを実感したものだった。
水曜日もそんなふうに、休みから一番遠いところにある。
そんな楽しみ方ができないものか。
西安にいたとき、僕はそんな楽しみ方をした。
大陸をというものをじゅうぶんに感じた。
水曜日には、もうひとつの名前をつけねばならない。
「休みから一番遠い日」みたいな名前。
「春分の日」みたいな感じで。
「遠休日」か?
水曜日には、何か名前を付けねばならぬ。
「財布の不思議」'08.8/18
使っていた財布のチャックが壊れたので、新しいものを探していた。
そして昨日、ふと寄った駅のワゴン販売のところで、新しいものを買ってしまった。
単純に安かったので。
ビニールで包んであり、中身が確認できなかったが失敗だった。
小銭入れのところが広がらなく出来ていて、あまり入らない作りなのだ。
なんでぇ〜。だからビニールだったのか。
しかし、財布の不思議はここから始まる。
これが何度も使っていると自然に使えるようになってしまう。
失敗失敗と思っていても。いままでそうだった。
今回はどうかなー。ほんとに使えるのかなー。
無理じゃないかなー。
そう思っていても、ちゃんと使えている可能性は高い。
「米山しぐれ」'08.8/15
今も、ずっと忘れられない味。
以前にも書いた話ではあるけれど、また書かせてもらう。
実家のある柏崎にいた頃の話。
かき氷アイスに「米山しぐれ」というものがあった。
少しだけ細長いカップに入っていて、ちょっと薄めのイチゴ味。
現在では、まあ、かき氷アイスはシャクシャク系がほとんどだ。
しかしこの「米山しぐれ」は、かたまると、カチコチ系になってしまう。
木のスプーンが歯が立たないほどに。。
最初は30円だったかな。
カチコチの「米山しぐれ」を食べるのには、30分くらいはいつもかかった。
「あっ、スプーンが割れた・・」とか、言いながら。。
すごいな、、って、いつも思っていたものだった。
夏になると、あの「米山しぐれ」をいつも思い出し、食べたくなる。
「年をとらないライブハウス」'08.8/13
20年くらいたてば、ふつうは何でも年とってゆくものである。
先日訪ねたライブハウスは、最初に行ったとときからほとんど変わっていない。
軽く15年はたった。
テーブルや椅子、他、改装したようなあともなく、最初のままが続けられている。
この店を作った人は、ほぼ完璧なライブハウスを設計したわけだ。
15年以上前、座った同じ席にいると、時の流れを感じることができない。
あれはつい昨日のようだ。
年をとらないライブハウスってあるんだな。
ステージバックの壁を見ていると、まるで永遠の若さがそこにあるようだ。
年ごとに若くなるような。。
ひとつの魔法を感じる。
「ニャロメ」'08.8/11
漫画家の赤塚不二夫さんが今月亡くなられた。
特集番組を深夜にやっていて、キャラクターの「ニャロメ」にスポットが当てられたいた。
猫のニャロメのことなんて、もうずっと忘れていたけれど、'
'70年代の最初には爆発的な人気だったのだ。僕だってノートに描いた。
当時、ニャロメの人気は、スーパーヒーロー並だった。
キャラクターがしっかりしていて、誰でもノートに描くことが出来た。
みんながみんな知っているニャロメであったが、時代とともに、あまり見かけなくなった。
若い世代のみんなに「ニャロメ」の人気をどう説明したらいいんだろう。
「ほんとですか?」と、言われるかな。
あんなに身近にいて、暴れ回っていたニャロメは、また漫画の中に戻ったようだ。
いや、そんなことはない。
「ガラス割れ」'08.8/9
先日、仕事で民家のガラスを割ってしまった。
話しかけられていて、玄関前でつまづいたのだ。
「カシャン!!」
20年間外仕事をしていいるが、ガラスを割ったのは初めて。
古い家の、今はあまり見かけないスリガラスであった。
その後に関しては、ここでは省略。
・・・・・
僕はもういい年になっているが、窓や玄関のガラスを割ったのは数回であろう。
小学4年の頃、家の前の空地で、野球遊びをしていて、小石で小さな窓ガラスが割れた。
「カシャン!!」
「やべぇ」と言って友もいたが、僕は謝りに行った。
当たり前だ。
今回のガラス割れは、人生で二回目の出来事ではないかな。
35年振り?
