「最近の事」過去ログ'12.12月〜'13.3月
「歌を彫る人」'13.3/30
スティーヴ・フォーバートさん、
あなたのステージを、横浜で真近で観た。
あなたはまるで、空間に歌を彫っているようだった。
どの歌も、精一杯のハートで表現されていた。
空間に掘り出される歌。
ノミは、あなたの口、そして掘り出すのは、
ギブソンのギターを弾くあなたの腕。
歌の一行一行が、歌の像を彫ってゆく。
それだけでも、かなりのパワーがいると思うが、
あなたの彫る歌の像は、動き出し生きているようだった。
その歌の像は、リズミカルに打つ靴音とともに息をする。
僕はたしかに空間に歌の像を観た。
その歌の像は、一曲一曲と共にそれぞれ彫られていた。
彫られている歌の像を観れば、さっきの歌とはちがうとはっきりわかった。
あなたの歌が終わると、その像は空間からそっと消える。
そこに残像のような響きを観た。
僕がかつて観る限りの素晴らしいステージは続いた。
おお、驚いたことに、ラストの歌が近付いたとき、
僕の胸の中にあなたの彫った一体の像が、
あるのを知った。
いつのまに彫ったのであろうか。
まるで円空仏のような一体が。
スティーヴ、あなたのステージを真近で観た。
あなたは歌を彫る人であった。
「犬は今」'13.3/28
犬は今、トボトボとどこかの町外れを歩いている。
行きたいところはちゃんと知っているが、
それを探しながら歩いているのだ。
トボトボと、毎日知らない道をとおり。
ほんとうにこの道が合っているかなんてわからない。
今夜、自分がどこにいるかなんてわからない。
ずっと歩いてはいるれど、疲れたら休むだけだ。
ときには一日、子供らと遊ぶこともある。
知らないおじさんの家に一週間居ることもある。
その家で、新しい名前をもらうこともある。
そして何年もそこにいることもある。
でも、行き先はまだ胸にあるままだ。
ある夜、まだ出かけてしまう。
・・何たべようかな。
「どうやって行くの??」
そんなことはわからない。
わからないという道を歩いているんだもの。
「誤算」'13.3/25
引越しをして、もうひと月以上。
そろそろ落ち着くかなと思っていたが、
愛用していたパソコンが壊れるとしいう誤算のため、
なんだが、体の方も調子がいまひとつだ。
なにしろ突然に起動しなくなったのだ。
最初は軽く考えていて、メモリー交換でなんとか復活すると思っていた。
ファイルをコピーしたら、新しいパソコンになんとか引越しをしようと思っていた。
奇跡的に何回か起動したときに、大事なファイルをコピーした。
いろいろ試してみたが、もう古いパソコンなので、
開くことの出来ないファイルがいろいろあることを知った。
もう二週間がんばっているけれど、やっぱり開けない。
あと、大事なファイルを全部コピーしたつもりでいたが、
コピーし忘れたものがあるとわかった。
また、なんとか起動して、それを取りにゆかねばならない。
ほんとに出来るのか、、。
あのパソコン、ずっと元気だったからなぁ。
まさか起動出来なくなるとは思ってもいなかった。
そしてこんなにも、体調に影響があるとは思わなかった。
古いパソコンを使い過ぎたのかな。
開けないファイルがいっぱいある。
まだパソコンに残してきたファイルも多くある。
落ち着かないんだ。
「何もないところに現れる、立体。」'13.3/22
机の上には、置かれた紙の人形たちと、そして紙の家。
そして机の前に立つ、マジジャンのような、若者おじさん。
何か、念のようなものを込めている。
すると不思議なことに、その紙の人形たちと家は、
ゆらゆらと机の上に立体に起き上がり、動き始めた。
マジシャンのような若者おじさんは、手をかざし、とても集中している。
片手間になんて、それはできないからだ。
・・・・・・・・・
僕は思う。
ひとつの唄は、机の上の紙の人形と同じようだと。
それを立体で動き、浮かびあがらせるには、
何気なくでは、出来ない。
集中しないと、紙の人形は、薄い紙のままで立ったりする。
魔法のようなものをかけるにしても、
それは人形にだけではないだろう。
その回りの風景、そして観ている人たちのハートの目と耳そして感覚。
僕は思う。
ちょっとでも、気を抜いたなら、その立体の紙人形たちは、
そのままバラバラと机に崩れ落ちてしまうのだ。
最後まで、物語を動かすには、かなりの集中が必要だ。
歌詞や演奏をなぞるようにしていては、それは出来ない。
毎回、同じでもだめだ。
自分の体調も、大きく関係してくる。場所も影響が大きい。
「何もないところに現れる、立体。」'13.3/22
机の上には、置かれた紙の人形たちと、そして紙の家。
そして机の前に立つ、マジジャンのような、若者おじさん。
何か、念のようなものを込めている。
すると不思議なことに、その紙の人形たちと家は、
机の上に立体に起き上がり、動き始めた。
マジシャンのような若者おじさんは、手をかざし、とても集中している。
片手間になんて、それはできないからだ。
・・・・・・・・・
僕は思う。
ひとつの唄は、机の上の紙の人形と同じようだと。
それを立体で動き、浮かびあがらせるには、
何気なくでは、出来ない。
集中しないと、紙の人形は、薄い紙のままで立ったりする。
魔法のようなものをかけるにしても、
それは人形にだけではないだろう。
その回りの風景、そして観ている人たちのハートの目と耳そして感覚。
僕は思う。
ちょっとでも、気を抜いたなら、その立体の紙人形たちは、
そのままバラバラと机に崩れ落ちてしまうのだ。
