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  地雷禁止のために


 この回は、カンボジアの地雷に囲まれた暮らしの様子と地雷廃絶運動をしているNGOの活動を見て、対人地雷を廃絶するためにはどうしたらよいのか考えました。授業では、地雷のしくみや問題点、地雷禁止への動きを解説した後、地雷に関するテレビニュースとドキュメンタリーのビデオを見ました。
 
ビデオ
 
●1995.5 NHK「カンボジア・残留地雷の恐怖」より抜粋
 世界中に1億発以上の対人地雷がばらまかれている現状の紹介。
 
●1996.2.6 TBS「CBSドキュメント」より カンボジアの地雷
 長い内戦により、カンボジアでは各地に無数の地雷が埋まっている。その犠牲者のほとんどは民間人で、国民の150人に1人が地雷で手足を失い、義足に頼る生活をしている。カンボジア政府やNGOは地雷撤去活動に取り組んでいるが、非常に数が多い上に撤去には手間がかかり、なかなか進んでいない。
 
●1997.10.10 TBS「ニュース23」より ノーベル平和賞、地雷廃絶運動のNGOへ
●1997.5.28 TBS「ニュース23」より 難民を助ける会の活動
●1997.10.21 テレビ朝日「ニュースステーション」より 地雷禁止条約、日本も署名へ
 
対人地雷の問題点
 
1.安く、有効な兵器のため、大量に使用されている。
・中国製のものだと300円くらい。
・現在、世界中に1億個以上がばらまかれている。
 
2.いったん仕掛けると、50年も100年も人が来るのを待ちかまえている。そのため、紛争が終わった後も地雷は残り、民間人に被害をもたらす。
 
3.地雷を取り除くには、非常に手間がかかる。現状では、1個1個手作業で取り除かなければならない。
 
 
 生徒のレポート
 
●地雷は人を殺すためにつくられたものだと思っていた。でも、人を殺すより、傷つけたり、苦しめたりするために、作られているという。そのために、松葉杖をついている人たちが大勢ビデオに登場した。私はカンボジアはてっきり平和になったのだと思っていた。たしかに戦争は終わったが、地雷が残っている限り、本当に平和になったことにはならない。そんな中で、まだ地雷は作られているという。日本も作っているらしい。地雷は禁止するべき、私はそう思う。
 
●ぼくはカンボジアに行ったことがある。
 カンボジアはすごい国だった。空港に下りると、いきなり地雷の注意と説明があり、地雷の種類が描かれたボードを見せられた。
 観光のために、プノンペン市内を出て、お寺を見学しにいった。市内から出たとたんに、脚のない人や腕のない人たちをたくさん見かけた。ビックリした。その人たちの中には、僕らのような観光客(あまりいなかった)や国連の人にものごいをする人も多かった。車が徐行すると、義足を引きずった子
供が窓のところにきて、金をくれとせがんだ。このことを思い出す度に、地雷は一刻もはやくなくすべきだと思う。日本も税金をこういうことに使ってほしいと思う。
 
●あんなに多くの人たちが被害を受けているのに、まだ地雷を作り続けていると聞き、おどろきました。しかも、すでに1億個以上もばらまかれていて、その処理に命の危険をかけている人たちがいるというのに。
 地雷は地面の下で、人が来るのを50年も100年も待ち続けているという。戦争が終わって、村が平和になっても、地雷はそのまま残って、誰かが来るのを待っています。そのことを考えたらとても怖くなりました。
 もう一つおどろいたことがあります。それは地雷が1個、300円くらいしかしないということです。その300円のものがたくさんの人に被害を与えていると思うと、何とも言えない気分になりました。一方で、その300円のものを取り除くには、何万円ものお金と命の危険をかけなければなりません。また、プラスチックでできた地雷だと、見つけだすことすらむずかしい状況です。何でこんなものをつくるのかわかりません。
 地雷の実態を世界中の人に知ってもらって、世界全体で禁止していかなければいけないと思いました。
 
●地雷があんなに安いと、どんどんばらまかれてしまう。カンボジアでは、ふつうの人も簡単に地雷を手に入れられ、使っているという。
 地雷を作る国にとっては、大きな国の収入源になっているから、悪いと知っていても、なかなか止めようとしない。ダイアナさんみたいな人がもっと協力して、地雷禁止の運動を盛り上げてほしいと思う。
 
