青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'14.12月〜'15.12月エッセイ・インデックス最近の事」へ

「ライブハウス」15.12/20

  小さなライブハウスを訪ねた。

 アットホームな感じのお店であった。

 いつのまにかライブが始まっているという感じであった。

 お店にも一体感があり、

 それが良い空気を作っていた。

 それがお店の個性にもなっていた。

 スペース的にも、お店の作りもそっくりな店を知っている。

 そこではライブの始まる前に、数秒ではあるけれど、

 しんとした沈黙がある。

 真剣だ。

  それがライブにプラスなのかマイナスなのか、

 ライブ前、ちょっとした沈黙のある店がある。



「一曲」
15.12/5

  ライブで一曲だけ歌うことはあまりないのだが、

 一曲だけって、やっぱりむずかしい。

 しかし、考えてみれば、テレビの歌番組なども、

 一曲だけという事は多い。

 僕らは慣れていないのかもしれない。

 先日も一曲だけのライブをしたが、

 その難しさを実感した。

 雰囲気がつかめないなんて、言ってる場合ではない。

 やっぱり自分に原因があるのだろう。

 他の出演の歌い手で、一曲目で空気をつかんでいる人もいた。

 ああ、それなりにやり方があるんだな。

 その人は、演奏を始めながらも、まず話した。

 なるほどなぁ。。

 きっとやり方はある。

 勉強になった。
 



「一年に一度」
15.11/21

  仕事で寄る地区の

 小さな洋食屋に、一年に一度行く。

 900円ほどのランチではあるが、

 もう20年ほど通っている。

 マスターもおばさんも、

 僕の事をよく憶えていて、

 以前話した事も憶えていてくれている。

 ランチはととても美味い。

 値段的には高めなので、なかなか行けないだが

 それでも一年に一度は寄る。

 20年まったく変わらない店。

 変わらないおばさんの声。

 帰り、お釣りを受け取るとき、顔をふと見たら、

 白髪の人になっていた。

 しかし声は変わらない。それでいい。

 変わらないのだ。



「演奏家」
15.11/8

  先日、ライブで見た演奏家、

 ドラムとベースの人だが、

 シンプルながらも、とてもうまかった。

 ドラムの人は、軽いがビートがちゃんと出ていた。

 ベースの人とも息もぴったりだった。

 出るところは出ていた。

 帰って来て調べたら、ふたりともベテランミュージシャンであった。

 やっぱりプロなのか、、。

 わかったのは、ビートが見えているということ。

 カッコ良さではなく、生き物のようだったということ。



「小物」
15.10/31

 部屋片付けをしているが、

 とにかく小物類が多い。

 ネジとか時計とかペンとか、、

 捨てていいのか、とっておくのが良いのか、

 小物がたまってしまっている。

 悩みの種だ

 ものすごく小物がたまっている。

 小さなおもちゃのようなものも捨てられずたまっている。

 まさか、小物に苦しめられるとは。。



「ローランド・カーク」
15.10/25

  ラサーン・ローランド・カークの映像や音源を聴いた。

 盲目のジャズプレーヤーで、何本もサックスを首から下げて演奏する。

 サックスの他にも、ちょっとした打楽器や笛も抜くのだけれど、

 それが鳥の声のような、自然界の音というか・・・

 最近聴いているMOONDOGもそうだけれど、

 車の音や鳥の声、そして赤ん坊や雷など、

 そこにある音の面白さを改めて教えてくれる。

 音自身の面白さ。

 目をつぶった時に、聴こえてくる、それらの音の印象の大きさ、

 すべてが音として聞こえてくるんだな。



「MOONDOG」
15.10/17

  ここ最近、MOONDOGの音源を聴いている。

 以前より、名前と数曲の楽曲は知っていたが、

 アルバムとして聴くのは初めて。

 アルバムは沢山出ていて、どれもちかった感じで、

 うまく言葉では言い表せないが、

 好きな人は好きだろうなぁと思う。

 あきないシンプルなフレーズを繰り返す事は多い。

 お気に入りは これとか これとか

 シンプルなフレーズが変化してゆくというのは、

 自分の中にはいままであまりなかった感覚だ。

 何度聴いても繰り返しても、あきないフレーズ。

 それはもう宝物ですね。 

 MOONDOG氏は、目が見えず、

 ニューヨークの路上にずっと居たとの事だ。

 奇抜な恰好もなかなかだが、

 雑踏の音や、いろんなに声が楽曲に混ざり合っているのがいい。



「ケーララの町で・オリジナル」
15.9/30

   三十人の顔がテントから僕に 手を振ってくれていた
  ヤシの樹しげる南のインド ホテルの前の町内集会
 ケーララ州のここはコーチン 年中ちょっぴり暑い
 町を歩けば次から次に声かけられた ハローハロー

