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  在日韓国・朝鮮の人たちの事情


 この回はその国で生まれ育った外国籍を持つ人たちについて、日本とドイツを例に現状を見ました。彼らの状況や主張をとおして、国籍や民族の意味、異なる文化を持つ人が同じ社会に暮らすことについて考えました。なお、生徒のレポートは次の2回の授業の後に書いてもらいました。


 
 授業1回目 在日韓国・朝鮮の人たちの事情
 
 現在、日本には約70万人の在日韓国・朝鮮の人がくらしています。そのうち50万人は日本で生まれ育った人たちです。彼らは戦前、日本が朝鮮半島を植民地にしていたころに、強制連行や出かせぎで日本にきた人たちの子孫です。しかし、彼らは日本で生まれ育ったにもかかわらず、日本の国籍を持たないため、選挙権や公務員になる資格がありません。また、日本人には韓国・朝鮮の人に対する根強い差別意識があり、就職や結婚など日常生活や仕事の中で、彼らは様々な壁を感じるといいます。このことについて、1回目の授業では、在日韓国人三世の方をお客さんにまねいて話を聞きました。
 
 お客さんは、私の小・中学校時代の同級生で、竹本雄治郎さんといいます。本名は徐雄治郎(ソウ・ウンチロウ)さんです。
 
 彼の場合は、おじいさん・おばあさんの代に、朝鮮半島南部の町から中国地方へ来て、商売をはじめました。当時は朝鮮人差別の強い時代でしたが、商売はうまくいき、彼の祖父母や両親は日本政府に対して表立って不満をあらわすことはありませんでした。
 
 しかし、彼の両親は自分たちが在日韓国人であることを彼に話そうとしませんでした。そのため、彼は中学三年まで自分が在日韓国人だと知りませんでした。中学三年の時に、市役所から「外国人登録をしてほしい」という通知が来て、はじめて自分が日本人ではないことを知ったそうです。当時の彼は、自分の中に「チョーセンジン」を見下す気持ちがあり、自分自身がその見下している相手だったと知って、とてもショックを受けたそうです。それと同時に、「竹本」が自分の本名ではなく、通り名にすぎないことを知り、その時は世界から自分が消えてしまったような気持ちになったと話していました。
 
 彼は長い間、学校の友達たちにそのことを話すことができませんでした。当時、彼や私の通っていた中学校は、暴走族連中が街のチンピラといっしょになって、朝鮮人学校にケンカを売りに行くような学校で、とてもそうしたことを話すような雰囲気ではありませんでした。
 
 しかし、彼はしだいに在日韓国人としての自分と向き合ってみようと思うようになり、韓国へ訪れたり、在日韓国の人たちとの交流をはじめました。その中で、日本の植民地支配の歴史や在日一世・二世の人たちが体験してきたことを知ります。そういう交流の中で、在日韓国人である自分を少しずつ受け入れられるようになっていったそうです。
 
 だから、中学三年の時の体験も、あのことがなかったら、自分はいまでも「チョーセンジン」を見下していたかも知れないと言います。そういう意味で、あのときの体験はこういうことを正面から考える良いきっかけになったと話していました。
 
 現在、彼はとろうと思えば日本国籍をとり、日本に帰化することも可能な立場にあります。しかし、韓国籍は自分のルーツとの唯一のつながりなので、それを捨てようとは考えていません。その一方で、日本で生まれ育った彼としては、仕事や大勢の友人のいる日本での生活を捨てて、韓国へ移り住もうとは考えていません。彼にとって、韓国は言葉も通じず、友人もいない、祖国なのです。
 
 彼は今、「在日韓国人である自分が日本でくらす。それでいいじゃないか」と言います。そして、「日本の社会が国籍や民族にこだわらずに、多様な文化やルーツを持った人をそのままの姿で受け入れるようになっていくといいなって思うんです」と語っていました。(陽気な人で、終始、笑い話をまじ
えながら語ってくれました。)
 
 竹本さんの話の前に、ビデオも見てもらいました。1996年12月にNHK・ETVで放映されたドキュメンタリーで、公務員としてはたらく在日韓国・朝鮮の人たちが国籍の壁にぶつかっている様子です。逗子市役所に就職した青年のもとへ嫌がらせの手紙が数十通も送られてきたケースや都庁につ
とめる女性が国籍を理由に昇進試験を断られたケースが紹介されています。そういう体験の中で、彼らは「朝鮮人は日本から出ていけ」という悪意や「そんなに嫌なら日本国籍をとれば」という無神経な言葉に傷つきながらも、日本社会の中で共存していく道をさぐっていくという内容です。

 
 授業2回目 統一ドイツのナショナリズム
 
 2回目は、統一ドイツの民族問題についてビデオを見ました。1992年にイギリスBBCが制作したドキュメンタリーです。マイケル・イグナチェフという作家がドイツ各地をまわり、ドイツの民族問題について様々な人から話を聞くという内容です。
 
