青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」◆本編に戻る  ◆「エッセイ・インデックス最近の事」へ

「最近の事」過去ログ'12.8月〜'12.11月

「バスに乗った人」'12.11/29

 中野から江古田までバスに乗った。そして江古田から中野まで、夜に。

 先日のライブ音源を聞いていた。反省もあるが、良いテイクもあった。

 バスに乗って音源を聞くと、なんともじんわりと耳に入って来る。

 江古田から中野へ向かったとき、何人か乗っていたが、だんだんと降りて行って、

 最後には僕と運転手だけとなった。ごとごとごととバスはゆく。

 まるで人生を象徴しているかのように。それでもなんとも香ばしい時間であった。

 電車に乗っていたらなかなかこういうことはありえない。

 最後はひとりになるなんて、あたりまえのようではあるけれど、どうしてこうなんだろう。

 他のみんなはきっと通勤や生活の中でバスに乗っているのだ。僕はただバスに乗った人。

 どこでもない時間に乗ったようだ。


「それぞれの旅」'12.11/27

 先日のライブで、僕よりもずっと年上のミュージシャンの人に、

 良かったといわれた楽曲があった。

 何かを感じたのであろう。

 その楽曲にとっては、嬉しいことだろう。

 その歌は、僕にとってもお気に入りの歌ではある。

 もちろん他にもお気に入りの歌はある。

 その歌は当日、とても良いテイクで演奏されて、You Tubeの映像サイトに上がる予定だ。

 それを観た人がまた何かを感じてくれるであろう。

 その歌は、ずっと遠くまで飛んでゆく歌だと信じている。

 最近、他の僕の楽曲におされぎみであった。

 それぞれの楽曲にはそれぞれの旅が待っているのだろう。

 歌の兄弟たち。


「古い喫茶」'12.11/25

 その喫茶店はとても古く、とてもおしゃれに出来ている。

 全体的にウッド感にあふれ、灯りもこっている。

 オープンしてもう40年はたっているであろう。

 オープンするとき、そうとうに店のデザインにはこったと思われる。

 その店にかよって18年。店内はほとんど変わっていない。

 そうとうにレトロな感じになっている。

 それでも味わい深く珈琲を飲めるのは、店のデザインがしっかりしてるからであろう。

 これぞ純喫茶という感じだ。

 しかし実はいろんなものが壊れかけている。

 それでもデザインの方がそれに勝っているのだ。


「立ち喰いそば」'12.11/23

 仕事で通っている古い街がある。

 最近は駅前に新しいビルが建ち、印象も変わってきている。

 その街に通って一年半。ずっと思っていることがある。

 駅前に立ち喰いそば屋さんがないのだ。

 ハンバーガーや牛丼屋などはある。しかし立ち喰いそば屋がない。

 以前は必ずあったであろう。その街に限らず、他の街でも、

 駅前に立ち喰いそば屋さんがあったであろう。

 僕の住んでいる街でも、駅前からなくなった。

 江戸時代の人が、もし現代にやって来たならば、

 まず立ち喰いそば屋さんを探すであろう。

 それはほんの10年までは見つかっていた。

 それも今や消えてしまった。

 大事なものが消えてしまった。


「吹き替え」'12.11/21

 先日、大河ドラマ風の韓国のテレビドラマを銭湯で観た。

 観ていてびっくりしたのは、なんと言っても吹き替えのうまさだ。

 その口もとの感情そのままで日本語でしゃべっていた。

 字余りになることなく。

 どういうテクニックをつかっているのだろう。

 進化しているんだな。

 それとも達人がいるのか。


「雑草」'12.11/19

 今年は庭がドクダミで占領されたために、

 庭がドクダミのにおいでいっぱいなった。

 そして刈って刈って刈りまくり、除草剤もまき、

 土も掘り返し、何もはえていない状態に一度はなった。

 ドクダミは、それでも芽吹いてはいたのだが、

 根気良くまた、除草剤をまいた。

 何もはえてこないかなと思っていたら、

 細長い草が生えてきた、クローバーも生えてきた、

 今また庭を少しずつ、それが占領しつつある。

 他の草が生えてきて嬉しかった。 

 雑草であっても。除草剤よりみ強い雑草なのかな。

 とにかくまた庭が緑になりつつあるのは嬉しい。 


「ゆらめき」'12.11/17

 エリック・ファン・シュミットのアルバムを聴いた。

 生ギター中心のブルース風の楽曲のアルバムであった。

 もう20年以上前から持っているアルバムで、

 思い出したように、いつも聴いていた。

 生ギターによる演奏で、ブルース風でもなく、

 フォーク風でもなく、クラシック風でもなく、

 エリック・ファン・シュミットの楽曲が小さく演奏される。

 ほんの小さなギターの音量で。

 それは、まるでろうそくの炎のゆらめきのようであった。

 聴いていると完璧に思えてくる。

 実にみごとだ。

 それがどんなオーケストラの演奏やバンド演奏であっても、

 炎のゆらめきは、完璧だ。

 静かで、燃えている。


「珈琲」'12.11/15

 最初の珈琲は、当然のように、

 インスタントのネスカフェ・エクセラであった。

 例の、細かい濃い粉の珈琲。

 小学3年くらいのときかな。

 今、珈琲は飲んでいるが、ネスカフェ・エクセラではない。

 しかし、最初の頃も、高校の頃も、東京に出てきてからも、

 珈琲の飲み方は同じだ。

 苦い顔をして、、

 ふーっと深い息をする。

 これが珈琲だというように。

 ネスカフェ・エクセラもレギュラーコーヒーも、

 ちがうといえばちがうが、おなじといえばおなじ。

 小学生の僕も、おふくろも、珈琲を飲んだ。

 熱い黒い飲み物。

 それは珈琲以外の何ものでもなかった。


「記憶」'12.11/13

 先日は、寒いうえに雨となった。

 外仕事をしていると、懐かしい冬の記憶が体を包んだ。

 雪国生まれの僕には冬は寒かったが、あたたかさの記憶もある。

 セーターを着て、こたつに入って、ストーブがあって、手袋をして、、。

 中学校の頃、とても幸せだった。

