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  アメリカ人審判の帰国


 この回は、アメリカから来たプロ野球審判が試合中に暴行を受け帰国してしまった事件を通して、日米の文化の違いやあいまいといわれる日本社会のあり方を考えました。


■事件のあらまし

 第二次世界大戦後、プロ野球は川上、青田、長嶋、王といった数々のスター選手を生み、大衆の娯楽として人気を集めてきた。商業スポーツとしての歴史が長いぶん、ルールはアメリカのベースボールとまったく同じでも、試合の運営や興行としてのあり方では日本独特のスタイルがつくられてきた。そうした中、今後、実現が予想されるプロ選手による国際試合を見据えて、1997年のシーズンのはじめ、セリーグがインターナショナルな試合運営をとりいれる方針を打ち出した。その目玉として、アメリカのプロ野球から審判をまねき、実際に試合でジャッジしてもらうことになった。きっかけになったのは、1996年オフのセリーグ監督会議で審判の判定技術が話題になった際、巨人監督の長嶋茂雄氏がアメリカから審判をまねこうと提案したことだった。ルール遵守に厳しいアメリカ流の判定を学ぶことで、プロ野球の国際試合への対応と審判技術の向上をはかるというものだった。そうして、3Aに所属していた29歳のアメリカ人審判、マイケル・ディミュロ氏が来日し、今年4月からセリーグの試合でジャッジをすることになった。ところが、彼がジャッジをするようになってまもなく、日本とアメリカの審判のスタイルや試合運営のやり方が大きく違っていることが明らかになり、選手や監督から不満の声が上がるようになっていった。

 日本では、プロ野球の試合運営に責任を負うはずの審判にそれに見合っただけの権限が与えられておらず、審判の権威を確立するための制度的な裏づけもない。そのため、判定でもめた場合や対戦チーム間でトラブルがあった場合には、自らの判断で断固とした処分をすることができず、両チーム間の調停役やなだめ役を演じることが多い。退場などの厳しい処分をした審判に対しては、選手・監督から嫌がらせなどの報復もあるという。日本のプロ野球では、各チームの監督が試合運営の主導権をにぎっており、審判は両チームをうまく調停しながら試合を進行させるというのが慣習になっている。審判の権威が低いため、選手や監督による審判への暴力をともなうはげしい抗議もしばしば見られる。また、判定への抗議として監督が選手をベンチに下げてしまい、試合が数十分にわたって中断するということもある。こうした事態に至っても、たいていの場合、誰も退場処分になることはなく、その責任はうやむやにされる。時には抗議によって審判が判定をくつがえしたり、監督に謝罪することもある。近年では、パリーグの試合で、ホームランかエンタイトル・ツーベースかをめぐる両チームからのはげしい抗議によって、試合が1時間以上中断した末に、間をとって3塁打にするという判定まであった。また、真偽のほどは定かではないが、しばしば一流選手や人気チームには判定が甘いと指摘されており、選手や監督の力関係によって、審判の判定がぶれると言われている。

 一方、アメリカのプロ野球では、日本とは対照的に、審判が試合の進行の最高責任者としての役割をになっている。審判はその責任を負うぶん、それに見合った強い権限を持っており、毅然とした姿勢で試合運営をすることが求められている。また、そうした審判の役割は、選手や観客からも理解されており、審判の権威が保たれている。選手同士の乱闘事件はあっても、日本のような審判への暴力や集団で取り囲んでの抗議は見られない。それらの行為があった場合は、即刻退場とされ、場合によっては数日間の試合停止処分というきびしい罰則も科せられる。1996年、メジャーリーグのスター選手であるロベルト・アロマー選手がストライクの判定に抗議して退場の宣告を受けた際、審判につばを吐きかける事件があった。審判組合はアロマー選手の出場停止処分を要求し、プレーオフのボイコットを宣言、連邦裁判所が調停に乗りだす事態になった。結局、アロマー選手は5日間の出場停止処分となり、さらに復帰した試合では観客からのはげしいブーイングを浴びることになった。メジャーリーグでの審判の権威の高さを示す一例といえる。

