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  女性知事の土俵入り


 この回はここ数年、大相撲の大阪場所が開かれるたびに問題になっている女性知事の表彰式への参加について考えました。この問題、一見単純そうに見えますが、伝統的慣習と人権、男女の社会的役割、信仰と自治体からの報奨金、国民の娯楽としての大相撲の位置づけといったことがからんでいて、なかなか複雑です。



【課題】 ここ数年、毎年3月に行われる大相撲大阪場所をめぐって、女性の大阪府知事が土俵に上がれるようにするべきかどうかが議論されています。大阪府知事は太田房江さんといって、2000年にはじめて女性で知事になった人です。大阪場所では、優勝力士に大阪府知事賞が授与されます。しかし、大相撲では、女性が土俵に立ち入りることを禁じているという伝統があるので、太田知事は自分で渡すことができず、男性の代理人をたてて大阪府知事賞を授与しています。この状況に対して、太田知事は、大阪府知事賞なのだから知事である自分が表彰式の土俵に立って優勝力士に手渡したいと言っています。また、彼女の発言を支持する人たちは、女性の社会進出がすすんでいるのに国民的娯楽である大相撲の土俵に女性が登れないというのは時代おくれだと日本相撲協会を批判しています。一方、日本相撲協会は、大相撲はただのスポーツではなく、日本古来の様々な伝統儀式が織り込まれた伝統文化でもあるので、理解して欲しいと言っています。女性知事が大相撲の土俵に入れるようにするべきなのか、あなたはどう考えますか。次のAとBの会話を読み、あなたの考えをすじみちだてて述べなさい。(800字程度)


A 「そもそもなんで、大相撲の土俵に女性が入れるようにするべきなんてことにこだわってるわけ?女性の社会進出はどんどん進んでいるんだから、大相撲なんていう特殊な世界の特殊なしきたりをめぐって、女性の権利を持ち出すのは的がはずれているように見えるよ」

B 「それは違うよ。女性の社会進出は、こういう女性を拒む色々な壁に向かってひとつひとつ批判し続けてきたからこそ、成しとげることができたわけでしょ。もし、そうした社会状況に対して何も声をあげていなければ、女性の知事誕生どころか、選挙権すら女性に保障されていなかったよ。女に政治は向かないとかいいかげんなこと言われてさ。実際、ほとんどの国で20世紀前半まで女性には参政権が保障されていなかったわけだよね。だから、太田知事としては、大阪府知事賞の授与なのに自分が女だっていうだけでハレの表彰式に出られないっていうのは屈辱的だと感じていると思うよ」

A 「大相撲の土俵に女性が入れないことが人権侵害だとは思えないよ。別に大阪府知事が土俵に入れなくたって女性の社会進出にはまったく影響ないしさ、知事の仕事としては優勝力士への表彰なんてほんのささいな事柄にすぎないじゃない。大相撲の土俵が男の世界っていうのは、ちょうど宝塚の舞台が女の世界なのと同じだと思うんだ。つまり、観客たちに夢を見せるための特殊な世界のしきたりであって、現実社会での女性の社会進出とは関係ないできごとだと思うんだ」

B 「このことは、たんに太田知事個人の問題ではなく、女性の社会的地位の問題ととらえるべきだよ。優勝力士の表彰式は大勢の人が注目するハレの舞台なわけだから、そこに太田房江さんが「大阪府知事」として登場して優勝力士にトロフィーを渡せば、それを見ている大勢の人たちは「女性知事が誕生する時代になったんだな」ってあらためて実感もわいてくるだろうし、こどもたちに「女の子だって知事になれるんだ」っていう印象を残すことにもなる。そういう場に、女性だというだけで大阪府知事が立つことができないっていうのは、女性を排除する日本社会の象徴として批判されるのは当然だよ。太田知事個人の業務という意味では、優勝力士への表彰なんて小さな仕事のひとつにすぎないかもしれないけど、人々に与える印象という意味では、その社会的影響力はけっして小さくはないはずだよ。それに大相撲は公益団体で「国技」を名乗っていて国や自治体の支援を受けているわけだから、宝塚よりもはるかに公共性が高い。そもそも宝塚が表彰式でも男性をステージに立たせないなんて聞いたことがない。宝塚歌劇団の理事長や音楽学校の校長は男の人だよ。それにたとえ宝塚が男性の知事に表彰式への出席をことわったとしても、大勢いる男性知事が出席できないのとほんの一握りしかいない女性知事が出席できないのとでは社会的意味あいがぜんぜん違うよ」

A 「う〜ん、大相撲の土俵が女性立ち入り禁止なのは、女の人を見下しているからじゃないよ。相撲はもともと農村で豊作を祝う儀式だったんだ。で、豊作の神様は女性で、その女性の神様を楽しませるために力自慢の若い男たちが競うあう出し物になったわけ。土俵が女性の立ち入りを禁じているのは、神様がやきもちを焼くからなんだってさ。だから、土俵の女人禁制は女性差別に由来するものではないはずだよ」

