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2001年冬の新作映画メモ

『バーティカル・リミット』 『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

『シックス・デイ』 『オーロラの彼方へ』

『ホワット・ライズ・ビニース』 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

『アート・オブ・ウォー』 『ファイナル・デスティネーション』

『クリムゾン・リバー』 『ペイ・フォワード』 『回路』

『処刑人』 『アンブレイカブル』

『バーティカル・リミット』

 監督:マーティン・キャンベル
 出演:クリス・オドネル ロビン・タニー スコット・グレン ビル・パクストン

 タイムリミットは22時間。ノンストップ山岳アクション、正月映画第一弾で登場!

 かつて、登山家である父の指導で共に山登りの訓練を積んでいたピーター(クリス・オドネル)とアニー(ロビン・タニー)の兄妹。だが、訓練中の事故により墜落の危機に陥った二人は、父の犠牲によって生き長らえる。数年後、指示されたとは言え父の命綱を切ったピーターは山を離れカメラマンとなり、アニーは父の遺志を継いで登山家を目指していた。世界最高峰であるK2のアタック隊に参加するアニーに会いにベースキャンプを訪れたピーターは、そこで妹との間に出来た溝の深さを思い知らされる。登頂当日、スポンサーでもある登山家ボーン(ビル・パクストン)は、天候の悪化にも関わらず登頂を強行。結果、突発した雪崩によりアニーとボーン、トム(ニコラス・リー)の三人が山頂近くのクレバスに閉じ込められてしまう。生存の可能性のあるタイムリミット22時間以内に妹を救出すべく、ピーターは伝説の登山家ウィック(スコット・グレン)の助けを借り、決死の救助隊を編成した。雪壁を爆破するためのニトログリセリンをたずさえ、6人の命知らずが絶体絶命の死地に挑む!

 よくもまあ、こんな無茶なシチュエーションを設定したな、というのが第一印象。これでもかというぐらいトラブルの連続する展開は、かなり笑いを誘います。しかしこの無茶さを容認してしまえば、後は大いに楽しめます。

 冒頭、父の墜落死から幕を開けるのですが、このシーンが砂漠におっ立った断崖絶壁で展開され、後の雪山のシーンと対比しています。生死ぎりぎりの状況での命綱をめぐる父の選択、手を下す兄、「やめて」と懇願する妹、後の展開の重要な伏線となり、ストーリーの根幹をなすテーマの象徴的シーンでもあるこの冒頭、かなり気合いを入れて作り込んであります。

 なかなか演出のハッタリの加減がいい感じ。登山の途中、太陽熱によって温まったニトロが爆発してしまうシーンがあるのですが、そこに到るまでにニトロの危険さ、発火しやすさなどがきっちりとビジュアルで描かれ、効果的に盛り上げています。展開は実にお約束通りなのですが、しかしくるぞくるぞと思わされながらも、そろそろかな?と思っていたタイミングでは何も起こらず、一呼吸置いて微妙にずれたタイミングで大爆発! あくまで私見ですが、うまさを感じました。この演出におけるこちらの予想との微妙なズレが積み重なって、緊迫感を出しています。

 伏線によって、わかりやすいキャラクターながらも性格付けがきっちりなされているので、役者陣もそれぞれ好演しています。特に、かつて24時間でK2に単独登頂することに成功した伝説の登山家役のスコット・グレン、おいしいとこをたくさん取って大活躍です。同じく登山家であった妻をK2で失い、以後も一人その死骸を探し続けている寡黙な男、ある目的を胸に救助隊に参加する彼のキャラクターが、展開を支え荒唐無稽な展開に多少ながらもリアリティを与えています。クライマックスでピンチに駆け付ける彼、来るってわかってたんですがやっぱりかっこいいです。

 まあよくよく考えると、ラストにはちょいと突っ込みたくなりますけど、深くは考えないことにしましょう。山登りなんていう地味な題材にやたらとスピード感を付与してくれたこの作品、なかなか笑えるバカ大作です。とりあえず観て損はしません。

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『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

 監督:手塚昌明
 出演:田中美里 谷原章介 伊武雅刀 星由里子

 前作『ゴジラ2000』で復活を遂げたゴジラ、昨年に続いての新作です。

 1954年のゴジラ出現によって東京は壊滅。日本は首都機能を大阪に移転させ、政府を存続させていた。60年代の第二次ゴジラ襲来によって原子力発電の開発を中止せざるを得なくなった日本政府は、代替エネルギーの開発の道を模索。だが、96年に大阪に出現したゴジラは、プラズマ発電の研究所をも襲撃する。開発の道を断たれた日本政府は、最終兵器マイクロブラックホール砲<ディメンション・タイド>を完成させ、ゴジラを抹殺しようとする。だが、その実験途中に発生した時空の歪みから古代昆虫メガヌロンが出現。成虫メガニューラを経てゴジラのエネルギーを吸収し、超翔竜メガギラスへと進化を遂げる。再び東京を目指すゴジラと、メガギラス、そして人類の三つ巴の対決が幕を開けた!