●すごく悲惨だと思った。この世に地雷なんてものがなければいいと思う。
 その一方で、地雷を大量に輸出している中国は、地雷づくりで生活をしている人たちもいるわけだし、むずかしい立場だと思う。
 日本が地雷を持っているというのは、矛盾していることだと思う。日本は武器を持たない国ではないのか。外国が日本に攻めてきたときに、海岸に地雷をばらまくために、何万個も持っているなんて。
 話が少しはずれるけど、私はこのごろ「日本」と「私たち」というのはまったく別のものではないかと思う。「日本」というのはほんの一部の政府関係の人たちのことで、「私たち」はその人たちの下で何の意見も実際の政治にはとどかない存在なのではないかと思う。「私たち」は本当に地雷なんて持っていたいのだろうか。本当に世界の人たちは戦争なんかしたいのだろうか。「世界に平和を」という声がある一方で、たくさんの地雷を持っているのは、そのためではないだろうか。
 今回、カンボジアのビデオの中で、地雷は1個、300円くらいで買えて、ふつうの人が自分の嫌いな人の玄関などにしかけているという話があった。すごくショックだった。
 
●どんなに地雷の処理に金がかかっても、すべてとりのぞくべきだと思う。こういうことにこそ、税金を使うべきだと思う。
 
●対人地雷はわざと威力を小さくして、殺さずに脚だけ吹き飛ばすようにしているという。その方が敵にダメージを与えられるからだという。なんて残酷な発想だろうと思った。そして、地雷は兵士よりも、民間の人たちに被害をもたらしている。
 本当に悪魔の兵器だと思う。
 
●対人地雷が300円ということにすごくおどろいた。300円で自分の脚がとばされたら、たまんないと思った。それに、しかけるのは簡単で、長持ちするし、とりのぞくのは大変で、犠牲になるのは主に民間人というのは、最悪の兵器だと思う。
 それにしても、なぜ、アメリカや中国は地雷禁止条約に反対するのだろう。中国は地雷の輸出国だからとしても、アメリカはどうしてなのだろうか。
 それに日本もあいまいだ。世界の動きにあわせて、条約賛成にまわったけど、本当に条約を守る気があるのかわからない状況だという。それに自衛隊が持っている100万発もの地雷をどうするのかとか、具体的には何も明らかになっていない。そもそも、なぜ、そんなに地雷を持つ必要があるというのだろうか。どこの国が日本に攻めてくるというのだろう。いくら海岸に地雷をばらまいたって、空から攻撃されたら、ぜんぜん役に立たないはずだ。それに、自分の国にまくのだから、後になって困るのは日本だ。これこそ、お金のむだづかいだと思う。
 今回、NGOがノーベル賞を受賞したのは、いいことだと思う。これがきっかけになって、日本や世界の人が地雷のことをもっとよく知ることができたらいいと思った。
 
●戦争で軍隊が地雷の被害を受けるのならまだしも、何の関係もない住民が被害を受けるのはひどい話だ。カンボジアなどのこれから発展しようという国にとっては、地雷撤去の費用がないだろうから、日本などの先進国が援助をすべきだ。地雷なんかつくってんだったら、その予算を撤去のためにまわすべきだ。
 
●ビデオは目をそむけたくなるような悲惨な映像ばかりだった。
 戦争が終わっても、一般市民が地雷の被害を受けていると知って、戦争をはじめた人間と地雷を埋めた人間に怒りを感じた。死ぬのは戦争をやらかしている人間だけで十分だ。
 中国製地雷が1個300円だという。300円で、人間一人が死ぬのかと思うと、戦争の中では人間の命なんて安いんだなと思った。殺さずに脚一本だけを吹き飛ばす目的でつくられているものもあるという話を聞いて、戦争の中で人間はこんなにも残酷になれるのかと思った。
 たしかにすべての兵器は残酷なものだが、地雷は特別に悪質だと思う。こんなものをまだつくっている国があると聞いて、あきれた。地雷の撤去とと
もに地雷の生産を中止することを求める。
 