 ホテルのじっちゃん 目と目が会えば 水持ってやって来る
 壁掛け式の有線ラジオ 全チャンネルインドのタンタタタ
 二時から五時までは節約停電 道端声が響き出す
 やけに広いレストランは全部日陰さ

 どしゃぶり雨が突然降れば どうにも帰れない
 学校帰りの裸足っ子坊やと お店屋さんで雨宿り
 裸足の坊やはビニールもらい かぶりながら、かけてった
 雨傘さした二人の姉さん のんびり歩きで来るよ

 ザザザザザザー ヤシの樹が揺れていた
 どこでも ケララ


 ホテルに荷物 置いたままで 運河下りの旅に出た
 乗合船を乗り継いで 最南端まで言ってみた
 広々続くヤシの水路に スローモーションで人が立つ
 思うぞんぶんオレンジ色は空を染めていた

 インドじゅうの新婚カップルが 一度は来たいコモリン岬
 急行バスがやっと着いたのは 夕暮れ前の15分
 貝殻細工を首から下げた 太っちょあんちゃんが練り歩いていた
 おみやげ屋さん並んだ道で 黒豚家族が逃げ回る

 トンボ帰りで最南端から コーチンタウンに戻ってくると
 パン屋のあんちゃん お店や小路 何もかもがなつかしい
 北のベナレスで友だちだったのは ケーララ生まれのサシー
 お前のことを思い出すよ 鼻歌とともに