 ゴジラと超兵器を開発した人類、そして突発的に来襲した怪獣の三つ巴の対決と言えばまっ先に思い出すのが、95年の『ゴジラVSスペースゴジラ』(以下『スペゴジ』)。そう、今回の『ゴジラ×メガギラス』『スペゴジ』のリメイク的色合いを強く帯びた作品です。

 ゴジラを倒す超兵器として完成したディメンション・タイドは、かつてのGフォースの対ゴジラ兵器モゲラ。超兵器完成と時を同じくして来襲したメガギラスは、宇宙より襲来しゴジラをも圧倒する超戦力を見せつけたスペースゴジラの役どころです。恩師を大阪でゴジラに殺された田中美里は、『スペゴジ』において親友をゴジラに大阪で殺された柄本明と設定がかぶってます。対ゴジラ作戦が進行する真っ最中に新たな怪獣が出現、両方ともどうにかしなきゃやばい状況に巻き込まれ、ゴジラを仇と狙う主人公はやきもきやきもき……。

 どうしてこんなにも設定が似通ってしまったかというと、脚本家が同じ柏原寛司だから……。ってシリーズ再開してまだ2作目なのにこんな同じような話やってどうする! しかもたった6年やそこら前の話やぞ!

 まあ同じような設定と言っても、全く同じってわけではありません。ゴジラ以上の戦闘力を備えたスペースゴジラを倒すため、ゴジラとモゲラが共同戦線を張った『スペゴジ』に対し、今作はどちらかというとディメンション・タイドがメイン、メガギラスはブラックホール発射まで上映時間を保たせるためのつなぎ役、かませ犬的キャラクターです……ってあかんがな!

 旧作『空の大怪獣ラドン』においてラドンのエサとして登場し、獅子舞的特撮でファンの記憶に名を留めた東宝虫型怪獣の元祖的存在メガヌロン。現代にまさかの復活を遂げるも、やはりいくら進化をしようがゴジラの相手は荷が重すぎた模様。アル中にしか見えない中村嘉葎雄博士の『そりゃあ、メガギラスだなあ』という緊迫感のない台詞で命名されたのがいけなかったのか(というか、古代にこんな奴がいたんならこれも図鑑に載せとけよ……)、バックボーン的にはむしろラドンとの対決がお似合いで、ゴジラに対するアンチテーゼ的意味合いが何もなかったからなのか、とにかくそもそもゴジラと戦って勝つような気配が微塵もありません。

 『ゴジラVSメカゴジラ』(以下『メカゴジ』)における対ラドン戦を例に取るまでもなく、ゴジラはそもそも軽量級の怪獣とタイマン張って負けた事がありません。メガギラスの高速移動と尾によるエネルギーの吸収で、飛行する敵に対する唯一の武器である熱戦を封じられるも、連続して叩き付けられる高周波とビルの残骸などの攻撃をしのぎきり、痺れを切らしたメガギラスが肉弾戦に来たところを、体格差を利した格闘によってスタミナを奪い、エネルギーを吸収する尾をへし折り高速移動をも封じたところで、熱線! いやああまりにも予想通りの試合運びでしたね。軽量級の怪獣がゴジラ相手に勝つためには、やはり熱線を封じた上で体格差を埋めるほどの攻撃力を発揮せねばなりませんが、そこまでの真似が出来たのも『ゴジラVSモスラ』におけるモスラ&バトラのコンビの電磁鱗粉とプリズムビームの複合攻撃ぐらいのもの、メガギラスの敗北は最初から見えていた……ってそんなもんわかっとってもちっとも嬉しくないぞ!

 特撮面でも、あの意味なくカクカクした画面の動きと、ゴジラの熱線の細さと量感の無さ、CGで描かれた爆発の軽さ、ウルトラマンに出てくる戦闘機を思わせるグリフォンの安っぽさなど、観てて白ける要素が多く、がっくりです。前作『2000』はストーリーはともかく特撮には進歩を感じたのですが……。

 面白かったのは冒頭の第一作に捧げるオマージュのみ……。首都大阪もギャグにしかなってないし……。しかし『2000』『スペゴジ』も、観た時はつまらなかったのですが、これに比べりゃずいぶん面白かったよな……(遠い目)。話としては単なるバトルものにしか過ぎなかった『メカゴジ』『スペゴジ』ですが、やっぱりメカゴジラとかスペースゴジラとか、あいつら強かったよな……。ゴジラ、もうちょっとで負けそうやったもんな……(ため息)。

 メガギラスの劇場限定フィギュアのむやみやたらな出来の良さが空しいこの映画、対決路線としてさえかなり期待外れでした。来年はどうするんでしょうね。まだやるんでしょうかね。

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『シックス・デイ』

 監督:ロジャー・スポティスウッド
 出演:アーノルド・シュワルツェネッガー マイケル・ラパポート ロバート・デュバル

 正月恒例のスター映画、シュワルツェネッガー最新作。

 神は六日目に人間を造った……クローン技術が確立され、それを人間に応用する事を禁ずる『6d法』の制定された近未来、2010年。誕生日に仕事を終えて帰宅したアダム(シュワ)を待っていたのは、家族に囲まれてケーキの蝋燭を吹き消す、もう一人の自分だった……。困惑する彼に襲いかかる謎の組織。いったいなぜ? 誰が何のために自分のクローンを生み出したのか? 否応無しに家族をも巻き込んでいく事件に、アダムはもう一人の自分と共に戦いを挑む!