 「日本のプロ野球にアメリカ流のジャッジを」ということで呼ばれたディミュロ審判は、その要望どおりにアメリカ流のジャッジを行っているにすぎないが、彼を招いた意図と日米における審判の立場や姿勢の違いが選手・監督・観客に理解されていなかったため、しだいに彼はひとりだけ浮いた存在になっていった。選手や監督からは、いきなりアメリカからやってきて独裁者のようにふるまっている、一方的にアメリカ式のストライクゾーンを押しつけている、日本のプロ野球を見下している、と見なされ、反感を買うようになっていった。一方、ディミュロ審判も、日本のプロ野球で審判の力があまりにも弱いことについて、戸惑いを抱くようになる。5月には恩師であるメジャーリーグ審判のジム・エバンスさんに次のような手紙を出している。「先日見たテレビで、信じられないことがおきました。ホームベースのクロスプレーで審判がアウトの判定をした時のことです。これに不服な監督やコーチたちが審判に詰め寄り、体を押すなどしたのです。アメリカなら審判に触っただけで即退場です。さらに監督は選手全員をロッカールームに引き上げさせたのです。すると審判たちはグラウンドに出てきてほしいとねだっていました。この間、試合が十数分も中断したのに誰も退場させられなかったのは驚きです。日本の審判は寛容なのです。」

 そして、6月5日の横浜・中日戦でこのすれ違いが一気に表面化した。この日、主審をつとめていたディミュロ審判は、中日・大豊選手の打席の時、外角低めの球をストライクと判定し、打席の大豊選手はこの判定にはげしく抗議した。日本のプロ野球では、こうした抗議は日常的に行われているが、アメリカのプロ野球で認められているのは「質問」までで、審判の判定を否定するような抗議や審判への侮辱を口にした場合は、即刻退場処分となる。ディミュロ審判は、ただちに球場の外を指さし「ゲット・アウト!」と大豊選手に退場を言い渡した。判定への抗議だけで退場になるというのは、日本のプロ野球では異例の事態で、大豊選手は、この処分に怒りをあらわにし、審判を突き飛ばした。さらに、中日ベンチから一斉に飛び出してきた選手、監督、コーチによってディミュロ審判は取りかこまれ、バックネットまで小突き回されながら、大豊選手や星野監督からさらにはげしい抗議を受けることになった。「あきらかなボールをストライクと判定して、まるで俺がすべてを決めるんだといわんばかりの態度だった」と後日のインタビューで大豊選手はディミュロ審判について話している。また、この日の試合は中日のホームグラウンドで行われていたため、スタンドからはディミュロ審判に対して「ヤンキー・ゴー・ホーム」「審判替えろ」の罵声が飛び交い、スタジアムは異様な雰囲気につつまれた。その日ともにジャッジをしていた井野脩審判によると、試合後、ディミュロ審判はロッカールームで頭を抱えてふるえていたという。結局、その翌日、彼はセリーグに辞表を提出し、アメリカに帰国することになった。

 この事件はアメリカのマスメディアでも大きく取りあげられた。そこでは日米のスポーツ文化の違いを指摘するとともに日本野球のあり方への批判が展開された。その一方で、セリーグの会長は「とても残念です」とくり返すばかりで、その後どうするのか具体的な対応策や方針を打ちだすことはなかった。



■資料

・VTR クローズアップ現代「ディミュロ審判の帰国」1997.6.19 












 番組では、ディミュロ審判の来日から6月5日の暴行事件までの経緯と関係者の証言が紹介されている。また、アメリカ・メジャーリーグでの審判の試合運営の様子や審判学校でのトレーニング・メニューもあわせて紹介されている。

