「最近の事」過去ログ'13.4月〜'13.7月
「ギターハウスボックスを作ろうよ」'13.7/30
先日、渋谷に出かけて、おじさんは目が回ってしまった。
若者にとっては、ひとつのアミューズメントパークのようなものなのかな。
ファッションも食事も、娯楽も、、。
ただどこの喫茶もいっぱいだったのは、おじさんにはきつかったな。
おじさんも、そんな楽園を作りたい。
僕にとっては、生ギターのあらゆるメーカーの音のちがいが、
ひとつひとつの店舗のように感じられる。
それこそ渋谷のような大きな街だ。
ギブソン・マーチン・ギルド・ヤマハ・・etc
ずっと考えているのだが、現代のカラオケボックスのような感覚で、
いろんなギターが弾けたらなと思うのだ。
受付で、ギターを選択。そしてボックスに入り、ギターで歌う。
フリードリンク制。30分400円。
ギターは多少、傷がついていてもいいんです。調整だけしっかりしてあれば。
そこで憧れのギターを弾かせてもらう。そして歌う。
「本日は、こちらのギターが空いております」
「うーん、マーチン45はまた貸し出し中なんですね、、
じゃあ、ギブソンのDOVE のビンテージで」
こんな感じだ。
まあ、有名メーカーの生ギターを、70本はそろえてもらおう。
輸入ギターに限らず、国産のメーカーがあってよい。
とにかく、そのギターで30分、1時間と歌ってみたいのだ。
部屋に小さなステージがあってもいいな。
CDRやDVDに焼けたら、最高。
そんなギターハウスボックスは出来ないものか。
ぜったい、はやると思うな。
おじさんの予想では。
「料理と創作」'13.7/28
どれを食べてもひと味美味しい料理をいただいた。
量は少な目であったが。それでも十分に味わい楽しめた。
小さな小鉢に入っている料理がいくつか。
メインのお皿がひとつ。お味噌汁にご飯。
どの一品も、ぎゅっと味がしまっていて、舌の感覚が呼び起こさせられた。
それでいて、素材の味をしっかりと出していた。
これは個性なんだな。そうやって伝えているのだ。
最初のひと口で、その個性が感じられ、
あとは、そこに並んだ料理を、じっくりと味わえた。
六品ほどあったが、どれを最初に食べても同じであったろう。
はずれがない。
これだ、これなんだな。
僕も歌を創作しているが、最初のひと口を食べてもらって
感覚をわかってもらい、それからのどの一行も、
同じように、伝えられたらと思う。
そして、もし可能であるならば、お盆の中の料理のように、
どの一行から食べても、自由に味わえるような歌詞を作りたい。
そんなことできるのだろうか。
どのフレーズから歌い出しても、大丈夫な歌。
いつか作ってみたい。イメージはある。
「ジョルジュ・ムスタキになりたい」'13.7/25
地下鉄に乗り、銀座あたりを通って帰ってくると、
お金持ちそうな人、バリバリ仕事ができそうな人、
アイドル歌手のような人が、ぞろぞろと乗って来る。
僕とまるで生活環境がちがうようなみなさん。
やっぱり電車の中の注目を集めますよね。
見ないように見ないようにするのだけれど、どうしても気になってしまう。
なんだか、自分がいたたまれない気持ちになってきてしまう。
そんなふうになることなんて、ないのにね。
僕自身は歌うたいであるわけだけれど、そんなふうにはまるで見えないであろう。
ただの仕事帰りの疲れたおじさんだ。
しかし、もし、僕がジョルジュ・ムスタキのようなひげもじゃなおじさんシンガーだったら、
充分に存在感を出して、銀座に負けないメッセージを送ることが出来るのではないか。
ジョルジュ・ムスタキになりたい。。
・・・・・・
ジョルジュ・ムスタキの日本ライブのレコードを持っている。
1970年代のもの。
ジョルジュは、ギブソンの生ギターで弾き語っているのだが、
基本ストロークで、とりおりフィンガーピッキングで弾いている。
歌のコード進行だって、そんなに難しくはない。
1970年代の弾き語り高校生でも、出来そうな作れそうな感じにも聞こえる。
ところが、それぞれの歌の完成度が高く、どの曲もすでにスタンダードに聞こえてくる。
フランスやギリシャ、そしてヨーロッパのラジオから、何度でも流れてきそうである。
・・あっ、この歌、小さい頃によく流れていたわ、、。
そんなつぶやきも聞こえてきそうである。
ジョルジュ・ムスタキはシンプルながらも、良い歌をたくさん残している。
まさに国民的シンガーだ。
ムスタキを最初に聞いたとき、、シンプルすぎるなと思ったものだった。
しかし、よほどの歌心がなければ、あれだけの歌は作れないであろう。
今、僕は、ジョルジュ・ムスタキを追いかけている。
あっというまに手の届かない存在になってしまった。
ヨーロッパに住む人たちの心の中にジョルジュ・ムスタキの歌は住んでいるようだ
あのひげもじゃの顔を見れば、ジョルジュ・ムスタキだとすぐにわかる。
僕はジョルジュ・ムスタキになりたいんだ。
・・・・・・・
さて、またここは銀座を通る地下鉄の電車の中。
僕は誰が見ても、弾き語りシンガーに見えるおじさんになりたい。
ジョルジュ・ムスタキのような、ミスターソングマンになりたいんだ。
「つづきの歌」'13.7/23
たまたま気に入った歌謡曲の歌を、
携帯プレーヤーの中に入れて聞いていた。
その曲を聞いてゆくと、自然と次の歌が流れる。
まったく気にしていなかった歌だったが、何度も聞いてゆくと、
驚くほど良い歌だとわかった。
意外な発見だった。
・・・・・・・・
友達にテープにレコードなどを録音してもらったとき、
片面の最後に以前に入っていたレコードの音源が入っていて、
その歌がとても良いときがある。
ライブを録画して、再生して観ていると、
ライブが終わってから流れていた店のBGMがとても良かったりもした。
そういうことってあるよね。
つづきの歌。
たぶん、、それこそが出会いなんじゃないかな。
「飛行機の時代」'13.7/21
その昔、三蔵法師は歩いて天竺まで経を取りに行った。
現代なら、飛行機だろうか?