 クローン=偽物=悪い奴、という既成概念を打ち崩し、善人である主人公シュワのクローンはやっぱり善人……。クローンと手を組んで戦う、いわばダブルシュワ状態(意味不明)に観ているこちらは失笑を禁じえません。クローン技術の是非を問う深淵な作品かと思いきや、悪い奴のクローンは悪い奴だから死んでよし、善い奴のクローンは善い奴だから生きててよしというラストに落ち着くこの映画、やっぱり御都合主義が過ぎました。

 もうストーリーは無視してアクション映画としては楽しめるかな……と思いきや……二人いるからアクションも二倍ってわけにはいかないと見えて、すっとばすヘリコプターなどのCGに頼り、生身のシュワのアクションはほとんどありません。やっぱりシュワも50歳の坂を越えて、これからは無理にマッチョするのはやめて、普通の肉体の普通の人という路線を目指すのだろうかなあと、いささか寂しい気分になりました。……が、そんな事を考えてたら、突然、左手一本で悪役の首の骨をいとも容易くへし折るシュワ! どうも彼は「怪物」へのこだわりをいつまでも捨てきれないようです。

 アクションはチグハグ、やや考えさせてくれるテーマ性を持ちながらも取って付けたようなオチ、誰だ「出来がいい」とか言った奴は!? とりあえずこのお正月、観なくていい映画の一つです。

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『オーロラの彼方へ』

 監督:グレゴリー・ホブリット
 出演:ジム・カヴィーゼル デニス・クエイド

 へ〜い、21世紀一本目の洋画で〜す。

 1999年のオーロラの出たある夜……。30年前に消防士であった父フランク(デニス・クエイド)を火災により失い、母と二人で生きてきた警察官ジョン(ジム・カヴィーゼル)は、ひょんな事から家で父が昔使っていた無線機を発見する。ところが慰みに動かした今はどこにもつながらないはずの無線機は、太陽黒点とオーロラの影響か、なぜか30年前の父の無線とつながってしまう。ワールドシリーズの結果を教えることで、現実を受け入れようとしない父を説得し、ジョンはフランクを火災から救う。30年前に火事で死んだはずの父は、その瞬間に10年前に肺癌で死んだ事に歴史が書き換えられる。喜び合う父と息子。だが、歴史を書き換えた事により、今度は母が猟奇殺人鬼の手によって殺された事になってしまう。殺人者の魔の手から母を救うため、フランクとジョンは30年の時を隔てたまま協力し合い、犯人を追い詰めて行くが……。

 冒頭、まず横転したタンクローリーによって下水に閉じ込められた市民を助けるべく活躍する、消防士デニス・クエイドの勇姿が描かれます。事前に読んだ情報で火災で彼が死ぬというのを知っていたので、早々にこの事件で死ぬのかと思いきや、期待を裏切って間一髪助かってしまいます。「俺が火事で死ぬわけないだろう」と余裕の父、野球好きで子ども好きの消防士、古き良き時代の能天気お父さんとして描かれてます。

 それと同時進行する形で30年後、父を失った息子ジム・カヴィーゼルが登場。恋人と喧嘩し、なんかうらぶれた頼り無い感じの刑事です。意図的なものでしょうが、あまり父親とは似ていないキャラとして描かれています。

 やがてキーアイテム無線機が登場し、父と息子は交信開始。30年前と現在が同じ日付けでリアルタイム(?)に同時進行。しかしなぜ現在と過去で交信できるのか、という疑問に「オーロラのせいだろう」ということで納得してしまうあたりに、アメリカの大らかと言うより大雑把な国民性を感じてしまいます。

 ワールドシリーズで全てを納得する野球好きぶりなど、ほんとにそれでいいのか君達!と突っ込みたくなる大雑把さですが、とにもかくにも物語はノリノリで進行。父親と大人になった息子との友情パワーが炸裂し、次々と未来を変えて行きます。未来からの息子の示唆で死ぬはずだった火災現場を無事に脱出した父、今度は妻を殺しに来るという猟奇殺人鬼を息子の指示で追跡開始。映画二本ぶんくらいつまったなかなか盛り沢山なストーリー展開が楽しめます。

 火災現場からの脱出によって歴史が変わる中盤のシーンなども、ただ事ではないテンションの高さで見せてくれますが、それすらもかすむほどにラスト、怒濤の展開が繰り広げられます。もうタイムパラドックスなのか何なのかよくわからん無茶さ加減、最後までお役立ちな無線機様、あくまで同時進行する展開、無理矢理に雪崩れこむハッピーエンド、全編をぶち抜くハリウッドのお約束&御都合主義と自分さえ良ければいいのか的感覚、ですが、もうここまでやってくれたら全然問題無しです。久々にとんでもなくバカな映画を観ました。心が洗われましたね。素晴らしいです。必見ですと言い切りましょう。

 20世紀最後についに登場した、あの『タイムコップ』も真っ青なスーパータイムパラドックスバカ映画です。野球バンザイ! お父さんバンザイ!

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『ホワット・ライズ・ビニース』

 監督:ロバート・ゼメキス
 出演:ハリソン・フォード ミシェル・ファイファー

 毎年正月はスター映画! ハリソン・フォード主演最新作!