追記 番組でコメントしていたジム・エバンスさんは、1999年にメジャーリーグの審判を引退した後、審判学校の校長に就任した。彼のジム・エバンス審判学校には、日本からもプロ野球審判をはじめとして多くの人たちが講習を受けに来ている。マイケル・ディミュロさんは、アメリカに帰国後、3Aの審判を経て、メジャーリーグの審判になった。2008年、イチロー選手が彼のストライクの判定に抗議し、その判定への不満をメディアに語ったことから、ふたたびディミュロさんの名前が日本のスポーツメディアに登場した。試合後のインタビューでイチロー選手は「大豊さんの気持ちがわかる、審判のほうが退場すべき」と日本のメディアに判定への不満を語っている。

イチロー「審判が退場すべき」 スーパースターにあるまじき発言《ヒルマニア》
スポーツ報知 2008年5月25日
◆ヤンキース13―2マリナーズ(23日・ニューヨーク)
 マリナーズのイチロー外野手(34)が、敵地でのヤンキース戦で4打数無安打。2回、2打席連続での見逃し三振の判定に激怒、ディミュロ球審に猛抗議し、同じくクレームをつけたマクラーレン監督が退場となった。試合後、イチローは「審判が退場すべきですね」とメジャーではタブーの審判批判発言。今後、波紋を呼びそうだ。試合は4番に復帰した松井秀喜外野手(33)が3安打2打点をマークするなどヤ軍が圧勝した。

 第1打席、左腕ペティットの内角低めのスライダーを「ストライク」と判定された時、ディミュロ球審を横目でにらんだだけだったイチロー。1点を先行した2回、2死一、二塁。フルカウントからの内角スライダーを再び「ストライク」とコールされると、猛然と食い下がった。三塁ベンチからはマクラーレン監督も飛び出して抗議。退場となった。

 試合後、「(元中日の)大豊さんが怒った気持ちがよく分かる。きょうは審判が退場すべき」とイチローは吐き捨てるように言った。ディミュロ球審が97年、セ・リーグで審判を務めていた際、判定を巡って大豊とトラブルになった事例を出し、皮肉った。昨年も審判には厳しい発言を繰り返していたが、米大リーグでタブーとされる“審判批判”は、今後、物議を醸しそうだ。

 テレビで見る限り、第1打席と同じような軌道のボール。追加点のチャンスだっただけに、バットコントロールが自慢のイチローならカットできたのではないか。

 今年のイチローは走者得点圏で34打数5安打、打率1割4分7厘とさっぱりだ。デビューした01年の4割4分5厘を筆頭に、昨年まで得点圏通算打率が3割5分1厘と勝負強さが持ち味だっただけに、首をひねる成績。好機での三振も、この試合を含めて7個と安打数を上回っている。“安打製造機”で1番打者のイチローが適時打を放てば大量点に結びつくが、三振ではチームのムードに水を差すことになる。

 過去7年、5月23日時点ではすべて3割をキープ(最低は03年の3割1分4厘)していた。1試合で1人の投手に2度見逃し三振は03年T・ハドソンに次いで2度目の屈辱。この日の抗議も、一向に復調しない自らの調子、そして、予想していた配球とは違う攻めをされたふがいなさへの怒りだったのか…。いずれにしても「審判が退場すべき」というコメントが本音なら、スーパースターにあるまじき発言、と言わざるを得ない。=随時掲載=

 ◆ディミュロと日本 父親もメジャーの審判員だったディミュロ審判員は3A時代の1997年、技術向上を目的とした日米審判交流の一環で来日。セ・リーグでジャッジした。6月5日の中日・横浜戦で球審を担当した際、中日・大豊泰昭選手がストライクの判定に猛抗議。退場処分を言い渡した時に胸を突かれ、「身の危険を感じた」と辞任してしまった。米国のストライクゾーンで判定していたことで、以前にもトラブルがあり、わずか3か月での帰国となった。