B 「そういう神話や伝説は他にも色々あって、女人禁制の由来については諸説あるんだけど、重要なのはその結果つづいてきた慣習のほうだよ。つまり、女性を「不浄な存在」としてハレの場から排除して、社会の表舞台を男性が独占してきたという伝統慣習ね。古くからの慣習にはそういうのがたくさんある。女性が酒蔵に入ると酒の神様が怒って酒がくさってしまうとか、女性がトンネル工事の貫通式に出席すると山の神様が怒って山崩れがおきるとか、女性が屋根に上ると縁起が悪いから女性の大工さんは屋根の工事ができないとかね。由来がなんであれ、どれも女性を排除するために勝手な物語をでっち上げているだけだよ。現在では、そういう職場にも女性はどんどん進出するようになってきている。酒づくりの職人さんだって女性の割合が1割を超えるようになっている。長い間、男性だけの伝統芸能とされてきた能の世界だって、女性の能楽師が誕生するようになっている。相撲だけ変わらないっていうのは通用しないんじゃないかな。それに自分の性に違和感をおぼえている人たちだっているわけで、「男」「女」の間の線引きを絶対視する発想自体、まずいと思うよ」

A 「たしかに女性を杜氏や大工として雇わないっていうのは、いくら古くからの言い伝えがあるとしても女性への職業差別になるからまずいね。でも、トンネルの貫通式や屋根工事の時だけ遠慮してもらうくらい、べつにいいんじゃないかと思うよ。大相撲の表彰式もそれと同じで、女性知事が出席できなくても、べつに知事の本質的な業務っていうわけじゃないし、職業差別と同列に扱うのは乱暴だよ。それに、大相撲の魅力っていうのは、たんなる格闘技でなく、古くからの伝統儀式や精神性がかたちとしてあらわされることにある。力士が塩をまいたり力水をつけたりするのは清めの儀式だし、四股(しこ)をふむのだってたんなる準備運動ではなく、邪気を祓い、地中の悪霊を鎮めるっていう意味がある。力士の手形を縁起物としてありがたがる風習も、力士が神の力を宿すと見なされてきたことに由来している。横綱のしめる「綱」は、神社の「しめ縄」と同じで、そこに神が宿ることをあらわしている。二十歳そこそこの若者が横綱というだけであれほど敬われるのも、やはり神聖な存在と見なされてきたからだ。そういう意味で大相撲は神事と一体になった伝統芸能のひとつといえる。だからこそ、大相撲の関係者は力士だけでなく裏方さんも儀式性をすごく大事にしている。土俵ひとつとってみても、土俵をつくるときには、必ず神主さんを呼んで清めの神事をする。もちろん、女性には、土俵の土をいっさい触らせない。そういう意味で、力士をはじめとした大相撲関係者の土俵に寄せる思いっていうのは信仰と言っていい。それはちょうど修験道の霊山が女人禁制になっているのといっしょで、大相撲関係者の思いは尊重されるべきものだと思うよ。各相撲部屋にある稽古用の土俵ですら、親方のおかみさんも含めて、女性は一切立ち入り禁止だよ。競技スポーツとしての相撲なら、女性力士の参加もあるけど、それと大相撲とは別ものなんだ。だから、大相撲関係者にとっては、たとえ優勝力士の表彰式でも、女性を土俵に上らせるのは抵抗を感じるはずだよ」

B 「たしかに大相撲関係者にとって土俵が信仰の対象になっているのはその通りだし、その思いが尊重されるべきっていうのもある程度わかるよ。でも、女人禁制だった霊山もいまではほとんど解禁されていて、いまだに女性の立ち入りを禁じているのはほんのわずかだよ。それに、大相撲は宗教団体じゃなくて、公的な支援を受けている国民の娯楽だよ。テレビで全国中継され、優勝力士の表彰式では、内閣総理大臣やら外国の大使やら県知事やら農協会長やら新聞社社長やらNHK会長やらがぞろぞろ出てきて、土俵の上で優勝力士にトロフィーを渡す、きわめて公的な性質の強い場といえる。それなのに女性であるっていうだけでその式典から排除されるっていうのは、いくら伝統や神事であってもまずいよ。大相撲からなにもかも儀式性をなくせっていうわけじゃなくて、差別的な慣習についてはいくら伝統であっても変えていく必要があると思うんだ。古い伝統っていうだけの理由で変えることができないとしたら、社会はなにも良くなっていかないよ。もし、これがアメリカ社会で、性別や人種を理由に州知事が公的な式典への出席を拒否されたなんてことになったら、暴動が起きるほどの大問題になるよ。日本の社会は差別の問題に鈍感すぎるんじゃないかな」

