ボーイスカウト名古屋第97団 発団20周年記念

隊長・副長・スカウトの声

ビーバー隊は楽しいヨ

隊長 石川 道子

 ビーバー隊の活動は、指導者にとっては体力と忍耐力が勝負です。知力は要りません。2年前から、優しくしっかり者の澤田さんに助けられながら、活動してきましたが、昨年から、若手の元気な谷口さんが加わってパワーアップ!ビーバー隊の人数も多く、毎回、楽しく活動しています。現在、ビーバー隊員は小1が5名(大塚君、澤田君、西田君、春田君、久田君)、年長の尾関君と年中の内海君の7名です。いずれも、個性的で元気な子供たち揃いで、私たちを指導者とは思わずに、遊び仲間だと思っているフシがあります。ビーバースカウトはボーイスカウト活動の出発点です。「仲間といることがこんなに楽しい事なんだ」と分かってくれればいいかなというのを目標で、思いっきり甘やかしてやっています。ビーバーからカブ、ボーイと進級していくうちに、ボーイスカウト活動精神を理解すると信じています。まず自分が楽しむことから始まり、仲間がどうしているかが目に入るようになり、ついに下の子の面倒を見てくれるようになってきて、これから役に立ってくれると思うと、カブに上がってしまいます(伊藤君、鬼頭君、高橋君、カブでも元気でやってる?)。ビーバーを巣立ったみんなが、立派なスカウトとして成長していくのを、そばで見守られるのが、何よりの幸せです。

20周年を迎えて

カブ隊隊長 大岩 均

 弥栄、20周年おめでとうございます。20年と言っても、一言では言え無い感慨があります。これまでの長い道のりには、壁のように立ちはだかるいろいろな問題があったりしました。その度に多くの人々に支えられながら、解決できる事は解決し、出来なかったことは、我々の課題として解決するよう努力をしながらここまできました。
 私が、ボーイスカウト名古屋第97団のお世話になって、早くも18年が過ぎようとしています。そのうち、リーダーとしてスカウト活動・団の運営などに参加しているのは、約6年になります。入団当時にいた仲間が、諸事情でだんだん少なくなっていき、結果最後まで残っているのは、私一人になってしまいました。リーダーとしてここまで続けてきた理由は、おおげさになるかもしれませんか、12年間お世話になった恩返しのためと、子供好きということ。そして、なによりもスカウト活動の一つ一つが、自分にとってとても大切な事になっていることがあげられます。今私たちがいる環境は、自然との触れ合いもほとんど無く、子供たちが生きているものの命の尊さや、感謝・いたわりの心を学ぶのも困難な状況です。だからこそ、スカウト活動の中でそれらを一緒に学んでゆきたいと思います。まだまだ未熟者ですが、これからも子供たちと一緒に成長して、30周年・40周年と経験を積んでゆきたいと思っております。