最後まで、物語を動かすには、かなりの集中が必要だ。
歌詞や演奏をなぞるようにしていては、それは出来ない。
毎回、同じでもだめだ。
自分の体調も、大きく関係してくる。場所も影響が大きい。
「浅草近辺」'13.3/19
今日から浅草近辺、に仕事場が変わった。
仕事場と言っても、事務所なのだが。
浅草近辺の通りを歩いたり、自転車に乗ったりするのだが、
ビルやマンションが建っていても、深いものを感じる。
ちょっと歩けば神社がある。
20年前、30年前、40年前とはかなり街のようすが変わってはいるだろう。
それでも、多少は感じられる。ここ界隈には、古い力があるのだと。
それは、ばっとは言葉にはできない。
ただここにある土地のパワーは、引き寄せる力を持っている。
一筋縄ではいかない街だとわかる。
その昔の街の道を、今はもちろん歩けないが、
それを感じることはできる。
深い街を歩いている。
「フォークの心臓」'13.3/17
阿佐ヶ谷の北と南では、
街の作りがまるでちがうようだ。
南は普通の商店街のようだが、北口は小さな店も多く、
いかにも中央線の街という感じ。
言葉は古いが、弾き語りフォークの匂いがまだ残ってい.る。
今日入った店も、ウッドな感じの店で、若者文化の匂いがした。
流れている音楽は、ビートルズであった。
弾き語りのフォークでもいいのにな、と思うが、
流れたら流れたで、ちょっとしつこいかもしれない。
しかし、この商店街には、弾き語りの匂いが残っている。
そしてお店では、その唄は流れない。
'70年代なら、ニューミュージックも含めて、流れていたのかな。
今、僕は引越しをして、そんなフォークの匂いから遠い住宅街に住んでいる。
あるのは家々の灯りばかりだ。
しかし、こうして同じ時間、にぎわっている街の通りがある。
フォークの心臓は、ここで動いている。少し安心した。
そしてこの体でも動いているのがわかった。
体の中、近く遠く。
「地下鉄に乗って」'13.3/14
ここずっと地下鉄に乗って、通っている。
あまり考えたことはなかったけれど、
地下鉄って、地上の下を走ってゆくんだよね。
実感はないんだけれど、、。
外の景色のない、世界。
今、新曲を作っているのだが、
地下鉄を乗り換えて、ほんの数駅の間に、
ほとんどの歌詞とメロディーを書いてしまった。
それもサビも含めて、。
もちろん、それは書いたばかりなので、
これからいろいろと変えていかねばならないのだが。
引越しをして、ひと月の間、ギターはまったくさわれなかった。
今だって、ケースの中にある。
新居では、ちょっとギターの音が出せそうにないので、
どうやって歌を作ろうかと思っていたところだった。
それがほんの地下鉄の数駅の間で、ほぼ出来てしまうなんて、
どうなっているのだろう。
もちろん、大幅にメロディーも歌詞も変わるのだけど。
そのままでも、とりあえず歌える。
そんなふうに歌を作るなんて、想像できなかったな。
公園にでも行ってギターで作ろうと思っていたのに。
なんだか変な時間の中にいる。
地下鉄のような時間。
「二年とエレキ」'13.3/11
大震災から、ちょうど二年たった。
がんばろうにも、さて何からがんばったらいいのか、
今も迷う人も多いであろう。
何かを始めるには、心の炎が必要だというけれど、
その炎は、突然に小さくなることもあるだろう。
僕も50年、生きてきて、最近になって、物事の始まりは、
炎ではなくて、エレキなのではないかと思えてきている。
宇宙の始まりも、もしかしら爆発ではなくて、エレキだったのではないか。
電線の中をエレキが走る。いろんな情報を乗せて。
頭の中も走る。心の中も走る。
エレキは、決して炎ではない。
それは力のようなものではないかもしれない。
僕の人生を思い返せば、何かの力や炎で、
自分が動いてきたようには思わない。
それは心や頭の中を走るエレキのようなものだった。
かすかな、ほんとにかすかな。
それに耳や心を澄ましてみることが大事だ。
エレキを感じてみようじゃないか。
パチッパチッと来ているものはないか。
「こんな感じ」'13.3/9
ふと、メガネをよく見たら、レンズの真ん中に小さなヒビが入っていた。
たぶん、いつかどこかで落としたのであろう。
ちょっと危険なので、もうひとつの予備のメガネをしようと思う。
レンズも一枚25000円くらいするのはわかっているが、
引越でお金も使ったし、ちょっと今は交換できないな
引越のとき、パソコンは自分で運んだのだが、
その後の使い方に無理があったのか、
いままで使っていたパソコンが突然に起動しなくなった。
まだいろいろ対処はしていないが、もし復活しなかったら、
それは本当に困る。買い換える余裕などまったくない。
唯一、完璧だった靴が、、引越のせいかはわからないが、
糸がほころびかけている。新しい靴を買えば良いのだが、
その余裕がない。
引越のときに重たい荷物を運んだせいかは不明だが、
かぶせてある金属がとれ、歯医者にいかねばならない状態になった。
引越のせいかは不明だが、CD-Rを焼く高価なマシンがエラーが出るようななった。
なんだか、ぼろぼろですわ。
もうどれもこれもという状態。
でも、大きく変わるときは、こういうことはある。
ジャングルを抜けてきた人は、服も体も傷がついているであろう。
そんなことはよくあること。
ひとつずつ、復活していこうやね。
「オリンピック」'13.3/6
ハオリンピックはオリンピックでも、
何でも売っているデパートのオリンピックのことである。