A 「まあね。もしアメリカで黒人州知事や大統領が人種を理由にスポーツのセレモニーへの出席を断られたなんてことが発覚したら、たしかに大スキャンダルだし、暴動にもなりかねないね。ただ一方で、伝統慣習は多かれ少なかれ信仰に由来する非合理的な要素を含んでいるものだよ。ローマカトリックの教皇だって女性はなれないし、イスラム教やユダヤ教の聖職者も男性に限られている。そういう特殊な世界に合理主義と男女平等を持ち込んでも、女性の社会進出とは関係ないし、社会が良くなるとは思えないよ」

B 「宗教団体ならある程度まで認められるけどさ、何度もいうように大相撲は宗教団体じゃないよ。国や自治体の支援を受けている公益団体だし、あくまで大衆の娯楽だよ。力士も親方も聖職者ではないし、室町時代のころのように神様に捧げるために相撲をとっているわけでもない。カトリックやイスラムの聖職者をもちだすのは的外れだよ。それに、大阪府知事賞や総理大臣賞みたいな公的な表彰も受けているわけで、そういう賞金はもちろん税金からでている。「国技」を名乗り、国や地方公共団体からの援助も受けているわけだから、みんなが楽しめるものにしていく責任があるはずだよ。地域のお祭りだって、昔はみこしの担ぎ手は男性だけだったけど、いまでは女性の担ぎ手も参加して一緒に楽しめるようになっている。宗教儀式である霊山や神輿だって女性に開放されているのに、大衆の娯楽である大相撲がいまだに女人禁制っていうのは、本末転倒でしょう。ましてや、大相撲は「国技」を名乗ってるわけだから、よりいっそうみんなが楽しめるものにするべきだよ。そもそも大相撲が昔のままの神事なら、税金で支援しちゃまずいよ。それは憲法20条の政教分離違反になってしまう。日本相撲協会も大相撲を大衆のための娯楽だと見なしているからこそ、表彰式で国や自治体からの「金一封」を受け取っているはずだよ。それにもかかわらず、土俵の女人禁制の問題になると突然「伝統」や「神事」を持ち出してきて、どうしても守りたいなんて言い出すのはあまりにも勝手すぎるよ。もしこのまま大相撲が女人禁制を守りたいのなら、「国技」なんて名乗るべきではないし、公的機関からの表彰や報奨金はすべて辞退するべきだよ」

A 「ただ、伝統芸能の世界にまで男女平等の論理を持ち出すのはまちがっていると思うんだ。非合理的だからっていう理由で、儀式性をすべて取りはらってしまったら、プロレスやK1なんかとかわらないただの格闘技になってしまって、大相撲としての魅力がなくなってしまうよ。大相撲の儀式にはひとつひとつ意味があって、そういう精神性があるからこそ味わい深いものになっているわけだよね。日本相撲協会のやり方を批判する声ばかり大きいみたいに言っているけど、実際には今のやり方を支持している人たちは大勢いるし、そういう人たちこそが大相撲ファンとして相撲の人気を支えているわけだよね。彼らは大相撲から伝統色がうすまってたんなる近代的な競技になってしまったら悲しむと思うよ。それに国技だから社会の変化にあわせて変えていかなければいけないって言っていたけど、むしろ逆で、古い伝統が残っているからこそ大相撲は日本の国技なんじゃないかな」

B 「それはさっき言ったように大相撲の儀式性や伝統をなにもかもなくせって言ってるわけじゃないよ。塩をまいたり四股を踏んだりするのをやめろなんてだれも言っていないよ。ただ、女性っていうだけで表彰式の土俵に上がれないのは性差別になるからその点は改めるべきって言っているだけだよ。そもそも表彰式は伝統芸能じゃないよ。農協会長やら内閣官房長官やらがネクタイに背広姿で出てきて、コシヒカリ1年分とか金ぴかのトロフィーを授与することのどこに伝統性や儀式性があるっていうの。もし大相撲の伝統文化としての性質を重視しているなら、紋付き袴で出てくるべきだし、音楽も和太鼓を使うべきだし、金ぴかのトロフィーでなく京漆器や輪島塗のような伝統工芸品にするべきだよ。そういうことをおざなりにしたまま、女人禁制だけはなんとしても守りたいなんて差別的な部分にばかりにこだわるのは矛盾しているよ」

A 「むしろ、そういういいかげんになっている部分を伝統的なものにあらためていくべきなんじゃないかな。他がいいかげんだから女人禁制もかまわないというやり方では、大相撲がますますだらしないものになってしまうよ。おすもうさんはたんに「スモウレスラー」として強いっていうだけでなく、日本の伝統文化の体現者であるべきだし、せめて人前へ出るときはきちんと着物を着てほしい。最近では、両国や秋葉原へ行くとジャージ姿でうろうろしているおすもうさんを見かけるようになったけど、ああいうのを見ると本当にがっかりする。ハワイ帰りの横綱がアロハシャツ姿で成田に現れるなんて、大相撲の文化を理解していないとしか思えない。外国人力士がダメだとは思わないけど、大相撲の文化的な側面をきちんと教えていない親方や相撲協会の責任は重いと思う。そもそも親方も協会関係者も日本の伝統芸能を理解していないように見える。そういう部分をいいかげんにしたまま、土俵の女人禁制にばかりこだわるのはたしかに滑稽だね。表彰式のあり方も力士の生活態度も土俵の女人禁制も全部ふくめて、大相撲は伝統芸能としてのあり方を確立してほしいと思う」

