青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'08.3月〜6月

「前日は来る」'08.6/28

 いよいよ今日は、遠くへ唄いに行く日となった。

 昨日はあれこれと準備をしていた。

 半年くらい前に話しをして、だんだんとまとめ、日にちを決め、場所をとり、共演の人も決める。

 チラシを作り、企画の友人と何度も連絡をとり、だんだんと詳細を決めてゆく。

 何ヶ月も何ヶ月もあったものでも、こうして必ず前日なる。

 特に遠出の旅の前日には、同じ想いを感じる。

 僕みたいな小さな企画でも、こうなのだから、もっともっと大きな企画の人たちは、

 もっと前日の気持ちを感じているのだろう。

 一年以上前の企画であれば、なおさらかな。

 なんとなくイメージが湧いて、それが実現する日が近づき、

 そして前日が来る。

 長期の海外旅行の前の日は、もっと前日を感じていたなぁ。

 すぐそこまで、当日が来ている。


「宇宙人が見て」'08.6/26

 小さい頃から僕は、文房具ファンであった。

 シャープペンシルから、ボールペン、そして万年筆まで集めた集めた。

 仕事でも、かなりペンは使うので、今も買い続けている。

 色ペンも使う。

 僕がかつて買ったペンの数は、天文学的数字になるかもしれない。

 ペン立てにもペンがいっぱいだ。

 こんなにはいらないと思うのだけどね。。

 よく考えてみれば、どんなにペンかあっても、持てるのは、いつも一本だけだ。

 ふと、宇宙人が僕の部屋に立ち寄ったとき、このペンの数を理解できないだろう。

 未来の人は、ペンは十本くらいしか持たないかもしれない。


「先輩ギター」'08.6/24

 もう少ししたら、旅先で唄うことになる。

 電車に乗ってゆくのも楽しい。

 そして、そんな旅は、ギターにとっても旅行なのだとわかる。

 初めてのライブハウスで唄うときも。

 僕の使っているギターは、二年ほど前に中古で買ったものだが、

 ボロボロのハードケースであり、かなり旅をしてギターであるのはわかった。

 ツアーに関しては、僕よりもずっと先輩だろう。

 今回行く中部の県にも何度も寄ったことがあるかもしれない。

 僕はそんな先輩ギターと共に、電車に乗ってゆく。

 ギターは何かを教えてくれるだろう。


「記録のないビデオ」'08.6/22

 昨今はデジタルカメラの普及もあり、写真も日常的になった。

 一枚の価値も少しは変わったのかな。

 僕も東京に出て来てからは、カメラを買ったりして写真も多く撮った。

 しかし実家にいた頃の写真はほんとに少ない。

 小学校時代・中学時代・高校時代の間はまるで撮っていないのだ。

 自宅にカメラがなかったというせいもあるが。。

 もっと小さい頃の写真もとても少ない。

 そのときどきに記録を残さなかったということでもある。

 思い返してみると、実家にいた18年間は、とてもせわしなくあっというまであった。

 あっというまに、僕は高校生になった。

 父も母も僕もみな忙しかった。

 そのときどきのメモリアルは、ほとんど何も残さなかった。

 小さい頃はどこでも走った。それからは自転車で走った。高校時代はバイクで走った。

 一本の長い長いビデオの中を走っていたようだ。


「よし、今だ!!」'08.6/20

 お酒を飲んだ次の朝は目覚めがよい。

 目覚ましの鳴る前にぴったり起きてしまう。

 夜遅く寝たのにな。

 ひとつわかることは、すごく深く眠ったといことだ。

 僕にはひとつのイメージがある。

 それは頭の中の作業員が、深く眠っていることをチャンスと、

 「よし、今だ!!」と言って、いっせいに出てゆくのを。

 いろいろな微調整をするのを。

 そしてリセットしてゆくのを。

 「作業終了!!」

 作業員たちは、また戻ってゆく。

 僕はそんなにはお酒は飲まないが、よい面も多いだろう。

 頭の中の作業員たちの活躍が目に見えるようだ。


「そんな動物になった」'08.6/18

 二ヶ月に一度、同じ町の同じ場所を仕事で回っている。

 約3時間ほどで、ひと回りできる範囲を。

 もう15年ほど続けていると、どんどんとシンプルになってきて、

 その動作に無駄がなく、同じ動作を繰り返しているのがわかる。

 とにかくスピードが早い。

 郵便配達の人たち、新聞配達のみなさんも、かなり道を極めているよね。

 もう職人に近いかもしれない。

 僕と同じ仕事のみんなを、町なかで見かけることを出来るだろう。

 新人もいればベテランもいる。

 郵便配達みたいなものだ。

 そんな動物になった。


「レモンケーキ」'08.6/16

 ふと、思い出したレモンケーキ。

 子供の頃、何度も何度も食べた記憶があるのに、

 ここ20年くらい、なぜか食べたような記憶がない。

 あのレモンの形をして、黄色いすっぱ甘い皮のついた、中がカステラのやつ。

 回りは銀紙の包み紙。

 子供の頃、どうしてなんだか、食べる機会が多かった。

 その度に、うわっ、すっぱいとか思ったものだった。

 東京に出てきてから、ほとんど食べていないような気がする。

 今も確実に売っている様子だが。。

 レモンケーキを扱っているお店は、極端に少なくなっているのかもしれない。 

 レモンケーキって、貝みたいだよね。

 その昔は、どこにでも見かけたのに、、。まるで絶滅危惧種みたいだ。

 それにしても、なぜこんなふうになったのか。。


「ないもの」'08.6/14

 今、新曲を作っている。

 歩きながら鼻で歌詞を唄い作るのも、必要。

 昨日は新宿の街を、新曲を鼻で唄いながら歩いた。

 考えてみれば、この歌を知っているのは、僕だけなわけだ。

 (まあ、アパートの隣の住人さんは、知っているかもしれないが・・)