 西ドイツは、戦後の経済成長の中で大勢の外国人労働者を受け入れてきました。その数は日本の数十倍にのぼります。とくにトルコ系の移民が多く、都市部では30%近くがトルコ系の住民で、各都市の下町にはトルコ人街がつくられ、定着してきました。
 しかし、1990年に東西ドイツが統一されて、東ドイツから貧しいドイツ人労働者が西側に流れ込むようになると、トルコ系住民への風当たりが強くなります。戦後の西ドイツは、日本よりもずっと熱心に、戦争責任と民主化の問題に取り組んできたにもかかわらず、東西の統一がドイツ人の民族意識
を刺激し、ヒトラー時代のナショナリズムが再びドイツ人の心をとらえつつあるというのです。旧東ドイツを中心に、「ドイツはドイツ人のもの」「外国人はドイツから出ていけ」と主張する極右勢力が支持者を増やし、ネオナチによるトルコ人襲撃事件が多発するという事態をまねいています。
 この状況について、案内役のマイケル・イグナチェフは、戦後のドイツがうやむやにしてきたナショナリズムの問題が統一後のきびしい経済状況の中で吹きだしてきたのだと語ります。
 
 生徒のレポート
 
●竹本さんはりっぱだと思った。
 日本は同質な社会をめざしてきたというが、それでは何も変わらないし、それだけでしかない。せっかく、この世界にはたくさんの文化があるのだから、いろんな情報を交換していけばいいと思う。なんか法律とか常識とか先入観とかにとらわれすぎて、人間本来の姿が見えなくなっていると思う。でもやっぱり、私にも外国の人への先入観がある。話通じないし、なんか怖い気もする。
 私には外人の友達も少しいる。ずーっと日本にいた人だからか、ぜーんぜん私たちと違わない。やっぱり同じだ。
 よく、「ガイジンが犯罪をおこした」とかニュースでやっているけど、日本人だってしてるじゃん。だから、ビデオに出てきたドイツ人みたいに、暴力で外
人を追い出そうとする人のほうが怖いと思った。(ああいうのは、その国の教育のせいかな。)
 私は、国籍は人間関係をむすぶうえでとくに重要なものではないと思う。そんなこと言ったら、「え?あなたは日本人?だったら友達」「ええっ!あなた日本人じゃないの!だったら知らーん」と言っているようなものだ。うーん、でも、この問題はむずかしい……。ブー。
 
●ちがう文化を持っているからといって、その人を差別するという考え方は、どう見てもおかしい。ちがう文化を持った人たちだからこそ、よけいにお互いを認めて行くべきではないだろうか。仲間だけで固まっていても、なんの進歩もない。
 ちがう文化を持つ人を差別する人や仲間はずれにする人こそ、自分一人では何もできない人だ。だから、似たような仲間だけで固まって、安心しようとするのだ。
 日本に住んでいる外国人も自分の文化を捨てる必要なんてないと思う。自分の文化を持ったまま、互いの文化を交流するよう伝えていけばいい。日本でもそういうサークルとかがたくさんできれば、外国の人が孤立することもないと思う。
 ビデオに出てきたドイツ人みたいに、暴力で外国人を追い出そうとするのは最低だと思う。日本でも暴力でこの問題を解決しようとする人が出てきたらと考えると、ゾッとする。そうなる前に、きちんと話し合わなければならないと思う。私は、お互いに話し合っていくことで、異なる文化を持つ人がひとつの社会にくらすことは、十分可能だと思う。
 
●異なる文化を持つ人がひとつの社会にくらすことは、無理だと思う。
 ジェスチャーだけでは言葉は通じないし、日本語が通じたとしても、やっぱり発音とか違って聞きづらい。同じ日本語でさえ、東北や九州の方言は、僕にはわからない。言葉や習慣などは、同じ文化を持つ集団の中でしか通用しないものだと思う。
 
●去年の外国人労働者についてのレポートの中で、「外国人を差別してはかわいそうだ。もし自分たちが外国人労働者であったらどんな気持ちがするのか考えてほしい」と言う意見があった。
 僕はこの意見に強く反対する。
 日本は戦後50年、急激に経済成長してきた。その中で外国人労働者が日本にやってきた。日本にいる外国人労働者のすべてとは言わないが、
彼らによる犯罪は多い。彼らは働くことは働くが、日本の法律とマナーを知らないのだ。
 日本人が彼らのする犯罪のおかげで迷惑しているのは事実だ。自分の国で犯罪を犯すのならまだしも、ひとの国に来て犯罪を犯すのは許せない。だから、よその国で働いてひともうけしようなんて考えずに、自分の国を自分たちの力で発展させるよう努力してほしい。
 