 娘を大学に進学させ、湖畔の館で夫ノーマン(ハリソン・フォード)と共に夫婦水入らずの生活を始めたクレア(ミシェル・ファイファー)。しかし平穏なはずだった生活に、徐々に暗雲が立ちこめる……。風呂場を中心に頻発する怪事と邸内にちらつく謎の女の影。不審な行動を繰り返す隣人夫婦。失われたクレアの記憶が甦る時、隠された悲劇への扉があらわになる……。

 全編にちりばめられたヒッチコック作品のパロディ……に関しては、私、あまりヒッチコック作品を観ていない上(3作品ぐらいか?)に観た奴もうろ覚えなので、あまり語れません……。が、しかしそれを抜きにしてもこの作品、どうも盛り上がりに欠けます。

 序盤は家の内部で起きる怪奇現象と、隣人の不審な行動が平行して描かれますが、結局隣人の方は思わせぶりな行動してた割には何もなし! 主人公ミシェル・ファイファーの妄想として片付けられます。また、怪奇現象の方も見始めた最初は個々の演出が上手いゆえにドキドキするのですが、いつまで経っても突然物音がする、などの同じ事の繰り返しで、途中でいい加減に飽きが来ます。

 ストーリーも最初から大体二つのパターンのオチのどちらかだろうなというのが予想がついてしまう上、チラシ及びポスターのキャッチコピーはややネタバレ気味。えーい、アホか! クライマックスも二段構えの構成になっており……と言うと聞こえはいいですが、要はどっちか一つやれば充分なシーンを二つ続けてやっただけ。観ててうんざりしました。犯人わかったらさっさと終わればいいの!

 ハリソンの映画は毎年ダメになっていきますねえ。観たら損しますよ。

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『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

 監督:ラース・フォン・トリア−
 出演:ビョーク カトリーヌ・ドヌーブ デヴィッド・モース ピーター・ストーメア

 カンヌ映画祭パルムドール! カリスマシンガー、ビョーク主演作。

 チェコからアメリカに息子と共に移民し、工場で働くセルマ(ビョーク)。遺伝による難病で失明を運命付けられた彼女は、衰える視力と戦いつつも同じ病を持つ息子の手術代のために懸命に貯金していた。友人たちの気づかいに囲まれながら、唯一の楽しみであるミュージカルを心の糧に生きる彼女。だが、そんな彼女を待ち受けていたのは、友と思っていた隣人による手酷い裏切りと殺人者の汚名だった……。

 冒頭のテロップで、いきなり『シックス・センス』級の衝撃を受けましたね。「冒頭3分30秒音楽のみですが、映写上のトラブルではありません」。ほんとに画面が真っ暗で音楽だけ。なんじゃそりゃあ!と笑いながらも、まあ音楽が良かったのでぼんやりと待ってられました。

 前半は、視力の衰えを隠しながらも懸命に働く主人公(メガネ)とその息子(メガネ)の親子の愛と、息子の面倒を見てくれる隣人のおまわりデヴィッド・モース、主人公を気づかい一緒に働いてくれる友人ドヌーブ、ビョークに惚れてる気の優しい男『ファーゴ』のマルボロマンことピーター・ストーメアなどの登場する日常生活が丹念に描かれます。お金をためるために頑張る、健気ででもちょっと夢見がちでうっかりやさんのビョーク、趣味はミュージカル。仕事の最中にミュージカルを夢想して工場の機械をぶち壊してしまうのはやりすぎですが、まあ御愛嬌で片付けられるレベル。しんどいですけど、ほのぼのとした日常風景です。

 ところが後半、ビョークのためた金に目が暗んで豹変したデヴィッド・モースを揉み合いの最中に暴発した拳銃でぶち殺してからは、同じ手法で出来事を追っているのに、急に悪趣味に見えてきます。叩き殺した隣人がゾンビのごとく血まみれで立ち上がり、「君は悪くない」と歌い出すミュージカルシーンでまず絶句。その妄想から覚めた後、取り戻した金を没収されてはかなわんと、そそくさと息子の手術代として払い込むビョーク。このある種の冷静さと計算高さが、現実逃避的ミュージカルとイマイチ噛み合わんのです。

 後半からグイグイ引き込まれると聞いていたのに、その後半が進めば進むほど白けたのには驚きました。突如挿入されるダンス・シーンと言えばマサラムービー、インド映画を思い出しますが、ミュージカルシーンが主人公の現実逃避したいとこに挿入されるという仕掛けを読み取ってしまえば、あとは「あ、そろそろ踊り出すな」というのがわかってしまいます。裁判に耐えきれず妄想の世界に逃避する主人公の、一体何に感情移入すればいいのでしょう?

 主人公の行動も、どうも不可解。「彼女なりの誠実さ」「彼女なりの愛」とかなんぼでも綺麗な言葉で飾れますが、愚直なまでの意固地さはほとんどバカと同義です。2000ドルぐらい、誰か出したれ!と思ったのは私だけでしょうか? この世にそれ以外の金はないのか?

