こうなったことや、その男に対して、自分が負わなけれぱならない責任のようなものを少なからず感じていたのです。 でも、人は誰でも他人の生き方に対して干渉したり指図したりする権利は無いし、そのひとの人生はそのひとが選んだ、そのひとだけのものなのだから、逆に責任を感じることもなく、私は、私として生きなけれぱいけないし、生きていいのだと思いました。 十代の頃から自傷行為を繰返し、自分が生きていることに実感がもてず自殺願望を拭い切れないまま来ましたが、殺されかけたときはじめて、「死にたくない、生きたい」と本当に強くそう思ったのです。 数日後また、つまらないことで男が怒りだし、殴られたり蹴られたりしながらも私は、頭の中では妙に冷静にその様子を検証していました。 この怒りは、私には全く責任のない理不尽なものであること。私に対して、例えば少しの好意や愛情なども残ってはいないこと。ただ私を自分勝手な感情の捌け口にしていること。ここまでされて、私がこの人の行く末を心配する必要などないし、潔く誠実に対峙する必要もないこと。 とりあえず暴行を終わらせるために、絵を描くのを辞める、展覧会も中止する、と私はその男に対して初めて嘘をつきました。 こうして私は3年半ぶりに実家に戻ってきました。何も知らなかった両親にすべて話すと、とても困惑し、ショックを受けながらも「ここはあなたの家なのだし、わたしたちは家族なのだから、もっと早く頼って帰ってきたら良かったのに」と言ってくれました。 それまでの疲れで、寝込んでしまった私に代わって、両親は私が可愛がっていた猫を保護し、荷物や作品を運びだしに行ってくれ、何度か、家にきたその男からも「私たちの大事な娘だから会わせるわけにいかない」と、守ってくれました。 普通の親子喧嘩や、気持ちのいき違いなどは、再び一緒に暮らし始めてから、当たり前にありましたが、それまで感じていた、深いわだかまりはなくなっていきました。 私は一度死んで生まれ直したようなものだから、これからは、自分らしくより良く生きることだけを考えようと思いました。 そのためには自分目身のことを―3年半の生活はもちろんのこと、それ以前に自分の身に起きたこと、神経症のこと、これまでのことすべてを―ちゃんと考えてみなければいけませんでしたが、最初は思い出すことさえ苦痛で、考えると鼓動が急に激しく息ができなくなったり、夢でうなされて自分の叫ぴ声で目をさますことも度々ありました。 自分が経験したことがなんだったのか知りたいと思い、 ドメスティックバイオレンスや性暴力関連の資料も探しましたが、立ち読みをしていてパニックになり、身体が震えてその場に座り込んでしまったこともあります。 できるなら、相手を私が体験したのと同じような目に遭わせたい、殺してやりたいとも思ったし、事件として告発して(なにしろ正真正銘、 「殺人未遂」だったのだし。) 刑務所にいれてやろうとも思ったけれど、私の気持ちはそんな事では済まないし、かといって、何時までも怒りに囚われパニックに怯え続けるのは、苦しいうえにあの男から相変わらず自由になっていないのと同じ事のようで悔しかったから、絶対立ち直ってやると思いました。 |