【授業担当者からもひとこと】 1980年代から急増した外国人労働者の立場は、高度成長期の農村からの出かせぎ労働者に似ていると思っています。交通の発達と社会情勢の変化で、そのワクが広がっただけのように思えます。現在の東京は、高度成長期に地方から出てきた人によって成り立っています。そうして、各地方の文化を持った人が寄り集まって東京という都市ができています。異なる文化が混ざり合って、多少の摩擦を起こしながら、同居しているわけです。良くも悪くも、それが現在の東京です。このことを否定して、「よそ者は東京から出ていけ」と言ったら都市というのは成り立ちません。江戸時代から東京に住み続けている家なんて、10軒にひとつくらいでしょう。個人的には、そういう場所に外国から来た人がいることは、ごく当然のことに思えます。だから私にとって、「出かせぎの外国人労働者は日本から出ていけ」という言葉は「東北の人間は東京から出ていけ」と言っているのと同じ意味に感じられるのですが。
 
●日本やドイツの人々は、自分たちと文化が違うとか、民族が違うとか、そういうことにこだわりすぎている。民族が違うことで差別することはないと思う。日本やドイツも、アメリカのように多民族国家にすればいいと思う。少なくとも、日本で生まれ育った人のことを外国人扱いするのはどうかと思う。
 
●人間という生き物は、だれもが自分のなかに偏見や差別的な感情を持っている。でも、生まれながらにそういう気持ちを持っているわけじゃない。今の社会を反映して、少しずつそういう気持ちができあがっていくのだ。
 
●昨年、田舎へ向かう途中の新幹線で、外国人の男性が隣になった。それまで、「外国人と話してみたいな」と思っていたので絶好に機会だった。しかし、簡単なあいさつは交わしたものの、それから会話がなくなり、「何か話さなきゃ」などと思っているうちに僕が降りる駅に着いてしまった。ホームから車内を見ると、その男性が笑顔で手を振っていた。その時、「やっぱり話しておけばよかったなあ」と後悔した。後から考えてみると、僕はあの男性のことを「ガイジンだ。大丈夫かなあ」という目で見ていた気がする。自分のなかにそういう気持ちがあったことは、僕にとってショックなことだった。
 僕のような目で外人を見たことのある人は多いだろう。瞳は青いし、髪は金髪、しかも、話す言葉がまったく違えば、うろたえてしまうのも無理はない。はじめから仲良くというわけには行かないかも知れない。最初のうちは様々な確執や問題が起こるだろう。でも、そういう中で、自分たちの考えを主張したり、相手の言い分を聞いたりしながら、少しずつうちとけていくことはできると思う。そういうことをしないで、自分たちと違うからというだけで、暴力で追い払おうというのは、ナショナリズムでも何でもなく、陰湿ないじめにほかならない。
 
●人種や文化が違うからといって、差別する理由にはならない。なぜ、人は差別をするんだろうか。差別することは楽しいことなんだろうか。
 
●今の日本で、外人を見かけるのはめずらしいことではない。だが、個人的にはやはり、外人と聞くと、言葉が通じないし、文化が違うしと思って、さけてしまう気持ちがある。
 
●以前、外国の人からまちがい電話がかかってきて、どうしようもなかったことがあります。
 最近、母がよく総菜を買ってくる店で、中国の人がバイトをしています。もうなれましたが、言葉が違うことであせってしまうのは以前といっしょです。(外国の人が身近にいるということは)人と人との交流が意外と難しいことだということに気づきます。
 
【担当者からもひとこと】 日本の社会の「みんな同じ」という同質な文化は、「同じ」ことを共有しているもの同士のあいだでは、あまりコミュニケーションに気を使わないで住む気楽な社会でもあります。日常生活の中では、自分の考えをとくに説明しなくても、「だよねー」と言っていれば、たいていのことは事足ります。むしろ、自分の考えを主張したり、なぜそう考えるの説明したりすることのほうがまれです。
 日本語の特質はあいまいさと省略にあるといわれます。つまり、くどくど説明しなくても、「まあ、そんな感じ……」とあいまいな返事をしていれば、通じてしまうのです。何が「まあ」なのか、「そんな」とはどのようなものなのか、第三者にはさっぱりわからないのですが、状況や文脈から類推することで、当人同士には通じるわけです。こういう言葉が発達してきたのも、日本の社会の均質さにあると言えます。
 その一方で、「みんな同じ」であることを求められる社会というのは、一人一人に結構プレッシャーのかかる社会でもあります。人とあまり違わないように、あまり目立たないように、と常に気をつかっていなければなりません。「へんな奴」という言葉には、「個性的でおもしろい」という意味も含まれているはずなのに、この社会では排除の対象に向けられる悪意として使われることが多いようです。日本の学校で、いじめが多いのも学校に行きたくない子供が多いのも、そういうプレッシャーが強いことに根本的な問題があるのではないかと思います。
 
