歴史から学ぶ水俣病の教訓
重大な結果をもたらす前に、行政が「予防原則」を適用すべきチャンスが何回かあった。
@1950年から54年までに、魚類が浮いた時;この早期警告に耳を傾け、予防的措置で水俣湾の魚介類との接触を禁止すべきであった。
A 1953年に水俣病と判定される奇病が人に現れた時点;あるいは1956年に感染症ではなく何かしら重金属の中毒であることが分かった時点で、接触を断つべきであった。
B57年の熊本県の販売禁止案作成の際、断固、住民の健康を第一に考え、販売を禁止すべきであった(操業自粛)。
C59年の厚生省の大臣答申の際、回答を不満とし、再度申請し、禁止を行うべきであった。実際には1973年6月に魚介類の水銀暫定基準(総水銀0.4ppm、メチル水銀0.3ppm)が決まるまで、一度も、魚介類の捕獲・販売の禁止は無かった。