B 「う〜ん、表彰式のいいかげんさや力士の生活態度の問題と女性の土俵への立ち入りとを一緒にするのはズレてると思うんだけど。それに伝統っていうけど、江戸時代以来、大相撲は大きく変化してきたよ。そもそも江戸時代初めまでは土俵なんてなくて、ただ地面を丸く囲ってそこで相撲をとっていた。土俵がつくられるようになったいきさつも、江戸時代初めの頃、相撲興行で観客がたびたび手を出して勝負を妨害することが問題になったからで、神事に由来するわけではない。横綱っていう位ができたのは明治になってからだし、日本相撲協会ができたのは昭和の初めのことで、それまでは東京と大阪で別々の団体が大相撲を興行していた。土俵に仕切の白線が書かれるようになったのは、昭和の初めにラジオ中継がはじまったのがきっかけだし、昭和30年頃にはじまったテレビ中継では、土俵の四隅に立っていた柱がじゃまで見にくということから、新しくできた蔵前国技館では柱を取りはらって「釣り屋根」にした。土俵の東西南北に柱を立てる慣習は江戸時代以来250年つづいてきたもので、柱にはそれぞれ東西南北の神獣をあらわす意味があったわけだけど、その後は屋根からぶら下がっている「房」で代用している。ひと場所が15日間になったのは戦時中の双葉山69連勝の人気によるもので、年に6場所行われるようになったのは昭和30年代の栃錦・若乃花の栃若人気によるもの。土俵の広さや立ち会いのルールにしても何度も変わってきたし、最近では体の大きい力士がふえたから、さらに土俵を広くすることが検討されている。こういう変化は、その時代の人々によりアピールして楽しんでもらうための工夫の積み重ねといえるよね。つまり、大相撲は神事に由来するけれど、娯楽としてより多くの人に楽しんでもらうことで発展して、しだいにいまのかたちになってきた。だから、現在の大相撲は江戸時代の相撲とはずいぶん違っているし、ましてや神事として神に捧げるために行われた中世の相撲とはまったく別のものになっている。それなのに、女性の立ち入り禁止の問題になると、突然、大相撲が中世のままの神事であるかのように議論される。これはやっぱり変だよ。大相撲は宗教も政治思想も問わず、誰もが楽しめる娯楽であるべきだよ。現代人に日本の伝統文化をアピールしつつ、同時に女性も若者も楽しめる娯楽としてのあり方を考えていかないと、本当に大相撲は特殊な世界の特殊な芸能になってしまうよ」


 → Wikipedia「女人禁制」
 → Wikipedia「大相撲」
 → Wikipedia「力士」
 → Wikipedia「土俵」
 → Wikipedia「日本相撲協会」
 → Wikipedia「蔵前国技館」


【資料】
土俵に上がれなかった女性知事
日本駐在外国プレスのために発行している「ジャパン・ブリーフ」から抜粋したもの 2000.3.13
 日本で初の女性知事となった太田房江大阪府知事は、2月8日の初登庁後の記者会見で、大相撲春場所(3月12日から15日間)で自ら土俵に上って大阪府知事賞を優勝力士に手渡したいとの意向を表明した。大相撲のしきたりでは女性は土俵に上れないことになっており、日本相撲協会はこれまでの伝統に従って、この新女性知事の申し入れに難色を示した。
 初の女性知事と日本の伝統的な体質を代表する相撲協会との対決ということで、格好の話題となったが、結局、春場所の日程が目前に迫っていることもあり、太田知事の側が折れて、今年は知事本人ではなく代理の人物が知事賞を渡す、ということで決着した。2月29日に太田知事と相撲協会の時津風理事長(元大関豊山)が電話でやりとりをし、この場で、知事が土俵へ上ることを断念すると伝えたという。
 この「女人禁制」問題が巷間の話題となったのは今回が初めてではない。1989年に、森山真弓官房長官(当時)が、優勝力士に贈る内閣総理大臣杯を自ら手渡したいと発言した。この時も結局は相撲協会に押し切られる形で土俵上への女性の登場は実現しなかった。今回は10年ぶりの“第2ラウンド”だったわけだ。
 2月24日の朝日新聞によると、同紙が2月20日と21日の両日に電話で行った世論調査ではこの土俵問題で太田知事を支持する人が47%、相撲協会を支持する人が37%だった。男性の48%、女性の45%が太田知事を支持し、男性の39%、女性の35%が相撲協会を支持した。年代別に見ると、男性は各年代を通じて、知事支持が5割前後で、相撲協会支持は4割前後という結果。一方女性は、若い世代から50代までは知事支持が5〜6割を占めるが、60代では32%、70歳以上では19%にまで急降下する。逆に相撲協会を支持する女性は、60代で43%、70歳以上では48%に達した。
 この調査から男性と女性の意識には大きな差があることが浮き彫りになったといえる。男性においては、各世代間で土俵問題に対する考え方に大きな差が見られないのに対し、女性の場合は、若い世代にあっては男性よりも知事を支持する割合が高いにもかかわらず、高齢層では「女人禁制打破」を支持する人はきわめて少なく、男性の半分の比率となってしまうのである。
 エッセイストの海老名香葉子さんは2月24日付の朝日新聞で「女性としては、『おふくろ』のような気持ちで大相撲の世界を見守りたい。そんな心境ですね。相撲協会のお相撲さんが一生懸命に神聖な土俵を守ろうとしているんですから」と相撲協会を擁護した。  同じ女性でも、官房長官時代に相撲協会から土俵に上がるのを拒否された森山真弓衆院議員は、同じ朝日新聞紙上で「今後、女性が知事や総理大臣になる可能性がありますが、(相撲協会は)同じことを繰り返すのでしょうか」「世の中は大変変わっています。協会はもう年貢の納め時だと思います」と語っている。


