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  在日韓国・朝鮮の人たちの事情 2003年資料 高校「政治経済」


資料1 ビデオ

● 日韓の高校生の交流と歴史問題についての討論 (2002.5 NHK) 18分
● 在日韓国・朝鮮の人たちがぶつかる国籍の壁 (1996.12 NHK「ETV特集」より編集) 15分



資料2 新聞記事

asahi.com 2003.3.16
在日外国人の立場から 市川の林さん  

 2月末の土曜日、林永起(イム・ヨン・ギ)さんは横浜市みなとみらい地区の公園にいた。顔には「タマちゃん」メーク、周りにはインターネットで知り合った在日外国人の仲間たち。
 「タマちゃんが住民票をもらえるのに、私たちがもらえないのはなぜ」。寒空の下で訴えた。「住民票がないから住民とは認められない。だから参政権もない。こういう理屈です」
 林さんは在日韓国人3世。青森県で生まれ、小学校に入る時に県内に引っ越してきた。日本人と一緒に地元の学校に通った。「自分の名前が周りとは違うなと感じた以外は、特にいじめられたこともない。本当にごく普通の学校生活だった」
 高校の時、父親に連れられて参政権獲得を訴える集会に初めて行った。「参政権」。授業で習ったその権利が自分にはないことを知った。
 16歳の誕生日前だった。市役所から外国人登録証の本人申請の手続き通知が送られてきた。「周りの友達が必要ないことをやらないと一人の人間として認められない」と思い知らされた。
 運転中に交通検問にあった。免許証を見せると、警察官が「外国人登録証を見せなさい」。「どうして免許証だけではダメですか。私は特別ですか」と食い下がった。
 大学を卒業後、在日本大韓民国青年会に勤める。在日外国人に地方参政権を与えるよう、法改正を国会議員に求めるのが重要な仕事の一つだ。ある議員に「同じ住民として政治に参加する権利があります」と訴えると、こんな言葉を返された。「日本国籍も取らないで、日本と韓国が戦争になったら、あなたは韓国人を殺せますか」
 市川市議会を傍聴したことがある。駅前のカラス駆除をどうするか、バス路線をどう設定するか……。身近な話題ばかりだった。「この議論になぜ参加できないのか。納得できない」
 在日1世を対象に、過去の体験の聞き取り調査を3年前から進めている。強制連行や強制労働、民族差別など、過酷な歴史だった。しかし、いまそうした差別はなく、在日韓国人も日本人も友達の多くは、在日外国人に参政権がないことさえ知らない。
 「目に見えない差別。この方が実は取り除くのが難しいのかもしれない」



