ボーイスカウト名古屋第97団 発団20周年記念

団委員・リーダーからのメッセージ

思い出

副団委員長 井爪 謙治

 ひと昔前の話。アメリカ人の兄弟が97団のボーイスカウトに入隊した。父親のピケット氏は南山大学に招かれたフルブライトの客員教授で、名古屋滞在中に息子たちが日本のスカウト活動を体験するよう願っていたからである。兄のロバートはアメリカで最高のスカウト章「イーグル」をとっており、弟のジェフリーも1級スカウトであった。それに親も故郷のインディアナ州で団委員をしているというから、まさに、スカウト・ファミリーだった。ロバートは「アメリカで習得した"特技"を一つ紹介してほしい」と頼まれて、ある日のミーティングでスカウト達に教える事になった。彼は最初、こんな質問をした。「もし、君たちが、山で遭難したとする。救助を頼むのに、どんな方法があるか?」スカウト諸君は答えられず黙っていた。或る一人が「近くの村に走って行く」といったが、ロバートの期待した解答は「SOS」の合図で、それも、無線や手旗によるのではなく、誰にでもすぐ了解できる、常識としての「緊急事態発生の合図」のことであった。ロバートはちょっと笑って、こんなことをいった。「同じことを続けて3つせよ」、「火を焚くなら3カ所で行え、それが昼なら3本の煙がのぼるだろう」、「服を脱いで目立つ所に、3カ所へ分散して置け」つまり、何でも同じ事が3回繰り返されているなら、それが「SOS」の合図になるということだった。
 モールス信号のSOSは「・・・−−−・・・」(トトト、ツーツーツー、トトト)は、3度同じ音が3回繰り返されている。氷山と衝突し、海難事故で初めて「SOS」の電波を発信したあのアメリカの豪華客船「タイタニック」号の悲劇は、乗客全員のための救命ボートが備えられていなかったことである。千五百余人の命が失われたのはそのためである。「備えよ常に」をモットーとするボーイスカウトに「いざという時に役立つ常識を備えよ」とロバート君、まず、一本釘をさしたのである。

地域社会に開かれた窓

前団委員長 樋口富士夫

 創立20周年のお祝いを申し上げます。創立当時を想い起こせば昨日の様に蘇って来ます。当時の主任司祭七種神父様から南山教会でボーイスカウトを発団することになったので協力するようにと声をかけられました。発団の目的は教会から地域社会に開く窓として地域の少年達を迎え入れ、スカウト活動を通じて南山教会を理解してもらうと言うことでした。5月に97団として多くの地区スカウト関係者の祝福を受け発団しました。この年は愛知県連盟では加盟団が多くなった名東地区を名東・緑の二つに分ける分封が行われた年であり、県大会の年でもありました。県大会は長野県下日和田高原で行われたと記憶しています。井爪団委員長の下で副団委員長であった私はまだ入団後日も浅くて訓練も十分でない3名のスカウトと共に参加しましたが、現地に着きキャンプサイトに荷物を運び入れる前に猛烈な夕立に歓迎され全部の装備を濡らしてしまい大変な苦労をしました。10年後にはきっと立派な団に育てるぞと心に誓ったことを昨日のことのように思い出します。その後65団と合同で長野県根羽村の聖霊学園の林間学舎を中心に行った長期野営の後病気入院して約3年間団を離れ昨年4月に今度は転勤で大阪府下枚方市の啓光学園(男子中・高校)に単身来ましたので二度目の離団となりましたが、今度は何時戻れるかわかりませんがスカウト達と共に学んだことを男子校であるここでもきっと何かの形で役立てることがあると思っています。
 これからもスカウト精神を身につけた若者が多く出ることを期待して今後の97団の発展を祈ります。