窓ガラスが割れるなんて、ありふれた出来事ではある。
たぶん、もう一回くらいあるかどうかだろう。
今ははもう、窓はサッシの時代である。
「tokyo」'08.8/7
ホームから改札に向かって、階段を降りていくと、
相変わらず東京だなと思う。
高校卒業後、東京に出てきて、約30年もたった。
高校三年の夏に、兄を訪ねて4日くらい東京に来たことがある。
そのとき、初めて喫茶に入った。ライブハウスにも行った。
私鉄にも乗った。駅前の立ちそばにも入った。
大きなアパートも訪ねた。兄の友人の四畳半に泊まった。
そこは本だらけであった。
朝に共同の洗面所で歯を磨いた。
友人のマグカップで、朝のコーヒーを飲んだ。
深夜の新宿駅も歩いた。
それは「tokyo」生活で、今も基本にあるものばかりだ。
僕はこれが「tokyoかな」と、感じた。
「ボブ・ディラン」'08.8/4
先日、幻のような、ボブ・ディランのライブ映像を見た。
そのコンサートでの音源は残っているが、映像はないと思っていたのだ。
白黒で、客席から誰かがプライベートで撮ったものであろう。
長いこと、ディランを聞いているせいもあるが、実に良く歌が伝わってきた。
それはつい先日の話ではあるが、僕が初めてボブ・ディランを聞いたのは、中学二年の頃であった。
その頃の僕の知識といえば「フォークの神様」というイメージがあったくらいだ。
あるとき、ラジオから、外国の弾き語りの歌が流れた。
僕は(これがボブ・ディランじやないかな・・?)と、感じた。
そのとき、僕はボブ・ディランの声を知らなかった。
はっきりとした理由はない。ただ、ボブ・デイランのような気がしたのだ。
ラジオなので、流れては終わった。その後の僕は確かめようもなかった。
僕はきっと「声」と出会ったのだ。
高校に入り、今度はFMで「ボブ・ディラン特集」を見つけ、僕はダイヤルを合わせた。
そこから流れてきた声はやっぱり、あの声であった。
当たっていたのだ。
それからの僕は、初めての外国の土地に住んだようなものであった。
声という旅をしたのかな。
ボブ・ディランのライブ映像を見ると、なんだかちゃんと伝わってくる。
「二本アイス」'08.8/2
今もあるだろう。
二本バーのアイス。
ひとつの袋の中に二本アイスがつながっている例のアイスだ。
10円アイスの頃から、買った記憶があるので、伝統のアイスなのであろう。
パキッ!!
失敗すると、棒のところでアイスか切れてしまい、ひとつはLの字型のアイスバーになってしまう。
よくそうなったものだ。
今もあるだろうか?
