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  所得の再分配 − 所得税の累進制は公平なのか −


 この回は所得税の累進課税制度を例に所得の再分配について考えました。

【課題】 現在、所得税はほとんどの国で累進制というしくみが取り入れられています。この累進課税制度はたくさん収入のある人には高い税率を、収入の少ない人には低い税率を適用するというものです。
 日本では、国に収める所得税の最高税率は1983年までは75%でしたが、その後しだいに引き下げられて現在は45%になっています。現在の日本の所得税は7段階の累進制で、次のような税率です。

 ・195万円以下の所得 → 5%
 ・195万円を超え330万円以下の所得 → 10%
 ・330万円を超え695万円以下の所得 → 20%
 ・695万円を超え900万円以下の所得 → 23%
 ・900万円を超え1800万円以下の所得 → 33%
 ・1800万円を超え4000万円以下の所得 → 40%
 ・4000万円を超える所得 → 45%
 → 国税庁 所得税の税率

 年間の所得が150万円の人の場合、150万円×5%で、だいたい7万円が国に納める所得税ということになります。もしこの人にこどもがいたり、高齢の親を介護していたり、国民健康保険を支払ったりしていれば、そのぶん税は控除されます。一方、年間所得2000万円の人だと、300万円〜400万円くらいの所得税になります。「あれっ、2000万円×40%だから800万円じゃないの?」と思うかもしれませんが、40%というのは、あくまで1800万円を超える200万円部分にかかる税率で、2000万円全体に40%が課税されるわけではありません。1800万円以下の部分については、上に示した5段階の税率をそれぞれ適用して算出されます。また、扶養控除、住宅控除、医療費控除などによって減額されるので、300万円〜400万円くらいが国に納める所得税ということになります。
 なので、テレビでときどきタレントやスポーツ選手が「日本ではいくら稼いでもほとんど税金にとられちゃう」とぼやいているのを見かけますが、あれは大げさな表現です。現在の税の仕組みでは、年収が1億円あるプロ野球選手でも、国に納める所得税は3000万円程度、地方税10%とあわせても半分以上を税に取られるようなことはありません。日本の場合、高額所得者へ課税される最高税率は1980年代から年々引き下げられており、また、様々な税控除があることから、個人の収入に対する税負担額は、先進国の中でアメリカに次いで低い水準になっています。
 → 財務省 主要国の所得税率の推移 pdf
 → 財務省 給与収入階級別の個人所得課税負担額の国際比較 pdf

 こうした累進課税のしくみは、高額所得者に多く課税することで所得の再分配をうながすために採用されていますが、はたして、富裕層がより多くの税を負担するしくみは、公平なものといえるのでしょうか。次のAとBの文章を参考にして、あなたの考えを述べなさい。