asahi.com 2003.3.1
朝日新聞 「秘伝・うちの味」 再会願う希望の彩り クジョルパン

 商店街はハングルの看板が目立つ。店先には何種類ものキムチが山盛りになり、食欲を誘う独特の香りが漂う。大阪市生野区は、川崎市と並ぶ全国でも有数のコリアンタウンだ。約3万4000人の在日韓国・朝鮮人が住む。その一角で、李順子(イ・スンジャ)さん(63)はブティックを経営している。
 クジョルパンは、漢字で書くと「九節板」。韓国の宮廷料理だという。八角形の器に盛りつけた8種の具を、真ん中に重ねたクレープのような皮で包んで、たれをつけて食べる。器は美しい貝殻細工の螺鈿(らでん)を施した豪華なものだ。
 在日韓国人2世の順子さんは35年前にこの料理を知った。日本で韓国料理といえば、まだ焼き肉やキムチしか知られていなかった時代だった。多彩な具の味と食感のハーモニー。自分と同じ民族がこんなに華やかで繊細な料理を作りだしたことを知って、感動した。
 両親は済州島の出身で、十代のころ強制連行で大阪に来た。父は北海道の炭坑、母は大阪の紡績工場などで働いていた。一家は一時、千葉県へ。順子さんは8歳。戦後の混乱で学校へ行けず、字が読めなかった。4年生になる年齢なのに2年生に編入された。父は密造酒造りを始めた。冬は清酒、夏は麦焼酎。順子さんも学校を休んで手伝った。父は酒を売りに行くと、3日も4日も音さたがなく、泥酔して帰ることもあった。
 差別されるのがいやで、人一倍「よく出来る子」「しっかりした子」であろうとした。あえて、密造酒追放キャンペーンのポスターコンクールに応募し、入選したこともある。
 日本名の「クニモトジュンコ」をやめ本名の「イ・スンジャ」を名乗ったのは、20歳の時だった。在日のため就職できず、劣等感にさいなまれていた。近所の青年に誘われて出かけた同胞の集会で、「自分にも祖国がある」と気付いた。歌が好きだったので、祖国の言葉を覚え、祖国の歌を歌い、それを同胞に教えた。そうした運動の中で知り合った済州島生まれの画家李景朝(イ・キョンジョ)さん(66)と結婚した。
 そして、あの繊細な味と出会った。
 景朝さんの師で、洋画家の故鴨居玲(かもい・れい)さんから「パリで食べたクジョルパンという韓国料理を作ってほしい」と頼まれた。親類や近所の誰に聞いても知らない。やっと見つけた本を頼りに作ってみると、鴨居さんは大喜びした。「なんと優しい複雑な味わい。シンプルでいながら上品でおいしい」。それから毎年元日、鴨居さんのお宅へ届けるようになった。いつの間にか李さんの家でも正月や、お祝い事の際の主役になっていた。
 順子さんは81年から、関西などで「望郷を歌う」と題したコンサートも開いている。このきっかけをつくったのも鴨居さんだ。心の底からわき出すような声で歌う「アリラン」に感動し、プロデュースを買って出た。
 朝鮮半島の分断から半世紀。去年のサッカーW杯で、生野の街は「南」も「北」も関係なく、韓国代表の活躍にわいた。今は北朝鮮による拉致問題や核疑惑が微妙な影も落とす。順子さんの店の向かいにある景朝さんのアトリエには、150号の油彩画が掛かっていた。暗い色調の中に浮かぶ2人が手を差し伸べあい、わずかに互いの指の間があいている。72年、将来の「統一」に向けた初の南北共同声明に希望を抱き、描き上げた。題名は「再会」だ。(吉野園子)



asahi.com 2002.6.21
朝日新聞投書欄『VOICE』 「私たち、日本人」と「アジア人」  鈴木智美/オレゴン州在住

 8年前、米国に来てからまもなく、「アジア人」であることを強く意識するようになった。単に容姿の相似による客観的な認識ではなく、主観的にある種の「共感」を覚えた。大学で、中国語を専攻した理由もここにある。仲のいい友人の多くも「アジア人」であった。
 そんな矢先に、それを覆すような出来事に直面した。韓国系アメリカ人の友人宅へ遊びに行ったときのことである。友人の親戚のおばさんが、流暢な日本語で私に話しかけてきた。 「日本語、お上手ですね」とコメントすると、彼女は、「年寄りですから」とだけ答えた。突然つじつまが合わなくなった会話に、私は困惑を隠せなかった。
 それからしばらくしてからだった。日本の韓国占領、従軍慰安婦問題、そして、友人の祖父が日本軍に殺されたことについて知ったのは。
 日本政府の中国、韓国に対する再三にわたる「謝罪」に、一体何度謝れば気が済むんだ?と疑問を抱く日本人も増えている。反日感情をナショナリズムの基盤にしている中韓両国の政策も否定できない。しかし、それは日本側を正当化する理由にはならない。「謝罪」とは、「謝る」という行為そのものではなく、自己を省みて、「改心」を態度に示してこそ意味を持つ。日本は、その態度に欠けるのだ。外交政策以上に、日本社会のアイデンティティー・クライシスがその原因かと思われる。
 「私たち、日本人」は、「アジア人」だと思い込んでいた私は、その「アジア人」について何も知らなかった。そして、「私たち、日本人」のことも。
 そもそも「私たち、日本人」と総称しているのは、一体誰のことなのであろうか? こうした総称こそが、主観的にも客観的にも日本の「単一性」社会という錯覚をおこし、アイヌ人、沖縄人、在日韓国朝鮮人など、「私たち」に含まれない「日本人」を抑圧してきたのではないだろうか?
 日本の集団主義社会を否定しているわけではない。しかし、その集団主義の裏に隠された狭義な「単一性」が持つ危険性を理解せずに、「私たち、日本人」はありえない。それは、「私たち、アジア人」を謳った日本帝国主義の正当化にもつながりかねない。日本の多義的な集団社会を認めてこそ、「私たち」「日本人」は、初めて「私たち、日本人」になるのではないだろうか。そしてこれは、「私たち、日本人」が「アジア人」になる第一歩となるだろう。
 そうした視点こそが紛争を予防し、ゆえに、日本帝国主義の犠牲者に対する償いへとつながるような気がする。政府が失敗した「謝罪」を克服し、日本がアジアの一員となり得るかどうかは、「私たち、日本人」の手にかかっている。