あるよね。。
あのアイスバーの意味は、「ふたりで食べなさいな」ということなのだろう。
これは、割るのを失敗すると、どうにも、、。
それとも 「一本食べて、もう一本」ということなのかな。
僕はほぼ99パーセントは、ひとりで食べた。
とりあえず、ふたつに割って。
うまく割る方法も見つけたので、もう失敗はない。
「軸」'08.7/31
明日から8月になる。
昨年は、仕事が忙しくなったせいもあり、余裕がまるでなかった。
今年も入っても、同じではあるが仕事は慣れてきた。
中学の頃からずっと、歌を作ってきたが、今年はまだ一曲しか作っていない。
自分としたら、信じられない事態ではある。
日々、疲れているせいもあるが、なんとかしなくちゃと思う。
今月いっぱいまでは、まあ遊んで、来月からは本格始動したいと思っている。
シンプルに。
新曲作りをメインに、生活をもっていこうかな。
軸にするというかね。
本当は普通に生活をして、はっとひらめいて、歌を作るというのが理想なのだけれど、
今の状況だと、新曲作りを軸にしていっても、自然と休んでしまうし眠ってしまう。
そんなに集中することはないだろう。
「ときどきは成功する。ときどきは失敗する。」'08.7/29
昨日、ふと寄った中古カメラ屋にて、初デジタルカメラを買った。
まあ、値段が安かったせいもあるのだが。。
そのぶん古かったのだな。。ちょい失敗。
デジタルカメラの活用としては、メモ代わりに使いたいと思ったのだ。
コピー機を使っていたのをね。
もっとよく調べて考えて買えばいいのにと、普通は思うのだが、
僕の場合はいつも、そうやって買ってきた。
失敗してもいいかなと、思う。
いままで使ってきたものは、ときどきは成功してきた。
そしてときどきは失敗する。
ぜんぜん気にしていない。
レコードのジャケット買いの頃からそうだった。
買ったものの出来ている成分のうち、約80パーセントは、
「私のお気に入り」という成分で出来ているからだ。
それはもう無限大の価値。
「iPhone と 江戸の本」'08.7/27
先日、電車のシートに座っていると、
隣の男性が発売されたばかりの「iPhone」(マルチメディア再生器&携帯電話)を持っていた。
観ていたのは、何かお気に入りのビデオクリップであった。
そして僕が読んでいるのは、江戸の物語の本。
この差と言ったら。。
僕もiPhoneを持っているというほどでもないが、デジタル機器は好きな方である。
ただ、お金がないというだけで、iPhoneは買えない。
現代のことを考えると、やっぱりiPhoneで再生されるメディアが、自然なのかもしれない。
それはよくわかっている。
いろいろな映像や音楽が、iPhoneで再生されるためには、変換作業が必要である。
僕はあのiPhoneの中に入りたくてしかたがないのが、本音だ。
隣の男性が僕の読んでいる本をちらっと見たとしたら、時代遅れを感じるかな。
しかし、古い人間ではない。
時間はかかるけれど、変換作業で、一所懸命なのだ。
本を読んで、それから旅に出て、ノートを買って、歌を作って、また一年たって、それから。。
「ぺろ〜とろ〜」'08.7/25
夏になった。アイスの季節でもある。
最近は安めのカップアイスも高級志向になってきていて、ミルクたっぷり系が多い。
僕が最初に買った記憶にあるカップアイスは10円の漫画キャラクターものだった。
今のように、いつ買ってもカチコチではなくて、多少やわらかめであった。
ちょっと気をゆるすと、トロ〜と、回りからアイスが溶けはじめていた。
ふたにもついて。
ヘロ〜と、もちろん、それもなめる。
まずは外側の溶け始めたところから食べる。
円を描きながら。
はやく食べないと・・。アイスの意味がない。。
アイスクリームの味は、ミルク色に白く、ほぼどのアイスも同じ味であった。
海岸沿いで食べるときは、なおさらに、すぐに「ぺろ〜とろ〜」であった。
それを急いで食べるのは、もったいないような、もったいなくないような。。
最近はアイスクリームはなんだか上品だ。
僕らの舌もだんだんとそれに慣れてきてしまった。
デサートのひとつみたいに。
アイスは溶けかけが夏の実感があっていい。
「何、おまえくわないの?とけるから、じゃあ、おれくっちゃうぞ」
そこには扇風機が似合っている。
「若い頃は」'08.7/23