スカウト活動の原点に

カブ隊副長 西岡 喜嗣

 名古屋97団が生まれて20年を迎えることが出来ました。大変うれしく思いますと同時に、よくぞここまでと、関係各位のご努力に対しまして、より敬意を捧げ、感謝申し上げます。
 育成母体である南山教会の深いご理解と援助、スカウト達のたゆまざる精進、保護者のご協力、草創期の指導者新里隊長を始め、あまたリーダー諸氏の献身、団委員諸公の忍耐強いご支援、名古屋東地区役員の方々、友団あげての応援の賜物だと思います。どれが欠けても、今日は迎えられなかったことでしょう。ありがたいことです。あらためて、全ての方々の人知に感謝あるのみです。在籍した全てのスカウト達はこの事に、感謝し、誇りに思うべきでしょう。
 近年、世の中、物質文明のみが異常とも思える程、豊かになりました。ご多分に漏れず、スカウト達もこの中に溺れ、埋没してしまっています。当然スカウト達にこのような現状が良いか悪いかの認識はありません。このことは、あながち彼らスカウト自身に責任のあることではない、と私は思っています。
 彼らは成長途上、発達途上、前途洋々の未完、未熟の器なのです。大人がしっかりと手本を示すべきです。
 昨今、総無責任のご時勢です。大人の社会が乱れ、‘価値観の多様化’なる耳ざわりだけがよくて本質論の欠如した表現に、最低限のことの善悪の判断さえもが蹂躪され、真理・理念が蔑ろにされ、ことなかれ主義と日和見主義と、拝金主義がのさばっています。
 公私のけじめを理解できない人が多くなっています。
 他人を慮り、他人を労ることなく、他人を蹴落とし、他を顧みないだけの、やさしさのかけらも無い競争原理の横行と、他人の欠点をあげつらう大人の社会に、なにもかも横並びの悪平等主義、皆と同じであることを要求される不合理に子供たちは気づき、子供たちの気持が傷つけられています。
 子供たちは困惑しています。
 子供たちの人権の尊重が声高に吹聴はされてはいますが、真の人権の何たるかは論議されません。高い学力はあっても、それを知る成熟した大人が少なくなりました。
 『世間さま』の動静に明るい人が少なくなりました。
 先生とよばれる聖職者たちまでもが、哲学と高い見識と、誇りと指導力という真の行動力を持ち合わせていなくなってしまいました。
 スカウト活動の原点は、何事によらずスカウト自らが考え、判断しつつ行動できる人を育成する手助けをすることにある、と私は考えます。
 ことの善悪、ことの理非、社会との関わり方、生きとし生ける生物の中でのヒトの位置づけ、人と人との関わり方、自然との接し方などなど、基本にたちかえり、彼らスカウト達と、互いに切瑳琢磨させてもらっていると私は思っています。
 口はばったくて僭越な言い方ではありますが、『保護者、リーダー、スカウトに係わる全ての人々が、スカウト活動の原点に立ち返る』ことが20周年の意義だと思います。
 スカウト諸君! 楽しく活動しましょう。97団
 弥栄
 弥栄
 弥栄

発団20周年に想う

ボーイ隊隊長 小林 敬明

 三指 桜の季節を過ぎ、若葉の萌ゆる今日、早いもので発団20周年を迎えることになりました。発団と同時に、スカウトハウスも産声をあげ、多くの皆様方のご協力によって設立されました。あれから20年間、多くの団員達の活動の場として活用され、数多くの歴史を築いてまいりました。夏のキャンプ、バザーでの流しそうめん、クリスマス会、冬のスキー訓練、想い出は限りなく、スカウトハウスでの歴史は、私のBS活動の歴史でもあります。自分自身を振り返れば、この20年間に何が出来たであろうかと恥ずかしい思いですが、スカウト達と共に時を過ごし、団の成長と共に、私も共に成長させていただいた様に思います。現在は、マリア館の新築にあたり、想い出深いスカウトハウスはなくなり、カトリック会館の一室を、スカウトルームとして使用させてもらっています。私はスカウトハウスの想い出を、その鍵と共に心に刻み、これからの活動に役立てたいと思います。今后とも、より多くの皆様方の御理解と御協力をいただけますように、そして、スカウト活動の今后の成長の為に、御指導とお祈りを、よろしく、お願い申し上げます。弥栄

神戸大震災奉仕

前ボーイ隊隊長 林 京一

 発団20周年、おめでとうございます。
 私が、97団にお世話になったのは、平成6年からの短い期間ですが、多くの楽しい思い出を作ることができ感謝しています。
 平成7年4月30日、私たちボーイ隊は、神戸鷹取教会の奉仕活動に参加することになりました。今では、ニュースでも神戸の大震災を伝えることは殆どありませんが、当時は、ニュースの大部分が神戸のことを伝え、騒然としていました。奉仕活動に参加した子供達は、各地から集まったボランティアに混じって真剣に復興について考え、体を動かし、奉仕について、子供なりに考えさせられる体験であったと思います。
 これからもスカウト達が、神戸大震災のような奉仕活動をすることが幸せかどうかは、わかりませんが、多くのことを身をもって体験し、有意義な日々を送って頂きたいと願っています。