1.歴史的背景

・明治期以降の日本社会・・・・・・西洋社会へのあこがれとアジア・アフリカ社会への見下す意識
    ・欧米=進んだ社会
    ・アジア・アフリカ=おくれた社会
          → 西洋文化中心主義と進歩史観。「脱亜入欧」
          → 植民地支配と人種差別の正当化

    ・富国強兵による日本のアジアの侵略
    ・日本人のアジアの人々を見下す意識 → 現在までつづいている

・日本による朝鮮半島の植民地支配 明治中期〜第2次世界大戦の敗戦(1945年)まで
    ・韓国併合(1910)
    ・軍事力を背景にした力による支配・・・・・・日本兵による暴力
    ・朝鮮文化の否定
       ・日本語の使用
       ・天皇崇拝の強制
       ・創氏改名
          → 年輩の人はたいてい日本語を話せるが、日本語を使うことには複雑な心境。
          → 上記の新聞記事の韓国出身のおばさんによる「年寄りですから」の一言は重たい。

    ・朝鮮半島から日本へ出稼ぎに来る人(パスポート不要)
    ・強制連行・・・・・・太平洋戦争末期、労働力不足を補うため植民地の住民を強制連行し奴隷労働

・日本の敗戦(1945)・・・・・・植民地を失う
   → 朝鮮半島の人たちは一方的に日本国籍を剥奪。
     本人に国籍の選択権はなく、権利や立場はうやむやにされる。
       ・朝鮮半島に帰る人
       ・日本に帰化する人
       ・在日韓国・朝鮮人として生きることにした人



2.在日韓国・朝鮮の人たちの現状

・人口は日本全体で約63万人。
・登録されている外国人のうち在日韓国・朝鮮の人は約1/3をしめる。
・日本の植民地政策にルーツのある人が多く、その子孫である2世3世も多い。
・長く日本に住み、特別永住権を持っている人が多い。
・神奈川県川崎市や大阪市生野区にはコリアンタウンがあり、在日の人が多い。
・在日外国人総数の増加によって、外国人全体に占める韓国・朝鮮系の人の割合は低下傾向にある。
・日本人による差別や偏見は以前に比べてなくなってきている。
・とくに若い世代ほど、在日の人への偏見は薄れている。
・差別がなくなったわけではなく、拉致事件のようなできごとをきっかけに、差別や嫌がらせが表面化する。
・芸能人やスポーツ選手にも在日の人は多いが、オープンに公表できるほど偏見の目はなくなっていない。
・彼らが在日であることをカミングアウトするにはかなりの勇気を必要とする状況は続いている。



