この回は、日本の原子力発電について考えました。
日本での原子力エネルギーの利用は、政府が「国策」として進めてきたため、きわめて重要な問題であるにもかかわらず、国民がオープンに議論するという状況にはなってきませんでした。むしろ、政治的思惑や建設・操業をめぐる利権が絡んで、天皇制やナショナリズムの問題のようなセンシティブな問題になってしまっています。この状況は1997年の現在でも続いていて、授業の教材として取り上げにくいテーマのひとつといえます。原子力発電の問題は経済性・安全性双方できわめて大きな問題をはらんでいるだけに、こうした重要な問題をオープンに議論できないというのは日本社会の民主制の問題でもあるといえます。また、電力会社や政府はさかんに「安全」「必要」というPRをくり返す一方で、肝心の情報公開は進んでいません。
現在、日本では約30%の電気が原子力発電によってつくられています。東京電力に限っていえば、40%になります。しかし、原子力発電についての国民の評価は、大きく分かれているという状況です。そのために、新しく原子力発電所がつくられる地域では、しばしば大問題に発展します。そこで、原子力発電をめぐって、過去にどのようなことがあったのか、また、推進派・反対派はそれぞれどのような主張をしているのかを見ていくことで、原子力発電を考えていくことにしました。
なお、生徒のレポートは、以下の資料をみてもらった後、原発の建設計画のある村の住人になったつもりになって、「推進派」「反対派」のどちらかの立場からレポートを書いてもらいました。
問題点の整理 原子力発電の問題は2つに分けて考える必要がある
1.原発行政をとりまく非民主的体質
行政、電力会社、建設会社、さらに暴力団が加わって原発を批判する言論を封じてきた問題。
本来、原発の問題はエネルギーの効率的な利用と安全性という合理性の問題として議論されるべきものにもかかわらず、日本ではこの非民主的な原発行政の問題があまりにも大きく、本質的な問題を覆ってしまってる。この状況をまとめると次のようになる。
・「国策」として原発推進をすすめてきた中央政府の国家主義的な行政
・情報公開をせず、コマーシャルで「安全」「クリーン」ばかりをくり返す電力会社による世論操作
・過疎地域に原発を建設する見返りとして中央政府・電力会社から巨額の補助金を給付するやり方
・原発の建設・運用で発生する巨額の利権に群がる建設会社による地域行政の支配
・地元の有力者=建設会社経営者=地方公共団体の首長・議員という利権のつながり
・原発建設推進のために建設会社によってばらまかれるワイロ
・建設会社から中央の有力政治家への献金 → 保守系政治家による原発推進の圧力
・建設反対派住民へのいやがらせ
・閉鎖的な集落でおきる村八分
・建設会社によって雇われた暴力団員による脅迫
・暴力団員を住民登録し、住民投票や選挙で建設推進に投票
・地域行政自体が建設推進派に荷担し、選挙・住民投票で不正
こうして土建国家としての日本の負の面が原発建設予定地で一斉に表に現れる。その結果、原発の本質的問題であるエネルギー効率や安全性、経済性という議論は端へ追いやられ、保守−革新という政治問題へとすりかわっていく。原発行政には日本社会の非民主的体質が集約されているだけに問題の根は深い。
2.原発の合理性
こちらは経済性・安全性・環境への影響といったことが問題点としてあげられる。原子力発電の本質的問題であるが、日本では1であげた非民主的行政の問題があまりにも大きく、それに覆われてしまっているため、信頼できるデータをもとにした公正な議論は行われていない状況にある。
一方、教科書の記述では、中学の「公民」、高校の「政治経済」ともに、こちらの合理性の問題しかふれておらず、日本の実情から大きくかけ離れている。こうした社会科教科書の傾向は、「株式のしくみ」等の記述でも顕著で、日本経済の暗部には一切ふれることなく、総会屋もシャンシャン総会もインサイダー取引も損失補填も存在していないかのようである。教科書に記述される日本経済は、ディズニーのおとぎの国を連想させる。
【資料.原子力発電のしくみと現状】
●東京電力のチラシ(A5判、1996.11)
現在、東京電力では40%が原発によるものであること、原子力発電が安全で効率がよく日本の社会に欠かせないことが書かれてある。
●ケルビン・コズネル『メカニック大図鑑10 原子力発電所』福武書店
原発のしくみの技術的解説。図解によって詳しくかかれている。
●N・ホークス『原子力発電は安全か』佑学社
