ドメスティック・バイオレンスから逃れて



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 両親は私が神経症で通院していることを知っていましたが腫れ物に触るような感じで、結婚を控えていた姉のことにかかりっきりになっていました。そのことで私はより孤立感を深めて、そのころ付き合い始めていた人との同棲に踏み切り、家を出てしまいました。
9x-1年の夏のことでした。

 家を離れてみたことで、両親や姉、それに家族の中での目分のことも、割と客観的に、冷静に見られるようになり、気持ちの整理もいくらか出来るようになりましたが、それとは逆に、新しい生活は直後から悲惨なものでした。
 相手は、はじめは私の状態に理解を示した風でしたが、一緒に暮らし始めるとささいなこと(おかずが自分の好きなものではなかったとか、私が仕事から帰るのが少し遅れたとか)で暴力を振るうようになり、その理由に私の病気を持ち出すようになりました。
「おまえは馬鹿で気が狂っているから、俺が鍛え直してやっているんだ。」と。

  私も自分に対しての自信が取り戻せていない状態だったから、閉鎖的な生活の中で強くそう言われ続けると「そうなのかもしれない」と思い込んでしまい、抵抗したり逃げようとする気力を失っていき、耐えるしかないと思い込んでしまいました。
それに、そもそも、家を出たい一心でこの生活を選んでしまったのは、私自身なのです。

 暴力にはサイクルがあり、緊張が蓄積する時期、爆発し攻撃する時期が過ぎると、妙に落ち着いて優しくなるのです。その時期があるために、もう少し耐えれぱ、変わるかもしれない、良くなるかもしれない、と我慢してしまったのです。
でも実際は、その終わらないサイクルに搦めとられていくだけで、鼓膜が破れたり、網膜裂傷など大きな傷を負うほど、暴行は激しいものになっていきました。

 ある夜、全身を酷く殴られて、翌朝になっても腹部の激痛がおさまらず、病院へ行ったとき、骨にも内臓にも異常はなかったのですが、全身の痣を見て事態を察知した医師に警察に被害届けを出した方がいい、この場で今すぐ通報してもいいか、と言われたことがありました。
しかし、待合室には私を監視してついてきたその男がいて、「逃げても、見付け出して殺してやる」などと普段から脅されていたので、その恐怖から助けを求めることができませんでした。

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* 作成 by T.kasai (7/28,2000)   無断転載禁止