世界は狭くなりましたね。
もし印度(昔の天竺)まで、行こうと計画を立てるならば、
まず、気持ち。それから費用、最後に飛行機のチケットだろうか。
行く気持ちさえあれば、あとはなんとかなるというか、、。
でも、天竺まで行くって、大変で遠くだと知っているのは大事。
現代でも、三蔵法師は歩いてゆくと思います。
・・・・・・・・・
僕は、創作は天竺への遠い道のりのような気がしている。
その道は細くて厳しくて長い。
たしかに現代なら、飛行機に乗って、インドへ行き、経をとって戻ってくることも出来る。
それとどうちがうの?って、思う人もいるかもしれない。
同じと言えば同じだが、、。
現代は、天竺までの飛行機チケットを買おうとしているようだ。
それじゃ、、物語にならないって、、、と、僕は思うのだが、、。
創作の旅も同じようにきびしいと、僕は思う、、。
日々、是、旅の途中。毎日が西遊記。
「川の音が聞こえる」'13.7/18
先日、西武新宿線の駅で降りて、
少し歩いた。
もしかしたら、その街に当初は引越の予定もあったのだ。
中央線から少し離れて、西武新宿線沿いに部屋を借りれば、
かなり良い条件の物件があり、そこに決めようかなとも思っていたのだ。
結局、中央線から、かろうじて歩けるところに部屋を借りた。
中央線が、川だとしたら、ほんの少しだけその川の音が聞こえるようだ。
もし、西武線沿いに住んでいたら、中央線は遠く感じられていただろう。
でもまだここは、かろうじて、中央線とつながっているようだ。
かすかにまだ、川の音が聞こえる。
「時計」'13.7/13
先日、友達の家に遊びに行ったら、
時計がいろいろと置いてあった。
たぶん、15個以上はあったであろう。
置時計だけではなくて、 壁賭け時計、柱時計も。
部屋のいろんな場所にあっても、無駄になることもない。
(あら、この家、時計が多いなぁ・・)
そう思ってみたけれど、よく考えれば僕の家も時計が多くあって、
そのほとんどが動いている。気付かなかったけれど、ほかの家もそうなのかもしれない。
いつのまにか増えてしまった時計たち。
なんだかそれは生きもののようだ。
どこの家でも、時計がいくつも動いている。それがなんとも愛おしいのだ。
「夏負け」'13.7/13
まだ夏が始まったばかりなのに、
すでに、夏に負けてしまっている。
体ではなく、気持ちが、、。
外仕事をしているせいもあるのだが・・。
ここ数年、ずっと猛暑だった。また今年もそんな予感がして、
どう乗り越えようかなと思っているところ。
夏バテというと、8月も中旬、
体力もきつくなった頃のなるものであろう。
しかし、今回はボクシングの試合でたとえたら、
1ラウンド目で、先制パンチを決められた感じなのだ。
軽くダウン。ワン・ツー・スリー
それでも最後まで、戦わねばならない。
何度もパンチをもらっても。
それを想像しただけでも、気が遠くなってしまった。
外仕事はきついんです。
「目も開けられない雨の中を」'13.7/10
昨日の夕方の雷雨は大変であった。
ちょうど現場から自転車で事務所に帰ってくるときに、
雨と風と雷にあった。
雨はほんと大粒で、痛いくらい。
台風のような風も吹き、メガネをしていても、
ほとんど目が開けられないほどだった。
それでも、合羽を着て、自転車で走っていった。
自転車で走るので、なおさらに目が開けられない。
目をほとんどとじて、片目のほんのかすかに開けた隙間から、
雨の世界を観て、そして自転車で走っていった。
人って不思議だ。ほんのかすかな隙間でも、観えていれば、
自転車でも走れるのだ。
山道の霧の中や、吹雪の中を自動車で走った話をよく聞くが、それも、こんな感じであろうか。
「重なることなき、道の選択」'13.7/7
もう前のことだが、言葉をあやつる人のパフォーマンスライブを観た。言葉をあやつる人は、次々と、あふれるように言葉を語る。
まあ、かっこいいと言えば、かっこいい。
その言葉をちゃんと聞いてみることも出来るけれど、
5分も聞いたら、へとへとになってしまう。
本人にしてみたら、それが日常の言葉なのかもしれないし、
非日常の世界を表現しているのかもしれない。
それにしても、言葉が多く、その分、重い。
なぜに、そこまで言葉を重くするのかなぁと思う。
まあ表現は自由なので、そこにしか表せないものもあるのであろう。
本人はそのへんのことをどう思っているんだろうか。
言葉は紙飛行機である必要もないけれど、
もしステージに立ち、その口から言葉を発するのであれば、
その言葉は紙飛行機のような翼を持って、耳まで飛んでくるのが理想だ。
飛べる言葉にするには、ある程度軽くなくちゃと、僕は思う。
あふれる言葉って、なんなのだろう。
僕は極力、言葉をへらしたいタイプ。
なんだか、あなたとは、すれちがわない別の表現の道を歩いているような気がするんだ。
言葉の泉は素晴らしい。そして、一杯の水も美しいもの。
「盲導犬」'13.7/5
今日、地下鉄の乗り換えで、盲導犬をつれている若い女性を見た。
階段を降りてゆく場面では、段差がなくなるところで、
さっと前に出て、止めていた。そして階段を歩き出すと、
すっと後ろに回った。
それを何度も繰り返していた。
そして地下鉄のホームに行き、電車待ちの列からひとつ外れ、
乗り込むときも最後に乗り込んでいた。
どのシーンも、なん だか感動的であった。
ずっと眺めていたい、そんな衝動にかられた。
きっと気付かれてしまったかもしれない。
「提案します。ど忘れメモノート」'13.7/3
そんなこと、誰も言わなかったけれど、
世界中のどこかの国では、当たり前のように、
みんなが持っている手帖があるかもしれない。それは、
「ど忘れメモノート」だ。
あっ、あれっ、なんだっけな??
と、ど忘れしてしまったことを、ただ書いておくノートなのだ。
そのときは思い出せなくても、時間がちがえば、すっと出てくることもあるだろう。
俳優さんの名前とか、、友達の名前とか、タイトルとか、、
一冊のノートにまとめて書いておけば、何度か開いているうちに、
思い出すのではないか。そして、それ以降、思い出しやすくなるのではないか。
常に持っているのがよい。ケータイ・スマートフォン・iPhoneなどでは、アプリがあってもいい。
ど忘れメモノート、、本気で実行してみようかなと思う。
その効果やいかに、、。
「新曲はあと半行」'13.7/1
新曲完成まで、あと半行になった。
もう内容も展開も出来ているのだが、言葉がうまくはまらないのだ。
うまい言葉を探している。もちろん今のままでも、イメージが湧くのだが、
少し無理がある。こっちを生かせば、あっちを捨てる、
あっちを生かせば、こっちをあきらめるという状況。
どうしても、どちらも生きる言葉を見つけたいと思っている。
それが必要なのだ。
その言葉が見つかって、歌は完成すると思っている。
いい言葉はあるのだが、しりとりと同じようなもので、
前に使った言葉や、これから使う言葉では、
言葉同士が、ぶつかってしまうので、それはさけたい。
たぶん、一番肝心な言葉が最後にくれすちょんとして残るのだろう。
どんな歌でも、こんなふうに言葉探しになる。
何日も何日も考えるのだが、その努力は必ず報われる。
将棋の一手のように。
「頭の中の小さな犬」'13.6/29
年のせいか、ふと思い出せないことも多くなった。
さっき思い浮かんだことであっても、まるで夢でも忘れるように。
そんなとき、あれこれ考えないで、じっと三分ほどしていると、
思い出せる可能性が高いことがわかった。
あれこれ、言葉を出してはいけない。ただじっと待つのだ。
そんなとき、頭の中に小さな小さな犬がいて、
思い出せなくなったアイデアを、ひっしで探すのだ。
宇宙の果てに消えてゆく物体を、追いかけるように。
ほんとに消えてゆく前に、がっとくわえる。
それはきっと三分が勝負。三分が勝負だから犬は走る。
思い出せないと思ったら、三分は何も考えるな、
頭の中の小さな犬に任せよう。
「澄んだ小川と私」'13.6/26
もう一週間前に、ライブは終わったのだけれど、
新曲がうまく出来なかったのが、悔しくて、
ずっと、頭の中で新曲作りをしていた。こんなことはあまりないのだが、、。
それでも良い言葉がうまく出てこなかった。結局、まったく歌詞作りが進むことはなかった。
そんな今日、
いつものように最初から歌ってゆくと、うまくはまらなかった言葉がすっと出てきた。
ひとつだけではない、二番の歌詞も言葉も三番の歌詞も、するりと出てきたのだ。
そうやって今日、歌は完成した。
僕は思った。
いつも砂や土で濁っている小さな小川がある。
そんな小川でも、年に数回は澄んだ水になるときがある。
あれっとびっくりするくらいに。。
今日はそんな日ではなかったか。
ずっと歌を作っていたから、小川の澄んだ日に、
あたったのではないか。
「新曲の魂に申し訳ない、、」'13.6/24
三ヶ月前に新曲のアイデアを感じたとき、
体がしびれるような感覚にもなり、
ちゃんと作れば、ちゃんとした歌になる予感があった。
それからゆっくりとじっくりと、徐々に歌作りをはじめ、
少しずつ形を、作っていった。
おおげさに言えば、歌作りの職人のように。
イメージはあった。ただそれに近付けてゆくだけでいい。
ビート、構成、ギターの弾き方など、ひとつずつ詰めていった。
ライブのある数日前から、集中して、一気に、まとめる予定でいた。
熱い鉄を打つように。
しかしがんばってみたものの、うまくまとまらず、
ライブの当日に歌詞をまとめ、ライブハウスに着いてから、
メロディーをまとめ、ギターの弾き方も付けた。
なぜにそこまでして、新曲をその日に歌わねばならないのか、、。
最後に奇跡の力を信じてみたかったのだ。
限界まで集中して、フレーズが生まれるのを期待していたのだ。
しかし今回は僕の努力不足であった。
本当に新曲の魂には申し訳なかった。
そしてライブで一度歌ってみると、もうその歌詞はほとんど動かせなくなってしまう。
当日に作ったフレーズであるのに。
三ヶ月前、せっかくもらった新曲のアイデアを、
うまく完成させられなかった。
もうちょっとがんばってみようと思う。
なんとかなりそうな予感はある。
「新曲の人」'13.6/21
三ヶ月間、ずっと一曲の創作にかかっていた。
メロディーを作ったり、リズムを探したり、アイデアを出したり、
一冊のノートを作り、6/20のライブに出来上がるように、がんばってきた。
しかし、一昨日のこと、今回のライブには、もう新曲は間に合わないと、
あきらめた。もう数日、足りない感じだったのだ。
無理に作らないで、またあらためてしっかり作った方がいいだろう。
でも、6/20日のライブに向けて新曲を作ろうと思っていたので、とても残念な気持ちであった。
新曲の人はもう去ってゆくであろう。
そうしたら、もう自分の力で、その歌を作らねばならない。
しかしどうしたことだろう。
新曲をあきらめて一日たっても、自分のそばに新曲の人がいる気配がするのだ。
微笑を感じさせながら。
急ぐ旅ではないし、もうちょっと待ってみるよと。
新曲の人がそう言うのだから、もうちょっと新曲作りにがんばってみよう。
ライブ当日になっても、歌詞は60パーセントほどしか出来てなかったし、
だいたいそのメロディーをギターでまだ弾いていなかったのだ。
僕はギターを弾きながら、いつも新曲作りをしてきた。
今回はその時間がなく、やっぱり完成はまず無理であった。
それでもぎりぎりまでがんばってみた。
みんなの前で歌うには、歌詞をつくり、ライブハウスに行ってから、サビのメロディーと、
ギターの弾き方を作らねばならなかった。
それが出来るか?