 あと少しで、きっと出来るであろう。

 アイデアが浮かんでから、出来上がるまで一年ほどかかった。

 あと、もうちょっとなのだけれど、ここからが肝心だ。

 ボツになるか、何度も歌えるか。。

 とりあえず僕の全能力を使うだろう。

 家を建てるときは、設計図もあり、そのとおりにちゃんと完成する。

 失敗はほとんどないだろう。

 新曲もそうだったらいいのになと思う。

 なにしろ、「ないもの」を、探すわけだからね。

 ほんとに見つかるのかな? 僕にもわからない。


「みなの衆」'08.6/12

 僕はライブの打ち上げくらいにしか、お酒は飲まない。

 平日は体が疲れているせいもあるが、すぐ眠くなってしまうからだ。

 しかし、よくお酒を飲む友達も多い。若い頃よりもいっそうに飲んでいる人も多い気がする。

 飲む人は飲むし、飲まない人は飲まないようだ。

 僕が思うに江戸の町では、大人という大人は夜になると、みんなちょっと一杯をやっていたのではないかな。

 テレビとかラジオとかないしね。独身の輩も多かっただろうし。

 酒場はどこにでもあり、今よりも盛り上がっていたのではないかな。

 毎日毎日、飲むことが生活だったにちがいない。

 仲間同士集まって。。

 地方や田舎ではちがう生活もあったと思う。僕は地方派なのかな。

 人の遺伝子や記憶の中に、何代か前の意識が残っているとしたら、

 毎日お酒を飲む生活というものが、当たり前のようによみがえっているのかもしれない。

 普通の日常として。

 そんなような気がするよ。

 その昔、僕は田舎の生活で、、。


「値上げ」'08.6/10

 ストアーに入ると、ものすごい勢いでいろんなものが値上げしていた。

 手に取ろうとしたものが、みな値上がりしている。15円くらい。

 ずっとずっと100円だったものが、115円ほどになっている。

 僕は回転寿司に入ると、ほぼ100パーセントが、100円皿を選ぶ。

 ストアーに入っても、ついつい100円のものに手が伸びてしまう。

 長年の我がベストセラーだったのは、100円のグレープフルーツ紙パックジュースと、

 100円のブルガリアプレーンヨーグルトだ。

 いつもレジには、そのふたつが列んだ。

 今日から急にそれは、115円と言われてもなぁ。

 俺は、さ び し い よ。

 ちょっとちがうんだよね。

 何もかも値上げすればいいと言うものではないだろう。 

 100円には魔法がある。


「ギターの嫁入り」'08.6/8

 友達より連絡が来て「ギターを貸して欲しい」という。

 これは驚いた。ここ数日、その友達にギターを貸したいと思っていたからだ。

 と言うのも、まるで使っていない古いヤマハのギターが一本あったからだ。

 そのギターは昔にひろったものだった。きれいだったが弾ける状態ではなかった。

 ある程度のネックの調整をして、そのままにして置いたギター。

 友達は、今、ギターを持っていなくて、このヤマハを貸そうと決めていたのだ。

 僕の部屋にあっても、押入れの中にあり、たぶんずっと弾かないし、、。

 さて、明日には渡すときになり、僕はギターの調整をした。

 肝心のネックを何度も微調整をし、弦を交換し、ペグに潤滑剤をさし、

 使わないギターのソフトケースを出し、一番合うカポタストを探し、替え弦も一緒につけた。

 友達はこんなふうに使うだろうと予想して、それあ合うようにネックは調整した。

 フィンガーピッキングが弾きやすいように、最大限に弾きやすく調整した。

 僕に出来うる限りのすべての調整をした。

 ギターを取りにきた友達は、ある程度、納得して借りていった。

 まるでギターの嫁入りのようであった。

 元値は一万五千円のギターではあるが。。あと20年は大丈夫だろう。

 ひろってきたものの、まるで弾いてあげられなかった古いヤマハのギター。

 行っておいでー。


「実に素晴らしかった」'08.6/6

 僕は初めてのライブハウスにいつも行くのを楽しみにしている。

 老舗なら、なおさら。

 ライブハウスを訪ねる。そこには膨大な情報量がある。

 店のすみからすみまで、ひとつの空間のひとつになっている。

 照明の当たり具合にも、ながい積み重ねがある。

 先日訪ねた店は、実に素晴らしかった。

 狭いスペースではあったけれど、最高のライブが出来ると思えた。

 壁の具合、照明の当たり具合、音量のエコー、ポスターの演出、etc

 初めからこの空間が出来たわけではないだろう。

 唄が伝わるべきすべてがそろっていた。

 やろうと思えば、最高の弾き語りのライブが出来るだろう。

 初めてのライブハウスに行く。

 そこには積み重ねられた膨大な情報量がある。


「路地の奥のアパート群」'08.6/4

 下町の話。

 果物屋さんの横の細い路地をゆくと、そこにアパートが列んでいる。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、、。

 そのどれも大きい。

 庭もある。庭の奥には、リヤカーが立てかけられてある。

 僕は二ヶ月に一度、そこを仕事で訪ねている。もう15年。

 まあ、この15年はそんなには変わらない。ひっそりとひっそりとしている。

 昨日も寄ってきた帰り路地からふと振り向くと、一瞬、昔の時間が見えた。

 '70年代、'60年代、80年代もそうだったかな。

 ここには、にぎわいがあったであろう。

 これだけアパートが列んでいるのだから、いろんなドラマもあったであろう。

 その頃のことは僕は知らない。

 今はひっそりとしている。

 路地の奥、大きなアパートが四つ列んでいる。


「朝のしるし」'08.6/2

 このシリーズのエッセイはいつも、目覚めに書いている。

 朝、最初の目覚ましが鳴ったときに、題材がないことが半分だ。

 5分おきに目覚ましは鳴る。

 そのたびに止めて、とろとろと15分、20分。 

 アイデアが浮かんでくるまでは起きない。

 アイデアが浮かんだら起きる。そしてエッセイを書く。

  コケーコッコー ポコッ。

 まるでニワトリが朝にタマゴを生むみたいに。

 僕はいつも、僕なりにコケーコッコーと鳴いてみる。

 ニワトリがなぜ、朝に鳴くかは不明なのだが。

 それもひとつの朝のしるしであろう。

 (アオキサン、ケサモタマゴウンダカナ?)

