2.予防原則の原点;ドイツ (O‘Riordan,1998)
1959年;工場の大気汚染も、削減対策は健康被害理由 のみで、経済的に実行可能でなくてはならなかった。
1961年;ドイツ連邦の選挙に於いて、社民党(SPD)は 「ルール川の青い空」で勝利できなかった。
1969年;民主党( FDP )は非常に野心的な環境上の プログラムおよび「Vorsorge」の公約によって勝利した。
SPD/FDP連合政府によって「Vorsorge」の概念が進んだ。
ドイツ政府は、1972 年のストックホルム会議よって強く影響を受けた。