世界各国の原発の状況と問題点が、写真と図で解説されている。データーは少々古い。
●西尾漠『原発を考える50話』岩波ジュニア新書
原発の問題点を短く50の話にまとめてある。
●樋口健二『これが原発だ』岩波ジュニア新書
原子力発電所の中で働く人たちの様子が紹介されている。
【参考意見】(新聞・テレビ・本を参考に村田がまとめたもの)
推進派の主張
●原子力発電は安くて大量のエネルギーをつくることができるすばらしい技術だ。燃料のウランは石油とちがって、多くの国でとれ、安く、なくなる心配もない。また、風力発電・太陽発電とはくらべものにならないくらい大量の電気を作り出す。
●火力発電は空気を汚すし、水力発電は川や山の自然を破壊する。原子力発電は、そういう心配のないクリーンな発電だ。
●日本は電力の約30%を原子力発電にたよっている。電力を安定して送り出すには、原子力発電は欠かせない。原発をやめてしまったら、30%ぶんのエネルギーはどうするのだ。
●1973年のオイルショックで、日本はひどい打撃を受け、経済も大混乱した。もし、原発をやめて、火力発電にたよるようになれば、石油の輸入が止まったとき、再び大混乱を起こすことになる。すべての石油を輸入にたよっている日本にとって、原子力発電を積極的にすすめていくことは、社会の安定や経済の発展に欠かせない。
●過疎の村にとって、原子力発電所を受け入れれば、電力会社から巨額の補助金をもらうことができる。このことは村おこしにもなる。また、発電所ができれば、若者が働く場所もでき、地域の活性化にもつながる。
●原子力発電は安全なのだ。原子力のしくみもわからないようなシロウトは、口を出すな。
●科学技術が進歩していくには、挑戦する気持ちが必要だ。多少の不安があるからといって、新しい技術をこわがり、あきらめてしまうのは、あまりにも消極的だ。多くの人がこういう消極的な考え方をするようになったら、科学の進歩は止まってしまい、文明は行きづまってしまうだろう。
●石油の資源はいつまでもあるわけじゃない。今のうちから原子力発電にきりかえて、研究していかないと、石油がなくなったときにまにあわない。
反対派の主張
●原子力発電が危険だということは、多くの科学者も言っている。事故の可能性がわずかだとしても、もしも、大事故を起こしたら、広い地域が放射能に汚染されてしまうだろう。だから、経済のためとか科学のためと言っても、原子力発電は危険が大きすぎる。→ビデオA
●アメリカやヨーロッパの国々は、日本以上に原子力発電の研究がすすんでいる。それにもかかわらず、近頃では原子力発電所はつくらなくなってきている。これは、原発の危険性が大きすぎることが認められてきたからだ。
●原子力発電の燃料であるウランやプルトニウムは、純度を高めることで、原子爆弾の材料にもなるものだ。原発を動かすためには、こうした危険性のある物質を発電所にたくわえたり、トラックで運びこんだりしなければならない。こうした状況には常に不安がつきまとう。
●そもそも、原子力発電所を受け入れる地域に補助金を出すことは、原発の危険性を認めているという証拠だ。過疎の村の弱みにつけこんで、危険なものを押しつけるというのは、あまりにもやり方がきたない。村おこしと原子力発電所の建設はわけて考えるべきだ。
●原子力発電にかかわっている人は「安全、安全」とくり返すが、信用できない。彼らは原子力発電所で事故がおこっても、いつもかくそうとしてきたからだ。もし、本当に「安全」と言うなら、きちんと情報を公開するべきだ。→ビデオB
●日本は地震の多い地域だ。地震で原子力発電所に事故が起こったら、放射能がもれて、大事故になる可能性もある。原発にかかわっている人たちは「大地震にもたえられる」といっているが、阪神大震災の時には、「こわれるはずがない」といわれていた多くの建物がこわれた。
●原子力発電所にかかわっている人々は、情報を公開しないだけでなく、発電所建設で大もうけできる建設会社といっしょになって、反対派に嫌がらせをしてきた。多くの地域で、ワイロをつかって地元の有力者を動かしたり、反対派を村八分にしたり、おどしや嫌がらせの電話をかけたりというきたないやり方がおこなわれてきた。こういうやり方ですすめてきた日本の原子力発電をめぐる政治は、民主主義ではない。