3.在日の人たちをめぐる権利のあゆみ

【リンク】 「アンニョンハセヨ参政権」より 在日外国人の権利のなる木

ポイント

1.在日の人たちの戦後は、一方的に日本国籍を剥奪されるところからスタートする。第2次大戦後にドイツがオーストリア市民に行ったような国籍の選択権は保障されず、彼らは権利や立場はうやむやのうちの放置されることになる。そうした中で朝鮮半島へ帰る者、日本に帰化した者、在日韓国・朝鮮人として生きていくことにした者とがあった。

2.1965年以前は永住権もなく、もし犯罪を犯せば国外追放される場合もあるという不安定な立場だった。

3.1980年代以前は、在日の人への就職差別も日常的にあり、いったん決まった就職先から在日韓国人であることを理由に入社をことわられるというケースもしばしばあった。
(日本人の中には、在日の人を「カネに汚い」とか「身内意識が強く閉鎖的で恐い」と嫌う人がいる。しかし、日本社会の中で日常的に差別的な扱いを受けていれば、誰でも他人を信用しなくなったり、カネに執着する傾向がみられるのではないだろうか。)

4.現在では在日の人たちの多くの権利が保障されるようになっている。しかし、これは時代とともに日本社会が自然に変わってきたのではない。あくまで、彼らが自分たちの権利の拡大を主張しつづけてきた成果といえる。たとえ相手から鬱陶しいと思われても、声に出して主張しなければ、社会は変わらない。

5.現在、在日の人たちが制限されている権利はおもに次の2つ。
1.公務員の職種で、社会的に影響力のあるものにつくことができない。 (警察官、裁判官、外交官、一般公務員の管理職以上など) 2.国政選挙・地方選挙の両方とも参政権がない。
6.在日の人たちの参政権はしばしば議論されている。賛成・反対の主張はそれぞれ次の通り。
●賛成  在日の人たちの多くは日本で長く暮らし、永住権を持っている。このことは彼らが日本社会の一員であることを意味している。それにもかかわらず、彼らに参政権がなく、社会の重要な決定に参加できないというのは矛盾している。例えば、ゴミ焼却場や原子力発電所がその地域に建設されるといった場合、国籍に関係なくまわりの住民は大きな影響を受ける。そうした住民の決定に在日の人が参加できないのはすじが通らない。なので、とりわけ地方政治については市民生活に直接影響を与えるものであり、彼らの参政権を保障するべきだ。

●反対  参政権というのは国というワク組みをとおして政治に参加するしくみだ。もし国籍に関係なく参政権が保障されてしまったら、国というワク組みが意味のないものになってしまうし、政治参加が無責任なものになってしまう。在日の人々が日本の植民地支配の被害者であることはわかるが、日本社会に所属し日本を良くしようという意志があることをはっきりさせるためにも、まず日本への帰化手続きをしてほしい。


4.在日の人たちは不自由な思いをしながらもなぜ日本に帰化しないのか

1.民族的ルーツとのつながり。
 ほとんどの在日韓国・朝鮮の人は朝鮮半島とのつながりを失った人たちである。その上、国籍まで日本に帰化してしまったら、自分のルーツとのつながりまでも失ってしまう。朝鮮の人たちは日本人以上に祖先とのつながりを大事にするという習慣がある。
2.異なる文化をもつ人を受け入れる社会であってほしいという願い。
 権利を保障してほしいのなら日本国籍を取れというのは、日本人でない限り人権が保障されなくてもしかたないということで、この問題の本質的な解決にはならない。国籍に関係なくすべての人が平等に権利が保障される社会をつくることこそ大事だ。
3.日本に帰化することは差別に負けたことになってしまう。
 多くの在日の人たちには、在日であることで日本人から偏見の目で見られたり、差別された経験がある。そういう経験のある彼らが日本国籍を所得するということは、日本社会の差別に負けたことになってしまう。また、自分だけ日本国籍を所得することは、在日韓国・朝鮮人の権利の向上をもとめて苦労している仲間たちを裏切ることになってしまう。
4.日本国籍の所得にはすごく手間と時間がかかる。
 日本国籍を所得することは、手間と時間が非常にかかる。帰化の申請から承認までに5年以上待たされることもしばしばで、その間にたびたび役所から呼び出されることになる。
5.日本政府によって、戦後、一方的に国籍を剥奪(はくだつ)されたという歴史的ないきさつがある。
 在日の人たちの多くは、日本の植民地政策を背景にもつ人たちである。彼らは戦前は日本政府によって一方的に日本人にさせられ、戦後は一方的に日本国籍を剥奪された。そこには彼らの選択権はまったくなかった。日本政府は一方的に彼らの日本国籍を剥奪しておいて、もし日本で権利が保障されたいのなら帰化申請して日本人になれというのでは、あまりにもひどい扱いだ。