 そんなふうに、このページを開いてみるといいな。

 コケーコッコ、コッコ、コッコ、ポコッ。


「服」'08.5/31

 先日、いろいろと部屋の整理をした。

 今、ちょうど春の服から夏に替わる季節であり、

 この先、しばらくは着そうもないものは、少し奥にしまった。

 秋頃の服は多く持っているのだけれど、初夏から夏の服があんまりない。

 数えてみられるほどの服しかない。

 また今年も、この服で過ごすのかな。

 思えば、ぜんぜん服も買わなくなった。

 以前、というか15年くらい前までは、服を探しによく出かけたのに。

 池袋、渋谷、新宿。。

 それ以降でも、服はよく買っていた。

 ここ10年はほとんど夏服は買っていないので、

 夏になると、同じ服ばかり着回すことになる。

 どれもお気に入りだとしても、さすがに同じ服ばかりだ。

 そういう服を着た動物であるかのように。

 これは、僕本来の流れではなかった。

 新しい服をどんどん着ているはずであった。

 それは服だけではないだろう。パッとは思い出せないが。。


「歌の数」'08.5/29

 歌を作る人は多い。

 僕が、歌を本格的に聞き出した中学時代は'73年だ。

 それから35年ほどたった。

 単純に考えても、その35年の間に世界中で作られた歌は、

 天文学的な数字になるだろう。

 発売されたアルバムの数もすごい事になっているだろう。

 今、中学生のみんなは、選び放題だ。

 メロディーも山ほどある。

 しかし、それほど実感がないのは本当だろう。

 聞ける音楽の時間にも限界があるからね。

 作ったアルバムを聴くにもお金がかかるだろう。

 そして今を生きる僕にも、同じ事は言えているのだが。。

 それは実感として感じらない。

 一日に聞けるアルバムは一枚か二枚。

 僕らはその分、幸せを感じているだろうか。

 消えてゆく歌も多いということなのかな。

 消えてゆく歌があるなんてさびしいな。

 気がつけば、僕も部屋にあるアルバムは増えた。

 増えた増えた増えた。


「一年間」'08.5/27

 友人は、一年間、六つの仕事をかけもちしていたという。

 その内容をきくと、びっくりするが、それをやりとげた友人もすごい。

 しかし現実的には、友人にとって、それは良い結果になった様子であった。

 すごいなぁ。意思が強い。

 僕もいろいろとやるべきことが多いのだけれど、もうなん何年間も出来ないでいる。

 一年間と決めて、がんばってみようかな、、。いろんなダビング作業とか。。

 そうすれば、次は楽になる。

 人は期限を決めないと、なかなか実行しないものだ。

 一日に六つの仕事をかけもちするパワーがあれば、きっと何でも出来るな。

 友人は実行した。僕も出来ないものかな。

 一年間と決めて。


「古い人、古い音」'08.5/25

 最近、時々、

 自分は古い人間だなぁと、ふと思うことがある。

 しかし、この言葉ははっきりとは使いたくなかった言葉だ。

 僕が10代、20代の頃、よく聞いた言葉でもあるから。

 そして僕もけっこうな年齢になった。自分では若いつもりでも、

 ただそれは若いつもりだけなのかもしれない。

 僕はギターを弾くが、古いギターが好きだ。

 それは古い音がするからだ。

 最近の新しいタイプのギターの音がどうしても、僕は苦手なのだ。

 芋くさくボリュームのある音が好きだ。

 若者は、もうそんなにギターの音にこだわりはないかもしれない。

 しかしおじさんはあの音が苦手なんだ。

 僕はもう、おじさんなんだな。古い人の仲間なんだ。

 古いギターなんだ。。


「歩けないものか」'08.5/23

 小学校時代によく見たいたはずの駅が思い出せない事がわかった。

 昭和40年代。。どんな駅だったかな。。

 学校に通った商店街の道だって、記憶があいまいになってしまった。

 高校時代、中学時代ならはっきりわかるのだから、小学時代も変わらないのかな。。

 それにしても駅が思い出せない。

 ・・・・・・・

 ときどきはとてもリアル夢を見ることがある。

 あんなにリアルな夢を見ることができるのならば、

 小学校時代の街を夢で歩くこともできるのではないかなと思う。

 あんなに毎日、通ったのだから、忘れてはいないはずだ。

 なんとか歩けないものか。。

 今もう一度、夢で歩かせてもらえれば、はっきり記憶するのにな。

 僕は外仕事をしているが、今はもうない場所でも、

 記憶にははっきり残っていることを知っている。

 夢の中、目が覚めると、昭和40年代の街になっていないかな。

 どうして、できないんだろ。なぜ、できないんだろ?


「映画館のあった場所」'08.5/21

 「昭和30年代の中野・杉並」という写真集を買った。

 僕自身、杉並区高円寺に住んでいるので、知っている通りの写真もあった。

 (へぇーっ、あそこは映画館だっただ・・)