 ザザザザサザー  ヤシの樹が揺れていた
 いつでも  ケララ



「荻窪グッドマン」
15.9/22

  荻窪グッドマンでのライブ映像をデジタル化しているが、

 どの映像も、なかなかに良い。

 もう20年以上も前の映像で、そこ頃はまだビデオカメラの性能が良くなくて、

 とれもほぼセピア色の映像になっている。

 しかし、もともとグッドマンはセピア色のライブスペースなので、

 ほとんど違和感がない。

 全体がひとつの色ということもあるが、
 
 どのライブも実に自然で良い。

  歌と場所との一体感がある。

 少し大きな会場でのライブはどこか店頭に並んだ果物のような感じだが、

 グッドマンでのライブは、食卓のテーブルにあるような感じだ。

 とても身近。歌がシンガーと場所がとても親しみがある。

 グッドマンのどの映像を観ても歌そのものを感じる。



「若い頃の歌」
15.9/13

 ずいぶんと若い頃のライブ映像を、

 デジタル化でもう一度観ているが、

 ほんとに自分の歌がへたな事におどろく。

 以前であったら、あーっ、恥しいと自分で言っていただろう。

 しかし、今回はほとんど気にならなかった。

 ただ、動画サイトなどにアップしたりはできないが、、。

 今と比べて、歌がへたであっても、

 それはしかたがない。

 若い頃の歌は、今の歌への種だ。

 それでいいじゃないか。

 それがいいじゃないか。



「デイヴ・ヴァン・ロンク」
15.9/5

  デイヴ・ヴァン・ロンクの古いレコードを久し振りに聴いた。

 高校を卒業して上京し、輸入盤屋で買ったのだ。

 デイヴは、ディランがニューヨークに出て来た頃、

 すでにフォーク・ブルースの弾き語りで、名を知られていた。

 僕も東京に出て来た頃、デイヴのようにブルースを歌えるようになりたかった。

 それでたっぷり聴いたのだ。

 デイヴの声とギターはとても人間味がある。

 僕もそうなりたかったけれど、若いのに無理だとなぁ。

 30年振りに聴いたデイヴのレコード。

 感心することがたくさんあった。

 それは一曲、一曲、あきないようにいろいろ工夫されているということ。

 当時はいいないいなと聴いていたけれど、

 今は、たくさん勉強になる。



「音楽」
15.8/27

 先日、地下鉄の遅延で、

 いつもより40分ほど、電車の中にいた。

 その日に限って、携帯音楽プレーヤーを忘れて、

 なんとなくぼんやりと40分を過ごした。

 ああ、アルバム一枚聴ければなぁ。

 考えてみれば、アルバム一枚の時間というのは、

 無限大に近いと思う。

 映画も時間で計れないように。

 携帯音楽プレーヤーを忘れて失敗した。

 無限大の時間を持っていなくて。



「今年も」
15.8/18

  8月になった頃は、

 蝉もあまのり鳴いてなくて、

 蚊もあまり出なくて、

 今年は変だなぁと思っていたけれど、

 結局、夏らしい夏になった。

 暑いし、汗をかいて、

 寝苦しくて、、

 夏三昧だ。



「ジミー・クリフの声」
15.8/6

 ここ一週間、ジミー・クリフのライブアルバムを聴いている。

 ジミー・クリフの声は、突然にバーンと張る声に変わる

 どうやって発声しているのか、、

 ただ僕が出来ないだけなのか。

 不思議なのは、その声の張りが、一定のところで

 その声の強さは止まる。

 オセロゲームの裏と表のように。

  ジミー・クリフの声は、シンプルでいい。

 響きをただ聴いていても、わかる。
 



「佳曲」
15.7/29

  ジミークリフの'76年のライブ盤のアルバムを聴いている。

 ほぼベスト曲集のナンバーになっていた。

 高校時代、ベスト盤を持っていたのでほぼ知っている曲であったが、

 知らない曲も入っていた。

 聴いてみると、それがほんとにノリ良い曲だった。

 聴いてみると、当時の雰囲気がたっぷりと出ている。

 お得意のナンバーだったんだなとわかる。

 高校時代、ジミークリフのベスト盤でよく踊った。

 もしこの曲も入っていたら、今でも体にしみるくらいに

 覚えていただう。

 不思議だ。今聴いてみると、自分が踊っていた感覚がある。



「ただ思い出すだけ」
15.7/24

 高校時代の事なんて、

 もうとっくの昔の事なんだけど、

 大切な気持ちがやっぱりそのときにあったなぁと思う。

 自分が自分に想っていた気持ち。

 時間がたちすぎて、すっかり忘れかけてしまった気持ち。

 でも、ふとぱっと思い出すときがある。

 どう思っていたがではなく、

 そのときの自分の気持ちのパワー。

 未来に対して、自分がどう思っていたか。

 その想像していた未来にいるわけだけれど、

 やっぱり、それはその時の気持ちがあったからで、

 ここまで来た。

 今に迷い出したとき、

 最初の気持ちを、思い出すだけのが良い。



「使い慣れた自転車・ギター」
15.7/16

  本当に創作に燃えている人なら、

 使っている楽器、あまり関係ないという人もいるだろう。

 もしそれが自転車なら、

 こげれば、走ればいい、

 と、思う人もいるだろう。

 しかし、自転車なら、やっぱり

 走りやすさが大事。

 創作するギターも、弾きやすさが大事。

 「これこれ、これがいいんだよ」と、

 そういえるギター、自転車、

 そしてペンなど。

 疲れないものが一番。



「カセットテープ」
15.7/7

  大きな電気屋さんに、カセットテープを買いに出かけた。

 もうほとんど出ていないという現実を知った。

 輸入もののカセットとかないものだろうかと思った。

 カセット文化はとても長かったよね。

 1970年代から2000年くらいまで、

 みーんなカセットだったじゃないか。

 それなのに、この扱いは、

 今だって、年のいってるみなさんは、

 カセットテープで録音しているんじゃんないだろうか。

 何度も録音できるし、素晴らしいよカセットは。

 なんだろう、この扱いは。

 カセットが泣いているよ。



「外人さん」
15.7/4

  早朝の地下鉄にて、

 外人さんに握手され、隣の席に座られ、

 40分も話す事になった。

 フィンランドから来たというハッタリーという青年。

 たぶん、朝まで飲んだ帰りであろう。

 ホロ酔いで気分が良い様子だった。

 隣りの席に座り、いろいろと簡単な英語で話しかけて来たが、

 さて、僕自身がまったく英語が得意ではないので、

 会話にはならなかった。

 それでも彼は次々と会話が途切れないように、

 話かけて来てくれた。

 あまらめずに40分も。良い青年であった。

 こちらがもう少し英語が話せたらなぁ。



「一曲」
15.6/30

映画の中で、歌をいくつも紹介していたが、

すべて作詞者のことばかりを持ち上げていた。

いやいや、一曲は作詞者だけのものではないよ。

歌だもの、メロディーがある。リズムがある。演奏がある。

一番大事な歌唱もある。

なぜに、作詞者だけを前面に出したの?