ボーイスカウト活動との出会い

ビーバー隊隊長 石川道子

 最高の余暇の過ごし方は、「眩しいように晴れ上がった日に、陽が高いうちからゴロンと寝転んで本を読み耽ること(背景にそよ風に揺れるレースのカーテンもあれば、もう言うことありません)」と、堅く信じていた私でした。それが、今や、日曜日には、元気が有り余るビーバー隊のちびっ子たちと活動しているなんて、自分でも、何が起こったのか不思議です。
 きっかけは、お友達に誘われて、次男がビーバー隊に入隊したことでした。最初は、親子ハイクやキャンプなどの団行事に、しかたがない気持ち100%で出席していたのですが、奉仕精神で活動されている各隊隊長初め指導者の皆さんや団委員の方々を身近で見ているうちに、申し訳ない気持ちが募ってきました。役に立つかどうかも考えずに、何かできることをお手伝いしますと言った途端に、デンリーダー、団委員、ついには隊長までやってしまっています。97団にとって役に立っているかどうかは分かりませんが、活動を通じて、自分としてはいろんな発見ができました。
(1) 野外活動は大嫌いだったはずなのに、結構楽しんでいる自分を発見できた。意外でした。
(2) 自分の子どもを冷静に見られるようになった。
(3) 仕事柄、子どもは嫌になるほど見ているのですが、健康な子どもって、存在するだけで、回りを元気にしてしまうような素晴らしい力をもっているナと実感できた。
(4) 活動を通じて興味深い(ちょっと意味深ですが)人達とお友達になれた(みんなこれからも仲良くしてください)。
まだまありますが、ボーイスカウトと出会えた幸運を感謝しています(本当です)。

ありがとう 名古屋97団

ビーバー隊副長 澤田 美恵子

 創立20周年おめでとうございます。
 初めて97団の見学に行ったのは、4年前の春の事でした。長男が小学5年生、次男は3年生でした。その日のカブスカウトの行事は野外料理。お金を持ち、子どもたちだけの買い物は我が家の子供にとっては初めての事でとても楽しかったようです。その場で入隊を決めてから4年、97団の皆様に子供たちを育てて頂いたという気持ちでいっぱいです。子供だけでなく、私自身もとてもいい刺激を受けてきました。自分の子どもだけでなく、いろいろな子どもと接する事ができたのもとても楽しい経験でした。三男はまだビーバースカウト、これからも家族で楽しく関っていきたいと思います。

皆でがんばれば出来てしまう

ビーバー隊副長 谷口 佳代

 ボーイスカウトには息子がビーバーの時から6年程、お世話になっています。リーダーとしては、1年半位です。それまでまで機会があれば、キャンプや海等の活動には参加していましたが、やはり、親として参加するのと、リーダーとして居るのとでは、自分の気持ちの中に大きな差がありました。親として参加している時にはどうしても自分の子供中心に見てしまいますが、リーダーの立場になると全体を見ることになるので、今まで見えていなかったところまで見えて来て、とても有意義な経験をさせてもらっています。
 先日、ボーイ隊のオーバーナイトハイクに参加しました。行く前に何人かにその事をはなしたのですが、皆、声をそろえて「なんで、そんな事するの?!」と不思議そうに聞きます。う〜ん。私にしてみたら「わっ!おもしろそう!!」ってな感じだったので、返答に困ってしまいました。1人では無理だと思っていることでも皆でがんばれば出来てしまう。仲間がはげましてくれる。ただ待ってくれる。自分ではとても出来ないと思っているたいへんな事を1つ1つやっていく事で、小さな自信がいっぱい積み重なって大きな自信になっていくことと思います。これからもスカウト活動の中で、こうした実感を1つでも多く経験していってほしいと思います。