 現在はスーパーの西友になっている場所が、元映画館であったなんて知らなかった。

 もう20年も高円寺に住んでいるけれど、誰も教えてはくれなかった。

 大事な大事なことなのに。。

 北口にあった映画館は、今は街の自転車置き場に変わった。

 ここが元映画館であったとは知らない人も多いだろう。

 映画館だったと知ったら、へぇーっと思う人は多いばずだ。

 ここに大きなにぎわいがあった。

 現在は大きな何かになった。

 それは知っていていいなぁ。

 駅前には、街の地図があるけれど、ぜひその隣に、

 昭和30年代の街の地図を並べて欲しい。

 しばし立ちどまり懐かしく思う人も多いだろう。

 今も残る老舗は誇りと思うだろう。

 こんな小さな事でも、きっと街を感じられるだろう。

 流行らないかなー。


「朝」'08.5/19

 まあ、このところ夜明けも早い。

 朝、7時前に出かけても、もうすっかり世の中が動いている。

 6時台でも、みな駅へと向かう。

 友達に「何時頃起きているの?」ときくと、

 「7時くらいかな」と答える人は多い。

 以前はそれでも早かなと思っていた。

 「6時起きだよ」と、言うと、とても早いと思っていた。

 しかし、世の中はすでに活動が早い。

 早足で歩いていて、ねぼけている人なんていないみたい。

 5時台で、やっと朝の街という感じかな。

 その昔、僕にとっては、朝7時は朝の代名詞でもあった。

 実家にいた頃は、そんなふふうだったのになぁ。

 都心の朝は早い。


「世界発信」'08.5/17

 薬の処方箋をもらって薬局にゆく。

 ガラス張りの調合する部屋には、いろんな薬の瓶が見えた。

 あの部屋の中で、あらゆる薬が調合できるのだな。。

 必要な物は何でもそろっているんだ。

 僕はこの部屋から世界に向けて、いろんな事を発信したいと思っているが、

 たぶん、それに必要なものは、みなこの部屋にあるであろう。

 本にしてもレコードにしても、何でも。

 30年ほどかけて集めて来たものだ。

 一生分の資料は集めたと思う。

 探し物はこの部屋に何でもある。

 薬を調合するように、この部屋のいろんなものを組み合わせることもできる。

 そして世界に発信できるはずだ。

 しかし、僕の部屋は物が多く、部屋の奥にもなかなか行けなくなってしまった。

 本棚の裏に本棚がある始末だ。僕は部屋を整理せねばならない。

 あの薬局の調剤部屋のように。


「肝心なこと」'08.5/15

 ずっと、僕なりに薄型テレビには注目している。

 最近は、フルハイビジョンの映像をテレビに流しているところも多く、

 とても映りが良い。それは、もう当たり前だ。

 しかし僕が思う肝心なことは、DVD画質(標準画質)が、

 どれだけきれいに再生できるかにあると思う。

 DVDを見ると、そのテレビの実力もよくつかめる。

 ブルーレイやNHKハイビジョンやWOWWOWハイビジョン放送では、きれいすぎる。

 きれいで当たり前だ。

 僕は未来はブルーレイディスクに移行するとは思っていない。

 DVDがまだまだ活躍するだろう。

 DVDでいいじゃないか。

 DVDが肝心なんだ。


「浮世絵」'08.5/13

 両国には北斎通りという道がある。

 交差点にいると、そこの柱に北斎の浮世絵を見つけた。

 道で作業をしている二人の絵。

 その作業する光景は、現在では見ることがもうできないと思うが、

 永遠性のある光景だと思えた。

 外の風景と一体化しているというか、名物の光景になっているというか、、。

 いろんなものは、だんだんと永遠性が出てくる。

 それは、長い時間をかけて、作業がシンプルになってゆくからだろう。

 浮世絵という言葉の響きからは、さらっと写生をしている印象を受けるが、

 北斎は、ただ写しているというより永遠性を感じていたんじゃないかな。

 そのときの誰もが、当たり前だと思っていても。

 なにげない光景だと思っていても。


「外に出ると」'08.5/11

 小さい頃、100メートル先にある小さなお店までよく走った。

 交差点にある、小さなお菓子とパン屋さん。

 外に出ると、左右はまだ木造の古い家々だった。

 青木さん家のタカオくんは、100メートルを走った。

 今思えば、町内の名物だったかな。

 それからだんだんと、木造の家は新築に変わっていった。

 一軒一軒ずつ。

 僕の生まれは'61年。それから'65年になり、'68年になり、'70年になった。

 デパートもあったけれど、木造の家もあった。

 道を走っている実感があった。

 海外では、いろんなムーブメントが起こっていたけれど、その事は知らなかった。

 知らなかったけれど、僕はそれ以上ない時間を過ごしていたと思う。

 外に出ると、回りはまだ木造の家々だった。そして僕は全速力で走った。


「人生の楽しみ」'08.5/9

 昨今は、薄型大型テレビが流行となっている。

 32型・37型・40型・50型・・

 こんなに大きなテレビなんて、いらないよって言う人も多いかもしれない。

 しかしまあ今、15万から20万円で、それらが買える位にまでなった。

 自宅の大画面テレビで、映画が観られるというのは、それなりにいいんじゃないかと思う。

 贅沢品ではないだろう。大きなステレオセットだって、その昔は流行ったことがある。

 人生には楽しみが必要だ。

 高級ギターだって同じだろう。

 日々の生活があって、楽しみもある。

 もだえるくらいに嬉しい時間であって、ちょうどいい。


「良いギター」'08.5/7

 昨日、ギターを弾いてみると、本当に良い音で鳴っていた。

 気候的には、ほとんど湿気がなかったとニュースで言っていた。

 「洗濯物もすぐ乾いたはずでしょう」と、、。それと大いに関係があるのであろう。

 僕はギターは、1974年製のギルドのギターで、もう作られて34年もたっている。

 毎日ギターを弾いていると、ときどきはこんなふうにギターがよく鳴る日と出会う。

 どのギターも、昨日は良く鳴っていたのかなと思う。

 ギルドのギターを弾いていると、その音の良さに昨日はびっくりした。

 弾いても弾いてもびっくりする。

 その音を文字で伝えられないのは残念。

 いろんなギターを出して、昨日は実は弾いてみた。みなそれぞれに良い音だったが、

 ギルドのギターは特別に良い音に思えた。国産の安いギターとはまるでちがう。

 まるでちがう。ストロークだけでも、それはわかる。

 ほっペだったら、美味しくて落ちてしまう音。


「伝えるということ」'08.5/5

 昨今は、大画面薄型テレビが人気だ。

 そしてだいたいのメディアは、顔の向く方向にあることが多い。

 ステレオセットにしても、ライブにしても、映画にしても、本にしても。。

 ・・・・・・

 部屋でギターを弾くとき、たいがいは座ってポロポロと弾いていることは多い。

 しかし部屋で弾くときであっても、立って弾いて唄うと違う感覚になる。

 部屋での響き具合とかね。あと、肩掛けひもからの感じとかね。

 そして昨日は、ふと思い立って、部屋の中央に立って弾き語ってみた。

 すると四畳半の部屋の、空間的にちょうど真ん中にギターで鳴るのがわかる。

 それがなんともいい響きなんだな。

 ・・・・・・

 僕は新しい歌を作りながら、部屋で唄ってみた。

 立って、それも、部屋のちょうど真ん中で。。

 まるでこの部屋が、ひとつの音の中にあるように。

 作りかけの歌は、そしてどこまでも、伝わってゆくようであった。

 願う場所のどこへでも。。

 こんなふうにできる伝達メディアは、やっぱり歌なのかな。

 僕は歌を見直した。 


「思えば遠くへ来たもんだ」'08.5/3

 最近だと思っていたことが、

 もう三年前だということがよくあるようになった。

 海援隊の歌に「思えば遠くへ来たもんだ」がある。

 一度、聞いたら忘れられない歌だ。メロディーも印象的。

 ボブ・ディランの自伝を読んでも、ニューヨークに出てきてからの一年間、

 そしてそ後の三年間がどんなに、内容が濃かったかがよくわかる。

 そんなふうに、毎日が充実した日々は僕にもあった。

 あの長い時間。一週間後、何が起こるかわからない頃。

 ♪思えば遠くに来たもんだ〜