なんと、出来てしまった。そして新曲として歌えたのだ。
作品としては、あまり出来はよくなくて、ボツウタになる可能性は高い。
でも、僕はやるだけのことはやった。
新曲が良かったですよと言ってくれた人もいた。
新曲が出来たとき、新曲の人の気配はもうなかった。
もしかしたら、その新曲にとけたのかもしれない。
新曲の人なんて、本当にいるの? って、思う人もいるだろう。
その人はここ一週間ほど、たしかに来ていた。
「笛一本、弦一本」'13.6/18
先日、南米のほうのラジオを聞いた。
ノリの良いトークの間に、変わった笛の音が入った。
(それは笛だったか、弦だったか、不明なのだが、、)
単音であったが、ジャズのような音階を出していた。
笛一本、弓一本であったとしても、豊かな音は出せるんだな。
シンプルな話だが、、。
たぶん、弦一本でも、ジャズの音階は出せるであろう。
弦一本。笛一本でも充分かもしれない。
すっかり忘れていたことだけれど。
「せんせい、アオキがいません!!」'13.6/14
小学校の高学年の旅行のとき、各グループに分かれて、
訪れる先々で、班長が人数を数えて先生に報告をした。
駅のホームにみんなでいたときのこと、
先生が「並べ」と、声を上げた。
最後尾にいた僕は、なんと、みんなに押し出されて、
そのまま反対ホームから線路の方に後ろ向きに落ちてしまった。
線路には石が敷いてあり、後頭部に当たり、僕は意識が遠くなっていった。
それははっきりと憶えている。
そして耳は聞こえていたような気がする。
ホームで列で並び、いつものように班長が人数を数えた。
そして言ったのだ。「せんせい、アオキがいません!!」
そのとき、僕は線路で意識を失っていた。仰向けで。
ザクッザクッと、人が降りる音がして、
先生が、僕を抱きかかえて、ホームへ戻してくれた。
抱きかかえられたとき、意識戻ってくるのがわかった。
先生がふたり、ほんとに必死だった。
ほんとに危なかった。もし、あのとき、、。
「せんせい、アオキがいません!!」
その言葉が、一度この世に響いたことがある。
そして僕はその言葉に助けられたのだ。
「自転車にイヤホンは本当に危ない」'13.6/14
仕事でもう自転車に20年以上乗っているが、
イヤホンをしながらの運転は本当に危険。
当の本人は平気そうですが。。
たとえば、すぐ後ろに僕の自転車でついていても、
イヤホンしながらの自転車の人は、後ろの自転車の存在に気が付かない。
自転車の乗って、もう40年以上にはなるけれど、
街なかを走ってゆくには、いろんな音がとっても大事だ。
路地を通るときも、やってくる車が見えなくても、
タイヤの音で、なんとなくわかる。
後ろから、もうスピードで自転車が来てときも、
自転車の走ってくる音でわかる。
オートバイの音も、学校帰りの子供らがランドセルをゆらしてくる音も。
車のやってくる音も、オートバイのやってくる音も、
かなり前であっても、音だけは伝わってくるものだ。
そんないろんな音を感じながら、街なかを自転車て走らないと、
ほんとうの安全運転はできない。
目だけでは無理。
イヤホンをしながら自転車で走っているみなさんは、
とてもこわいことをしていると思う。
ほんと、あぶないよ。
「タイ料理と風と音楽と」'13.6/10
よく出かけるタイ料理さんでは、
ほぼタイのロックポップスが流れているのだが、
昨日は、タイの民族音楽の現代風アレンジの歌であった。
いつもはアメリカンな歌が多いのだが、昨日は土着的なバンド演奏であった。
リズムとノリがとてもよかった。
聞いていると、タイの大地や言葉のリズムが、見えてくるようであった。
一曲おきくらいに、シンプルなタイの民族弦楽器「ピン」の伴奏と歌が流れた。
その演奏と歌を聞いていると、タイの国の風が見えてくるようであった。
風にもそれぞれお国柄というものがあるのであろう。
・・・・・・・・・・
ここ数日、広沢虎造の浪曲テープを聞いていた。
例の「森の石松」の出てくる船の演題。
浪曲に合わせて、三味線演奏が入るのだが、
ときに驚くほど、ブルージーな演奏になるときがあった。
日本のブルース、ここにあり?
聞いているとやっぱり日本の風が感じられた。
風って、どう表現したらいいのか?