たくましいビーバー

ビーバー隊副長 藤田 圭子

 私にとって97団は、弟が成長してゆくために選んだ場所です。私も、同じ南山教会で、ガールスカウトとして、ともに学び、成長してゆきました。他団へ移った後も、弟、母について、いろいろな行事に参加させて頂き、ガールスカウトでは得ることができない、ボーイスカウトの規律を学ばせて頂き、これまで以上に自分を成長させることができました。とても感謝しています。
 いつからか私も このボーイスカウト97団の一員として、スカウトとともに活動に参加するようになり、一番思い出に残っているのは、犬山での親子ハイクです。まだ小さなビーバースカウト達が、あんなに長い山道を駆け登っていく姿を見て、自分の身体の衰えをしみじみと感じました。また、この子達が将来、この97団を、この日本を、そしてこの世界をも背負って生きていくと思うと、心強ささえ感じました。この子達の成長を、今後も見守ってゆけたらと思います。

ボーイスカウトによせて

カブ隊デンリーダー 船橋 みき子

 20周年おめでとうございます。デンリーダーを体験させていただいて感じたことのうちには、学校や職場にはないものがありました。学校は組織的だし、職場は利益を生まなければならない。しかし、ボーイスカウトは「なにかみんなでやろう」「楽しいことはないかな」を実体の利益を考えずに、心をリラックスして参加することができます。だから楽しい。そんな中に、息子を縁があっていれていただき、私はとても喜んでいます。

スカウトの自信

カブ隊デンリーダー 川西 通子

 街頭募金で一生懸命大きな声を出したこと。スキで滑れるようになったこと。野外料理で包丁を使ってあげを切ったこと。こんな些細なことでも息子にとってみれば、大きな自信になったようです。これも隊長初めお世話をして下さる皆様のお蔭と感謝致しております。ボーイスカウト結成20周年の年に私もデンリーダーとして少しでもお役に立てれるよう頑張りますので宜しくお願いします。

みんな仲間

カブ隊デンリーダー 岸田 タカ子

 昨年の4月に名古屋に転入し、7月に97団に入隊しました。集会に参加していくうちに、様々なプログラムが用意されているのに感心し、スカウト達が、面白そうに活動しているので、息子も私もすぐ、団の仲間とうちとけることができたように思います。
 又、カブ隊は親の積極的参加が、求められていると言う意識を十分理解しなければいけないと言うことも、97団で教えて頂いたように思います。それだけ、97団の役員、隊長、リーダーの皆様方が、あらゆる事に労を費やして下さっている証拠だと思います。団役員皆様を見習い、スカウトと共に色々な体験を積み重ね、私もみんなと仲間なのだと言う連帯感を持ち、今後、活動に参加してゆきたいと思います。団の今後のますますのご発展を、お祈り申し上げます。

デンリーダーになって

カブ隊デンリーダー 鬼頭 富士美

 春からデンリーダーになり、野外料理、お花見などで子供達の楽しい一面をたくさん見せてもらいました。始まる前は多くの不安がありましたが、今は毎回子供達と一緒に楽しんで、そして、子供達が半年の月日で成長するよう私もいろいろ影響をうけていくのを楽しみにしています。デンリーダーになって良かったと思えるよう努力してゆきたいです。

