マダガスカルの料理はおいしいこととバリエーションが豊富なことで有名だ。 イギリスの旧植民地ではインド以外ではあまり料理文化は発展していないのに対し、フランス旧植民地では味に定評がある国が多い。 ベトナム、チュニジア、モロッコ、etc. マダガスカルもそのうちの一つで、現地の素材をフランス風にアレンジしたものが有名だ。 有名なのはルマザーヴァという肉または魚と野菜のスープ風煮込み料理。ラヴィトトというキャッサバの葉と豚肉を合わせて煮た料理もある。 スフィンキスアという豚の耳の煮込みもおいしそうだ。その他にやはり島国らしく魚介を使ったものも多い。 ところで、Nosy Beの海沿いのホテルはそれぞれが一定の距離を保って建てられているようで、町からも離れているし、隣のホテルまでも数キロある。 つまり隔離されたような場所なので3食ともホテルのレストランで食事を摂ることになる。 ウェイター: 「ご注文はお決まりでしょうか」 僕はロクにメニューを見ないまま、 僕: 「“今日のおすすめ”をください」 と言った。 メニューにはたくさん料理が並んでいて、優柔不断な僕には選ぶのが大変なのだ。 仮にどれかを選んだとしてもあとから別の何かに目移りしてしまう可能性もある。 また、それぞれの料理を理解しても味付けまでは予想できない。 ならばいっそ運に任せてみるのもいい。出てくるまで、どんな料理が出てくるんだろう、と想像するのもまた楽しい。 僕はいつもレストランではこうしている。オススメにするにはそれなりの理由があるはずで、きっと「いい材料が豊富に手に入った」とか「季節の材料だから」とかそういうのに違いない。 もちろんたまにはハズレがあって、在庫処理のためだったり、不味かったりすることもあるのだが・・・。 ウェイター: 「お待たせしました。スパゲティボロネーズになります」 え? スパゲティとは小麦粉を練って麺状にしたものを茹でて食すイタリアの料理の麺類、パスタの一種だ。 麺の太さ、形によってペンネ、リングイニ、マカロニ、と名前を変えるが基本的には同じものである。 イタリアのチェルヴェーデリで紀元前4世紀の墓からパスタの遺物が発見されたものが最古のものとされていて、当時にはすでにイタリアで麺状の小麦粉は食されていたらしい。 日本には戦後に伝わり、1960年代後半から一般に浸透するようになる。 1980年代中盤のバブル景気下でイタリア料理がブームとなり、本格的なパスタ料理が知られるようになったが、それまでは日本のスパゲティといえばミートソースとナポリタンくらいなものだった。 マダガスカル関係ないじゃん!! 見ると、大皿にこれでもか、というくらいにスパゲティが大盛りになっている。400グラムくらいあるのではないだろうか。 かつてTVチャンピオンでは大食い選手権というのがあり、ギャル曽根はその番組出身のタレントなわけだが、 僕はジャイアント白田ではない。 呆気にとられている僕をよそに、ウェイターは、 ウェイター: 「付け合わせ(Side Dish)です」 といって、小ぶりな皿をテーブルに載せた。 それは白いごはんだった。 マダガスカルでは白米をよく食べる。もちろんササニシキとかコシヒカリのような種ではないものの、長粒種という点では日本で流通しているお米とほぼ変わらないらしい。 パン食が始まったのは17世紀にフランスなど欧米が進出してきてからであり、12世紀にはマレー系が米食を営んでいた。そういった意味では確かにマダガスカルの食事には違いない。 だが、ちょっと待ってほしい。いろんな意味で待ってほしい。 やはりここはキャッサバとかサフランライスを持ってきてくれるのがセオリーというものではないだろうか。 それにもしこの取り合わせを、栄養学の先生が見たら卒倒するに違いない。 炭水化物だけではないか。 確かに僕は「きつねうどんに小ライス」という注文をすることがある。 ラーメンと半チャーハンというセットもよく食べる。 しかしそれはスープがあるから可能なのであって、これでは・・・。 それはやはり数口食べたあとに起こった。 口の中の水分がなくなった。 とりあえずゆっくり食べることにしよう。 ナイフとフォークをおいて、時々ミネラルウォーターを口にする。 だ、ダメだ。胃の中で膨らんできている気がする。 しかし、水分なしで炭水化物オンリーはキツイ。 一方で、僕の斜め後ろではウェイターが僕の食事を見守っていた。 逃げることはできなかった。 マダガスカルのビーチにバカンスに来て、僕は何をしているのだろうか。 泣きそうになりながら僕は必死でその疑問を頭から払いのけようとしていた。 戦いはまだ始まったばかりなのだから。 |