 → スポーツ報知「イチロー「審判が退場すべき」 スーパースターにあるまじき発言」
・「AERA」1997.6.23号 米人審判追い出したなれ合いプロ野球



 生徒のレポート

●すごくかわいそうだった。このアメリカ人審判はアメリカで学んだ公正で明確な判定を日本のプロ野球でも自信をもっておこなった。それは当然のことだ。それなのに、そういう審判は日本では嫌われ、選手から暴力を振るわれてしまう。
 日本の審判は選手からバカにされたり、なぐられたりしても、すぐには退場にしない、というより、できない。こういう日本のやり方はおかしいと思う。

●同じスポーツといっても、その国の社会や文化によって少しずつスタイルが違うのは仕方のないことだ。だから、あれくらいのことでビビるあの審判もおかしいと思う。

●ディミュロ審判はとてもりっぱでかっこいいと思う。帰国してしまったのは残念だ。
 彼が日本に来たとき、私は「日本も国際交流を考えはじめたのかなあ」とか「日本人は内向きで自分たちの文化しか考えてこなかったのでこれはいいことだなあ」と思っていた。しかし実際には、ディミュロさんを支えていたのはまわりのごく一部の人だけで、大勢の反発を受けながらほとんどひとりでがんばっていたなんてとても気の毒だ。
 ビデオの中で、彼の先輩の審判が言っていたように、審判は監督や選手よりもずっと上の立場にいなければならないと思う。同時に、選手や監督から抗議を受けても、判定を変えたりしない自信や威厳のある人でないとだめだと思う。日本の審判にそういう人がいないというのは悲しい。
 多くの日本人は、ひとりでは自分の意見すらまともに言えないのに、集団で行動すると横暴になる。審判に抗議するときに、すぐに大勢で審判を取り囲み、どなったり暴力を振るったりするのも、日本人のそういう習性のひとつだと思う。はじめてそれを体験したディミュロさんはさぞ恐ろしい思いだったろう。
 この事件の後、傷ついた彼に対して誰も気づかってあげないのはどうしてだろう。今、人の気持ちをわかってあげようとしない人が多すぎる気がする。誰かが声をかけてあげていれば、ディミュロさんもこれほどのショックを受けなかったのではないだろうか。

●この問題は簡単に誰がまちがっているとはいえない。大豊は大豊で、自信を持って見送った球をストライクととられたんだからおこるのは当たり前だ。審判は審判で、「アメリカ流でやってくれ」とたのまれて来ているわけだから、アメリカ流でやるのは当然だ。それぞれに罪はないと思う。一番の問題は、セリーグの会長にあると思う。アメリカ人審判が日本で審判をやる事情を十分に伝えていないし、この事件に対してもいいかげんな態度で、再発防止の対応策も出していない。
 あと、あの暴行事件の最中に、観客が審判にば声を浴びせていたが、あれはひどいと思った。ストライクゾーンをアメリカ流に変えろとは思わないけど、審判の権威をもう少し高めることには賛成だ。

●私は絶対に日本の野球がまちがっていると思う。もともと、スポーツは楽しむためのものだ。それが審判への暴行までなっているという日本の状況は何か変だ。
 それに何より、あのアメリカ人審判がかわいそうだと思った。たのまれて日本に来たのに、彼が来日した事情が選手たちに十分に理解されていなくて、あんな状況で審判をしなければならず、結局、暴力事件で帰国するなんて。アメリカの新聞の「日本の審判は記録係」という批判にも、日本のプロ野球関係者は文句が言えないと思う。

●日本人選手たちの審判への抗議は、アメリカの野球では認められないことかも知れないが、日本でやるぶんには問題ないと思う。日本には日本のやり方があると思う。

●審判がどこの国の人だろうと、審判の判定にしたがうべきだと思う。審判だって人間なのだから、ミスジャッジがあって当然だし、選手はそれに不満があってもしたがうべきだ。
 ただ、このアメリカ人審判が日本に来た理由をセリーグが各球団に十分に言っていなかったのは失敗だったと思う。