 主人公の愚直さを理由に、ストーリーは否応無しに、予定された衝撃と感動のラスト(苦笑)に向けて突き進みます。最後のシーンは、まさに悪趣味の一言。この期に及んでまだ歌うビョーク、目ん玉飛び出すのを皆知ってるのに覆面はなし、あげくに歌ってる最中にガクーン!(やるんじゃないかとは思いましたが、まさかほんとにやるとも思いませんでした) あ〜気持ちわりい。観客に衝撃を与えたかったのが見え見えで、鼻につきました。

 何が泣けるのかさっぱりわからんままに終わってしまいました、ハッハッハ。実に嫌らしい映画でしたね。

 

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『アート・オブ・ウォー』

 監督:クリスチャン・デュゲイ
 出演:ウェズリー・スナイプス マイケル・ビーン ドナルド・サザーランド ケーリー・ヒロユキ・タガワ アン・アーチャー

 「黒い中学生」ウェズリー・スナイプス主演、格闘アクション映画です。

 国連所属の特種工作員ニール・ショー(ウェズリー・スナイプス)の目の前で、中国大使が暗殺される。ニールはFBIに容疑をかけられながらも、単身犯人とその裏に潜む陰謀を追う。

 ウェズリーアクションはまずまず。しかしどうも怒濤のハイテンションだった『ブレイド』と比較すると、演出のせいもありますが見劣りします。最近はいい感じに老けて悪役が似合うようになったマイケル・ビーンとの最後の対決が、言ってみれば最大の見所ですが、これもまずまずというところ。まあマイケル・ビーンは格闘家じゃないからねえ……(『タイムボンバー』っていう映画じゃ関節技とかしてましたけど)。ハンドガンの近距離からの速射&全弾撃ち尽くしは『マトリックス』のパロディか。

 実はマイケル・ビーンは悪役である、とネタばらししてしまいましたが、まあ観てればわかりますから……。一本筋がなく、行き当たりばったりに進む感のあるストーリーも盛り上がりを欠く一因です。アクションも演出も序盤に「お!?」と思わせる所があるのですが、中盤にかけて展開に起伏がないため、ラストに向けてのテンションの高まりがありません。印象悪し。

 当初の構想通りジェット・リーと共演していたらどうなっただろうなあ、と考えながらも、特につまらないということもなかったので、まあよしとします。

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『ファイナル・デスティネーション』

 監督:ジェームズ・ウォン
 出演:デヴォン・サワ アリ・ラーター カー・スミス

 都市伝説を題材にした『ルール』の続編的ノンストップホラー。

 わくわくの修学旅行のはずなのに、なぜか不穏な予感に捕われるアレックス(デヴォン・サワ)。パリ行きの飛行機に登場した直後、彼の脳裏に浮かんだのは、離陸直後に空中分解する飛行機と機内で繰り広げられる阿鼻叫喚と焼き尽くされる己の姿だった……! パニックを起こし6人の同級生と教師を巻き添えに機を降りたアレックスの眼前で、飛行機は予知夢どおりに空中分解する。しかし、その予知夢はあらかじめ運命付けられた死にさからう、禁断の行為だった……!

 『スクリーム』以降、すっかり定番となった若手俳優がキャーキャー言うホラーがまたも登場。あらすじに書いた飛行機事故の予知夢の映像がかなりいい感じです。突如吹っ飛ぶ壁面、一つ、また一つと吸い出されて行く座席、やがて崩壊は機内中程まで達し、裂けた機体の狭間で乗客もバラバラになって吹っ飛んで行きます。やがて機は爆煙につつまれ、主人公もまた炎の中に没します。爆発直前の静かに不安を煽る映像と、事故の凄惨さがうまく噛み合って効果を挙げています。はっきり言ってこの映画でいちばん面白いのがこの冒頭です。

 つかみの部分が強烈なので、まあ最後まで飽きずに観られましたが、後半はいささかパンチ不足。とはいえ死の運命から逃れた主人公たちを、<死>そのものが手を変え品を変え運命通りに葬ろうとする様はなかなか笑えます。死神って律儀なんですねえ。しかしある意味、この死神の偶然を装った遠回しな手段はハリウッド映画の御都合主義を大げさに描いたらこうなる、という皮肉やアンチテーゼにもとれ……るかな……。

 ちょっとドキッとさせてくれる、ノンストップ・スリラー。『スクリーム』『ラスト・サマー』などの路線が好きなら退屈はしないと思います。暇つぶしにはいい一本。

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『クリムゾン・リバー』

 監督:マチュ−・カソヴィッツ
 出演:ジャン・レノ ヴァンサン・カッセル

 フランスで大ヒットしたサイコスリラー、登場!

 アルプス山脈のふもとの大学街で、凄惨な拷問を受け胎児のように折り曲げられた惨殺死体が発見された。パリから派遣されたニ−マンス警視(ジャン・レノ)は、大学図書館の司書だった被害者の身元を探る内に、大学に隠された秘密の匂いを嗅ぎ取る。同じ頃、ジュディット・エローという名の少女の墓の盗掘事件を操作していたマックス刑事(ヴァンサン・カッセル)もまた、墓地から走り去った車から大学関係者を割り出していた。不審な事故、盗み出された記録、母親の前でひき殺されたはずの少女の墓は、なぜ暴かれなければならなかったのか? やがてアルプスの奥で第二の死体が発見され、二人の刑事の捜査はやがて一本の線に収束して行く。