 そう思ってた頃。あの時間の秘密を知りたいな。

 あっというまに一年が過ぎませんように。


「静かな亀になった」'08.5/1

 先日、近場の天然温泉にでかけた。

 連休中ということもあり、家族連れや若者も多く来ていた。

 ある高校生のひとりは、しきりに歴史について語っていた。

 まあ、どこにいても、学校にいるような感じなのであろう。

 体を洗っているとき、隣の若者は日々の事を大きな声でしゃべっていた。

 僕は、露天風呂のすみでほんと静かにしている。

 この先も、あんなふうに大きな声で話したりはしないだろう。

 もう僕は静かな亀になった。

 ある程度年をとったということかもしれない。

 若者は、自分たちは亀だなんて想像もしていないだろう。


「つながりというものが少し遠くて」'08.4/29

 朝起きて、テレビのニュースを観ることは多い。

 朝起きて、アルバムで音楽を聞くことは多い。

 しかし古い時代には、そんなものはなかったであろう。

 そして、ここがインドだったらと思ってみた。

 ニュースは、近くの「道のチャイ屋」に行くと、そこにあったであろう。

 僕もインド旅行をしているときに、宿の近くのチャイ屋に行った。

 同じメンバーがいて、いつでも話がそこに満ちていた。

 ラジオかあれば、そこには音楽もあった。

 世界中の音楽も聞こえてきたであろう。

 そして、僕は最近、少し不思議に思ってしまう。

 ニュースにしても音楽にしても、身近ではないなと。

 特に音楽は、世界中の音源を聴いているが、どうしても体や心が満足しないようなのだ。

 つながりというものが少し遠くて。

 口から耳、耳から口につながってゆくそんな世界が見えてこない。


「越えているもの」'08.4/27

 先日、ピアニストのグレン・グールドの若い頃のドキュメンタリー映画を観た。

 録音に関する一時間ものであるが、白黒フイルムであっても、それを感じさせないのだった。

 実に撮り方がうまく、なおかつ、無駄がなく、しっかりと演奏テクニックも撮れていた。

 会話もよくわかる。ドキュメンタリーで音声をうまく撮ってゆくなんて大変だ。

 そして何度も観てもあきない構成のシンプルさ。二部構成で一時間というのも、いい。

 白黒フィルムであっても、充分に見応えがあった。

 その不思議さ。逆に白黒であるから、その内容に集中できるのかもしれない。

 白黒のドキュメンタリーと言えば、ボブ・ディラン「ドント・ルック・バック」もよく観た。

 テレビ放送で、今もドキュメンタリー放送は多いけれど、どうもそんな感じではない。

 フイルムの値段にもよるのかもしれないが、何か越えているものを感じる。

 白黒フイルムであっても。


「日本一のライブハウス」'08.4/25

 先日、とある小さなライブハウスで唄った。

 一緒に演る友達が、友人を呼んでくれていた。

 そのお客さんは「ここほんとにグッドマンですか?」と、マスターにたずねた。

 「そうですよ」

 一緒に演る友達は、すかさずにこう言った

 「グッドマンを知らなきゃモグリだよ。日本一のライブハウスだらね」

 お店に笑いが起こったけれど、その可能性がないとは言えないと思った。

 まあ、比べられるものではないけれど。

 ライブハウスは、大きさや音響だけが、その基準ではないだろう。

 ひとつのライブが終わったあとにかかる音楽だって、センスが必要だ。

 注文をとったり、ドリンクを出すタイミングだってある。

 ライブが終わると、お客さんひとりひとりが自然とマスターと話すことになる。

 「へえ〜」

 マスターのいつもの声が聞こえる。

 日本一のライブハウスの基準はまるで不明だが、

 そう思えている人がいるというのは、素晴らしいことだ。


「お茶の水、こんな気持ち」'08.4/23

 仕事帰りによく、お茶の水で降りる。

 駅前のカレー屋に寄るためだ。そのカレー屋はうまい。

 でも駅前であるために、ほとんど街に寄ることはない。

 改札を出て5秒、そしてまた5秒で改札に戻れる。

 お茶の水は楽器店街でもあるので、僕の欲しいギターが数多くある。

 しかし何度見ても何度見ても、ギターの音色が聞こえては来ない。

 試し弾きということも出来るが、買うという前提ではない。

 僕は楽器店には寄らずに、また店から5秒で改札から出てゆく。

 その街から僕には、いろんな高級ギターの音色が聞こえてくる。

 しかし高いお金を出さないと、それらのギターを弾くことなんて出来ないんだ。

 遊園地に行けば、いろんなアトラクションが楽しめるのに、

 お茶の水はそうではない。

 一回しかない僕の人生なのに、僕の弾けるギターは限られている。

 憧れているギターたちに、僕はさよならを言ったおぼえはない。

 しかし、僕は5秒で改札から出て行ってしまう。


「練習不足」'08.4/21

 先週は本当、部屋に帰って眠るだけの生活だった。

 こんなことは珍しく、ギターも弾くことが出来なかった。

 ほぼ10日くらい。(ああ、弾いていないなぁ・・)と、思いながら。

 昨日はスタジオでリハであったが、弦を押さえる指の先が痛くなった。

 ああ、なさけなや、なさけなや。

 ギターの弦高が少し高いということもあるのだが。。

 ストロークの感覚も、どうも自分のイメージどうりにできない。

 完全に練習不足だ。

 指の先が痛さが、それを教えてくれる。

 三日しなくても自分でわかるのに、10日もしないとこれだ。

 ベース弾きならもっとだろうなぁ。

 弾いて弾いて弾いて、ちょうどいい。


「その未来」'08.4/19

 先日、友人が面白いことを言った。

 「考えるに、今の文明がなくなった未来の人が、遺産を発見して、

 音を再生できるのは、レコードくらいなんじゃないかな・・

 CDやTAPEは、電気や再生機械がないとだめだけれど、

 レコードなら、なんとか知恵を使って再生できるだろう」と。。

 なるほど、それは言えている。

 レコードの仕組みを理解すれば、竹針とかで音がきっと鳴るだろう。

 そしてあらゆるCDやTAPEは、再生できないのだ。

 そう思うとレコードはすごい。そして残しておきたい気持ちでいっぱいになる。

 今ももう、古いメディアとして、なくなりつつあるけれど。

 映像だって、フイルムが唯一、観られる可能性がある。

 一番古いメディアが、一番最後にまで残るかもしれない。

 それだけで、すごいと思う。

 もしかして、レコード以降の音源は、伝わらないかもしれない。

 レコードやフイルムは素晴らしい。

 それは認めてあげよう。


「懐メロ」'08.4/17

 先日、訪ねた小さな町工場では、懐かしのメロディーが流れていた。

 昭和20年代から30年代くらいの歌謡曲かな。

 そこのご主人は70歳だろう。若い頃に聞いていた音楽だ。

 それは「懐メロ」と呼ばれるけれど、さてそうなのであろうか。

 僕の世代なら'70年代フォークかな。

 その前の世代ならグループサウンズブームかな。

 テレビ番組でもよく特集が組まれることがあるが、

 時代を振り返るという設定のときが多い。

 '70年代といえば、もう30年以上前のことではあるしね。

 懐かしむという時間の長さは充分にあるのかもしれない。

 でも、僕の感覚としてはちょっとちがうんだね。

 いくらでも復活するというのかな。

 僕の中ではね。

 他の世代の歌でもそれは言えるかもしれない。

 「懐メロ」と歌が呼ばれるなんて、嫌だなぁ。


「その昔」'08.4/15

 ずっとライブのビデオ編集をしていたあと、

 他の音源の編集をしようと、とりかかった。

 するとどうだろう。まるで感覚がつかめないのだ。

 ひとつの音の固まりのように感じられた。

 ライブの一曲ごとにトラックマークをつける作業がなかなかうまく進まない。

 映像と音源では、こんなにもちがうものかなと思えたけれど、

 よく考えてみれば、音源だけで長い間、いろいろ楽しんできたわけで、

 手にとるように、音源の中を僕らは自由に行ったり来たりしたのになぁと思う。

 ・・・・・・

 その昔。

 人は遠くに何かを伝えるために、音を使うことが多かったであろう。

 (まあ、もっと遠くへは「のろし」が使われたであろうが・・)