新しいところに引越しをして、近くにオリンピックのような店がなく、
とても不便を感じている。
高円寺にいた頃は、何かすると、オリンピックに向かった。
オリンピックには、生活用品から雑貨、電化製品までそろう。
食料品の専門階はなかったが、それ以外のものは何でもそろった。
歩いて五分ほどで、いつもオリンピックにいけた。
今は、そんな店が近くにはない。
あるのは食料品のスーパー。
すぐ近くにあって、当たり前だったが、
オリンピックは偉大だ。
オリンピックのある街は幸せである。
「すぎ丸」'13.3/3
杉並区でも、100円のコミュニティーバスが出ていて、
名前を「すぎ丸」と言う。
部屋に戻っている道が、ちょうどその「すぎ丸」の通り道になっていて、
よく追い越されたりしている。そして向こうから来る「すぎ丸」ともすれちがう。
「すぎ丸」のコミュニティーバスは、普通のバスよりも小さく、
細道でも通れるように、横幅がより短い。
ちょっとこんな道、バスなんて通りれないよって思える道を、
「すぎ丸」は走ってゆく。
夜の帰り道、向こうの路地から、明かりをつけた「すぎ丸」が、
ゆっくりと路地を曲がってくる。ほんとゆっくりと。
その姿は、まるで路地を進む動物のようだ。
大きな犬のようにも見える。
そして、なんだかとてもいとしい。
「すぎ丸」のコミュニティーバスは、何台かあると思うが、
ぜひ、それぞれのバスに名前をつけて欲しい。
「たろう号」とか「はなこ号」とか「じろう号」とか、、。
そうしたら、より親しみが増すと思うのだが。
「すぎ丸」は、いとしい。
夜の路地をゆっくりと曲がってくる。
「30年ブレッド・回想」'13.3/1
ほぼ二年ぶりに、10枚組の「30年ブレッド」のアルバムを、
始めの一枚目から聞いてみた。
この30年のほぼ作った順に10枚のアルバムになっているのだが、
二年振りに聞いてみると、また印象が違っていた。
このアルバムは、30年の古い順から録音されているが、
すべて二年前の録音である。しかし歌っているときは、
その当時の自分に成りきって歌っていた。
すべての過去のことはやり直せないというけれど、
僕の歌って録音は、過去にさかのぼって、自分を成り直せているようだ。
当時の僕の録音ももちろん残っているが、歌唱は十分ではない。
もし、新しいアルバムに古い歌を入れたとしても、
それは今の自分の歌となってしまう。
しかし「30年ブレッド」では、まるで当時の僕がアルバムをそれぞれ録音したようだ。
当時でも、同じようにアルバムを残せたであろう。
そして出来れば、当時に戻って歌い直せたらと思うであろう。
今回、僕はそうやって唄い直せたような気持ちだ。
過去に戻るなんて、本当はできない。でも「30年ブレッド」では、
それが出来ている。
「ポスター」'13.2/27
ライブハウスの壁に大きめなポスターが貼ってあり、
なんだかどれも良く僕には見えた。
あのまま、A4版くらいのカラーチラシが入っていそうなんだけど、
大きめなポスターにすると、つい目が奪われてしまう。
アルバム発売のものが多いのだが、ライブが観たいと思えて来た。
・・・ポスターっていいなぁ。
インターネットの世界が始まってから、チラシは、どこか主役ではなくなったような気がしていた。
動画のインパクトは、強いのは知っている。
情報は何でも手に入るけれど、そのどれもが、確定的なものばかりだ。
どんな歌なのかも、すぐに検索でわかってしまう。
ライブハウスで配られるチラシは、やっぱりチラシ。
それは風景ではない。
でもポスターは、ひとつの壁の風景である。
それにパワーがある。
僕も、ポスターを作れば良かったな。
ポスターには、インターネットを越えた何かがある。
「ぼっこいエンジン」'13.2/23
冬の朝早く、太陽も昇る前、
下町の町工場のおやじさんが、トイレに起きたついでに、
工場の機械のスイッチだけを入れにくる。
今からあたためておかないと、9時からの仕事で、うまく機械が動かないからだ。
「もう、ぼっこいエンジンだからなぁ。」
冬の朝早く、前日無不足だったせいもあるが、
僕は朝、5時過ぎには部屋を出た。風もあり、もーれつに寒いが、
それよりも眠気が勝っていた。ふらふらで、まっすぐに歩けない。
駅のホームで、缶入れのホットスープをのんだ。
「じっくりコトコト・・」とか書いてあった。
それから地下鉄に45分ほど乗るのだが、ひと駅とひと駅の間にすぐ熟睡してしまう。
なんとか、乗り換えを済ませ、仕事場の駅に着いた。
とちゅうで、大きなコロッケパンというものを買って食べた。
事務所に着いたがまだ眠く、準備がなかなか進まない。
前日の残りのお菓子を、ボリボリと食べてみた。
自転車に乗り、現場まで行くのだが、もーれつに寒い。
普通はそれで目が覚めてくるのだが、今朝はだめだ。
朝、7時からやっているトンコツラーメンの店に入った。
コショウをたっぷり入れ、らーじゃんというものも、入れた。
パワーがつくかなと思ったが、それでもまだ眠い。
現場のエレベーターの、11階から降りてくる間に、
三回ほど気を失いそうになっては、目を開けた。
そして9時半、それから10時。
やっと少しだけ、目が覚めてきた。普通に歩けた。
まるで下町の町工場のぼっこいエンジンのようである。
「コンダクター」'13.2/18
楽団の指揮をする人をコンダクターと呼ぶ。
とあるライブを観に出かけたら、その指揮者は、
お客さんたちも指揮していた。ライブ全体を指揮していたとは思うのだけれど、