どこの国に行っても、同じような風は吹いているけれど、
やっぱり風にもリズムやメロディーがあるだろう。
・・・・・・・・
話は戻って、昨日のタイ料理屋さん、
何度も食べたことのあるグリーンカレーのランチであったが、
民族音楽に満ちたグッドミュージックで、
どの料理もとても美味しくいただけた。
タイの大地に行ったような、、
タイの風を感じたような、、。
「音の内側」'13.6/8
レナード・コーエンの1970年、ワイト島コンサートのライブ映像をもう一度観た。
このときは、プロディーサー並びミュージジャンでもあるボブ・ジョンストンが、
レナードのために、最高のバンドのメンバーを集めたという。
そんなワイト島コンサートの映像を観た。
当時は、ステージにたぶんちゃんとしたモニタースピーカーセットはなく、
野外コンサートのバンド演奏と言ったら、ある程度「カン」が大事であったろう。
このときは野外に60万人が居たとも言う。
クラシックギターをつまびきながら歌うレナード。
このギターのつまびきにバンドが合わせてゆくのだがら、大変だ。
それもずっと一緒にやっているメンバーというわけではない。
観ていると、バンドのメンバーはみな真剣そのものであった。
現代ならば。モニタースピーカーもそれぞれに用意されて、
いつも通りの演奏が出来るだろうに、、。
しかしそれをなげいていてもしかたがない。
観ていると、パンドのメンバーが、歌そのものの中に入り、
演奏しているように見えた。
普通は、歌に沿うように、演奏をつけてゆくというところであろうが、
たぶんそれでは、音の迷子になってしまう状況だったのだろう。
自分自身の演奏が歌の中にあるのだから、
それは、人が手や足や腰を動かすように、
歌そのものになって演奏が出来るであろう。
どんな状況にあっても、やり方はあるものだ。
「男一匹ガキ大将速読」'13.6/4
小さい頃、近くの釣道具屋で、貸本をやっていて、
毎週、少年ジャンプを借りていた。
1968〜1971年くらい。
ハレンチ学園、男一匹ガキ大将、トイレット博士、父の魂、サーキットの狼
あらし!三匹、、デロリンマン、ド根性カ゜エル、、、
小学校にあがったくらいから三年四年まで、、。
僕が特に夢中になったのが「男一匹ガキ大将」だ。
ほんとに好きだった。
単行本を持っていたかは自分でも不明だが、
内容は憶えているようないないような、、。
十数年前に、文庫本サイズでセットで集めてあった。
今回、久し振りでもう一度読んでみた。
それも速読で。
50分くらいの間に、文庫本二冊半くらい読んだ。
忘れていたこともたくさんあったが、憶えていることもたくさんあった。
ゆっくり読むことも出来たが、僕自身の記憶の速度は、
これよりも早く、記憶されているであろう。
今回読んでみて、なんといっても人物描写が素晴らしかった。速読してみてわかることは、まだ僕の中で、
男一匹ガキ大将は生きているということ。
スピードのように、手応えを感じながら。
「非難リュック」'13.6/4
引越しの整理をしていて、以前作った非難リュックが出てきた。
中身は、、
携帯ラジオ、電池、革の軍手、ロープ、ローソク一箱、
大きなビニール袋、ナイロン袋のセット、レジャーシート、
寒さをしのぐアルミシート、アーミーナイフ、チェーンロック、
防水タイプのウインドブレーカー、バンドエイド、
ハーモニカ、ジャグジット&チトラーのカセットテープ、
あと、もう捨ててしまったが、乾パンも入っていたはず。
それが必要だと思ったのであろう。
ハーモニカは、ブルースハープではなく、
小学生が使うようなハーモニカである。
泣いている子供らのため吹こうかなと思ったのだ。
そして゛「ジャグジット&チトラー」のカセットテープ。
インドのガザルというジャンルのバンド録音のテープだ。
それを自分が落ち着くために、一本入れて置いたのだけれど、
カセットテープでは、現代だと再生できない可能性が高いですね。
その自分の作った非難リュックを開けてみると、
本気で作ったんだなぁとわかる。
「温泉は心の映画館」'13.6/2
山のふもとの温泉に行った。
土曜ということもあったが、かなり混んではいた。内湯のところでは、子供らがはしゃぎ、
露天風呂のところでは、大人たちがしゃべっていた。
車の話とか、、。
湯船に入っている人は10人ほどいたが、と゜うしても、みんなにその車の話は聞こえてしまう。
僕は温泉に静かにゆっくりとつかりたい。そう思うのは、まず無理なのであろうか。
銭湯ならば、気持ちはわかる。でも、こんな山のふもとの温泉では、静かにしていたい。
・・・・・・・・・・
過去、いろんな温泉に出かけた。
そのほとんどで、会話を聞かされてしまった。
会話をするなということではなく、静かでなかったということ。
温泉とは、じっくり言葉のないリラックスした時間でいたいと思う。
「温泉は心の映画館」、、。
そんなキャッチフレーズを、貼ってくれないだろうか。
映画館では、みなさん大声でしゃべらないように、
もう少し、ゆったりと出来そうな気がする。
「緑の隙間」'13.5/31
引越しをするとき、なるべく中央線の駅に近い方がよいなとは思っていた。
しかし現実は予算的に無理であった。
それでも、最初はそのつもりで不動産屋で考えを言ってみた。
すると、数件の不動産屋で、ひとつの物件を紹介された。
それは中央線の駅からも歩いていけて、商店街もすぐそばであった。
予算的には良かったが、築年数が古く、台所も狭いので、その物件はパスした。
結局、地下鉄の駅から10分、中央線からは20分という物件を決めた。
ここは商店街からも離れ、かなり緑の多い場所である。
・・・・・・・・
昨日、中央線の駅からの帰り道、
商店街をすこし入ったところで、その最初に紹介された物件の建物を見つけた。
そこは本当に交通の便が良く、中央線からも地下鉄からも商店街からも近い。
多少、古くても、そこに決めていたら、かなり便利に暮らしていただろう。
バスに乗って行くなんてことは、なかったかもしれない。
スーパーマーケットやコンビニエンス、巨大な100円ショップも近い。
食堂も喫茶も近い。歩いて30秒で、商店街に行ける。
商店街から30秒で部屋に着いてしまう。
今は商店街から緑の多い小路を10分、歩いて帰っている。
東京に引越してきてから、そんなふうに、
緑の小路を歩いて帰るなんて今までなかった。
無理矢理ではあるけれど、今僕の中に緑の隙間が出来た。
毎日の行き帰り10分ずつ、緑の道を歩いている。
生活はたしかに変わった。
僕の一日のノートの最初と終わりの数ページは、
緑色になっている。
「スリーフィンガーピッッキング異論」'13.5/29
その人は日本のベテランの弾き語りシンガーさん。
インターネットの動画サイトにて、古い自作の唄を唄っていた。
よく言われるスリーフィンガーピッキングで、
いかにもという、スリーフィンガーピッキング奏法であった。
しかし、どう聞いてみても、そのピッキングアレンジと唄は合わないと思えた。
(もちろん、この奏法の通常パターンが似合う楽曲もあるのだが・・)
あまりに高音弦のアレンジが目立ちすぎて、曲に落ち着きがなくなっている。
同じスリーフィンガーピッキング奏法であっても、一度崩して、
その曲に合った低音をメインにしたアレンジにした方が自然。
・・・・・・・・・・・・
その唄が作られた当時は、フォークギターブームでもあり、
ギター音楽雑誌などでも、スリーフィンガーピッキング奏法について、
ある程度の基本形のようなものが、出来ていたが、
今思えば、あれは何だったのだろうか?
あれは、フィンガーピッキング奏法の一部でしかないのに、
なぜに、こぞって、あの高音よりのキラキラサウンドアレンジを、
スリーフィンガーピッキング奏法の完成形のように持ち上げたのか??
オルゴールの響きのような奏法。
考えてみよう、自分の曲がどれも、オルゴールの響きのようになったら、、。
フィンガーピッキング奏法は自由なはず。弾き方の形などない。
大事なことは、何よりも大事なことは、
その曲に合わせたフィンガーピッキングを作ること。
・・・・・・・・・・
そのインターネットの動画サイトにアップされていた、
スリーフィンガーピッキングの唄は、
心のつぶやきのような、深夜の帰り道のような響きのある唄であった。
そのベテラン弾き語りシンガーさんも、30年以上もその唄とつきあっているわけだから、
もう少し、ほんのもう少し、イメージを彷彿と出来るフィンガーピッキングを作ってもいいのにと思う。
あまりにも、にぎやかな音作りだ。
まあ、オリジナルを作ったシンガーさんにそんなことを僕が言うのも、変ではあるが、
少しだけ、ほんの少しだけ、アレンジするだけで、ぐんと落ち着いた奏法になるのに、、。
もったいない、、。
・・・・・・・・・・
'70年代最初、どこかの誰かが、
「スリーフィンガー奏法はこうですよ」と言った。
♪パンチャカ、ピラピラ、ツンテン、ドチャンカ、、
ああ、なんてもったいない。今でもそれを信じている人がいるなんて。
忘れてください。なかったことにしてください。
みんな自由でいいんです。
「スリーフィンガーピッッキング異論」'13.5/29その人は日本のベテランの弾き語りシンガーさん。
インターネットの動画サイトにて、古い自作の唄を唄っていた。
よく言われるスリーフィンガーピッキングで、
いかにもという、スリーフィンガーピッキング奏法であった。
しかし、どう聞いてみても、そのピッキングアレンジと唄は合わないと思えた。
あまりに高音弦のアレンジが目立ちすぎて、曲に落ち着きがなくなっている。
同じスリーフィンガーピッキング奏法であっても、一度崩して、
その曲に合った低音をメインにしたアレンジにした方が自然。
・・・・・・・・・・・・
その唄が作られた当時は、フォークギターブームでもあり、
ギター音楽雑誌などでも、スリーフィンガーピッキング奏法について、
ある程度の基本形のようなものが、出来ていたが、
今思えば、あれは何だったのだろうか?