 フォークプームがあり、友達の家に行ってギターを弾いて、、。

 唄も作って、部活動もして、発見であふれていた。

 セーターがあったかかったなぁ。

 外は雪であったけれど。

 僕の中の冬の記憶にはあたたかさがある。

 目の前にコタツと友達の着ていたセーターが見える。


「長め」'12.11/10

 いつも髪をカットしてもらうとき、

 ひと言「長めで」と、いうことが多い。

 それはあんまりだと言う人もいるかもしれないが、

 ほとんどそれで通じる。

 たとえばそれが「短めで」と言えば、

 普通より少し短めということだ。

 そのあと、ほとんどの人が、

 「前髪はどのへんまで?」ときく。

 僕は「まゆにかかるくらいで」と答える。

 それから「わきは?」ときく。

 「みみにかかるくらいで」と答える。

 それでオッケーだった。

 しかし、先日カットに行ったときは、それが通じなかった。

 「長めで」と言ったら

 「じゃあ、そろえるくらいですね」と言った。

 「もうちょっと切って欲しいんです」

 「では、1センチくらいですかね」

 「いや、もうちょっと・・」

 「では2センチ」

 「うーん前髪がまゆにかかるくらいで・・」

 「するとかなり切りますよ」

 「いいですよ」

 結果は、、そうとうに切られてしまった。

 僕の説明不足だったのか。

 いままでこの30年、大丈夫だったのになぁ。


「友達の歌」'12.11/7

 自主企画ライブの編集をしていると、

 自然に何度も友達の歌を聴くことになる。

 音源をまとめたりするときに、また何度も聞く。

 するとだんだんと憶えてくる。

 仕事の行き帰りに、作った友達のライブ音源をじっくりと聞く。

 じっくりと聞くのはなかなかによいものだ。

 いろいろな発見もある。

 歌も覚える。

 歌詞を映像に変換するのも楽しい。

 自分なりの歌絵本が出来上がる。

 内容もじっくりと聞く。

 友達のライブをじっくりと聞くのも良いものだ。


「自由な奴」'12.11/5

 先日のライブで、友達が「自由な奴」を歌った。

 ♪一日、ラーメン二杯と豚汁ライス 二日に百円もありゃ 世の中明日があるな・・

 高田渡さんのレコードに入っていた歌。

 もう30年も前から知っている歌であるが、先日は歌詞が実に沁みた。

 今日は一日、歌詞を思い出していた。

 一日かけるとけっこう思い出せるものだね。

 それでも、思い出せないフレーズがあり、さきほど確認したら

 想像以上に、それは良かった。実に奥深い。

 どんな歌詞だったら思い出せなかった。

 地球上のすべてを頭の中でめぐっても。

 実際の歌詞を聞いてみると、その歌詞がぴったりとはまっていた。

 やっぱり、その歌詞しかない。

 今日、歌詞を思い出しているとき、とても楽しかった。

 虫喰いだったところがうまっていった。

 ときおりふと思い出して。

 歌っていいな。つくづくそう思う。

 こうしてばらばらになったものをつなぎ合わせることができる。

 そして形になり、くちずさむ。

 僕は自由な奴なんだろうなぁ。


「家」'12.11/2

 仕事先の街を自転車で走っていると、

 交差点の信号待ちで、新築物件の看板が目に入った。

 3720万円なんて、とても僕には払えそうにないな。

 宝くじにでも当たらないとなぁ。

 僕は3720万円の家を建てることはできない。

 そんなお金がないからだ。

 あるといえば、作った歌くらいか。

 作った歌で、家を建てたいな。

 作った歌で家を建てられないものか。

 窓の歌、屋根の歌、玄関の歌 etc

 そしてこう言いたい。

 「僕の家にようこそ」と。


「三枚の板ガム」'12.10/31

 今回も無事、新曲が出来た。

 アイデアから、完成までひと月半。

 昨日ライブで唄ってみたら、ほぼイメージ通りであった。

 唄ってみるまで心配だったのだが。

 リズム探し、メロディー探しでひと月。

 歌詞作りは、無理して作らないように心がけた。

 歌い出しのフレーズだけを、ひと月かけて考えた。

 あと、メインのサビの繰り返しの歌詞も。

 一番の後半、二番、ブリッジ、三番と、

 ライブの二日前まで出来ていなかった。

 ・・・・・・・・

 イメージの街を行く。

 この歌の歌詞の板ガムをどこかで拾う。

 ぽわぽわと歩く、舗道をあるく、アーケードを行く。

 窓の手すりで一枚、ペンチで一枚、看板の横で一枚。。

 歌詞の板ガムは、もっと落ちていたかもしれないが、

 その三枚をポケットに家に帰る。そしてテーブルに並べる。

  誰が落としたんだろ。不明。

 その三枚の板ガムは、、。歌詞の味がする。

 ふわっとね。

 ・・・・・・・

 歌詞作りはいつも無理をしない。

 落ちている板ガムをひろいにゆくだけ。


「唄の握手」'12.10/29

 先日、日本のフォークの歌い始めと呼ばれるシンガーTさんのライブを初めて観に行った。

 そのシンガーさんのアルバムをどれだけ中学の頃、聞いたことか。

 ライブアルバムも出ていて、語りも含めて夜中の部屋で自分で再現したものだった。

 蛍光灯のスイッチの紐をマイク替わりにして。

 僕のレパートリーの多くはその人の持ち歌でもあった。

 実際に観る、その超ベテランシンガーさんは、唄と語りがひとつになったライブをしていた。

 しみじみと伝わってくる豊かな人間性。

 濃厚な一時間。あなたが語ってくれたことは、過去から未来へとつながっていた。

 「フォークシンガーは、超長距離ランナーですよ。」みたいなことを言った。

 あんたの歌い心のことは、ずっと忘れません。

 終わってから、ステージの横に座り、みなさんと雑談をしていた。

 「あら、ほんとにお久し振りです」の会話が続いていた。

 憧れでもある人なのだから、握手くらいしてもらおうかなと思った。

 たしかに握手は無限大ではあるけれど、僕は唄の握手がしたいと思った。

 だって唄からもらったものばかりだからね。


「傘のひとり移動」'12.10/27

 晴れてはいるが風のある秋の午後。

 仕事で下町の路地を歩いていた。

 後ろの方から、道をこするようなズズズッという音が聞こえ、 