 なめるように映し出される惨殺死体とアルプスの山並が美しいオープニング、なかなか鮮烈です。

 しかしこの映画、フランス映画なんですが登場人物がフランス語しゃべってるという事以外、全然そんな感じがしません。行き当たりばったりで進む捜査、村から山へコロコロと場面転換、対照的な刑事のコンビ、猟奇殺人、唐突に明かされる衝撃の真相など、ほとんどアメリカ製のよくあるサイコ映画。もうちょっと伏線張ろうよ……。原作はもうちょっと真面目な作品じゃないでしょうか、たぶん。

 ところがぼーっと観ていた時に、突如挿入されたあるシーンで、オレのボンクラ魂に火がついた。墓場の盗掘を捜査するヴァンサン・カッセル、地元の「スキンヘッズ」という名の不良グループ四人組のアジトに踏み込む。サンドバッグを叩くボクサー男、リーダーらしいハゲの男、そしてテレビの格闘ゲームに興ずる男女の四人。不良の常として警察嫌いな彼ら、ボクサー男が「バッジと銃がなきゃなにもできないカス野郎め!」とヴァンサン刑事を罵ります。最初は我慢していたヴァンサン刑事、しかしとうとうプッツンし、銃を手放すと「かかってこい!」。なぜかタイミングよく背後の格闘ゲームのSEがかぶる!

「ゴー、ファイト!」

 リーダーのハゲの攻撃をかわし、ヴァンサンのパンチ&回し蹴りが炸裂! 蹴りの打点は低いけど、やってる事は格ゲ−そのまま! ハゲをなぎ倒した直後、ボクサー男も続けて襲いかかり、バトルは2対1の変則マッチへ! さすがに二人がかりで来られては不利なヴァンサン、しかしビリヤードのキューを駆使して二人を撃破! 

「ウィナ−、マックス!」

 情報を引き出し立ち去るヴァンサンの背に贈られたかけ声が熱い!

「ゲイムオ−バー! コングラッチュレイション!」

 監督の前作『アサシンズ』でも殺し屋志願の少年12歳が好きであるなどテレビゲームは重要なファクターになっていたようですが、今作での使い方は甚だ意味がなかった事を考えると、ただ単にゲームが好きなだけらしいですね。フランス映画で格闘シーンがあるとは……と驚きましたが、よく考えるとK−1のトップファイターにもフランスの選手いますし、珍しいことではないのかもしれません。『タクシー2』で「ニンジャ!」などと日本の文化が誤解を招く描写をされてましたが、日本人である私も言うほどフランスの文化がわかってるわけじゃないんだよな、と珍しく反省してしまいました。なかなか教訓的な映画であったなあ(どこがやねん!)。

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『ペイ・フォワード』

 監督:ミミ・レダー
 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント ケヴィン・スペイシー ヘレン・ハント

 オスカー俳優二人と天才子役の共演作! 

 中学に入学した直後の少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)に社会科のシモネット先生(ケヴィン・スペイシー)の出した課題は「世界を変える事」。少年の考え出したのは人から受けた恩を3人の人間に返す「ペイ・フォワード」だった。彼のアイディアはラスベガスから遠くロサンジェルスまで伝わり、ムーブメントを起こそうとするが……。

 一見、カルト宗教を連想させる「ペイ・フォワード」ですが、そうでない事は作中で繰り返し強調されますし、また主人公ハーレイ少年の試行錯誤によって、人を救う事はそう簡単ではないという事も丁寧に描かれるため、当初思ったほど偽善的かつ嘘臭い印象はありません。人を救うという行為の難しさ、時として善かれと思ってした事が無為に終わる事もある、うまくいったと思ったら次の瞬間落とす、といった具合に、ここらへんが非常にバランスよく描かれています。

 主演陣の熱演も光りますが、ケヴィン・スペイシーはまたまた別人に変貌、実に上手い役者だと今回も思いました……が、しかし彼はちょっと目立ち過ぎたんじゃないでしょうか。ストーリーの大筋が徐々にスペイシーとヘレン・ハントの恋愛話にシフトしていくにつれて、ハーレイ少年の存在感もまた、徐々に希薄になっていきます。それと共に「ペイ・フォワード」というアイディアの普遍性も薄れ、やはり善意とは個人の資質に還元されるものなのかと思えてきます。

 全ての人々の善意を信頼しよう、というアイディアであるにも関わらず、主人公のアル中パパ(ジョン・ボン・ジョヴィ)や中学の不良少年が、救いようの無いモンスター的存在として描写されているのも疑問。こいつらも救ったれよ、と思ってしまいました。ここらへんがお涙頂戴話の限界か?

 そして最後に待ち受ける衝撃のラスト。スペイシーに主役の座を奪われたハーレイ少年の「オレが主役だ!」という魂の叫びなのか、ほのぼの話で終わっておけばいいのに最後はどんでん返しで感動させようというハリウッド映画の文法に忠実に従った結果なのか、ヒューマニズムを歌い上げる事への照れ隠しなのか、何にせよ計算の上でこのラストを持って来たのだとすれば、あざといとしか言い様が無いです。そして英雄は伝説になった、という事なんでしょうか? アイディアだけでは世には伝わらんと言いたいんでしょうかね?