あれは、フィンガーピッキング奏法の一部でしかないのに、
なぜに、こぞって、あの高音よりのキラキラサウンドアレンジを、
スリーフィンガーピッキング奏法の完成形のように持ち上げたのか??
オルゴールの響きのような奏法。
考えてみよう、自分の曲がどれも、オルゴールの響きのようになったら、、。
フィンガーピッキング奏法は自由なはず。弾き方の形などない。
大事なことは、何よりも大事なことは、
その曲に合わせたフィンガーピッキングを作ること。
・・・・・・・・・・
そのインターネットの動画サイトにアップされていた、
スリーフィンガーピッキングの唄は、
心のつぶやきのような、深夜の帰り道のような響きのある唄であった。
そのベテラン弾き語りシンガーさんも、30年以上もその唄とつきあっているわけだから、
もう少し、ほんのもう少し、イメージを彷彿と出来るフィンガーピッキングを作ってもいいのにと思う。
あまりにも、にぎやかな音作りだ。
まあ、オリジナルを作ったシンガーさんにそんなことを僕が言うのも、変ではあるが、
少しだけ、ほんの少しだけ、アレンジするだけで、ぐんと落ち着いた奏法になるのに、、。
もったいない、、。
・・・・・・・・・・
'70年代最初、どこかの誰かが、
「スリーフィンガー奏法はこうですよ」と言った。
♪パンチャカ、ピラピラ、ツンテン、ドチャンカ、、
ああ、なんてもったいない。今でもそれを信じている人がいるなんて。
忘れてください。なかったことにしてください。
みんな自由でいいんです。
「何か自転車のようなものに乗っている」'13.5/26
自転車って不思議な乗りものだ。
自分でこいで、そのパワーは自分のエネルギーで動いているのに、
歩くよりも、何倍も早い。
もし歩くで急ごうと思うなら、とても疲れてしまうのに、
自転車だと、そんなに疲れない。
この5月の終わり、ほんといろいろなことをしなくてはいけなくて、
日々計画を実行しなくてはいけないのだが、
ついのんびりとしてしまうと、また先伸ばしになってしまう。
今月こそ、やらねばならない。
計画的に、、スピードアップして。
まるで自転車で街を走るように。
大事なことは、スピードアップしても疲れないこと。
歩きであったら、相当に疲れるだろう。
高校時代、どこへでも自転車で行った。
びゅーっと。
今月末は、自転車になります。
それでよい。
「私の地下鉄」'13.5/23
ここより一番近い駅は、地下鉄である。
世の中には、エスカレーターをいくつも降りてゆく地下鉄もあるが、
この地下鉄は、階段をふたつ降りてゆくと、もう改札が見えてくる。
僕の乗る改札口は、電車の進行方向の一番最後のところ。
あるとき、改札に向かってゆくと、すでに電車が入ってきてしまった。
これから切符も買わなくてはいけない。
最新型の券売機は、切符を買えるまでツーステップあり、
意外と時間がかかる。
そのツーステップをかけて切符を買い、そして改札を入って、
電車の最後尾の車両へ。
それが余裕で乗れるんです。
ずっとJRに乗っていたときは、改札に入ってからホームまで階段があった。
よく急いで階段をのぼっていったものだ。
電車ってそうゆうものだと思っていた。
ちがう場合もあるんだね。 間に合うって、いい感じです。
「シンプルミュージック」'13.5/20
タイ料理を、よく食べにゆくのだが、
そこでかかっているロック風のポップスのアルバムが、
どの曲も、そこそこに良いのだ。アレンジも含めて。
ビルボードのヒットチャートに出てくるような、
トップ10になったような、そんな出来栄えである。
そのアルバム一枚買っただけでも、じゅうぶんに楽しめると思えた。
ラブソングはラブソングらしく、ロックはロックらしく、
ヒップホップはヒップホップらしく。
普通のロックバンドのようであるけれど、あまりにも楽曲がまとまっているので、
たぶんプロの作曲家やアレンジャーがかかわっているように思えた。
それを「良し」とするか、、??
どの曲も構成がしっかりしていて、あきさせないアレンジの工夫もされていた。
それにもまして、メロディーがきれいだ。どこかで聞いたことがあるようなメロディーだが、、。
まるで服で言ったら、いろんな刺繍がほどこされた、値段の高そうな服のようだ。
そうそう、そんな感じ、、。
たとえば「紙芝居」には、紙芝居の良さがあり、公園や広場で、
自転車の乗せられた「紙芝居」の木枠の中で、見たいものだなと、
思うわけ。
でも、現代ならDVDになっていて、アニメーションになっていて、
980円くらいになっていて、珈琲とケーキをそばに置いて見るのかもしれないな。
同じストーリーを。
音楽。
音楽って何だろうね。
もっと手触り感のあるものがいいなと僕は思う。
どの曲を聴いても最近は、
うんちゃか、べっちょん、ぶろろん、ぴーぱら、どんどこ、ひゅーん、ぱらららら、
と、僕には聞こえる。
みんな魔法にかかっているようだ。
君に似合う服はどれ??
素材を生かした、シンプルな服では、だめでしょうかね。
「そのアメリカの作家さんが言ったこと」'13.5/18
先日、テレビを観ていたら、
アメリカの作家さんが、ステージでマイクを持ちながら、
創作のアイデアについてのテーマの話をしていて、
その中で、とても面白いことを言ったので興味をひかれた。
その作家さんいわく、突然の創作のアイデアは天からの授かりものだという。
そのアイデアが降りてきたときに、自分の準備が出来ていれば大丈夫だが、
準備が出来ていないと、そのアイデアは他の人のところに行ってしまうだという。
それはありそうな話だし、そうなってしまったら悔しいものだ。
そこで僕は思った。
それを悔しがらず、こう思うことにすればいいと。
そうやって、自分のところにも、おこぼれのアイデアがやってくるのだと。
心配しなさんな、と。
「なうロマンティック」'13.5/15
失ってしまったものは、その名を呼んだだけでも、
どこかノスタルジックな響きがするものだ。
失ってしまったものといえば、ちょっと古い歌謡曲のメロディーや、
歌曲調の歌のメロディーも、なんだかノスタルジックだ。
僕が小さい頃は、まだそんなメロディーのヒット曲もあった。
それは僕らが失ってしまったもののようだ。
民謡風のマイナーメロディーも、以前はよくあったが、
ここずっとヒットすることもない。
オリジナルの新しい歌に、そんなメロディーをつけて歌えば、
とてもノスタルジックになるけれど、さて、それが歌詞のイメージと合っているかどうか、、。
以前、聞いたシンガーさんは、次々と古い日本調のメロディーで歌っていた。
たしかに、それらのメロディーは今は遠く、聞くこともあまりないものだ。
たしかにそのメロディーにはノスタルジィーがある。
もう消えてしまった響きのような。
堂々と、あなたはそれらのメロディーを、自分の作品のように歌うけれど、
たしかに、それらは僕らの失った響きがあるけれど、
失ってしまったメロディーを、何度も歌われても、
やっぱり同じなんだなぁ。
あなたは、何度も何度も何度も、失った響きを歌う。
それを歌われて、さて、僕らはどうすればいい?