スカウトの誇り

元団委員 茂呂 昭雄
裕江

 奇しくも、今年20才になった息子と同年生まれだったのですね。何か特別な親しみが涌きます。 その息子が97団と初めて出会った体験入団の日は、昨日のことのように良く覚えています。私たち夫婦がボーイスカウトに対して抱いていた概念とはかなり異なる自由奔放(?)なムードでの集会でしたが、一人っ子である息子が、自然を愛で、集団の生活を学び、他人に進んで手を差し伸べることができるようになってほしいという、親のこの上なく欲ばった壮大な望みを託しての入団となりました。
 息子をボーイスカウトに入れてよかったと最初に思ったのは、入団からー年余り経っていた時だと記憶しています。家に帰ってきた息子が、僕は今日人助けをしたヨと言います。どんなことだろうと聞いてみると、白い杖を持った目の不自由な人が信号待ちをしていたので、"失礼ですが、僕はボーイスカウトの茂呂と言います。手をつなぎましょうか?"と言って、一緒に信号を渡ったと言うのです。その時息子はボーイスカウトと名乗ることに誇りを持っていたことでしょうし、小学生のその誇りを満足させてくれた目の不自由な人もボーイスカウトを好意的にとらえてくれたことでしょう。今、私はそう言えた息子に誇りを感じ、その息子を受け入れてくれたその人に大いに感謝するのです。つくづく、子供を育てるのは社会の大人全員なのだと感じます。
 その大人どうしが97団にあっては横の交流でつながっているということは、とても意義深いものだと思います。ボーイスカウトのような活動は、親がそれに積極的に関わっていることを子供が自覚することで成果が二倍、三倍に膨れるものだと思います。かく言う私たち夫婦は最初の2-3年、活動に余り関わっていなかったことを告白しなければなりません。又、それに対する勧誘もほとんどなかったと記憶しています。ボーイスカウトの親に対しては、強引な勧誘は正当だと信じます。大いに親を誘ってみてはいかがでしょう。そのためにも親どうしが楽しめる横の交流はこれからもぜひ大切にしていって頂きたいと思うのです。
 息子はバックバッグで川のほとりや山林を歩き、キャンプをすることが大好きな青年に育ちました。 ボーイスカウトの活動なしでは語れない息子のー面です。 改めて97団に感謝すると共に、一人でも多くのスカウトが97団から巣立ちますよう心から願っています。  東京にて

団創立20周年を迎えて

団委員 西田 晴世

 長崎の佐世保9団から名古屋97団に移り、7年目の春を迎え、息子も今はボーイ隊です。
 親子共々いろんなことを経験させていただき、皆様に育てていただいたと、実感しております。
 そして、この記念すべき時に立ち会えることを、幸せに思います。ビーバーに入団したとき、全然しゃべらなかった息子も、とても逞しくなり、頼りにもなります。
 ほんわかな暖かみのあるムードのこの団が末永く栄える事をお祈りいたします。

子供と親 一緒に成長

団委員 春田 貴博

 私共家族がこの地に引っ越してきてまもなく、3人の息子達が97団に入隊し、そのついでに私も家内と一緒に団のいろいろな行事に参加させて頂くようになりました。
 最初の思い出は御在所岳ハイキングです。他のお子さんを預かってゆっくりと頂上を目指した訳ですが、最初は遠慮しながらおっかなびっくりで子供達に声をかけていきます。「案外弱いな。こんなところでへばってしまうのか。自分の息子もこんなものだろうな。」と観察しながらもだんだん打ちとけていきます。お互いに汗をかき、一体感が強まっていくのがわかります。頂上に到着した時のすがすがしさは、晴天のせいだけだったとは思えません。
 息子達はいろいろな行事に参加して、物を造る楽しさ、汗を流して達成する喜び、仲間との連帯など、学校生活では味わえない貴重な経験を得ることができました。私自身も子供達の中の「息子」を客観的に眺めることができました。
 最近は子供と親が一緒に地域活動を行うことがありません。親は他の子供達を知りませんし子供は上下関係のある組織の中での生活体験がありません。小・中学生の事件が起きるたびに「家庭内の躾」や「学校教育のあり方」が取り沙汰されていますが、「子供」そして「親」の成長は、地域社会と密接に育まれていくものと考えます。今後共、親子共々よろしくお願い致します。