●原子力発電所からは、かならず、放射能をふくんだゴミが出る。原発をやっている国では、この放射能のゴミで悩んでいる。そのために、原発をやめてしまった国もある。日本の場合、このゴミを外国にあずかってもらっていたが、いつまでもあずかってもらえるわけではない。しかたなく、青森県に一時的にゴミを置いておくところをつくったが、本格的な処分場ではない。ゴミを処分する場所もない状況で、原発を続けていくことは無理がある。それに、放射能ゴミを受け入れる地域など、どんなに補助金を出してもないだろう。→ビデオC
●原子力発電をやめて、火力発電にきりかえればいい。放射能をふくんだゴミの処理まできちんと処理することを考えに入れると、原子力発電はけっして安上がりで効率のいい発電ではない。かえって、火力発電の方が安くつく。
●石油がなくなると言っても、あと数十年はだいじょうぶだ。その間を火力発電でつないで、その間に安全なエネルギーを開発すればいい。
●発電所の寿命は30年から40年だといわれている。火力発電所ならば、古いものをこわして、新しくつくりかえたり、土地を別に利用することもできる。しかし、原子力発電所の場合、その場所が放射能に汚染されてしまっているから、新たにその土地を利用することはできない。できることは、放射能がもれないよう、コンクリートで固めてしまうことだけだ。原子力発電所をつくるということは、数十年後に何にも使うことのできない汚染された土地をつくるということでもある。
●日本はエネルギーをむだづかいしすぎている。原発にたよっている30%ぶんのエネルギーくらい、節約すればなんとかなるはずだ。現在の日本の社会は、経済発展のためにエネルギーをたくさん使うことばかりを考えている。日本人はもっと資源を節約してくらすべきだ。
【ビデオ】
1.原発建設計画のある地域での推進派・反対派の運動の様子
(テレビ朝日『ニュースステーション』1996.11.13放送より 6分)
2.チェルノブイリ原発の事故の様子と被害状況
(TBS『CBSドキュメンタリー』1995.4放送より 3分)
3.高速増殖炉もんじゅの「事故かくし」と秘密主義
(TBS『ニュース23』1995.12.22放送より 3分)
4.パシフックピンテール号による放射性廃棄物の輸送と日本の放射能ゴミの受け入れ状況
(テレビ朝日『ニュースステーション』1995.2.23放送より 8分)
生徒のレポート
推進派
●過疎で村がすたれるというのは最悪の事態だ。原発を呼んででも村おこしをした方がいいと思う。村の自然を守るといっても、誰も住まなくなった所にいくら豊かな自然があっても意味がない。そこに人がいてこそ「自然」という感覚が生まれてくるもので、誰もいなくなってしまったら、何の意味もない。
●僕が過疎の村の住人だとしたら、原発建設に賛成すると思う。確かに不安や問題点はある。例えば、事故がおきたときに関係者がかくそうとすることだ。でも、彼らはバカではないので、事故をかくしたとしても、事態を放っておくことはないと思う。それに、情報を秘密にしておくことや原発や核物質を厳重に護衛して一般人に近づけさせないことも、悪用を防ぐという点で、安全につながっていると考えられる。とは言うものの、原発建設には根本的な点で疑問を感じる。それは原発を建設して本当に村おこしになるのだろうか?ということだ。
●過疎の村にとって、原子力発電所の建設は確実に金をもらえるし、働くところもできるのです。こうした対策をとらなければ、過疎の村はますますさびれていくはずです。それに、たとえ、他に村おこしの方法が見つかったとしても、それが必ず成功するという保証はありません。
●今、日本では約30%の電力が原子力にたよっている。30%も電気が不足してしまったら、社会生活ができなくなってしまう。事故の可能性があるといっても、それはほんのわずかな確率だ。大げさにあぶないと主張するのはおかしいと思う。それに、火力発電所や水力発電所だって、自然環境を破壊している。人間が何かをつくるということは、何かをこわすということだ。何かをこわさなければ、新しいものはつくれない。原子力発電所だって同じだ。
●原子力発電所がふえれば、電気代が安くなると思う。
●僕は賛成だ。過疎化している村にとって、発電所の建設は大金が入ってくるのだから、こうしたチャンスをのがすのはもったいないと思う。補助金でつって危険なものを押しつけていると考えるのではなく、村にも電力会社にも互いに利益があると考えるべきだ。原子力発電所が危険だという人は、爆発することばかりを考えている。「爆発したらあぶない」と考えるよりも、「どうしたら爆発をさけられるのか?安全に動かせるのか?」というふうに考える方が前向きだ。そういう考え方をしないと、科学も技術も進歩しない。