 オオカミにしても、ライオンにしても、声を使って意思を伝えるだろう。

 たぶん「伝える」という行為は、本能としては「音」のことだったのではないかな。

 現代は、実に多くの映像メディアがあり、音だけでは、なんだが物足りなく感じられているけれど、

 本来の「伝達メディア」だったと思う。

 昔むかしのように。


「指輪物語から僕が得たもの」'08.4/13

 一昨日からずっと、ライブ映像の編集をしているがまだ終わっていない。

 一昨日は8時間、昨日は16時間。それでもまだ終わっていなくて、今やり直している。

 ほんの2時間のライブなのに。。通常であるならば、3時間もあればDVDに焼くまでできるのに。

 どうしても原因不明のノイズが出てしまうのだった。

 原因不明。それは、映像を送る側の問題だと思って、何度もダビングをやり直した。

 しかし原因は、映像を受け取る側のハードディスク付きの編集機の方にあった。

 ハードディスクに入れると、ノイズが入ってしまうのだ。そんなばかな。。

 まあ、何かの原因があってのことだと思う。

 その機械は、いつも使っているメーカーではなくて、他のメーカーのプロ使用の高級機だった。

 半年ほど前に、買ったものだ。値段は、意外なほどに高い。

 僕が思うに、これはメーカーどうしのデジタルの相性なんだよね。

 その機械のメーカーのビデオカメラも有名であるから、自社の機械を基準にしているのであろう。

 言ってみれば、買い損だったかもしれない。

 しかし、この機械にしかない機能も多くあり、それは使えるであろう。

 ・・・・・・

 さて、J・R・R・トールキンの指輪物語の中に出てくる、ゴラムというキャラクターがいる。

 指輪の魔力にとりつかれたひとりの化身である。

 本来ならば、指輪を狙うので、命を奪われてもおかしくないところだが、助けてしまう。

 そのとき魔法使いのガンダルフは、何がどう役立つかは、わからないものだと言う。

 結局は、そのゴラムは重要な役割を果たすことになるのだった。

 ・・・・・

 僕にはこのことが、とても印象深く残っている。

 失敗だと思ったことでも、後々に役立つときがあるだろう。

 その機械は高かった。しかしきっと使うときが来る。


「地球の感覚」'08.4/11

 たとえば雨の中にいるようなとき、

 何か楽しいことを考えたりしないと、パワーダウンしてしまう。

 それとも、実際に健康ドリンクを飲んだりして、パワーをもらう。

 にんにくもいいね。

 そして昨日、僕はあることを発見した。

 その効果は絶大だった。

 ・・・・・

 何かを想うこと、それは言ってみれば、

 多少なりとも「気」を受け取るということだと思っている。

 それは音楽アルバムであったとしても、何かの楽曲であったとしても同じだ。

 また逆に言えば、想われるものからは「気」が発せられているとも言えるだろう。

 今まで僕は、地球の表面にあるものばかり想ってきたたのではないかなと思う。

 それは、北のどこかのことだったり、南のどこかのことだったり、

 地球の表面にあるものばかりだ。人にしても物にしても、想い出にしても。

 ・・・・・

 しかし、昨日は雨の中、地球の真ん中の事を想ってみた。

 この雨風荒れる地球の表面であっても、

 地球の真ん中はマグマか何かが燃えたぎっているにちがいない。

 北極や南極、その磁場の影響や、天候の変化も地球の真ん中の力は多少関係しているであろう。

 僕は地球の真ん中のマグマのような燃えたぎる何かに、「気」を合わせてみた。

 僕も地球の生き物でるならば、自分の真ん中にも、見えない「マグマ」があるのではないかと。

 するとどうだろう、体の感覚が変わってくるのだ。

 何か得体の知れないパワーを感じて、雨も気にならなくなったのだ。

 1000円くらいのスタミナドリンクでも飲んだかのように。。

 ・・・・・

 地球の真ん中、その存在は誰も見たことはないけれど、

 確かにあるのであろう。たぶん燃えたぎって。

 今日、このとき、その事を想っている人は、どれくらいいるのかなと思う。

 一億人にひとりくらいかな。

 地球の真ん中に「気」を合わせてみると、地球の真ん中からも「気」はやって来る。

 その力の強大な事。

 地球の真ん中は見えない。しかしきっと燃えたぎっている。

 僕もひとつの地球だと考えてみる。きっとマグマはある。


「嬉しかったふたつの事」'08.4/9

 中学・高校時代、実家の新潟・柏崎にいたときのこと。

 その頃、本でもレコードでも、欲しいものは注文ということが多かった。

 中学三年のとき、近くの小さな本屋さんに「加川良と歌おう」という本を注文した。

 その頃はフォークブームだったこともあり、多くのシンガーの弾き語り本が出ていた。

 注文してから、早ければ2週間といういつも答えだった。

 「加川良と歌おう」は、もともとがそんなに多くは出版はされていなかったのか、

 注文してもまるで反応がなかった。何度も何度も「届いてますか?」と、尋ねた。

 ひと月・ふた月くらいたった頃、「届いてますか?」「ちょっと待ってくれ、届いている予感がする」という。

 箱の中から注文本を出してゆくと、みどり色の「加川良と歌おう」の本が出てきた。

 「ほら、来てた!!」。しかしそれは新品の本とは、まるでかけはなれた色あせた本であった。

 問屋に残っていたという感じではない。

 探してくれたのかもしれない。僕はとても嬉しかった。

 ・・・・・・

 これは高校一年のとき、僕は街の小さな楽器さんに、「茶木 W-80」という高級国産ギターを注文した。

 これもなかなか来なかった。

 お店に寄ると、「もうちょっと待ってね」と言う。

 「東京まで、買いに行っているから」と言う。

 そしてしばらくすると、ギターが届きました。連絡が来た。

 憧れていた茶木のギターが目の前にあった。

 一緒に行ったオフクロに、楽器屋さんの人は「東京まで行ったんですよ」と言う。

 今、思ってみると、茶木のギターは、東京の問屋さんにもなかなかなかったであろう。

 苦労かけたなぁ。それもとても嬉しかった。

 フォーク好きの僕のために、みんなありがとう。


「伝言屋」'08.4/7

 花見の季節になった。

 今のように、江戸の頃も同じように盛り上がっていたであろう。

 近所の人が近所の桜に集まっていたのであろう。

 さて、昔の人たちはどうやって、連絡をとりあっていたのであろう。

 郵便はあったとしても、それほどの用でもないとき。

 やっぱり伝えるしかないわけだから、一軒一軒訪ねたのかな。

 それでも、少し遠いところに住んでいる人や、隣町に住んでいる人には、どうやって伝えていたのか。

 やっぱり伝言しかないであろう。

 ある程度は、伝わるとしても、確実に伝えたいときは、伝言屋を使ったのはないか。

 そんなの聞いたこともないけれど。

 そんな職業があったのではないかな。

 それにしても、江戸の頃の住所って、どんなだったのだろう。


「風呂の記憶」'08.4/5

 ふと、思い返してみたら、小さかった頃の風呂の記憶がほとんどない。

 なぜだ。なぜなんだ。

 小学生の頃の記憶はたっぷりあるのに、その頃の風呂の記憶がない。

 僕は、風呂に入っていたのか・・?