 振り向いてみると、干されてある赤い傘が、

 道をすべりながらこちらに向かって来た。まるで生きているかのように。

 見れば自転車に何本か傘が干してあり、そのうちの一本が風が流れてきたのであろう。

 その赤い傘は脱出を試みたのであろうか。傘のひとり移動。

 しかし僕はその傘をひろいあげ、また元の自転車に柄をひっかけた。 

 逃亡失敗か。ごめんな。

 でも、ちゃんと憶えていますよ。君が道を歩いていった音を。


「ダウン記念日」'12.10/25

 もうすぐ11月である。

 ここ10年ほどは冬になると、ダウン風ジャケットを着ている。

 まだ着てはいないが、そのうちに着るであろう。

 その日は「ダウン記念日」。

 まだ早いかな、もういいかな、まだ早いかな、もういいかな、もういいな。

 初ダウンの日は、いつになるだろう。とても寒い朝であろう。

 誰も知らないかもしれないが、たしかな冬の始まり。

 「マフラー記念日」もある。

 「手袋記念日」も。


「歌はいつも」'12.10/23

 おもいがけないところに落ちている。


「向かう途中」'12.10/21

 ボブ・ディランのインタビューの出てくる映像を観た。

 その中でディランが

 「誰も今にとどまることはできない。つねにどこかに向かう途中だ。そう思えば楽になる」

 と、いうような主旨のことを言った。

 そのとおりだ。

 一休和尚が亡くなる前、弟子たちに、つらいときに読めと言った遺言状の言葉

 「なるようになる 心配するな」

 にも通じる。

 ディラン言葉で楽になった。状況は変わらないとしても。

 楽になるのは良いことだ。


「iPadドクター」'12.10/19

 小さめの下敷きのようなパソコン「iPad」。

 電車に乗っていると、iPadでインターネットを見ている人もいますね。

 最近は、病院でiPodを使っているお医者さんも多いときいた。

 医者は、大量の情報を記憶しているわけだけれど、

 やっぱりそれにも限界があるだろう。正確な判断をするためにも

 iPadが必用になるかもしれしない。

 もしかしたら、質問形式で進んでゆく医療ソフトで、

 医者の代わりにもなれるかもしれない。

 iPadドクター、もう実際にあるだろうなあ。

 質問が終わると検索、そこに病名が表示される。

 そんな時代がもう来ているのかな。

 区役所の市民サービスコーナーにも置かれるかもしれない。

 質問形式で進んでゆき、ただ指で押して答えればよい。

 パソコンが病気を判断してゆき、対処法なども教えてくれる。

 「すぐ病院に行ってください」と、出ることもあるだろう。

 その病院でもまた、、。


「もう起き茶いかが」'12.10/17

 ♪しずかな湖畔の森の影から

 「もう起き茶いかが?」と、かっこーが鳴く〜

 小学生の頃、輪唱でよく歌った、この歌。

 僕は歌うたびに「もう起き茶、いかが?」と、歌っていた。 

 そういうお茶があればいいなと。

 熱い一杯の「もう起き茶」を飲むと、みんなしっかり目が覚めてしまう。

 販売元はかっこー株式会社。

 毎朝、僕もそのお茶が欲しい。

 熱い目覚めの一杯。

 輪唱は、クラス全体でやることも多かった。

 僕は確信的に「もう起き茶いかが?」と、歌っていた。


「道祖神のように」'12.10/15

 今はもう歌をやっていないと言うシンガーさんたちも、

 お気に入りの歌も何曲かあったはず。

 情報誌のライブハウス欄に名前も載り、ファンの人もいて、

 いつもラストに歌ううたもあったであろう。

 もうすっかりライブから遠くなったとしても、

 やっぱり良い歌はききたいもの。

 必用な時、必用な人もいるはず。

 今では、インターネットの投稿動画サイトもあるので、

 ぜひ、映像でも音源でもアップして欲しいなと思う。

 久し振りに思い出した人が検索して、その動画が出てくると良いのにと思う。

 会いたいときに作品と歌に会えるように。

 「作品集の自主テープを作った」という人も多いだろう。

 その自主テープやCDアルバムを持っている人しか聴けない歌もあるだろう。

 それだと限られた人しか、歌がきけなくなってしまう。

 ひとやま、ふたやま越えないと、その歌に辿りつけない。

 いつでも、聞きたいとき会いたいときに、そこにあって欲しいと思う。

 道の道祖神のように。


「がんこ者のペーソス」'12.10/13

 22歳の頃に知り合った若いシンガーさん。

 どうしているかなと思って動画サイトで探してみた。

 彼は当時からギターが上手く、

 日本の弾き語りフォークの流れを継承していた。

 僕も中学・高校と、同じように日本のフォークを聞いてきたので、

 当時の僕の作品にも通じるものがあり、よく話をしたものだった。

 あれから30年。彼はいよいよもって、日本の弾き語りフォークを極めてきたようだ。

 がんこな親父のやっている喫茶店の一杯の珈琲のように。

 ああ、30年。

 僕らはちがう道を行った。

 彼の憧れは、弾き語りフォークの大御所のページに載ることのようだ。

 まあ、音楽というくらいだから、好きな楽しいことを続けるのが一番。

 世の中には、一杯のしょうゆラーメンにこだわるラーメン屋もいるだろう。

 彼の歌には、そんながんこ者のペーソスがある。

 でも、やっぱり30年。

 ある程度、自分の歌も出来上がり、これぞ自分というスタイルもあるだろう。

 君はがんこ親父になりたいのだね。

 ああ、なんて人生って、やっかいなんだろう。

 みんな憧れに向かって一直線だ。


「若い頃」'12.10/11

 若い頃、よく飲みに出かけた。

 欲しい物はほとんど悩まずに買った。

 どこかに旅行も出かけたし、何十万もするギターも買えた。

 家賃が安かったというせいもあるだろう。

 最初の10年は、一万二万円代のアパートだった。

 使うだけ使っても、一年で70万はたまった。

 本もレコードもよく買った。海外旅行にも行った。

 そんなにお給料はもらったいたわけではないのだが。

 そのままでいけるかなと思っていたら、ちがった。