なぜ、お客さんたちまでもが、あなたに指揮をされねばならないのか。
それを個性と呼べば、呼ぶことも出来るのだが、、。
ありえないよ。
空間全体を指揮しようだなんて。
観客は観客。ライブを観に来たのだ。
よくライブ会場で全体がひとつななって、盛り上がるライブがあるが。
ほんと、どうしていいのか僕にはわからない。
手拍子だって、シングアウトだって、心が反応して自然にそうなるものだ。
みなさんご一緒にと言われることは多い。
ライブにはつきものだ。
たぶん世界中どこにいっても。
「私の引越し」'13.2/16
この ひと月のことは、ほんとに忘れられない。
ただ部屋から部屋に移動するだけではあるけれど、
僕にとって、引越しはほんとに大変であった。
休みの日も多くあり、荷造りもなんとかなるかなと思っていたが、
予想以上の荷物の多さにびっくり、何もかもぎりぎりになってしまった。
それでも、引越屋さんには任せなかった荷物も多く残った。
マンドリンや、ギター、ビデオカメラなどの精密機械など。
そんなに離れてはいないところへの引越しだったので、
自転車に乗り、体じゅうに荷物をつけて、自分で運んだ。
えっちら、おっちらとペダルをこいで。重くて大変だった。
通りかかった人はみんなびっくりしたであろう。
でも、たぶん引越しだと思ったにちがいない。
・・・・・・・
部屋には古い柱時計があり、
それは最後の立ち会いの直前まで部屋でカチコチと鳴っていた。
まるで部屋を見守るように、古い部屋の時間の続きを教えるように。
何もなくなった部屋の中でも、柱時計は動いていた。
立ち会いの前、その柱時計を外し、
海外旅行に持っていったバックパックの大きなリュックの中に入れて、
片手にはギターを持ち、もう片方の手には掃除機や創始セットなどの入ったカバン、
友達からもらった、木の長い杖を持ち、新居まで小雨の中、歩いて帰った。
それはとても重く、何度も休んではやっと新居に着いた。
それを撮った写真などはないが、引越しの最後らしい光景だったろう。
・・・・・・・
住んでいたアパートの部屋は古い木造で、入居の募集もないことから、
たぶん、建て替えを前提に考えていると思われた。
僕の部屋にも、たぶんもう誰も住まないであろう。
部屋にとっては、僕が最後の住人だったかもしれない。
アパートの一室という人生。
そこにあった柱時計は、新居では使用予定はなく、
たぶん押入れの中にしまわれるか、アンティークショップに持ってゆくか、
そんなふうに思っている。柱時計にとっても、最後の現役だったかもしれない。
今は新居で、バックパックの中に入っている。
・・・・・・・・
僕は今回の引越しで、手で運びたいものは、
荷造りの箱には入れなかった。
そこにはこだわった。
僕は引越しには向いていない人であった。
最後は、部屋を綺麗に掃除してきた。
部屋にとっては、大事な一日だったであろう。
僕は最後の住人にふさわしかっただろうか。
柱時計はもう止まっている。
リュックに入れて運んでいるとき、柱時計は、
ばろんばろんと、ぜんまいのゆれる音がしていた。
「本人証明」'13.2/9
引越関係で、いろんな手続きをしているが、
「顔写真付きの証明が必要です」と何度か言われた。
たしかに健康保険証だけでは、本人確認にはならないのかもしれない。
でも、それだからって、本人ではないとはいえないだろう。
本人なのだから。
運転免許証がある人は悩みもしないかもしれない。
パスボートがあればいいのかもしれないが。
これからもこんなことがずっと続くなんていやだな。
写真付きの健康保険証にして欲しい。
本人証明で苦労するなんて、でも、
ほんとばかげた話だが、、。
「泣きたいほど忙しい」'13.2/7
いろいろとやることがあって、ほんとに忙しい。
数日後に引越をするというせいもあるが、、。
泣きたい。
泣いても無駄だが。
カレーを食べるか。
「本」'13.2/3
引越に際して、荷造りを進めているが、
本がほんとに多い。
昨年のはじめに、500冊以上整理して、
あとは必用な本しか残っていないのだが、
英和辞典、国語辞典、百科事典など、
インターネットがあれば、必用のない本もある。
またインターネットを使わなくなれば、必用かもしれないのだが。
そんな日は来るのだろうか。
・・・・・・・・
引越先から、今度は仕事場まで、約一時間ほど電車通いになるが、
本を読んでみようと思う。
それを楽しみにしている。
「高円寺行きバス」'13.2/3
今度の引越先から、ちょっと歩くと、
「高円寺行き」のバス停があり、
それに乗って、よく今住んでいる高円寺に戻ってくる。
高円寺に住んで25年。「高円寺行き」のバスに乗るとは思わなかった。
だんだんと住んでいる街が近付いてくるのは不思議な気持ち。
新居に引越をしたら、高円寺へはバスとなるであろう。
夜遅いバスには、ふたりくらいしか乗っていない。
もう現実には行くことが出来ない夢の街にでも出かけてゆくようだ。
いつかの・とおいひ・そんな・ことも・あるかも
引越先は、交通には少し不便なところがあり、高円寺には大回りしないと行けない。
もう遠い街になってしまうかなと思っていた。
しかし、どこに行っても心の中からは高円寺は近い。
すぐ近くのバス停から「高円寺行き」は出ていた。
こころの ちかく きっと バスは でている
「ギター」'13.1/31
引越しに際して、いろんなものを処分しようとは思っている。
ギターも多いが、今持っているギターは、どれも処分できないものである。
ギターは一本あればいいのではないか?