資料3・諸外国での外国人の参政権

【リンク】 asahi.com「eデモクラシー」より 諸外国での外国人の参政権



資料4・血統主義と生地主義

 世界には国籍所得の方法に、血統主義を採用している国と、生地主義を採用している国があります。  血統主義というのは、親がその国の国籍を保有している場合に、その子供に国籍を保障するというやり方です。つまり、国民であることは親から子へ代々受け継がれるものという考え方です。  一方、生地主義は、自国の領域内で生まれた子供に国籍を保障するというやり方です。こちらはその土地で生まれ育った者はルーツに関係なく、同じ国のメンバーであるという考え方が背景にあります。
 一般的に、民族的統一を基盤にして中央集権的な社会をつくってきた国々では、血統主義が多いのが特徴です。逆に、南北アメリカやオーストラリアのように移民を多く受け入れて成立してきた国々では、生地主義が主流です。
   ・生地主義の国々  カナダ、アメリカ、ブラジル、イギリス、フランス、オーストラリアなど。
   ・血統主義の国々  中国、韓国、日本、ドイツ、オーストリア、イタリアなど。
 例えば、日本人の夫婦がハワイに旅行へ行っている間に子供ができたとします。その子供の国籍はどうなるのか。日本は血統主義でアメリカは生地主義なので、その子供は日本とアメリカの2重国籍を保有することになり、22歳になるまでにどちらかの国籍を選べば良いということになります。逆に、在日韓国・朝鮮の人のように、日本で生まれ育った子供でも両親が日本国籍でない場合は、日本国籍は保障されません。在日2世3世といった日本で生まれ育った人たちに、代々日本国籍が保障されないのはそのためです。在日の人たちの権利問題については、日本国籍の血統主義も背景にあるわけです。
 また、日本では1985年の国籍法改正までは、「父系主義」といって、父親が日本人でないと子供の日本国籍が保障されませんでした。そのため、沖縄をはじめとした基地周辺の地域では、日本人女性とアメリカ兵との間に生まれた子供が無国籍になってしまうという深刻な問題が起きていました。無国籍だとその国の社会保障や保護も受けられないし、国外追放になる可能性もあるので、非常に不安定な状況におかれます。この日本での父系主義は女性差別であるということから改正され、現在では両親のどちらかが日本人であれば子供には日本国籍が保障されるようになりました。



資料5.参考意見  在日外国人の参政権をめぐる賛成意見と反対意見

●賛成意見

1.参政権は基本的人権のひとつである。
 人間が人間として生きていくために必要な自由と権利を「基本的人権」という。  この基本的人権は、人種、国籍、宗教に係わらず、すべての人間に等しく与えられるものである。  自分が暮らしている社会の変化は自分の生活に大きな影響をもたらす。それにもかかわらず、在日外国人にはその決定に参加する権利がない。このことは、自分の人生を自分で決めるというすべての人間にあるべき権利が侵害されていることになる。
2.憲法15条1項が指している「国民」は、日本で暮らすすべての住民のことである。
    憲法15条1項  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 憲法では、しばしば「国民」という言葉が使われているが、この言葉は日本の国籍保有者だけを指すものではない。11条では国民の基本的人権が保障されているが、もし、この国民が日本国籍保有者だけを指しているとしたら、外国人には基本的人権がないことになってしまう。しかし、外国人に基本的人権がないとしたら彼らを殺してもかまわないことになってしまうわけで、この点からも外国人に基本的人権があることはあきらかである。また、1995年の最高裁判例でも、憲法15条1項の規定は、外国人の参政権を否定するものではないと指摘している。したがって、憲法15条1項の指す「国民」は日本国籍保有者に限定されるものではなく、日本に暮らすすべての人々と考えるべきである。
3.憲法93条2項が定める地方参政権は国籍に関係なくすべての地域住民に保障されている。
    憲法93条2項  地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員(りいん)は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