●テレビの特撮ドラマでは、バーンと爆発しても誰も怪我しない。僕にとって地雷のイメージはその程度のものだった。
 今回のビデオを見ていて、口が開いたままになるほどショックだった。本物の地雷は全然違うものだった。爆発の音からして違う。辺り一面に砂が吹き飛び、訓練を受けた地雷処理の人でも「こわい」と言っていた。そして、地雷がばらまかれている地域では、脚のない農民の人たちがあふれていた。見ていて、身体がしびれるほど怖かった。
 地雷処理をしているNGOの人は本当にえらいと思う。慎重に慎重に地雷に近づき、腹ばいになって、自分の手で割り箸みたいな棒を地雷の下にゆっくりと差し込んでいく。見ているだけでドキドキした。僕にはとてもできない。どんなに訓練を受けたとしても、あれだけはやりたくない。
 なにかもっと効率のよい処理方法はないのだろうか。このままだと、地雷処理には気の遠くなるような時間がかかってしまう。
 
●地雷禁止運動をもっと多くの人たちに広めていくために、ダイアナさんのような知名度のある人が先頭に立って協力してほしい。
お金による援助も大切だと思うが、それ以上に、多くの人にこの問題を知ってもらうよう活動していくことが大事だと思う。地雷の問題の実体がわかれば、何かせずにはいられないはずだ。地雷を作っている人たちだって、考えを変えるのではないかと思う。
 私の考えはあまいかも知れない。でも、悲しい叫び声をあげている人が大勢いることを考えると、何かせずにはいられない。何も行動しないで、ただ見ているだけなんて、私には我慢できない。私もできるだけこの問題をまわりの人に伝えていきたい。それに、少し前から、こういう問題で困っている人に寄付するために、貯金をはじめた。自分に何ができるかを考えながら、積極的に行動していきたい。
 
●地雷は悪質で残酷だ。地雷の除去には、危険をおかしてひとつひとつ手作業で取り出すしかないのに、わずか300円で買えてしまい、簡単に使われるのでは、いっこうに減らない。使用も販売も全面的に禁止するべきだ。
 
●地雷地域でくらす農民にとっては、生活がかかっているので、地雷が埋まっているかも知れないと思っていても、そこを通らなければならない。地雷がいくつも埋まっている畑を耕さなければならない。そういう世界がそこにある。地雷を埋めた者は、それによって何が起きるのか考えることはないのだろうか。
 
●僕は兵器マニアなので、銃や戦闘機や戦車をかっこいいと思ってきた。兵器の合理的な形状に引きつけられる。戦争マンガで銃を撃つ場面にもわくわくする。地雷についてもそうだ。
 その一方で、そうした兵器がもたらす悲劇と恐怖も知っているつもりだ。戦争によってもたらされた残虐な出来事を考えると、兵器を生み出した人間に怒りを感じる。そんな悲劇がくり返されないよう、すべての兵器がなくなればいいとも思う。
 兵器の目的は一つだ。いかに合理的に人を殺すかだ。こんなもの本当はない方がいいし、使われない方がいいに決まっている。兵器のかっこよさや兵士の勇ましさというのは、それが生み出す悲劇や残虐さと裏表の関係だ。
 なぜ自分がそういうものに引きつけられるのかわからない。もしかしたら、生物としての本能がゆがんでいるのかも知れない。動物は人間のような無意味な殺し合いはしない。そういう残酷な行為をするのは人間だけだ。人間は頭脳が発達しすぎたために、生物として大事な部分がゆがめられてしまった残忍な存在ではないかという気がする。
 以前、ユニセフがこんな話をしていた。空からひらひらとプラスチック製のおもちゃみたいなものがふってくる。アンモナイトみたいな奇妙な形で、くるくると回りながら落ちてくる。それは爆撃機からまかれた地雷だった。わざとおもしろい形にしておいて、子供たちが集まってきたところで爆発する。 戦争という目的を与えられれば、人間はどこまでも残酷なことを考え出せる。怒りとともに暗い気持ちになる。
 ただ、地雷をまいているのも人間だけど、それをひとつひとつ手作業で取り除いているのも人間だ。そのことが唯一の救いだと思う。
 
●戦争のためにつくられたものなのに、地雷は戦争が終わった後も残って、民間人を傷つける。これは兵器とすら呼べないものではないのか。

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