A 安全性に問題がなく、環境への悪影響もないことがはっきり証明されたら、遺伝子を組み換えられた犬や猫を認めるべきである。もしも「人間の都合で生き物を勝手に改造するのはまちがっている」という考え方をしたら、すべての家畜を否定することになってしまう。ウシもブタもニワトリも、人間の生活のために性質を改造してきた家畜であり、これを否定したら、人間の生活が成り立たなくなってしまうだろう。犬や猫にしても、狩猟の補助やネズミの駆除にもちいるために野生動物のオオカミやヤマネコを長い時間をかけて品種改良し、人間が扱いやすいようにした家畜である。遺伝子操作もそうした家畜の品種改良の延長線上にあるものにすぎない。
現在、品種改良によってつくりだされた血統書つきの犬や猫は、世界中で高い人気がある。多くの人は、より美しく、より賢く、よりめずらしいペットを求めており、人気の品種やめずらしい品種では、数十万円や数百万円もの価格で取り引きされている。こうした現実があるにもかかわらず、遺伝子組み換えの犬や猫になると態度を急変させ、まるでモンスターであるかのように拒絶するというのは、あきらかに矛盾した姿勢である。それは新しい技術への無知のために、ただ感情的に拒否しているにすぎない。多くの人がこの新しい技術を理解し、慣れるにつれて、遺伝子組み換え技術は「ふつうの」品種改良と同じように受け入れられるはずである。今後、この技術によって、より賢く、より人間に従順で、より飼育しやすい犬や猫が開発され、やがて糞尿の被害に悩まされることもなくなるだろう。こうした大きな可能性をもった技術をたんに不気味だからというだけで否定するべきではない。禁止・規制するのではなく、上手に利用する方法を探していくべきである。
また、生命の設計図を操作することが本当に許されるのかという問いは、誰にもはっきりとした答えのでない問題である。そういう「生命観」や「倫理」というあいまいな理由で遺伝子組み換えペットを規制するのは、自分の信じる宗教を他人に無理矢理おしつけるのと同じであり、独善的な行為である。
B 遺伝子を組み換えた犬や猫を認めるべきではない。そもそもこの技術でつくりだされた生命の安全性や環境への影響を完全に予測することは不可能である。実際に、遺伝子組み換えトウモロコシの花粉が他のトウモロコシに受粉してしまい、在来種や野生種のトウモロコシに遺伝子汚染をもたらしていることが指摘されている。遺伝子組み換え技術は、従来の品種改良と異なり、遺伝子を直接操作し、短期間のうちに生命の性質を大規模に作りかえるものである。もしもこの遺伝子組み換え生物によって、大規模な遺伝子汚染や生態系の破壊がもたらされたら、取り返しのつかないことになってしまう。いくら実験室の中で安全性が証明できたからといって、自然環境の中でどういう事態が生じるかまでは予測できるものではない。また、医療分野のように人命に直接関わる用途で限定的にこの技術を用いるならまだしも、ペットの遺伝子までも操作して人間の好みや生活に合わせようとするのは、他の生命の尊厳をかえりみないごう慢な行為ではないだろうか。犬や猫をはじめとした愛玩動物への遺伝子操作やクローンの作成は全面的に禁止するべきである。どこまでも人間に都合の良いペットが欲しいのならば、他の生命に求めるのでなく、ペットロボットを購入するべきである。
たしかに、「生命観」や「倫理」はひとりひとり異なっている。しかし、だからといって「人それぞれ」ですむ問題ではない。例えば、基本的人権の尊重や殺人の禁止といったことは、科学的に証明できるものではないが、だからといって「人それぞれ」ということにしてしまったら、差別や殺人がまかり通ってしまい、人間の社会が成り立たなくなってしまう。それと同様に、生物の遺伝子を人間の都合で操作することの是非についても、生命観や倫理という点から、多くの人が知恵を出し合い、社会的な合意をつくっていく必要がある。