スカウトとともに

団委員 近藤 あけみ

 97団に子どもが入団したのが小学校一年の時でした。今年で 10年になります。最初の頃は親としてどう関わって良いのかわからず、協力の要請があってはじめて動くといった状態でした。
 子どもが力ブスカウトに上進して、デンリーダーとなりやっとボーイスカウトの仕組みがわかつてきました。言われるままに動くこと数年、地区主催の指導者講習で指導を受けて自ら進んで活動していくことを知りました。
 デンリーダーになってから長期キャンプには欠かさず参加しています。平成5年の中津川『けやき平』でのキャンプでは、参加人数が増えたことで念願だった、バスで現地に乗り付けることが出来ました。この夏は雨が非常に多く降った年で、楽しみにしていた登山は中止になってしまいました。平成8年は45団との合同キヤンプが実現し、何度も合同集会を持って、打ち解けて本番に臨むことができました。これが翌年の県大会につながったと思っています。どれも思い出深いキャンプでした。

成人した団に

団委員 鈴木 妙子

 20年と言えば、人間では成人となる年令です。これからは、成人した団として活動を続けていかれるよう、協力していきたいと思っています。
 わが子は、小学校4年生にカブ隊に入れて頂き、高校8年生のシニア隊まで丸
8年間お世話になっています。入団当初、材木をオノで割って薪にしているとか、ロープ結びを習っているとか聞く度、家族で過ごしているだけでは出来ない体験をさせて頂いている事に、入団させて良かったと心から思いました。ボーイ隊時の名古屋−中津川間の自転車往復マラソンコースを徒歩で回った事、シニア隊時の御在所岳ロッククライミング、長良川ラフティング、乗馬等々送り出す親としては、ハラハラしながらも、元気に成し遂げて帰ってくる姿に喜びを感じました。子どもには、これらの経験が出来るのは、団の皆様の協力がある事を感じながら、次につなげる事を考えてほしいと思っていますが・・・。

97団の意義

団委員 松浦 典文

 20周年おめでとうございます。
 完全なボランティアに支えられた組織が、20年も続くのは、ちょっとした奇跡と言ってもよいのではないでしょうか。ここに至るまで、97団を支え、運営してこられた皆様のご努力に対し、心より敬意を表します。
 私は、20年の丁度半分の期間、97団のお世話になりました。立場はリーダーでしたが、実際にはリードしていただき、育てていただいたと感謝しています。
 明け方の木曽駒山頂で、レインコートやビニル袋をかぶって寒さをしのいでいたT君、S君の姿。同じ日のほぼ同じ時刻に同じルートで遭難者が出た北アルプス登山。最後には泣き出す子もいたオーバーナイトハイク。台風に襲われた日本ジャンボリー。雪でテントが潰れた耐寒キャンプ。様々な野外料理。寝転がって見た星空。川で経験した天然のすべり台等。思い出は尽きません。
 これらの思い出は、すべて、五感を総動員したものでした。もしかしたら、6つ目の感覚も働いていたかもしれません。そして、手や足を大いに動かしました。もちろん、いろいろ知恵を働かせました。それらは、マルチメディアとか言いながら、小さな世界で、せいぜい3つの感覚しか使わないデジタルの世界とは、比べられないダイナミックな経験です。これは、子どもにとって、非常に大事なことだと思います。
 私は、97団が今以上に子どもの感性を陶冶する組織となることを願ってやみません。研ぎ澄まされた感性は、必ずや神を見るでありましょう。神への道を示すことが、97団の存在意義だと確信しています。最後に、スカウトや団委員さんとその親族の皆様の上に神の大いなる祝福がありますようお祈りして、お祝いの文を終わらせていただきます。