 どんどん生活が豊かになると思ったいたら、ちがった。

 今は節約の毎日である。税金もなんだが高い。

 CD一枚買うのも必死だ。飲みに行くのも、ぜいたくに入る。

 おかしいなぁ。と、首をひねってみる。


「新しい店」'12.10/9

 東京、高円寺に25年ほど住んでいるのだが、

 新しい店がオーブン続々とオープンしている。

 何の店になるのかなぁと思うと、

 「焼肉屋」だったり「焼き鳥屋」だったりすることが多い。

 商店街を歩いてみても、焼肉屋と焼き鳥屋の数が多い。

 それなのにまたオープンするなんて。。

 勝算がよほどあるのであろう。

 それにしてもみんな、焼き鳥屋、焼肉屋に行く確率が高いのであろうか。

 僕なんかはもう10年以上行っていないな。

 でも、若い頃はよく焼き鳥屋に飲みに行った。

 それにしてもお店の数が多いよ。

 どの商店街でも、このくらいの焼き鳥屋、焼肉屋があるのであろうか。

 僕が不思議なのは、それでもまた店をオープンする人たちだ。

 (すでに入っているお客さんたちをつかまえるということも言えるが)

 よほど自信があるのであろう。

 そのへんのことを、直接、尋ねてみたい。


「消える新曲」'12.10/7

 先日のこと、新曲のアイデアが同時にふたつ浮かび、

 ひとつのことをメモしている間に、もうひとつのアイデアを忘れてしまった。

 もしかしたら忘れたかなと思ったが、本当に忘れてしまった。

 一度、忘れたら、思い出すきっかけはほとんどない。

 その夜、駅に急いで向かう途中、別の新曲のアイデアが浮かんだ。

 そのときは急いでいたので、忘れないように二回も口に出して復唱した。

 だが、駅についたときにはすっかり忘れていた。

 一日のうちに、二回も新曲のアイデアを失うなんて、、

 生まれるべき歌を、二曲なくしてしまったのかもしれない。

 以前から、それはよくあること。新曲のアイデアはひらめきで、

 そのひらめきは、ふつうは思いつかないこと。

 きっかけを忘れてしまうと、どうにも思い出せなくなってしまう。

 復唱をしたとしても、それは幻の黒板に書いた文字のよう。 

 できるだけ、新曲のアイデアがひらめいたときは、

 確実に文字にするようにしている。

 新曲のアイデアを忘れたとき、ほんとにくやしいのだ。ほんとうに。


「世界とギター」'12.10/2

 中学の頃にギターを弾き始めた。

 あの頃は、どんなにも弾きたい歌が無限にあったし、

 ギターは弾いても弾いても、弾き足りなかった。

 15000円のギターも弾いていた。

 今使っているギターの20分の1の値段である。

 それでもジャラーンと鳴らせば、深い音がした。

 響きが良かった。今とはちがう音の広さがある。

 それは、心の差なのかもしれない。

 今の僕は、仕事のことやスケジュールのことやお金のことで、

 あれこれ考えることが多いけれど、

 中学の頃の僕は、ほとんど「無限大」ち近い未来や明日や今日があった。

 15000円のギターでも、ひろびろとした音がしていたのだ。


「アメリカンギターズ」'12.10/2

 1990年代にテレビで深夜でやっていた、

 「アメリカンギターズ」という番組。

 マーチン・ギブソン・ギルド・フェンダー etc と、いろんなメーカーを訪ね、

 話しをきき、使用ミュージシャンにもインタビューをするという内容。

 今回、機会があり、当時見落とした回なども、いっきに観るが出来た。

 マニアックな内容でもあるけれど、やっぱりどこか人生と似ている。

 何でもそうではあるけれど。

 とても観たかったギルドギターの回も観た。想像とはちがったけれど、

 放送からまた20年。それからのギルドギターの旅は、また物語となっているだろう。

 旅は続くね。

 日本のギターも、訪ねてみるといいのに。「ジャパニーズギターズ」というタイトルで。

 いろんな深い話もきけたであろう。

 「アメリカンギターズ」のシリーズがまた復活しないかなと願う。


「部屋の中に」'12.9/30

 大きなCD棚と詩集を集めた本棚がある。

 そこには、多くのミュージシャンや詩人の魂の記録がある。

 日々いろんな本や音源を探してはいるけれど、

 本当は、この二つの棚で十分なのかもしれない。

 ほんの1メートル、手の届くところにある棚。

 魂の塊、命の軌跡。

 探しものなら、もうそこにある。

 底なしのタイムトンネルのように。


「世界の80パーセント」'12.9/28

 外国にいるわけでもないのに、

 どこか外国にいるような。

 ナイフとフォークを持って、イタリアンを食べる。

 耳に聞こえてくるのは、ジャズ風の歌。

 どの席からも、不平不満のような会話が聞こえる。

 それでも耳を澄ましてみれば、僕の中のメロディーがある。

 世界の80パーセントは、自分の内側で出来ているのだろう。

 その音に、耳を傾けよ。

 心平安にせよ。


「フレーズ作り」'12.9/26

 新しい歌は、すっと出来るときもあるけれど、

 フレーズ探しをすることも多い。

 これでもか、これでもかというほど、フレーズを作る。

 基本となるフレーズが出来たら、それを広げてゆく。

 新曲のアイデアのないときも、ギターを触れば、

 ずっとフレーズ作りをしている。

 良いフレーズが出来たときは録音しておく。

 若い頃、弾き語りで唄っていた人が、数年に一度の新曲を作ったりするけれど、

 ライブで聞いていると、どこかで聞いた名曲のようなメロディーなことが多い。

 やっぱり作るときに気負ってしまうのかな。

 もったいない、もったいない。。

 せっかくの新曲なのにな。

 新曲がなかなか出来なくても、フレーズ作りをするといいのにな。

 新しい曲のために。


「レット・イット・ビー」'12.9/23

 ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー〜ネイキッド」を借りて聞いた。

 そこに収録されている「レット・イット・ビー」は、普段良く耳にしている音源とは

 少しちがうものであった。(少しちがうというか、これがもともとの音源なのだが・・)

