ラオス & カンボジア 紀行

12月21日(火) 晴

ルアンパバーン → ジャール平原

午前もルアンパバーンで観光。
かって王宮だった博物館に入って、ラオスの王朝時代の展示物を見学した。ラオスの歴史をよく知らないので、見学しても内容が分からなかった。
そして、プーシーという小高い丘に登って、ルアンパバーンの全景を眺めた。
ジャングルだらけの景色でベトナム戦争の映画みたい・・・「ランボー2」に出たような景色・・・。
そこに、機関銃の台座があったり、捕虜の収容所が残ったりして、なんとなく戦争の面影がでてきた。
スイカみたいな寺、色々な寺を見回って、古都ルアンパバーンの旅を満足しながらここを去った。

王宮とメコン川


プーシーの丘から眺めたルアンパバーン全景

15:00 ルアンパバーン → 15:30 シェンクアン(ラオス) (0:30) ラオス航空 QV33

小さなルアンパバーン空港で、プロペラ機に乗って、ジャール平原のあるシェンクアンへ向かった。
プロペラ機が古くて墜落しそうな気配がして少し怖かった。乗降ドアのそばの席に座っていたが、ドアに隙き間があって、上空を飛んでいる最中に隙き間から冷たい風が吹い込んでいて、寒かった。その原因で、後に思いがけない出来事が起きる・・・。

30分かかってシェンクアンに近づき、車窓から見ると、ベトナム戦争時の空爆の跡があちこち沢山残っていた。
シェンクアン空港に無事に着陸したら、何故か機体の下からガタガタと揺れていた。機体から降りて滑走路を見たらなんと砂利。なるほど砂利の上を走ったから揺れたわけだ。それにしても砂利の滑走路とは・・・。
シェンクアン空港の出口に客引きの人が沢山詰めよってきた。人柄が良さそうな人を選んでゲストハウス代と催促ツアー代を確認しながら泊まるところを決めた。

泊まるゲストハウスの担当者の車で空港からゲストハウスに向かう時に車窓で周りを眺めたら、あちこちに軍服を着ていた人が歩いていたり、戦争に使われるトラックが多く走っていたり。
「まるでベトナム戦争のようだ・・・」

シェンクアンの県都であるポーンサワンの街にあるゲストハウス(1泊15000K(900円))に荷物を下ろしてから、ゲストハウスの担当者の車でジャール平原へ行った。
ここには1500m級の高地で、気温10度位でとても寒い。
ジャール平原には、大きな石の壷が数々と転がっていて、誰が壷を作ったのか現在でも明らかになっていない不思議な所である。ジャール平原の数々の壷は、サイト1、2、3と分布されていて、今日は一番大きなサイト1を見学した。
私の体がすっぽり入れるような高さ2m級の大きな壷があちこちと転がっている・・・何の目的で作ったのか分からない・・・宇宙人が作ったのかな・・・神秘的な風景だった。
壷を見回る途中、私の体じゅうに、しびれがでてきた。そして両足が痛くなり、その上頭痛がした。
「気分が悪くなってきた。足が思うように動けず、歩きにくい。」
と私はWに叫んだ。Wは、
「もしかして高山病?」
と疑った。プロペラ機の中でドアの隙き間風に当たったせいで、高山病にかかったのか・・・。

ジャール平原  サイト1
頭痛がひどくなってきて気分が悪くなったので、ゲストハウスに戻って、日本かもってきた「熱さましシート」を額に貼ってすぐ寝床についた。夕食を食べないで、ゲストハウスに置いてあるミネラルウォーターを1杯飲んでから、ずっと寝こんだ。

夜中になって、突然腹が痛くなってきたので目覚めた。トイレに行ったら下痢・・・。高山病から起こる症状かと思ったとたん、Wが目覚ましてトイレへ。Wも腹の調子が悪くなり下痢・・・。
どうやらゲストハウスのミネラルウォーターに当たってしまったようだ・・・。
こんなに体調を崩してしまい、、、明日からの旅は大丈夫だろうか・・・。