97団の宝

団委員 蒔苗 暢夫

 「10周年を機に団をたたみましょうか。」冷えきった薄暗いスカウトハウスで恒例となってしまった3、4人の団委員会での発言です。十数個用意された椅子が足りず隣の部屋から運び込むという今日の盛況ぶりを誰が予想できたでしょう。デンリーダー、団委員、リーダー、そして再び団委員と団を支え続けて下さるお母さま方の力に依るところが大です。創立期以来のリーダー、団委員の存在無くしては今の団がありえなかったのは事実ですが、消滅しそうになると次々とどこからともなく現れた続けた救世主達の存在が何よりのカンフル剤、そしてエネルギー源でした。かつて地区の"要治療団"は今や少なくとも量の面では"模範団"とまではいかないまでも"並み以上"団であることは間違いないと思います。質の面でも決して劣っているとは思いません。なにせBPの精神をその根底において理解しているはずの団なのですから。審査の厳しさに定評のある名東地区にあって、技能章、進級の面でも実績をあげつつあります。ただボーイスカウトとしての"形"にやや欠けるところがあった点は否めないでしょう。しかし、友団との合同キャンプ等で今やその面でも開眼しつつあります。鬼に金棒です。
 楽観ついでにもう少し言わせて戴くならば、97団の宝は、長短の差こそあれ97団に籍を置き、南山の「息吹」を味わった150余名のスカウト達、とりわけ今は離れた地で学んでいてもいざという時には馳せ参じてくれるRS、ほぼ10年ぶりに隼を産み出し、負けじと後に続く者の控えるSS、「善いことを堂々とできるスカウト活動が楽しい」と言い、目をランランと輝かせながらリーダーの話を聞くBS、大声を張り上げ「永遠のスカウト」を歌い続けるCS、児童公園めがけてまっしぐら、元気一杯のBVS、総勢44名の現役スカウト達です。頼もしいかぎりです。
 大岩隊長に続く団育ちのリーダー、団委員現れよ。

一味違う貴重な時間

団委員 小澤 淳子

 早いもので97団に入団して6年が立ちました。当時は、スカウトハウス手前には、トーテムポールがあり、ハウスは、子供たちの基地にピッタリの木造りの小屋でした。聖堂と現在の中庭との間の緩斜面は、ビーバーやカブの子供たちの恰好の遊び場でした。ダンボールのそりで滑り降りたり、それは楽しい空間でした。
 夏期舎営、水泳、スキー訓練はもちろんのこと、クリーン作戦、野外料理など、学年の違う子供たちが入り交じって、思いのままに、時には隊長たちのお目玉をくらいながら過ごすひとときは、学校や家庭ではあじわうことのできない貴重な時間でした。BP祭や上進式での神父様のお話しは、97団ならではのもので、心に深く響くものでした。息子も、ボーイスカウト活動を通して少しずつ成長しているようです。我が家がこれまで97団と連なってこられたのも、役員、指導者の方々の寛大さ、暖かさがあったからです。
 無償の奉仕の心に頭が下がり心より感謝しています。

神に感謝!

団委員 沢木 勝茂

 愚息がボーイスカウト第97団の一員となって7年が経ちました。この間、私自身は団委員とは名ばかりで、たいした貢献も果たせずにおりますことは誠に申し訳なく、色々な行事の折にお世話くださるリーダー方には、ただただ頭の下がる思いです。
 現在、息子はシニアとして、97団だけでなく、他の団との交流に参加する機会を与えていただき、活動の場が広がっていくのを頼もしく眺めております。ボーイスカウトであるがゆえに、普通ではできない体験をし、その中から学ぶことが、息子の人間性を少しずつ育んでいくように感じるのは、親の欲目でしょうか。特に、阪神淡路大震災のあと、ヘルメットを被り、炊事道具を携えて救援に出かけ、短期間とは言え復旧のお手伝いができたことは、本人にとっても、また見守る家族にとっても、得難い貴重な経験でした。
 97団は、南山教会を本拠地としておりますから、信者でないスカウトにも、隣人への奉仕ということが自然に身につくことを期待しています。
 日々のスカウト活動の中で、ときには人を傷つけたり傷つけられたり、悩んだり迷ったりすることも多々あるようですが、そのーつーつを乗り越え、社会の良きー員へと逗しく成長してくれるよう祈る今日この頃です。二十周年にあたり感謝をこめて