と、言う人もいるであろう。
たとえば、僕が池袋で25年間、ストリートで弾いていたヤマハのギターがある。
もうけっこうボロボロではあるけれど、そのギターとともに数限りない想い出もある。
たしかにそのギターを今弾くことはないのだが、手もとに置いておきたい。
そのギターもがんばったのだから。
お疲れ様と言って、処分することも出来るが、
まだ弾くことはできる。じゃらーんと弾けば、池袋での記憶が蘇る。
あと25年間、創作で部屋ギターで使っていたギブソンのB25がある。
その響きは、大きくはないのだが、弾きやすく何時間でも弾き続けることが出来た。
僕はそのギターで、100曲以上創作した。
ギターだったら、何でも創作には同じではない。
創作に煮詰まったとき、僕は今もその小さなギブソンのギターを出して弾く。
すると、浮かばなかったフレーズがすっと出てきたりするのだ。
ヤマハのFG180のギターがある。それは僕がライブで25年以上弾いてきたギターだ。
まだまだ現役である。このヤマハFG180も、僕が創作で困ったときに、
インスピレーションをくれる。
ギターなら、なんでも同じというわけではない。
古い親友と、話しをするようなものだ。
「玄関ライト」'13.1/29
引越先の玄関ドアの真上には、お洒落なライトがついている。
夜に訪ねてみたら、ライトをつけている部屋もあった。
そんな玄関ライトがあるなんて、僕は知らなかった。
仕事で分譲マンションを訪ねたら、今までは気付かなかったけれど、
各部屋の玄関ドアの上にライトがついていた。
夜はとても暗い。玄関ライトがあれば明るい。
しかし、玄関ライトは自動でつくわけではなく、
自分でオン・オフをするしくみだ。
どうしましょうかね。
待ち人のためにつけましょうかね。
部屋のためにつけましょうかね。
悩むところである。みんなどうしているんだろう。
玄関ライトには、現代人が失ったものが、
たくさんあるような気がする。
「15分」'13.1/27
「15分のライブでお願いします」
以前のことだが、そう言われて主演者多数のイベントで唄ったことがある。
普通の夜のライブイベントで、10人くらい唄ったイベントであった。
単純に考えても、歌えて4曲とは思うのだけれど、
5曲くらい歌う人がほとんどであった。時間は20分は越えていた。
時間はどんどんと押していった。
15分の持ち時間であったなら、余裕をみて、3曲くらいでちょうどではないか。
4曲なら、短めの唄を1曲入れるか。
次々と出ては、ぎゅうぎゅうに唄をつめこみ、トークも入れ、時間オーバー。
まあ、自分を聞きにきたお客さんもいるだろうし。気持ちはわかる。
でも、主催する側にしてみたら困ってしまう。
15分って言われているなら、なぜ15分で出来ない。
3曲だとしても、たっぷりじっくり聞かせることが出来るであろうに。
ライブで、10人集まったら、みんなそんな人ばかりではないかな。
ちょっとくらいオーバーしても、もう1曲唄おうと言う人。
それでは、「15分では短い」ライブになってしまう。
なぜ「15分でたっぷり」のライブにしようとしないのかな。
選曲・曲順のアイデアを出せばいいじゃないか。
何もアイデアがないから、1曲増やそうとするんじゃないだろうか。
一人15分のライブには、それで勝負するという楽しみがあるのではないだろうか。
僕は、口うるさい老人なんだろうか。
「うためぐりのたび」'13.1/24
大正時代の詩人たち。
いろんな人たちがいますね。
僕の大好きな詩人たちは、大正時代にデビューした人が多い。
その人たちは、みんな「詩人」として、残ってはいるけれど、
思うんだ。
現代に生きていたなら、きっとシンガーソングライターだったろうと。
そして僕らが大正時代に生きていたなら、
きっと詩を書いていただろうと。
ただ時代がちがうだけで。
大正から昭和の時代、名前の残った詩人たちがいる。
その他の多くの詩を書いていたみんな。
それはライブハウスの歌い手たちのようではなかったか。
泣き笑い、集まり、お酒を飲み、唄い・・。
そのずっと前、江戸の頃なら「俳諧の人」ではなかったか。
めぐっている、めぐっているようだ。
きっと現代なら、みんな唄っているような気がするんだ。
「You Tube」'13.1/19
投稿映像サイト、You Tube。
その使い方は人それぞれ。
初アップしたのは、もう5年くらい前かな。
そのために新しくパソコンも買った。
友達が撮ってくれた自分のライブビデオで、
どうしてもYou Tubeにアップしたいと思えたものがあったからだ。
それから約10本ほどアップしてきたが、
基本的には、「これはYou Tubeにアップしなきゃ」と思えたテイクをアップしている。
逆に言えば、You Tubeにアップしていると思えたテイクを選んでいる。
何回もライブをやっても、なかなかないですよ。
You Tubeを見ていると、とても良い雰囲気のライブ映像に出会うこともある。
プロのカメラマンによるものだが、素人の僕らは、固定焦点の映像ばかりだ。
それでも、ときには何か伝わるテイクが撮れるときがある。
昨年は、5曲ほどアップすることが出来た。
昨年の僕のやったことの成果は、その5曲である。
神聖なMuseへ、上納のような。。
いやいや、その曲に敬意を払って。。
どの楽曲も、これだと思えたテイクが撮れれば、アップしようと思っている。
だから僕の唄ノートの中から、You Tube にアップされた曲は、
ひとつの卒業みたいな感じで、他の曲からは、うらやましがられているかもしれない。
今年はまた何曲アップできるだろうかと思う。
「タイポップス」'13.1/15
駅前にあるタイ料理の店に行くと、
いつもタイのポップスが流れている。
流行歌というより、日本の「J-POP」に近い感じで。
アルバムで流れていると思うのだが、どの楽曲も良く出来ていて驚く。
一曲一曲のグレードが高いというか。。
どこかの名曲に似ているというか。