 調べてみると、レット・イット・ビーには、他にも

 シングルヴァージョンアルバムヴァ−ジョンもあることがわかった。

 僕がよく知っているのはアルバムヴァージョンの音源。

 ちがいはいろいろあるのだれど、途中で入るジョージ・ハリスンのリードギターがあきらかにちがう。

 シングル音源、アルバム音源と、リードギターをオーバーダビングしたのだという。

 いろんな意見はあると思うが、個人的にはやっぱりアルバムヴァージョンのリードギターが曲と合っていると思う。

 もっと言えば、レット・イット・ビーの演奏は、このジョージのリードギターで完成されたのではと思う。

 うまくバランスがとれている。

 レット・イット・ビーの楽曲は、賛美歌風であるけれど、この2012年になっても新鮮であるのは、

 途中で入るジョージのリードギターが、ロックを感じさせているからだと思う。

 あのジョージのリードギターのアルバムヴァージョンがあったから、

 レット・イット・ビーは、ここまで広く伝わったのではないかと思う。

 もっと言えば、レット・イット・ビーの楽曲の理解は、ジョージのリードギターの響きそのものではないかと。

 僕はそんなにビートルズファンというわけではないので、

 本当のファンの方々は、またいろんな意見があると思う。ネイキッドが一番という人も多いだろう。

 いろんな意見をきいてみたい。


「音楽ワンダー」'12.9/21

 僕が洋楽を聴き始めたのは、

 小学三年になったときだった。

 五つちがいの兄が洋楽シングルを集めていたせいもあった。

 1969年から1971年のこと。

 そのうち、兄はおもいきって洋楽のLPレコードを買った。

 ビートルズの「レット・イット・ピー」。

 LPレコードをどう楽しんでいいかわからないまま、

 ただ毎日、繰り返して「レット・イット・ビー」のLPを聞いた。

 聞いたことがある人ならわかると思うが、 

 スタジオライブ録音(ビルの屋上でもあるが)のアルバムで、

 いろんなトークも入っていて、遊び心のある録音であった。

 曲順も良かった。聞いている僕にはワンダーな一枚だった。

 次々と、ちがうタイプの曲が演奏され、あきることがなかった。

 ラストが「ゲッドバック」という曲なのも良かった。

 ラストといったら、ほたるのひかり系の印象をもっていた。

 何度聴いてもあきさせないものを持っていた。

 ひとつのアルバムがくれたもの。

 音楽ワンダー。


「ギターが友達」'12.9/19

 少し気温が少し下がると、

 ギターのチューニングが少し上がる。

 気温に合わせてネックが反応しているのだ。

 湿気によっても、音の響きが変わってくる。

 だからギターは僕にとって温度計、湿度計の代わり。

 ギターを弾いていると自分の体の調子もわかってくる。

 だからギターは僕にとって保険室のよう。

 自分が眠いのもわかる。どんな気分なのかも教えてくれる。

 だからギターは僕にとってよき相談相手。

 聞きたい音楽はなんでも演奏できる。

 だからギターは僕にとってラジオの代わり。

 少し落ち込んでいるとき、ギターを弾くとだんだんと元気になってくる。

 だからギターは友達。

 僕の想っていることをメロディーや歌にしてくれる。

 僕の古いことや未来のことも覗くことが出来る。

 ギターは万能マシン。

 僕が調子悪いとき、どこが悪いのか教えてくれ、

 メロディーとリズム療法をほどこしてくれる。

 ギターは最高の名医。僕にとって。


「You Tubeタイムマシン」'12.9/17

 昨日は、動画サイトYouTubeをいろいろ観ていた。

 1973年頃に聞いていた唄、74年頃、75年頃、、。

 歌謡番組で、数回聞いて、サビが印象的だった唄や、

 ラジオのCMでよく聞いていた唄とか、

 関連動画でいろいろ追っていった。

 まるでタイムマシンのように。

 記憶のカケラがよみがえってきた。

 長い間、鼻唄で唄ってきたものと出会えた。

 アグネスチャンの「アゲイン」とか、、

 高木麻早の「思い出が多すぎて」とか、

 まるまる一曲聞くことが出来た。

 ちょっとタイムマシンに乗るかな。 


「完全に合っていると」'12.9/15

 先日、聞いた弾き語りのアルバムは、

 チューニングが完璧であった。

 それがなんとも気持ち悪かったのだ。

 もう少しだけ、土の香りがするとよいのだが。

 僕の持っているギターは、どうしても完璧なチューニングにはならないので、

 ぶわんとした響きにはなる。それはもうしかたがないけれど、

 聞き慣れた感じではある。

 古いフォークや弾き語りのアルバムだって、ある程度はチューニングが合っている。

 しかしそのギターメーカーなりの個性のある響きが出ているのが普通だった。

 それにしても、あのアルバムのギターはチューニングが完璧だった。

 それがなんとも気持ち悪かった。合っているのだけどね。

 悪気なんてないのだろうが。

 僕のギターはぜったいにあんなふうには合わない。

 最近のギターは合うかもしれないな。

 チューニングメーターとかあるし。

 ついついレコーディングだと完璧に合わせてしまうのかもしれない。

 僕もついつい。


「個性楽器」'12.9/13

 '70年代のアメリカのアルバムを聴いていた。

 普段は弾き語りシンガーなのだが、ロックバンドの味付けがされているアルバム。

 似たような楽曲なのだが、いろんな楽器を使い個性を出している。

 二曲目にドブロギターが参加しているのだけれど、これが実に良い味を出している。

 あまりにはまっていて、その楽曲はドブロギターが入らないと、

 ここまでの個性は出るだろうかと思う。

 その曲には、生ギター、ベース、ドラム、シンセと入っているのだが、

 なんと言ってもドブロギターが強烈に耳に残る。

 ひとつの個性的な楽器がその楽曲をささえている。

 同じようなことは、ペダルスチールギター、マンドリン、バイオリンでも、

 起こるだろう。

 そのアルバムにはドブロギターが一曲のみつかわれているが、

 続けて使っていたら、これほどの個性は出なかったと思う。

 ひとつの楽器がバンド全体の音を、ガラリと変えている。

 印象的にサウンドを作る。

 個性楽器にはそんな力があると思う。


「パニック」'12.9/11

 昨日は仕事で失敗して、なんだかパニックになってしまった。

 落ち着いて考えれば、すぐにわかることなのだが、

 あせっていると、それが出来ない。

 まちがったものから出したものを、訂正しないで、また出してしまう。

 いつも十分に落ち着いているつもりなのだが、いっときをあらそうと、

 やっぱりあせってしまう。

 誰かそばにいたら、客観的に見てくれたであろうに。

 何百回と見ているものなのに、ひとつくずれると、

 それで正しいかわからなくなる。

 普段絶対にまちがわないものをまちがう。

 まず落ち着くことが大切だ。


「食事の時間」'12.9/9

 いつも部屋では食事の時間に音楽をかけている。

 ほんのかすかな音で。

 今日かけたアルバムは、イギリスの弾き語りの女性シンガーであったが、

 ちょうど食事が終わる頃に、アルバムも終わった。

 なんとも素晴らしい。

 食事と音楽アルバムのコラボレーションである。

 40分もないくらいのアルバムであった。

 いつも短いなぁと思っていたが、ちょうど食事の時間であった。

 こういうことはあまりのない。

 食事と音楽アルバム、たいがいはアルバムの時間の方が長い。

 食事とは無関係なものだと思えていた。