ストーリーには関係ないと思ったのか。


怠惰とハッピー」15..6/24

 若者と一言ではくくれないが、

 若者を描いた映画作品というと、

 怠惰とハッピーが混在した情景描写がよく出てくる。

 まあ、今も昔もそうかもしれないが、

 たしかにそうなってしまうのはわかる。

 しかし、僕の暮らしを思い返してみると、

 ハッピーな時間は同じようにあるが、

 怠惰な時間というものはあまりなかった。

 なんだかずっと忙しかったし、

 やりたいことは常にあった。

 若者の映像を作るとき、

 またこれかと思えるほど、

 同じ空気がある。



23時」15..6/18

  朝5時前にいつも起きているので、

 12時をすぎたら、なるべく眠ろうと思っている。

 しかし、なんだかんだと言って、午前1時くらいにもなる。

 すると次の日は寝不足になり、

 23時を過ぎたくらいに、急に眠くなる。

 こわいくらいに。

 ああ、23時が怖い。

 22時40分くらいまでは元気なのに。



地下200話」15..6/7

 ライブ「地下生活者の夜」は、ずっと続いている。

 もう33年。企画も、もう200回目となった。

 先日、その200,話記念イベントがあり、温泉に一泊した。

 せっかくの企画なので、いろいろ盛り上げようと思って、

 頑張った。

 しかし、考えてみれば、200回と言えど、それはひとつの駅のようなもので、

 特別な事ではなく、そこに来たということが大事なのかもしれない。

 そこにいますね。ここにいますよ。

 それで良かったのかもしれない。

 もう企画の一回一回に気を込めていたら、

 長くは続かなかったのかもしれない。

 ここにいすよ。また歩きますよ。

 それでいいのかもしれない。



みんなの音源」15..5/23

  友人の古い音源を聴いている。

 音源にもいろいろあるけれど、

 未来を感じられる音源がやっぱりいいなと思う。

 荒削りであっても、音程がいまひとつでも。

 まだまだ生まれてきそうな予感。

 古い音源であっても、今とつながっている。

 たくさんの歌とつながってる。それでいい。

 それは未完成でもいい。

 失敗作でもいい。



古い音源」15..5/10

 今、みんなの古い音源をまとめている。

 若い頃のテイクは、若い時なりに良いものだと思う。

 恥しいところもあるだろうけれど、今につながっているものだから、

 そして、歌い慣れていない分、新鮮な響きもある。

 そう思って、友達のテイクを聴いてゆくと、

 「あっ、これいいな」と、思えるものが見つかる。

 しかしだ、これが自分のテイクとなると、

 すっかり事情がちがう。

 さっぱり、見えなくなるのだ。

 友達に選んでももらうのがいいかねな。

 友達が聴いて大丈夫と思えたテイクなら、

 大丈夫なんだよね。きっと。



ネパールの家」15..4/30

 ネパールで大地震があった。

 ニュースでも観たが、レンガ造りの家がかなり多い。

 若い頃、カトマンドゥ・ポカラとひと月滞在していて、

 ネパールの事はとても身近に感じる。

 みんな質素な暮らしをしていた。

 物価も安かった。

 たぶん、たった今だって、ありやこれやと、

 物が足りなくなっているだろう。

 ネパールには支援が必要だ。

 レンガの家を失ってしまったみんなは、

 次はどんな住まいを造るのだろう。

 またレンガのような気がするのだが・・、

 住まい問題は、復興のための大切なひとつの課題だろう。

 たくましく生きて欲しい。



「スタンディングライブ15..4/23

  昨日のライブはスタンディング形式であった。

 スタンディングってどうしたらいいんだろうね。

 まあ、普通にリズムに身体を揺らして、

 聴いていればいいのだけれど、

 なんとなくそれは苦手。

 やっぱり壁にもたれて聴く感じかな。

 それしか思い浮かばない。

 高校生の頃の僕だったら、

 のりのりでライブを聴いていたかもなぁ。

 踊るのは高校生の頃の僕に任せたい。



「三上寛15..4/13

 三上寛のトリビュートアルバムが出た事もあるが、

 最近、よくその歌を口ずさんでいる。