●ぼくは賛成です。やっぱり電力の30%をしめているんだから、使わなければならない。ただ、原子力発電所から出る放射能のゴミのことはもっと考えなければならないと思う。あまり知れれていないけど、放射能のゴミは必ず出るものだけに、その処理がきちんとできていないということは、爆発の可能性よりも深刻だと思う。
●私は「賛成」。どうしてかというと、電気はいっぱいあった方がいいし、これからたくさん使うことになるから。電気は電池みたいにためておくことができないから大変だ。ためておければいいのに。
●私なら賛成すると思います。原子力発電は危ないとかいうけど、そんなことは前からわかっていることで、こんなにたくさんの原子力発電所がつくられた今になって、何だかんだ言うのはおかしい。自分の村が危なくてもしかたないと思う。何もできない私たちシロウトがわーわー言うよりも、陰ながら安全を祈っていることの方が大事なんじゃないかな。「くよくよと事故の不安を気にしているよりも、電気の光のように明るく生きなさい」と父も言ってます。
●爆発したらしたでそれまでの人生だ。
●発電所をつくれば、原子力についての研究も進むはずだ。
●私は原子力発電所の建設に賛成です。別にふだんの生活に変化はないし、事故をおこさなければ危険はない。火力発電や水力発電よりも環境への影響も少ない。それに、もしここに原子力発電所をつくらなくても、他の場所につくられるんだったら同じことだ。原子力発電に反対の人は、不足する電力をどうするつもりだろう。
●賛成。原発が日本の電力の30%もつくっているのに、原発をやめてしまったら、電力が不足するに決まっている。節約すると言ってもそれで30%ぶんをおぎなうのは無理だ。
反対派
●原発を受け入れる地域は、たくさんの補助金をもらえて、電気代もタダになるらしい。でも、そのことはそれだけ原発が危険だということを示しているのではないか。
●発電所の建設で利益にある建設会社や村のおえらがたはいいかもしれないけど、危険なものを押しつけられる住民にとってはたまらない。反対。
●原子力発電所をつくるということは、未来の地球と子孫に借金を残すようなものではないだろうか。
●反対。今みたいに、「安全」と言いながら事故をおこしている状態では、住民がこわがるのはあたりまえだと思う。
●原子力発電が安全だというのなら、情報を公開して、今までの事故がどうしておこったのか説明するべきです。
●日本は放射能ゴミを外国にあずかってもらって、処理している。自分の国で放射能ゴミの処理もできないのに、原子力発電を続けているのは無理がある。これ以上、原子力発電所がふえたら、日本は放射能ゴミであふれてしまうのではないか。
●原子力発電にこだわるよりも、他の方法を考えた方がいい。ひとつの例として、「鶏糞発電」!。ニワトリの糞を燃やすと、予想以上にカロリーが高い。これに目をつけたイギリスの会社が開発し、発電所をつくった。鶏糞発電は発電量は大きいし、公害もないと良いことだらけ!ところが、ニオイがすさまじい。やっぱり、どこか欠点があるものだ。とは言うものの、鶏糞発電もふくめて、色々な可能性を考えた方が前向きでいい。鶏糞発電所は日本にも作れないだろうか。山の中かどこかに。
●風力発電やソーラー発電にもっと積極的に取り組んだほうがいい。
●私は反対です。いつ事故がおこるかも知れないという不安を感じながら暮らしたくない。原子力発電にかかわっている人たちは、一般の人たちに色々なことをかくそうとしているように見える。そうやって、情報をかくしておいて、「シロウトはだまっていろ」というやり方は、バカにされている気がする。
●僕は反対派だ。どんな理由を並べても、あんな危険なものはつくるべきでない。ただし、電気を使いほうだい使っていて、原発に反対する人には賛成できない。自分もふくめて、原発に反対の人は使える電気の量が減ることも同時に考えてほしい。というよりも、もっと電気を節約してほしい。そうして、できるだけ電気を節約して、はじめて原子力発電が日本の社会に必要かどうかを考えるべきだ。
●カネにがめつくなって、こんなやばいことをしていては、人間そっこーでほろびる。原発が超キケンなことはみんなわかっているはず。
●反対です。はっきり言ってあぶない。電気って大切だけど、自分たちの安全をおかしてまで、便利な生活をしたいとは思わない。でも、反対して、反対して、反対しまくっても、建設が決まってしまったら、補償金をたくさんもらう。