土俵と伝統 女性を拒まず、知恵を絞れ
毎日新聞 2001年03月09日
 太田房江・大阪府知事が大相撲の優勝力士に土俵上で知事賞を授与したいと申し入れていたが、この春場所(大阪場所)も実現しなかった。女性知事の願いは、女人禁制の土俵のしきたりに押し切られた。
 男女平等の理念と伝統がぶつかる難しい問題である。しかし、男女共同参画社会を目指す21世紀が始まっている。「国技」と位置付けられている大相撲だからこそ、その理念を具体化する方策を見いだすべきだ。
 1989年、当時の森山真弓官房長官が内閣総理大臣杯を自分の手で渡したいと発言して、この問題に火がついた。初の女性知事となった太田知事も、昨年の春場所前から強い意欲を見せてきた。
 日本相撲協会は拒否の姿勢を貫いている。理由として、大相撲には神事としての色彩があり、土俵を神聖視してきたことを挙げる。
 伝統文化や宗教、職業の中で、女人禁制はさまざまな形で受け継がれてきた。出産や月経といった血を伴う生理現象が、宗教上のタブーと結びついたとも言われている。
 1872(明治5)年の太政官布告で、社寺の女人禁制は制度としては廃止されたが、生き残った伝統はいくつもある。大相撲の土俵もそうだ。そのことをよしとするファンも多いことは理解できる。
 しかし、伝統の根底に女性を不浄視する考えがあるとしたら、今の社会が受け入れられるものではない。現実の動きが、そのことを如実に示している。
 京都には、室町時代から続く五山の送り火がある。その点火役は伝統的に男性が担ってきた。昨年の大みそかには、20世紀を送り21世紀を迎える行事としても実施され、特別に一部の点火役は女性に開放された。
 トンネルの貫通式に女性が出席すると山の神が怒ると言われたが、昔話になりつつある。酒蔵で働く蔵人の中で、女性は1割を超えた。
 1999年に施行された男女共同参画社会基本法は、前文で「男女共同参画社会の実現を21世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け」とうたっている。各方面への女性参加は、速度を増すだろうし、そうでなければならない。
 男女差別の解消は、今では目に見えない壁をどう乗り越えるかということが課題になっている。ところが土俵の上では、いまだに目に見える形で生きている。
 日本相撲協会は公益法人だ。日本の国が向かうべき道を、大相撲に反映させていいはずだ。
 昨年は内館牧子さんが女性として初の横綱審議委員に就任した。女性相撲(新相撲)は世界大会を開くまでになった。もう一歩踏み込むことはできないか。
 内閣総理大臣杯は公費を伴う公的なもので、誰が手渡してもいいと考えるのが普通だ。女性からの授与を拒むとしたら、大臣杯を出すのを拒否するくらいの姿勢が必要だ。
 大阪府知事賞も同様だ。この1年間、協会はどのような検討をしてきたのか、中身をファン、国民にわかりやすく説明する責任がある。今回、神事と知事賞授与を切り離す案も出たようだ。それをたたき台にして、もっと知恵を絞ればいい。いずれにしても新しい土俵の伝統を作り上げる時期が来ている。