なうロマンティック。僕らは今に住んでいる。
「タイムの掛け声と、ポケットのトッポジィージョ」'13.5/12
引越し後の整理をしていて、
5センチほどの、ひとつの小さなものを見つけた。
それは、片耳と片足の半分かけた、プラスチックの黄色いトッポジィージョ。
トッポジィージョとは、昔、テレビの人形劇で流行った、あいらしいネズミのキャラクターのこと。
その5センチほどの黄色いプラスチックのトッポジィージョは、僕が小学5年の頃に、
何かで当たった景品だった。ちょうど、机に立つようになっていた。
それがなんだが、左の方の耳と、足が少し欠けてしまったのだ。
ただ、それを右の手のひらで握ると、ちょうどいい具合に指にあたり、
しっかりと握りしめることが出来た。
それがなんだか、自分にパワーをくれるような気がした。
今も、そのトッポジィージョを握ってみると、パワーを感じる。
そして、いろいろ思い出すのだ。
・・・・・・・・・・・
話は飛んで、僕が中学生の頃、
部活動は卓球をやっていた。僕の行っていた中学は卓球が強く、
僕もモーレツに部活動に燃えていたのだ。
もちろん、試合もあった。ときどきは大きな大会もあった。
卓球のユニホームは、下が短パンになっていて、
何を入れるのかは不明だが、右にほんとに小さなポケットも付いていた。
ちょうど鍵が入るくらいの。ジーンズで言えば、コインポケットのような。
中学三年の頃、
僕は卓球の大事な試合のとき、そのポケットに、例のトッポジィージョの人形を入れるようになった。
卓球というのは、意外と精神的なスポーツで、自分自身への気合で、スマッシュが入ったりもするのだ。
その気合を試合中に入れるために、よく、そっと、そのトッポジィージョの人形を右手で握りしめた。
すると、なんたが、自分にパワーが湧き上がってくるような気がするのだ。
それからずっとたって、海外旅行に一年ほど行ったときも、そのトッポジィージョを持っていった。
今も握ってみれば、そのパワーを感じる。
・・・・・・・・・・
それは、中学三年のときの卓球の団体戦。
相手は全国一位となった高校。強豪であった。
僕はダブルスでの対戦だったが、完全に相手にリードされていた。
やがてはラストのセットへ。相手チームのリードが続いていた。
ここから僕らが勝つには、奇跡の大挽回しかない。
「タイム!!」
ふつうタイムは、汗を拭いたりするためのものだ。
僕は、汗を拭くようにして、こっそりとポケットのトッポジィージョを握りしめた。
(よしっ!!)
そして奇跡の大挽回となり、僕らのダブルスは勝った。
(結局、団体戦だったので負けてしまったのだが、、)
「タイム!!」
そしてポケットのトッポジィージョ。
あれから、約40年ほどたった。
この先も、お世話になるかもしれない。
「ミスターボージャングルス」'13.5/9
ミスターボージャングルスという歌がある。
作者のジェリー・ジェフ・ウォーカーが、若い頃に、
監獄の中で出会ったボードビリアンの年老いたタップダンサーのお話。
彼は「わたしの名は、ボージャングルス」と名乗る。
そしてよれよれの服で踊ってくれたという。
僕もこの歌を日本語で歌い、レパートリーとしているが、
僕の歌っている訳は、犬との旅を思い出して、
嘆いているボージャングルに、みなが「踊っておくれ」と言う展開である。
僕の歌の中に出てくるボージャングは、とてもオセンチなじいさんだ。
とても日本的なストーリー。
ここ最近、サミー・デイビス・JRの歌う「ミスターボージャングルス」の歌詞の訳を見て、
かなりこの歌の印象が変わった。
この歌に出てくるボージャングルは、とても陽気で、
子供のような目をしていて、ジョーク好き。
そして、いつもみんなを明るくしてくれる男。
みんなを楽しませることが好き。そんな印象だ。
そして何よりも踊ることが好きな男。
お酒を飲むことも好き。
僕はいままでジャングルじいさんを、
哀愁たっぷりに歌ってきた。
犬のエピソードにひきずられてしまった。
サミーの歌うミスターボージャングルでは、
その最後に、もう一度、僕のために踊ってくれないかなぁと、歌う。
たぶんお酒を飲んで、ちょっと落ち込んだ帰り道に、思い出したのであろう。
口笛を吹きながら、、。
これからもミスターボージャングルスを僕も歌ってゆくけれど、
少しだけ歌詞を加えて、ボージャングルの人間らしい、
無邪気な明るさを、伝えたいなと思う。
「やっとその日が来た」'13.5/7
引越しの荷物が、なんとかやっと部屋の棚におさまった。
二ヶ月以上たって、やっと、、。
ここまで、ほんとに長い道のりであった。
この二ヶ月、自分が不在のような日々が続いた。
引越しをして、仕事場までの通勤時間が長くなり、
いままで読んでこれなかった、部屋の本を読もうと決めていたのに、
この二ヶ月、まったくできなかった。
音楽も。
明日の通勤から、僕はまた本を読もうと思う。
一冊目は、江戸の俳諧師、蕪村の本を読む。
もうカバンにもいれた。CDは、ボリビアの古い音源を、カバンに入れた。
やっと、その日が来た。
新曲への一歩、土作りから、始めよう。
「無人島に持ってゆくアルバム」'13.5/5
どこから話したらいいのか。
小学3年のとき、兄のお使いで、
洋楽ヒットシングルを、買いに行くようになった。
1971年になるかならないかの頃。
それから一枚一枚と洋楽ヒットシングルを集めていったのだけれど、
その一枚一枚が、僕にとっての音楽人生の始まりであった。
その前、幼稚園から、小学2年までも、もちろん音楽は聞いていた。
最初に買ったレコードは、「オバQ音頭」であった。
兄はその頃、普通に歌謡曲を聞いていて、
加山雄三の「君といつまでも」「蒼い星屑」などのシングルを聞いていた。
あとは母の買ったシングル、バーブ佐竹の「骨まで愛して」など、、
そのくらいが僕の音楽だった。
そんなある日、カナダのロックグループ「マッシュマッカーン」の、
「霧の中の二人」が、日本で大ヒットしたのだ。
僕よりも兄が、もーれつにそのシングルを聞いていた。
日本の歌謡曲にはない、ロックなサウンド。おぼえやすい、和風なメロディー。
印象的なキーボードの前奏。
ちょうど家が新築され、ステレオセットを買い、
それと重なるように、洋楽ヒットシングル集めが始まった。
一枚、そして一枚と、、。
・・・・・・・・・
集めた順に、マッシュマッカーン「霧の中の二人」、、ジェリー・ウォレス「マンダム〜男の世界〜」、
ザ・ショキングブルー「悲しき鉄道員」、ルー・クリスティー「魔法」、クリステイー「イエローリバー」
パートリッジ・ファミリー「悲しき初恋」、アース&ファイアー「シーズン」、
エンゲルベルト・フンパーディング「太陽は燃えている」、ジョージ・ハリスン「マイ・スイートロード」
ドーン「ノックは3回」、レッド・ツェッペリン「移民の歌」、ザ・ウエイク「明日なき幸せ」
デイヴ・エドムンズ「アイ・ヒア・ユア・ノッキング」、マジック・ランタン「孤独の夜明け」
スリー・ドッグ・ナイト「喜びの世界」、ポール・マッカートニー「アナザーデイ」
ビージーズ「小さな恋のメロディー」、サイモン&ガーファンクル「アメリカ」
T・レックス「チルドレン・オブ・レボルーション」、、、
友達から譲ってもらった、少し古いシングルもあった。
シルビイ・バルタン「アイドルを探せ」、ZEN「ヘアー」「輝く星座」
パフィー・セントメリー「サークルゲーム」
そのシングル一枚一枚を、ほんとによく聞いた。
次の洋楽シングル一枚買うたびに、僕の音楽ワールドが広がっていった。
まだ宇宙が始まった頃、まだ音楽宇宙が、両手でかかえられるくらいの頃。
・・・・・・・・・・・
そんな音楽熱は、小学4年の終わりには、ひと段落した。
「T・レックス」が、その終わりを燃え尽きさせた。
僕は、水泳や陸上、卓球や友達、学校のことに夢中だった。
次に音楽に燃えるのは中学二年の頃、フォークブームが来ていたのだ。
それからは、大量に音楽を受け入れてきた。限りなく、ほんと限りなく。。
・・・・・・・・・・・・
5年ほど前、思うところあって、小さい頃に集めた洋楽ヒットシングルを、
もう一度、中古レコード屋さんでそろえた。とても安かったからだ。
そして、洋楽シングルを買った順に並べて、一枚のCDRに焼いた。
僕の音楽のルーツの一枚だ。
それを聞いていると、一曲ごとに自分が感動し影響を受け、
夢中になり、音楽世界が広がっていったのがリアルに感じられる。
あれから、ずいぶんたちました。