●日本の野球ファンは過激な人が多いから、今回のようなことになったのだと思う。
 それに、日本は閉鎖的で鎖国意識が強い人が多いから、こういう形での国際交流はもっと慎重にやらないと反発をまねくだけだ。
 ただ、日本でも審判の権限はもっと強めるべきだと思う。少なくとも、乱闘をおさえられるくらいの権限はあった方が、いい結果を生むと思う。

●選手の立場から考えると「いきなり違う文化の野球にされたんじゃ、たまらない」ということになる。こういう気持ちには賛成できる。一方で、審判の立場から考えると「せっかく呼ばれてきたのに、何でこんな目にあうんだ」ということになる。この気持ちにも賛成できる。
 問題は、アメリカから審判を呼んだ人にあると思う。審判の判定は試合を左右する重要なものなのに、アメリカから審判を呼んだ理由を事前に十分な説明をしていないというのは、選手の反発をまねいて当然だ。そういうあたり前のことをしなかったから、選手が怒ったのも審判が帰国してしまったのも当然の成り行きだと思った。

●審判には試合を仕切る権限があり、義務があると僕は思う。なぜなら、審判は球場の中でストライクやボールを判定できる特別な存在だからである。
 ストライクゾーンがアメリカと日本で違うのは仕方がないし、どちらが良いとか悪いとかの問題ではない。しかし、その試合のストライクゾーンはその日の審判が決めることだ。それに対して、選手が抗議するということは、試合の最高責任者に文句を言ったということだから、即刻退場は当然だ。
 しかし、日本のプロ野球に審判の威厳はみじんも感じられない。試合をスムーズに進行させることも審判の仕事なのに、選手の抗議に時間をさいたり、監督に詰めよられて小さくなってしまったりという様子は試合の責任者の姿ではない。試合の進行をじゃまするものは誰であろうと排除するのは、審判として当然の行為のはずなのに、それがまったくなされていない。こういう状況の背景には、日本の審判が選手出身者が多く、先輩である監督には逆らえないという情けない気持ちが蔓延していることがある。星野監督が「日本は野球で、アメリカはベースボール。同じようで違うんだ。昔からこういうやり方なんだからそれでいいじゃないか」と言っていた。この発言は「審判の立場が弱いのが日本の野球なんだ」と言っているのと同じだ。これじゃあ、試合もへったくれもあったもんじゃない。
 試合を仕切るのはあくまで審判である。監督でも選手でも観客でもない。

●アメリカ人審判を呼んで、国際交流をしようとしたのはいいことだと思う。でも、国際交流をするということは今までのやり方を変えていくという覚悟も必要だ。そういう覚悟をしないで、ただ、アメリカ人審判を呼んでも、反発をまねき混乱するだけだ。今回のディミュロさんはそういういいかげんな国際交流の犠牲者だ。

●僕はアメリカ人審判をむりやり入れたこと自体、まちがいだったと思います。アメリカのストライクゾーンをそのまま日本に当てはめようとすれば、バッターが怒るのは当然です。彼らにとっては一球一球が勝負なのだから、審判に抗議をしたくなる気持ちも分かります。
 今回の事件で、一番責任が重いのはセリーグの会長です。選手たちに十分な説明もしないで、ストライクゾーンを変えようとしたことがいけないのだと思います。

●セリーグの代表の人が無責任に見えた。せっかく、アメリカから有望な審判を呼んで、技術を取り入れようとしたのに、ああいう事件が起きて、彼が帰国してしまったら、「日本には日本の野球があるから」などと言い出すのは無責任だ。ただ、僕自身、小学校から野球をやっているが、審判に「ストライク?」ときくことはあっても、大豊のようになぐったりすることは絶対にしない。

●アメリカからわざわざ呼んできておいて、あれはないんじゃないかい。アメリカ式の野球を取り入れようとして、呼んだんじゃないの。「野球とベースボールは違う」????なんだそりゃあ。違うからこそ来てもらったんじゃあないの。
 まったく、近頃の日本人はなっとらん。まったくあきれたよ。野球についてはよくわからんけどよー。少しは人の気持ちも考えなさい。自分のチームばかり考えてないで。