 三上寛をよく聞いていたのは、中二・中三の頃、

 かなり聴いたので、歌詞もよく憶えている。

 それから、40年くらいたっているけれど、

 まだ歌えた。

 雨の中、次々と歌えた。

 まだ現役だものなぁ。

 強いものがあったんだ。



一番・二番・三番」15..4/8

 僕も歌をうたっているが、

 一番・二番・三番と同じように、

 同じ気持ちで歌うことがほぼ出来ない。

 そうでないと、一曲が立体的にとらえられないからだ。

 歌う側も聴く側も、そうなのではないかと思う。

 しかし、そんなふうに歌っていない人も多いとはわかるし、

 歌を聴くときに、あまり気にはしない人もいるかもしれない。

 なんかごでごてしていて聴きにくいという人もいるだろう。

 歌は一番・二番・三番ときれいにろうろうと歌ってからこそ、歌だという人もいるだろう。

 先日、いろんな人が歌うアルバムを聴いた。

 一番を聴いている分にはとてもよいのだけれど、

 二番・三番になると、耳が集中でくなくなってしまう。

 たぶんそれは僕の方の問題だと思う。

 僕は同じように歌うことが出来ない。

 多少なりともちがって歌いたい。


三月三十一日」15..3/31

  明日から四月である。

 ほんとに気分を新にやっていこうと思う。

 今日はお休みなので、いろんなことをやろうと思う。

 映像をまとめたり、部屋を片付けたり、

 新曲を作ったり、手紙を出したり、

 コピーをしてきたり、、。

 ジーンズも欲しいな。

 三月三十一日。

 今日一日でどれだけ出来るかな。

 結局、ひとつ、ふたつしか出来ないかもしれないが。。



「青い目の人15..3/24

 今日は帰りの電車で、目の前の女性が、

 ほんとに薄いブルーの目をしていて、きれいだった。

 あんな瞳って、ほんとにあるんだな。

 あの薄いブルーの目で、いろんなものを見て、考えるのだな。

 ちょっと信じられないのだが、、。

 ちゃんと会話してみたいな。

 それも日本語で。

 ちゃんと話して、自分を確かめてみたい。

 同じ人であることを。

 もしも、さわやかな会話しかできなかったらどうしよう。。

 そしてニコッと微笑んだらどうしよう。



「歴史好き15..3/19

 下町のタイ料理店でランチを待っていた。

 カウンターには工務店の服を着たふたりのおやじさん。

 最初は仕事の話をしていたのだが、途中から外国の歴史に話に変わった。

 ひとりがもーれつな歴史好きの様子だった。

 会話に出てくる話は、何年何月何日まで語られた。

 どんどん出てくる個人名と地名。

 なぜにそこまで話に必要なのか。

 やがては、自分が歴史上の戦いにおいて納得できない事を語り始めた。

 次々と。

 結局は、その人はその話がしたかったのではないか。

 聞き手にまわっていたもうひとりはただ相槌を打つばかり。

 そして、ついにはこう口を開いた。 

 「おれは、歴史は日付でおぼえないタイプだよ」と。。

 それで何か伝わったのか、ひとりがこんなエピソードを話した。

 小学生のときに観た戦争映画を、何もかもよくおぼえたのだという。

 「おれってませてたんだなぁー、ははは」と笑った。

 そして、タバコを一本もらっていた。

 歴史好きっているんだなぁ。語りたくてしかたがないんだなぁ。



「古い曲15..3/14

 アイルランドの古い楽曲の演奏を聴いた。

 三人の演奏家だったが、みんな腕が達者で、

 初めて合わせる曲であっても、するすると演奏していった。

 それは何かに見ながら演奏するというふうではなくて、

 その楽曲という生き物も再生という感じであった。

 まるで5メートルくらいの龍が、三人の上を漂っているようだった。

 古い楽曲は、長く生きて、もう曲という生き物になっている。

 漂う5メートルくらいの龍。自分の曲を演奏する人たちの上に現れ、

 その演奏家たちを自動演奏させるようだ。

 まるでとりついたように。

 曲に魂を与える。聞かせどころをしっかり教える。

 演奏家たちはまちがったりしない。

 どうしてこんなにノッて出来るのかと思えるほど出来る。

 僕には、その真上に5メートルほどの龍のようなものが見えた。