・・・・・・・・・・・・
もし、無人島に一枚だけ音楽CDアルバムを持っていけるとしたら、
僕はこの自分の「洋楽ヒットシングルコレクション1969〜'72」を持って行きたいと思った。
それを聞いていると、パワーがみなぎってくる。
買ってきて、家で聞いて、そして夢中になった歌。
僕に次々と新しい感動をくれた歌。僕には特別な意味を持っている。
まるで船に乗って、新しい国を次々と訪ねたような一枚。
僕はこのアルバムを無人島に持っていこう。
みんなにも、出会いの音楽ってあるはず。
「願い」'13.5/3
時代は変わりますね。
手紙や葉書の時代から、電話の時代へ。
留守番電話機能が付いて、待ち合わせも楽になりました。
そしてポケベル。そして携帯電話の時代へ。
インターネット、パソコンメールから、携帯メールへ。
友達もずいぶん近くなりました。
数年前から、iPhone・スマートホーンが主流になってきましたが、
ちょっと前までは、みんな、普通の折りたたみ型の携帯電話でした。
それでもすごいと思っていたのに、今は、友達の一日がリアルにわかるという。
インターネット文化は、もっともっとみんなを近くしてゆくのかな。
・・・・・・・・・
動画サイトで、古い弾き語りの映像を観た。
歌の想いというものがあるとしたら、
それは今のインターネット文化とつながるのではないか。
僕らのインターネットは「自主テープ」だったか、、。
・・・・・・・・・
なんだか最近は、歌そのものが、
インターネットのリンク先のようになってしまった。
(実際はちがうのだが、、)
歌そのもののパワーを、僕は感じていたいな。
歌そのものが、インターネットでありますように。
「引越す人」'13.4/30
このアパートに引越して来て二ヶ月ほどたったが、
同じ階の1号室の人が、先日引越していった。
ここに引越してきたときから、明るく挨拶をしてくれていた人で、
とても親近感を持っていた。
もう、引越してしまうのですね。
またしばらくしたら、新しい住人が住むのであろう。
18歳のとき、上京して、初めて働いた場所でも、
初めて借りたアパートでも、
どこでもそうなのだが、
とても親切でやさしい人がいて、いろいろお世話になるけれど、
ある日、突然に職場をやめていったり、引越しをしたりすることが多かった。
「みじかいあいだだったけど・・」
「えっ、、そうなんですか、、」とか、言っているうちに、
その人は去ってしまう。
海外の旅でも、そういうことはある。
去る人は、来る人にやさしいのかな。
少しすると、仕事や生活に追われてしまう。
また次の新しい人との出会いもある。
ふと思い出すと、最初にやさしくしてくれた人が思い浮かぶ。
僕も去るとき、そんなふうにしてきたような気もする。
きっと去る人は、来る人がいとおしいのであろう。
「1000円の感覚」'13.4/28
ファミリーレストランに入ると、高校生と思われる青年と隣になった。
僕が中学・高校生の頃、まあお金がなかったというせいもあるが、
食事に1000円使うなんて、ありえなかった。
その頃の僕の感覚だと1000円は、LPレコードの約半分の金額であった。
当時、一枚のLPレコードを毎月お小遣いで、一枚買って、
それを毎日聞いた。欲しいLPレコードはたくさんあった。
僕の中学二年から高校三年まで、お小遣いはほとんどLPレコードに消えていった。
ファミリーレストランで隣になった青年は、食事をしながら、
一冊のノートを出した。それは自分のSONGBOOKであった。
ランチを食べながら、それを眺める青年。
僕も中学・高校の頃、歌作りに一所懸命であった。
そのためには、LPレコードが一番の刺激になった。
現代なら、インターネットの動画サイトがありますね。
音楽CDもレンタルショップで安く借りられるし、、。
今はいろいろと変わりました。
すぐに手が届く時代になっているのかもしれない。
今の中学・高校生にとって、1000円とは、、
ファミリーレストランでのランチという感覚かもしれない。
「街がフォークだった頃」'13.4/26
♪僕は今、阿佐ヶ谷の駅に立ち、
電車を待っているところ・・・
僕は今、阿佐ヶ谷の駅のそばに立ち、
歌を思い出しているところ。。2013年4月。
中央線、阿佐ヶ谷駅も高円寺駅もなんだかオシャレになりました。
最近では、風呂なしのアパートを探す方が難しいという。
僕が東京にアパートを借りた1980年は、まだ木造アパートが主流だった。
近くの銭湯に行くのが当然だった。
1967年頃から1980年代最初の阿佐ヶ谷、高円寺の駅前には、
まだフォークの匂いがいっぱいだったろう。
古い喫茶店もあり、居酒屋もあり、本屋もあり、
立ち食いそば屋もあり、定食屋もあり、中華屋もあり、
ギターを持った若者もいただろう。
街じゅうがまるでフォークの歌の世界のようだったろう。
喫茶店では、フォークのヒット曲が流れていただろう。
レコード屋の店先には、ポスターも貼ってあったろう。
おでん屋もあったろう。
古いアパート暮らし。
なになに荘。
僕が東京に来た頃、それらのすべてがまだ残っていた。
多少ビルが立ったかもしれないが、1970年代とほぼ同じ街並みだったのではないか。
今は変わったね。おしゃれな喫茶店が見えている。
僕は今、阿佐ヶ谷の駅のそばに立ち、
歌を思い出しているところ。。
1950年代、60年代の最初は、ここはどんなだったのだろう。
そんなには変わらないのかもしれないが、フォークの匂いはしなかったのではないか。
文学の匂いのする街だったのかな。
街がフォーク だった頃がある。
夜に木造アパートのドアがあく。銭湯に急ぐサンダルの人。
夜道にフォークの鼻歌が聞こえている。
「喫茶店」'13.4/24
下町の帰り道、
とても古い喫茶店があるが、
もう閉店して、10年ほどはたっているであろう。
ウッディな作りの。
店の中の様子もそのままのようだ。
「お気軽にお入りください」と、貼り紙もしてある。
コーヒーとカレーがメインだったようだ。
たぶん1970年代よりやっていたんじゃないかな。
マスターと奥さんがたぶんやっていたのであろう。
今はどうしているのか、、。
いずれ、あの店もなくなる日が来るかもしれないが、
三日でも、一日でもいい喫茶を復活させてみるといいな。
昔の常連さんたちが集まるだけでもいい。
もういちど、その喫茶でコーヒーを飲む。
ふだん通りに、マスターがいて。
なにげなくも、ふつうに。
「良いイヤホン」'13.4/21
しばらく使っていたイヤホンが壊れたので、
新しいものを買った。いままでよりも密封性が良いというもの。
値段は、そんなに高くはないのだが、、。
いつも聞いている自分の弾き語り録音のアルバムを聞いてみると、
録音した部屋の空気まで再現しているようあった。
ずっと何度も聞いてきたのに、こんなふうに聞こえたのは始めて。
聞いていて、録音したときのことを思い出した。
そのときの緊張感まで、伝わってくるようだった。
暑かった夏の日の感じも。
そのイヤホンで聞くのが楽しみになってきた。
「どうしていいかわからんとですよ」'13.4/19
ここ最近ずっと、銀座乗換えで、
地下鉄丸の内線に乗って通っている。
銀座・霞ヶ関・国会議事堂前・赤坂見附・四谷と続く。
ふと見渡せば、電車の中がスーツ姿の人ばかりだ。
銀座から乗ってくる、ブランド品の買い物袋を手にしたサングラスのおばさんもいる。
すらっと背の高いスーツの女性も乗ってくる。
まあ、しかたがないかなと思うけれど、
やっぱりこの電車の中の光景には、慣れない。
20年近く、中央線・総武線に乗ってきて、
電車の中は、ほどよくみんなが居た。
学生さんにスーツ姿の人、子供連れの奥さんに、子供たち、
ギターを持った人、スポーツバックを持った人、ほかいろいろ。
それが電車だと思って来たが、そうでない電車もあるんだな。
銀座から霞ヶ関、そして国会議事堂前、赤坂見附、、。
乗ってくる人の中でも目立つ人がいる。
テレビのニュースキャスターのような、、人。
スーツ姿の人の中でも、より目立つスーツの人。
なんだかかっこいいサングラスの人。
ふぁっしょんもでるのようなひと。
注目を集める人。
なにかちがう、ちがうと思うんだ。
なぜに、あなたがチャンピオンなのだ。
この電車で。
新宿駅で、やっとギターを持った若者が乗って来て、
空気は少し楽になった。
今まで中央線・総武線しか知らなかった私は、
この状況にとまどっている。
どうしていいかわからんとですよ!!