 しかし、ぴったり一緒に終わると、確かに聞いていたと実感できた。


「音・一枚」'12.9/7

 最近、出かけに音楽アルバムを一枚選び、

 仕事場への行き帰りに聞いている。

 二時間はるあので、アルバムを二回は聴ける。

 二回きけば、けっこう十分にたっぷりと聞いたように思う。

 行きと帰りで一回ずつ。

 毎日、どのアルバムを持って行こうかなと棚から選ぶ。

 その時間が楽しい。

 久し振りのアルバムも選ぶ。

 懐かしい再会のようだ。

 ここ最近、一日が充実している。


「ライブ音源」'12.9/5

 先日の自分のライブ音源をここ数日聞いている。

 どの曲も、演奏と歌に荒々しさはあるものの、

 とても良かったので、音源として残そうかなと思っている。

 ライブ全体として、良い出来だったのだ。

 僕らしさが十分に出ていた。

 それが大事だ。

 歌詞のまちがいや演奏のまちがいはない。

 ただ荒々しいのだ。でも、逆にそれが歌をひきたてている。

 もし僕がピアノ弾きで、

 その日のライブがクラシックの有名ピアノ曲ばかりであったら、

 それぞれの作曲家のファンのみなさんは、怒っているかな。

 でも、何か伝わるものがあるかもしれない。 

 その何かが、演奏をそうさせたのだ。


「ほぼ完璧」'12.9/3

 ボリビアのフォルクローレのアルバムを久し振りに聞いた。

 そのアルバムは、土着的なサウンドで、まるで100年ほど前の音のようであった。

 曲のタイトルは、春・夏・秋・冬と分かれていて、

 アルバム一枚で、一年分が楽しめるというものだった。

 春から始まり夏そして、秋、冬。

 たった45分のアルバムの中に入っている一年。

 ほぼ完璧である。

 アルバムが回り、ながてはしゅーっと止まり消える。

 それもほぼ完璧である。

 45分間という長さも良い。 

 くるくるくると回り、そのまま空中にとけてゆくようだ。


「歌の後輩たち、先輩たち」'12.9/1

 中学の頃、僕は初めから卓球部にいて、もーれつにいつも練習をしていた。

 僕の中学は卓球が強く、どうしても地区大会では、優勝か準優勝になっていた。

 個人戦でも強い先輩がいた。

 僕が中一の頃、レギュラーは主に三年生、そして二年生の強い先輩が入った。

 補欠は、二年生。見学や応援は一年生であった。

 それはどこの中学でも同じであったろう。ずば抜けて強い一・二年がいれば別だが。

 地区大会、県大会などで応援をするとき、補欠ベンチの向こうに、やっぱり、

 僕らと同じように補欠の選手が見える。目と目が合う。

 来年、再来年には、僕らは本選手として戦うのだ。

 中学の頃の一年、二年はホントに長く、めきめきと実力がついてゆく。

 ・・・・・・・・

 僕らが補欠だった頃、先輩にはもちろん負けていたが、

 僕らの中学の卓球部は僕らがひっぱってゆかねばならないとわかっていた。

 僕らもまた強くなるなんて保証はひとつもなかったが、

 僕らは、先輩たちに負けないくらいに強くなり、相手チームと戦った。

 相手チームもみんな強くなっていた。

 そして僕らに後輩が出来た頃、その後輩も、やっぱり強くなるだろうか心配だった。

 しかし、もうそれは後輩に任せるしかない。

 そして後輩はそれなりにやっぱり強くなっていった。

 ・・・・・・・・

 さて、やっと今日の本題の歌の話。

 先日、僕は新曲を作った。それはまだ出来たばかりで貧弱である。

 二ヶ月前に作った新しい歌も、出来たときは貧弱であったが、

 ここ最近、だんだんと見えてきて、ある予感もしてきた。

 また二ヶ月後には新しい歌を作る予定。どんな歌かはわからないが、

 たぶん生まれたときは、先の見えない歌であろう。

 しかし、それらの歌もやがては、メインソングになるときが来る。

 歌の後輩たち。先輩たちがどんなに活躍していたって、心配するな。

 どんどん実力をつけよ。僕をひっぱってゆけ。


「柱時計」'12.8/30

 この二週間ほど、柱時計がよく止まるようになった。

 昭和40年代と思われる柱時計。

 我が家に来てから、もう25年ほど。

 ずっと調子良く動いていたのに、よく止まるようになった。

 三日おき、やがては一日おきに。。

 いよいよ修理かなと思って、阿佐ヶ谷の古い時計店に行って、

 柱時計が直せるかきいてみた。

 「ごめん、できないんだよねー」と、あっさり。。

 あんなにあっさりと答えなくてもいいのに。

 するとどうえだろう、その日からまた

 柱時計は止まらなくなったのだ。

 何かに気が付いたのかもしれない。根性を出したのかな。

 柱時計も長いこと時を刻んでいると、

 人の会話や雰囲気がわかるようになるのかもしれない。


「音楽になっていたとき」'12.8/28

 ふとしたことで、小学4年のときによく聞いていた歌をきいた。

 「PYG」の『花 太陽 雨』。

 少し大きめな部屋で、ステレオセットで何度も聞いた。

 まだ小学生だったので歌詞の意味がよくつかめなかった。

 イメージだけで聞いていた。

 今、その『花 太陽 雨』の楽曲を聴いていると、

 あの部屋のことがよく思い出せる。夏休みだったかな。

 とても暑い部屋でこの歌を何度もきいた。

 蝉の鳴き声も聞こえてくる。

 部屋にあったものもリアルに見えてくる。

 まるで自分があの部屋になったように。

 まるで自分が音楽になったように。


「かぐや姫フォーエバー」'12.8/26

 そういうタイトルの二枚組のレコードが出ていた。

 フォークグループかぐや姫の解散合わせたベストアルバムであった。

 高校を卒業して僕がレコード店に勤めた1980年でも、また売れていた。

 ダイナミックなタイトルだなぁと思った印象がある。

 先日、2006年開催された吉田拓郎・かぐや姫「つま恋」ライブの映像を観ていた。

 数々のかぐや姫のヒットナンバーを唄っていた。

 南こうせつさんの作る楽曲は、気分が昂揚してくる楽曲が多い。

 「うちのお父さん」「ひとりきり」他

 唄っている本人も、だんだんと盛り上がってくる。

 ビデオの映像を観ていて、これらの唄は、どこからやって来たのかなと思えた。

 2000人とか2万人とか3万人の前で、歌うことをイメージして作ったようにも思えた。

 僕自身、唄を作ってはいるけれど、なかなかあのテンションにまで行けない。

 同じ楽曲を自分が唄っても、あんなふうには歌えないであろう。

 あれはやっぱり、こうせつさんが唄って、ひとつの形になるのかな。

 今で言えば地味なフォークのひとつのアルバムであるかもしれない。

 でも、空に近い、キラキラとする澄んだ空気がそこから感じられる。


「日本の音楽」'12.8/24

 最近、タイ料理の店やインド料理店に入ることが多く、

 その音楽の個性の強さ驚いている。

 特にインド音楽は、どんなメロディーであれ、サウンドがインドだ。

 聞きながらふと思ったのだが、日本の音楽は、どれだけの個性があるのであろう。

 日本語だから、すぐに日本の唄とわかるというのとはちがう。

 これが日本のサウンドだと言えるもの。

 沖縄音楽ならばすぐにわかるのだが。

 民謡か、演歌か、フォークサウンドか、歌謡曲か。。

 堂々とこれが日本のサウンドだと言えるものが見つからない。

 楽器がないからか。

 僕らは本気でそれを考ええねばならないのかもしれない。

 いままでおろそかにしてきた。

 外国の人がきいて、これは日本のサウンドですと言えるものを、

 まずきいて行かないと。

 日本に住んでいる外国のみなさん、

 日本のサウンドって、どんなのですかー??