●村がどんなに過疎化が進んでいるところだとしても、原子力発電所をつくるのは反対だ。発電所ができたとしても、村の過疎化がとめられるとは思えない。そんな村に新しく人が来るとは思えないし、住民の健康にも不安がある。若い人にはたらく場所ができたとしても、そこは放射能をあびる危険性のある職場だ。それに、発電所とは関係のない子供たちまで、放射能で病気になる可能性がある。子供の時に受けた放射線の障害は、大人になってもつづく。一時的に補助金をもらえたとしても、長い目で見ると良いことはない。
●誰も住んでいない海上に原子力発電所をつくることはできないだろうか。
●まず、母と姉に意見を聞いてみた。母は反対派だった。理由を聞くと、「チェルノブイリの例もあるし、事故がおこったら大変だ。それに、もっと家庭で使うエネルギーを節約するよう心がければいいのではないか」ということだった。姉はどちらとも言えないという感じだった。自分の地域に原子力発電所が建設されるのには反対だが、よそにあるのならいい、というかないと困るといった感じだった。
私は村おこしのために原子力発電所をつくるのは反対だ。安全性に疑問を感じるし、村に大金がごっそり入ってくるとしても、他の村おこしの方法を考えた方がよっぽどいい。原子力発電にかかわっている人たちの、外部に情報を公開しないし、口も出させないというやり方には怒りをおぼえる。「もんじゅ」の事故にしたって、ビデオを隠して、うそをついていたのは、一般の人に事実を見せたら騒ぎたてるだけだと思ったのだろう。「安全」というのなら、情報を公開して、そのことを証明するべきだ。原子力発電にかかわっている人たちが国民のことを信用しなければ、彼らも国民から信用されなくなっていくはずだ。
●放射能による被害はあとになっても残り、取り返しのつかないことになります。51年前、広島に落とされた原子爆弾で被爆した人たちは、いまだに後遺症で苦しんでいます。日本は原爆を落とされて、放射能の怖さを知っているはずなのに、なぜ、原子力発電に積極的なのか不思議です。
●原発にかかわっている人たちは安全と言っているが、保証できるのか。毎日、心配しながら暮らすのは嫌だ。もし、建設が決まったら、私は引っ越すと思う。
●本当に安全かわからないものを近くにつくられてしまったら、安心して暮らすことができなくなってしまいます。それに、原子力発電所からは放射能のゴミが大量にというのは、自然環境にも悪い影響がでるはずです。私たちは楽で便利な生活をもとめて、色々な発明をしてきたために、環境のことを考えなくなってしまったのではないか。原子力発電がなかった頃はそれで十分暮らせていたはずです。だから、もっと節約して、これ以上の便利さをもとめなければ、原子力発電がなくてもやっていけると思います。私はずっと東京にいて、原子力発電のことは考えたことがなかったけど、安全で環境にも影響のないエネルギーの開発を考える必要があると思いました。
●たとえ事故の確率は小さくても、もしおこったら大変なことになる。そのことを考えると、不安を感じるのは当然だと思う。他の発電所と同じようには考えられない。
●村おこしも大切だとは思うけど、村の何十年か先を想像してみるといい。原子炉は数十年たてば使えなくなる。しかし、大量の放射能をふくんだ古い原子炉を解体することはできない。放置するしかない。その結果、放射能に汚染された使い道のない土地と建物だけが残る。原子力発電所をつくり、危険と隣り合わせの生活をし、その後に、放射能に汚染された場所が残される。たとえ補助金をもらって一瞬の繁栄を得たとしても、どちらが村のために良いか、考えればすぐ答えが出るはずだ。
●もし大地震があって、原子力発電所から放射能がもれたら、大事故になってしまう。そうなったら、どんなにあやまってもすむ問題ではない。それに、そんなことがあってから、まちがいがあったことを認めてももう遅い。
●原子力発電所ができれば、逆に村の人口は減ると思う。誰だって原子力発電所の近くには住みたくない。
●たとえ村おこしのためでも、私は反対です。発電所ができれば出かせぎに行かなくてもすむかもしれないけど、放射能をふくんだ「消えないゴミ」が出るというのは本当に怖いことだと思います。何千年もの間、そんなゴミをどこにためておけばいいのかわからないし、大地震でそれがもれたら大事故になってしまう。そんな怖いものをもうこれ以上作り出すべきではないと思います。チェルノブイリ事故のビデオを見て、地球に人間がつくりだした恐ろしい世界があることをはじめて知りました。