●なぜ、違った文化を持っているだけで、へんな目で見られるのだろうか。生活習慣が違っているのはあたりまえのことなのに。
 
●日本人にも外国人より悪い人だっている。外人だからといって、差別したり、嫌ったりするのは、日本人の心が狭く、先入観にとらわれているからだと思う。
 
●日本に150万人以上の外人が住んでいるということには驚きました。
 少しくらいの人ならかまわないと思っていましたが、この数はさすがに多すぎるのではないかと思います。外国の人が急激に増えれば、生活習慣の違いからトラブルもあるだろうし、受け入れる準備が間に合わないことから犯罪も増えると思います。
 
●日本人が自分たちの文化を守っていきたいと思う気持ちはわかるけど、在日韓国の人やアイヌの人にしてきたことはひどいと思う。
 1回目のビデオの中で、郵便局に就職した在日韓国の人へ送られてきた嫌がらせの手紙はひどいと思った。どうして、みんな同じ人なのに、国籍にこだわるんだろうか。
 
●自分たちと違う民族を差別するのはまちがっている。それぞれの人が自分の民族を誇りに思うことは、違う民族を見下すこととは違う。
 
●なぜ、僕らは同じアジアの人を差別するのかというと、日本は欧米諸国を目標に、肩を並べようとしてきたため、その反動でアジア諸国を格下あつかいするのだと思う。
 日本は今まで欧米のモノマネで発展してきた。自動車にしてもコンピュータにしても、ほとんどすべてのものが欧米の文化だ。そうやって一方で欧米を見上げ、もう一方でアジアを見下してきたから、日本人は外国の人と対等につきあうことができず、外国の人との交際が下手なんだと思う。
 
●外国人労働者について、彼らを無制限に受け入れるというのには反対だ。
 たしかに彼らにも良い人はたくさんいる。これは認める。しかし、どうしようもなく悪人もいることも事実だ。それに良い人だからといって、日本でうまく生活できるとはかぎらない。
 以前、うちのとなりに中国人の家族(というか集団)が引っ越してきたことがあった。その時の彼らの生活は、はっきり言って、異常だった。深夜2時頃まで、ふつうでは考えられないほどの大声で、毎日大さわぎしている。共同の通路に大きな荷物をバンバンおいて占領する。ベランダではなく、非常階段に布団を干す。ある時は、布団の重しとしてのせてあった5キロの鉄アレイが、そこの5階から1階まで落ちてきて、大さわぎになったこともあった。(幸い誰にもあたらなかった。)
 まわりの住人がいくら注意しても、彼らのそういう非常識な行動はいっこうに直らなかった。そうやって、まわりとのトラブルをくり返したあと、彼らはある日突然どこかへ引越していった。
 たぶん、彼らにとっては、ああいう行動はごくふつうの生活で、文句を言われるのも納得できないのだろう。だから、いくら注意しても、4階の人が怒鳴り込んだりしても、変わらなかったのだろう。はっきり言って、彼らとは生活が違いすぎる。彼らには悪いが、彼らが日本で暮らしていくのは、かなりむずかしいと思う。
 
●サッカーをやっている仲間にも、外国から来た人がいる。別に違和感はない。
 外国の人が自分たちの文化を捨てて、日本の生活習慣にしたがうというのはおかしいと思う。それぞれ自分なりの生活習慣でやっていけばいい。
 
【担当者からもひとこと】 両極端の意見が二つ出ました。前者は自分なりの生活習慣でやってトラブルが起きたケース、後者は問題はないという主張です。文化というのは広い意味があります。ものの感じ方から、生活習慣、日常のコミュニケーションまで、文化です。そういう性質のものをひとくくりにして、「捨てる必要はない」「捨てない限り共存は不可能」というのでは、乱暴な議論しかできません。
 例えば、日常のコミュニケーションに関することも一切変えないというのであれば、異文化間のコミュニケーションは不可能だし、トラブルが起きるのは必然です。しかし、その一方で、日本でくらすのなら、名前まで日本人ふうに変えなければいけないというのは、非合理的な押しつけです。こうした問題はどこで線を引き、どこで互いに妥協するかという問題だと思うのですが、みなさんはどう思いますか。
 
●ただ「自分の文化を捨てて、日本になれろ」と言って押しつけるのではなくて、日本語とか日常の生活習慣さえ知っていれば、それですむことだと思う。
 
●竹本さんのように、韓国の血が流れていて、日本に生まれてきた人には、選挙権や公務員になる権利がないということをはじめて知った。竹本さんのような人に選挙権も公務員になる権利もないというのはやはりおかしい。外国人とひとくくりにしないで、それぞれの人の事情を考えていくべきだと思う。

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