 ここで指摘されている「住民」は、日本国籍を保有しているかどうかは関係ない。住民とは文字通り、その地域に住んでいる人々のことを指している。外国人がそこに住んでいたら、当然、彼らにも地方参政権は保障されるべきである。
4.日本に住み義務を果たしている以上、参政権は当然の権利である。
 在日外国人の人々は日本に居住し、税金を納めるという義務を負っているのだから、選挙権を得るのは当然の権利ではないか。日本国民と同じ義務だけ負わされて、権利を得ることができないのはおかしい。税金を納める義務を負っているのに、その税金の使い道に口を出せないのは問題がある。参政権があれば行政にも地域住民としての意見を反映させることができる。
5.在日韓国・朝鮮国籍の人たちの多くは、戦前の日本の植民地政策にルーツがある。
 彼らは植民地時代に強制的に「日本人」にされ、戦後は一方的に日本国籍を剥奪(はくだつ)された。どちらの場合も、日本政府の都合による一方的な国籍の押しつけてあり、在日の人たち自身による国籍選択はまったく保障されなかった。こうした歴史的背景をもつ人たちやその子孫である2世・3世については、謝罪の意味も込めて参政権を認めてもいいのではないか。

6.国際社会の一員として開かれた社会をつくるためには、国籍による制限を少なくしていく必要がある。
 国際化ということは、たんに英語が話せるとか、ビジネスで海外を飛びまわるということではない。日常生活のレベルで、異なる文化をもつ人を受け入れ、互いの違いを尊重してコミュニケーションできる能力が求められる。国際化の進んだ社会というのは、日本社会が日本人だけのものではなく、日本にくらすすべての人のものになることを意味している。また、ナショナリズムによる閉鎖的な国づくりは日本の国際化にとってもマイナスである。

7.戦争を想定して外国人の参政権に反対するのは、憲法9条の戦争放棄に矛盾している。
 外国人の参政権の問題について、祖国との戦争になった場合を想定して「信用できない」と言う人がいる。しかし、日本は戦争放棄をはっきり憲法9条で定めているのだから、戦争になった事態を想定すること自体がまちがっている。在日外国人は日本と外国との間で不安定な立場にいる人たちである。そういう人たちを戦争を想定してスパイ扱いするのではなく、彼らが国家間の紛争で悲惨(ひさん)な状況に追い込まれないために、諸外国との友好関係に努めることが重要だ。そのことは、太平洋戦争中に日系アメリカ人が味わった苦労や中国残留孤児がどれだけ悲惨な目にあったかを考えればあきらかではないか。国家の間で不安定な立場にいる人こそ、最も戦争の被害を受ける人たちだ。そうした在日外国人が日本の政治に参加することは、日本の国際関係を今よりも平和的なものにしてくれるはずだ。
8.北欧諸国の多くは外国人にも選挙権を保障している
 北欧諸国には外国人の地方参政権を認める国が多い。アイルランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなど条件を決めた上で地方参政権を認めている。