●原子炉から出る核のゴミは危険なものだ。この先、ずっと放射能を出し続けるから、どこかに閉じこめておかなければならない。日本というせまい国にそういうゴミを大量に捨てる場所はない。
●原子力発電に切り替えるのは、石油がなくなりそうになってからでいいのではないか。
●電気なんかなくったって、人間は生きていける気がする。考えてみれば、原始時代、何もないところから人間は出発した。それが進歩することによって、人間って欲張りになってきたんじゃないかなあ。わざわざ危険なものをつくるほどに。もちろん自分もふくめて。石油資源がなくなる前に原子力にきりかえるっていうけれど、人は追い込まれれば色々するものだから、石油がなくなればその時、何か考え出すと思う。いざとなれば、電気がなくったって生きていけるだろうし。文明がとまってしまうとか、科学が進歩しないとか、それって変だと思います。私たちは進歩するためにこの時代に生きているんでしょうか。
●この村にすんでいる人はこの村の生活が好きで離れないでいるんだと思う。もし、便利なところで暮らしたいのなら、都会に行けばいい。「村おこし」といって日本中を東京みたいにする必要はない。最近、いなかに行くほど目につくゴテゴテしたビルと意味なく広い道路、あれなんだ。
●私も原発は危険だと思う。危険だから、原発にかかわっている人たちは情報をかくしたり、うそをついたりするんだと思う。本当に安全だと言うのなら、情報を公開して、証明するべきだ。そうでない限り、私は信じられない。原発がなくても電気を節約すれば、けっこうたりるんじゃないかと思う。それくらい、日本はエネルギーを無駄に使っていると思う。
●原発をやめて電力が不足したら、電気を節約すればいい。ネオンを消したり、もっと効率のいい電気製品にかえたり、方法は色々とあると思う。
●反対。絶対に事故がおこらないのならいいけど、そんなことは絶対にありえない。
●家から遠く離れた所に原子力発電所が建設されるのなら、賛成すると思う。この場合、「もし事故がおこったら」と考えるよりも、村おこしを優先すると思う。しかし、自分の家の近くだとしたら、やはり反対する。つまりは他人事という感じがした。あと、この原子力発電の建設で、積極的に賛成しているのは、その地域のえらい人ばかりという印象を受けた。そういう人は村おこしのために「どうぞ」「どうぞ」と言っているが、村の人の多くは反対しているという場合が多いみたいだった。だから、村長や議員の選挙の時に、村のことをきちんと考えられる人を選ばないとだめだと思った。
●原子力発電は安くついたとしても、放射能のゴミが出たり、数十年先に使えない土地が残されたりして、効率のいい方法だとは思えない。
●「シムシティ」で町をつくっている時、原子力発電所が事故をおこし、その周囲の土地が放射能に汚染されてしまったことがある。現実に同じことがおこったらと考えると、危険だと思う。
(注・村田 「シムシティ」はアメリカ製の有名なゲームソフト。オリジナルは1987年にパソコン用のゲームソフトとして発売されたもので、色々な建物を建てたり道路をつくったりして町の人口を増やしていくというもの。発電所には火力発電所か原子力発電所のどちらかを選ぶようになっています。ところで、1年ほど前に通産省と文部省がシムシティそっくりの町づくりゲームをつくり、無料で配布することになりました。ところが、このインチキ・シムシティは、発電所に原子力発電所を選ばないと町が発展しないようになっていて、火力発電所を選ぶと「さみしいなあ」とコメントが出るようになっていました。もちろん原子力発電が放射能漏れ事故をおこしたりするようなことはありません。日本政府の原子力発電にかける熱意は伝わってきますが、ずいぶん国民をバカにしている話です。このゲームソフトは学校の教材として配られる予定だったのですが、市民団体をはじめとした様々なところからクレームがついて結局、配布取り止めとなりました。このインチキ・シムシティについて詳しくは
→こちらを「タヌパック短信5」。)
●原子力発電に不安を感じている人や反対している人が多いのに、どうして電力会社はこれほど原子力発電にこだわるのだろう。火力発電で十分なのに。不思議です。
●チェルノブイリ事故のVTRでは、放射能がもれているなかを大勢の作業員が修理工事をしていた。そこで働いていた人たちの多くが、死んだり、病気になったりしたらしい。チェルノブイリ原発のまわりは今でも立入禁止になっている。ロシアやウクライナは国土が広いからあれですんでいるけど、日本みたいに土地がせまくて人口の多い所で事故がおこったらもっとひどいことになると思う。