「となりの会話15..3/7

  人の集まるスペースで、

 ふと耳にする、すぐそばの人の会話。

 知り合いの人もいれば、初めての人もいる。

 そして名前だけはよく知っている人もいる。

 会話。その会話をふと聞いていると、

 なんとなく、伝わってくるものがある。

 人によっては、面白い事しか言わない人もいる。

 人によっては、情報交換みたいな会話の人もいる。

 どのひと言も味のある人もいる。

  短いひと言であっても、人間性はにじみ出る。

 情報話でも、面白く話す人もいる。

 その人が出る。



「花粉で15..3/4

  ここ数日、あたたかいせいか、

 花粉症がひどい。

 何かしたいけれど、目が、鼻が、、

 いつまで続くんだろう。

 毎日が、、なりたたない。



「若い役者さん15..2/27

  江戸の頃を再現するドラマを観ている。

 それはドラマというより、再現に近い。

 やっている役者さんは、演じているというよりも

 たまたまそこにいたという設定。

 あまり役者役者した人は出てこないのだが、

 それでも江戸の頃になじむ人となじんでいない人がいる。

 観ていると、若い役者さんで妙に元気な人がなじんでいない事が多い。

 テレビに出られて嬉しいという気持ちがまるまると伝わってくる。

 はりきりすぎなんだ。そりゃだめだろ。

 あくまでも江戸の頃に住んでいる一人なのだから。

 そのストーリーの中の一人なんだからと思う。



「ディランの新作15..2/23

   ディランの新作は、古めのジャズポップスの曲で、

 全曲フランク・シナトラのレパートリーでもあった。

 それぞれのテイクで、ディランとシナトラを聴き比べてみたら、

 やっぱり違うなぁという印象。

 それはそうだろう。同じ楽曲であっても、歌う人がちがうのだから。

 特に、二番に入るときの、声のつなぎぐあいとか、

 歌全体の構成の盛り上がりとか、

 歌のブリッジにかかるところの感情の表現とか、

 歌い終わりの声の消え方とか、、

 さすがに長年歌っていると、自分のスタイルというものが出来ている。

 そこに実力も出るのだろう。

 同じようであって、またちがうもの。

 それで実感させてくれた、今回のディランのアルバムだった。



「雪15..2/17

  今日、東京でも雪になった。

 雪国生まれなので小さい頃から雪はたくさん見て来たけれど、

 雪の降り出しを見ると、どうしても思い出してしまう風景がある。

 あの東日本大震災のとき、まだ東北では雪が降っていた。

 いろんなことをしなくちゃいけないのに、雪。。

 あのときテレビで観た雪ほど寒く感じたものはなかった。

 そのとき以来、降る雪を見ると、思い出してしまう。

 一番寒そうに見えた雪。


音の形」15..2/11

 友人の即興演奏のライブを聴きに行った。

 ビデオカメラではなく、ちゃんとした録音機械が持ち込まれていた。

 そうなんだよな。即興演奏は基本、音だものね。

 ビデオは情報量はすごいものがあるけれど、

 本人たちは音を作っているのだ。

 後半はお店のマスターがサックスとして参加した。

 「やりますか」

 その言葉になんだかサムライのようなものを感じた。

 以前マスターは「即興は真剣勝負だよ」と言っていた。

 その通り、ほんと集中してマスターは他の音に耳を澄ましていた。

 ビデオではたぶん映しきれない、そんな音の世界。

 空間を包む音の形。

 もしかしたらビデオはまた違った映像が広がっているのかもしれない。

 音の形。

 もしかしたら、音だけの世界の方が広いかもしれない。



「海岸通り15..2/1

  実家のある柏崎の海岸通りを歩いた。

 真冬なので、海風がすごい。波も荒れていた。

 小学校、中学校、高校とすべて海沿いにあったので、

 海岸通りを歩いてよく帰ったものだ。

 小学校のとき、冬に歩いていると、

 大波が来て、頭から波をかぶったことがあった。

 初めてのこと。それも一回だけ。

 回りの大人もびっくりしていた。

 海岸から道まで30メートルくらいあるので、

 かなりの大きな波だ。カバンもすべて濡れてしまった。

 今思っても、波にさらわれなくて良かった。