 同じネタでコメディ映画も作れそうだなあ、と思う今日この頃でした。

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『回路』

 監督:黒沢清
 出演:加藤晴彦 麻生久美子 小雪

 黒沢清監督、ホラー映画の新作です。

 大学生の亮介(加藤晴彦)とOLのミチ(麻生久美子)、何の接点もない二人の人間の日常を、徐々に侵食していく謎の影。接続されていないはずのインターネットから正体不明のサイトが開き、それを観た人間は一人、また一人と自殺、あるいは消失していく。謎のサイトと赤いテープで封印されたあかずの間は、「向こうの世界」との接点なのか?

 うげっ、こわ! さしたるハッタリもグロテスクな映像もないにも関わらず、この映画、かなり怖いです。ワッと驚かされる直前の心臓の動悸を、緩急自在の演出である時は引っ張りある時はすぐ落とし、飽きさせない上にタイミングを読ませもしません。ストーリーやテーマを追うまでもなく、この演出に浸るだけで楽しめます。怖いの苦手な人は見ないで下さい。

 謎のサイトからネット上に氾濫する恐怖、と聞いた時は、ありきたりだなという印象を受けましたが、作中に登場する「幽霊」の登場経路は別にネットだけとは決まっておらず、また主人公加藤晴彦がパソコン音痴であったりするため電脳世界を彷徨う様子などは描かれないので、誰が名付けたか知りませんが「ネットスリラー」というのは看板倒れ。とはいえ私的に一番怖かったのは「あかずの間」だったので、全く問題は無しでした。『回路』というタイトルもインターネットを意味するものではないので、ちょっとこれで損をしてるんではないでしょうか。キャッチコピーをつける事の難しさを実感。ネットしない人でも楽しめますよ、この映画。

 幽霊の氾濫、人間の消失という作中の「現実」の前に立ちすくむ主人公たちの姿も、なかなか寂しさと恐怖を誘います。「死とは永遠の孤独ではないのか?」という問い掛けは今一つピンと来ませんでしたが、最後に「それは自分しだい」であるという答えを出した主人公の姿にはぐっと来ましたね。

 人間の消失がやや唐突で、突然たくさんの人間が街からまとめて消失したように見えたのと、一瞬だけ幽霊がムーンウォークをしているように見えて笑ってしまったところが、ややマイナス。あと意味深に登場して世界観の説明を延々としてくれたゲスト出演武田真治も、気に入りませんでした。ホラー映画でこういう澄ましたキャラクターが出てくるとむかつくんですよね。お前も永遠の孤独の中で極限の恐怖を味わえ!と思ってしまいました。やたらと前向きな同じくゲスト出演役所広司も、同じ意味でいまいち。彼はたぶん海の男という設定だったんでしょうが、普段から孤独な人はああいう状況下でもわりと平気だという意味にも受け取れないでしょうか。まあ出番が少ないので、全体のムードを壊したりはしてませんが。

 本気で怖い映画を観たい人におすすめなこの映画、しかし私の観に行ったレイトショーでは客は私を含めて6人だけでした。『リング』以降のホラー映画ブームもかなり下火になった印象がありますが、ブーム最盛期に『ニンゲン合格』なんていう映画を作っていて、ホラー映画が飽きられた今頃になってこんな大真面目な幽霊映画を撮ってしまう黒沢清監督は、偉いのでしょうか、それともアホなのでしょうか。

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『処刑人』

 監督:トロイ・ダフィー
 出演:ショーン・パトリック・フラナリー ノーマン・リーダス ウィレム・デフォー

 全米を震撼させたバイオレンス問題作、日本上陸! 

 精肉工場で働くマクマナス兄弟(ショーン・パトリック・フラナリー&ノーマン・リーダス)、敬虔なカトリックでもある彼らはいつものように朝の祈りをすませた後、行きつけのバーでいつものようにだべっていた。「店を閉める事になった」と言う店のオヤジの愚痴を聞いていたちょうどその時、店を買収しようとしている強面のロシアン・マフィアたちが現れる……。翌日、背骨を折られた二人のマフィアの死体が発見される。マフィア同士の抗争の結果と推理する地元警察を遮り、FBI捜査官のポール・スメッカー(ウィレム・デフォー)は事件の驚くべき真相を鮮やかな推理で解きあかす。自首してきた「真犯人」マクマナス兄弟は正当防衛が認められ、留置場で一泊。だがそんな彼らに突如、神の啓示が訪れた。「汝、悪をぶち殺すべし」!

 法で裁けぬ悪人どもに死の制裁を! と言えば、日本でも少年法云々で問題にされているテーマに触れる部分があります。法律が見逃してしまう凶悪犯罪を犯した少年を抹殺する、という内容では『クロスファイア』などがありますし、またいくら悪でも人が人を勝手に裁く事は許される事なのか、という事も議論のタネになっています。この『処刑人』は、そういった問題に真っ向から取り組んだ問題作……じゃねえよな、やっぱ。

 神の啓示を受けて次々と悪を抹殺していく「処刑人」二人、この「悪」というのは例えばマフィアのボス、ヤクの売人など……え〜はっきり言ってしまうと「ま、別にいいよね、殺しても」と思えてしまう奴ばかり。要は「正義のヒーロー」が「悪玉」を倒す構造と、何ら変わりありません。テロリストを全員皆殺しにするアクション映画などに比べ、特に大げさなテーマをかかげているわけでも何でもなく、日本でいうなら『必殺仕事人』的なお話です。別にそれが悪いと言ってるわけではなく、つまりこの映画を「問題作」扱いするのはそれこそナンセンスだということです。