大手を振ってできる善行

団委員 祖父江 則子

 今街角でスカウトの制服姿を見かけると、「あ、カブ達だ。」「あ、ボーイに今からいくんだ。」とついつい声に出して言ってしまいます。でもわたしにとってボーイスカウトとは、我が子がある日突然「おかあさん、今公園でそうじをしているカブスカウトのお手伝いしてきたよ。ぼくもスカウトに入る!」と叫んだその日まで、縁もゆかりもなければその姿さえ見た記憶がない程未知の世界でした。なにがなにやらさっぱりわけがわからなく、カルチャーショックさえ感じていた親をしりめに子どもはすっかりはまっていきました。子どもは野外の体験や知識がだいすきです。おおでをふってできる善行がだいすきです。縦社会の仲間も本当に貴重です。今の学校にはのぞめないことばかりです。少人数の団でしたけど、だからこそ学校に収まりきらない子どもをのびのびと受入れ、見つめ、言いたい放題にも耳を傾けくださったのだとおもいます。この97団に子どもの抱えていたなにかが救われたと思います。感謝。感謝。ちょっと大袈裟に聞こえますか?とんでもない。親のわたしも随分育てていただきました。親子で本当に大感謝です!!ありがとうございました。
 97団の20周年を心よりお喜びいたします。

笑顔の97団

団委員 池田 純子

 指導者不足で廃団も・・・の声も聞きました。又、外からは、落ちこぼれの団との陰の声もあった様です。しかし、二十才を迎えますこの数年の97団は違います。カトリック教会が母体である97団は、忍耐強く育てられました。その時、そのとき、助け手を送って頂き、いつの時代も心豊かなリーダーとスカウトの集まりでした。97団で共に籍をおいた皆さんのお顔が懐かしく思い出されます。お仕事や、他の活動をなさりながら、実に惜しみなく、スカウトのために自分の時間をさいて「ハイ、私がします」の言葉を。しかも笑顔なんです。こんな素敵なことはありません。そして、スカウトの一人ひとりの成長を心から喜んだり、心配したりしていらっしゃるリーダーやお母様方の姿に、いつも感動させられて来ました。すべての行事を楽しく終わることの出来ますこの団質が、いつまでも変わることのありませんように。こんな素晴らしい人達と活動できますことに感謝申し上げます。

子供の成長期を共に

団委員 下平 法子

 創立20周年おめでとうございます。私が最初にボーイスカウトに接したのは、浦和第4団に子供を入団させた時です。常にカブスカウトが30名位在籍していて組単位で様々なプログラムをやっていました。その頃はボーイ隊のカッコいい帽子にあこがれたものでした。今から10年前に名古屋へ転居して、まず目についたのがスカウトハウスにかかっていた97団の案内でした。2人の子供が大変お世話になり、私も何もわからないうちにデンマザーとなり、長期舎営やスキー等に参加して、楽しい想い出が沢山できました。子供の成長期に共に参加出来たことはとても素晴らしい経験でした。これからも益々97団が発展してゆくことを祈っております。

根羽村のキャンプ

OB 蒔苗 直道

 97団での活動で様々な経験をさせていただきました。私個人としては、文字どおり「語り尽くせぬ」ものでありますが、もっとも印象深いのは、根羽村でのキャンプです。
 小学校6年の夏、ボーイ隊の一年目。布池教会の64団との合同キャンプでした。カブの時と違い、ボーイでは食事は全部、自分たちで作り、寝るのもテントになります。慣れない上、水汲み、炊事のような辛いことは後輩の仕事。テントも先輩は新しいテントで、我々は古い雨漏りテント。今、報道されるような悪質なものではありませんが、先輩の「いじめ」もありました。それに比べ、布池のスカウトのキャンプはとても楽しそうに見えました。夜、一年目のスカウトだけが集まった時は、みんなで「やめよう」と話しました。このキャンプから大分経ちますが、なぜかこれが楽しかったことになっています。実際、「やめよう」と話した連中と私とは、シニアの終わりまで97団にお世話になっています。

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