 あの波はなんだったのだろう。

 海外通りを歩くと、今もあの時のことを思い出す。



「近くのバス停15..1/24

  駅から離れた街道沿いにバス停があり、

 そこをよく使っている。

 バス停の後ろには、もう閉まってから10年以上はたっていると思われる大きなメガネ屋さん。

 バス待ちのみんなのために大きなひさしがあるが、それももうボロボロ。

 まだメガネ屋さんがやっていた頃、このバス停を使う人たちの風景のひとつになっていただろう。

 ここから見える小さな商店街。シャッターのしまったまの店。

 コーラの看板のお菓子屋さんは、 コンビニの代わりもやっていただろう。

 時はたってしまった。

 それでも、このバス停に立ち、そっと目をとじると、

 その頃の街並みが見えてくる。

 バス停の後ろにはメガネ屋さんのショウウインドーが見えてくる。

 そっと目を閉じてみるといつでも見えてくる。



むずかしいうた」15..1/18

  歌うにはむずかしい歌詞がある。

 あまりにリアル気持ちを呼び起こす歌など。

 そんな歌は風のように歌うといいのではないかと思う。

 風は通り過ぎて行き、振り返らない。

 そして同じ場所に戻ってくる。

 歌詞もまた、そんなふうに通りぬけてゆけば、

 自然に歌えるのではないかと思う。

 通りゆく風のように。



「Sandy Denny15..1/15

  ここ数日、ずっとSandy Dennyのアルバムを聴いている。

 少しハスキーな声で歌うのだが、なんとも自然で、

 歌そのものの良さが伝わってくる。

 世にいろんな上手いシンガーはたくさんいるけれど、

 Sandy Dennyの声の情緒感は、波音のようで、

 樹々のざわめきのようで、それでいて丸い。

 かすかに表情が変わる陽炎のうねりのようでもある。

 そんなSamdyは、1978年、31才のとき、

 階段から落ちた不意の事故がもとで亡くなってしまった。

 31才。まだまだこれからだったのに。

 たくさんの歌が歌えただろうに。

 そこが本当に惜しい。。



「新年15..1/5

  新年になり六日がたった。

 いつもと変わらないようで、

 かなり忙しく過ごしている。

 この一年、何があるだろう。

 とくかく新しい歌を作っていきたいと思っている。

 昨年作りきりなかったメロディーがいくつかある。

 それを背負って、今年にやってきたような気がする。

 この気持ちさえあれば、まあ大丈夫だろう。

 そして、良いテイクを残すこと。



「体に感謝15..1/1

 温泉に行った。

 一年の疲れをとりに。

 ふーっと息をするけれど、

 一年がんばったのは体の方かもしれないなと思った。

 足も手も指も、、すべて。

 お疲れさまであった。

 温泉もいいが、マッサージセンターなんて、

 いいかもしれない。

 体に感謝。

 それが今の気持ち
 



「そこへ行った14..12/26

  大き目のチェーン店に入った。

 和風ではあったが、ほぼファミリー・レストランであった。

 店じゅうに響く声で子供らが騒いでいた。

 通されたのはトイレ近くの席であった。

 ひんぱんにトイレにゆく人が扉を開けていた。

 すぐ近くのお客さんは、なんだか将来の保険の話をしていた。

 お店全体は和風であったが、落ち着いた雰囲気ではない。

 結局、人なんだな。

  どんな人が来るか。

 こじんまりとしたお店だったら、いろいろ起こらないことも起こる。

 落ち着いた店がいいな。

 年のせいかもしれないけれど。

「そこへ行った14..12/26

  大き目のチェーン店に入った。

 和風ではあったが、ほぼファミリー・レストランであった。

 店じゅうに響く声で子供らが騒いでいた。

 通されたのはトイレ近くの席であった。

 ひんぱんにトイレにゆく人が扉を開けていた。

 すぐ近くのお客さんは、なんだか将来の保険の話をしていた。

 お店全体は和風であったが、落ち着いた雰囲気ではない。

 結局、人なんだな。

  どんな人が来るか。

 こじんまりとしたお店だったら、いろいろ起こらないことも起こる。

 落ち着いた店がいいな。

 年のせいかもしれないけれど。

 