「部屋フランケンシュタイン」'13.4/17
引越しして二ヶ月、部屋いっぱいにあった段ボールも、
あと10箱程度になった。
まずボックスを並べ、そこにいろいろつめていったが、
ただ箱につめていったという感じ。
レコードだって並べたが、順番だってめちゃめちゃ。
まるで、福笑いの顔のよう。
フランケンシャタインは博士の名前だが、
今、僕の部屋は、まるで部屋の役目を果たしていない。
胃や肺や心臓などが、とりあえず体にしまわれてあるようだ。
手や足はあるものの、筋がつながっていないようだ。
このままでは無理ですね。
命はめぐりません。
もうちょっと待ってください。
ひとつずつ、復活させますから。
部屋フランケンシュタイン。
「何も心配しなくてよろしい」'13.4/14
引越しをして生活環境がかなり変わった。
いまだに自分の部屋の片付けも終わっていなくて、
段ボールが積まれている。引越しは、ちょうど二ヶ月前。
ギターも、もう二ヶ月間、部屋では弾いていない。
創作ノートにも、新曲を一行も書いていないし、
メロディーだって、ワンフレーズも作れていない。
それでも、僕の胸の中の意識は新曲作りのことであふれている。
引越しの前とも、変わっていない。
僕の中の創作魂が、今ひとつずつ風景を満たしているところ。
何も心配しなくてよろしい。
僕の歌を僕が作らなくて、誰が作るのか。
・・・・・・・・・・・
遠い町の友達は、楽器から、創作から離れ、
何年も沈黙を続けているが、もったいない話だ。
また熱い音楽魂が戻ってくるのを、待っているのか。
創作の道は、なかなかに細くて長い。
やわらかい手のようなドリルが道々の角で待っていて、
こっちの道へどうぞって誘う。行ってみるのも一理あるが、
やわらかいドリルの手に巻き込まれたら、自分ごと巻き込まれてしまう。
それを元に戻すのは大変だ。
なんのことかはわからないかもしれない。
それは見えない渦。渦の中の渦。
おーい、もどってこいよーっ
「ライブのかけ声」'13.4/11
先日のスティーヴのライブでは、
外人さんが、何人か聞きにきていて、
素晴らしい掛け声をかけていた。
スティーヴが何か言うと、すぐにそれに答えていた。
スティーヴは何か面白いことを、ステージから言うのだけれど、
日本人の僕らは、さっと反応できない。、
外人さんは、すぐに言葉で反応していた。
記録させてもらった音源を聞いてみると、実にそれが小気味良いのだ。
日本人の弾き語りライブでも、よく「イエーッ」とか声を出す人が多いけれど、
いつもなんだか、ノリが合わないなと思ってきた。
やっばり日本語弾き語りなのだから、「イエーッ」とは別の掛け声があるのではないか、
歌舞伎役者さんに「イエーッ」が似合わないように。
しかし、今回のスティーヴのライブでは、それが実に自然であった。
よく歌も知っているファンの人のようで、リフレインの歌詞も一緒に歌っていた。
お得意ソングを歌いだしたときもすぐに反応していた。
それで雰囲気も盛り上がっていた。
それは、ライブに集中していないと、出来ないことだ。
実際の歌舞伎の芝居は観に行ったことはないのだが、
掛け声あって、盛り上がるという面もあるだろう。
スティーヴのライブには、それがとても似合っていた。
トークで何を言っているか、はっきりとはわからなかったが、
すべてのトークが何か面白いことを言っているのはわかった。
僕らは、すぐに反応できなくて、それが悔しかった。
ライブにもリズムがあるからね。
あの外人さんの掛け声はみごとだった。
ライブって、歌舞伎と近いのかな。
「駅まで10分」'13.4/9
今、通いの時間に敏感になっている。
高円寺に住んでいた頃は、駅まで'7、8分であった。
それはまあ、ちょうど良い遠さだった。
引越した新居では、駅まで10分ほどになった。
2分ほどよけいにかかるようになったが、
その2分がなぜかとても遠い。
わかっていたことなのだが、
僕の体の中では、変な時間の基準が確立しつつある。
「5分」が「短い」、「7分」が「普通」、「10分」が「ちょっと遠い」だ。
・・・ちょっと時間が伸びたくらいじゃないの??
そうかもしれないが、、
それが、ライブハウスの駅からの歩く時間だとしたら、
5分、7分、10分では、かなり印象がちがう。
ほんの数分なんだけどね。それが大きい。
そう感じない人もいるかもしれないけれど。
高円寺に25年住んでいて、駅まで7、8分であった。
もう体にそれが染み付いていて、まだなれない。
毎日、駅までの10分が遠く感じている。
「荻窪の人」'13.4/6
昨日、荻窪の改札で待っていた。
まるで荻窪の人みたいに。
高円寺からの引越先を探しているとき、荻窪の物件を見学したこともあった。
あのとき、部屋を決めていれば、僕は荻窪の人になっていた。
こうやって改札で、人待ちをしていただろう。
荻窪の商店街で、ご飯を食べ、街にも詳しくなっていただろう。
でも僕は荻窪には部屋を借りなかった。
今度、引越した先は地下鉄の駅やバス停が近いので、
改札で待つということはほとんどなくなった。
もし荻窪に引越していても、生活の状況は変わらなかったような気もする。
もし荻窪に部屋を借りて、生活を始めていたらと、
改札で待ちながら、想像してみた。
そうしたら、僕はここに立っていたであろう。
それはないと言えない。
今は別の街で暮らしているけれど、
荻窪の街でも、僕は暮らしているようだ。
当たり前のように。
いくつもの街で僕はたぶん暮らしている。
「どこかの水族館で」'13.4/2
四年近くも、餌を食べずに生きているという深海生物の
ニュースをやっていたが、驚嘆と同時に、
なんだか、希望のようなものをおぼえた。
どうやったら、四年近くも何も食べずに過ごせるのだろうか。
それでも生命を維持できるなんて、、。
僕も引越しをして、本当ならもうすっかり落ち着いて、
いろいろとやりたいと思っていたこともあったのだけれど、
いまだに段ボールが積まれていて、部屋が部屋として機能していない状態だ。
なんだか、時が止まっているような感覚。
それでも、毎日を暮らしていて、歌のことを想っている。
時は止まったままなんですけどね。
歌作りに関しては、心があかあかと燃えているのがわかる。
ちょっとやそっとのことでは、この炎は消えやしないだろう。
毎日、何かを食べて、心も生きている。