A 累進課税は不公平なしくみである。
 たしかに年間所得が5000万円も1億円もある人たちにとって、2000万円や3000万円を税にとられたからといって、生活には困らないだろう。しかし、生活に困るかどうかと、社会的に公平かどうかとは別の問題である。
 累進課税制度は次のふたつの点で問題をかかえている。まず、社会を支える責任はすべての人に等しくあるということをあげられる。だからこそ、基本的人権はすべての人に等しいのであり、所得に関係なくすべての人の参政権は一票なのである。高額所得者に高い税率を課すのならば、税率に応じて、二票三票ぶんの参政権が保障されなければ、公平な社会とは言えない。逆にすべての人の参政権が等しく一票ならば、所得に関わりなく、税率は一定にすべきである。
 もうひとつの問題として、高い税率を課すことで勤労意欲を低下させてしまう点をあげられる。所得というのは、その人が仕事につぎ込んだ努力と才能と時間の成果である。もしも、何億円稼いでもそのほとんどが税に持っていかれてしまう社会ならば、懸命に働いて経済的に成功しようという意欲が失われてしまうだろう。高額所得者に7割や8割もの高い税率を課すしくみは、仕事につぎ込んだ努力と才能と時間が本人自身のものでなく、国家のものだというのと同じであり、きわめて全体主義的なやり方である。働く情熱と個人の自由を守るために、仕事で成功した人たちがむくわれる社会でなければならない。
 一律課税を「金持ち優遇」と批判する人は多いが、富裕層への減税はたんにひとにぎりの高額所得者を優遇するものではない。富裕層を減税すれば、彼らは自分の資産を金融市場に活発に投資するようになり、企業の設備投資や研究開発を促進させることになる。それは結果的により多くの雇用と新たな産業を生み出すことになり、社会全体の発展と経済成長をもたらす。このことは貧しい人々にとってもより良い仕事にめぐり会える機会が増えることを意味している。アメリカの1990年代、2000年代の経済的繁栄はそうした最高税率の引き下げと金融投資の活性化がもたらしたものといえる。この経済政策のことを「トリクルダウン(trickle-down=したたり落ちる)」という。一律課税が実施されれば、よりいっそうトリクルダウンの効果が期待できるだろう。
 2010年、アメリカでは、オバマ大統領による医療保険制度改革が行われた。それまでアメリカに存在しなかった公的な健康保険制度をつくり、多くの人がいままでよりも安く医療保険に加入できるようにするもので、通称「オバマケア」と呼ばれている。このオバマケアの予算は富裕層への課税を増やすことで実施されたが、大勢のアメリカ人が反対の声をあげ、連日のように大規模な反対集会が開かれた。その集会には、増税される富裕層や利益の減る保険業界の関係者だけでなく、年収2万ドル以下の低所得層の人々もたくさん参加していた。それは自分のことは自分でするという自助の精神とアメリカンドリームという成功への夢を守るためである。アメリカンドリームとは、成功への道は誰にも開かれており、貧しい移民のこどもであっても本人の努力しだいで夢をつかむのは可能であるという価値観である。そのためには、親の遺産や社会保障にたよらず、自力で成功した人が尊重される社会でなければならない。こうした価値観はアメリカに限ったものではなく、日本においても同様に重要である。
 豊かな者が貧しい者を支えるというしくみは、本人の自発的な善意で行われるならば、大いに結構なことである。しかし、高額所得者に対して、政府が強制的に高い税率を課すというのは、臓器提供を強制させるのと同じである。たしかに、臓器提供は人助けであり、腎臓ならばひとつ失っても生きていくことはできる。しかし、その人の身体が本人自身のものである以上、臓器提供を政府が強制することは社会正義として認められない。それと同様に、所得や資産もまた本人自身の努力と才能と時間の成果であり、その人のものである。したがって、政府が高額所得者に高い税率を課し、強制的に所得の再分配をうながすやり方はまちがっている。所得税はすべての人に等しい税率を課すべきである。