●土台がゆがんでいると、いくら上にりっぱなものを建てても崩れてしまう。
 国際交流とか、審判技術の向上とか、やろうとしていることはりっぱだけど、選手や観客にその方針をきちんとつたえていなければ、うまく行くはずがない。
 ただし、「日本の野球は日本流でいいんだ。何でわざわざアメリカ流にしなきゃいけないんだ」という考え方は、まちがっていると思うし、頭にくる。
 野球とベースボールは同じものではないのか。人気さえあれば、国際的に通用しないやり方をしていようが、審判をなぐろうがいいなんていう考え方、情けない。それに、向上心がなさすぎる。
 いったい、日本の野球って、何なんだろう?



■1年後の感想

 ディミュロ審判の帰国事件から1年たちました。この事件が人々の話題に上らなくなって久しいですが、状況は何も変わっていないし、個人的にはいまだに引っかかっています。

 日本におけるすべてのプロスポーツは、力道山対シャープ兄弟が雛形になっているのではないかと考えています。力道山のプロレスは、正義の主人公が強い敵役をやっつけるというわかりやすいスジガキを横糸に、西洋人コンプレックスとナショナリズムを縦糸に大成功しました。要するに見せ物としてスカッとする要素がそろっていたわけです。戦後日本のプロスポーツとその報道は、この力道山方式を模倣することで娯楽性を高めてきたのではないかと思います。つまり、主人公となるスター選手やスターチームがあり、それを中心に敵味方がはっきりわかれる構図と勧善懲悪の物語が描きだされるというやり方です。相撲、ボクシングからF1レースに至るまで、この図式にピタリとあてはまるとき、急激に人気が高まります。サッカーのJリーグ人気がいまひとつパッとしないのに日本代表チームの国際試合には熱狂的な声援が送られるのも、ふだんスキージャンプにまったく興味のない人たちがオリンピックで日本選手がメダルを取るかどうかとなると一斉に注目するのも、またいうまでもなく、戦後の長い年月にわたって巨人を中心に回ってきたプロ野球もその典型なケースといえます。ただ、この善悪二元論的な単純な物語は、スポーツの持っているより豊かで奥の深い楽しみをすみに追いやってしまう弊害もはらんでいます。観客の興味は応援しているチームが勝つかどうか、メダルをとれるかどうかがすべてになり、ショートストップが流れるような動作で三遊間深くのゴロをさばく様子に息をのむこともなく、ホームランバッターの打球が弧を描いて飛んでいく美しさにため息をつくこともなくなってしまうとしたら、それはもはやスポーツ観戦を楽しんでいるとはいえないのではないかと思います。