多分専門に楽曲を提供する人たちがいて、
ヒット性のある曲に仕上げているのであろう。
一枚のアルバムでも、十分に楽しめると思う。
でも、何か僕には違和感が残る。
どれも、なんだかアメリカンヒット曲集のようでもあった。
それかせなんだか、とても残念なのだ。
まるでと言っていいほど、似ているのだ。
バラードも、アコースティックな曲も。
もっと、タイの訛りがあってもいいと思えるのだ。
歌い方も演奏も。
なんだか爽やかなんだよね。
「はーどでぃすくでじたるびでおかめら」'13.1/13
ライブをビデオ映像で残しているが、
数年前より、ハードディスク記録タイプのビデオカメラを使っている。
それでほんとに、楽になった。
テープ記録だった頃は、原因不明のノイズやエラーに苦しめられたものだった。
たぶん、ほこり等が原因だったのであろう。
せっかく撮った映像であっても、途中で音や映像が飛んでいたりしたときは、
ほんとうにがっかりしていた。最大限に。
心臓が止まるのではないかと思えるくらいに、がっかりする。
でも、それはテープ記録の宿命でもあった。
ハードディスク記録になってからは、それがなくなった。
バッテリー切れにならない限り、エラーもなく録画できているし、
再生時も、エラーになることはほとんどない。
かなりのストレスから解放された。
映像を扱う人たちは、みんなそうであったろう。
レコードからCDに変わったようなものかな。
最近は、携帯電話でも、映像が撮れてしまう。
デジタルビデオカメラも安くなり、手軽に買うことも出来るようになった。
いろいろ楽になりましたね。
「レコード」'13.1/11
自分の部屋にもレコードがかなりある。
ざっと数えても600枚くらい。
むやみやたらに買ったわけではなく、どれも大事な音源はかりだ。
かと言って、この一年で聞いたレコードは数枚なわけだが、
かなりのスペースをとっているのには、まちがいない。
どうすればいいのかな。いいアイデアはないものか。
CDは700枚くらいある。どうしたものかな。
レコードと言って思い出すのは、ライブハウス「グッドマン」が、
荻窪にあった頃。
トイレに向かう通路のところに壁一面にレコードがあった。
もともとジャズ喫茶であったから、まあ当たり前なのだが。
僕らが通い出した1984年頃には、もうそうであった。
約10年であれだけレコードを集めたのであろう。
あのレコードの壁は見事であった。
ほんとうらやましかった。
毎日のようにせっせと集めたのであろう。
レコードの壁って、よく見ると、
ジャクソン・ポロックの即興絵画のようである。
もうそれだけで・・。
「帰り道」'13.1/9
部屋探しをしている。
いくつか実際に観にいったりもした。
考えてみると、僕が借りてきた部屋は、
いつも商店街を抜けて帰ってきていた。
商店街を抜けて、ちよっと行くとそこが部屋であった。
今回は、その条件ではきびしい感じで、
商店街のない道を、10分ほど歩く物件もみた。
その道の向こうにはもう部屋しかない。
部屋を目指して歩くわけだ。
そういえば、そういう道もあった。
そういう帰り道を歩くひとも多い。
そのことを忘れかけていた。
帰り道が変わりそうだ。
「流行歌」'13.1/5
食堂で、日本の流行歌を聴いた。
じぇいぽっぷと呼ばれもの。
数曲聞いたが、みんな同じに聞こえた。
そんなばかなと思うけれど、やっぱり同じようだ。
メロディーにそってコード進行が変わる。
いい感じではあるけれど、やっぱり似た曲に聞こえる。
似た曲に聞こえる。ゴージャスな感じではあるけれど、
あれはどんなコードを使っているのだろう。
僕にはさっぱりわからないのだが。
「お正月」'13.1/2
元旦に商店街に出かけると、
人気の和菓子屋さんの前が人で賑わっていた。
年始のお買い物で。
その和菓子屋さんは入口のためのドアはなく、直接、道で売られていた。
元旦の日、江戸の頃もそうやっては賑わっていたであろう。
電気の明かりはなく、陽の光の下、土の道があり、、。
それはまさに日本の風景であったろう。なんだか泣きそうになった。
今でも、元旦行事はいろいろ残ってはいるが、やっぱりどこか現代的だ。
テレビを観たりして、すっかり現代になりましたね。
インターネットもあり。洋服も来て。
それらはもう不可欠ではあるけれど、
僕らはどれだけのものを、失ってきたのだろうと思う。
現代、現代って言いながら。
もう一度、着物を着ようとはいわない。
だが、心は失わないでいよう。
「珈琲カップ」'12.12/31
珈琲カップがある。おしゃれな。
柏崎の実家にいた頃は喫茶店には入らなかったが、
友達の家に遊びに行けば、おしゃれなカップが出て来た。
わんぱくだった僕にはもまったく似合わない珈琲カップ。
どんなふうに、珈琲を飲んでいいかわからない。
ぎこちなく珈琲をすする。
「ごちそうさまでした・・」
そこに残される、おしゃれな珈琲カップ。
僕もおやじやおふくろも、そうやって珈琲を飲むだろう。
ちゅーっと、すするように珈琲を飲む。
そしてテープルに残されるおしゃれな珈琲カップ。
僕は、その珈琲カップが好きだ。
それを写真に撮って残したいと思う。
まったく普通の写真になってしまうだろうけれど。
「もうずっと昔」'12.12/28
今日会った友達が、
「もうずっと昔」って言っていた。
彼は35歳くらいであろう。
「もうずっと昔」って言えるなんて、なんだか幸せだな。
僕はもっと年上ではあるけれど、小学生の頃が、ついさっきの事のように思える。
あっというまの今になった。
しかし、僕も30代の頃は「もうずっと昔」って言っていたような気がする。
30代はそういう年齢なのかな。
僕には、小学校の頃もつい昨日のことのように思い出される。
ずっと昔って、いつなんだろう。
僕はもう記憶力が変になってしまったかもしれない。
もうずっと昔って、何だろう。
なぜ、幼稚園の頃も昨日のように思えるんだろう。
「僕の知らないところで僕が歌う」'12.12/26