大相撲:大阪府知事、春場所も土俵上での授与見送りか
毎日新聞 2003.02.13
 大阪府の太田房江知事が大相撲春場所で土俵に上がって、優勝力士に府知事賞を贈ることを要望していることを受け、日本相撲協会の北の湖理事長は13日、東京・両国国技館で大阪府生活文化部の山登敏男部長らと話し合った。北の湖理事長は「すぐには(結論を)出せない」と今年の春場所(3月9日初日、大阪府立体育会館)も土俵上の授与を見送る可能性が高いことを示唆した。
 大相撲では規則に明文化されているわけではないが、女性が土俵に上がれない「女人禁制」の伝統がある。約40分の話し合いの後、山登部長は「目に見える形で検討してほしいと言ってきたが、今の段階でイエス・ノーは言えないということだった」とこの日は進展がなかったことを明らかにし、「(春場所までに)理事長が直接、知事に考えを伝えるということなので、いい返事を待っている」と語った。
 会談後、取材に応じた北の湖理事長は「培ってきた伝統を守っていかないといけない」とこれまで協会が取ってきた姿勢を改めて示しながらも、「人の意見に耳を傾けないといけない。いろいろな角度から前向きに検討したい」と話した。ただし「自分たちだけで検討するわけにもいかない」と結論を出すには時間がかかるとの見通しを語り、今年の春場所で太田知事が土俵に上がることは厳しそうだ。
 全国初の女性知事になった太田知事は、就任1年目の00年春場所で優勝力士に「自ら府知事賞を渡したい」と表明。協会側は「大相撲には1000年の歴史があり、男だけで担ってきた文化性がある」などと主張してきた。過去3年間は代理の副知事が府知事賞を贈った。 【高橋秀明】


大阪・太田知事、春場所も土俵に上がれず 来年は検討
asahi.com 2003.2.27
 大相撲春場所の優勝力士に土俵上で知事賞を授与したいと訴えている大阪府の太田房江知事は21日、日本相撲協会の北の湖理事長から「今年も従来通りでお願いします」との電話があり、春場所も土俵には上がれないことを明らかにした。
 電話があったのは午前11時半ごろ。北の湖理事長は「この問題について今後全国アンケートし、協会としての対応を検討する」と話し、太田知事は「残念ですが、ファンのみなさんの意見を聞くというのは大きな前進。理事長の配慮に感謝します」と述べたという。
 同協会は太田知事が女性であることを理由に土俵へ上がることを認めず、過去3回の春場所では男性の副知事が代理を務めた。春場所は3月9日に始まる。
<北の湖理事長の話> 私どもの立場をご理解いただきたいと太田知事にお願いした。いろいろな有識者に意見を聞いてきたが、これからも深く検討していきたい。


大相撲・女性知事土俵入り拒否問題 6割が反対 春場所来場者アンケート
毎日新聞 2004.5.7
 日本相撲協会は7日、今年3月の大相撲春場所で実施したアンケート結果を公表した。大阪府の太田房江知事は土俵上で優勝力士に知事賞を手渡すことを「女人禁制」を理由に拒まれているが、女性が土俵に上がることについては反対意見が6割を超えた。
 アンケートは、東海大の生沼芳弘教授(スポーツ社会学)らが研究を主目的に実施。3月20日の春場所来場者400人を対象に行い、283人が回答。女性が土俵に上がることについては、全く賛成48人、どちらかというと賛成55人、どちらかというと反対64人、全く反対108人。「表彰式だけならかまわないのではないか」という問いに対しても、全くそう思う35人、そう思う74人、そう思わない66人、全くそう思わない88人で、反対意見が約6割を占めた。
 太田知事は「一つの結果として受け止めています。協会には広く意見を聞くことを申し入れており、前向きな対応を期待します」とコメントした。【山田英之】


大相撲春場所 知事賞授与「停止検討を」 大阪府監査委、太田知事に勧告
毎日新聞 2004.3.13
 大阪府の太田房江知事が、大相撲春場所で知事賞授与のため土俵に上がるのを「女人禁制」を理由に日本相撲協会から拒否されている問題で、府監査委員は12日、知事賞の授与停止を検討するよう太田知事に勧告した。太田知事は「今場所はこれまで通り(男性副知事の)代理授与にしたい」と話した。
 大阪市のNPO「子どものための民間教育委員会」(良井靖昌代表委員)が「違法な男女差別」として、授与の差し止めを求めて監査請求したのに対し、この日、監査結果を出した。監査委員は違法性は認めなかったが、相撲協会側の姿勢に変化が乏しいことを理由に勧告を付記した。
 代理授与について「決して好ましいこととは言えない」と指摘し、協会が前向きな対応を取るよう知事から働きかけることを求めた。【宇城昇】