 父ちゃんが、風呂沸かしをしていたのは記憶があるのになぁ。

 僕の中の七不思議だ。

 小さかった頃、風呂が嫌で嫌でしかたがなかったのかな。

 一刻も早く上がりたかったのかな。

 テレビドラマのストーリーも同じようにほとんど憶えていない。

 それと同じなのかな。

 あまり語られないことだが、小さい頃の風呂の記憶がはっきりしない人は多いかもしれない。

 風呂で、おもちゃで遊んだ記憶はある。父と遊んだ記憶はある。

 しかし他の記憶に比べて、あまりにもはっきりとしない。

 風呂に入っている間、僕はウルトラマンだったのかもしれない。


「ふた駅の旅」'08.4/3

 歌作りを始めてのは、中学二年の頃。

 ふと気が付けば、約30年はたった。

 30年って長いなぁ。作り始めの頃からのことは、よく憶えている。

 考えれば、それは旅だったとしか思えない。

 歌のイメージが出来て、それをただ作ってきたというふうではない。

 自分なりに、はるばると創作の旅をしてきたような気がする。

 30年分の遠くに来たかと思えば、そうでもない。

 ずっとアパートの部屋にいる。

 二ヶ月に一度、ここからふた駅先の荻窪の街の店が歌ってきたが、

 ほとんどの新曲はそこでまず唄われた。

 新曲を持って、ふた駅先の店までゆく。

 そういう旅だったような気がする。

 はるばるとした、ふた駅先の旅。


「昨年の今頃」'08.4/1

 昨年の今日、僕は職場が変わった。

 職種は同じなのだが、仕事場が移動したのだ。

 仕事の量もものすごく増えた。毎日の帰りも、3時間くらい遅くなる予定であった。

 そんな始まりだった四月。

 日々の生活のリズムがどうなるかもわからなかった。

 それからあった、ごだごたとばたばた。

 1年たって、今はもとの職場にいて、生活もずいぶんと落ちついた。

 それは一年前には、想像もつかなかったことである。

 あたふたと過ぎた一年がやっとすぎた。

 今日から、少しシャキっとしようと思う。

 なにごともなく四月が過ぎるには、もったいないのだ。


「食のジャンルとmusic」'08.3/30

 食のジャンルは、わかりやすいものが多い。

 中華・和食・イタリアン・ラーメン・蕎麦屋・他

 そのジャンルはとてもわかりやすく、食べにゆく側も「今夜は何食べる?」という感じだ。

 中華を目指す料理人。和食を目指す料理人。イタリアンの人。

 それぞれに目指す料理人は、その道を極めてゆくであろう。

 と、普通は、なってゆくが、、それぞれの料理人は、それでも良いとたいがいは思うのでもあろうか。

 しかし、一般の家庭では、日々メニューが変わってゆく。それも当たり前のように。。

 音楽のジャンルも、ロックやフォーク・演歌、カンツォーネ、オペラというふうにジャンル分けはされている。

 が、それは特に食のジャンルと似ているというわけではないのであろう。

 僕自身、ジャンル的には「フォーク」となるのかもしれないが、まるでその意識が自分の中ではない。

 「歌」という気持で、いつも創作しているし、たまたま楽器がギターであるという感じだ。

 イタリアンが食べたい人が、中華屋には入らないのかもしれないが、

 特に料理人は、その日、何を作ってもかまわないのではないかな。

 僕の中では、完全に音楽のジャンルという感覚は崩れているが、

 みんなはちがうのかもしれない。

 食のジャンルのように、音楽にもジャンルがあると感じている人も多いかもしれない。

 唄い手や演奏家の人たちにも、多いかもしれない。

 そうでないみんなをあらわすジャンルの言葉があればなーと思う。


「10ヶ月」'08.3/28

 久し振りにボブ・ディランのレコードの中を見た。

 そこには年譜が書かれてあり、高校時代は憶えるほどによく見たものだった。

 ディランがニューヨークに出てきたのは、'61年の1月。

 それからは10ヶ月間は、ニューヨークで、多くの人と知り合い、ライブをし、

 そして自分のコンサートも開くようになった。

 その頃には、自分のスタイルもほぼ完成し、レパートリーもどんどん増えていったはずだろう。

 ディランが20歳の頃の10ヶ月。

 今の僕の10ヶ月ときたら、ほんと数曲の新しい歌を作るくらいなものだ。

 しかし僕の20歳の頃を思うと、一年に三本ほどの自主テープを出したりしていたのだ。

 あの頃の一年の充実ぶり。。

 なぜ今は無理なんだろう。あの頃も同じように働いていたのに。

 無理ではないような気もするのだが、何故無理なのか、、、。

 そこが悔しくてしかたがない。

 あの頃の一週間は二週間くらいだった。


「ひと休みのそんな風景」'08.3/26

 秋葉原にあった青果市場の小さな仲買店で働いていた頃、

 八百屋さんがやって来ては、珈琲を一杯飲んでいった。

 もちろんそれはインスタント珈琲。

 そして5分10分と八百屋さんは無駄話をしてゆくのだ。

 ひと休みのそんな風景。

 その古い秋葉原の青果市場はもうとっくになくなってしまった。

 昨日、古くて小さな町工場を訪ねると、小さなワゴンが前に止まっていた。

 中に入ると、ひとりのおじさんが珈琲を飲んでいた。

 工場のおじさんもひとりで働いているので、ふたりであれこれ話していた。

 その内容は、町内の祭りのことであった。

 僕はそっと用を済まし、あいさつをして工場を後にした。

 ここ昨今、どんどんと小さな町工場はなくなっていいる。

 営業で回る人たちも精一杯のところであろう。

 しかし一杯の珈琲はある。その時間の香ばしいこと。 

 僕はまるで幻でも見ているような気がした。

 それは、いつでもあって、いつでもなくなってしまう風景なのだろう。

 そこにはまだ残っていた。


「春眠」'08.3/24

 ここ数日、ほんとによく眠った。

 特に花粉症の薬を飲んでいるわけではないのだが。。

 季節の変わり目ということだろうか。

 思い返せば、毎年、こんな数日があるようだ。

 こんな日は、きっと動物という動物がみな眠いのではないか。

 僕の予想では、こんな日に虫たちが土の中から出てくるのてせはないかと思う。

 まあ、それは仮説ではあるが。。

 人も進化の流れから言って、冬眠からさめる時期なのではないかな。

 遠い遠い進化の名残があるのではないか。

 一日二日と、冬眠していた頃に戻るのではないか。

 そして目が覚める。スイッチが入る。

 春一番が吹くように、春一眠とこれを呼びたい。


「キノコの山」'08.3/22

 朝、起きて、いつもエッセイを書いているのだが、

 ときどきはまるで、何もアイデアが出ないときがある。

 たいがいは、しばらくぼーっと静かにしていると、頭に浮かんでくるのだが、

 今朝なんか、まるでだめであった。

 花粉症の薬のせいでもあろうか。それは不明だが。。

 まるでキノコを山に探しに行って、どこにも見つからないのと似ている。

 キノコって、ここにありそうでここにあるものだ。

 僕は思う。たぶん僕がいつも寝ている間に、

 エッセイのアイデアは、キノコのように生えているのでないかと。

 ここ数週間は花粉症のせいで、生活のリズムがうまく回っていない。

 鼻もずっとつまっているし、思考能力が低下しているようだ。

 夜中、うまくキノコが生えて来ないようだ。

 自然環境が、ととのっていないのであろう。

 朝一番のエッセイは、キノコと似ている。

 ほんとだよ。ほんと。


「世界最強のロボット」'08.3/20

 僕が小さかった頃のおもちゃ箱の中にもロボットがあった。

 四角くて、腕を振って歩き、火花のようなものを出すロボット。

 体長は25センチくらいか。プラスチックかブリキ製。

 世界最強のイメージだったロボット。どんな敵も倒すことのできたロボット。

 体長25センチ。指で押せば倒れ、立ち上がれないロボット。

 ゼンマイが切れれば止まってしまう。

 前進あるのみのロボット。

 世界最強のロボット。

 四角い顔、四角い体。

 ゼンマイで動く世界最強。

 あのロボットはどんな敵を倒し続けたのか。

 今の僕にも敵はある。花粉症だ。

 ロボットのゼンマイを巻かねばならぬ。


「伝統の味・本場の味」'08.3/18

 よく知る街にある中華屋さん。

 そこは、向こうの本場の人がやっている古い店なのだが、

 どうも、どの料理を食べても、味がピンと来ないのだ。

 どこの店もいっばいで入れなくて、しかたなく入る。

 本日の定食を食べても、どうもやっぱりピンと来ない。

 たぶん、本場の味の味なんだろうなぁと思いながら食べてはみる。

 そこそこ人も入っているし、常連さんも多いのだから、

 僕の舌がまちがっているのかもしれない。

 本場の味、伝統の味で、そのファンも多いのであろう。

 しかし、それはホントなのかな。

 ホントなのであろう。

 そうでなくては、おかしい。

 僕はきっと本場の味がわからないだけなのだろう。

 その店はもう、50年ほどはやっているような感じである。

 まさに戦後にオープンし、その味が引き継がれていると思える。

 そして、こうしてお店があるのだから問題はないのだが。。


「瞬間移動」'08.3/16

 数日ぶりにでも、ギターに手を伸ばして弾き始めるとき、

 はじめはそろそろと弾き始める。

 それはまるで、この部屋からはじま遠足のようである。

 と、自分自身思いながら、そろそろと弾いてゆくと、

 いつしか自転車に乗り、そのまま空とか飛んでしまう。

 瞬間移動で、どこへでも行ってしまう。

 世界中の国へ、いつの時代へも。

 そんなギターの旅。

 最初はいつも遠足のような散歩から始まる。

 いつしか瞬間移動の嵐。

 そんなギターの旅。

 すべての楽器はそうかもしれないが。。

 ちょっとした、ほうきに乗った魔法使いのようだ。

 ギターに乗った魔法使い?