B 累進課税は公平なしくみである。
 所得の格差は本人の努力や才能よりも、おもに社会的格差によって生じるものだからである。
 まず、人生のスタートラインは人によって異なり、ふぞろいである。前の総理大臣である鳩山由紀夫氏のように、祖父は総理大臣、父は外務大臣、母はブリヂストン会長の娘で、母親から毎月1000万円も「おこづかい」としてもらっている人もいれば、一方でホームレスとして道端で暮らしている親から生まれた人もいる。人生のスタートラインがそろっていないのに、その結果である所得についてだけ一律に課税すべきというのはあきらかに矛盾している。
 また、社会的地位や所得の格差は親から子へ引きつがれ、社会階層の固定化をもたらす。現代においても社会階層の固定化は多くの国で見られるが、日本やアメリカのような貧富の差の大きい社会では、とくにこの傾向がはっきりあらわれている。そのため、日本の高額所得者の多くは働いて稼いだ「勤労所得」ではなく、不動産や株式から得られる「財産所得」を主な収入源にしている。例えば、鳩山家の場合、一切働かなくてもブリヂストン株の配当金だけで年間3億円近い収入がある。鳩山家はそれ以外にも莫大な不動産や株式を所有しているので、財産が生みだす収益は毎年十数億円にものぼる。こうした財産所得にかかる所得税は、勤労所得のような累進制ではなく、一律課税方式が採用されている。例えば株式配当や株式売却益の場合、どれだけ収入があっても税率は一律20%(国税15%・地方税5%)であり、資産のある大口投資家にとって著しく有利なしくみになっている。しかも、2003年から2013年までは、投資の促進という名目で、どちらも10%(国税7%・地方税3%)にまで引き下げられていた*。勤労意欲を下げるという点では、このようなお金がお金を生みだすしくみを優遇していることのほうがはるかに悪影響をおよぼしている。働いて5000万円稼いだ人よりも株で10億円儲けた人のほうが税率が低いというのでは公平な税制とはいえない。このことは日本と同じしくみを採用しているアメリカでもしばしば批判の的になっている。フランスやカナダの所得税のように、すべての収入を合計した上で総合的に累進課税を適用するべきである**。
 トリクルダウン理論は1990年代から2000年代にかけて小さな政府とともにアメリカや日本でさかんにもてはやされたが、結果は富裕層を太らせただけで雇用の拡大は生み出さなかった。むしろ、製造業の衰退によって年収400万円程度の平均的な労働者の割合は減少し、年収200万円以下の低所得層の割合が増加している。また、「投資の自由化」の名のもとにデタラメな金融投資が横行したことにより、2008年にはリーマンショックを引きおこし、世界経済の大混乱をまねいた。この30年間の歴史はトリクルダウンと小さな政府の失敗を証明しているといえるだろう。資本主義経済は成長効率が良いという長所がある一方で、必ず貧富の差が増大するという本質的な問題をかかえている。もしも今後、ひと握りの大富豪とその他大勢の貧困層という社会になってしまったら、貧困生活を余儀なくされている人々にとって不幸なのはもちろん、社会そのものが成り立たなくなってしまうだろう。健全な社会の発展のためには、累進課税と社会保障の充実による富の再分配は欠かせないものである。
 たしかに、貧しい家庭に生まれ、苦学して学び、努力の末に社会的に成功したという人物もごくわずか存在する。しかし、こうした人たちは例外中の例外だからこそ、美談としてもてはやされるのであり、彼らを指して「ほら見ろ」というのはまちがっている。自ら彼らの生き方を手本にするのはかまわないが、貧困状態にある人々に対して、「彼らを見習え」というのは問題の本質から目をそらそうとする欺瞞的行為である。ましてや、「社会政策」を例外的な存在である彼らを基準にして判断すべきではない。「そうは言っても、成功した人は努力も勉強もしているし、現代は身分制社会のように親の社会的地位をなにもせずに引き継げるわけではない」という人もいるかもしれない。しかし、そもそも、努力しようという意欲や「やればできる」という価値観は、家庭環境をはじめ、まわりから与えられたものである。もしも、荒んだ家庭に生まれ、親から虐待を受け、「どうせお前なんか」となじられながらこども時代を過ごしたとしたら、「自分だって努力すればできるんだ」とは思えないだろう。「競争」が建前の現代社会においても、親と子の社会的地位や学歴が似通っているのはそのためである。日本では、東大生の親の平均年収は1000万円以上と他の大学よりも際だって高く、こどもの学歴と親の経済力は完全に比例関係にある。
 さらに、才能や努力は本人のものだとしても、それを生かせる社会環境にめぐりあったことはたんなる偶然にすぎない。たとえば、イチローが野球選手として恵まれた才能を持っていることも、日々努力していることも疑う余地はないだろう。しかし、野球が人気スポーツで、スター選手に高額の報酬が支払われている状況は、イチロー自身の才能や努力とは関係のないところで生じる社会的要因である。現在、イチローの年間契約金は1800万ドル(約15億円)であり、メジャーリーガー全体の平均は240万ドル(約2億円)である。240万ドルという額は、アメリカ人の平均年収の50倍にも達する。しかし、メジャーリーガーが昔から高額所得者だったわけではない。1975年の平均は4万5千ドルにすぎず、当時のアメリカ人の平均年収の3倍程度にとどまっていた***。アメリカのスポーツビジネスはこの40年間で大きく変化し、野球選手の契約金も近年になって急激に高騰したのである。イチローが1975年ではなく、2010年の現在に現役選手であることは、本人の才能や努力とはまったく関係のないことであり、たまたまそういう社会状況に巡りあっただけのことである。さらに野球以外のスポーツ、例えばカーリングやアーチェリーのようなマイナースポーツの場合、選手たちは競技だけでは生活できないので、たとえ世界大会で優勝した選手でも、スポーツクラブでアルバイトをしていることもある。彼らとイチローとでは、千倍近くの所得格差があるが、その情熱や努力に千倍もの差はないはずである。
 つまり、高額所得者というのは、恵まれた家庭環境に生まれ、「やればできる」と親や教師からはげまされて育ち、その才能や努力がたまたま社会的に評価される時代にめぐりあった幸運な人たちといえる。こういう人たちがそうでない人たちを支援するために、税をより多く負担するというのは、けっして不公平な社会のあり方ではないはずである。

* → 財務省 利子・配当・株式譲渡益課税の沿革

** → 財務省 主要国の配当課税の概要
   → 内閣府税制調査会 フランスの所得税の構造(イメージ) pdf
 「働かざる者食うべからず」という言葉があるが、これはこうした不労所得で富を築いている富裕層を批判したレーニンの言葉に由来する。元来は「貧乏人はもっと働け」という意味ではない。

*** メジャーリーガーの1975年の平均年棒が4万5千ドルで当時のアメリカ人の平均年収の3倍程度というのは、2010年にNHK「世界のドキュメンタリー」で放送された「メジャーリーグ アメリカを映す鏡」から。また、ベーブ・ルースやジョー・ディマジオといった往年の名選手たちも、絶大な人気のわりに野球選手としての収入は大した額ではなかったという話は様々な本で紹介されている。