「なぜに??14..12/21

   CDRなどのメディアケースなど、

 なぜだか良品でないものとあたるときがある。

 先日も買った不織布のケースは、どうがんばっても、

 CDなどがひっかかり、取り出しにくい。

 想像するに、CDRなどを入れたとき、

 少し膨らむところまで、計算していなかったのではないか。

 買った人のレビューを見ると、ほぼみんなが取り出しにくいと書いていた。

 表裏に入れたら、それは大変なことになってしまう。

 それでも、大手量販店で売っているものなぁ。

 プラスチックのメディアケースでも、

 うまくはまらないものや、壊れやすいものがある。

 0.001ミリの世界かもしれないが、寸法が合っていないのだ。

 それとも完成してから、縮んだりすることまでイメージしていないか。

 出来上がった製品を、実際に使用してみたのかなって言いたくなる。

 「つくっちゃったものはしかたがないかー」で、通るのかなー。



「うたが育つ14..12/15

 二年前に作った歌が、今、旬になっている。

 なかなかいい感じで歌えてはいるのだが、

 もっとよく歌えると思っている。

 サビのところが、しっくりはまらない。

 歌の構成も、イメージ描写もしっかりしているのだが、

 歌い切れていない。

 いつも感じる。歌い切れていない。

 ちょっとした「間」で、伝えられそうな気がしている。

 次のライブでも歌う。

 ぐっとくる歌に仕上げたい。



「そういうことができること14..12/13

  先日、観たベテランさんのライブでは、

 飲んだり食べたり、少し騒がしかった。

 他の出演の人のファンだったんだな。

 ほぼ飲み会状態。

 1曲目で、これは何か足りないと思ったのが、

 予定していたものとはちがう歌を始めた。

 バックのメンバーもいて、えっと感じだったろうけれど。

 結局は、ライブが進むにつれ、お客さんをひきこんでいった。

 長いこと歌っていると、何か雰囲気を感じるのであろう。

 その雰囲気にどんな歌が道を示してくれるのか、

 それも勘でわかるのであろう。

 僕は曲順が即座に変えられない一人だ。

 とくにパンドでやっているときなんかは。

 曲順を大事にしているのだが、、。

 しかし、考えてみれば、ライブはライブなので、

 お客さんが騒がしいときなんかは、

 やっぱり、ひと工夫しないといけないのかもしれない。

 そこは長い経験が必要だな。

 僕には、まだそこがつかめていない。



「かまくら14..12/7

  セブンイレブンのショートケーキシリーズに

 「かまくら」ってあるけれど、

 あれ、やっぱりみんな上から食べてゆくのかな。

 まだ食べたことはないのだが、

 やっぱり、横から掘っていきたい気もするよね。

 「かまくら」だもの。

 そう思っていても、きっと上から食べてしまうんだろうなぁ。

 でも、子供らはこっそり本当の「かまくら」にして食べるかも。

 僕もそうやって食べてみたい。



「演奏家のお店に行った14..12/3

  ふと、入ったお店は、演奏家の人のやっている喫茶であった。

 小さなお店であったが、細かい所まで気配りがされてあり、

 絵や飾りも含めて、ひとつの世界を作っていた。

 小さな花瓶に小さな花。

 その人の演奏を観たことがあるが、言葉のほとんどないロックの演奏であった。

 ノイズにも近いものであったが、こうしてお店に入ってみると、

 それは空間表現だったんだなとわかる。

 演奏家のみなさんは、空間を音で埋めているんだな。

 僕なんか、歌詞がすべて言葉で出来ているから、

 あまり気が付かなかったが。


「最近の事・過去ログ '14年7月〜'14年11月まで」

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