●原子力発電にかかわっている人たちが、一般に情報を公開しないで、一般の人に口を出させないと言うのは無理がある。事故がおきたときに被害を受けるのは一般の人たちだからだ。
●原子力発電についてのテレビCMはよく見かけるけど、実際に原発のまわりに住んでいる人たちはどんな気持ちなのだろうか。そういう人たちの話はあまりテレビに出てこないけど。
●もんじゅの事故の時、原発にかかわっている人たちがビデオテープをかくしたり、うそをついたりするのを見て、どうしてそこまで無理をして原子力発電にこだわるのか不思議でした。責任者が自殺したりなんて、異常だと思います。いくら日本が石油がとれなくて、オイルショックの時に混乱したからといっても、原子力発電にだって欠点はあるわけだし(安全性とか、放射能のゴミとか)、火力発電にくらべて特に効率がいいとは思えません。日本がこれほど原子力にこだわるってことは、何か国民の知らない理由があるのでは。まさか、原子爆弾をつくってたりとか。
●いくら大金がもらえたとしても、目先の利益だけでそんなものを建てて、大爆発をおこしてしまったらそれで終わりだ。チェルノブイリの原発事故を見たら、村おこしなんて悠長なこと言ってられない。村おこしなら他の方法でもできるはず。爆発事故がおこったら、その村には何十年、何百年も入ることすらできなくなってしまう。
●原子力に関係する人たちは「原子力は安全だ」と言っているが、それならば、なぜ事故がおきるのか。そして、チェルノブイリ原発のように大きな事故がおこっているのに、どうして原子力の危険なところも認めようとしないのか。あの事故で死んだ人やその後の処理で放射能をあびて死んだ人など、たくさんの人が亡くなっているのに。
こういう状況のなかで、日本の原子力関係者は事故の理由や改善策などの説明を十分にしていない。こういうことでは、賛成しようなどという気にはならない。
(注・村田 チェルノブイリ原発の事故について、日本の原発関係者は「日本と当時のソ連とでは原発のしくみ自体が違うから、チェルノブイリ事故は日本の原発にはあてはまらないし、日本の原発ではああいう事故はありえない。だから、日本の原子力計画にチェルノブイリ事故は影響がない」という立場です。)
●反対!!だ。今後のことを考えると、ひじょーに危険だし、不便だし、やっかいだからだ。だって、将来はその土地は使えなくなるし、ゴミの処理を考えるとばく大なお金と技術がかかってしまう。そもそも発電のプロペラみたいなのを回すだけなのに、何でこんなむずかしいことをしないといけないんだああー!!!……ゴホン。そうじゃあなくて、まずは私たちが電気を使う量を少なくすればいいことだと思う。だって、今まではそうしてやってきたじゃない。
保留・その他
●原子力発電所がなくなったら、電気が不足して、クーラーなど使いたくても使えなくなるだろう。私にはそんな生活はたえられないだろうと思う。でも、その一方で、チェルノブイリのような事故がおこるとこわいと思う。たくさんの人が事故でなくなることを想像すると、クーラーぐらいがまんできる気がする。ではどうしたらいいのか、良い答えは見つからない。
はじめて、こんなことを考えてみた。やっぱり、こういう問題は難しい……。
●僕はどちらとも言えないが、ひとつ言いたいことがある。それは、なぜ、科学を発達させなければならないのか?今のままで十分じゃないか。科学のために人がいるのではなく、人のために科学があるはずだ。人の暮らしを危険にさらしてまで、科学を発展させようという考え方はバカげている。チェルノブイリの子供たちは、今でも苦しい状況にいる。
●日本の電力は原子力発電にたよらないと足りないし、でも原子力発電のそんなむずかしいしくみはわからないし、とっても危険な気もするし、それに放射能のゴミの処理にも困るし、自分の家の近くにそんなものが建つのには反対だし……。はやく、「核融合」っていうものができてほしい。
●地元の住民がいくら反対してもムダだと思う。電力会社と政府がその村に発電所をつくるって決めたのなら、どんなに住民が反対しても、その決定がかわるとは思えないから。事故が起きたときに、実際に被害にあうのは、電力会社の人でも政府の人でもなく、地元の人たちなのに。