街なかで、音楽を聴くと、なんだかとてもうらやましくなる。
唄っている本人たちの知らないところで、自分が唄っているなんて、
いいなぁと思う。ヒット曲とはちがう意味で。
僕もそんなふうに僕の知らないところで唄ってみたい。
ライブハウスで流れるのもいいな。喫茶店もいい。
居酒屋でもいいな。コンビニでもいいな。
そういう状況に今はないけれど。
それでもインターネットでは、歌えるようにはなった。
テレビやラジオでも流れないかな。
かけたくなるような、そんな唄をうたえたらな。
僕の知らないところで僕が歌う。
とってもいいと思う。
「物語の向こうの物語」'12.12/24
映画「ホビット」が公開された。
それは、すでに公開された三部作の映画「ロード・オブ・ザ・リング」(指輪物語)の、
始まりの前の物語である。
「ロード・オブ・ザ・リング」の中でも、ところどころにそれを連想させるシーンがあったが、
「ホビット」は「ホビット」で、十分に楽しめる物語である。
それは、その後に続く「指輪物語」にもつながっているからだ。
まさに「指輪物語」は、物語の向こうの物語である。
「ホビット」の物語の向こうに、それを越えるような物語が待っているなんて。
これがホントの物語ってヤツだろうか。
僕にもこれから、物語の向こうの物語がやってくるだろうか。
「サンクス 日本法令 法令手帳 HANDY MEMORY」'12.12/20
今年もまた来年の手帳を買う時期になった。
僕は毎年、日本法令の「HANDY MEMORY」という小さめの手帳を買ったきた。
1990年からだから、22年間か、、。
深緑色の手帳。とても使いやすかったし、気に入っていた。
二年前の2011年から、深緑色のシリーズがなくなり黒色のみとなった。
それもかなりショックだったのだが、なんと来年の手帳はもう作らないという。
どうりで、いろんな店に寄ってみたが、手帳が見つからなかったわけだ。
これは、普通には、大きなニュースではないだろうが、僕にとっては大きなニュースであった。
とっても気に入っていたので。特にある深緑色の手帳シリーズが。
手帳の側面は水色になっていて、一年経つと、それが少し色褪せた。
そこが良かった。
僕のスボンのポケットにいつも入っていた。22年間。
まさか手帳自体を作るのをやめるなんて。。
今年、法令手帳を探して回った人も多いであろう。
ああ、法令手帳がないなんて、僕に来年はやって来るのであろうか。
迷子になってしまいそうだ。
みんなは、「そんな手帳ひとつで大げさな・・」と、言うであろう。
しかし、手帳というのは、手の友達である。
僕よりも手が淋しがっているであろう。
「東京の寒さ」'12.12/20
12月になってとても寒くなった。
なんだか氷河期でもきたんじゃないかと思ってしまった。
とても今年の夏が長く暑かったので。
新潟の柏崎から上京して来たのはもうずいぶん前のこと。
そのときは、東京の寒さはまったく寒いと思わなかった。
柏崎に居た頃は、冬は雪の降る中を歩いていたので、
雪のない東京は、そんなに寒くは感じられなかった。
それが今はどうだ。
雪もないのに、ほんとに寒く感じている。
氷河期のように。
体がどうかしたんじゃないかな。
やっぱり夏が関係しているのかな。
もう、毎日、寒くって哀しい。
「タンバリン」'12.12/17
先日観たライブでは、タンバリンがとてもよい響きを出していた。
タンバリンって小さいけれど、いろんな音が出せることがわかった。
驚くほど。
ひとつ足りないとしたら、低音かな。
その人はブーツをはいていた。お洒落だなと思っていた。
そして、ステージの床でリズムをとり出した。
なるほど、そういうことでしたか。
これで低音も増えて、タンバリン演奏は完璧となった。
床がありましたね。
「いろんな歌」'12.12/15
昨日のライブではいろんな歌をうたった。
初めてライブで歌ううたも5曲ほど。
原曲はバンド演奏であったりするのだが、こちらはギター一本にハーモニカ、
もうまるでフォークの歌のようになってしまう。
自分自身、歌っていて、それに甘えるのは嫌だなと思う。
その楽曲が、ジャンルに関係なく、伝わるように歌うたい。
フォークのように歌うなんて、ちよっと嫌だ。
だんだんとそこから離れて歌いたい。
ギター一本であっても、バンドの音のように聞こえるように。
5曲ほど、初めての歌があったが、うまく歌えたのは一曲だけかな。
部屋で弾いているときはよい感じだったのに、
ライブで歌ったら、そんなふうにはいかなかった。
録音もしてあるので、これからほぼ毎日聴いて、反省しないといけない。
感情に流されたところとか。
次に歌うときのために。
あと10日は、この録音で楽しめるであろう。
悔しい想いとともに。
「夜明け前」'12.12/13
冬になって夜明け前に出かけることがほとんどになった。
まだ真っ暗。こつこつと靴の音が響く。
夜明け前に出かけるのは、そんなに嫌いではない。
ちゅうと半端に明るくなくて。
何か生きている実感がある。そして何か始まりそうだ。
「マフラー」'12.12/11
もう28年も前に、アメ横で買ったマフラー。
とても気に入っていて、毎年大事に使ってきた。
お気に入りのブルーとグリーンの中間のような色。
それにところどころ色んな色の粒々が混じっている。
生地は棉かな。とても丈夫だった。洗っても縮まなかったし。
ふかふかという感じではないので、マフラーをし始める頃にちょうどいい。
もう28年巻いていたのになぁ。
ちょっと横に引いたら、マフラーの真ん中から15センチほどさけてしまった。
ショック・・。
もう限界に来ていたと思えば、それはそれで納得もゆくのだけれど、
そのマフラーが出来なくなると思うと哀しくなってしまった。
このマフラーの替わりになるようなマフラーはないなぁ。
ずっとずっと使おうと思っていたので、僕の頭は混乱している。
引退するべきが、直して使うべきか。
しかし、どうやって直せばいいの???