戦いの場の伝統守りたい 舞の海秀平
毎日新聞 2004.4.2
 大相撲春場所は横綱朝青龍関が2場所連続全勝優勝した。春場所恒例の府知事賞は、今年も女性の太田房江知事ではなく代役が授与した。太田知事は00年に就任して以来、「土俵上で知事賞を渡したい」と日本相撲協会に申し入れている。元力士の立場から「女性と土俵」への私見を述べさせていただきたい。
 大相撲の土俵に女性が上がることを、賛成か反対かで問われれば、私は「反対」だ。理由は「先人が守り続けてきた伝統だから」である。
 土俵は単なる土を盛った試合場ではない。中央に供物を埋め込み、神を招く儀式を土俵祭というが、私が現役時代所属した出羽海部屋でも東京場所前の年3回行っていた。この行事には何を差し置いても参加したものだ。
 なぜいま「女性を土俵に」なのか、理解に苦しむ。歌舞伎の世界も男性だけ、宝塚の舞台も女性だけだ。だがそこで「男女差別」とは聞かない。礼に始まり、礼に終わる相撲界で、この風習を変えることは先人に対して礼を失する。相撲界では最も恥ずべきことだ。
 「明治時代には女性も観客席に入れるようになった」という意見もある。しかし、見せる場所と戦う場所は、別の次元である。自分の家でも、ここまではお客さんにお見せできるが、ここから先は遠慮してほしい、という空間もあろう。それと同じで、力士の戦いの場だけは伝統を守りたいという思いを理解いただけないだろうか。
 春場所7日目に、お客さんを対象に女性が土俵に上がることへのアンケートが実施されたと聞いた。しかし多数決で決められないことは、世の中にたくさんある。懸賞金や集客の方法、力士の褒賞制度など時流に合わせて変えることはある。しかし守るべきものは守っていかないと「文化の崩壊」につながる。
 私が全国で行う講演の中で「なぜ女性は土俵に上がれないのか」という質問が必ず出る。その時に「それが大相撲の伝統なんです」と言い、守り続けられている慣習の数々を挙げると、納得していただける。単なるスポーツではない日本文化として「差別」ではない「区別」があることをご理解いただきたい。【大相撲解説者】



●女性知事の土俵入りを肯定する根拠

1.女性が土俵に入れないことはたんなる相撲の問題ではない。女性を排除する日本社会の象徴である。
 相撲は国民的娯楽であり、「国技」を名乗っている。また、優勝力士の表彰は全国民の注目をあびる場である。そういうハレの場から女性を排除することは、日本社会が女性を表舞台から排除してきたことの象徴といえる。こうした排除に対して異議をとなえなければ社会は変わらない。日本社会は近年になってようやく女性の社会進出が認められるようになってきたが、それは女性たちが日本社会に異議をとなえつづけてきた成果である。もしもこうした問題に目をつぶって何も行動を起こしていなかったら、男女雇用機会均等法どころか、女性の選挙権すら保障されていなかったろう。

2.たんに長くつづいてきた伝統というだけでは、今後も続ける根拠にはならない。
 長くつづいてきた伝統という点ではカースト制や奴隷制も同じである。間違った伝統は正していく必要がある。

3.どんな神話や伝説があろうと、女性を社会の表舞台から排除するための口実にすぎない。
 酒蔵には酒の神様がいて女性は杜氏(とうじ)にはなれないとされてきた。山には山の神様がいて女性はトンネルの開通式には出席できないとされてきた。こうした伝承には様々なものがあるが、いずれも女性を社会の表舞台から排除し、男性優位の社会を維持するために利用されてきた点で共通している。現在では神社の神事にも女性が参加できるようになり、もはやそうしたしきたりは過去のものになりつつあるのに、大相撲の世界だけ通用しているのは滑稽である。

3.伝統芸能といっても時代に合わせてかわっていく必要がある。
 能や狂言の世界では、すでに女性の能楽師や狂言師も誕生している。相撲はハダカで格闘するという性質上、女性力士が大相撲で活躍するのは難しいかもしれないが、女性を土俵に立ち入らせないというのはそれ以前の問題である。それにこの問題は表彰式で女性知事が土俵に登るだけのことである。「伝統芸能」という言葉で女性の進出を拒むのは間違っている。
――国立能楽堂でも一昨年(97年)の10月、初めて自主公演に女性が登場しました。この公演は「女流能楽師の夕べ」と名付けられた企画公演で、金春流で舞囃子「三輪」の後、観世流で能「百万」が演じられました。舞囃子はすべて女性。能もワキとアイを除いて女性ばかりというものでした。女性が能を演じる機会が増えて行けば、男性の演じる能とは一味違った、女性ならではの能というのも出来てくるのではないでしょうか。――(横浜能楽堂発行「橋がかり」6号より)
4.「女性」という言葉を「黒人」と置き換えて、「黒人は土俵に立ち入ることはできない」としてみれば、この問題が人種差別であることはあきらかである。同様に「女性は土俵に立ち入ることはできない」という発想は性差別である。
 男女の性差をことさら強調する発想自体が間違っている。男にも色々な人がいるし、女にも色々な人がいる。そうした個人差を無視して、「男だから」「女だから」とひとくくりにしているかぎり、個人を尊重する社会など実現しない。