 日本のプロ野球は、独立した興行団体である球団の寄り集まりとして発展してきたという経緯があります。そのため、大衆の娯楽としてパブリックな性質を持つようになった現在もなお、オフィシャルな団体としての日本プロ野球機構の立場が弱く、各球団が独立した興行団体としての性質を色濃く残しています。たとえば稲生、中西、張本、落合、鈴木啓示、山田久志といった過去の名選手たちの足跡は、プロ野球の歴史そのものといえます。彼らの活躍は、本来、プロ野球全体でその活躍を記念されるべきもののはずです。ところが、親会社が変わったり、トレードでチームを移ったために、現在、彼らの背番号は永久欠番としてどのチームにも残されていません。アメリカのメジャーリーグで、黒人選手に活躍の道を開いたジャッキー・ロビンソンの42番がすべての球団の永久欠番になったのとは対照的に、日本の球団は親会社の所有物という意味あいが強く、永久欠番もいわば球団内の「従業員功労賞」といった位置づけにあるためです。また、そこに所属することが名選手の証と見なされている「名球会」も、プロ野球のオフィシャルな団体ではなく、金田正一さんを中心とした私的な集まりにすぎません。プロ野球全体を統括する組織の立場が弱いため、通称「オーナー」と呼ばれる親会社の社長がチーム運営だけでなく、リーグやプロ野球全体の運営でも強い発言力を持っています。とりわけ巨人の興行収入は他の球団と比べて圧倒的に大きいので、そのぶん親会社の読売グループの興行主としての影響力も大きく、しばしばナベツネさんのひと言でプロ野球全体のことが決められているというのはよく知られています。つまり、日本のプロ野球では、まず親会社があり、その下請けとして球団があり、さらにその孫請けとしてまとめ役のセリーグ・パリーグ・プロ野球機構があるという関係です。プロ野球選手は、税制上では「個人事業主」ということになりますが、実態としては下請け会社の職人さんで監督はその親方、審判は孫請け会社から派遣されてきた事務員さんというところではないでしょうか。こうした力関係の中で、審判が試合運営にリーダーシップを発揮したり、スター選手や大物監督に対して断固とした処分をするというのはきわめて困難です。スター選手や大物監督が退場処分になるのは興行として大きなマイナスなので、審判はチームの親会社からの批判も覚悟しなければなりません。また、審判はプロ野球組織の「社員」ではなく、1年ごとにリーグと契約する「契約社員」という立場にあります。そのため、厳しい処分をしたことによって選手・監督から反感を抱かれ、試合中にたびたび抗議や嫌がらせを受けた審判については、リーグ会長からトラブルメーカーと見なされ、一方的に来年度の契約を切られることもあるようです。本来、公正な判定をするためには、裁判官がそうであるように判定者の身分を手厚く保障する必要があるはずなんですが、残念ながら日本のプロ野球ではそうなっていません。このことも日本の審判が判定や試合運営で毅然とした姿勢をとれない大きな理由ではないかと思います。アメリカの審判が審判組合によって守られ、審判養成のための学校まで運営して若手の育成や技能向上に努めているのとは大きな違いがあります。21世紀になって、日本でも審判組合が組織されましたが、できて間もないため、アメリカの審判組合のように十分機能しているとはいえない状況です。

 日本の組織では、職務に見合った権限がないにもかかわらず、問題が生じたときに責任だけ負わされるというケースがしばしば見られます。近年では「名ばかり店長」が社会問題になりましたが、プロ野球の審判もそうした立場におかれているようです。本来、責任は権限に見合ったぶんだけ負うもののはずです。ところが、滅私奉公を美徳とする日本の労働慣習の中で権限と責任の関係はうやむやにされ、多くの組織で与えられた権限と負うべき責任の重さとが釣り合っていない状況にあります。そういう意味でディミュロ審判の事件は、たんに日米のストライクゾーンの違いだけでなく、組織としてのプロスポーツのあり方の違いを明らかにした事件といえるのではないかと思います。個人的には、審判が1年ごとの契約で、権限が明確にされないままトラブルが生じた際には責任を負わされ、一方的に来年度の契約が打ち切られるというのは、非常勤講師である私にとって人事ではなく、身につまされるものがありました。

 近年、プロ野球人気にかげりが出てきたと言われています。視聴率20%台を長く維持してきた巨人戦のテレビ中継が10%を下回るようになり、ゴールデンタイムに放送されないことも多くなってきました。プロ野球はこのまま各球団寄せ集めの興行団体として、再び巨人を中心にした力道山方式の見せ物に回帰していくのか、それとも欧米のプロスポーツリーグのように、日本プロ野球機構としての一体性を前面に出してプロスポーツのあり方を模索していくのか、いま、分かれ目に来ているのではないかと思います。(1997・2008)



■ リンク
 → 一橋大学2001年学園祭 審判講演会 井野修さん(セリーグ審判部副部長)への質疑応答
 → 同講演会より「審判員の一年間」
 → 同講演会より「審判も一年契約」
 → Wikipedia「プロ野球審判員」
 → プロ野球審判を応援しよう「プロ野球審判FAQ〜審判のお仕事編」
 → 外国人選手の抗議 - Yahoo!知恵袋
 → Wikipedia「審判学校」

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