20周年を迎え、さらに一歩前進

シニア隊隊長 玉田 恭彦

 私が名古屋97団に入団したのが14年ほど前、子供がCSに入隊したのがきっかけで「何かお手伝いを」と言うことで最初は団委員(組織拡張委員)としてスタートし、2年後にはCSの副長、その2年後にはCSの隊長と、思いもよらない大役を引き受けてしまいましたが、スカウト活動を通して子供達の明るい笑顔や日々成長してゆく姿を見るにつけ、私自身も励まされ、楽しいスカウト活動を送る事が出来ました。
 現在は野営行事委員を経て、3年前からSSの隊長としてスカウトと共に活動をしていますが、スカウト活動は「寝食を共にし、仲間として互いに解らないことを教え合い、助け合う」と言う仲間意識の元に「よりよき社会人に」を目標に活動するのが真の目的だと思います。SSスカウトは部活に塾にと、いそがしい毎日を送っていますが、スカウト活動を続ける事の大切さを知り、各自の目標にむかって日々励んでいます。スカウト活動にはもうこれでいいと言うことはなく、目標をクリアすればさらに次の目標に向かってさらに一歩前進、そして、スカウトとして、社会人としても良きリーダーになるよう期待されています。20周年を迎えるにあたり、これまで色々な方々(父母、インストラクター、友団、地区委員)に多くの励ましと指導頂いたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、97団のスカウトに暖かいご支援とご指導を賜わりますよう宜しくお願い申し上げます。

インストラクターの人達にまず感謝

シニア隊副長 林 雅雄

 私の息子が現在高校2年。カブの小4の時からお手伝いが始まりましたから、足掛け8年。幸運にも20周年の節目に居合わせる事ができました。
息子と同じ学年の子供達が7人いました。勝手に私が7人の侍と名付けた子供達でしたが、私の思い出はというと、彼等の活動そのものが思い出だと言えますね。小6の時、卒業記念の中津川サイクリング、随分パンクしました。
 きれいな若狭の海の水泳訓練。あれ程遠泳を頑張れるとは思いませんでした。恵那山縦走は、雪の中の下見のえらかった事。スキー訓練は彼等のレベルが上がるにつれ、ひるがのから薮原、栂池、朴の木とゲレンデが変わり、インストラクターの人達も増えて来ましたね。
 阪神大震災の神戸鷹取教会のボランティアは、家をー軒壊してきました。電気のつかない真っ暗な都会というものを想像出来ますか?
自然の力をまざまざと見せつけられた体験でした。後で子供達が書いた感想文は、本当に貴重な経験で埋っていました。ある親ごさんは、今まで親子の会話が少なかったのが、あの経験を境に、子供の方から話かけて来るようになりましたと喜ばれました。
 御在所のロッククライミングも、強烈な思い出として残っていますね。1本のザイルに命を託して、わずかな岩のとっかかりで登る。この時から隊長の玉田さんとは、本当の意味での戦友になった気がします。その恐怖感が冷め切らないうちに思わずクライミングシユーズを買っていました。それほど魅力のあったフログラムでした。
 ラフティングや、山菜取り、乗馬、まだまだ書きたい思い出はたくさんありますが、お父さん方に是非伝えたい事は、子供達とー緒になって楽しんでみて下さいという事です。
 こちらが楽しい事は、きっと子供達も楽しいんです。その逆もあります。子供の成長には目を見張ると思いますし、又友達のスカウトも可愛いくて仕方がなくなりますよ。是非童心に帰って楽しんで下さい。
 最後に、いろいろな失敗を大目に許して下さった団関係者には、心から御礼申し上げます。
 又さらなる30周年に向けて、ますますのご発展をお祈り申し上げます。

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