「めぐる一曲」'08.3/14

 ライブで僕は、一曲は他の人の作品を唄っている。

 仕事のようにというわけではなく、唄いたいからだ。

 そんな僕のルーツをたどってゆくと、ボブ・ディランが登場してくる。

 ボブ・ディランはデビュー当時から、トラディショナルの曲は多く唄ってきたし、

 他の人の作品も、よく唄い、アルバムにも入れて来ている。

 「ミスター・ボージャングル」「ボクサー」「朝の雨」他、、。

 作品の良さが伝わって来て、聞いていた僕らも、唄おうと思えるものばかりだった。

 単純に良い唄は良いとも言えるが、伝承というか、伝えるということも大事なことだと思う。

 ただ伝えるということではなく、実は、その唄が、僕らを唄わせているということも事実なのだ。

 メリットは山ほどある。

 他の人の作品をとりあげるということは、ライブに広がりが出てくるし、

 アレンジのことから言えば、より自分が伝わるということにもなるだろう。

 自分のライブなのだから、自分の唄を唄うのが当然という声もあるだろう。

 しかし、ぜひ一曲は、他の人の作品を取り上げるのが良いのではないかと思う。

 ライブの流れというものもあるだろうが。。

 メジャーなシンガーのコンサートでは、著作権もからんでくるのだろうが。。

 ぜひ、みんながそうやって一曲をとりあげることで、音楽会全体が、また巡ってくるのではないかと思う。

 僕はぜひ、そうやって唄いたいと思っている一人なのだけれど、

 世のシンガーの人たちは、なかなかそういう風ではないのが現実だ。

 どのひともどのひとも自分の唄でライブを作る。

 そのへんがちょっとさびしい。


「オールドギターの表板」'08.3/12

 ギターは30年もたつと、表板が少し波打ってくる。

 特に輸入ギターは目に見えて表板が波打っているのがわかる。

 ビデオで見ると、実にそれがよくわかる。

 出てくる音もそれに比例して、鳴りの良いオールドギターの音がする。

 僕が弾いても、それがオールドギターであることがすぐにわかるし、

 友達が弾いても、表板の波打ちから、それがオールドギターであることがすぐにわかる。

 そのギターから出てくるサウンドは、その表板の波打ちにも多少は関係しているだろう。

 それはまるで、長い時間をかけて時が波打ったようだ。

 音が、そのギターのボディを通るとき、時がピンと流れ張るのではないか。

 ピンと張られた弓のように。音が時間の中をはじき出てくるのではないか。

 僕には、そんなふうに聞こえる。


「ボールペン贅沢者」'08.3/10

 部屋で何か書こうとしたとき、まともに書けるものがないときがある。

 ボールペンがないのだ。

 でも、そんなことってあるわけがない。

 かつて僕が買ったボールペンの数は相当数あるはずだ。

 傘のようになくしたとも思えない。

 確かに何カ所かの引き出しの中には、確実に書けるボールペンがあるばずだ。

 書くペンがないなんて、こんな哀しいことはないので、

 僕は部屋じゅうのボールペンを集めておこうと思う。

 えんびつ立てを用意して、そこに全部ポールペンを入れておこう。

 まるで贅沢者のように、ボールペン贅沢者のように。


「島」'08.3/8

 中村十兵衛さんの歌に「島」と「遠いささやき」という、ふたつの雰囲気の似た歌がある。

 '82年の夏に遠出の島への旅をして、出来た歌だと記憶している。

 どちらもとても良い歌なのだけれど、僕はとても「遠いささやき」の歌を気に入り、

 自分のレパートリーとして歌うようになった。

 中村さんが歌ってからもすぐくらいに。だからもう25年くらいは歌っていることになる。

 それと同時期の作られた「島」のこともちゃんと覚えていたが、歌詞もわからず、歌うことはなかった。

 「島」も良い歌だったなぁと、いつも思っていたばかりだった。

 今回、中村さんの歌のトリビュートアルバムの企画があり、友達が「島」をとりあげた。

 そしてアルバムには、「遠いささやき」と「島」は偶然か、曲順が列んで入ることになった。

 女神のような友人が「島」を歌ってくれて、ちゃんと音源になったのだ。

 歌自身のことで言えば、この二曲は似ていて、兄弟の歌ということになるだろう。

 「島」もとても良い歌だ。ずっと長い間、TAPEの中にしまわれていたけれど、、。

 今は列んで、アルバムに入っている。

 この二曲があって、バランスがとれているようだ。


「ふかふか帽子」'08.3/6

 先日、帽子をもらった。

 ふかふかの帽子。

 その人はいつもスキンヘッドであった。

 今日のような冬の寒い日は、頭もまた寒かったであろう。

 ふかふかの帽子は、髪の毛の替わりになったであろう。

 この帽子をかぶるときは。

 そんな想いを感じる。


「行く先」'08.3/4

 時々は、信じられないことが起こるものである。

 ほぼ5日、僕は作業に追われ数時間の睡眠であった。

 そしてイベント明けの月曜日、寝不足のまま、僕はアルバイト先へと向かった。

 いつも通りに、事務所の向かったのだが、着いたつもりが、自分でびっくり。

 なんと、同じ街にある昔の事務所に僕は訪ねてしまったのだ。

 もう一年前ほどに閉められた事務所。

 「あらら・・」

 人は疲れ過ぎると、記憶が戻ってしまうのではないか、、。

 体の記憶が、戻ってくるのではないか、、。

 以前に住んでいたアパートに向かったりね。

 疲れ過ぎるという形であるのならば、人は亡くなるときが一番疲れた時間ではないか。

 そのとき、僕らは、戻った記憶の行き先に向かうのではないか。

 仮説ではあるけれど。。


「パソコン作業」'08.3/1

 昨日から、パソコンをFULL活用している。

 休みなく作業をしているが、まだ終わっていない。

 パソコンってすごいな。そのうち叫び出すのかもしれないが、今のところ無事だ。

 僕自身も休みなく作業をしているが、それも全部、パソコンあっての話だ。

 10年前なら、カセットテープにダビングくらいしか、伝達手段がなかったように思うが、

 今、パソコンのおかけで、幅広く何でもできるようになった。

 時々は、ホントに「なんでー!?」と思うほど、調子も悪くなるが、たいがいはハードな使用に答えてくれている。

 強い。頑張り屋さんだ。今回の作業では、一番の頑張り大賞はパソコンであろう。

 パソコンに何かお礼がしたいと思うけれど、

 パソコンは何を喜ぶのだろう。

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