「マラソン」'12.8/21

 古い自分のソングブックを開き、いろいろと歌ってみた。

 自分の歌もあるが、友達の歌もある。あまり知られていない

 シンガーの歌もある。

 あのシンガーさんたちは、今は歌っていないのだろうか。

 こんなに良い楽曲を作るになぁ。

 また歌い出すこともあるだろうが、歌作りをやめてしまうなんて、

 なんてもったいないこと。

 今の僕には、ときおり思い出したようにそれらの歌をうたいことくらいしかできない。

 マラソン。

 傍らで休んでいる人もいる。

 後ろのどのくらいかのところで走っている人たちは、見えない。

 途中、棄権した選手もいる。そのまま家に着いている人もいる。

 飲みに出かけた人もいる。

 そんなみんなのこと、ひとりひとりを想い出すには無理がある。

 自分だって走ることで精一杯だし、そうそう振り返ってもいられない。

 長い長いマラソン。

 何かするにも限界がある。


「クーッ」'12.8/19

 最近、暑いせいか、どんな冷たい飲み物を飲んでも、

 キューンと来る。ポカリスエットは、とくに美味しい。

 麦茶も美味しい。ジュースも美味しい。サイダーも美味しい。

 冷たい水も美味しい。

 体がそれを求めているのかな。

 まるで砂漠で水分をとっているかのようだ。

 こんなふうにいろんなことを感じにれたらいいのになと思う。

 街を歩いても、音楽を聴いても、沁みるように。

 美味しい水分をひと口飲むと、頭の中がくらくらする。

 クーッ、、

 自分がどうしちゃったのかと思う。

 何を飲んでもうまいだなんて。。


「遠くまで響く心」'12.8/16

 駅のホームに立っていると、沖縄の三線の音がどこからか聞こえてきた。

 それはけっこう遠いように思われた。

 音を探してみると、一人がビルの屋上で練習していのが見えた。

 マイクもないのに、よくここまで音が届くものだ。

 以前より三線はよく音が通ると思っていたけれど、想像以上であった。

 目立つ音なのかな。

 三線に限らず、沖縄のリズムや食べ物、言葉も含めて、遠くまで届くようではないか。

 個性が強いというか。強い自分があるというか。

 忘れられないというか。

 風土というものもあるだろう。

 とにかくそれが、遠くまですっきりと届くもののようだ。


「蝉天気予報」'12.8/15

 昨日は雨が止みそうで止まなかった。

 もうそろそろ上がるかなと思っていら、

 蝉たちもいっせいに鳴き出していた。

 蝉が本格的に鳴き出したら、

 雨がもう上がるということではないか。

 蝉は必死である。生きていられる一週間にかけているので、

 もしかしら先の天気までわかるのではないか。すごい集中で。

 僕らよりも、何十倍も必死なので、未来のことがわかるんですよ。

 蝉が鳴き始めたら、雨は上がる。

 蝉天気予報については、あまり研究はされていないだろう。

 データを集めれば、何かわかるかもしれない。


「三回」'12.8/13

 30年前に買ったアルバムがある。

 フォークの大御所の、それもまた10年前のバンドライブ録音ものである。

 買った当時は、そのサウンドがどうにもなじめず、

 何度か聞いてそのままにしてしまってた。

 70年代最初のあのどくとくのバンドサウンド。

 弾きまくるギターに、踊るようなベース。

 30年振りにそのレコードをきいてみたら、

 自分が大人になったのか、なんとかそのサウンドもきけた。

 一回・二回・三回と聞いてみると、楽曲の良さがわかってきた。

 それにしても全曲、同じようなバンドサウンドである。

 当時はこれでもよかった。

 もうしばらく聞いてみて、メロディーを自分のものにしようと思う。

 そして自分の中のサウンドを見つけてみたい。

 三回聞くと、伝わってくる。


「柱時計」'12.8/11

 もう25年ほど使っている古い柱時計が、止まるようになった。

 作られたのは46年前の柱時計。

 この25年、まったく故障無しで来たのに。

 ネジを巻いたばかりなのに、数日で止まってしまう。

 原因は不明。もしかしたら家が傾いているのかな。

 数ヶ月前に、ちょっとおもりの調整をした。それが原因か。

 まあ、しばらく使ってみるけれど。。

 もう引退なのか。。

 時計なら他にもあるので、引退させても良いのだけれど、

 なんだか、僕の時間が止まってしまうな気がしてならない。

 どんなときも部屋にあったからね。

 修理するか。。どうにか自然に直らないものかな。

 柱時計なんていう、そういう時代じゃないからとか言わないで欲しい。

 柱時計だって、今を生きているのだ。


「おふたりさん」'12.8/9

 近くの銭湯に時々来る、話し好きのおふたりさんがいる。

 40歳代の男性のおふたりさん。

 脱衣所で、ある時は、食べ物の話をしていた。