●反対意見

1.参政権はあくまで国家というワク組みがあってこそ成り立つものであり、国籍を持ち、国の一員である者にのみ保障されるものである。
 憲法15条1項では、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」とのべられている。この規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象としており、在日外国人に対しては権利の保障は及ばない。国家とは政治的な運命共同体である。そのため、国に帰属せず、その国の将来に責任を持たない外国人に政治をまかせるわけにはいかない。日本への忠誠もなく、日本の将来に責任も感じない外国人が日本の政治を動かすようになってしまったら、日本の混乱を招くことになる。例えば、在日韓国人に選挙権を付与した場合、日本と韓国との間で戦争などの国益上の対立が生じた時にどうするのか。
2.税金を納めていることは、たんに公共サービスを受けるための対価にすぎない。
 普通選挙制度というものは、納税の有無や納税額に関係なく、全ての成年男女国民に選挙権を等しく付与するというものである。だから、税金を納めていることは参政権を得る理由にはならない。  納税の有無を持ち出すのなら、学生や低所得者で税金を納めていない人たちには、選挙権が得られないことになってしまう。また、納税というのは道路、水道、消防、警察など様々な公共サービスを受けるための対価であり、外国人も等しく日本の公共サービスを受けている。
3.選挙権が欲しければ帰化すべきだ。
 日本人と同じように参政権を望むのであれば、帰化すべきである。近年では毎年1万人近い在日韓国、朝鮮の人々が帰化している。それにもかかわらず、帰化しようとしない者は、祖国に対して今もなお忠誠心を抱いており、日本には忠誠を誓いたくはないからと考えられる。
4.日本による朝鮮の植民地支配と在日の人たちの参政権とは別の問題である。
 日本による植民地支配は、韓国・北朝鮮という国家間での賠償(ばいしょう)でつぐなうべきものである。日本の戦争責任を在日の人の参政権でつぐなうというのはすじちがいの問題である。  また、在日韓国人のなかには「強制連行」により無理やり日本に連れてこられた人々やその子孫もいるが、「強制連行」により日本に無理やり連れてこられた人は全体から見れば少数であり、戦後は帰国できる状況にあった。第二次世界大戦の敗戦時、およそ200万人の在日朝鮮人がいたが、その後3年間の内に約140万人が帰国している。つまり、戦時動員され日本に来た人々はこの間にほとんど帰国しており、残ったのは戦前から日本に生活基盤のあった人々である。残留者の多くは自らの意思で日本に残ったわけであり、その後も帰国の意志さえあればいつでも本国に帰国することができた。このことは、彼らが自ら好んで日本に外国人として滞在している事を意味している。現在、彼らは「特別永住者」という立場を与えられており、外国人としては世界でも例のないほどの優遇された状況にある。彼らが帰化しようとしないのは、この特権を失いたくないからなのではないか。


【課題】 今回のテーマは、在日韓国・朝鮮の人たちの参政権についてです。参政権の中でも、より住民に身近な問題をあつかう「地方」参政権について考えたいと思います。
 在日の人たちの地方参政権について、賛成・反対それぞれの立場から次のような指摘がなされています。
●賛成  在日の人たちの多くは日本で長く暮らし、永住権を持っている。このことは彼らが日本社会の一員であることを意味している。それにもかかわらず、彼らに参政権がなく、社会の重要な決定に参加できないというのは矛盾している。例えば、ゴミ焼却場や原子力発電所がその地域に建設されるといった場合、国籍に関係なくまわりの住民は大きな影響を受ける。それらの賛否についての意思表示に在日の人が参加できないのはすじが通らない。なので、とりわけ地方政治については市民生活に直接影響を与えるものであり、彼らの参政権を保障するべきだ。

●反対  参政権というのは国というワク組みをとおして政治に参加するしくみだ。もし国籍に関係なく参政権が保障されてしまったら、国というワク組みが意味のないものになってしまうし、政治参加が無責任なものになってしまう。在日の人々が日本の植民地支配の被害者であることはわかるが、日本社会の一員として日本を良くしようという意志があることをはっきりさせるためにも、まず日本への帰化手続きをしてほしい。
 これらの指摘について、自分が在日の人たちの参政権を支持するのなら「反対」の指摘に反論を、逆に、支持しないのなら「賛成」の指摘に反論を書いてほしい。

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