【生徒の反応と補足】

 生徒の反応は、Aの一律課税を支持するものが約1割、Bの累進課税を支持するものが約9割という状況でした。

 所得税の税率を一律にするというのはずいぶん乱暴に見えますが、2010年にアメリカで注目を集めたティーパーティーによる反オバマ集会では、しばしばこの一律課税がかかげられており、アメリカでは根強い支持があるようです。日本でも2004年の小泉構造改革に大きな支持が集まったことやその後も減税をかかげた政党・政治家が支持を集める傾向から、一律課税についても潜在的な支持はそれなりにあるのではないかと思います。

 「みなさまの公平な税負担をお願いします」というのは税務署の決まり文句で、毎年、確定申告の時期になるとこの言葉を耳にします。要するに脱税するなと遠回しに言ってるわけですが、この言葉を聞くたびに、公平な税負担とはどのようなものかが気になります。おそらく税務署に聞いても答えは返ってこないでしょう。日本の近代化は実質的に欧米化だったので、税制についても欧米のやり方を模倣することで様々な改革が行われてきました。そのため、「いかにやるか」ばかりに議論が集中し、「公平な税のとはなにか」「ともに社会を支えるとはどういうことか」「フェアな社会とはどのような社会か」といったより基本的な価値判断のほうは、ほとんどなされていないように見えます。

 参考意見のAもBも色々なことを言っていますが、その根底にあるのは、「自分のことは自分でする」社会のあり方と「互いに支えあう」社会のあり方というふたつの価値観の衝突です。日本の場合、「人に迷惑をかけない」ことを良しとする道徳観が強いので、Aの自分のことは自分でという価値観に基づく社会保障の抑制と小さな政府が支持されてきましたが、Bにも書いたように資本主義社会は富の再分配を行わないと必ず貧富の差が開く性質がありますので、今後、この価値観も大きく変化する可能性があります。

 Bの「才能や努力は本人のものだとしても、それを生かせる社会環境にめぐりあったことはたんなる偶然にすぎない」という文章を書きながら、2010年の年末にテレビで放送していた「ドラえもん」のエピソードを思い出しました。勉強も野球もサッカーも駄目なのび太にとって、唯一の取り柄はあやとりが上手なこと。でも、のび太が得意のあやとりを学校で披露してもクラスのみんなは、「ふぅ〜ん、あやとりねえ」と冷ややかな反応しかしてくれません。そこでのび太はドラえもんに「もしもボックス」を出してもらって、「もしもみんながあやとりに夢中の世界だったら!」と叫ぶ。するとその瞬間から世界は一変します。

 のび太が学校へ行くとあやとりのテストがあり、休み時間にはスネ夫が得意げな顔で「ぼくの開発した新技なんだ」とあやとりを披露してクラスの人気者になっています。家に帰ってテレビを見ると「あやとり世界選手権」が中継されいて、お父さんもお母さんも夕食を食べながら、プロ選手がくりだす華麗なあやとりの技に夢中になっています。のび太のお母さんはため息をついて言います。「はあー、のび太も少しはあやとりの才能があったらねえ、学校の宿題なんていいからもっとあやとりの勉強をしなさい、こんなことじゃ大学へも行けないわよ」。その世界では、大学入試にもあやとりの実技試験があって、あやとりのプロ選手になれば何億円も稼げるということになっています。お父さんは苦笑いしながら言います。「おいおいお前、あんまりのび太に無茶言うなよ、あやとりのプロ選手なんて雲の上のほんのひとにぎりの特別な才能の持ち主だけがなれるんだからさ、ははは」。のび太は、プロ選手の技をその場でやって見せ、「あんなの大したことないよ」とさらにアレンジを加えたあやとりをふたりに披露します。目を丸くするお父さんとお母さん。のび太の天才少年ぶりはまたたく間に町中の噂になって、のび太が町を歩けば知らない人たちから次々とサインを求められ、やがて、「ぜひうちとプロ契約を」とプロリーグのスカウトが野比家を訪問して一億円の契約金を提示します。しずかちゃんをはじめ女の子たちはみなあこがれのまなざしでのび太を見つめ、いじめっ子のジャイアンまで「今度オレにもあやとりを教えてくれよ」と羨望と尊敬のまなざしをのび太に向けるようになります。有頂天ののび太は「いやあ、なんて素晴らしい世界だろう、世界は本来こうあるべきだったんだよ」と言う、そんなエピソードでした。「ドラえもん」はときどきやけに風刺の効いた回があります。
2011-2017


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