 何かの食べ方についてであったが、

 ありったけの知識をふたりで言っていた。

 「しょうゆをちょっとたらして、しょうがをのせると美味いよ」

 「そこにみりんを加えるともっと美味いよ」

 「でもね、やっぱりごはんが命だよ」

 こんな調子だ。最初は言い合いでもしているかと思ったが、

 とにかくふたりとも、負けん気だけは強いらしい。

 また後日会ったとき、指のささくれの話をしていた。

 「おれなんて、ささくれがひどいから、ひと冬、あきらめちゃうね」

 「あんたの言うささくれと、おれの言うささくれとは、レベルがちがうんだよ」

 「まお湯につけてね・・」

 「ほうたいなんて、しないほうが・・」

 こんな調子でまた会話が続いてゆく。

 ふたりとも知識は豊富なことはよくわかる。

 しかし、なぜにあそこまでお互いを張り合うのか。

 仲がいいのかな。

 また脱衣所でおふたりさんに会うのを楽しみにしている。

 今度はどんな話題であろうか。


「卓球」'12.8/7 

 ロンドンオリンピックで、女子卓球の団体の決勝進出が決まった。 

 これはほんとに素晴らしい。

 これは団体戦の話だが、卓球の個人戦でメダルを取るなんて、想像を超えた出来事だ。

 世界中で、ベスト4に入るだけでも驚く。

 ・・・・・・・

 僕が中学の卓球部に入っていたのは、1973年から1975年までのこと。

 当時、中国と言えば丸形のペンホルダーの速攻。

 ヨーロッパ選手は、シェークハンドのドライブマン。カットマンもいた。

 日本の選手は、細長のペンホルダー選手と

 シェークハンドの選手が半々くらい。

 速攻もドライブもカットもする「オールラウンドプレーヤー」もいた。

 僕はそのオールラウンドプレーヤーであった。

 中国の選手も強かったが、ヨーロッパの選手も強かった。

 ペンホルダーの中国の選手が速攻で打ち、

 シェークハンドのヨーロッパ選手が、技で打ち返す。

 そんな時代もありました。

 今は、中国の選手も日本の選手もヨーロッパの選手もほぼみんな、

 シェークハンドのラケットである。

 シェークハンドのプレーヤーと言ったら、ヨーロッパ選手だったのにな。

 なんだか、ちょっと淋しいわけです。


「世界の民族音楽ビデオ」'12.8/5

 世界の民族音楽のビデオシリーズをずって集めていたが、

 やっと完成した。DVDにも焼いてチャプターも付け、自分なりに見やすくストックした。

 32巻。長い旅であった。

 15年ほど前、世界の民族音楽のビデオシリーズを集めたのだが、途中で気力が折れてしまった。

 そして最近また、集め出したのだ。

 映像を観ると、やっぱりとても貴重だとわかる。そして見応えもある。

 なかなか部屋で観る機会はないのもわかる。棚の飾り物になるのもわかる。

 それでも今集めて置かないと、いずれは集められなくなってしまう。

 僕の部屋にそろっていることが、いずれは役立つときが来るだろう。

 一応、ひととおりそろった。しばらくは、棚で眠ることだろう。

 僕の部屋に来た人は、きっとびっくりするだろう。

 観たい映像があれば一緒に観たい。


「どくだみ荘」'12.8/3

 ここはアパートの一階で、外に小さな庭があるのだが、

 今年はやけに草がはえているなと思っていた。

 ふと気が付けば、庭は「どくだみ」でおおわれていた。

 「どくだみ」は根でひろがってゆくという。

 住んでいる三号室・四号室まで「どくだみ」がひろがっていっては大変だと、

 除草剤をまき、土をほりおこし、今は何もはえていない。

 だが、たたかいはまだまだこれからだと思っている。

 ・・・・・・・・・

 それでふと思い出したのが「独身アパート・どくだみ荘」の漫画だ。

 どうしても読んでみたくなって、古本屋を回っているが、

 いまだに一冊も見つかっていない。

 すぐに見つかると思ったのに。。

 もうそういう時代じゃなくなったのかね。

 なんだか寂しくなった。

 考えてみれば僕の漫画の知識は、1970年〜80年代で止まっている。

 それ以降だって、いろいろ出ているものね。

 時代は変わったのかね。


「ぽかりすえっと」'12.8/1

 最近は、夜、とても寝苦しい。

 ふと気が付けば、首のあたりに汗をいっぱいかいている。

 そして、ねぼけながら、ぽかりすえっとをコップで飲んだのだ。

 僕にはそれが天使の飲み物のように思えた。

 命の水のようにも思えた。

 なんともいえない不思議な味。 

 インドで寝込んだときに飲んだ、ヤシの実ジュースも美味かった。

 あれもほんとうに美味かった。

 コンビニエンスストアーに行く、

 そこに天使の飲み物が売っている。

「最近の事・過去ログ '12年4月〜'12年7月まで」

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