もう僕も中年と呼ばれる年代になってしまった。
本人はまるでそう思ってはいないが・・。
しかしそう感じるときもある。
電車の中や、他、若者やみんなのマナーが気になるのだ。
ここ3年くらいとくに。。
しかし思い返してみると、僕が若い頃、マナーのことなんて気になったことはほとんどなかった。
つまり僕がそうなったということだろう。
若い頃は他のことに熱中していて、マナーのことまで目がいかなかったのであろう。
それと同じように、僕自身もマナーを気にしていなかったのかもしれない。
若い頃、そうなのかな。
そして年をとると、マナーが気になってくる。
それは、僕が常に何かに熱中としていないということなのかな。
「ハーモニカは」'08.7/20
ハーモニカは、自然に吹くのが一番いい。
僕自身は、中学の頃からハーモニカは吹いているので、もう35年だ。
新曲にハーモニカをつけるときは、なるべく考えずにステージに出てから吹くようにしている。
ハーモニカにはいろんな要素があって、歌やメロディーの一部というより、僕には助奏のような感じである。
そのときどきに足りないものを、おぎなってゆく要素もある。
だからなるべく変幻自在にしておくのがいい。
ハーモニカは不思議なもので、いろんな風に吹けるけれど、それが効果的であるともいえない。
バランスだ大事だ。
僕もいつもは、自然にまかせて吹いているけれど、ついつい吹き過ぎてしまうときがある。
ハーモニカを聞かせようとか、ついつい思ってしまうときだ。
そのときは、それで精一杯なのだが、あとで録音を聞いてみると、ぜんぜんだめなのだ。
自然さがまるでない。
聞かせよう聞かせようというハーモニカ演奏になってしまっている。
意識すると失敗する。
それをうまいという人もいるかもしれないが、歌の流れが変だ。
「今週は」'08.7/18
今週は暑かったせいもあり、部屋に戻るとバタンQであった。
なんと、月曜から金曜まで、まだギターを弾いていないのだ。
一日弾かないでいても、音が新鮮に聞こえるのであるから、
5日も弾かなかったら、どうなってしまうのであろう。
ギルドF-48は、個性があるのだが、弾き慣れてしまうと音がわからなくなってしまう。
あの、中古ギター屋で最初に弾いた音の感覚は、もう思い出せなくなってしまっている。
いままであったなら、二日目には、必ずギターを弾いてきた。
しかし今回はあえて、5日も弾かないでいた。
どんな音が聞こえるか楽しみだ。
本当に。
そしてまた感覚に焼き付けるのだ。
「酒盛り」'08.7/16
帰りの電車の中、江戸の本を今ずっと読んでいる。
どの話にもまず出てくるのが、酒盛りのシーンだ。
僕がその時代にいて、旅の道中で、それに出くわす。
だいたいどんな感じかは想像がつく。
大声で話し、笑っているだろう。それが酒盛りだ。
現代では、テレビ他、いろんな娯楽があるけれど、
江戸の頃、楽しさは「楽しい時間」ということだったのだろう。
日が暮れると、どこもかしこも酔っぱらいだらけだったかもしれない。
実際に行っていないので、様子はわからないのだが。。
電車の中で、出くわす酔った人たち。ついつい大声などで気になってしまうところだ。
しかしこんなふうに考えてみた。
人は酔うと、江戸に戻る。
「アルバイト」'08.7/14
僕は今、7時前には部屋を出て、帰ってくるのは夜の8・9時である。
いつもへとへとで、バタンQ状態なことは多い。
しかし、考えてみればアルバイトなわけで「本業は?」と、いうことになる。
そうなんだ、本業があるんだ。
まったくそれでは、稼げてはいないが。。趣味ではないな。
あまり意識はしていないが。。
なんとなく、アルバイトで、ここまで来てしまったが、
はっきり「本業があるので・・」と、僕が意識しなければな。
お金にはならない本業。
今は、アルバイトの疲れを休日にとり戻している状態。
もっとパワーアップしていかないとな。
「神田市場の写真」'08.7/12
僕は23才から26才まで、神田市場にいた。
今はすっかりITタウンになってしまっている秋葉原の高架下にあった巨大な青果市場。
ふと、思い返してみると、一枚も写真を撮っていないのだ。三・四年もいたのにね。
カメラも持っていたのに。一枚もない。友達からもらった写真もない。
僕の居た'84〜'87年は、神田市場移転の話が出ていて、