●どっちが正しいかわからない。ただ、危険か安全かということはとてもあいまいになっているような気がする。原子力発電所が事故をおこしたら、国民全体にかかわってくることなんだから、原子力発電にかかわっている人たちは、情報をすべて正確に公開するべきだと思う。そうしないで、今みたいに一部の人たちだけで建設を決めていると、ワイロとか選挙違反とか村のなかでの対立とか、本来の安全性の問題よりもそっちの問題の方が大きくなってきちゃう気がする。
【生徒の意見を読んでの感想など】
●意見の割合は、建設に賛成が1割、反対が8割、保留が1割でした。「自分の家の近くに原発が建設されるとしたら……」という問題設定だったため、反対意見が大きく上回りました。「どこか遠くの知らない村につくられるのならかまわない」という無責任な考え方は意見に値しないと思いますので、あえてこういう問題設定にしました。
●現在、日本の社会で原子力発電の問題は、とてもデリケートな問題です。政治がからんでいたり、巨額のお金が動いていることから、気軽に意見を言いにくい状況です。(授業でもあつかいにくいテーマです。)しかし、このような大事な問題に意見を言いにくいというのは、おかしな社会状況ではないでしょうか。賛成にしても反対にしても、重要な問題ほどオープンに多くの人が意見を出し合うのが民主社会の基本であるはずです。
●実際に、原発が建設されるとき、住民への説明や議論する機会というのは、おどろくほど少ないのです。発電所の様々な資料を公開し、何年もかけて議論したり、住民の議決をとったりして決めるべきことだと思うのですが、現実には、電力会社と村や町の有力者によって決められ、建設が進められていきます。そして、そういう地域の場合、村長や町長の選挙もきちんと行われないことが多いのです。選挙の時にお金がバラまかれたり、投票用紙を偽造したり、立候補者が一人しかいなくて選挙にならなかったりすることがしばしばあります。
このことは、日本の原子力発電や民主主義の最大の欠点だと思います。
●日本の原子力行政は秘密主義で知られています。もんじゅの事故の時にうその発表をしたことはよく知られていますが、それだけでなく、原発内部の取材などは、ふだんからきびしく制限されています。
その一方で、電力会社や政府は、原子力発電が「安全」で「必要」であることをさかんにPRしています。テレビのCM、地下鉄のポスター、新聞の大きな広告、チラシなど、毎日のように目にします。(見たことあるよね。)
かんじんの情報を国民に公開しないで、「安全」「必要」という宣伝ばかりをくり返すやり方には疑問を感じます。原発が「安全」で「必要」かどうかを判断するのは、電力会社でも政府でもなく、一人一人の国民のはずだからです。
●去年の12月、長野県小谷村で土石流が発生し、ダム工事をしていた数人の人が生き埋めになりました。生き埋めになった人たちは、全員が出稼ぎで、東北の農村から働きに出ていた人たちでした。彼らは土木や建築の専門家ではありません。不安定な労働条件で下請けの工事会社にやとわれて、肉体労働をしている人たちです。おそらく、そこがどのように危険な現場かも知らされていなかったのだろうと思います。
この事故をみて、最初に思ったのは、原発で働いている人たちのことです。
原子力発電所というと、わずかの科学者・技術者とコンピューターだけで動かされているようなイメージがありますが、実際は全然ちがいます。発電所の中では、工事や修理や掃除のために、大勢の人たちが肉体労働をしています。原子炉に近いところでは、放射能が強いために、長い時間いられません。そこで、人海戦術で工事を行っているわけです。
こうした作業をしている人の多くは、やはり、出稼ぎの人たちです。彼らはもちろん電力会社の社員ではありません。その下請けのさらに下請けのそのまた下請けくらいの工事会社に、日雇いやアルバイトで雇われている人たちです。そして、もし事故が起こったときに、最初に犠牲になるのは、科学者でも電力会社の社員でもなく、彼らなのです。
悲しい状況ですが、こうした人たちが日本の経済発展をささえているということも知っておいてほしいと思います。
●「もんじゅ」の事故は授業でも紹介しましたが、今回、再び大きな事故が起こりました。 1997年3月11日、茨城県東海村の核物質の工場で、爆発事故がありました。今回は、放射能がもれ、数十人が被爆するという事態になりました。
この工場についても、運営している人たちは、「事故はありえない」と言っていたものです。原発にかかわっている人たちは、自分たちの技術や管理体制に対して、もう少し謙虚に見直す必要があると思います。
「まちがいはありえない」「外部の人間は口を出すな」というやり方で、押し通すのはもはや通用しないのではないでしょうか。