5.大相撲の伝統というのはかなりいい加減である。
 大相撲は「見せ物」としての性質が強く、伝統といっても「演出された伝統」が多い。そのため、現在の様式が確立されるまでには色々変化してきた。江戸時代までは横綱は存在しなかったし、昭和初期までは年2回しか開かれていなかった。また、大相撲協会が現在のようなしっかりした組織になったのも戦後のことで、それ以前は部屋ごとに興行をしていた。またテレビ中継にじゃまだという理由で柱をなくして釣り屋根にしたり、土俵の広さまで変えてきた。にもかかわらず、女性の立ち入りだけをかたくなに禁じているのは、背景に男社会を守りたいという政治的意図がある。

6.女性知事が表彰状授与で土俵に立ち入ることは、相撲の本質を変えることにはならない。
 この問題はなにも力士の半分を女性にしろと言っているのではない。たんに表彰式で女性知事が土俵に入るというだけのことである。この程度のことで相撲の本質は変わらない。むしろ、年6場所にしたことや土俵の大きさを広げたことの方が競技としての相撲を大きく変化させている。

7.知事賞は公的な賞であり、日本は政教分離が原則である。
 大相撲が宗教団体の神事ならば、土俵を女人禁制にしたところで問題はない。それは女人禁制の霊山や男子禁制の聖地と同じ位置づけになり、信教の自由で保障されることになる。しかし、大相撲協会は宗教法人ではなく、公益法人として大相撲を国民すべてに楽しんでもらえることを目指している。だからこそ「国技」を名乗り、総理大臣賞や知事賞といった公的な賞を受け取っている。これらの賞金の出所は税金である。大相撲が税金から賞を受け取り、国民すべての娯楽であろうとするならば、宗教性は排除しなければならない。神社の神事ですら女性を受け入れるようになっているのに、国民の娯楽である大相撲が女性を拒否しているのは時代錯誤である。


●女性知事の土俵入りを否定する根拠

1.大相撲というのは伝統芸能という特殊な世界であり、女性の社会進出という一般論でこの問題をとらえることは間違っている。
 大相撲が男社会であることは、見せ物であり伝統芸能であるという性質上しかたのないことである。それは宝塚が女だけの舞台なのと同じで、特殊な世界であるからこそ夢があり、魅力がある。そういう特殊な世界に男女平等という一般論を持ち出すことは間違っている。社会のすべてが男女平等で平らにする必要などない。宝塚の舞台に男が上がったら白けてしまうのと同じで、大相撲の土俵は力自慢の大男たちが闘う聖地であるからこそ魅力がある。

2.大相撲で表彰状を渡すことは、知事の本質的な仕事ではない。
 大相撲の表彰式に登場するかしないかは、知事の仕事としては些細なことにすぎない。それを女性の権利の侵害と主張するのは大げさすぎる。一方、大相撲協会にとっては土俵が聖地という意識は非常に強く、女性が立ち入ることは重要な問題だ。それならば、知事としては大相撲協会の方針を尊重して、土俵に上ることは遠慮するべきではないのか。知事という立場には、日本の伝統を保護する役割があるはずだ。

3.大相撲はただのスポーツではなく、深い精神性のある伝統芸能である。
 大相撲はたんに大男が闘う格闘技というだけでなく、色々な儀式性が混ざり合っている。力士が塩をまくのは清めの儀式であり、土俵で四股(しこ)を踏むのは地中の悪霊を鎮める儀式である。また、土俵の四隅に下がっている房は東西南北の神々をあらわし、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎、黒は玄武である。土俵が女人禁制なのもそうした一連の儀式性のひとつである。そのため、土俵をつくるときも清めの儀式を行い、女性にはふれさせない。こうした精神性があることが大相撲の特徴で、そこがアマチュアの競技相撲との違いである。大相撲からこうした精神性や儀式をすべて取り除いてしまったら、それは大相撲とは別物の味気ない格闘技になってしまう。

4.土俵の女人禁制は女性蔑視ではない。
 土俵を女性にふれさせない理由として、女性がケガレた存在だからという説があるが、それは一説にすぎない。女人禁制の根拠には色々な説があり、はっきりしていない。例えば、相撲の始まりは豊作を祈る農耕の祭りで、豊作の神様が女の神様だったために女性が土俵に入るとやきもちをやくからという説もある。こちらの説を採用すれば、土俵の女人禁制は、むしろ女性を崇拝しているためといえる。

5.宗教性を排除しろというのなら、塩をまくことすらできなくなってしまう。
 大相撲の儀式性は、土俵の女人禁制だけでなく、塩をまいたり四股を踏んだりすることまでふくまれる。公的機関から賞金をもらい国民の娯楽であるからには宗教性は排除しなければならないというのなら、塩をまくことすらできなくなってしまう。

6.相撲の儀式は神道の神事であるのと同時に、日本人の伝統的な精神世界をあらわしている。
 神道の儀式は日本古来の生活にもとづく精神性に由来している。そのため、土俵の女人禁制をふくむ大相撲での一連の儀式は、特定宗教の儀式というよりも日本人の伝統的な精神性をあらわしているといえる。そういう儀式が混ざり合ってできている大相撲こそが「国技」としてふさわしい。

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