 小難しい事はどうでもいいので忘れて観ると、この映画、なかなか斬新なところもあり、大いに楽しめます。監督のトロイ・ダフィーは本職はバンドマン、よってかやや演出にもたつきがあり、またやたらと気合いが入って作り込んだシーンとそうでないシーンがいささかばらついてるように見受けられました。しかし銃撃戦の演出など、力を入れた部分の盛り上がりは必見。前半の便器と人間のダブルプランチャー(未見の方は何の事かわからんでしょうがこれ以上書けません)のシーンは特に最高です。

 切れ者、ホモ、女装癖ありのFBI捜査官役のウィレム・デフォーがこれまた怪演で大爆発。最初に事件現場がデフォーによって捜査&プロファイリングされ、その後に兄弟の犯行の映像が挿入されるという順番を後先にした構成を取っているのですが、捜査シーンでデフォーが推理した通りに犯行が再現されていく様は素晴らしく笑えます。

 演出の雑さが響き映画全体として引っ張るものに欠けたため、大したテーマは無いながらも巧みな構成と役者の演技で魅せたブラックコメディの金字塔『ファイト・クラブ』を超える事はかないませんでしたが、Pコートに象徴されるスタイリッシュさとボンクラ魂、久々のバカ映画で堪能しました。刺激に飢えてる方、ぜひどうぞ。

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『アンブレイカブル』

 監督:マイケル・ナイト・シャマラン
 出演:ブルース・ウィリス サミュエル・L・ジャクソン

 『シックス・センス』の衝撃も記憶に新しい、新鋭シャマラン監督の第二作! 前作を超えるか? 

 131人を死に追いやった列車事故で唯一生き残った不滅の肉体を持つ地上最強の男デヴィッド(ブルース・ウィリス)の前に、生まれながらに骨が脆く始終骨折している地上最弱の男イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)が現れる。コミックオタクであるイライジャはデヴィッドに「不滅の肉体と特殊な力を持つ君は、人々を救うヒーローになるべきだ」と告げるが……。

 相変わらず緻密な脚本と丁寧な演出で見せるシャマラン監督。今回も何気ない画面に必要かつ大量の情報を忍ばせ、さりげなく観客に伏線として印象づけておくテクニックは健在です。しかし今作はその丁寧さがややマイナスに作用した印象もあり。もう少し大げさな描写を入れれば一瞬で観客に伝わるところを、不必要に長々とやりすぎに感じました。映画全体のトーンにはそのテンポがマッチしているので、監督の作風であると言えばそれまでですが、個人的には好みではありませんでした。

 今作のテーマの根幹をなすのは「コミック」。いわゆる「アメコミ」が作中において大きなキーワードとなっています。主人公に接触するサミュエル・L・ジャクソン演ずるイライジャは、生まれながらの難病に苛まれる人生をコミックと共に耐え抜いて来たマンガオタク。マンガの原画などを収集し、展覧会も開いてしまう筋金入りのマニアです。……しかしこの描き方がいささか不十分に感じられました。作品のストーリー展開や伏線には何の問題もないのですが、実際に作品のタイトルが挙がるマンガがごく僅かであったり、また主人公に「君がヒーローだ」と示唆する場面などで具体的ヒーロー名が全く登場しないなどの部分に説得力を感じませんでした。オタクの特徴である膨大な情報が描かれないので、マンガという実はコミカルに通ずる題材を扱っているにも関わらず、地味かつ生真面目な印象。悪く言えば本来描かれていいはずの面白味がありません。

 自らを「ヒーロー」であると徐々に自覚し始めるブルース・ウィリスも、いざヒーロー出陣というシーンの格好が非常に地味。なんだそのグレーのフード付きマントは! ヒーローやったらもっとキテレツなカッコせえよ! もう少しブルース・ウィリスがお調子に乗った方が、衝撃のラストもよりインパクトがあったと思うんですが……。

 全体としては非常にまとまっており、緊張感もラストまで引っ張るし話の展開も説得力充分なのですが、作り方によってはもっと面白くなったのではないかとかなり疑問。『X−MEN』がストーリー的にも映像的にも完成度の高い映画に仕上がっていたにも関わらず原作の熱烈なファンからはブーイングを浴びたのと同じく、元ネタに対するこだわりが今一つ感じられず、コミックファンには物足りない作品です。同じ題材でもティム・バートンやウォシャウスキー兄弟などのオタク監督に撮らせれば、もっと思い入れの深い(それゆえ思い入れのない人には受け入れられないかも知れない)映画が出来たはず。現代におけるヒーローとは、というアメコミへのアンチテーゼとなる命題にも食い込めたかもしれなかったのに、もったいない。

 映像にさしたるトリックが仕掛けられていないので『シックス・センス』とは多少印象が違いますが、でもラストはちょっとびっくりして「ああ、なるほど」。ブルース・ウィリス演ずる主人公がマンガオタクだったらば、あるいは真相に辿り着いたかも? まずまず楽しめる作品でした。しかしやっぱりタイトルの『アンブレイカブル』(決して壊れない)は『ダイ・ハード』(決してくたばらない)のパロディなんでしょうか。

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