あのマフラーのない冬なんて想像がつかない。
マフラーにも寿命があるんだなぁ、、。
「物価」'12.12/9
♪♪いちにちラーメン二杯と、豚汁ライス、
二日に百円もありゃ、世の中明日があるな・・「自由な奴」
永山則夫によって書かれた、この詩の発表は1971年である。
この歌詞の中に出てくる「二日に百円もありゃ・・」だが、
ずっと僕は、二日に百円の小遣いのことだと思っていた。
つまり二日に百円の小遣いで、貸本を借りたり、ビールを飲んだりと、、
しかし、当時の物価から考えて、二日に百円もあれば、
「一日ラーメン二杯と豚汁ライス」が食べられたのではないかと思えた。
また同時期の別の歌だが「こがらしえれじい」の中でも、
♪♪屋台じゃ、やきそば20円、焼酎が25円で・・と、歌われる歌詞がある。
1970年当時、物価がそのくらいだとしたら、
「二日で百円」生活も無理ではないなと思えた。
この2012年、同じ生活をしようとしたら、
インスタントラーメンが安くて70円くらいだし、具を入れて100円、
豚汁ライスも、200円はかかるであろう。それで一日400円、
二日で800円だ。ひと月で12000円ほどかかる。
あと、安いアパートを借りて20000円。ガス・水道・電気と共同だとしても、
1500円くらいかかる。合わせて、33500円。
二日に百円の小遣いだとして、35000円。
ひと月に35000円あれば、世の中、明日があるのかな。
・・・・・・・・・
いや、今日は物価の話であった。
やきそばが25円だなんて、夢のようだな。
「セーターがくれたもの」'12.12/7
中学時代はほんと幸せだった。
新潟の柏崎市の実家にいた頃。
中学時代はほんとに幸せだった。
冬、あたたかいセーターを着て、
友達に家でコタツに入り、ギターを弾く。
フォークも弾き始め、レコードも集め始め、
ラジオも聴いて、部活動もやって。
憧れの人もいて。
良い三年間であった。
冬、セーターの向こうで、声変わりした友達が笑う。
授業中は、歌詞を書いて、帰宅したらギターでコードをつけて。。
そんな生活。
あれから40年。
上京してきたあとは、ホントに冬をあたたかく過ごしたことはない。
どこか寒い。すきま風も吹いている。
あの中学のときのようなポカポカ感がない。
・・・・・・・
まさか、あの中学のときのセーターが、
その後の僕まであたためてくれていたなんて、、
わからなかった。
「手帖」'12.12/5
そろそろ来年の手帖を買わないといけない時期になった。
手帖に予定などは書いてあるが、他のスペースは空いている。
そこに日々のいろんな出来事を書こうと決めては、
書き込んだりしていたが、すぐにそのことを忘れてしまう。
時々は思い出したように、書き込んでいる。
すぐにまた忘れる。
日々のの小さなことは記憶の向こうに行ってしまう。
また今日から、書き込んでみようと思う。
しかしまた忘れるであろう。
それが手帖なのかもしれない。
「ギター」'12.12/3
いろいろと思うことがある。
時代のこととか。
パソコンも進化するし。
生活にお金はかかるし。
いろいろと複雑になることも多いが、
ギターだけは、相変わらずシンプルで、
お金もかからないし、
(弦の交換はかかるが・・)
手を伸ばせば、そこにあるし、
新しい歌も作れるし、
ライブでも使うし、
いい音はするし、
それに何よりまして、
心のそばにいてくれるのが嬉しい。
無限大だし。
「歌詞のタッチ」'12.12/1
先日、ほんとに印象的な絵本を喫茶店で見た。
その絵は、豊かな線で描かれていて、見れば見るほど味わい深い。
大胆な線ではあるけれど、生命感に満ちていた。
哀しい出来事であるのに、絵の魅力に惹き付けられてしまう。
それは絵のタッチがすべてなのかな。
僕は歌詞を書いているけれど、歌詞にもタッチってあるのかな。
そのタッチを見ると、僕の歌詞だとわかるような。
絵にもいろいろあるけれど、僕もその歌詞のタッチに挑戦したい。
先日見た、あの絵本のように。
哀しみを歌詞のタッチでもう一度再生して表現したい。
絵のタッチならすぐに誰の絵かわかるが、歌詞のタッチは伝わるだろうか。
難しくても、それでも、それに挑戦したい。