いつもの僕だったら、写真を撮っているだろうに。それもしなかった。
気になってインターネットを写真検索をしてみたが、まるでなかった。
でも幻ではないよ。
一年の旅から帰って来て、僕は神田市場を訪ねた。
そのとき、リサイクルカメラでも持って撮ってくれば良かったな。
僕は三年しかいなかったけれど、市場の頃のことは、克明に憶えている。
どの場所もどの人も。なんとか、それをDVDに焼きたいものだ。
未来、ヘルメットみたいなものをかぶると、記憶やイメージが映像できたらすごいな。
市場の頃、誰も写真に残すという発想が出なかったのかもしれない。
「江戸の小話」'08.7/10
小学生の頃、よく紙飛行機を作った。
よく飛ばすためにいろんな努力をした。
最近の子供らは、紙飛行機を作れるのだろうか。
ゆっくりとゆっくりと、よく飛ぶ紙飛行機。
ここ最近、江戸の諸国話を読んでいる。
その話は、どれもそんなに長くなく、何度読んでも面白く。
話しの入りから、終わりまで、実によく出来ていると思えた。
それも事実だけが起こせる意外性もある。
それは、人から人に伝わって、できた話でもあろうし、
伝わるべき、内容であったのだろう。
まるで、よく飛ぶ紙飛行機だ。
ちょっとした細工もあり、よく飛ぶ飛行機になった。
そこに落ちている。ひろいあげれば、まだまだよく飛ぶであろう。
「江戸」'08.7/8
ここ数日、江戸の生活の本を読んでいる。
行き帰りの電車の中で。
いままでいろいろ読んできたが、今回は図解がすばらしく、よく理解できた。
長屋に住んでいた人たちの生活。ほんと質素だったんだな。
どの家もだいたい同じであったろう。ビデオやDVDなどはない。
陽の明るいうちになんでもやって、欲しいものは、売り子が売りにくる。
楽しみは、もっぱら、話しという世界。
江戸の人が、僕の部屋に来たらびっくりするだろう。
なぜこんなに荷物があるのかと。。
それを説明するには時間がかかる。
「感覚」'08.7/6
先日のライブでびっくりすることがあった。
地方のライブハウスに初めて行って唄わせてもらったときのこと。
ライブが終わって、マスターがBGMでかけてくれたのだが、
そのかけてくれたアルバムというのが、僕の愛聴盤であったのだ。
それも続けて二枚。
一枚はトム・ウエイツの「アーリー・イヤーズ、vol.2」と、
もう一枚はレナード・コーエンのファーストアルバム「レナード・コーエンの歌」だ。
その二枚とも同じ匂いのするものであったが、その二枚を選べる確率は相当なものであろう。
ライブハウスのマスターのかけるBGMには、妙に感覚の鋭いものがある。
それは長年の経験からくるものであろう。
全ジャンルに渡り、匂いを感じられるのはすごいことだ。
「映像が先か音源が先か」'08.7/4
ニワトリが先かタマゴが先か、、?
この永遠のクレスチョンのようなクレスチョンに答えはあるのか?
ライブをビデオの編集を、先日やっていた。
友達からも良く言われることだけれど、アルコールセッションのとき、
参加の人たちがどんな感じだったか、ビデオで見るとよくわかるのだ。
同じステージだと、見る余裕がないからね。とくにセッションだと。
音源で何度も聞いた後であったが、実によく、その音の流れが映像ではわかった。
発見も多かった。
まあ、みんな音を伝えているわけだけどね、、、やっぱり映像は違うなぁ。
自分のライブの映像も見てみた。
いろいろ音に合わせて、体も動いているが、それは自分の想像外のところであった。
(へえーっ)とか、驚いてみる。
でも、そのパフォーマンスを生んでいるのは、元が音なんだよね。
「では」'08.7/2
ライブで唄っていると、いろんなことが起こる。
弦が切れたり、時間がなくなったり、ピックをなくしたり、、etc
友人は、よくライブのとき、「では」と言っていた。
「では」とは「それでは」の短い形であろうか。
「じゃあ」は「では」の変化形であろうか?
よくわからないけれども、使っている「では」の言葉ではあるけれど、
まあ、「そんなこともありますが・・」ということだろうか。
考えてみれば、ライブそのものは、そういう現実感があっていいものだ。
よい時も生まれるし、そうでないときもある。
偶然の中にあるのだ。
友人はよくライブで「では」と言っていた。
それはライブならでは言葉だったんだな。